僕には世界にライバルがいない―次世代AIが地球を変える

難易度の高い山だからこそ、人生をかけて登る意味がある。


あなたの生活を優しく便利に変えるあなただけのパートナー。株式会社Gaiaが開発するパーソナルアシスタントアプリ「Eve」は、人工知能(AI)の力により、ユーザーが潜在的に求める未来だけを提示する。2017年5月の設立以来、異例のスピードで前進しつづける同社。2017年7月には、国立情報学研究所助教の坂本一憲氏と開発における連携を開始した。同社代表取締役兼CEOである窪田昌弘は、学生時代から映像制作に携わり、プロデューサーとしてカンヌ国際映画祭短編部門に出場権を持つ48HFPに出品した経歴をもつ。常に誰も到達したことのない場所へ向かいつづける、そんな窪田氏がいま願い求める未来とは何か。



目次

1.人類の意思決定が変わる

  僕だけができること

  北半球と南半球の格差をなくす


2.最高難易度の人生

  人生はゲーム

  自分だってつくられたモノ

  映像で世界と闘う

  仲間と登る山の価値


3.Gaiaのあり方

  褒める文化が嫌い


4.おわりに



人類の意思決定が変わる


僕だけができること


朝の目覚めの瞬間から夜眠りにつくまで、人間の時間には限りがある。何に思考をめぐらせ、どんな行動で時間を消費するか。会食のアレンジや、大切な人への贈り物――自分自身よりも自分のことをよく理解してくれている存在が、解を提示してくれる未来。そこでは個人の能力は最大化され、生活は豊かになる。


株式会社Gaiaが開発するパーソナルアシスタントアプリ「Eve」は、人工知能(AI)の力により、日常生活を刷新しようとしている。スマートフォンに眠る膨大な情報をもとに、人が潜在的に必要とするサービスだけを提示する、誰よりも身近な秘書のような存在。会社設立からわずか数ヶ月、すでに各界から注目を集め、リリースが待ち望まれている。


代表取締役兼CEOの窪田氏は、高校生のころから独学で映像の世界に入った。学生時代からNHKドキュメンタリー賞など数々の受賞歴を誇り、国内外で評価される作品を世に送り出した。2014年、株式会社サイバーエージェントの入社前コンペティションにおいて、企画・デザイン・ハッカソンなど全ての領域において優勝及び特別賞を受賞。内定者アルバイト時においては、AppStoreのセールスランキング、2位を獲得した人気タイトルのアートディレクターを担当。その後、デザイナーとして入社したのち、早期に研修を終え配属。ディレクターとして海外パブリッシング事業などに従事。入社2ヶ月目にして新規事業のディレクターへ昇格。22歳にして30人のチームを率いる事業責任者となる。担当事業においては新規事業内のコンペティションにおいて会社初の8ヶ月連続1位を達成。同社退職後、2017年、自らが考え得る最も困難なアイディアを具現化するべく、株式会社Gaiaは設立された。


「簡単だと得られるものって全然ないじゃないですか。簡単な山に登る意味とかよくわからない。別に僕じゃなくてもいいじゃないですか。僕じゃなくてもできることは、僕じゃない人がやるべきなんですよ」


既成概念を壊し、誰も知らない世界の姿を創造していく、窪田氏の信念に迫る。


北半球と南半球の格差をなくす


長い間当たり前とされてきた社会システムが、再構築される時代が近づきつつあるようだ。1956年以来、人工知能(AI)研究はブームと衰退を繰り返してきた。第三次AIブームと呼ばれる現在、それは新たな局面に差し掛かっている。


2015年、Google傘下のDeepMind社が開発したAI「AlphaGo」が、人間である囲碁の世界チャンピオンを初めて打ち負かしたことは記憶に新しいが、AIはその後もさらなる進化をつづけている。2017年10月には、進化版である「AlphaGo Zero」が、過去の対局データを要せずとも、たった3日間の自己学習のみで旧版を凌駕したという。


そんな第三次AIブームの真っただ中に生まれた株式会社Gaia。同社が開発するAI搭載アプリケーション「Eve」は、それまでのAIの巨人たちをも凌駕する存在として、日本のみならず世界からの注目を集めている。


「たとえば、ネットサーフィンをしているときに、自分がまったく望んでいない商品の広告が表示された経験はありませんか?現在、ユーザーのネットへのアクセス履歴をもとに配信されるターゲティング広告が一般的になっていますが、『Eve』はそんな精度の低いプロダクトではありません」



パーソナルアシスタントとして、ユーザーが「潜在的にほしいと思っているものだけ」を抽出して提案する「Eve」。AI、データサイエンス、行動分析学、コーチング、脳神経科学など、国内外最先端の研究にもとづく知見を結集している。常に最適解を提示してくれるその存在により、人の意思決定が変わる。それまで自分で労力を割かなければならなかった行動が自動化され、私たちの生活は豊かになっていく。


「『Eve』が直近で目指すのは、ハイパー生活を便利にすることです。それだけじゃなく中長期的には、(僕個人の話になってしまうのですが、)既得権益をぶち壊したいと思っています」


ライバルがほしい。数千年の長い歴史の中でつくられてきたあらゆるルールが存在する現在の世界では、闘いのステージに上がれない人もいる。闘いがいのある勝負の相手がいない世界は、ひどく退屈だと窪田氏は語る。


「いま、世界の文化は、ほぼ北半球で形成されている。南半球では情報格差や金融格差が広がっていて、プレイヤーになれない人がたくさんいる。その格差をなくしたいんです。そしたら、プレイヤーの母体数が増えるじゃないですか。ライバルが増えるので、僕としてはそういう相手がほしい」


生まれたときから存在する格差や既得権益に阻まれ、ステージに立つことすらできない人々が、世界には多くいる。テクノロジーの力で北半球と南半球の格差をなくすことで、世界に打って出る人の母数を増やす。人が潜在的に求める「やりたいこと」まで提示してくれる「Eve」の力により、人の可能性は最大化され世界の仕組みが変わっていく。世界は一度破壊され、そして、誰もが予想もつかないような姿で生まれ変わるのだ。



最高難易度の人生


人生はゲーム


水と文化の街といわれる長野県松本市。世界的指揮者として名高い小澤征爾氏や、日本を代表する芸術家・草間彌生氏など、数多くの芸術家を輩出してきたその土地で、窪田氏は生まれ育った。両親と4歳上の兄の4人家族。兄は太陽のような人だった。


「僕が月で、兄が太陽みたいなんですよ。兄はすごいできる人で、めちゃくちゃ勉強できて、スポーツできて、生徒会長やってて、常に周りに人がいるみたいな人ですね」


弟である自分のことを愛してくれる兄。窪田氏にとって兄は、仮面ライダーやウルトラマンのように、ピンチのときにはいつも救ってくれるヒーローだった。


同時にそれは、まぶしすぎるほどの太陽でもあった。兄の姿と対比するように、窪田氏は月になっていく。自分自身は特に秀でるものもなく、家では期待すらされていない、誰からも必要とされてないように感じていたという。それでも兄のようになりたかった。


幼稚園のころ兄弟で同じ時間を過ごすなかで、特に窪田氏の印象に残っているのが、地図帳を眺めていたことだ。なぜかそれが、二人にとって共通の趣味だった。


「地図帳がおもしろいのは、どこにどういう資源が埋まっているのかっていうことを見ていくと、ある程度共通項が見えてくるんですよ。海の近くだったら湖沼があるんだとか、地理上の特徴から世界各国の経済や文化などの傾向を理解する楽しみ方をしていました」


世界を眺めて、そこにあるものを予測していく。「どのような地形で、どのような国や文化があるのか」そんなことから、その土地に思いを馳せ、想像し、あらゆるシミュレーションをして兄弟で楽しみを見出していた。


小学生のとき、『戦国夢幻(販売元:バンプレスト)』というゲームに出会った。当時まだ珍しかったリアルタイムのシミュレーションゲーム。幼い兄弟が手にすることは必然だったのかもしれない。難易度の高いシミュレーションゲームを兄が手にし、あとに続くように弟の窪田氏も手に取った。兄は難しいとすぐに手放したが、いつしか窪田氏は夢中になってやりこむようになった。兄も投げ出すほど難易度の高いものを成し遂げることが、次第に快感にもなっていった。


「一回やってみて構成要素を把握して、必勝法を考える。フィールドにいるCPUのレベルを判断していって、それぞれに対して最適なアプローチをイメージし、あとは勝つだけ」


どんなに難しいゲームも、ルールを見極め変数を見れば、勝利は必然である。人生もまたシミュレーションゲームのようなものだと、窪田氏は語る。自分が選択した一手に対し、どんな反応が返ってくるか。自分を客観視し、シミュレーションしながら未来を描きつづける。ゲームも人生も自分との闘いだ。より難しいことを成し遂げることで、満たされる自分がいる。窪田氏は自らの人生をより難しいゲームのステージに変えていくことで、得られる喜びを大きくしていく。窪田氏の闘いは、ここからはじまっていた。



自分だってつくられたモノ


必死で追いかけても、追いつくことができない兄。満たされない思いを抱え、生きてきた。それでも、「もの」をつくれば自分のほしいものが手に入り、褒めてくれる母がいた。母はいつも愛にあふれている人だった。


そんな母がいたからこそ、ものづくりが好きになっていく。


「そんなに強い人間じゃないです。だから、いろんな理由が必要で。たとえば幼少期のころ、母親が全然出来の良くないレゴとか、しょうもないものをつくって褒めてくれる人だったので。ものをつくることで、いろんなものが満たされたり、褒めてくれる人がいたり、いろいろほしいものをつくったりとか、そういういろんな理由があるからやれると思うんですよ」


純粋に「ものづくり」に熱中したわけではない。褒めてくれる人がいたから、ほしいものがあったから、「もの」をつくっていく。だからこそ、つくる「もの」には思いがあるとも考えた。さまざまな背景があり「もの」は生み出されていく。


より価値のあるものをつくることに熱中していくようになる窪田氏。そこでは、「自分の生」それ自体も対象となる。


「だって、自分だってつくられたものじゃないですか。母親と父親が会って、交配されてつくられたものですよね」


つくられたものの背景には先人たちの恩恵があり、その恩恵を受けるいまの自分にはすべきことがある。たとえば、身近に見るソファーだってそうだ。ソファーらしきものを最初につくった誰かがいて、ソファーは時代の流れのなかで形を変えてきた。人の人生には限りがあり、ソファーの最終形を目にすることはできない。だから、自分たちが一つでも創造の階段を上げることにより、あとから生まれる子どもたちは、もっとおもしろいソファーの形を見ることができるようになる。


ものづくりをすることは、単に物体をこの世に生み出すことではない。「もの」に込められた背景を受け継ぎ、未来のために創造の階段を一段上げる使命を伴うのである。それが、自分の成すべきことだと考えた。それは自らの「生」も例外ではない。


幼いころから、自分のなかに在るエネルギーの行き先を見つけられず、持て余していた窪田氏。兄との対比があったからか、生まれた瞬間から生まれたことに対する罪の意識を感じていたと語る。その気持ちは一層、授かった「生」の階段を一つでも上げていく原動力となっていた。


「何のために生きてるのかって聞かれたら、ものをつくるためですね。ものつくりっていうのは、生きている証明じゃないですか。つくられたものを見ると、自分自身よりも、自分のことがよく分かりますよ」


窪田氏はそうやって、ものをつくりつづけてきた。ものをつくれば、そこには目に見えない作り手の魂のようなものが宿る。それが視覚化されることで、自分という存在について客観視できる。その人が生み出したものは、ときに本人よりもその人自身を雄弁に語る。そして、それは自らの生を世界に証明する手段ともなるのであった。



映像で世界と闘う


自らの生はプロダクトである。「生」に対する思いは、死の体験によって加速することとなる。あるとき死生観を強く揺さぶられ、窪田氏の人生は変わった。


「子どものころ、一酸化中毒を経験してPTSD(*心的外傷後ストレス障害)みたいになっちゃって、毎日死の恐怖を感じるんですよ。常に死ぬ思いを持っている状態で、人間なんかそういう恐怖に追いかけられると、けっこうやることやるんです」


頭に銃口を突きつけられているような強烈な「死」の感覚。その恐怖は一層、「生」を一段上げることへ窪田氏を駆り立てた。しかし、こうも思った。そんな経験を自主的に人間が体感することができたら、世の中はもっとおもしろく、混沌を迎えるのではないか。もっと予測不能で難しい人生というゲームを、自らの前に提示してくれる世界になるのではないか。


死の体験を多くの人に伝える手段として、何かをつくりたい。絵画や音楽など、数ある手段のなかでも最も歴史が浅い「映像」を窪田氏は選んだ。高校生のとき、独学でドキュメンタリーを撮りはじめ、その世界にのめり込む。


人から習うことは苦手だと窪田氏は語る。それよりも手本となる人を見て、自ら情報を集めていく方が性に合っている。持ち合わせたシミュレーション能力をもって、映像をつくり始めていった。


いいものをつくるためなら、自分の性質はすべて変えられる。ものづくりのためだったら、なんでもできる。感性が重要になる映像制作の世界では、精神衛生を守る必要はなかった。自分自身こそが、映像の出来不出来を決める変数であったからこそ、あえて傷つくように自分をさらけ出す。傷つけば傷つくほど、他人が描けないものを描くことができるようになっていった。



のちに、NHKドキュメンタリー賞などを受賞したほか、「文化芸術に優れた者の特別推薦」を獲得し、立命館大学映像学部に進学する。


自らを高めつづけると、ライバルは「誰か」ではなくなる。自分と闘いつづけていったその先は、必然的に世界を相手にすることを意味していた。大学では映画を制作し、世界を相手にする。カンヌ国際映画祭短編部門に出場権を持つ48HFPへの出品を足掛かりに、世界へと足をのばしていった。


「大学の『コンテンツ概論』か何かの授業のときに、当時国内で映像の興行収益規模が紅ショウガ市場より小さいことを知りました。『そんなものやる価値ないし、それだったら紅ショウガつくるわ』と思って。日本を出ることにしたんです」


19歳のとき、米国にある世界最大規模の映画学校「ニューヨークフィルムアカデミー(New York Film Academy)」に合格した。しかし、準備のため渡米した帰りの便で、身体上の問題が発生し、以後飛行機に乗れなくなってしまう。


「もともと脳の扁桃体が発達していて、飛行機とかに乗るとすごいことになるんですよ。ゾッとするみたいな。もう飛行機乗るだけで、瞬時にシミュレーションパターンが300くらい見えたんですよ。360度外から全部勝手に見えて、コントロールできないんです」


飛行機に乗れなければ、世界に出られない。映像の世界で戦うことができない。映像や音楽など、自分にとっていままで輝いていたものすべてが色を失っていった。


人生において、真に自分が望むものは何か。自分がどんな考え方で、どのくらいのエネルギーをもって挑み、その結果どんなものが返ってくるのかが知りたい。途方もなく大きな喪失を経てもなお、自らの生の階段を一段一段上げつづける。それが、窪田氏の生きる道だった。



仲間と登る山の価値


自分との闘いは、山に登る行為に似ている。


たとえば、世界最高峰の山であるエベレストに登るとしたら、事前に体力面を万全の状態にしたり、金銭面はスポンサーをつけたりと、いくつもの苦難が待っているはずだ。しかし、難しい山も登頂できた瞬間に「登頂」の事実は過去となる。今という時間軸においては、それは過去に起きた「当たり前」のこととなってしまう。だから、窪田氏はより難易度の高い山に登りつづけることを望む。簡単な山にはその困難は待ち受けていない。


「簡単だと得られるものって全然ないじゃないですか。高い山登った方が気持ちいいんですよ。一瞬だけ。簡単な山に登る意味とかよくわからない。別に僕じゃなくてもいいじゃないですか。僕じゃなくてもできることは、僕じゃない人がやるべきなんですよ」


大学を卒業後、サイバーエージェントに入社した窪田氏。決め手は、優秀なエンジニアが同期だったからだ。家から近かった京都大学に在籍していた彼らとは、入社前からともにプロダクトをつくり、コンペで優勝しつづけていた。


「彼らが優秀だったし、期待値が高かった。入社前から一緒にプロダクトつくっていて、一緒に結果も出したし。『彼らとだったら、やりたいことができるな』と思ったんです」


2014年当時サイバーエージェント時代の仲間とともに。


山に登るという行為は自己満足だが、もしそこに仲間がいれば、仲間が喜ぶ姿も見ることができる。それが嬉しかった。さらに、一人ではなく優秀な仲間と一緒に山に挑むことで、自分が想像した以上の結果が返ってくる。仲間の存在により、自らのシミュレーションを越えつづける経験を重ねていった。自分の想像以上の可能性の広がりや、仲間の価値を教えてくれたのが、彼らだった。


「映像やってたときは、スタッフの人数こそ多かったんですけど、一人でやってるなっていう感覚で、なんかシミュレーションを超えてこなかったんですよ。たぶんこれくらいの成果あがってくるんだろうなってところで、普通に成果が上がってきていて、僕の期待値以上はなかった。でも優秀な人と一緒にやると、シミュレーションに上方修正がかかるんですよ。それが楽しいですね」


自らの予測可能な範囲を超えて、より難易度の高い山にのぼりつづけていった。入社前にアートディレクター、2ヶ月後には事業責任者だった。3年目になると、社内で抗うことのできない力を目にすることとなり、サイバーエージェントを辞めた。


「実家に帰って、ニートしてましたね。親のすねかじって、毎日犬の散歩したり、本読んだりして、毎日ばぁちゃんから働けって言われて。一日暇すぎて、5回くらい風呂に入ってたんですよ。風呂に入ると副交感神経が働いてリラックスできるので、頭がそこそこ働くようになるんですよ。そうすると頭の中が整理されて、インプットされてきた情報、点と点がちゃんと全部つながるんです」


当時あったアイディアのなかで最も難易度の高いもの、それが「Eve」だった。尋常ではないコネクションと資金力、技術が必要になるが、そのすべてが窪田氏の手元になかった。だからこそ、登るべき山にふさわしい。スーパーハードモードのゲームが窪田氏の目の前に広がった瞬間だった。



Gaiaのあり方


褒める文化が嫌い


勝ちつづける組織であるために、組織のあり方はどのようなものであるべきなのだろうか。先人の恩恵を授かり、組織に反映させる窪田氏の姿がある。


「武田信玄は当時唯一織田信長と並んで、情報戦というものをとらえていて。信長は外部に対する情報戦をとらえていたけど、内部に対する情報戦をとらえてなかったので、腹心に殺されました。信玄は内部と外部両方情報戦としてとらえていて、乱破(忍者)を使ったりして、家臣の足軽の奥さんの病状とかまで把握してたんですよ」


武田信玄はすべての情報を把握することで、謀反の企みを事前に察知したり、適切な治水・政治にそれを活用した。また、側近にはイエスマンを置かず、さまざまな情報を吸い出せるような組織づくりをしたという。それは、徳川家康をも敗北へも追いやる力をもたらすほどであった。


情報は勝利へ導く組織づくりに重要である。成功だとしても失敗だとしても、情報が共有されていれば、勝利に向けた階段を着実にすすむことができる。Gaiaでは武田信玄から学び、内部・外部から情報が集まる組織づくりを行っている。


「『褒める文化』とか、僕はそういうのめっちゃ嫌いで。失敗はいいんです。誰が失敗したかよりも、どういう失敗したか。どういうシーンでどういうことをしたら、どういう結果が起きたのか。具体的なアプローチを知りたいんです。それを共有して、ほかの人が未来で地雷を踏む可能性を下げる。それは組織的にありがたいことなので」


褒める文化は、ときに失敗に着目させない組織となる。失敗に着目せず、盲目になると組織に情報は蓄積されなくなってしまう可能性を孕む。成功でも失敗でもいい。成功や失敗という結果そのものではなく、どのような状況にどのような変数が存在したのか。失敗の過程にある情報が、次なる成功に向けたシミュレーションの材料となっていく。


成功や失敗という結果に一喜一憂することは、組織の進化材料と必ずしもなるものではない。無理に褒める文化のない同組織では、「勝利」に必要な道筋そのものへエネルギーを集中させることができる。一喜一憂を組織的に生み出す組織ではないからこそ、それぞれの人間が能動的でないと成立しない。褒めてお互いの行動を促すような組織ではないのだ。しかし、その姿勢こそが本質へのエネルギーの消費を求める優秀な人材を集めるのであろう。同社CTOの細野裕章氏もその一人である(2017年6月、一般社団法人情報処理学会から学会貢献賞を受賞した人物である)。


リリース予定よりも早いスピードで開発が進み、号令もなく組織で自動的に機能改善がなされる組織づくりに成功するGaia。そんな組織を創り出すいまなお、より高い理想を窪田氏は掲げる。


「他社と比較したらスピードは早いですけど、自己評価ではめっちゃ遅いです。僕の理想は(武将で例えると)僕より先に馬を集めて、僕が城に着いたら、すでに中は皆殺しにされてるみたいな。『俺切る相手いないよね』と。僕が一番無能なところに行きたいですね。僕が一番無能な組織にしたいです」


人生において、そして世界において、最も困難な挑戦に向かうからこそ、優秀な個が集まる組織をつくる。そこではあらゆる情報が蓄積、活用され、有機的に組織は機能する。シミュレーションを越えて、理想を越える。だから、挑戦は挑戦で終わらない。


2017年7月、Gaiaは国立情報学研究所助教の坂本一憲氏(写真左)と開発における連携を開始した。

写真は、同社CTO細野氏(写真右)と。



おわりに


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』――タヒチの暑さと自然、薄暗くも人間の息づかいを感じさせる世界的絵画。かのフランスの画家ポール・ゴーギャンは同名の作品のなかで、人間の人生や死を描いた。


自分たちがどこから来てここにいるのだろうかという「生」について、自分たちは未来どこに行くのだろうかという「死」について、人類は長い間答えを探しつづけてきた。


とりわけ、戦争や飢え、疫病など「死」と隣り合わせの時代にあっては、人間は一層生きることの意味を強く考え、「生」を豊かにする生き方を求めていたのかもしれない。晩年、入退院を繰り返し体の不調に苦しんだ、ポール・ゴーギャンもその一人である。彼は、上記作品を作り終えると自殺を決意したという。


第二次世界大戦以降、戦火がふりかかることのなかった日本は、いまや平和で豊かな国となった。戦時中のように、「隣国が攻めてきて、明日死んでしまうかもしれない」という恐怖を抱いて日々の生活を営むこともない。「ミサイルが飛んでいる」という出来事も、どこかテレビの中で起きている現実味のないものになってしまっていることは事実ではないだろうか。


誰もが何気なく明日を消費することができるようになった現代。自分たちの「生」や「死」を強く意識して生きることが求められることはなくなった。しかし、豊かになった今であるからこそ、私たちは「生」を再考する必要があるのではないだろうか。


「先駆的覚悟性」とは、死という終わりを先取りして受け止めて、現在の一瞬一瞬が死という終末に向う途上にあることを自覚する態度である。ハイデガーは先駆的覚悟性によって本来の自己を取り戻して生きる道が開かれるとし、それは終末を漠然としか予期せず目の前のことに埋没するようなあり方と対照的なものであるとした[Heidegger [1927]1935=1963]。―明治大学大学院情報コミュニケーション研究科 岩崎 美香


「自らの人生の終わり」、死を意識することは、その人に本来の自己を与え、目の前のことだけに盲目にならず、本来歩むべき道を歩む状態をつくりだすものであるという。窪田氏は「死」というものを強く意識し同時に「生」を自覚するからこそ、「自分にしかできない」道に向かえるのであろう。窪田氏のものづくりは窪田氏の人生なのだ。


窪田氏の姿は、現代の私たちの生き方にパラダイムシフトを起こすはじまりの場所となるのであろう。



※参考

岩崎美香(2013)「臨死体験による一人称の死生観の変容─日本人の臨死体験事例から―」,『トランスパーソナル心理学/精神医学』13(1),< http://jatp.info/_src/456/13-1-09iwasaki.pdf>(参照2017-11-1).




株式会社Gaia 窪田昌弘

代表取締役 兼 CEO

1992年生まれ。長野県松本市出身。立命館大学映像学部(文化芸術に優れた者のと特別推薦入学)卒業。2014年、株式会社サイバーエージェントにデザイナーとして入社(入社前のコンペティションにおいて全て最優秀賞及び特別賞を受賞)。海外パブリッシング事業にてディレクターを担当したのち、新規事業を立ち上げ、事業責任者を担う。2017年、同社を退職後、株式会社Gaiaを設立。

https://www.gaia-eve.co.jp/