故郷への思いが日本の景観を守る―愛媛発、自然と文化の調和の理論

心に浮かぶ故郷の風景がなくなってしまうとしたら、私たちに何ができるだろう。いま、日本中で顕在化しつつある「空き家問題」。美しい景観を損なうだけでなく、それは人の内面までも荒廃させていく。


景観を守るという信念のもと、リノベーションを活用した空き家対策・地域創生事業を展開する愛媛県発ベンチャーである株式会社iLandscape。2016年には、高い成長性が見込める企業を支援する日本政策金融公庫の「新事業育成資金」の一環として、愛媛県内で初めて新株予約権付融資を受けた。既存の事業の枠組みにとらわれず、「空間」に価値を生み出していく。代表取締役の永木武が心の中心に持つもの(コア)とは。



目次

1.景観を良くする

  愛媛の風景

  割れ窓理論

  「人工知能」×「空き家」


2.自分のコア

  父の背中

  世界から見る日本というルーツ

  景観を守る


3.愛媛から世界へ

  友人の言葉

  理念

  内側から変えていく


4.おわりに



景観を良くする


愛媛の風景


街の中心にそびえる松山城、眼下には美しい眺望がある。城下に賑わう道後温泉と温泉街。どこまでも静かに澄んだ瀬戸内海の海には、大小の島々が散らばる。日本の文化が色濃く残っているという愛媛県松山市の城下町。誰の心にも、まぶたの裏に浮かびあがる景観があり、ルーツがある。


愛媛県発ベンチャーである株式会社iLandscapeは、その名の通り、日本から失われつつある「景観」を守ることをミッションとして掲げる。その思いは多くの共感を呼び、複数のベンチャーキャピタルやエンジェル投資家から資金を集めることに成功した。


現在、同社事業は、リノベーションを活用した空き家対策・地域創生事業を主軸とする。中古住宅をリノベーションすることで住宅に新たな資産価値を生み出す。2017年には、愛媛県発のイノベーティブな有望ベンチャー企業として、県が主催する「愛媛県が選ぶすごいベンチャー企業『愛媛のスゴVen』」に採択されている。


代表の永木氏は、職人として会社を興した父の影響を受け、10代のころから父と同じく職人として建築業界に入った。のち留学したアメリカで、世界という枠組みで自らを、そして日本を見つめ直し、「ルーツを守り抜く」と決心し、起業。それは23歳のときであった。


「内側を変えたいですね。人間の気持ちみたいなものが変わらない限り、景観って変わらないと思うので」


自らのルーツを守り、後世に伝えていきたいと願う、永木氏が見る世界とは。


割れ窓理論


故郷への思い、先祖への思いがその土地を特別なものとする。景観には人の「思い」が強く影響している。


「海がきれいな町っていっぱいあると思うんですけど、僕にとって愛媛の何が違うかというと、自分の家族がそこで生まれ育ったとか、自分の先祖がそこにいたとか、そういった部分ですよね。そこを大事にしたいって、人間って勝手に出てくる感情じゃないですか」


同じきれいな景色でも「思い」によりその価値が変わってくる。逆に景観が違えば、そこに集まる人の性質も違ってくると語る永木氏。


「東京に集まってくる人って、地元に残ってる人と比べたら、似ている部分をもっているはずなんですよ。それぞれの地域の景観と、そこに集まる人のタイプみたいなところには、密接な関係があるんじゃないかなと思うんです」



アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが提唱した『割れ窓理論』という理論がある。「一枚の割れた窓ガラスを放置しておくと、それが誰も注意を払っていないという象徴になり、やがてほかの窓も壊され、街や地域全体の荒廃につながっていく。だから、犯罪の多い地域には窓ガラスの割れた空き家が多く、割れ窓を減らすことが犯罪抑止につながる」というものだ。


Appleの創業者スティーブ・ジョブズも、解任されてから再びAppleに戻った際には、まず遅刻や清掃など、規律に関する小さなほころびを「社内の割れ窓」と呼び、徹底的に排除していったのだという。そこから倒産寸前の会社を立て直した。(戻ったときは、残り2週間で倒産という状態であった。)


「割れ窓」という小さな景観をきっかけに、全体の景観がつくられ、街の人々の心理状態にも影響する。窓ガラスの割れた空き屋の存在が、先人たちが遺してくれた景観を損なう一つの要因となるのである。一つ一つの積み重ねによって景観は良くなっていく。


「人工知能」×「空き家」


iLandscapeが提供する中古リノベーションサービス「オレの家」は、そんな空き屋問題を解決する一手を担う。


不動産会社向け自動プランニングシステム「ORE(Open Renovation Engine)」を搭載した同サービスは、AI(人工知能)を活用した3Dパースや耐震診断、インスペクションなど、中古住宅を検討するユーザーの不安をテクノロジーの力で解消する。


空き家にさまざまな彩りを与え、その魅力を最大化する。魅力的になることで、人々がそれに気づき、空き家を手にするきっかけが増えていく。「空き家」というマーケットに、進化と発展を与え加速させるのだ。


「新築がいい」という考え方から「中古がいい」という考え方に変化していけば、空き家が減る。そうやって人の内面を変えていくことで、景観を守り、美しくなった景観により人の心を豊かにしていく。「景観」をつくってきた先人たちへの感謝と責任を抱きながら。


「人が人によってつくり出されたものに翻弄されていると思うんです。もっとそこにある景観や、先人の思いのようなものと触れ合って、受け継がれている思いに気づいてほしいなと思うんです」


街中で誰にも気に留められず放置されている「空き家」を減らすことで、一つずつ景観を良くしていく。景観を前にして「気持ちいい」と感じるほどの余裕が人々の心に生まれるように。そうやって人の内面を豊かにしていくことで、社会をよくしていきたい。それが永木氏の願いだ。



自分のコア


父の背中


自分の原点に立ち返ったとき、父の背中が思い浮かぶ。職人だった父は、建設現場での仕事中に高所から転落し、それ以来片腕が不自由だった。家族を養うため職人という仕事から離れ、慣れないパソコン仕事などいろいろなことに挑戦するも、思うようにいかない日々がつづいていた。永木氏が10歳のとき、職人以外の仕事へ挑戦をつづけていた父は、自分には職人しかできないと気づいた。


「職人の会社を自分で立ち上げて、両手じゃなきゃできないことを若い人と一緒にやりはじめたんですよね。それまで家はあまり豊かな方ではなかったんですけど、父親がどんどん成功していって、犬を買ってくれるようになったり、父親自身が家を買ったりしはじめた」


生活が変わり、豊かになっていく。それが不思議で仕方なかった。そうなっていく理由を知りたくなった永木氏は、中学を卒業後、通信制の高校に通いながら父親の会社で働きはじめた。


「片腕では職人の仕事とか当然やりにくいわけなんですよね。そこでもし父親が、『もう職人やるのもしんどいし、子育ても別に適当でええやん』となっていたら、いまの僕じゃなかったと思うんですよね。父親があきらめなかったんですよ」


「職人である」という自分のコアに気づき、それを大切に家族への責任をもって、しっかり養ってくれた父。「あきらめない」ことが、父自身と家族を豊かにする鍵だったと気づかせてくれた。


「そういう父を見て、すごくいろいろな苦労をしてきたなかでやってきたんやなと思ったら、僕自身も次なにかやるとしたら、夢をつくって、それだけは何があってもあきらめないようにしようと、はじめて思ったんです」


野球に空手にボクシング、思い返せばどれも取るに足らない理由をつけてあきらめてきた。そんな息子に対し、父は常に大事なことを教えてくれていた。


「高校生のとき、外で殴り合いの喧嘩をして満身創痍(ボコボコにされて)で朝方帰宅したら、『まぁ関係ないから早く着替えて仕事行け』って父に言われて(笑)。『お前がやったことで他人に迷惑かけるな。喧嘩したのはどうでもいいから仕事行け、行ってちゃんと自分の責任果たせよ』と」


それが、いまの永木氏を形作っている。人生をかけるに値するようなコアに気づき、それを持つ。夢を描き、責任をもってあきらめずにやりぬき通す。それが人と周囲を豊かにしていく。父の姿は、永木氏の生きる手本となった。



世界から見る日本というルーツ


20歳になるころには職人歴も5年となり、仕事は充実していった。しかし同時に、事故で片腕を失った父のようになったらと、恐怖を感じるようになったという永木氏。


「現場で仕事してると、夏場熱いので屋根の上で倒れて落ちるやつとか普通にいたので、やっぱり怖いなと思いはじめて。もっと勉強して、素養を身につけよう。もっと広い世界に出て、一生自分で命をかけることのできる仕事を見つけようと決めたんです」


スケールの大きなことをやりたいと思い、向かった先はアメリカ・ロサンゼルスだった。現地の空港に降り立ったとき、永木氏が話せた英語は「イエロー」くらい。そのため半年ほどはひたすら勉強の日々で、一生をかけていく仕事を見つける余裕もなかった。


そんななか、ふと司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』を読んだ。日露戦争の時代、先人たちが強国と果敢に戦った歴史。世界と戦う物語は、アメリカにいる自分と重なった。奇しくもその小説の主人公は、自分と同じ愛媛県松山市の出身だった。


「ロサンゼルスのパロスベルデスというすごく景観がいいところがあって、すごいなと思っていたんですけど。『坂の上の雲』でも、自分の地域の先人が日本を守っていた。それはたぶん、景観とかみんなの思いを守るために戦って、自分の命と関係なく戦場に出て行って勝負したんです」


地元愛媛を飛び出し、自分という存在に向き合った。自分のルーツ。何者であるか。そして自分には何ができるのか、日本を離れ世界で思いを巡らすことで気づくことができた。


「景観というものがそもそも好きですし、それを守ってきた人たちの気持ちを受け継ぎたいなと思ったんです」


少子高齢化など、さまざまな要因で国力が削がれ、財政的にも厳しい日本の現状。このまま放置すれば、先人たちが築いてきた日本が良くない方向へと向かうのではないか。日本の街、景観がなくなってしまうことで、その街を築いた人たちの気持ちもなくなってしまうのではないかと考えた。


自分のコアは、日本というルーツにある。先人たちの思いを引き継ぎ、それを守ることが、永木氏の一生をかけるべきものとなった。


松山城からの風景


景観を守る


景観をつくりだすのは住宅である。日本で一番戸建住宅数が多い横浜で、不動産について勉強しようと考えた永木氏。在米中から求人に応募し、帰国後はすぐに横浜の不動産会社で働きはじめた。


「アメリカから帰ったときは、街の景観を開発して、よくしていくイメージをもっていたんですよ。どんどん山を切って造成したり、ショッピングセンターを開発するとか、そういう風に新しいものを建てるイメージがあって。じゃあ売買の不動産のことについて学びたいなと」


働きはじめて1、2年後には一通りの業務を覚え、現状を知ることができた。


「横浜もみなとみらいの方は景観を維持していくっていう意識が強いんですけど、ちょっと街の中に入ったらぐちゃぐちゃになってるんですよね」


資本主義の論理に従い、いかに儲かるかを考えて一つの土地を分割する。だからこそ、景観がそっちのけで街がつくられていってしまうという事実がそこにはあった。


ちょうどそのころ、東日本大震災が起きた。


日本の景観が崩れていく。街の人たちの思いが崩れ去っていく。景観をよくしていこうという永木氏の思いが加速していった。


「30歳までに独立しようとかって思っていたけども、それまでに死ぬ可能性もある。起業するっていう目的でずっと物事を進めてきたので、そこまでたどり着けるかどうかわからないっていうのが、逆にすごい怖くなってきて。じゃあ先にやってしまえと」


景観を守りたい。その街並みも、人の思いも。そのためには、街が壊れないようにする耐震工事が必要なのではないか。自分にできることと、社会に求められているもの。それらが重なる部分にあったのが、耐震診断とそれに伴うリフォームだった。自らのルーツである愛媛に戻り、起業した。


iLandscape横浜支社オフィスにて


愛媛から世界へ


友人の言葉


立ち上げから2年ほどは全く受注が取れず、広告費を業者に横領されるなどの不運もつづいたことで、人生をあきらめる寸前まで行った。救ってくれたのは、小学校からの友人の言葉だった。


「友達から『しんどいんだったら辞めた方がええよ』みたいなことを言われていて。いろいろ話して、最終的に俺はあきらめないってなったときに、友達は『じゃあ俺はお前のこと一生応援したるわ』って言ってくれた。でも、その日を最後にそいつが死んでしまって、会えなくなったんです」


どん底にいた自分を友人は救ってくれた。逃げ出そうとしていた永木氏に、「自分のコア」がなんであるのかを、改めて強く気づかせてくれた。永木氏は、友人の言葉に対する責任を胸に、前に進む決意をした。


そんなとき、ちょうど墓参りで手を合わせていた際に鳴った電話が、永木氏の運命を切り拓くこととなる。競売に出ている中古住宅を購入するにあたってリフォームをしたいのだが、工事を引き受けてくれないかという内容だった。話はどんどん進んだ。



「物件を見させてもらいに行くと、物件を手放す売り主さんが仏壇に手を合わせて泣いてたんですよ。競売前で家を手放したくないと。まぁでも、僕自身も目の前の工事取らないと会社がなくなってしまうので、そんなことも気にしていられない」


永木氏にとってまたとない仕事の受注であり、会社にとっては頼みの綱だった。しかし、それは「自分が嬉しい」それだけのことではなかったのだ。


「まぁ人生って、社会って、こういうもんなんやと。一方が苦しんでたら、一方が喜んでるわけじゃないですか。両方にとっていいこともあるとは思うんですけど、基本的には商売って、競合他社をはね除けながら進んでいかないといけない、相手を苦しめないと自分たちは勝てないわけじゃないですか」


創業当時は、「金儲けなんてくそだ」という思いがあったと語る永木氏。だからこそ、耐震診断を無料で受けることもした。それによって社会に絶対に良い影響を与えている、自分たちがやっていることに間違いはないと確信していた。しかし、お金には、誰かが喜ぶお金もあれば、誰かが苦しむお金もある。設立当初、永木氏が横領にあったように、儲けてはいけないお金もある。お金は回るべきところと、回るべきでないところがある。


お金がきちんと回るべきところに回るようにする。そのためには、とにかくまず自分たちが儲けることを考えてやらなければいけないと考えるようになった。


応援してくれた友人への責任・自らのコアを胸に、懸命に仕事に取り組んだ。「儲ける」という意思をもって中古住宅のリノベーション事業を展開していった。そしてそれを広げていくために発展し、作られたものが空き家リノベーション事業「オレの家」という形になった。


「僕自身、創業して一年くらいの間に経験したことって、金儲けに貪欲になれていないから『儲け』が出ていなかったという部分があるんです」


良いものがあるからこそ、お金が儲かる。お金が儲かっているからこそ、良いものがある。良いものや場所には多くの客が訪れるように、「どれだけ顧客に求められるものを提供できたか」は「儲かって」こそ判断できる。


Rich Life with「オレの家」https://orenoie.co.jp/


理念


景観の未来を創造していくiLandscapeは、不動産業や建設業、小売業といった既存の「○○業」という枠組みにとらわれない。理念があってこその会社である。


「景観をよくするという理念ではじめたら、いろいろな事業を包括的に展開して、スケールの大きい会社になるんじゃないか、広がりができるんじゃないかなと思っていました」


同社の地域創生事業の一環として生まれた「THE BONDS」は、愛媛県松山市の瀬戸内の離島「中島」に位置するホステル、カフェ、リラクゼーションが併設された複合リゾート施設であり、非日常の時間と思い出を提供する。iLandscapeが廃業寸前の民宿を買い取り、リゾートへと生まれ変わらせたのだ。同事業も「景観からより良い社会づくり」をするという理念に基づいたものである。


景観問題は、都会だけのものではない。むしろ若者の少ない地方の離島では、より深刻な状況にある。


「たまたま島の工事をしていたときに、その島で最後の民宿がつぶれたという話があって。ちょうど空き家を買いたいなと思っていたときでもあったんです。そこは島のなかでも海の目の前で、まさに社名と理念とマッチしてて。それが目の前を通り過ぎようとしていたんです。そこに手を差し出さなかったら、自分たちは偽物だと思ったんですよ」


もともとは地元の大きな不動産業者が、1500万円で買いたいと言っていた物件だったが、それを知らずに600万円でほしいと言った永木氏が買い手として選ばれた。


「売り主の方には、10回か20回くらいお会いしてお話していました。それは売ってほしいと伝えるためではありませんでした。そこで、『島の景観を守る』という僕たちの理念に共感してくれたみたいでした」


もともとは、70歳くらいのおばあさんが経営していた民宿に、iLandscapeのコンセプトを合わせ、ネットを使った集客などの手法を取り入れることで、その空き家は蘇った。そして、新たな人が瀬戸内の「中島」に訪れるきっかけを生み出すことに成功した。


それも「景観からよりよい社会づくりをする」という理念があったからこそ、蘇らすことができたものである。


「THE BONDS」の経営は順調に進み、現在、島の不動産業者が事業を担っている。名前を残し経営権を譲り、iLandscapeの理念や思いだけが残っている形だ。自らのコアを大切に、理念を大切にすることで「最後の民宿」も廃業せずに残すことができた。永木氏の事業は、その土地のルーツ・先人たちの思いを守り抜くことさえ叶えているのである。


溢れる島風情と柑橘類の香りに囲まれる「THE BONDS」http://the-bonds.jp/


内側から変えていく


愛媛からはじまり、全国の空き家を減らし景観を良くしていく。それにより、自分のルーツである日本に利益を還元していきたいと語る永木氏。


「まずはルーツをよくしていくっていう、内側から外側に広がっていくイメージをもってるんです。自分の身近なところからやっていければ、どんどん世界にも広がっていくかもしれないですね」


日本において、所有者がいなくなった空き家・建物を解体し続けるのも徐々に難しくなっていく。100万から200万程度の解体費用を国がすべて負担していくことには、限界があると考える永木氏。だからこそ、日本の空き家をリゾートや収益物件など様々な用途に変え、魅力的なものとしていき、世界の人たちでさえそれを手にする仕組みを創り出していきたいという。


今いる地球において、人類は日本も海外も国に関係なく、自分たちが生み出してきたものに翻弄されている。だからこそ、生み出してきたものを良くしていくこと、「景観を良くしていくこと」を世界に広げていくことは、人類のあるべき姿として必要な仕組みなのである。


社会を良くしていく一歩目は、人の内側を変えることであるという。


「何気なく仕事でせわしなく歩いていた道を、普通にゆっくり彼女とでも歩いてみたら、全然違う景色に見えたりするじゃないですか」


自分の景観のとらえ方の変化に気づき、「もっと素晴らしい景色にしたい」と思えるくらいに心に余裕が生まれること。そういう思いを持つ人増えていけば、社会が良くなる。景観を良くすることは、社会が良くなることと強い結びつきをもっているのだ。景観は人間の物事のとらえ方や、中身、考え方が変わらなければ、変わらない。


「たとえば、『新築が当たり前』から『中古いいよね』っていう考え方に社会に変わったら、景観が変わるわけじゃないですか。そういう事業をいっぱいやりたいなと思ってます」


永木氏はルーツへの責任をもちながら挑戦を続けていく。一人一人の心の内側を変えていくことで、一つ一つの空き家を蘇らせ、美しい景観を守る。そこには、先人たちの思いがあり、いまそこに暮らす私たちの思いがあり、後世に引き継がれる思いがある。その思いは止まることがなく、繰り返されていくのだ。




おわりに


聞き覚えのある音楽を聴いたとき。かつての友人と昔話に花を咲かせたとき。見覚えのある情景やモノを見たとき。人は過去の出来事を思い起こし思慕の念をいだくとき「懐かしい」という感情(ノスタルジーな感情)を覚える。そして、人は現在から過去の記憶を思い起こし、自分に起こったことを整理していく。


近年、ノスタルジアの心理的帰結に関心が集まっており(中略)ノスタルジアを感じる出来事を想起した参加者の方が、日常的な(ordinary)出来事を想起した参加者よりも、自尊心が高まっていた。
―津村健太(「ノスタルジアが自己連続性に与える影響」一橋社会科学   第7巻 PP.43-52   2015年) 


人は生きていく中でさまざまな経験を重ね、(意図してか、せずに)自己を変化させ、より良い生き方・自分を模索して生きている。そして、その経験と経験、変化と変化をつなげていくことで私たちは自己のアイデンティティを構築している。


そのとき、ノスタルジア(過去を思う感情)は私たちが生きていく中で自己連続性を高め、アイデンティティを構築していくことを助けてくれるのだ。ノスタルジアをもつことは人に自尊心を与え、生きる意味を与えてくれるという。


日本は戦後「富国強兵」の名のもとに、列国に追いつくため経済に主眼をおき、経済を発展させることで日本を強き国へ導いてきた。そして、バブルの頃に至ると、人々は良い車に乗り、良い家に住むなどして、それら「自らの外」にあるものを自らのステータスとし追い求めてきた。しかし、その経済が破綻した現代の私たちが求めているものは、「自らの内」にあるように見てとれる。


私たちの生きる現代の日本においては、大事にしたいことや過去に起きた出来事を思い起こさせてくれる社会的な機能は、そう多くはないように思える。(就職活動のタイミングで、やっと「自己分析」という名のもと自己の過去を振り返ることが大半であろう。)


だからこそ、いま、人々が自尊心を高め、自己を高め、社会を再興させるような機能が必要なのではないだろうか。


永木氏の描く「景観」は人をその存在から高め、力を与えてくれるタイムマシーンである。その社会的機能は、私たちに、日本に、新しい姿を与えてくれる力といえる。



株式会社iLandscape 永木武

代表取締役

1988年生まれ。愛媛県松山市出身。私立向陽台高等学校の通信制コースに入学した同月、父親が職人であったこともあり、有限会社シンセイ工業で塗装職人の道を歩みはじめた。その後、株式会社新日本リフォームでリフォーム職人・多能工、株式会社ハウスサポート湘南での不動産仲介営業を経て、2012年1月に同社を設立。現在に至る。

https://ilandscape.co.jp/