社会と共存しつづける経営 ―「ことづくり」のために必要なこと

静かで多くを語らない建築物の背景に、緻密な設計が隠されているように。日々の物事に、実直に向き合う。そうすることで、初めて見えてくる世界がある。


株式会社リフレムは、不動産経営に建築を融合させたワンストップコンサルティングを手がける。宅地建物取引業者としての不動産取引、一級建築士事務所としてのデザイン・設計提案のほか、賃貸管理業者として市場調査や間取り提案をし、高い倫理規定をもつ不動産経営管理士「CPM」に基づいた投資分析・収支計画策定までもワンストップで行う。同社代表の緒方大介は、世に必要とされる事業を成す。その背景にある行動原則とは。



目次

1.新しい枠組み

  新たな価値を宿らせる建築

  「ことづくり」の経営


2.実直に生きる

  自分の視点をもつこと

  はまり症

  建築との再会

  「不動産×建築」の必要性


3.必要とされつづける事業の在り方

  「できること」ではなく「必要とされること」

  「ちょっとした気づき」の生み方


4.おわりに



新しい枠組み


新たな価値を宿らせる建築


ものづくりの背景には文化がある。たとえば、イタリアのヴェローナにあるカステルヴェッキオ美術館がそうだ。14世紀に建てられた城が、いまなお現役の美術館として活かされている。ヨーロッパの建築は、日本のそれにはない価値創造のあり方を教えてくれた。ただ、建てるだけで終わらない。ただ、売るだけでもない。家を建てることの背景にある文化、その可能性を追求してみたかった。


20代のころ、設計事務所に8年間勤務し、小規模なリフォームから大規模公共工事まで、あらゆる建築の設計・現場監理を手掛けていた緒方氏。日本の建築、海外の建築にも積極的に触れ、特に時代を超えて活かされつづけるヨーロッパの建築文化には強く影響を受けた。


「ものづくりの根幹には、それを支える考え方や文化が深く影響していると思ったんです。日本の建築文化や建物に対する考え方には、考え直すことがあるのではないか。もっと広い視点で活動してみたいと思ったんです」


それまで経験してきた建築の設計領域から視野を広げるべく、30代からは不動産会社へ転職。不動産流通や開発事業、プロパティマネジメント、コンサルティング等、複数の企業で経験を積んだ。確かな知識と経験に裏打ちされた、建築と不動産経営のワンストップコンサルティング。ワンストップだからこそ生み出せる価値を具現化するため、2014年に株式会社リフレムを創業した。


人口減少、少子高齢化、供給過剰と空き家問題。一極集中と地方創生。建築・不動産業界は否応なく変化の波にさらされている。ただ住む場所を供給するだけでなく、ハードからソフトへ、住む人の生活体験の創造こそが価値となる。そんな時代の過渡期に、リフレムは真に顧客に必要とされるサービスを創造している。


「人に謙虚に、仕事に誠実に。ほんとにシンプルで単純なことなんですけど、考え方や姿勢が変われば、新たな『気づき』が生まれます」


自分なりの視点で切り取った世界から価値を生み出しつづける、緒方氏のルーツに迫る。


「ことづくり」の経営


はじまりは、一人のお客さんからの相談だった。「憧れの賃貸マンション経営」。謳い文句に誘われ土地を買ったものの、工事は一向に進まない。3000万円もの高額な着手金を支払い、残ったのは詐欺のような契約と放置された工事現場だった。


「『なんとかしてもらえないか』って言われて、仲介に入ったのが最初ですね。“建築条件付き”という案件だったんです。(本当は建物に1億円かかるけど、)8000万でマンションを完成させますっていう条件で土地買うわけです。工事は着工しますが、当然、途中で予算が不足するからストップするわけです。いろんな人が絡んでいて相談を受けた当案件も竣工するまで結構大変でした。そういうトラブルが業界にはまだまだあるのを、当時目にしていたんです」


相談から一年程で無事竣工することができた。大変な仕事であれ、同じ仕事をするにしても真にお客様のためになる価値を提供したい。不動産に関する視点をもって建物を俯瞰的に捉えることは多くのお客様のトラブルを解決することができる。不動産と建築、双方から資産形成の課題を解決する存在が、世に必要とされていた。


株式会社リフレムは、不動産経営戦略コンサルティングを軸に、収益不動産の建築設計、不動産投資、土地活用、相続対策など、クライアントの視点に立ったワンストップサービスを提供する。建築と不動産、二つの目をもつ緒方氏がだからこそ実現できる価値がある。


「普通は不動産の視点でしか見ないところを、建築の視点で見ながら、事業目線で分析してみるんです。そうすると顧客の目にかなう情報って意外とあるんです」


リフレムは、建築という行為を、ただの「ものづくり」で終わらせない。物質的に豊かになった現代では、ハードウェアよりもソフトウェア、体験に価値が置かれるようになった。ただかっこいい家に住む、それだけでなく、そこでの人との関わりや体験までプロデュースする。そんな新しい価値の創造を、「ことづくり」と緒方氏は呼ぶ。


「まだまだ人が気づいていない面白いサービスって潜在的に沢山あるはずなんです。『ことづくり』っていうのは、『ちょっとした気づき』のことです」


不動産業を経営していくなかで、顧客のためにもっとできることはないか。今までになかった、けれども新しく必要とされるサービスはないか。愚直に探し、きちんと形にして提供する。空き家問題や相続問題、地方創生など、世の中にある課題を見極めながら、時代に合わせて新しい仕組みを生み出す。


不動産経営を「Re(再)+Frame(形作る)」する。リフレムという社名には、時代にマッチした新しい枠組みを構築したいという、緒方氏の思いが込められている。それは、不動産経営を一歩先の未来へと、進化させていく。


リフレムが手がけた収益不動産物件。空間の価値を最大化する「攻めの設計」と、緒方氏は語る。


実直に生きる


自分の視点をもつこと


県のちょうど中心に位置する長崎県諫早市。国の重要文化財に指定されている眼鏡橋が有名なその土地で、緒方氏は生まれ育った。県庁所在地である長崎市からは車で40分、商店街の立ち並ぶような、地方ならではの風情ある町だという。3兄弟の末っ子として生まれ、体を動かすことが好きな母と、いわゆるたたき上げのサラリーマンの父のもとで育った。


振り返ると、父は「仕事人間」であった。仕事で稼ぎ、男兄弟3人に教育を受けさせ、しっかり育ててくれていた。生家の家庭環境からくるものか、元来父は「しっかり」とした人であったという。「必要性・実用性」を強く考える人で、幼いころの父の様子は叔母からも伝え聞いていた。


「『お父さんは高校の修学旅行に行ったときに、お土産何買ってきたと思う?』って聞かれたんです。そしたら、実家で使う包丁買ってきたらしいんですよね。実家は貧乏で包丁が古いから。旅先のお土産を買ってくるとか、そういう普通の高校生じゃなかったみたいですね」


必要とされ、実用的であることに価値を置いていた父。高卒で大手食品会社に就職後、工場の下積みから工場長、九州統括にまで昇進した人だった。家庭内でも、幼い緒方氏に仕事の話を投げかけてくれていた。


「父の仕事は食肉の製造加工でしたので、沢山の豚や牛を工場で受け入れるんです。そのとき豚はトラックに積まれて加工場に来るんだけど、なかなか怖がって入らないんだと。でも、入れなきゃいけない。みんなそれに苦労してるけど、自分は工場長になって変えたんだと。『何を変えたと思う?』って聞かれるんです」


「何をどうしたらいいか」「どうしたら何が変わるか」、父親はよく、幼い緒方氏へ仕事の話を投げかけ、自分だったらどうするか、と自分の頭で考えさせてくれた。問われてもわからなかったが、答えはたいてい「ちょっとした工夫」だった。


「やっぱりたたき上げで競争社会を生きてきているので、人と同じことをしてても生き残れないですからね。今にして思えばですけど、そういう部分は父親譲りなのかもしれません」


自らの頭で考え、自らの視点をもって働くからこそ、会社から必要とされている父の姿があった。


父にはもう一つの側面がある。しっかりしていた父は、給与からコツコツ貯めた資金で株式や貸家を購入しサラリーマン家庭ながら一財産築いた人だった。


「貸家はずっと満室でしたよ。もう寝たきりのおじいさんから、ちょっと怖い人も住んでたし、小学校の友達とかいろんな人が住んでました。子どものころは隣近所に色んな人間模様があって面白かったですね。台風が来ると貸家の瓦が飛んだり、雨漏れしたりするのですが、父はそのたびにカッパを着て、はしごを担いで、貸家の屋根に上って修理してくるんですよ。母は屋根から落ちやしないかと冷や冷やしてましたが。大家さんが大工もやっていて今考えるとすごい話ですね。とにかく父は何でも自分でやってみる人でしたね」


さまざまなことに正面から向き合い、人とは違う少しの行動を起こすことが、価値の差を生みだす。緒方氏にとって、そんな父の姿が心に残っている。



はまり症


タイプの異なる2人の兄をもった緒方氏。長男は近所では兄貴分として慕われ、母親がしょっちゅう学校に呼び出されるような存在だった。一方、スポーツ万能の次男は高校からハンドボールの国体選手で大学まで受験知らず。三男である緒方氏は次男の影響を受け、幼少期からスポーツに熱中してきた。父親からは「やるならとことんやれ」と言われ、何事も実直に熱血根性をもって取り組んでいた。


「とにかく負けず嫌いでしたね。やるからには負けられないと」


選手育成コースにと声をかけられた水泳では、小学校2年生から週に4日のハードな練習続き。タイムが速くなれば面白く、コーチに褒められればさらに練習に励んでいた。大会に出ると「上には上がいる」と気づかされ、やるからにはとことんやって勝ちたいと願う緒方氏の気持ちは駆り立てられるばかり。気づけば、九州大会で入賞するほど熱中していた。


「はまり症なんでしょうね。一つのことをずっとやるようなところはあったかもしれないです」


一つのことに熱中すると、脇目もふらず走り込む。勝ち負けがはっきりするスポーツだけでなく、数字や賞を追うことも大好きだった。習っていた書道では、小学生ながら準8段(通常大人が獲得する段位)。うまく書けないと、自分が納得するまで50枚でも書き直してしまうような性格だった。


「中学高校では、僕はずっとバスケやってまして、自分でいうのもなんですが熱血キャプテンでしたよ。練習前にグラウンド何周走ろうとか。高校3年間も一応進学校でしたけど、一番思い出に残ってるのは、部活の思い出ですよね」


近くに予備校もない田舎の進学校で、受験期には1時限前の補習のため0時限が設けられていた。緒方氏がキャプテンだったバスケットボール部の朝練は、特例を出してもらい0時限よりさらに早い。早朝6時半から朝練に励み、7時半からはしっかり0時限に出て勉強もする。


疲れ果てるまで、のめり込む。厳しい練習も、数え切れないほどの試行錯誤も、結果に作用する。明確にイメージできる勝ち負けや数字、結果があるからこそ、そこに必要とされる努力ができる。それによって得られたたくさんの経験が財産となり、緒方氏という人を成している。



建築との再会


物理や数学など、勉強は理系科目が得意で、特に微分積分が好きだった。高校2年生までは、建築学科を志望していたという緒方氏。小さいころから身の回りに家の修理をする大工さんや、ものを作る人たちの姿があったことも影響しているのかもしれない。


「でも、建築学科ってあんまり自分に合わないかなって思い始めて。高3の9月くらいで、『やっぱり進路変えます』って言ったんです。建築って家作ったり、橋作ったり、仕事自体が違うなっていうより、そこの仕事のイメージができなかったっていうのが正しいんでしょうね。結果的には、あとでその道を選択するわけですからね」


自分の将来像や、建築の世界における目標やゴールがイメージできていなかった。建築学科という選択肢がなくなり、ほかにどこに行きたいかも分からなかったので、理系も文系も一番つぶしがきくように思われた経営工学科を選択した。当時は東京の大学にしかない学科だったので、進学を機に上京。中途半端な思いで入学したため、勉強にも身は入らず、ひたすら遊んでいたという。


緒方氏が建築の世界とふたたび巡り会ったきっかけは、東京の大きな本屋で、偶然手に取った建築関係の本だった。


「東京に来て初めて大きな書店に行ったんです。そうすると、フランク・ロイド・ライトとか世界の三大巨匠の作品集なんかが置いてあるんです。それまでは、高層ビルとか橋梁とかの建築しか知らなかったんですよ。建築のデザインとか、理論とか、コンペティション(設計競技)とか、そういう世界があるんだと知って、面白そうだなと思いました」


東京に来て初めて、建築デザインの世界に興味をもった緒方氏。田舎である地元では書店もなく、当時はネット通販もない。情報が少なかったのだ。本から伝えられる巨匠たちの作品は、緒方氏に「建築家という仕事がしたい」という思いを目覚めさせた。


はまりこむと、駆り立てられるように没頭してしまう性格だ。大学3年から建築学科に編入しようとしたが難しく、仕方なく大学を中退して専門学校へ入った。高校まで部活も勉強もしっかりこなしてきたが、突然の大学中退と進路変更に親には迷惑をかけたと、緒方氏は語る。それでも、時間は有限だ。自分が追求したい世界を、心ゆくまで追求したかった。



「不動産×建築」の必要性


30歳で建築家として独立しようという、明確な決意があった。昼間は設計事務所でアルバイト、夜は専門学校での勉強の日々。生活は大変だったが、国内外をあちこち旅して建築物を見てまわり、建築の世界にどっぷりはまった。いつも頭にあったのは、自分ならどういう建築を作るかということだった。建築家になるからには、社会に必要とされる建築家になりたかった。


緒方氏が勤めた設計事務所では、図書館や医療、教育、福祉施設等、小規模な現場から大きな仕事まで手掛けていた。多種多様な設計事務所のなか、緒方氏がお世話になった事務所はボス建築家と、3~4名の所員で構成される事務所であった。古くからのクライアントや紹介先から仕事が入る。公開コンペに参加したが、残念ながら入賞はできなかった。事務所の働き方は、忙しいときは忙しいが、そうでないときは半年以上仕事がない時期もある。仕事が増えるかどうかは、基本「待ち」のスタイルだった。


「だから仕事がないときは誰からか、どこからか依頼があるまであまり動かないんです。ホームページすらない会社がほとんどの時代でしたから、ウェブで仕事につなげようなんて発想は当然なく、人づてや紹介に頼らざるをえない。だから仕事がきたら「仕事が入った」と言うんです。所員の身でありながら設計コンペに応募したり試行錯誤してましたが、そのスタイルを継続できるかというと、自分には向いてなかったですね」


あるとき、大口のクライアントであった人に言われた言葉がある。


「『予算から何から全部計画しといたから、あと設計よろしくね』って言われたんですよ。そのとき、もっと事前の段階から相談されるようになりたいなと思ったんです」


その人の言うとおり、設計の仕事では技術的にも知識的にも、クライアントの目的を叶えるには限界があった。建築だけではお客様に提供する最終形に寄与し、向き合うことは難しい。ちょうど業界では、「リノベーション」という分野も普及しはじめていた。建替えるかリノベーションするかという前段の意思決定は不動産業者にゆだねられる場合も多く、どこかのタイミングで不動産のことも覚えたいと考えるようになった。煩悶の末、緒方氏は30歳で設計事務所を辞め、不動産会社への転職を決意した。


「カルロ・スカルパっていうイタリアの建築家が当時から好きなんですけど、この人は今でいうリノベーションの建築家なんですよ。転職する前に1ヶ月間ヨーロッパを旅行して、その間ヴェローナという街に滞在して、代表作の美術館に行ったんです。カステルヴェッキオ美術館と言って、14世紀のお城が美術館になっている。それをずっと2週間ほど研究して、自分なりに『こうだよな、ああだよな』って、調べたりしましたよね」


14世紀といえば、日本で言うと室町時代。そんな古い時代の建築物がリノベーションされ、今なお現役の美術館として活用されている。


「新しいものを作るのも面白いけど、こういう建築文化を作るのも面白いなあと思ったんんです」


その後は不動産業界を渡り歩き、幅広い経験を積んだ。住宅の企画・販売・仲介、用地仕入れから解体工事の孫請けまで。環境に合わせ、できる仕事はなんでもこなしてきた。


不動産業界を広く目にした緒方氏。どこに行っても建築の視点やものづくりの視点をもっている不動産会社の人に出会うことは稀だった。だからこそ次第に、不動産と建築、両方の経験をもつ自分の視点をもって、「建築と不動産をうまくつなげられないか」という思いが一層強くなっていった。


2014年、株式会社リフレムを創業。かつて目にしてきたような建築文化を生み出す一歩であった。着実に儲けを重ねる華々しい独立ではなかったと、緒方氏は語る。業界で一通りのことは経験していたので、家族を養う分くらいの稼ぎはなんとかなるだろうと考えての独立だった。設立当初は、不動産管理・仲介事業などを行っていたが、偶然土地を購入して収益不動産を建てようとして失敗してしまったお客様から問い合わせが来たことをきっかけに、現在のリフレムの主力事業は生まれた。


「今月ちょうど通算35棟目のプロジェクトが始まったばかりなんですけど、会社設立以降この3年間で428戸の供給に関わったことになります。自社で開発分譲して売り上げを大きくするビジネスモデルではありませんが、多くのクライアントと一緒にプロジェクトに取り組むことで、日々ノウハウが蓄積されます。何よりも社員のスキルが向上しますし、クライアントの満足度ももっと上げていきたいですね」


一つ一つ実直に積み重ねてきた上にある、人とは違う自分なりの視点こそが、価値を生み出す。身近にありながら、多くの人は気づいていないこと。誰もが気づいているが、やろうとしないこと。そんな人とは違う「ちょっとした気づき」を自分なりに見つけ、愚直に形にする。そうすれば、確実に社会に必要とされる仕事ができ、ひいては文化を生み出すことにもつながるだろう。社会の役に立つことができる。それが、緒方氏の人生から導かれた経営である。


イタリア・ヴェローナの街に位置する、カステルヴェッキオ美術館。1964年にカルロ・スカルパによって設計された。14世紀に建てられた城の内部が美術館として使われている。


必要とされつづける事業の在り方


「できること」ではなく「必要とされること」


事業をつくるにあたり、緒方氏が大切にする信念がある。


「よく『自分にできることはこれだから、やっていこう』って、あるじゃないですか。それはちょっと視点が違うかなと思っていて。『必要とされることをやっていこう』っていうのが、大事かなと。これは大きな違いなんです」


会社の価値と社会的価値、顧客の価値が一致する仕事は、世に必要とされる。それは、経営の世界で語られる「CSV(Creating Shared Value)*」の概念にも通じるものがある。現在のリフレムの事業の考え方にはそれがあると、緒方氏は語る。(*「共通価値の創造」と訳される。企業の競争戦略論で知られるマイケル・E・ポーターなどにより、2011年、CSR(企業の社会的責任)に代わる新しい概念として提唱されたコンセプトのこと。http://diamond.jp/articles/-/37714より)


ニーズが多く必要とされればやりがいも大きく、会社としても売上を増やしていける。何よりたくさんのお客さんに喜んでもらうことができるし、事業拡大しても利益相反もしない。そうして、事業は継続していく。


確かなニーズを具体化して提供する。たとえば、インターネットで私たちが欲しい本を買うとき、営業されたから買っているわけではなく、ただそれが便利だから使っているだけだ。それが自然で、あるべき姿である。人が気づかないちょっとした気づきが具現化され、サービスとなり、必要とされる価値の差を生む。


「誰でもできる仕事はどんどん自動化される。誰でもできるわけではない仕事は何かというと、コンサルティングだったりワンストップサービスだと思います。不動産建設業は大手企業を中心にM&Aで統合され、少しづつではありますが顧客ニーズにあった体制に向かっています。中小企業は『量』ではかないませんので『質』で勝負するしかない」


必要とされる価値。まだ世にない価値。目の前のお客様に真摯に向き合うからこそ、「誰にでもできること」ではない質の高いサービスを生み出すことができる。結果として、中小企業であっても、世の中から必要とされつづける事業となりゆくのである。


緒方氏は、一級建築士・CPM(米国公認不動産経営管理士)・公認不動産コンサルティングマスター・宅地建物取引士・2級ファイナンシャルプランナーの資格を保有している。


「ちょっとした気づき」の生み方


「ちょっとしたこと」で、物事の価値は変わる。姿勢の違いが、気づきを生む。


それは、緒方氏がサラリーマン時代の実体験のなかで学んだことだった。不動産会社でリゾートマンションを販売していて、初めて自分で接客をして売ることができた物件があった。


「初めて自分から買ってもらって嬉しかったんです。販売現地に泊まり込みでしたので空いてる時間で掃除道具を買ってきて、掃除したんですよ。そしたら流れが悪かったお風呂の排水の中に靴下が詰まっていたんです」


ほかの販売スタッフは排水の流れが悪いことを知らなかったが、緒方氏が気づき掃除をしたことで、詰まりに気づいていたお客様にはとても喜んでもらえたという。


「シロウトの自分は、物件は清掃してから引渡すものと思っていたんです。賃貸アパートだって清掃してあるじゃないですか。そしたら同業から『不動産って現状有姿*の売買だから、別にそのままでいいんだよ』って言われたんです。(掃除とか)そういうことして壊してしまったらかえって問題になるから。でも、結果的に買ってくれたお客さんは本当に喜んでくれて、ほかの仕事にもつながりました」(*現在あるがままの状態のこと。https://www.athome.co.jp/contents/words/term_2255/より)


家の建替えでの解体工事の仕事でも、緒方氏の気づきがお客様の喜びを生んだ。解体工事は、昨日まで住んでいた人がその場に居ようが関係なしに進んでいく現場であった。


「解体職人からすればそこは工事現場ですから土足で入ってドンドン工事を進めます。でも住んでいたその家族はその家に特別な愛着をもっていたんです。いきなり壊される光景を見ると泣いちゃうんじゃないかなと思って、お別れの儀式ではありませんが『最後に写真撮りましょうか』って言ったんです。後日アルバムにして送ったらとても喜んでくれて、その後も何度か写真のことを話題にされました。やったこと自体が価値があるかどうかは別にしても、解体を依頼する側と受ける側の意識には大きな差があることに、気づくか気づかないかは大きいと思うんです。気づくからこそ、次の行動が生まれる」


技術だけがあっても、仕事はつづかない。人に謙虚に、仕事に誠実に。誰にでも謙虚に接するようにすると、謙虚にしない人が分かるようになる。タクシーを降りるとき、一言のお礼さえ言わず降りる人。レストランで注文するとき、ウェイターの顔も見ずに注文する人。一見些細に見える、そのどれにも気づくことができるようになる。自分が変わることで、得られる気づきがある。誠実な姿勢をもつことができれば、たとえ仕事が変わっても、技術がなくとも、必要とされるサービス、大切なことに気づくことができるだろう。


顧客に向き合う事業を生み出し、誠実になる。その姿勢が事業へちょっとした気づきを生むこととなる。ニーズを抱えた顧客に対し、提供できる価値の質と信頼性をより高めていく必要がある。米国の不動産経営資格の取得も、そのためのものだった。


「CPM(米国公認不動産投資管理士)を受講したときに、最初に倫理の授業があるんですよ。『あなたは不動産オーナーの物件を管理しています。メンテナンスを依頼している会社からの紹介料が100万円たまりました。このお金はどのように使えばよいだろうか?』って、ディスカッションするんです。このお金は本来、誰のものですかと。管理会社のものか、オーナーのものか」


サービスで得られたものは、そもそも誰のものであるか。誰のためのサービスであるか。お客様に向き合う姿勢を持つからこそ、「ちょっとした気づき」が形となり喜んでもらえる。そんなサービスが、不動産業界にはまだまだたくさんある。リフレムは、そんなサービスを積み重ねていく。仕事に誠実に向き合ってきた緒方氏だからこそ、自分の視点をもち、価値の差を生み出してきた。それによってリフレムは、不動産経営を進化させていく存在となる。




おわりに


戦後日本が約20年にも及ぶ高度経済成長期を経て、資本主義国家において世界2位の国民総生産(GNP)を記録したのは、1968年のことだった。


先進国となった日本経済の成長の背景には、いくつかの要因が重なり合う。いずれにせよ、それらは現代の資本主義経済を土台としたものである。戦後日本における資本主義は、日本人を経済活動に向かわせる基盤となり、日本人の働き方をより生産的なものへと変えていった。それぞれがそれぞれの役割を担うことで総和としての生産活動の効率化を図り、大量生産と日本社会の発展を叶える体制を支えていた。


現在、経済発展とともに生活レベルは向上し、国は豊かになった。一方で市場は飽和し、企業が成長をつづけるにあたり、旧来のやり方が通用しないことも多くなってきた。企業が経済的な生産活動の発展のみを志向していては、どうやら今後の日本の経済発展も見込まれないのが現代であるようだ。そしてそれは、個人の働き方においても同様のことが言えるように思える。


経済発展・社会発展の過程において、日本人は個々の仕事を機能化し、生産価値の最大化を図ってきた。しかし、そこには見過ごされてきた視点があることも事実なのではないだろうか。「なんのために生産するのか」「自分の仕事が誰にどう影響し価値となっているのか」といった視点。働くこと本来の性質に目を向けずとも、成立する働き方を生み出していたようにも見受けられる。


しかし、経済成長も陰りを見せる今だからこそ、次なる社会の発展に向け、私たち日本人は働くこと本来の性質に立ち返る必要性があるのではないだろうか。「誰のために」「何のために」を考えることを会社や社会に預けるのではなく、働く個人レベルで「誰のために」「何のために」を追求し、その相手となるお客様へ誠実に向き合い、幸せを実現していく必要があるのではないだろうか。


緒方氏は、建築不動産というものがお客様に提供する価値を全体から見てきた。誰のために、何のために提供するかを考えた結果、建築に飽き足らず、不動産の領域にまで足を踏み入れた。提供する価値の「部分」ではなく、「全体」へと誠実に向き合う。だからこそ、緒方氏にとっての仕事は「ものづくり」の域を越え、「ことづくり」という言葉へと置き換えられていった。


2次産業(モノづくり)と3次産業(コトづくり)と掛け算で融合すること、それは上流から下流までを見通して状況を理解して、関係者が情報交換を密に融合化したビジネスを構築することを意味する。そのことで、社会が求める、競争力のある、社会価値を生むビジネスとなっている。

それを実現するには、人と人との良き出会いがあって、初期の段階ではビジネスを抜きにした売り手と買い手の相互間にホスピタリティと言われる程の心使いがあって、夢の実現に向けた売り手と買い手の間に共通の価値観が形成され、心と心のふれ合いの中から、社会が求めるビジネスが創生されているといえる。―一般社団法人日本開発工学会理事・副運営委員長、「開発工学」編集委員長 小平 和一朗


緒方氏の姿勢は、自らの「気づき」のためでも、誰かを出し抜き企業競争に勝つことも第一に目的としていない。緒方氏が全体を見通し、誠実に向き合うことは、お客様の願いをカタチに変えるための手段である。結果それは、社会という単位でみると、必要とされる「社会的価値」に変わっている。


全体を把握し、ほかから見るとホスピタリティと言えるほど、お客様の価値に向けて走る。それこそが社会的価値を生み出し、企業価値を生み出す方法であるということを緒方氏は証明してくれている。ひいては、日本社会の発展へ寄与していく姿であることも間違いないように思える。


現代を生きる私たちは、事業創出において、働くことにおいて、価値観の転換期に来ている。緒方氏の姿は、私たちの未来あるべき姿なのだろう。



※参考

小平和一郎(2013)「B2Bビジネスにおけるホスピタリティ―エンジニアリング・ブランド構築を分析する―」,『開発工学』33(2),日本開発工学会,< https://www.jstage.jst.go.jp/article/kaihatsukogaku/33/2/33_131/_pdf/-char/ja >(参照2018-2-6).




株式会社リフレム 緒方大介

代表取締役

長崎県諫早市生まれ。青山学院大学理工学部中退。早稲田大学専門学校建築設計科へ通学の傍ら、建築設計事務所(意匠設計)へ8年間勤務。その後、宅地建物取引主任者を取得し不動産会社へ転職。商品企画・開発、売買仲介事業PM事業部、資産コンサルティング業務等に従事。地場工務店、不動産コンサルティング会社勤務を経て、2014年9月、株式会社リフレム創業。一級建築士・CPM(米国公認不動産経営管理士)・公認不動産コンサルティングマスター・宅地建物取引士・2級ファイナンシャルプランナーの資格を保有。

http://reframe.co.jp/index.html