Focus On 馬場勝寛

勝ちに燃える三本足烏の闊歩 ― 第四の金融機関/IFAを日本に


本気で勝負する。それが、働く人、お客様、そして社会のためになる。


日本の金融機関に勤める全ての人とそのお客様に「IFAという新しい選択肢」を与えていく株式会社Innovation IFA Consulting。近年、国内でも急速に認知が広がりつつある「IFA」、日本語で「独立系ファイナンシャルアドバイザー」とも呼ばれるその仕事は、特定の証券会社などに所属しない中立的な立場から、顧客の資産形成における一生涯のパートナーとなる存在だ。高校時代はサッカーのインターハイで全国制覇。筑波大学を卒業後、野村證券に入社してからは超富裕層含む延べ1000人の資産管理などに従事したのち、2019年に同社を設立。翌年にはIFA業態として初の上場企業グループ傘下入りを果たした、代表取締役の馬場勝寛が語る「勝負に向かう心」とは。





プロローグ


ひとたび試合開始の笛が鳴れば、あとは勝つためにやるだけだった。


どんな格上の相手でも、ボールを追いかけて全力で走った。勝つための方法は必死で考える。ひるまず挑んだ先にしか、勝利はないからだ。


実力も努力も満足しない。もっと上を見据えている。今いる環境で勝利を得ていたとしても、外に飛び出せば、もっと広い世界が待っている。


世界は自分の想像を超えていく。良い意味でも、悪い意味でも。過信して敗北を味わったときの悔しさは忘れない。やるなら1位を目指すし、勝つためにやる。言い訳せずに、結果の責任は自分で引き受ける。そうやって勝負するからこそ、生み出せる価値があった。


あのときの悔しさがあったから、今の自分がある。あのとき導いてくれた人がいたから、今の自分がある。挑んだからこそ掴んだ今があり、出会いや人の導きは、いつも自分に新しい選択肢を与えてくれるものだった。


勝利への意志を貫いてきた馬場勝寛の人生。


1章 生き方


1-1.  真剣勝負


負ける


足元に緩くカーブするトラックを感じながら、重心をスライドさせ、速度を落とさずに走り抜ける。訓練したわけじゃない。本能的につかんだ感覚で、全身の筋肉をただ動かした。少しでも速く、一歩でも前の人より前に出たかった。


正面にある背中をにらむ。3メートルほどの距離、いや、もっとかもしれない。1位を独走しているライバルの背にある数字に対し、見えない手が伸びるかのように強く意識を向けていた。


男子1500メートル走、決勝。今回は追いかける背中がある。相手は速い。1位の先頭選手を追う自分の筋肉は、さっきから疲労を訴えている。認めたくない。認めたくはないが、必死について行くのがやっとだった。走っても走っても、一向に縮まらない距離にもどかしさが募っていた。


残り400メートル。ラスト1周。


土浦市の大会から茨城県大会へ。それぞれの勝利の瞬間が切り取られたかのように、よみがえる。一番にゴールを走り抜ける自分。競争相手は、いつも背後にあった。これまで自分は負けなしで来た。ずっと1位だった。それが今、初めて「敗北」を目前にまで突き付けられている。


残り200メートル。あと半周で届くだろうか。


正直、今目の前にある背中には、どうあがいても届かなさそうだった。ゆっくりと流れる汗の感触が、やけにリアルに伝い落ちていく。1秒1秒タイムリミットが迫る。足元からも這いあがってくる焦燥。息を吐いては吸い込む。悲鳴を上げるように、肺が鋭く痛んだ。


残り100メートル。最後のカーブを曲がった。勝負はここしかない。自分の足元から伸びる直線の先を見た。その時、たしかに数秒先の未来が見えた気がした。


このレース、自分はきっと2位だ。


あいつが一番にゴールする。そして、ゆっくり振り返る。勝者だけに許された微笑み。遅いなと、視線が語る。


遅いと思われる。つまり、自分は初めて負けることになる。あいつが自分より前にいる限り。


耐えがたい衝動が、全身を駆け抜けていた。



1位と2位


1996年、幼稚園の年長の時のことだった。4年に一度のスポーツ大会が、アトランタという場所で始まっていた。物心ついてから初めてのオリンピックだ。


観客席に日本の国旗が揺れている。力強い歓声は、いつまでも鳴り止むことがないようだ。


なんだこれ。思わず目が釘付けになる。


カメラが人の顔に寄っていく。険しい顔つきの選手。舞台袖に立つコーチ陣もまた、緊張の面持ちで見守っている。


「私たちは今日、歴史的快挙が成し遂げられる瞬間を目にすることになるのかもしれません」


感極まったような声で、アナウンサーはそう告げた。遠い世界の熱気と興奮が、リビングのテレビ越しに伝わってきそうだった。


柔道女子48kg級の決勝戦。日本のエース。ライバルと対峙する田村亮子選手は、ここまで公式戦84連勝。日本中の期待を背負っている。この試合で、肝心のメダルの色が決まるのだ。


金メダル。やはりそれは特別なものであるらしい。最後まで勝利した、ただ一人だけが手にできる。世界で一番上に立った証だと聞いていた。


「……フランスのノバックに負けて以降、まったく負けはありません。公式戦既に84連勝。日本の小さな大エース。田村亮子選手。赤帯をして入場です!」


ほどなく試合が始まった。


互いに隙を見せないように警戒し、少しでもチャンスを見出せば、すかさず攻める。実況する人の声に熱がこもる。「頑張れ!」。テレビの前の自分も思わず自分も声を出していた。


どちらも譲らずに、時間だけが経過する。じりじり緊張が高まっていく。会場の声援が一つになっていく。


「いけ!」


投げようとするが、即座に反応されて技を返される。息をのむ。危ういところで持ちこたえた。少しも目を離せない。一瞬が勝負を決めるのだ。


固唾を飲んだ数分間。激しい攻防の末、試合終了を告げるベルが鳴り響く。


負けた!脱力しながら体を投げ出していた。悔しい、勝ってほしかった。


結果は判定負けらしい。2大会連続銀メダル。すごいけれど一番じゃない。すごいけれど、こんなにも悔しいのか。


「いやぁー、これは思わぬ結果になりました女子48kg級。絶対有利と言われていました。――今。ちょっと肩の荷を下ろして、田村選手が退場します」


歓喜するライバル選手。対照的に、田村選手はがっくり肩を落としている。1位と2位。その差が如実に表れている。きっと4年間、今日この日、この試合のために練習してきたんだろう。銀ではなく金をとるために。この試合で勝つために。




「2位とビリは同じだ。いくら頑張っても2位じゃ意味がない」


いつも両親がそう言っていたことを思い出す。


厳しい両親から、勝負に臨む姿勢についての教えだった。食事の仕方や片づけ、挨拶や礼儀とか、日常叱られることもあったが、その言葉が最も強く心に残っている。


1位になることのみに、意味がある。


オリンピックを見ていても、そうだった。金銀同じメダリストでも、試合のあとのメディアの注目や、応援していた人々の喜び方が全然違う。


表彰式では試合と一転し、壇上に上がった田村選手は笑顔だった。銀色のメダルを受け取ってはにかんでいる。でも、きっと誰よりその差を噛みしめているのだろう。欲しかったのは金メダルだという悔しさを。思い返してみるほどに、両親は正しいことを教えてくれていると思っていた。


勝負はどうしても勝たないとならない。勝って1位を取ることが大切だ。


だから、何でもやるなら1位を目指すこと。1位じゃなければ意味がない。


幼稚園の運動会にて


馬場家の血


夕日がゆっくりと山間に沈む。馬に乗り、列を成す人々の影が、長く長く伸びていく。疲れた足取り。舗装されていない田舎道を、土埃が舞い上がる。しかし、その顔には勝利の高揚をたたえているようでもある。


負傷した者は傷をかばいながら、甲冑に助けられた者は欠けた装備をまとった出で立ちでいる。そのなかに、傷一つない鎧姿の男が一人。戦いに身を投じなかったからではない。むしろ一団を率いて戦い、敵の武将を打ち取った人物だ。


戦国時代、現在の山梨県にあたる甲斐の国を中心に、関東一帯を治めた武田信玄の忠実な部下。武田四天王の一人、馬場信春(のちに馬場信房と改名)という人だった。


戦は負けなし。生涯70以上の合戦に参加して、かすり傷一つ負わなかったという逸話が残っている。要するに、常勝のスピリットを持つ男だったということだ。それが馬場家のルーツ、血筋だ。


「ほんと?」


思わず大きな声で聞き返す。「本当だ」と父がおかしそうに言う。


山梨生まれの父の話では、その人物が遠い先祖にあたるらしい。本当かどうかは知らないが、あながち嘘でもないような気はしていた。物心ついた頃から自分も負けず嫌いだ。これはもう生まれつき先祖から引き継いだものと言った方が説明がつく。


勝ち負けがあるものは自然と熱が入ってしまう。


例えば、学校で流行っている『遊戯王』のカードゲーム。これも負けられない戦いだ。どんなカードが手札になるかは運次第だが、どうしても負けるのが嫌で方法を考えた。こっそり手札を切るときに、自分に良いカードが来るように仕込むのだ。相手にはバレないし、勝率がぐっと上がる。これが意外と上手くいった。絶対に勝ちたかった。


みんなで鬼ごっこをするときもそうだ。鬼の視界から逃れるように、真剣に立ち回りを考えて必ず逃げきる。休み時間のサッカーも。ボールを持つ相手の心理を予想して、どんな場面でも全力でボールを奪いに行く。ジャングルジムに登るなら、誰より早く一番上に行く。


そもそも体を動かすことが好きだ。特に、自分は足が速かったこともあり、かけっこは得意で好きだった。足の速さのおかげで得をしたことは多い。サッカーで有利だし、小学校のクラスでは人気者になれる。両親もともに運動神経が良かったと聞いている。高校の体育教師をやっている父は、元々陸上の選手だったらしいから、これもまた血筋なのかもしれないと感謝している。


勝つことは純粋に楽しい。負けるよりは、誰だって嬉しいはずだ。昔から、何でも挑むなら勝ちにいこうとする性格は変わっていない。


小学5年生、親戚一同と


実力を試したい


小学校1年生になると、サッカーを始めようと少年団に入った。地元でスポーツを始めようとすると野球かサッカーかという二択がほとんどだった。


サッカーの方が、走っている時間が長い。そっちの方が、自分が思うスポーツの感覚により近いと思っていた。自分の体を存分に動かして勝ちにいける。だから、迷いなく選んだスポーツだった。


勢いよくボールを蹴る。きれいな弧を描いて飛んだボールは、わずかにキーパーの手をすり抜けてゴールネットにつかまった。


仲間から声が上がる。我ながらナイスなシュートだった。ゴールネットに背を向けながら、こみ上げてくる喜びを噛みしめる。難しい試合を切り抜けたときほど、その喜びは大きくなる。すっかりサッカーの面白さにはまり込んでいた。


世の中的にもサッカーは盛り上がりを見せている。1991年の開幕以来、徐々に大きな社会現象になりつつあったJリーグ。テレビで試合を観ていれば、自分もいつかJリーガーになれたらと憧れていた。あんな風に晴れの舞台でプレーするのは、一体どんな気持ちなんだろう?フィールドを駆ける選手に自分を置き換えては重ねていた。


中学に進んでもサッカーをやろう。地元の中学校に進学し、当然のようにサッカー部に入ることにした。とはいえ、特別サッカーが強い学校という訳でもなく、純粋にサッカー好きな仲間が集まっている環境だった。みんなと練習し、試合があれば勝ちを目指す。


だからだろうか。勝負の時は、サッカー以外のところから先にやって来た。陸上競技だ。小学4年くらいからは、学校内でも足が速いからと、地域の小学生が集まる大会に出ては、男子1000メートルで大会新記録を出していた。その評判が伝わっていたのかもしれない。中学1年の時、陸上部の顧問の先生が声をかけてくれた。


「足速いし、出なよ」


今度、陸上で土浦市の大会があるという。種目は1500メートル。市大会ともなれば、当然地域の大会よりも、もっと強い相手が出てくるだろう。対戦相手の幅が広がって、どんなレース展開になるのか想像もつかない。


「分かりました、出ます」


出場はその場で決まった。


ただ漠然と、負ける気はしなかった。正直これまで1000メートルでは負けたことがない。どんな相手がいようとも、やることは全力で1位を目指すこと。ただそれだけだ。断る理由はなかった。


少年団にて。左から4番目が馬場


大会当日。晴れ渡る空の下、トラックに立つ。定められた位置について前を向いたとき、自分が緊張していることに気がついた。


団体競技であるサッカーと違い、陸上は個人競技だ。わが身一つで勝負が決まる。言い訳はなし。武者震いのようなものを感じつつ、スタートの合図を待っていた。


乾いた銃声が、空気を引き裂いた。


自分の中のエネルギーに火をつけて、一気に爆発させるみたいに飛び出した。ライバルの息遣いを感じつつ、まずは勝ちに行けるポジションを狙う。1500メートルでは、トラックを4周弱走ることになる。スピードだけでなく、自分のスタミナをどう使うかも重要だ。なるべく速く、しかし無理のないペースで前を走っていると、先陣を切る形になっていた。


自分の戦術はこうだ。途中までは普通くらいのパワーで走り抜け、ラスト1周で全力を絞り出す。体力に自信があるとはいえ、1500メートル走はなかなかきつい。周回を重ねるうちに、足が鉛のように重たく感じるようになってくる。力は最後の最後まで取っておこうと考えた。


大丈夫、自分なら勝てる。前を見て、呼吸することと足を動かすことだけを考えた。


ラスト1周の鐘が鳴る。


来た、走れ!そう言い聞かせ、無我夢中で前へ出た。体が風を切る。見えない壁を突き抜けるみたいに歯を食いしばる。あと数メートル。一歩、また一歩とゴールテープに近づいていく。音が遠くなる。自分の心臓だけが鳴り響く。


気づけば、ゴールを抜けていた。息がおさまらず、震えて立っていられない。思わず近くに身を投げ出していた。まぶしい。大きな入道雲が、自分を見下ろしていた。


「……1着、馬場勝寛君、土浦第三中学校……」


放送が結果を告げていた。


終わった。とにかく意識を全身に戻すように呼吸から指の先まで整える。1位。思った通り、勝ち取った。実感はゆっくりとやってきた。


安心と喜びの混ざった息を吐きだした。でも、すぐさま頭をよぎる。満足する時ではないのだと、心の中の自分は言っている。大会に出るからには優勝しないと意味がない。それから次は県大会が待っている。もっともっと先がある。


そうだ。終わりじゃない。自分の実力でどこまで行けるのか、まだまだ試してみたかった。


小学3年生、マラソン大会で優勝した


勝負の本質


勝つか負けるか、勝負はそれだけだ。


2位から下とビリは同じこと。1位になれるか、なれないか。結果は二つに一つということだ。だから、何でもやるなら1位を目指す。昔からそうだった。幸いにもここまで負けなし。まだ戦える。


遠く観客の声援は、スタジアムに充満する熱気まで運んでくる。関東大会ともなると、これまでとはスタジアムの熱気からして違うようだ。


8月の灼熱が、目の上に覆いかぶさっていた。足元の白いスタートライン。真っ直ぐに横に引かれたそれを見下ろす自分には、誰の手も届かないほど高い場所から太陽の光が降り注いでいた。


レースが始まる。ついにここまで来た。


土浦市の大会の次は、茨城県大会。その大会で優勝すると、県の代表として関東大会に臨むことになる。大会前には合宿があり、種目別に選手が集められ、走り込みなどの練習をした。


初めて見る県外の選手。ライバルが走るのを間近で見る。東京や神奈川に比べると、正直自分が住む茨城は田舎だ。都会の選手というだけで、なんだかすごそうに見えてくる。それからいよいよ明らかになってきたのは体格差。陸上部は細身の人が多い。めちゃめちゃ速そうだ。一方、自分は足も太く、どう考えてもサッカー部という感じの体型で浮いていた。


ここで勝てるのか?分からない。でも、まだ負けたことはない。これまで通り全力でやればいいはずだ。


目の前のレースに集中を戻す。遠くで自分の名前を呼ぶ声がする。客席には、家族も応援に来てくれている。今年の関東大会は山梨県での開催だったので、県内に住む父方の祖母も観に来てくれた。


深呼吸。位置につき、いつでも飛び出せるよう構える。張りつめた空気の中ピストル音が響いた。同時に、一斉に脚に火がついた。


いつも通りの戦術で行こうと考えてきた。最初の加速で何人かを抜き去った。どこか冷静な頭で状況を見る。大丈夫、このまま行けば勝てる。


その時、突然背後から一人が踊り出た。あっという間に自分の前につき、さらに数メートル引き離される。これも想定内。自分は後から巻き上げるタイプだ。冷静さを変えることもない。


直線が終わり、コーナーを蹴る。また直線で、同じ景色に戻るのを何度か繰り返す。


おかしい。速い。追い付けない。たかが数メートル。でも、陸上で言えば結構な距離の差だ。一向にそれが縮まらない。相手も当然のように1位を取るつもりで来たのだと、本能的に理解した。ゴールが近づくのを感じるにつれ、受け入れがたい何かが迫ってくる。こんな感情初めてだった。


徐々に差が明白になってくる。ラスト100メートル。諦めたくはない。でも、どう考えてもいつもと違う。この差は絶望的だ。あいつが1位で、自分が2位になる。勝利の道はどうやっても考えられない。


負ける。そう思った次の瞬間、本能が呼び掛けてきた。「嫌だ」。心の底から。それはもう全身に広がっていた。


もう一回走ろう。


しんどくても何でもいい。死ぬ気で走るんだ。声でも意思でもない本能が地面を蹴った。じりじりと差が縮まっていく。目の前の背中が大きくなる。前の背中の先にゴールが近づいている。あと1メートルくらいで届く。抜けるか。いや、抜くんだ。


ふと、相手が追い上げてくる自分に気がついた。向こうも力を入れ直し、加速しようとする。


視界に入るゴールライン。思うより先に体が前に出ていた。ヘッドスライディングをするように、上半身を滑り込ませる。一本のラインを超える。ただ、そのためだけに。


前へ体が飛んだ。相手ともつれながら重なった。スローモーションのようにトラックに倒れこむ。会場の声援が飽和する。悲鳴のような声も混じっている。背中に鋭い痛みが走ったかと思うと、相手も体勢を崩しながら走り抜けるのが視界に入る。自分が飛び出したから、相手のスパイクに踏まれたんだ。そんなことはいい。ともかくゴールは超えたはずだった。でも、どうなった?


どっちが1位だ。体は動かなかったが、意識だけは慎重に辺りの音を拾っていた。ゴールしたのはほぼ同時。走り抜けた相手の顔を見ると自分は負けたのか?全く分からない。周りも分からずに、固唾を飲むような空気があった。審判の判定は?


「先ほど行われました男子1年1500メートル、決勝の結果を発表します。1着、馬場勝寛君、土浦第三中学校。4分……」


アナウンスにハッとして、顔だけ電光掲示板に向ける。自分の名前がある。ランキングの一番上だ。


目を閉じて、強く拳を握る。勝った。


せり上がってくる喜びで、叫び出しそうだ。本当の真剣勝負というものを味わったのは、その時が初めてだと思った。


「勝負ってこういうものなのかと思いました。簡単に勝てるものじゃないし、だからこそ勝ったときに嬉しいんだなという感覚ですかね。頑張らなきゃいけないじゃないですか。人間って本質的に頑張りたいっていう人はいないと思っていて。でも、勝つためにはそれなりの努力をしなきゃいけない。それがつらいけど、勝負に勝ったときに報われる。そういう過去の成功体験があるからこそ、頑張れば何とかなるんじゃないかと思えるのは、今の仕事にも生きる部分ではありますね」


勝利は自分だけのものじゃない。仲間や先生も喜んでくれる。あたたかく声をかけてくれる人たちがいる。客席を見上げると、笑顔でこっちに手を振っている家族。自分を支えて応援してくれた。なんだか親孝行できたような気がして嬉しかった。


あとから映像を見ると、本当に勝てたことが信じられないくらいの僅差だった。先頭にいた相手は、1位を確信したような走りに見える。そこに自分が追い上げて、焦って競り合った結果、自分の方が100分の1秒差で早かった。


勝負というものが何たるか。あの時の経験があったから、今の自分があると思える。勝利への執念は、それ以来いつも自分の心とともに在る。


背中に残った小さな傷跡は、勲章のようにも思えるものだった。



1-2. 中学サッカー


茨城県選抜


中学1年の終わり頃、学校のサッカー部で出場していた大会で声を掛けられた。県の選抜メンバーの練習に参加してみないかという話だった。願ってもない誘いだ。もっと強くなれるならとセレクションを受けて無事通過した。合格したメンバーは、自分を含め30名ほどになる。一応、県内で有望な選手ということだ。


4月の朝はまだ肌寒く、冷たい風がグラウンドを吹き抜けていた。


相手チームからボールを奪った仲間が、チャンスとばかりに勢いよく駆け出した。なんとかそれを阻止しようとする複数人の影。負けじとパスを繋ごうと、チームメイトは大きな声を張り上げる。


1対1のまま試合終了時刻が近づいている。白熱する試合を眺めながら、体が冷えないようにとその場で足踏みする。今日の練習試合も、自分はベンチで見守っていた。


こうして傍から眺めていると、改めて思う。やっぱりみんな上手い。


特に、鹿島アントラーズのジュニアユースに所属する人たちの実力は圧倒的だ。一緒に練習していても、全く歯が立たないと感じる。それは同時に自分の立ち位置を、嫌でも自覚させられるものだった。それに、いくら県の選抜に入ったと言ったって、同じような団体は、全国に都道府県の数だけあるわけだ。自分のような選手は、同世代だけでもごまんといると思っている。


試合終了のホイッスルが鳴る。


勝敗はPK戦に委ねられた。今回の試合も活躍の場はないが、自分より上手い人のプレーは参考になる。集中し、試合の行く末を目で追っていた。それが今、自分にできることだったから。


中学時代、記録を残した陸上競技とは対照的に、肝心のサッカーではあまり成果を出せていなかった。強豪校で練習を重ねる人たちに比べたら、自分たちの練習なんてお遊びみたいなものだったと思える。全くもって一番じゃない。


それでもやっぱりサッカーが好きだった。当時、サッカー以上に興味を惹かれるものなんて、ほかに見当たらなかった。


もっとサッカーが上手くなりたいのに、上には上がいる。


くすぶる思いもありながら、黙々と目の前の練習に向き合う。プロサッカー選手の夢だって、捨てたわけじゃない。プロになるんだと言い聞かせる。そんな簡単に自分に失望してたまるか。


だから、練習の手は抜かない。いつも本気だと思ってる。けれど途方もない夢を描くには、何かが足りなかった。



高校進学


中学3年にもなると、さすがに進路を考えざるを得なくなってくる。まず受験だ。高校をどうするかが問題だった。


いつものように練習を終え、帰る準備をしていると、ふいに友達に肩を叩かれた。振り返ると、笑顔で何か言いたげな顔がある。


「今度、流経大柏のセレクションがあるから受けてみようよ」と、友達は言った。

「流経大柏?」

「そう、流経大柏」


正式に言えば、流通経済大学付属柏高校。知らないわけじゃない。むしろサッカーをやっていて、知らないはずがない。千葉県にある、全国でもトップ10に入る強豪校だ。卒業生にはプロになった人だって多い。知っているが、あまりに世界が違いすぎるので返事に詰まった。


友達からすれば、受かるかは分からないが、受けるのはタダだからということらしい。たしかに。妙な納得をしてしまう。


中学3年間サッカーをやってきて、正直自分には、この道は厳しいと思っていた。無難な道を選ぶなら、特別勉強ができるわけでもないし、近所にあるそれなりの高校に行こうかと考えていたところだった。サッカー部もそこそこ上手いらしいから、部活として楽しむくらいならちょうど良さそうに見えていた。


でも、最後の挑戦も悪くない。夢だって諦めてはいない。


「いいよ、受けよう」


久しぶりの感覚が戻ってきたのを感じる。真剣勝負に立ち向かう、あの感覚だ。忘れられるはずがない。負けず嫌いな自分には、最高のエンジンなのかもしれない。




8月の夏休み。セレクション当日は、立っているだけで汗が噴き出すような暑さだった。駅のホームで電車を待つ時間が、やけに長く感じられて仕方ない。ようやくホームに滑り込んできた電車は、横殴りの熱の固まりを連れてきた。


住んでいた土浦市から、電車に乗って約1時間。最寄り駅からバスに乗り、ほどなくすると住宅街の中にあるバス停で降りた。同じように、セレクションに向かうであろう学生の姿も見える。


門を抜け、受付と着替えを済ませると、係の指示する場所で待機する。なんと流通経済大柏のサッカー場は人工芝だ(当時はまだ先進的だった)。さすが強豪校。設備が整っている。こんな環境で練習できたら、強くなれるだろうなと自然と心が躍り出す。受かる確証なんて何もないのに、想像せずにはいられない。


あの赤いユニフォーム。全国大会。観客席にひしめく真っ赤な応援団。大歓声のなか自分がプレーして、勝利を勝ち取る姿……。大丈夫、想像できる。




セレクションの手応えは、よく分からなかった。とりあえず全力は出し切ってきた。来た時と同じように、友達と電車に乗り帰る。


数日後。発表された合格者の一覧を見た。真っ先に「馬場」という文字を探した。すぐに見つけたのは、友達の名前だった。あいつは受かってる。


驚きで数秒息を止めていた。じゃあ、自分は?


探す。隅から隅まで。ない。もう一度頭から。それでも、どこにもなかった。そんなことあるだろうかと思ったが、何回見ても結果は変わらない。


友達は合格で、自分は不合格。突き付けられた現実に、言葉が出なかった。何も言えない。


同じ場所で練習してきたのに。自分の夢はここで断たれてしまうのか?


悔しくて悔しくて、到底受け入れられない。自分の心の奥深く、爆発しそうな衝動が湧いてきた。


この感情はおそらく今に始まったものじゃない。本当は、もっとサッカーを頑張りたかった。ずっと前からプロになりたいと、そう思っていたはずだった。それなのに何で簡単に諦めた?大切なことから目を背けていただけなのだ。中途半端な憧れに意味はない。


もう一度受けよう。セレクションのチャンスは、もう一度あるのを知っていた。迷わず決意した。絶対に合格したい。その日まで、できることを全部やろう。


自分は頑張ればできるはずだと思った。執念に結果は後からついてくる。陸上の時もそうだった。全国大会にだって出る。自分より上手い人はたくさんいるが、いずれ勝ってやる。本気で挑むと、腹から覚悟を決めた。


勝つためには、やるしかない。挑戦の先にしか、求めるものはない。



1-3. 高校サッカー


高校辞めようか


流通経済大柏には、2度目のセレクションで合格を勝ち取った。


あの強豪校に自分が入る日が来るなんて。望んでいたとはいえ信じられなかった。願えばいつかそれは現実になる。誘ってくれた友達に感謝した。


夜間照明に照らされた人工芝が、昼間よりも色濃く青々と広がっている。白地に赤いラインのユニフォーム姿の部員たちが駆ける。部員は一学年で4、50人。プロになり、ワールドカップや世界で活躍することを目標にするメンバーが集まっている。


ボールを蹴る音。監督が鋭い指示を飛ばしている。陽が落ちても練習は終わらない。


毎日朝5時半に起きて、千葉行きの電車に飛び乗る。眠い目をこすりながら学校へ来て、朝7時から練習。昼間の授業は眠って体力を回復すると、放課後から夜にかけ21時くらいまで練習がある。ここでは全国制覇が当たり前。だから、そのための日常だ。遊び感覚でこなせるようなものじゃない。


目の前にドリブルしてくる相手。相手の動きを予測し、即座に下した判断で動く。ボールを奪う。ただそれだけに全神経を集中させていた。


しなやかな動きでかわされる。通用しない!


自分の動きを読まれていたのだと悟った。悔しくて思わず頭上を見上げると、暗闇がぽっかりと口を開けている。なんだか飲み込まれそうだ。


何度本気で挑んでも、相手はいつもそれを上回る。実力の差。経験の差。努力の差。何もかも歯が立たない。入部以来、自分は本当に目立たない選手だった。


練習は当然のように厳しい。実家から通うには、朝晩ゆっくりする暇もない。強制的な生活リズムに慣れる暇もなく、強者たちと日々競り合う環境。同世代ながら、既に全国レベルで名前を轟かせているような人たちだ。究極の負けず嫌い集団とも言えるのだろうか。いきなり茨城から千葉に来て、友達もいない環境。部活の上下関係は絵に描いたように壮絶で、監督はさらに怖い。


分かっていたことだが、心が折れそうだ。


走るのがつらいけど、走れなくなったときの方がもっと恐ろしい。怒られるし、翌日以降の練習量を増やされる。だから、吐いてでも走る。起こりうる恐怖を想像すると、足を止めることなんてできなかった。


帰りの電車のシートに体を沈ませる。くたびれた座席のスプリングが、重みに負けている感触がした。




「高校辞めようかな」


1年生の5月か6月頃のことだった。一度、母にそうこぼした。あんなに自分で望んで練習して、必死になって、それで合格を勝ち取って。ずっと応援してもらってきたのに。簡単には口にしてはいけないと思っていたが、とうとう口にしてしまった。


その一言が、どれだけ喉元につっかえていただろう。自己嫌悪につぶされそうになる。言ってはならない最期の言葉を口にしてしまった。


「もうちょっと頑張れば?」


母は優しかった。一杯一杯だった心に、母の言葉が少し余白を与えてくれた。


もしもこの環境自体から逃げたとして、どうなるだろう。仲間であり、ライバルである部員の顔が浮かんでくる。「あいつ逃げたな」と言われるだろうか。後ろ指を指されるのも、なんだか癪だ。何より言葉に出して、気持ちが整理されたような気持ちになっていた。


訳が分からないほど過酷な練習も、みんなでやっているからこそ頑張れる部分もある。自分もそうだが負けず嫌いの塊みたいな性格で、些細な競り合いですら勝ちに行こうとする。部活内がギスギスした雰囲気になることだって日常茶飯事だ。でも、試合となれば仲間の存在は、不思議な心強さに変わる。絶対相手に負けたくないと、全員が同じ方向を向き、同じ熱量で思っているのだ。望んでいた環境じゃないか。


目的は一つ。相手に勝つことだけを考える。そう、勝ちたいんだ。勝つためにやっている。トップチームに。全国の強豪たちに。そして、弱い自分に。


「もうちょっと頑張るわ」


どこかから少し力が湧いてくるような気がした。心の憂鬱は晴れないけれど、どこからか力が湧いてくる。まだやれる。


前に進むだけの力は自分にある。


高校生のころ


チームZ


母の言った通り頑張ってよかった。時間が経てば友達もできた。それに、新しい生活リズムにも慣れてきた。


もうすぐここに来てから丸2年。まだ試合で実績は残せていないが、なんとか練習には食らいついてやっている。


部内は実力主義だ。練習試合であってもミスをすれば白い目で見られる。でも、実力が全て。チームの勝利のためにやるのが全てだ。


次第に練習以外でもなんとなくの力関係が生まれてくる。昔から友達付き合いには苦労しないタイプだったが、これにはなけなしのプライドがへし折られそうになる。同学年で圧倒的な差をつけられていることが友達関係にも表れてくる。


勝負の世界だ。仲良しこよしでやってる訳じゃない。そう自分に言い聞かせる。


悔しさは、力に変えるしかない。


自分は入学以来、変わらず一番下のチームにいた。流通経済大柏のなかでも6軍である。公式戦に出場できるのは、ほんの一握りの選手だけ。トップチームは普段の練習も別になっている。世界が違うのだ。自分には手が届きそうになかった。


それでも腐らず練習できたのは、やっぱり仲間の存在が大きい。一番下の俺たちは「チームZ」だ。この中では雑魚だから。雑魚のZ。みんなでふざけてそう呼んでいた。いつかトップチームのやつらを見返してやるんだと。



「……千葉県代表、流通経済大学付属柏高校。両校選手の入場です」


アナウンスのあと、入場行進曲が流れ出す。興奮に満ちたスタジアムの中央に向かい、一歩踏み出す自分。振り返れば、なだらかにせり上がる客席を埋め尽くす、数万人の観客。四方から歓声が聞こえてくる。


今日この日。全国優勝を決めるこの闘いを待ち望んできたのだろう。会場全体に、目に見えない期待感があふれている。代表選手の列に並んだ自分は、決意を胸にする。


絶対に勝つ。燃えるような、この赤いユニフォームに誓って。



全国大会に出場し、活躍する自分の姿。高校の最寄り駅から、毎日自転車で校舎まで向かう道のりは、いつも妄想しながらペダルを漕いでいた。


前方の赤信号が視界に入り、慌ててブレーキを握りしめた。けたたましい音がして、乗っていた自転車が急停車する。


加速する自動車が、勢いよく目の前を通り過ぎていく。あやうく車道に突っ込むところだったと息を吐く。車は残像と、かすかに排気ガスの臭いだけを残していった。


全国大会出場の妄想は、1年生の時から自転車に乗るたび続けている。イメージは力をみなぎらせてくれる。日々の苦しい練習も、くじけそうになる時も、そのイメージが自分を奮い立たせてくれていた。


全国優勝。それがチームの目標であり、当たり前。今年も一個上の先輩たちが、二つの全国大会で優勝を勝ち取っている。「すごいこと」でもない。当たり前にやらなきゃいけないことなのだ。少なくとも自分はそう思っている。


先輩たちの決勝戦。応援席から観たあの日の光景は、忘れようもなく目に焼き付いている。


1年、2年と時が経ち、妄想に浮かぶ景色はより鮮明になっている。それを練習前後、欠かさない。すると、嘘でもその気になってくる。実際、これだけ練習でつらい思いをしているのだから、全国で優勝できるだけの頑張りは誰よりもやっているような感覚もあった。


今日の練習も頑張ろう。そう思えてくるから不思議だ。


いつものように門の中に滑り込み、真っ直ぐ練習場の方へと向かっていった。



夏のインターハイ


Zチームだからといって練習に手を抜くつもりはない。寧ろ、だからこそ高みを目指して努力していると、誇りも持ってやっている。


いつもの守備練習中、ベンチの隅からじっとグラウンドを見守る影があった。静かな闘志を宿した視線。白髪の下、鋭く目を細め、こちらの一挙手一投足を見逃すまいとしているかのようだった。言葉はない。向けられた視線の意味も分からなかったが、思わずこちらも闘志を込めた視線で返す。


当時、流通経済大柏には、古沼貞雄氏が外部コーチとして招聘されていた。


古沼氏と言えば、1965年から帝京高校サッカー部の監督に就任し、チームを9回の全国優勝、7回の準優勝に導いた人物だ。高校サッカー界で、その名を知らない人はいない。2003年に監督の座を退いてからは、こうして各地で若手の育成・指導にあたっているらしかった。


週に2、3回。ただそこにいるだけで、グラウンドにはぴりりとした緊張感が漂う。歴戦の貫禄を感じる人だ。


「あいついいじゃん」


古沼さんの一声が、自分の運命を変えてしまうことになる。




昔から自分のポジションは、ディフェンダーだ。


足の速さと守備にかけては自信がある。総合的な技術では敵わなくても、守備だけはトップチームの人たちにも負けない気概を持っていた。公式戦に出場する。例えその可能性がどんなに小さなものだったとしても、もしも機会があるのなら必ず役割を果たす。そのために、自分の誇りと技術を人知れず磨いていた。


古沼さんが自分に目を付けた理由は、当時チームの失点が多かったことにあるようだった。早急に守備を強化する必要があった。自分はチームZから、いきなりトップチームの練習に加えてもらえることになった。驚いたが、素直に嬉しい。ますます周りに負けないようにと練習に励むうち、みずみずしい空気とともに初夏が近づいていた。


夏のインターハイに向け、まずは5月に千葉県の予選大会が始まった。


自分も高校3年になり、今年が最後の全国ということになる。予選大会の序盤、流通経済大柏は、いつも通り危なげなく勝ち進んでいく。その試合の様子をただ見守る。嬉しいような悔しいような、何とも割り切れない気持ちだ。心にずっしりとした重しを抱えているようだった。


スタメンとして急に名前を呼ばれたのは、予選大会の中盤からだった。


夢かと疑うような、それでもこの日のためであるという武者震いをし、夢中でグラウンドを駆けた。相手チームの動きにも物怖じせずに食らいつく。次第に動きを読めるようになり、ついにはボールを奪った。反撃の狼煙を上げるかのように、味方は一気に攻めだした。大丈夫。ここで通用する実力を自分は持っている。絶対に点を取らせない。何があっても、ディフェンスとしてゴールを守り抜くと決めていた。


千葉県予選は勝利。そして全国大会が始まった。


自分は変わらず使ってもらえている。古沼さんだ。古沼さんが、ここまで自分を引き上げてくれたんだと思った。公式試合で成果を出してから、トップチームに推薦してくれたのだ。


並み居る強豪校の名前が並ぶトーナメント表を見る。そこに流通経済大柏の文字がある。このチームで、もちろん優勝を目指す。勝者だけが辿ることを許された、その赤いラインを指でなぞる。次はいよいよ、決勝だ。



夢にまで見た景色が、まさに現実になる。けれど、こんな荒れ模様の空だとは思いもしなかった。


その年の決勝は、埼玉スタジアムで行われた。試合開始時間が迫るなか、開催も危ぶまれる天気予報に、仲間と何度もそろって空を見上げていた。


次第に激しさを増す雨足と雷雨。準決勝で下した佐賀東高校との試合で点を取らせなかったように、この試合でも変わらず守り抜くつもりで来た。


しかし、落雷の危険から試合は中止と決定が下された。対戦相手である市立船橋高校とは、両校優勝という形になる。大会史上2回目のことらしい。そんなことより正直自分は試合がしたかった……。


全国優勝。


ともあれインターハイでの全国優勝は、流通経済大柏として初めて掴んだ栄光だった。その試合に出場し、貢献できたこと。これ以上の喜びがあるだろうか。報道陣のカメラに向かって、みんなでガッツポーズする。日に焼けたチームメイトの誇らしげな顔。珍しい監督の笑顔。そこら中でたかれるシャッターの光が、眩しくみんなの顔に反射しているようだった。


表彰式のあと、大会本部から大会優秀選手の発表があった。


大会優秀選手?


実は、そんなものの存在すら知らなかった。今大会での際立った活躍が認められた総勢33名。名前を辿ると、そこに自分の名前が挙がっている。


あまりに現実味がない。何が評価されたのかは分からない。それでも、自分以外にも、あの「チームZ」からスタメンに抜擢され、同じように優秀選手に選ばれた仲間もいた。なんだかんだみんな頑張っていたのだと嬉しさも倍になる。「チームZ」万歳だ。


抑えきれない感動。それから支えてくれた家族、監督、コーチ陣に感謝の気持ちが一緒に湧いてきた。


何度も諦めそうになった。逃げ出したかった。それでも、今なら昔の自分に言える。諦めなくて正解だ。


底辺でもここまで来れる。勝利への執念が、想像を超える高みへと導いてくれた。


8月の大雨の日、大粒の雨に向かって吠えた。夏のインターハイは、荒れ狂う空とともにその幕を閉じた。



1-4. 全国大会優勝後


冬の選手権大会


スローモーションのように飛ぶボールの軌道を見ていた。誰もが願いを込めている。


一瞬の静寂のあと、試合終了のホイッスルが長く鳴り響いた。


0対0。冬の選手権大会の県予選、両者拮抗状態のまま、もつれ込んだPK戦だった。その日、流通経済大柏は2軍チームで出場し、自分は応援側に回っていた。相手は格下チーム。1軍で出なくとも快勝できるくらい力の差がある。


試合展開は、終始こちらが優勢だった。圧倒的な技術でボールを奪い、鮮やかに攻守をひっくり返す。あっという間にゴールまでパスを回したかと思うと、難なくキレのあるシュートを叩きこむ。それが、なぜか点に繋がらない。


チャンスを作る。シュートを蹴りだす。何度も何度も。あと少し、得点には届かない。


0対0のまま前半終了。それでもチームに悲壮感はない。絶対に勝てるはず。こちらが押している。声援は力強く、選手を鼓舞しつづけた。本来の力を発揮させるべく、監督が喝を入れる。選手の目に油断はなく、あるのはただ勝利への渇望だけだった。


後半終了まであと何分か。膠着したまま試合が進んでいくにつれ、何度も時計を確かめた。相手につけいる隙はないはずだ。でも、まだ得点はない。


ついに試合はPK戦に持ち込まれた。実力では上回っているはずだから大丈夫だ。相手選手がゴールと対峙する。立ちふさがる味方のキーパー。それでも執念のシュートを相手に決められる。いつもと違う汗が出る。ピッチに全力で声援を送る。こちらも意地で点を取り返す。勝利へ向かう思いがぶつかり合った。


一歩も譲れない。もどかしさと焦燥で気が狂いそうになってくる。12人目。こちらのキャプテンだった。ボールを蹴る。息をのんだ。それがゆっくりとゴールに向かって飛んでいき、わずかに外れて落ちた。


時が止まる。音が消えて、光が消えた。


気づけば、相手チームが歓喜に沸いていた。仲間が呆然と膝をついている。自分たちが負けた。認めたくない現実が、そこにある。まさかこんな形で終わるなんて、誰が想像しただろう。


応援団も仲間も、監督も。誰もが言葉を失って、異様な空気が肺を苦しくした。


全国高校サッカー選手権大会、千葉県予選、敗退。高校サッカーに3つある全国大会のうち、最後の大舞台。いわゆる冬の選手権が終わった日となった。


高校サッカーの集大成。結末は、試合に出場することもなく終わりが訪れた。


「ここで負けるかくらいのタイミングで。プレー自体は普通にこっちが攻めていたし、100回200回やって1回起こるくらいの流れだと思うんです。僕もみんなもどこか過信があったんだと思います、たぶん。僕の人生、今後も気を付けたいんですが、有頂天になって浮かれるときがあって。陸上もそうだったんですけど、中1で優勝してから勝てなくなった。高校も一回優勝してから、結果ダメだった。何度も同じ失敗はしたくないですが、そういう道をたどってきた以上、どこかで痛い目見ることは想定しながらやるし、そのときに過去の経験が生きて、今は耐え時だと考えられるようにしないとな、と思っています」


冬の選手権と言えば、サッカー少年なら誰もが憧れる、夢の舞台の一つだ。毎年成人の日に決勝選が行われ、テレビにも映ることで有名である。夏のインターハイでの勝利のあと、部員の誰もがその舞台に立つ資格があると思っていた。力も確実にあった。と、皆が過信してしまったのだ。相手の気持ちの方が一枚上手だったとしか言いようがない。


夢は思いもよらない形で終わるときがある。


全国優勝に満足してしまった。底辺からトップチームへと駆け上がり、自分のことをすごいと思ってしまった。高い目標を持ち、もっともっと上に向かって努力しなければならなかったのに、無意識に現状維持を選んだ。つまり、それは後退だ。ライバルは努力を続けていた。自分たちの力を過信して、ライバルの勝利を許した。


試合終了。


一つの夢が、儚く終わった音がした。



大学受験


あんなに生活の中心を占めていた部活がなくなると、どうやって過ごしていいのかが分からなくなる。


選手権が終わり、夢が終わった。この先はどうしよう。漠然とプロになりたいという気持ちはあったものの、本気で目指すにはこれからもハードな道のりが待っている。


同時に大学進学を考えなければならなかった。進路。その問題を自分は棚に上げていた。


しかし、勉強なんてこれっぽっちもしてきていない。高校3年間、全てをサッカーに捧げてきた。そう、全てをだ。


サッカー推薦で大学に行こうにも、セレクションは夏に終わっている。サッカー推薦の手は使えない。このまま流通経済大学に内部進学するか、それとも一から大学を見つけるか。目の前に選択肢を並べては、煮え切らない思考が巡るばかりだった。


高校3年の終わり、抜け殻みたいになった自分を救ってくれたのは、父だった。


「筑波大学のサッカー推薦があるらしいぞ」


筑波大学。そんな選択肢を考えてもみなかった。思えば、父は筑波大学出身だった。すがるような思いで、自分でも調べてみる。本当だ、まだ間に合う。キャンパスも茨城で地元だ。サッカーを続けられる。希望が見えてきた。


受けない理由がない。すぐに資料を取り寄せた。なんとか願書を提出すると、今度は慌てて小論文と面接の対策をする。それからセレクションに備える。


偶然にも、幼少期サッカーを教わっていたコーチも筑波大出身だったらしく、推薦してもらうことができたのでありがたい。インターハイでの実績も、提出できるアピール材料になった。


年の暮れ。ギリギリだったが、なんとか合格通知をもらうことができた。


大学に行ける。大好きなサッカーを続けられる。希望の糸が繋がっていく。それだけで舞い上がりそうだ。


将来は漠然として分からない。でも、周囲の人の導きのおかげで、少しずつ未来が見えてきた。



1-5. 大学生活


プロになる


森のように広い筑波大学のキャンパス。その南にある体育専門学群のエリアが生活の中心だった。相変わらず飽きもせず、サッカーが好きだった。


シャワーで練習の汗を流し終え、みんなでいつもの食堂に行く。空腹を満たしてくれるお決まりのメニューを注文すると、とりとめもない話題で笑う。取りやすい単位の話とか、誰かの恋愛の話とか。


高校に比べると、仲間とサッカー以外の話題を共有することが増えていた。お酒が飲める年齢になったこともあり、飲み会の楽しさも知った(しかし後に社会人になってから、東京の大学生に比べれば地味な遊び方だったことも知る)。


仲間と過ごす時間は楽しい。筑波大学に入れて良かったと心から思う。でも、サッカーでの自分の活躍ぶりには満足できていなかった。1年生の時からチームの勝利に貢献している人もいるなかで、自分はずっと試合には呼ばれたり呼ばれなかったりだった。


今までも数多くの才能あふれる選手を見てきたが、大学に入っても、やはり上手い人はたくさんいるのだと思い知らされた。一緒に入った同期はもちろんのこと、続々と入ってくる後輩たちもそうだ。これまで自分もプライドを持ってやってきたことは確か。だが、世界はもっと広い。一人の想像なんて簡単に超えていってしまうのだ。


プロの世界はどうなんだろう。将来のこともたまに考える。大学を卒業した後、スカウトされてJリーグに入団した先輩がいるように、着実に将来に向けて動いている仲間もいるらしい。話を聞いていると、無性に焦りが湧いてくる。でも、今の環境で飛びぬけた実力もない自分とは、違う世界の話なんだろうか。


そもそもサッカー選手のパフォーマンスの評価って何だろう。陸上や水泳にはタイムという定量的な指標があるけれど、サッカーでは基本的にチームの勝利か敗北を決めるためにやっている。得点数などは役割によって変わってくるし、細かい動きも監督の戦術に従ってやるものだ。どこまでが自分の責任で、どこまでが監督の責任と言えるのか分からない。


試合に呼ばれるのも、自分より圧倒的に上手いと思える人ばかりじゃない。チームのバランスもあるし、人によって評価も変わる。メッシくらいの選手にでもなれば、誰もが圧倒的に上手いと認めるだろうが、そんな選手は世界でも限られる。サッカー選手個人の技量を評価するのって、実は難しいことなのではないか?


ずっと勝ちたくて、一番になりたくてやってきた。しかし、サッカー選手個人の一番って何だろう。何を成し遂げれば、1番になったと言えるのだろう。誰がどうやって決めるものだろう。答えを教えてくれる人はいなかった。




ずるずると半端な気持ちを引きずったまま、大学3年になってしまった。


努力、才能、意識……。プロになるために、自分に足りないものは何だろう?考えてはみるものの、いつまで経っても答えは出ていなかった。


絡み合った思いを頭の隅に置いたまま、確信に満ちた目でより良いトレーニングのやり方を語り合う仲間を見ていて、ふと思う。


そうだ、あいつらにとってプロになることは、もはや当たり前なのだ。プロになることは始まりで、その先どこでどんな活躍をしたいのかを考えている。プロになれるなれないを考えている自分とは、土俵が違うのだ。


見据える目標も、世界も、何もかも。あいつらには及ばない。


分かっている。自分にはプロの道は厳しいことくらい。それでも、もしかしたらチャンスが巡ってくるのではという期待も捨てきれていなかった。サッカーが好きだし、頑張りたい気持ちは十二分にある。それにサッカー以外でやりたいことなんてない。


高校時代の思い出が浮かんでは消える。勝利と敗北。全国大会で見た景色。あんな風にがむしゃらに追いかけるものが他にあるだろうか。それでも、今自分は勝つための努力をしていると、胸を張って言えるだろうか。


大学3年生、試合にて


大学後の進路


慣れないネクタイを締めるのに苦戦する。何度か試した後、鏡を見て諦めることにした。もうこれでいいだろう。


就職活動よりサッカーの練習がしたい。という思いになんとか蓋をした。今日だけだ。たぶん。練習の時間を削るつもりはなかった。周りで就職活動を始めた人の話を聞いたので、乗り気にはなれないものの一応やることにした。まだプロになる道を諦めたわけじゃない。練習は一分一秒でも大切にしたかった。


しかし、スーツ姿の自分は違和感だ。着こなしがおかしいのか何なのかは分からない。今さらどうしようもないのだが、自信がなくなってきた。


ちらりと時計が目に入る。意外と時間が迫っていて焦りが湧いてくる。まずい、遅刻はしたくなかった。荷物をつかむと、慌てて家を飛び出した。


その日は、野村證券のリクルーターと会うことになっていた(「リクルーター」という制度も最近知った)。


約束の時間より前に到着すると、まだそれらしき人影はない。なんとか先に着いたようでほっとする。時間意識は長い体育会生活で自動的に刷り込まれたものかもしれない。時計を見ると、まだ約束の時間には余裕があった。


しばらくぼんやり待っていると、声を掛けられた。


「馬場勝寛君?」


声のした方を振り返り、そこにいる人を見た途端、思わず体が引き締まった。


力強く真っ直ぐな目が、こちらを見ている。慌てて挨拶。頭を下げると、ぴかぴかに磨かれた靴の先が視界に入り、またもや圧倒された気持ちになる。名刺を差し出される。まるでそれが特別なチケットか何かのように見え、大切に受け取った。


就職活動の状況や将来について簡単に質問されて、正直にまだ乗り切れていないことを答える。それから今度は反対に、金融の仕組みや証券会社の仕事内容についてその人は説明してくれた。


自信に満ちた口ぶり。それでいて、驕った感じがするわけでもない。優しいけれど隙が無く、秘められた闘争心のようなものが垣間見える。下手なことを言ったら詰められそうだ。この人と話していると、自分が小者に思えてくる。いや、事実そうだ。人としてのオーラが違う。


一言で言えば、かっこいい。


「それまでサッカーでプロの人たちと会ったり試合したこともあるなかで、それよりも圧倒的なオーラを発していたんですよね。顔とかじゃなく本当にオーラでしかない、醸し出す雰囲気というか。かっけぇな、自分もなろう、そうなりたいと思いました」


詳しく話を聞いていくと、証券営業という仕事自体の魅力も見えてきた。


証券営業では、数字という明確な指標がある。誰が一番であるかは明らかだ。サッカーにはなかったものだ。だから惹きつけられていた。


営業はいい。そこは分かりやすく、勝負の世界である。勝つか負けるか。一番になれるか、なれないか。今まで自分が追いかけてきたものに近い。だけでなく、今以上にやりがいがありそうだと思った。


個人で戦って、言い訳はなし。数字が全て。勝つための方法も自分で考える。そこで成果を出すことができたなら、本当の意味での自信がつきそうだ。


目の前にいる、今さっき「憧れの人」となったリクルーターはこう語る。


「証券営業っていうのは、富裕層を相手にする仕事なんだ。富裕層っていうのは人生の成功者、もしくは経営者、社長とかそういう人たちだ。会社に入ったばかりの若造が、そういう人たちと対等に話ができる仕事はなかなかない。そういう人生の成功者、富裕層と身近にいられることで、何より自分が成長できるよ」


その目の輝きが、言葉を証明しているようだった。


間違いない。自分にとって、理想の勝負の世界がここにある。


そこからの就職活動は、野村證券に入るために何をするかだけ考えた。ほかの企業は受けなかった。なんとしても入社すると思っていたから。リクルーターによる選考を進めてもらい、なんとか内定を勝ち取った。


振り返ってみれば、何かに導かれているようでもある。一番になりたくて努力して、それでも努力だけでは打ち破れない状況が目の前にあった。そこに誰かが今までなかった選択肢を提示してくれて、行き詰まりそうだった自分の人生が一変した。高校のセレクションも、夏のインターハイも、大学も。そして今、社会人としてのスタートだって、「人との出会い」が可能性を広げてくれていた。


もしもその人たちと出会うことがなかったら、自分の人生は一体今頃どうなっていただろう。不思議と自分は、こういう未来を魅せてくれる出会いや人の導きに恵まれていると思っている。


大学の卒業式にて


1-6. 野村證券


初めての大口受注


電話口から人の声がした。不安は心のなかに仕舞いこみ、一番ぴったりな声音で名前を名乗る。営業電話と分かると、相手の反応はさまざまだ。今日の相手は少し話を聞いてくれるようだった。少しでも何か糸口を掴めないかと話を繋ぐ。


しかし、結局だめだった。苦虫をかみつぶすような思いで、受話器を置いた。


そうだと思っていたが、決して優しい仕事じゃない。数字が全てだ。なかには脱落していく人もいる。それでも自分は、結果に真摯に向き合いたい。それが、自分が決めた勝負のステージだから。


パソコンの画面に、今月の成績が表示されている。これが自分の実力だ。いくつかの項目ごとに、分かりやすく順位となっている。数百人いる同期の中で、自分は下の方と言える。はっきり言って、このままではまずい状況だった。


最初は新入社員全体で研修を受けてから、それぞれの配属が発表される。自分はここ静岡支店へと配属されていた。


金融商品を提案し、口座を開設してもらう。それから顧客の大切な資金を預けてもらう必要がある。たとえば、100万円。学生時代の感覚で考えれば大きな金額だが、証券会社では相対的に小さな額ともいえる。自分はまだ、そんな小さな額を預かることにすら、なんだか戸惑いがあった。


証券市場は刻々と動いている。相場が下がれば、損失が出る。預かる金額が大きければ大きいほど、それだけ損失も大きくなるかもしれない。自分の提案次第で、お客様の資産が変わるのだ。大きな責任を伴うが、やりがいのある仕事ということでもある。


勝負。そう、これは勝負なのだ。結果を出せるか出せないか。1位になれるかなれないか。勝負なら勝つためにやる。


どんな不安があったとしても、振るわない成績に焦りが大きくなっても、サッカーで苦しかった時を思い出す。それを乗り越え、掴んだ勝利のことも。過去の成功体験はたしかに自分の自信になっている。だから、頑張ればできるはず。


電話営業、飛び込み営業。足りない何かを必死に埋めようと、とにかくできることを積み重ねる。自分にできることを兎に角やりつくそう。早く成果を出したい。続けざまに発信音を聞きながら、無意識に受話器を強く握りしめていた。




その日の電話口の相手は、とある中小企業のオーナーさんだった。みんなはアプローチを避けるような相手のようだった(会社の売り上げはあまり上がっていなかった)。でも、自分は誰よりも目の前のお客様、一人ひとりに全力で向かおうと決めていた。やって当たり前をやるだけじゃ足りない。自分で自分に言い聞かせた。考えるんだ、勝てる方法を。お客様のためになる何かを掴むために。誰よりも走りながら、しつこいほどに考えろ。


話をしていくと、どうやら元々かなりの資産家だったらしいと分かってきた。相手は不動産をたくさん持っているという。これはいけるかもしれない。他の人は当たらない開拓先もリストに入れていたことが、偶然にも功を奏したようだ。


ここが頑張り時だ。必死に相手の気持ちを汲んで、喜んでもらえそうな提案を考えた。自分という人間を信頼してほしい。証券マンとしての経験は足りないが、新人らしい熱意を訴えた。


「じゃあ、馬場君に任せるよ」


色よい返事。後から振り返ると、その時はまだ実力というより幸運だったように思う。お客様が熱意に応えてくれたおかげである。拙い提案だっただろうが、もらうことができた受注は1億円。


それが、1年目の10月の出来事だった。


初めての大口取引は自信になった。誇れる成功体験だった。それ以来徐々に大きな金額を提案できるようになっていき、預けてもらえる金額も比例して増えていった。諦めなかったからこそ掴めた自信が、自分を強くしていった。


さらに支店の優秀な先輩に囲まれて、少しずつ大切なことを学ばせていただいた。営業成績だけでなく、お客様との対応や人間性までも尊敬できる人たちだった。


入社して1年、年間の成績が発表される。自分は「資金導入」という項目で、600人中3位という結果を出した。


サッカーの世界を飛び出して、少しずつ見えるものが広がりつつあった。



3年間の成績トップ15


野村證券という会社に入り、3年が経った。その間ずっと数字で自分を証明しようと躍起になって走っていた。気づけば評価がついてきて、海外修練制度の対象に選ばれた。3年間の成績トップ15に入っていたからだ。


対象者は1年間、海外の語学学校か大学に通いながら、自由にテーマや課題を設定し取り組むことができることになっている。費用は会社負担。仕事というよりも、留学に近いものだった。ありがたくプログラムに参加させてもらうこととする。


誰がどの国に派遣されるかは抽選制に近い。自分はなんとなく英語圏がよかったが、指定された行き先は中国・北京だった。


分厚い曇り空の下、道行く人が大きな声で会話する。店頭に下がる赤い垂れ幕は、何やら力強く主張を発しているようだった。


海外で生活し、日本と違う文化に触れる新鮮さは言うまでもないものだった。毎日が驚きと発見の連続で、人生で味わったことのない解放感に包まれている。日本人の倫理観、国による制度の違いにハッとさせられることもある。投資に目を向けている若者が多いことも印象的だった。それから中国の人たちは、一人ひとりが勝ち残らなければというマインドを持っているように見えた。


留学先では営業から離れ、普段は考えないことを考えてみる時間もある。


世界って広いんだ。堂々たる天安門広場を見渡しながら、大きく空気を吸い込んだ。




日本に帰国後は、3年間お世話になった静岡支店を離れ、山形支店へと配属された。


一日の終わり。数字を見ながら無意識にため息がこぼれ出た。


今月の成果は芳しくなかった。新天地で自分に期待された役割は、支店全体の底上げ的な意味合いもあるのだと認識していた。これまでのように個人の成績だけ追っていればいいわけじゃない。人を育てる側に回ると景色も変わってきた。すると自分もまだまだ成長したいという思いは強くなる。


心の中は割り切れない。許されるならもっと自由に、もっと純粋に個で勝負したかった。


しかし、会社員としてお金をもらっている以上、きちんと期待された役割はこなさなければならない。やりたい、やりたくないには関わらず、やるべきことはやるものだ。それに自分は、この仕事に誇りを持っている。


横目で時計を見ると、わずかに既定の勤務時間を過ぎていた。窓の外は暗くなっている。集中していた思考を断ち切るかのように、パソコンの電源を落とす。ちょうど社会全体で働き方改革が叫ばれるようになり、会社として遅くまで働くことはできなくなっていた。


どれだけ時間を費やしてでも働くことをいとわない自分には、なんとなく肌に合わない感じがしてくる。もっと働きたい。もっと働いて、もっと貢献したいのに。


会社のことは好きだと思う一方で、この環境をもどかしく思うこともある。毎晩オフィスから出るたびに、積もった思いが外の空気に霧散していくようだった。



起業


その日、久しぶりに会う会社の同期と先輩に食事に誘われた。


「会社を作るから来ないか」


夢にも思わなかった言葉に、思考が止まる。強い意思を宿した眼。長年タフな商談と交渉をくぐり抜けてきた人の眼を前にして、ほんの少したじろいだ。


IFAという働き方があるのだと、二人は教えてくれた。Independent Financial Advisorの略称で、日本語では「独立系ファイナンシャルアドバイザー」とも呼ばれることがある。


証券会社など金融機関に所属して、決められた金融商品をお客様に提供する。そういった従来の証券営業とは違い、IFAは独立した立場からお客様の資産運用をお手伝いする。


会社が決める営業方針やノルマは存在しない。あくまで中立的な投資家の視点から商品を選別し、自由な営業手法で金融商品を仲介する。自分が本当に納得のいく商品だけをお客様におすすめできるというわけだ。


初めて聞いたがとても良い。なんとなく自分がもどかしく思っていたことも、IFAという働き方なら解消されるのではないかと思った。


会社が定めるコンプライアンスやルールの下ではなく、個人としての高いコンプライアンス意識と倫理観、人間性をもってして働く必然性がある。


お客様の資産を預かる立場として、自分がどうありたいか、自分がどうあるかが試される。さらに、それが数字という分かりやすい結果に反映される。自分を磨けば磨くだけ、その分価値を届けられるようになる。


純粋なる個の勝負だ。その方ができることも広がって、結果的にお客様に提供できる価値も大きくなるだろうと思えた。


日本ではまだ認知度が低いが、金融先進国である欧米では、長期的な資産運用に欠かせないパートナーとしての地位を確立しているらしい。二人はそのIFAが所属する資産コンサルティング企業を立ち上げようとしているという。


急に目の前に現れた、IFAという選択肢。それは、自分が求める理想の環境であるようだ。しかし同時に、そんなに良い話ばかりなのだろうかという疑問も沸いてくる。それなら証券会社の存在はどうなるのだろう。自分が今まで一番良いと信じてやってきた仕事の意義は。自分のため、そしてお客様のためを考えると、何が一番良いんだろう。


これまでと追いかける価値は同じだが、働き手としての在り方が根本的に異なってくる。なんだか信じてきた生き方が崩れていくようでもあり、心揺さぶられるような思いがした。


しかし、少しずつ二人の熱意が伝染してくる。IFAとはあくまで選択肢の一つであり、証券会社が合うお客様もいれば、IFAと付き合うべきお客様もいるということも分かってきた。話を聞いていくうちに、自分の中にも明るい火が灯っていくようだった。IFA、面白そうだ。それに今、自分が感じている歯がゆさの根本には、自分の責任と自由を求める心がある。


言われた通りに動いて成果を出すのではなく、自ら考え勝負する。純粋に個人の力が試される。自分が望んできた環境がここにある。


IFAになろう。会社を辞めて、先輩たちとともに働くと決意した。



「ありがとう」という言葉をもらい、固い握手を交わす。


IFAとして働きだしてから、一層その重みを再認識するようになった。お客様への提案の全責任は自分にある。だからこそ、頑張れば頑張った分だけ返ってくる。思った通り、自分にとっては働きやすい環境だった。


それは、同僚との会話にも表れていると感じることがある。


一般的な会社では、誰かにやらされているという意識があるからこそ、上司や環境への愚痴が生まれてくる。会社員であればそういったネガティブな感情を吐き出すこともあって然るべきではあるものの、IFAになってからは、あまり聞かなくなった。


それよりも、どうしたらもっとお客様へ価値を提供できるのか、どんな銘柄が上がりそうかなど、前向きな議論をすることが増えている。おそらくIFAとして働くからこそ、自然と建設的な議論が交わされるようになる。お客様一人ひとりに最適な提案を、答えのない場所から考え抜いて見出そうと努力する。働く個の力と意思が、自分たちだけでなく、お客様のためにもなるのだと痛感せずにはいられなかった。


「僕は証券会社や銀行の働き方を否定しているわけではないんです。選択肢があるなかで、個人個人が選べばいい。でも、知ってるのと知らないのでは違うわけですよ。IFAという選択肢を知らないなかで、そこに居場所がないと思っている人がいるのなら、選択肢を増やしてあげたい。働き手にとっても、お客様にとってもです。これはIFAになったから、本気になれたことでもあります」


株式会社Innovation IFA Consulting(旧 株式会社Horse IFA Partners)を創業したのは、2019年2月のことだった。


きっかけは、前職の人事制度改定も手伝った。フルコミッション制が一部固定給制に、報酬体系が変更になったのだ。やった分だけ返ってくるフルコミッションは、その責任も全て自分にある。固定給は、自分がやらなくても返ってくるものだ。お客様の利益に、自分が全責任を負っている。自分はその感覚を持ちながら働くことを求めていた。


人によって善し悪しが変わるものではあるが、自分が目指す働き方は別にある。守るべきコンプライアンスやルールが存在するのは当然ながら、一人ひとりが責任をもって個性を生かしながらお客様に本気で伴走できること。その成果が自分の報酬に、よりダイレクトであること。その自由の存在が、本質的にお客様の利益に繋がると信じている。


人生を何に捧げて働くか。信頼してくれるお客様のために、そして社会のために働きたい。だから、そのために一番良い環境を自分でつくろうと考えた。


いまだIFAという選択肢を知らない、金融機関に勤める全ての人とそのお客様のために。Innovation IFA Consultingは、新しい選択肢を提示していく。



2章 Innovation IFA Consulting


2-1.  IFA業態初の上場会社グループ


2019年6月、金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」が公表した報告書を発端に、「老後2000万円」の備えが必要になるという試算が世の中を騒がせた。


2000万円という金額には賛否両論あるものの、いずれにせよ将来に向けた資産形成に、かつてないほどの注目と需要が集まっていることは間違いない。


金融後進国ともいわれる日本。手元にお金があったとしても、貯蓄以外の選択肢を知らないために、現預金として眠らせている人が多くいるように。日本人の金融リテラシーの低さは、証券会社に勤めている人ならば誰もが感じるものであるという。人口が確実に減っていき、公的な年金制度の限界も見えてきているなかで、私たち自身が個人できちんと資産を形成していく必要性は、今後ますます高まってくるだろうと馬場は考える。


時代に必要とされる、一人ひとりの人生設計に則った投資運用。その長期的なアドバイスを提供できるのは、会社の制約に縛られず、独立中立的な立場から最適な提案を考えられるIFAという存在にほかならない。


「銀行、証券、保険に並ぶ4つ目の選択肢として、IFAを社会に浸透させたい。あくまで選択肢なんですが、銀行、証券、保険じゃなく、IFAと付き合うべきお客様っているんです。そうした人たちが、潜在的に求めているはずの選択肢を知らない状態はなくしたい。10年後には、IFAが第4の金融機関というカテゴリになっていることを目標にしています。その時に弊社がリーディングカンパニーとしてあるように、まずは人を採用し、支店を出すなどして、少しずつ地方も含めた認知度を向上させていきたいと思っています」


2020年2月、Innovation IFA Consultingは株式会社イノベーションの子会社化。上場企業グループの傘下に入った初のIFA企業となった。


お客様の大切なお金を預かる金融機関として、何より大切なことは信用にある。


社会においてIFAが黎明期にある現在、お客様にとって、また働き手にとっても安心して選択できる基盤を作ること。さらにより多くの人にIFAという存在を認知してもらい、当たり前の選択肢としてのIFAを創っていく。上場企業への子会社化は、そのために必要な一歩でもあった。


IFAという存在が、当たり前の選択肢となる社会に向けて。Innovation IFA Consultingはたしかな歩みを進めていく。



3章 IFAへ挑戦を考える人へ


3-1.  生涯パートナーであり続けるために、全員が「経営者」


現在、欧米には約30万人のIFAがいる。対して日本は約3000人。人口比を考慮に入れたとしても、そこには10倍以上の開きがある。まだまだ普及までの道のりは遠い。


なぜ、ここまで日本は普及が進んでいないのか。金融リテラシーのほかに要因はあるのだろうか。


「まだまだ制度が整ってない部分もあるんじゃないかと思います。あとはやっぱり自分自身もそうだったんですが、証券会社に勤める人にとっては、会社を辞めてIFAになるって、今までの自分を否定している気持ちにもなるんですよ。これは良いと思ってやってきたのに、実はもっと良いものがあるとなるのは、否定したくなる気持ちも当時あったかなと思っていて。それでも僕は合理的に良いと思えたからIFAになったのですが、新しい選択肢で大丈夫なのかと思う人も絶対にいるだろうし、もしかしたらその考え方が正しい可能性も今後出てくるかもしれないわけで、僕たちが正解にならなければいけないと思っています」


どんな金融商品も、損をする可能性はゼロではない。それでもお客様のためを考え抜いて、本気で良いと思う提案ができる自由。与えられた選択肢ではなく、自らの責任で選択肢を創出していける自由。その自由こそ、IFAが生涯のパートナー足りえる所以である。


たとえば、証券会社に属している立場では、ときには営業成績のために、本音で良いと思えない提案しなければならない場面もあるかもしれない。(それでも最善を提案するだろうが、)無理な取引が損失に繋がれば、最悪の場合、お客様は離れてしまうことになる。


一方、お付き合いのあるお客様が離れてしまうことは、個の力で闘うIFAにとっては、最大のリスクである。「お客様の生涯」を目的にするIFAでは、今後のお客様との関係に大きく影響を与えかねない。だからこそ、長期にわたる信頼関係を構築し、お客様の利益に貢献しつづけることを最優先に考える。ノルマや自分の成果のためでなく、お客様のために本音で向き合う提案が構造上できるようになっている。


Innovation IFA Consultingでは、その考え方を理解し共感してくれる人を採用し、組織として拡大させていく方針だ。


なかでもInnovation IFA Consultingでは、フルコミッション制度を採用し、利益が働き手に還元されることを大切に考えている。会社から与えられたノルマを追うのではなく、自ら望んで成果を追うからこそ、利益に繋がる。IFAとしてある程度稼げる仕組みを整えることが、お客様の幸せに、ひいては社会の幸せに繋がる土台をつくる。その考え方は、採用にも反映されている。


「IFAが幸せにならなきゃいけないというロジックで言うと、採用では、その人がIFAとして食べていけるかという点は見ています。会社としては働く人の生活を担保しないといけないわけですが、フルコミッション制を用いている以上、その人が稼げなければ給料をお渡しできない。さらに、IFAはプチ経営者の集まりだと思うので、会社の指示を待つような人、受け身の人は向いてない。自律性が高い、自分で考えて行動できる人が向いていると思います」


お客様の人生に寄り添うことができるIFA。その数は、近年日本でも増加の一途をたどっている。


社会から必要とされる、生涯のパートナーとしてのIFA。そのあるべき姿を描いていく挑戦が、ここにある。



2020.04.15

文・引田有佳/Focus On編集部



編集後記


「プチ経営者集団」


IFAが企業集団として発展していくために重要な思考であると、馬場氏が語るものである。


組織風土として「全員が経営者たれ」というような思考が求められてきたシーンは、これまでも多くの企業にみられてきたが、馬場氏の言葉は、そこで語られている「経営者」の言葉がもつ意味とも一味違うように思えてならない。


これまで語られてきた「経営者たれ」という言葉は、従業員の精神性として求められていたものであろう。従業員もが経営者の視点に立ち思考するからこそ、持ち場の経営の最適化がなされ、全社の経営が最適化されていく。といったものである。ただし、そこでは必ずしも経営者として思考しなくとも、その行動が充分でなかったとしても、企業としては成立する場合がある。その点から考えると、それは言葉における「経営者状態」であり、実態上の「経営者」であるとはいえない。


しかし、ここInnovation IFA Consultingでは、収益もお客様への貢献も実態上従業員個々の責任となる。つまり、一般的に企業で用いられる「経営者たれ」という言葉以上に、「経営者」であることが求められているといえる。


それは、同社に所属する全ての社員が個々の力で「食べていける」状態でないと採用しないという馬場氏の言葉からも伺える。自身で責任を持って行動することなしに、お客様への貢献は為されない、そして自分の収入にもつながらない。全てが自分の責任の集団なのである。


だから、「プチ経営者」の会社なのである。真の意味でそうあることを求めるからこその表現であり、その実態と責任を刻銘に表している。結果として、「プチ」という言葉が逆様にリアリティを与えられているのだ。


実態上の経営者であることの精神と、それがもたらす企業としての成長について、マクレランドの欲求理論を土台に、どのような心理的特性がアントレプレナーとしての成功をもたらすのかについて触れた研究がある。


権力動機と,事業文化が,「過去3年間の売上高の伸び率」という"企業の業績" に影響するということが明らかとなった。

―中部大学経営情報学部経営学科教授 大津 誠、同准教授 西田 豊昭


※「マクレランドの欲求理論」より 権力動機が強い人の特徴

・責任を与えられることを楽しむ

・他者をコントロールして影響力を行使しようとする

・競争が激しく、地位や身分を重視する状況を好む

・効率的な成果よりも信望を得たり、他者に影響力を行使することにこだわる



馬場氏の生き方・働き方を見ると、

①IFAという事業形態からもたらされる、お客様への全責任を負うことを喜びとし、

②それによりお客様に与える「影響」にも同時にすべての責任を持つ。

③だからこそ、お客様からの信望が産まれる。そこに短期的効率や、会社としての都合または効率が優先されることはない。


さらに、それらの精神はInnovation IFA Consulting に所属する「プチ経営者」である全社員へ希求されるものである。だからこそ同集団は、社会の未来を描き、一歩ずつその道筋を創り出してゆける。


「プチ経営者」。このリアリティを持った気概が、日本に第四の金融機関を生みだすのだろう。



文・石川翔太/Focus On編集部



※参考

大津誠・西田豊昭(2004)「アントレプレナーの心理的特性と企業業績」,『経営情報学部論集』18(1・2),中部大学経営情報学部,pp.33-54,< http://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=XC17100036&elmid=Body&fname=B01_018_033.pdf >(参照2020-4-14).

デイビッド・C・マクレランド著;梅津祐良,横山哲夫,薗部 明史訳(2005)『モチベーション : 「達成・パワー・親和・回避」動機の理論と実際』生産性出版.

杉山浩一(2009)『図解入門ビジネス最新リーダーシップの基本と実践がよ~くわかる本』秀和システム.




株式会社Innovation IFA Consulting 馬場勝寛

代表取締役社長

1990年生まれ。茨城県出身。2013年筑波大学体育専門学群卒業。2013年野村證券株式会社入社。静岡支店にて中堅企業とそのオーナー様を担当し、その後、本社人材開発部付きで、海外修練4期生として中国の北京へ渡航。帰国後は、超富裕層含む延べ1000人の資産管理に携わった後、2018年にIFAとして独立。2019年2月、株式会社Horse IFA Partners(現株式会社Innovation IFA Consulting)を創業し、現在に至る。趣味はサッカーで、高校時代にはインターハイで全国制覇。個人では大会優秀選手に選出される。

https://innovation-ifa.co.jp/