「やりたいこと」でつくられる自分の世界 ― ブラック教育の限界を背にして語る

時間を忘れるほど夢中になれること、子どものころ、誰もがそんな自分だけの世界をもっていた。


子どもや若者一人ひとりが生まれ持ってきた個性や才能。株式会社SEKAI舎は、それらを大切に育むための新しい学びの場となる私塾「SEKAI舎」を創造する。就職困難者の就労支援を行う株式会社LITALICO(東証一部上場)を創業し、元代表取締役を務めた佐藤崇弘が中心となり、2018年1月に設立された同社。設立の背景には、学生時代からシリアルアントレプレナーとして数々の事業を軌道に乗せてきたという華々しい経歴をもつ一方で、過去には偏差値教育のなかで挫折し、長い間自分の人生に負い目を感じてきたという佐藤氏の原体験がある。そんな同氏がいま語る、大切にすべき「じぶんの世界」とは。



目次

1.やりたいことがある

  興味と教育

  自分の興味を持ちつづけていい世界


2.偏差値教育が佐藤氏に与えていたもの

  興味は遺伝子に刻まれている

  人生が終わった

  一発逆転


3.じぶんが生きる未来にむけて

  合理的な経営者と私的な経営者

  欲よりも大切なもの

  じぶんの世界


4.おわりに



やりたいことがある


興味と教育


何が得意で何が苦手か、何が好きで何が嫌いか。そこに正解なんてない。算数ができなくても、国語ができなくても、鉄棒ができなくても、50メートルを速く走れなくても、子どもにはみんな生まれ持った興味関心と個性がある。偏差値だけで子供を評価するのではなく、一人ひとりの子どもが才能を発揮できる。そうすればきっと、社会が変わる。


子どもや若者一人ひとりの興味関心に応える、新しい学びの場(講義・ディスカッション・交流機会)を提供する株式会社SEKAI舎。画一化された学校教育とは違い、子どもが自然と持つ小さな興味関心の芽を大切に、将来にまでつながるような大きな樹となるよう育てていく。そこで学ぶ子どもたちは、好奇心の窓を通して世の中というものを深く知り、他人との比較や受験競争ではなく、それぞれの才能や個性を活かせる「じぶんの世界」を創る力をもてるようになる。


2018年1月に設立された同社は、就労・学習支援分野のパイオニアである株式会社LITALICO(東証一部上場)の創業者・元代表取締役の佐藤崇弘氏を中心としたメンバーに加え、共同研究を行っている慶應義塾大学SFC研究所から特任准教授の若新雄純(わかしんゆうじゅん)氏がSEKAI舎事業のプロデューサーとして参画している(LITALICOの共同創業者であり、現在は株式会社NewYouth代表取締役や慶應義塾大学特任准教授、ニートが全員取締役に就任して設立した「NEET株式会社」の発起人・代表取締役会長を務める)。


幼いころから商売には人一倍の興味を持っていたという佐藤氏。それは、現在のシリアルアントレプレナーとしての生き方につながっている。大学在学中に障害者施設の立ち上げや高齢者グループホームの事業化に成功したのち、2004年には、長野県の田中康夫知事(当時)のもと、24歳という新卒・史上最年少で県庁課長級職員として採用され、福祉政策を担当。翌年、当時大学の後輩であった若新氏とともに、株式会社LITALICO(当時の社名は株式会社イデアルキャリア)を設立、2009年まで代表取締役を務めた。


「やっぱり自分の好きなものとか、やりたいことに時間を使っていることの幸せっていうのは、今かみしめて思っていて。それができる今の自分の境遇には、すごく感謝をしているんです」


かつての自分と同じように苦しむ子どもたちを救いたい、自分のやりたいことに時間を使ってほしいと願う、佐藤氏の半生に迫る。


自分の興味を持ちつづけていい世界


好きなことや、やりたいことが見つからないと嘆く人がいる。けれど、思い出してみてほしい。小さいころ夢中になった遊び、誰かに教えてもらったわけでもないのに、自然と好きになっていたもの。そんな風に心惹かれたものを、誰もがきっと持っていたはずだ。しかし、いつしか人は大人になる過程でそれらを忘れていく。


「幼稚園の子って電車が好き、車が好き、イルカが好き、それぞれありますよね。『何か好きなものある?』って聞かれて、勉強が好きっていう人いないですよね。みんな好きなものを持っていて、個性があるのに、大人になると何をやっていいか分からなくなる。5教科の勉強しかやってこなかったから、自分の主義主張がなくなるんです」


5教科の勉強、宿題、テスト、そんなものの数々が、本来大切にされるべき子どもの小さな興味関心を押し殺している。「そんなことより勉強しなさい」と、大人は子どもの手から興味を取り上げさえする。「小学生は宿題をやらなければいけない」なんて法律があるわけではない。自分が心から熱中できるもの、やる価値を感じられるもの、そんな「じぶんの世界」をきちんと主張できることこそが、子どもにとって大切であると佐藤氏は語る。



株式会社SEKAI舎が展開する私塾「SEKAI舎」は、子どもや若者一人ひとりの才能や個性に根ざした多様なキャリア観と自己肯定感を育んでいく。根底にあるのは、好きだと思ったものを堂々と言える環境をつくりたい、個性豊かな才能を育てたいという思いだ。


「ワカメにすごく興味がある子がいたとして、学校で『ワカメが大好きだから詳しく教えてください、宿題にしてください』なんて言えないじゃないですか。そんなものはいいから勉強しなさい。良い大学に入って、良い会社に就職しなさいと。でも、大人になるとワカメを専門の仕事にしている人っていっぱいいますよね」


ワカメを生産するメーカーや、ワカメを輸入する商社、ワカメが育つ世界中の海と気候変動を研究する気象学者だっている。ほかの人には共感されない興味、実はそれは非常に貴重なものなのだ。


ワカメの研究をするためには、ワカメの仕事をするためには、こういう勉強が必要である。受験のために勉強しなさいと言われても、いまいち本気になれなかったとしても、大好きなワカメの研究のために必要なことだと認識できれば、本気で勉強しようと思えるはずだ。世の中の流れや仕組み、少しでも興味を持ったことをもっと深く学ぶこと。その順番こそが勉強であると、佐藤氏は考える。


「好きを仕事に」を否定する人もいる。しかし、社会に出れば、人の興味の数だけ多種多様な仕事がある。偏差値という画一的な指標にはまることのない誰にも共感されない興味、それを仕事にしている人と出会うだけで、自信を持ってよいのだと救われることもあるはずだ。だからこそ、誰もが子どもにそれぞれの生き方を教える先生になることができる。大人が楽しいと思う仕事は、子どもだってきっと楽しいはずだ。


「そんなものは将来役に立たない」なんて言葉で興味をかき消し、勉強を強いることは、ある意味「ブラック企業」と変わらない。やりたくもないことを強いられつづけても、人生は豊かにはならない。好きなものを突き詰めるからこそ、人は生きることに意味を見出し、幸せを手にすることができる。人には言えない興味、それはどんなに小さなことでも素晴らしいことなのだ。


「自分の興味をもって明確な目標を子どものうちから持てるって、人によってはそれは幸せなんじゃないかと思うんです。なおかついろんな人が講義をできて、みんな違うからこそいいんじゃないかと。個性を尊重していけるような環境があっていいと思うんです」


はじめはオフラインの講義から、将来はオンラインの講義形式へ。段階的に規模を広め、最終的には世界中の受講生とコミュニケーションをとれるようにする。それにより、さらに多様な意見と接する場をつくっていく。それこそが、それぞれの興味を肯定できる世界が創られる方法である。『「みんながやっている」が正しい』、それだけが人生の価値観ではない。人の数だけ人生があり、選択肢がある。SEKAI舎は画一化された教育システムから子どもたちを解放し、一人ひとりが自分の世界を肯定し、大切にできる社会を創造していく。


SEKAI舎では、慶應義塾大学SFC研究所との共同研究により、生涯学習における創造的な学び(クリエイティブ・ラーニング)の体系化にも取り組んでいる。


偏差値教育が佐藤氏に与えていたもの


興味は遺伝子に刻まれている


福島県の田舎で、ごく一般的な家庭の子どもとして生まれ育った。夫婦二人で不動産業を営んでいた両親。子どもはできるだけ良い学校へ通わせたいと、教育熱心で、いわゆる偏差値教育の家庭だった。優秀な兄とは反対に、勉強が苦手だった佐藤氏の成績はいつもビリか、下から2番目くらいだったという。


幼い佐藤氏にとって、世界は興味関心の対象であふれていた。みんなで先生の話を聞いていても、横を向いたり、落書きをはじめてしまう。見るものはすべて触れてみたい、やってみたい。興味のあることないことがハッキリし、自己主張が強い子どもだったと、佐藤氏は語る。


「習い事も全部自分からやりたいって言っていたんですよ。空手からはじまり、ピアノ、そろばん、水泳、スケート、全部『これ習いたい』って。はじめるときも自分で言うんですけど、辞めるときも自分から言うし、言って聞かない。辞め方も豪快で、だいたい1、2回で辞めるんです。『OK、ごめん、そういうの興味ない』と」


親から言われて仕方なく通いつづけるという選択肢はなかった。合わないと思ったら3秒で辞める。「おもしろくない。以上」。飽きっぽい性格なのか、興味の無いことはつづけられない。親に言われれば我慢してやりつづける兄とは正反対。人の意見は人の意見。佐藤氏の興味関心は尽きることはなかった。


なかでも心惹かれていたのは、商売だった。家の駐車場にテーブルを置いて、そこにお菓子を置いて売れば、儲かるのではないか。そこに座りながら勉強すれば、一石二鳥なのではないか。家庭では、よくそんな話を親にしていたようだ。当時はまだ、お小遣いをもらっていなかったが、もしかしたらガムを売れば100円なんて大金が手に入るかもしれない。想像をめぐらせる佐藤氏の目は輝いていた。


きっかけは、一冊の児童書との出会いだった。活字が苦手で漫画ばかり読もうとする佐藤氏に、「漫画数冊につき1冊は、本を読みなさい」と、教育熱心だった両親は本を与えてくれた。その中でも、なんとか漫画のように読むことができたのが、『ズッコケ三人組シリーズ(ポプラ社)』だった。


「シリーズのなかの『うわさのズッコケ株式会社(ポプラ社)』という本を読んでから、商売をしたいっていう思いがうっすらとあったんですね。確かそれは、野球場で売られているジュースの値段が高い。だから別の場所でジュースを買ってきて、球場で売ると儲かるよねみたいな、そういう話だったと思うんですよ。当時の私にとってはもう『こんな風にお金を増やす方法があるのか、すげー!』というレベルだったんですね」


お小遣いがほしかったわけではない。ただ純粋に、商行為というものの面白さに感動した。興奮した佐藤氏は、小学校の先生のところに本を持って行き、これを教えてほしいと頼んだ。「あとで教える」。そう先延ばしにされ、ついには卒業式の日になっても先生は教えてくれなかった。


誰に言われたわけではなくても、好きになるもの。そこには、遺伝的要因もあるのかもしれないと佐藤氏は考える。事実自分の親がそうであったように、子どもへの教育には、心を注いでいる佐藤氏がいる。子どもには、遺伝子レベルで自然とわき上がる興味関心がある。それは本来何にも代えがたく、大切にされるべきものだったはずなのだ。


作/那須正幹 絵/前川かずお『うわさのズッコケ株式会社』(ポプラ社、1986年)


人生が終わった


もともと主張が強かったからか、学校ではリーダーになることが多かったという佐藤氏。男子特有の動物的強さのヒエラルキーのなかでは、いつもトップにいるタイプだった。


中学生になると、たまたま担任が顧問をしていたハンドボール部に入った。思いのほか自分に合っていたようで、卒業までつづけることとなる。かつてのようにすぐに辞めてしまうことはなく、むしろ、なんとなく辞めてはいけないような周囲の空気に従っていたとも振り返る。中1からレギュラーを務め、そのうち部を率いるキャプテンになった。


無意識にも社会のレールに沿うようになっていく佐藤氏。当時、成績優秀な兄は、県内一の進学校である高校に入学していた。そんな兄の背中を見て、その道に進むことは正しいことなのだと思っていた。自分も同じ高校に入るものだろうと、勉強にも力を入れるようになっていく。


「成績も良くて、ハンドボール部も東北で優勝するくらい強かったんですね。だから、それまでなかった高校進学の推薦枠をもらうことができて」


部活動に、勉強に。普通の中学生らしく、親や学校に言われた正しさに導かれ、良い高校に入るために努力してきた。毎日の宿題をこなし、試験の順位に一喜一憂する。そこに、個人の考えや興味の入る余地はない。商売への思いは、いつしか心の奥深くに秘められたまま蓋をされていた。


無事、兄と同じトップ高校に入学した佐藤氏。成績優秀な人が集い、偏差値で評価される環境であった。同級生や兄と同じように、自然な流れで医学部を目指すことにした。当時抱いていた医者のイメージといえば、「安定」、「お金持ち」、「誰からも賞賛される」。疑いの余地もなく、それは、人生を幸せにしてくれるための分かりやすい目標だった。けれど、本当に目指していたのは医者という人生ではなく、「医学部」そのものだった。


「田舎の進学校あるあるで、みんな別に医者になりたいわけじゃなくて、トップだから医学部を目指していたんです。医学部以外大学じゃないと、本気でみんな思っていましたから。この価値観強烈ですね。しょせん高校生までの価値観なんて、家庭と学校くらいしかないんですよ」


安定で高収入の医者という仕事に向かうことのできる医学部。きっとそれが目指すべき進路なのだろうと、何の疑問も持たなかった。医学部に受からなければ幸せな人生はない。しかし、心から医者になりたかったわけではなく、勉強が好きだったわけでもない。結局、佐藤氏は1浪したが、医学部には合格できなかった。人生が終わったと思った。代わりの選択肢はなく、目の前で人生が断絶した。


「もう恥ずかしくて。当時18歳くらいのとき、親に言われた一言が死ぬほど響いてきて。『あんたはダメね』って言われたんですよ。やっぱり自分はダメな子どもなんだなって思ったことを、いまでも強烈に覚えているんです。そんなことはないじゃないですか。でも、医学部なんて選択肢の一つに過ぎないでしょうって、そう思える人ってなかなかいなくて、狭い世界でしたよね」


大学受験こそが人生の分岐点だと、学校では発破をかけられてきた。それが失敗に終わった瞬間は、地獄以外の何物でもない。家庭や学校で追い込まれ、自殺してしまう人だっているだろう。


佐藤氏の場合、幸いにも商売に関心があることを見ていてくれた兄が、起業家育成を掲げる大学を薦めてくれた。聞いたこともない名前の大学だった。しかし、確かに佐藤氏の心を躍らせる領域だった。封印されていた「好き」が戻ってきたのだ。同時にそれは、逆転への道筋の一つでもあった。


かつては自分も、団地の中では優等生だった。中学では生徒会に入り、成績優秀。スポーツ推薦で県内随一の進学校へ入った。けれどその後は、消息不明。このままではいられない。起業して一発逆転するしかない。再起を誓い、佐藤氏は兄が薦めてくれた大学に進学することを決めた。



一発逆転


大学では友達もつくらず、とりあえず儲けたいという思いが頭にあった。起業の道を模索しつつも何をすればいいか分からず、デイトレードに手を出したこともある。何の知識もないまま資金を倍にすることができたが、本当に偶然で、恐ろしい取引をしていたと、佐藤氏は語る。


「どちらかと言うと、私のスタートアップ(起業)の動機は不純なんですよ」


孫正義氏のような第一線の経営者に憧れ、大きな会社をつくりたかった。単純に言えば、お金持ちになりたかった。それこそが人生逆転の証である。あるとき、障害を抱える親戚の話を聞き、障害のある人たちが働く施設があること、それを作ると国から補助金が出ることを知った。「これだ!」と、佐藤氏は思い立った。


「行政からいわゆる認可をいただいて、障害者福祉作業所っていうのをオープンする。そうすると国や市からお金をもらえるから、これって儲かるぞみたいな。普通まずコストから入るけど、当時の佐藤青年は、そもそもコストがよく分かってないんです。右も左も分からず、ノリと気合いとハッタリで認可を取る。でも、補助金はそんなに大きな金額ではないので、雇った職員の給料すら払えない。事業計画すらつくってなかったから」


当時はバカだったと振り返る佐藤氏。蓋を開けてみれば、障害者福祉作業所は潤沢な予算をもって運営される施設ではなく、障害者の家族のサポートでなんとか成り立っているような業界だった。認可の条件として4人の正規スタッフを雇っていたが、彼らの給料と経費を支払うことで精一杯。どうがんばっても自分の給料はおろか、交通費すら出せない状況だった。


アルバイトであれば3日で辞めることができたが、そうもいかない。なんとかアルバイトをしながら、そのバイト代と仕送りで食いつないだ。偶然にもスタッフは、大企業を退職して月5万の給料で施設長を引き受けてくれた人や、格安で手伝ってくれた学生など、親切な人たちに恵まれ施設を運営することができた。儲かるであろうとはじめた施設であったが、確かにこれは儲からない。外部の人が参入したいと思える事業ではなかった。いかに福祉業界がボランティア精神に支えられてきたか、佐藤氏は実体験を持つことができた。そして、その構造こそが、福祉の業界が良くなっていかない原因であることを学んだ。


期せずして福祉業界に入り、高齢者施設など事業を広げていった。福祉を事業として追求した結果、大学4年時には異例として長野県庁での任期付き幹部職員に抜擢された。25歳のとき仙台に戻った佐藤氏は、大学時代の後輩だった若新雄純(わかしん ゆうじゅん)氏とともに改めて事業をスタートさせた。


「とりあえず若新に30万円渡して、『ホームページと名刺と社名考えて、じゃあよろしく』っていうノリですよね。ベンチャーやるぞ、世界を変えるぞっていうノリではなく。大企業に営業に行くのにお互い茶髪で、ネクタイもせず」


2005年、株式会社LITALICO(当時の社名は株式会社イデアルキャリア、のちに株式会社ウイングル)は創業された。障害者の雇用窓口の多い東京と、働き口のない地方に住む障害者。両者を遠隔地雇用でつなげ、障害者雇用において発生していた、いびつな構造を解消するサービスだった。そのはじまりにあったのは、「商売」が好きな若者と「人を見抜く」感性をもつ若者、二人の青年のノリと気合いとハッタリだった。


LITALICO創業当時の佐藤氏(左)と若新氏(右)。


じぶんが生きる未来にむけて


合理的な経営者と私的な経営者


2009年、東証一部上場につながる礎をつくり、株式会社LITALICOの代表取締役を退任した佐藤氏。長く障害者ビジネス分野に携わり、いくつかの事業を軌道に乗せ功績を残してきたが、あくまで最も興味があるのは商売であり、経営という分野だった。


「世の中の経済の流れ、モノの流れ、人の流れ、そういうものが基本的に好きなんですよね。それは分野・業種・人問わず、常に新しいものとか面白いサービス、資本の論理っていうものに非常に興味があります」


目に入ったものの裏側が、どのような構造になっているのか。それを成り立たせている資金の流れや仕組みはどうか。そんなことを考えていることが大好きであり、趣味と呼べるほどだった。


だからこそ、「障害のない社会をつくる」というLITALICOのビジョンを実現するためには、そのビジョン自体に誰よりも情熱を注ぐ人こそが経営者としてふさわしいとも考えた。


同時に、事業を進めていくなかで、越えられないものの存在も見えてきた。福祉は政治と密接に関わる領域であり、一民間企業にできることには限界があると考えた。かつて長野県庁の職員として働いていたときのように、ルールを変える側に回らなければ変えられないものがある。そう考えた佐藤氏は、仙台市の市長選に出馬する道を選んだ。


LITALICOのビジョンを実現する最善の方法は、自らが代表の座を譲ること。佐藤氏は合理的な判断のもと、筆頭株主を長谷川敦弥氏へ異動し退任した。それから7年後、2016年3月にLITALICOはマザーズ上場を果たし、2017年3月には東証一部上場企業となった。


事業を成功へと導いた経営者として、経営者のあるべき姿について自らの姿を重ねながら語る佐藤氏。経営者として自信がある方ではない。興味のないことを覚えていられない傾向があり、またメールや資料作成といった実務能力が自分にはない。だからこそ優秀な社員の存在が大きく、彼らにいかに任せられるかが重要であったという。


「単に皆さん(ほかの経営者の方)が任せてないだけで、でも自分より優秀な人ってごまんといるので、ある意味その人たちに任せられるか。器が大きいか小さいかという問題ではなく、要はそういうリスクを取りに行けてないだけだと思うんですよね」


後継者不足に悩む企業は多い。しかし、単に任せきれていないだけである場合も多い。合理性よりも自らが取り組まなくてはならないという思いが勝ってしまうことは、経営者でも当然起こりうる。社員にすべて任せることを邪魔するのは、経営者のプライドではないかと佐藤氏は語る。


事業の成長のためには、自らが経営者であることに合理性がない場合も当然あるだろう。自分にしかできないと考えていることであっても、もしかしたら世界中の優秀な人に任せてみれば、自分より10倍も早く事業を成長させることができるかもしれない。


「合理的に考えると、会社の本質は、業績を上げて株主のために報いるっていうとこなんですよ。だから合理的な側面での経営者っていうと、やっぱり私的な経営者って違って。皆さんやっぱり社長でいたいという思い、創業者である自分がつくった会社であるということ、そして社長という肩書きのブランド、組織を抱えていたいっていうエゴの小競り合いというか、そういう本質はあるのかなと思います」


社員にすべて任せる。だから、出社することは必ずしも必要ではない。社長を退任しても毎日出社しつづける会長もいる。たとえ統治はできても、すべきではないと佐藤氏は語る。自分のために社長でありつづけるのではなく、事業のために合理的に考え、任せるということ。それこそが事業を成長させるエンジンとなる。


20代のころ、ビジネスプランコンテストにて。


欲よりも大切なもの


かつての自分を振り返り、抱いていた価値観を180度変えたと語る佐藤氏。創業した当初は、夢があり目標があった。お金持ちになりたい。大きい会社をつくりたい。時価総額を大きくしたい。しかし、上場による創業者利益を手にし、ある程度ほしいものがすべて手に入ってしまったときの喜びは、一瞬に過ぎなかった。


「たとえばこういう高価なもの買いました。じゃあ、それでアドレナリン出た状態がつづくかというとそうじゃない。人間の脳って、そんなに欲求って次々出てこない。物質的な豊かさなんてつづかない。結局、自分がお金持ちになったら、もっと壮大な良い未来があったはずなのに、欲求がなくなってしまったんです。増収増益して何になるのかと」


お金持ちになりたいという欲求は単純で、ある意味幸せだった。それが現実に叶ったとき、残ったのは空しさだけだった。欲はつづかないのである。金メダルを獲得したオリンピック選手が、次の大会でもう一度金メダルを取るために一番大変なことは、モチベーションを維持することだという話もある。


不眠になるほど人生に悩んだという佐藤氏。LITALICOを引退したのち結婚し、子どもを授かったことで分かったことがある。専業主夫として毎日子どもと過ごすうち、進むべき未来が見えてきた。


自分の未来は、自分にとって大切な存在である子どもにある。そのために使う時間があることが一番の幸せであるということ。


「誰と時間をともにして、その時間をともにする人と何をしているかっていうことが、結局積もり積もるところ重要なんじゃないかと思ったんです」


生きることとは、時間を消費していくことである。そうであるならば、その時間の使い方が、生きることにおいて最も重要なことである。子どものために自分の時間を投資することで、自分の幸福が最大になる。佐藤氏の幸せはそこにある。


大切な人と過ごす自分の時間、それはお金で買うことができない。子どもというかけがえのない存在が幸せでいられるために時間を使う、それが佐藤氏にとって真の幸福だった。



じぶんの世界


偏差値教育のなかに埋没して、やりたいこともできず、やりたいことも分からずに苦しんでいる子どもがいる。自分の子どもだったらと考えてみれば、偏差値も重要であるかもしれないが、第一に笑顔でいてほしいに決まっている。自分の身近な人や友達が苦痛の表情をしていたら、自分も幸せになることはできない。だから、目の前の子どもが好きなものや楽しいものと触れ、健やかに生きてほしいと考える。


「教育を変えたいとかそういう目的ではなく、目の前の子どもが目を輝かせている、それだけでいいんです。ただ目を輝かせるこの子を幸せにしたい。その子の個性を、好きを認めてあげたいっていうだけなんですよ。だから全然壮大じゃないんです。学校の勉強をやめろとか、改革したいじゃないんです。昔の佐藤少年に、『実は良い講義があるんだよ、君の大好きな商売の講義だ』と言ってあげたい」


子どものころ、もしこんな選択肢があったなら、もっと違う人生になっていたかもしれない。佐藤氏自身も「商売」への興味を持ちつづけ、中学高校と「商売」への探求をつづけられていたかもしれない。もっともっと可能性が拓けていたかもしれない。既存の学校教育を変革するというわけではなく、人生の選択肢の多様さを提供していきたいという。


「変えるって言うと、相手が間違っていて我々が正しいっていう立ち位置だと思うんですけど。基本的に私のような人向け、私と同じ悩みを持っている子どもたちがハッピーになれば、それはそれで一つの成功ではないだろうかという発想が原点にあります」


勉強が好きな子は、東大を目指して勉強したっていい。コンクリートに興味がある子は、コンクリートについてもっと深く学べばいい。SEKAI舎では、将来数百万種類の講義を用意したいと語る佐藤氏。たとえ世界で5人しか見ない講義があったとしても、そこには社会的意味があり、それが企業としての強さの源泉になる。


自分の幼少期の体験をそのまま事業にしたと語る佐藤氏。そこには市場調査もなく、マーケティングもない。でも、もしも子どものときにその授業があれば、人生がもっと豊かになったかもしれない。もっと違う選択肢を選んでいたかもしれない。儲けるためではなく、「目の前の人」を幸せにするため。そんな価値を世に届けていくべく、2018年1月、株式会社SEKAI舎は設立された。


みんなと同じである方が正しいという価値観ではなく、あらゆる人の生きる道を照らしていく。たとえば、「早く結婚した方が幸せなのか、遅く結婚した方が幸せなのか」という生き方の問題であってもそれぞれの道である。実際に体験した人の話を聞くことで、選択肢が増える。


その選択は、誰の幸せなのか、誰が決める幸せなのか。幸せの基準は、自分で決めるものである。自分で自分の幸せを決められる社会、本当の意味で個性を尊重していける社会。そのためにSEKAI舎は、すべての子どもが自分の世界をつくるための学び舎となる。



おわりに


好きを言えない日本の優秀な人たちがいる。


OECDが調査した世界の学力ランキングによると、2000年以降、日本は世界72か国中15位以上と、上位グループを推移している。2015年の調査では、「科学的リテラシー」において世界2位を誇るほどである。(OECD生徒の学習到達度調査(PISA)より)


日本人は優秀なのである。しかし、このことが日本人を「幸せに生きること」へ導いているかどうかとは、別問題であるようだ。むしろ、日本教育の到達点と「生きること」との乖離は、「日本の大学生は入学ゴール」などの言葉で揶揄されてさえもいる。


確かに勉学は、仕事の出来不出来や人生の幸福度とは関係ない。「勉学」という枠組みは、人を測る一つの物差しに過ぎないのである。だからか、学力において優秀と言われる人々と出会っても、必ずしも活き活きと生きているわけでもないように思える。優秀といわれていても、日々を楽しんでいるようには見えないし、一緒にいて楽しくない人もいる。


なぜ楽しくないのかと回想すると、おしなべて自分の言葉で語っていないからであるように思える。自らの言葉で語る姿ではないからこそ、人の心を打つわけではなく、自らの心を打つ人生を歩んでいるわけでもない、ということだろう。優秀さでは、自らの「生きる」を見出せないのである。


Combs&Snyggは次のような例をあげる。

「ある人が,自分はナポレオンであると信じるならば,その人はナポレオンのように,さもなければ少なくともナポレオンについてのその人の概念のように,行動するであろう(Combs&Snygg,1959;手塚訳,P.196)。」その際,ナポレオンであるという自己概念が客観的に妥当であるか否かは本人にとっては重要ではない。ナポレオンであるという自己概念自体が重要なのであり,それは個人の行動をも決定づける重要性をもつのである。そしてその自己概念に支えられて展開された行動は,自己を形成する重要な経験となる。―兵庫教育大学学校教育研究科教授 水間 玲子


自分をつくるのは偏差値ではない。偏差値が人の人格足りうるものではない。それは、勉学という枠組みにおける一つの指標に過ぎない。自分が何者であるのかを決めるのは、ほかならぬ自分でしかないのだ。


自分が何者であるかの対話をもたらす、「何が好きであるか」ということ。それにより生成されていく自分という存在。この自分があるからこそ、人生はより豊かになっていくのではないだろうか。


OECDの調査によると、日本の「学習意欲」は世界の中でも最下層であり、学ぶことの目的を提供することができていないことも事実であるようだ。昨今、日本の教育課程においても、こどもの自主性や好奇心を重んじる、モンテッソーリ教育やサドベリー教育などが日の目を浴びはじめている。誰かの世界に生きるのではなく、自分の世界に生きること、その力を持つことがいま、一層求められているのではないだろうか。


自らの世界を生きて幸せであってほしい。SEKAI舎は、その願いを一つ一つ大切に叶えていく。



※参考

水間玲子(2002)「自己形成過程に関する研究の概観と今後の課題 : 個人の主体性の問題」,『京都大学大学院教育学研究科紀要』48,京都大学大学院教育学研究科,< http://hdl.handle.net/2433/57435 >(参照2018-3-4).

The Huffington Post(2012)「国際学力テスト(PISA)、日本『学力向上』順位上げる」,< http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/04/pisa-2012-japan_n_4382175.html >(参照2018-3-4).




株式会社SEKAI舎 佐藤崇弘

代表取締役

1980年生まれ。福島県出身。大学在学中、障害者施設の立ち上げや高齢者グループホームの事業化に成功。新卒で長野県庁の課長級職員に抜擢され、24歳で県庁部長級職員を経験し退庁。その後、就職困難者の就労支援を行う株式会社LITALICO(東証一部上場)を起業し、代表取締役に就任。仙台市長選への出馬を機にLITALICO代表を退任、海外で医療ビジネスを展開し、現地法人に売却。現在は、エンジェル投資家として約15社のスタートアップ企業を支援し、映画などのエンターテーメントビジネスや、創薬研究所の設立などにも参画中。慶應義塾大学SFC研究所上席所員を兼任。

http://sekaisha.co.jp/

https://www.wantedly.com/companies/sekaisha