日本の不動産投資の系譜をたどる ―「正しく」あるために必要なこと

先の読めないマーケットのなかで求められるのは、自らの意思で正しさを判断することだ。


国内不動産投資の黎明期から活躍してきたメンバーが役員に名を連ね、国内外でアセットマネジメント事業を展開するKICアセット・マネジメント株式会社。20代から米国ニューヨークにて数々の不動産買収を経験してきた代表取締役の峯田勝之は、大手町ファーストスクエアの買収、ロサンゼルスのシティバンクビル買収など、数多くの大型案件を手掛けてきた。これまで、6億ドル規模のオフィスビルポートフォリオのリストラクチャリング、ならびに2700億円規模の不動産変換ローンのリストラクチャリング、そしてオフィスリートの設立準備など、豊富な実績を誇る。日本の不動産投資の前線を駆け抜けてきた峯田氏が、その思いを語る。



目次

1.不動産投資ビジネスの変遷

  日本の不動産投資の礎を築いた人物

  運用難の時代


2.「正しさ」の在り処

  自分の頭で判断する

  フィデューシャリー・デューティー

  なんのための仕事か

  起業


3.正しい経営のため

  経営哲学

  目標は立てない


4.おわりに



不動産投資ビジネスの変遷


日本の不動産投資の礎を築いた人物


煌びやかにライトアップされた巨大なクリスマスツリーと、眼前に広がるアイススケートリンク。真冬のニューヨーク州マンハッタンの光景として、誰もが一度はテレビで観たことがあるに違いない。背景には、70階建ての超高層ビルが空高くそびえる。それを含む19の商業ビル群を、かつて米国の大富豪ジョン・D・ロックフェラーが世界恐慌の時代に建設した。そんな米国の国民的ランドマークを、日本企業が買収したのは1989年のことだった。日本の生保マネーが米国の大型オフィスビルを次から次へと買収していた時代に、一人の若者がいた。


国内不動産投資ビジネスの黎明期から、その第一線を切り拓いてきた峯田氏。海外での不動産投資、投資用商品としての不動産開発、J-REIT創設への貢献など、その功績は計り知れない。まさに日本の不動産投資の礎を築いてきた人物だ。


アセットマネージャーとして20年以上の豊富な実務経験をもち、大手町ファーストスクエアの買収、ロサンゼルスのシティバンクセンターの買収、ニューヨーク、シカゴ、ホノルルのオフィスビルの買収など、大きな案件に複数携わってきた。同氏は、明治生命保険(現 明治安田生命保険)の国際投資部からキャリアをスタートさせ、外資系物流不動産投資会社であるAMBプロパティーコーポレーション(現 プロロジス社)を経て、現在KICアセット・マネジメント株式会社代表取締役を務める。


「『フィデューシャリー・デューティー』という言葉があるのですけども、投資家さんに対して我々は信認の義務があるし、投資家さんにとって良い商品を提供するのが我々の生業です」


信念に基づいて公正さを追求してきた峯田氏が語る、行動原則とは。


運用難の時代


経済の変化とともに、街の姿も変わっていく。かつて自動車が日常に普及し、ショッピングモールが作られていったように、現代においてはスマートフォンが普及し、人々の買い物のあり方は実店舗からECへと変化していった。商流が変わることでなくなるものがあり、逆に今までなかったものが作られる。その時代の動きとともに、不動産の姿も変わっていく。


物流の大型倉庫もその一つだ。以前は純粋に物を保管する機能しか求められていなかった倉庫は、物流ニーズの変化により、いまや配送のサービス競争にさらされている。より合理的で大型で、商品をタイムリーに配送できる仕組みを備えた物流不動産。そのニーズは高まり、投資対象としても一般的になりつつある。


KICアセット・マネジメント株式会社では、そんな物流・倉庫開発をはじめ、時代によって変化する世の中のニーズを読みながら、豊富な知見や実績、世界中のネットワークをもとに国内外で不動産投資アドバイザリー事業を手がける。代表の峯田氏は、日本の不動産投資の黎明期から第一線で活躍してきた人物だ。


「2005年ですかね、そもそも物流不動産っていうものが、日本ではまだカテゴリとして認知されていなかった時代です。AMBプロパティーコーポレーション(現 プロロジス社)という、当時物流不動産を海外で開発して資産運用していた米国の大手企業が日本に参入しました。私はたまたま、日本の生命保険会社で資産運用の仕事を20年くらいやっていたので、そこにヘッドハントされて。はじめに2000億くらい、日本で物流不動産のポートフォリオをつくったんです」


投資家の資産を公正に運用することで、日本のお金のサイクルが少しでも効率よく回るようにする。それによって、人々が安心して暮らせる社会にしたい。


「普通にするということだと思うんですけどね。そこにはいろんな政治だとか、利権だとか、そういうものもあるでしょうけど、我々は正当にそれをやる」


金融ビジネスは新たな局面にさしかかっていると、峯田氏は語る。金利は下がり、お金を貸しているだけでは儲からなくなった。しかし、お金を貸さなければ商売は成り立たない。まさに運用難の時代である。


そんな時代に、KICアセット・マネジメントは資産運用の正しいあり方を導く存在でありつづける。



「正しさ」の在り処


自分の頭で判断する


神奈川県川崎市に、3人兄弟の長男として生まれる。英文学者でイギリスに長期滞在することも多かった父。家には外国人が同居していることもあり、日常的に白人や英語に慣れ親しむ機会があった。学者だった父は勉強やしつけに厳しかったという。


「厳しい家庭ではあったと思いますけど、昔で言えば普通なんだと思うんですけどね。厳しいだけに自由に対する憧れは、強く持ってましたよね。欧米の映画を見ながら想像したりしていました」


朝から晩まで、一日中部屋の机に向かい、小説を読んだり本を書いている父の姿。峯田氏も物の読み書きや分析という作業を通じて、頭の中を整理することは好きだった。だからこそ、自分の目で確かめ、考え、自分で判断するようになっていった。しかし、父のように生きたいという気にはならなかった。もっと自由に、外の世界に出ていきたかった。


「それが学者たる所以だとすれば、自分は学者に向いてないなと。だから、私は外に出てって、人と話したりコミュニケーションしたり、それによって仕事をしていく方が楽しいと思ったものですから、学者は無理かなと思ったんです」


祖父は高等小学校を卒業後、書生として奄美大島から東京に出てきた人で、書生を務めながら、弁護士にまで立身出世した人だった。


「当時からすれば、出世した人で。祖父が離島の田舎から東京に出てきて、苦学力行の上に成功したっていう話を聞いてると、祖父のような明治時代の人たちなんて、みんなそうだと思うんですけどね、経済成長もしていくわけだし。一生懸命やって、一生懸命がんばれば何か成るというか、人となりになっていくのかなと感じたんです」


そんな祖父の生き様や言葉が、峯田氏の生き方に与えた影響は大きい。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という教えもその一つ。祖父も父も組織に属さず、誰かに言われたように生きることはなかった。弁護士も学者も、自らの身をもって研究し、正しさを見出す仕事である。いつしか峯田氏も、自ら正しいものを判断し、その意思に従い生きるようになっていった。



フィデューシャリー・デューティー


金融の世界には、「フィデューシャリー・デューティー」という言葉がある。「受託者責任」と訳されるその概念は、資産運用を受託した者が、もともとの資産保有者、つまり資産運用を委託した者に対して負う責任のことを指す。運用会社など金融機関は、資産を預けた人の利益を最大化することに務めるのが義務で、利益に反するような行動は取ってはならないとされている。


峯田氏にとって、正しさを自ら判断し信頼を蓄積することは、幼いころから刻まれてきたことだった。大学卒業後、明治安田生命保険に入社して以来、一貫して資産運用ビジネスというものに携わってきた。出資者の利益を最大化するために良い運用をする、それが峯田氏の信念だった。


「投資家さんに対して我々としては信認の義務があるし、投資家さんにとって良い商品を提供するのが我々の生業ですよね。そこで実績を積んでいくことによって、信頼が生まれる」


当時はまだ電子メールも、携帯電話も存在しなかった時代。情報のやり取りは、FAXや電話しかなかった。当然、日本国内では米国の情報も十分に手に入らない。現在のように、海外への投資判断が容易に行える時代ではなかった。


英語が得意だった峯田氏は20代から、ニューヨークの超高層ビルの買収案件など、当時日本ではまだ誰もやっていなかったビルの買収交渉や、キャッシュフローの査定を経験した。それは、峯田氏の原体験となった。


「いわゆる摩天楼の弁護士事務所にある大きな会議室で、弁護士さんや会計士さんが出てきて交渉するわけです。私はそのときに駆け出しで、わけもわからず。50数階の超高層のガラスの窓から、公園が一望できる。そこでまず、ベーグルだとかそういう食事みたいなのが出てくるんです。コーヒーを飲み食事をしながら、前段の交渉が始まるわけですよ。それを米国で最初に経験して、『こんな世界があるのか』と」


1998年、日本でもSPC法(資産の流動化に関する法律)が施行され、商業ビルの流動化がはじまった。ゴールドマン・サックスが日本で初めて大型ビルの証券化を行ったのを皮切りに、急速に進展した不動産投資。峯田氏のように米国に駐在し、不動産投資の実業務に携わっていた人々の手によって、日本の不動産取引基準もつくられていった。


峯田氏が所属していたニューヨークの駐在チームは、10名程度のスモールチームだった。日本の本社から離れているため、現地の判断で動かしていくことができるが、一方、外貨建て資産圧縮の会社方針から、新規投資はできないので、既存アセットをいかに使うかという運用が求められる。


不動産単体で運用をつづけていた峯田氏。不動産の運用という事業は、マーケットの環境が良くないと良い運用ができない。不動産だけ扱っていると、マーケットの影響を受け、当然苦しいときもでてくる。そのときは良くても、半年後2年後3年後の状態はわからない。だからこそ、違うマーケットサイクルのものを入れることも必要だった。


「そのときに思ったのは、不動産だけでもだめだし、いろんなものも組み合わせてやっていかないと利益って得られない。でも、日本の会社には無理だなぁと思って。スモールチームだけども(いろいろなものを組み合わせて)良い資産運用をやっていく、小さいけども不動産や株式などのエクイティや債券やローンなどのデット投資をできるヘッジファンドのような、そういうものをやってみたいな。それができればもっと良い運用ってできるんだろうなと、そのときに思ったわけですよ」


フィデューシャリー・デューティーに純粋に向き合うと、当然の流れだった。本当の意味で資産を預けてくれた人の利益を最大化するためには、不動産だけでは利益の最大化はしない。


そんな思いを抱きながら、45歳のとき帰国した峯田氏。明治安田生命のような大企業では、上に行けば行くほど政治的になっていく。出世すればもっといろいろなものが動かせるようになるとしても、そこにある社内政治や制約に縛られることもある。それは峯田氏の本意ではなかった。何よりも、それはお客様に最大限自らの力をつぎ込むことにもならない。もうこの会社ではやることがない。自分がやりたいと思う運用を実現するため、声をかけてくれた外資系の不動産投資会社に転籍することを決めた。



なんのための仕事か


外資企業での仕事は峯田氏を興奮させた。上司はみなアメリカ人。コミュニケーションは口頭も文書もすべてが英語でなされる。投資を進めるために、競争相手よりもいかに早く目的地に到達するか、仕事は戦争だった。峯田氏は寸暇を惜しみ、寝ずに働いた。


「100メートルの短距離走を激しく繰り返すみたいな。そこにお金も集まってくるし、優秀な人材も集まってくるから、やっていて面白いわけですよね。日本の会社ではそんなことやらせてくれないから、すごい勢いでやるわけです」


日本で物流不動産の礎をつくる仕事をはじめた峯田氏。時代はまさに黎明期だった。本国との投資会議は夜中の0時からはじまり、2時間ほどのビデオカンファレンスで投資案件の説明をする。そこからボスとのオペレーション会議がはじまり、終わると朝の4時。仕事は9時から始まるので、寝る暇もなく行きも帰りもタクシー。それでも、自由に新しいものを創っていくのは楽しかった。


米国や外資企業で長く資産運用に携わってきた峯田氏に、ある思いが芽生えたのはそのときであった。


「私は名刺にVictorって書いてあるんですけども、アメリカ人からはVictorって呼ばれてるんですよ。そこそこ英語がしゃべれて、英語の方が楽なときもあるんです。それで当時は、日本人からは『この人日本人じゃないのかな』と思われ、アメリカ人にとっても必ずしも仲間じゃない。いろいろとコミュニケーションはとるものの、最後の肝心な話のところは締め出されるみたいな。そういうアイデンティティの喪失には苦しみましたね」


立場的に日米両者の板挟みになることも多い。だからこそ、自分のアイデンティティは何なのか、自分は何のためにやっているのか、峯田氏は正しさについて考えてきた。


かつて日本企業で働いていた際は、サラリーマン的な運用、自分たちの身を守るための運用も多く見てきた。成功しても成功報酬はないし、失敗しても誰のせいにもならない。しかし、それでは資産を預けてくれた人の資産最大化のためにはならない。フィデューシャリー・デューティーに則った「良い運用」をするためには、リスクプライシング、すなわちリスクをいかに査定するかが重要になる。


「たとえば、山に登るときに天気が荒れてきて、風が吹いたり雨が吹いてきたら、登るリスクって感覚的にわかるじゃないですか。天気が目に見える。肌で感じるし、風の向きだとか、雲の流れだとか。投資もそれと一緒で、そこにどの程度のリスクがあるのか、それが自分の肌でわかってないとリスクの査定ってできない。でも、それっていくら物に書いてもわからない、やっぱり感覚的にわかってないといけないんです」


自ら現場の肌感をもってリスクを判断し、良い運用を最大化する。自分の身を守る保守的な運用をせず、身をもって感じたものに沿って最大化を追求する。そこには成功も失敗も伴うが、それこそが真に資産家の利益を最大化する方法だった。


しかし、外資企業では、いかに良い運用ができたとしても、満たされない自分もいた。


「外資に勤めたときに感じたのは、結局自分が運用しているお金は全部米国のお金だったということなんですよ」


資産運用ビジネスにはさまざまな側面もあるが、一義的にはお金を預けている米国の州の年金基金や、それを受託した米国の会社が資産運用し、配当し、支払いをするという構図がある。当然日本の不動産に一定の経済効果はあるし、パフォーマンスが高ければ自身の給与に反映されるが、大きなリターンは米国国民の年金等の運用益として還元される。いくらやっても、それは日本国民の利益にはならない。


「私は日本人ですし、日本語しゃべるし、日本の教育を受けてきているし。そういう意味で、海外の人よりも日本人のことの方がもっともっと私は理解できると思ったんです」


日本人として、日本を豊かにしたい。日本人としての使命感をもつようになった峯田氏。だからこそ、日本の年金運用機関であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)を受託できるアセットマネージャーを志すようになった。日本国民の年金である何百兆円という資産をうまく運用することによって、将来的に年金を払うときの資産を成長させる。年金の蓄えが増えることによって、日本国民も豊かになる。「良い運用」をすることによって、お金のリサイクルの効率を高めたい、それが峯田氏の願いとなった。



起業


リーマンショックを機に、外資系投資会社を退職した峯田氏。


「もともと日本の会社を辞めて外資で研鑽して、最終的には自分で資産運用なのか不動産屋なのかビジネスをやりたいなと思っていて。実際いろんな経験も積んだので、だったら自分でやるかと。最初は不動産で2~300億のファンドはすぐできるっていう自信があったんですよ」


実際に独立してみると、想像以上の苦難が待ち構えていた。リーマンショックを契機に市場がいったん破綻してしまったことで、ファンド組成の道は険しかった。不動産投資業で起業したものの、いつ倒産するかわからず、5年ほどは夜まともに眠れない日々がつづいていた。


中国経済が成長するなかで、知人に紹介された中国人と一緒にビジネスをやったこともある。中国進出する日本企業のコンサルティングをはじめたが、政治的問題で日中関係が悪化し、事業計画は頓挫。アジアは投資不適格だということとなり、代わりに対米投資に切り替えた。米国に不動産投資するため資金を集め、ロサンゼルスに2つ会社をつくった。


「それから思ったのは、やっぱり金融庁のライセンス取らないとだめだなぁって。金融商品取引業者だとか、とりあえずそのライセンス取らないとアセットマネジメントできないんじゃないかと。それを取得するためにはどういう要件があるとか、それでいろいろ調べて、なかなかそれは一人では難しいなっていうのがわかって」


一人の力では、理想とする「良い運用」は実現が難しい。そんなとき、生命保険会社時代の先輩が立ち上げた会社で、ライセンスを取得したがうまくいっていない会社があった。自らが判断し導き出す「正しさ」を追い求める峯田氏は、「良い運用」を実現するためにも同社のスポンサーを引き受けた。


そうして2012年4月、峯田氏が創業したKICグループの投資顧問会社として、KICアセット・マネジメント株式会社は再スタートを切った。


KICアセット・マネジメントが発表しているUS REALESTATE NEWS(2017年夏期)より一部抜粋


正しい経営のため


経営哲学


誰よりも一心不乱に仕事に打ち込んできた峯田氏。日本の豊かさを願う峯田氏の経営は何に立脚するのか。社会に大きく貢献したいというような大層なものではないと、峯田氏は語る。


「起業するときに、いろいろな本を読んで。そのなかで稲盛和夫さんの『生き方』という本には共感するところが多かった。ただ、よく考えられているとは思うんですけども、今はまだ、いわゆる自己を持っちゃいけない、滅私奉公の精神感は、私は持てないかなと思って」


自分をなくして、世のため人のために尽くす。それよりはもっとアメリカ式で峯田氏は考える。たとえば、米国のやり方は“Winner Takes All”だ。ビルゲイツのように、ずば抜けた才能を持った人間が、一人で何十兆という資産を持っていて、それを寄付する。


「私の考え方はその中間くらい。自分を捨てるっていうのは無理だし、自我があるし、だけど人の気持ちはわかりたい。欧米でキリスト教という真理を追求するためにいろんな文明が発展したように、物事に対して科学的でいたいと思っています。科学的でいないと経営って間違えるんです」


ある程度まで精神性を高め、奉公することは必要であるかもしれないが、滅私をすることはできない。もちろんながら自我がある。「自分」を持ったうえで経営をより良いものにしていくためには科学的・合理的でないといけない。


日本社会においては、一人勝ちは受け入れられにくい。仮に、社長一人だけが莫大な利益を我が物とし、従業員の給与には反映しないとすれば非難されるだろう。しかし、日本では税制上、従業員に配分した方が良いという見方もある。国や文化によって、最適なモデルは少しずつ異なってくる。それぞれの環境によって経営の合理性も異なるのである。


「自分のスタイルがありますから、私は自分のスタイルに合った経営をします。まじめだけど楽しく一生懸命やるとか、ちゃんとグローバルのマーケットのなかで違う文化の人たちとも付き合いながら、バランスは大事にするとか」


利他の精神をもちながらも滅私奉公だけでなく、自らの頭で正しさを科学的に判断する。それが、峯田氏の経営哲学だ。



目標は立てない


何歳までに何億の資産を築くなど、人生の明確な目標はつくらない。生きていく環境は日々刻々と変化する。そのときどきに合わせ、自らの肌で感じ取ったことが大事だ。


「だってその目標って健康であれば、とりあえず生活していけばいいんだから、何歳までに何を達成するっていったって、いろんな環境、市場の環境だとかによって、どんどん変わっていくんですよ。そんなこと具体的に立てることが私的にナンセンスです」


代わりに、峯田氏は視覚的なイメージをする。10年先であれば、社員が増え、事務所を移転する。移転を考えているビルの部屋、窓の外の景色、そしてそこで働いている人の顔。朝乗る電車や、オフィスで飲むコーヒーと世間話、仕事終わりに立ち寄るバー。紙に書いたりするのではなく、実際に事務所を見に行くなど、ビジュアル的なイメージを膨らませる。


自分のイメージや直感的なものを大事にする。昔からお世話になっていて同氏のことをよく知っている顧問弁護士など、周囲のアドバイスも参考にするが、それはあくまで参考であり、最後に結論を出すのは自分だ。


「すべてを知っているのは私しかいないので。会社のこと、社員の人、そのほかの状況。いわゆる外部の取引先との交渉状況とか、それを取り巻く経済環境とか、本質的なことだとか。それぞれ断片的にわかってて、私のことを知っている人がいたとしても、トータルとして私の代わりはできないわけですよね。会社の経営判断に関しては、全部を知らないわけですから。そこは全部知っているのは私しかいないし、全部を共有している人はいないし。自分一人しかいない」


峯田氏は最終の意思決定は、必ず自分で行う。判断基準は明快だ。


「意思決定の材料は、取引として公正性があるか、独りよがりになってないかです。自分の儲けのことばっかり考えてると、どこかでつまずくんだと思うんですよ」


正しさを追求してきた峯田氏にとっては、当然の意思決定の根幹である。そのときそのときごとに「正しさ」はカタチを変える。だからこそ、「公正である」という意志のもと、そのときその瞬間のベストな判断を下す。具体的な目標はいらない。時間軸の先に具体的な目標を立ててしまうと、それは未来の時点では過去のものとなる。その目標は、未来において「正しさ」を失うのである。


公正性が保てるか、なぜその意思決定をするのか、そうすることによってどの会社にどういうメリットがあるのか。その瞬間ごとに合理的に考えて、きちんと説明がつくようにする。


公正に判断するからこそ、会社として成長できる。それこそが、瞭然たる経営の道しるべとなる。



おわりに


1445年頃、活版印刷がヨーロッパで発明され、その技術の拡大とともに人類は知の恩恵を授かる機会を増やしてきた。それにより私たちは、どこかの見知らぬ誰かの知恵を自らのものとして会得することを可能にし、文化を進化させつづけている。


現在、情報通信技術の発展により、人々の手にする情報量はそれがなかった時代の530倍になったともいわれる。私たちは、よりタイムレスに知を手にとれるようになった。地球上のどこか遠くにいる誰かの知ですら、欲しいときすぐに借りることができるようになっている。


しかし、その利便性や情報量が、人類の思考力を奪っているようにも思える。いつでも便利に誰かの知恵を借りてこられるからこそ、自らの思考を用いない光景も多く目にするような時代となった。はたまた、大きな情報の流れに揉まれ、それが自分の思考や意志であるかのように錯覚してしまうこともあるだろう。


自らの思考から生まれる意志をもって、自らの生き方を最大化できずにいることも多いのではないだろうか。自分が考えていること、自分が本当に信じるものが、ふと立ち止まったときにわからなくなり、自分の意志に迷う。結果、そこに自分の意志はなく、周囲の誰かへ影響を与える自分の存在を最大化できいないことも、起こりうる事実であるように思える。


私たちは朝目覚めてから、自身で意思決定をしていると思っている。朝起きてクローゼットを開け、何を着るか自分で決めていると思っている。冷蔵庫を開けて、何を食べるか決めていると思っている。つまり、それらの選択は実際には自分自身がしているわけではない。(中略)複雑すぎてどうしたら良いかわからないのです。どうしたら良いかわからないから、私たちはすでに決められた答えを受け入れてしまうのです。(中略)もし私たちが物質的な限界を理解するのと同様に認識的な限界も理解出来るならば、同じようには見えないとしても、より良い世界を築いていけるでしょう。これが、行動経済学の示す希望なのです。―Dan Ariely


伝統的な経済学では、かねてから「人間は合理的に意思決定を行う」という前提のもと理論が構築されてきた。しかし、1990年代以降、非合理的な人間の意思決定の存在が着目され、「行動経済学」としてその心理への研究が重ねてこられた。


人は自らの意志・判断により行動を決めていないのである。だからこそ、自らの判断により正しさを判断することは、自らの人生を、社会に与える影響を、最大化する鍵となるのではないだろうか。自らの思考をもち意志をもつからこそ、生み出される行動に進化の作用が働く。


峯田氏は自らの意志をもって、日本の不動産投資の歴史を創り上げてきた。世界を跨いで歴史を創り出せたのは、峯田氏が自らの意志に従い、信念に従い、生きつづけてきたからなのではないだろうか。峯田氏の眼には、次なる歴史のはじまりが見えているのかもしれない。



※参考

Dan Ariely(2008)「Are we in control of our own decisions?」,<https://www.ted.com/talks/dan_ariely_asks_are_we_in_control_of_our_own_decisions/transcript>(参照2017-11-19).




KICアセット・マネジメント株式会社 峯田勝之

代表取締役会長兼社長

中央大学商学部会計学科卒業後、ニューヨーク大学の不動産研究所に学び、ニューヨークのバルーク大院でエグゼクティブ・マスター・オブ・ファイナンス(Executive Master of Finance)・プログラムを受講したほか、ボストンのマサチューセッツ工科大学の不動産ファイナンス講座を修了。明治生命リアルティ(米国)で米国内不動産投資上席副社長、明治安田生命保険相互会社の国内不動産投資グループの課長として活躍。数々の不動産買収を指揮する一方、6億ドル規模のオフィスビルポートフォリオのリストラクチャリングならびに2700億円規模の不動産変換ローンのリストラクチャリングを担当。また、不動産投資信託(J-REIT)の一つを管理するグローバル・アライアンス・リアルティという不動産顧問会社の設立を支援。AMBプロパティーコーポレーション(現 プロロジス社) 日本代表を経て、KICアセット・マネジメント株式会社代表取締役。

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