ものごとの「裏」から見える世界 ― 法則の発明師の挑戦

その仕事は自分の「生きがい」か?それとも、「せざるを得ないこと」だろうか?


テクノロジーの力を駆使し、空間価値を最大化させていく株式会社VSbias(ブイエスバイアス)。同社が提供するのは、ビッグデータを活用した宿泊施設への投資・経営サポートやリノベーション、運営ツール提供など、データドリブンな宿泊施設の支援事業だ。そのほか、スマートロックやタブレットを活用した無人型宿泊施設「Commune」を運営するなど、テクノロジーをもって世にない新しい仕組みを創造している。22歳現役大学生のとき創業7ヶ月でメタップスに事業を売却し、子会社社長となった代表取締役の留田紫雲が語る「生きがい」とは。



目次

1.誰も解決できないこと

  問題解決

  何を解決する事業か


2.何者であるかの証明

  教科書の先を求める

  いつ死ぬんやろ

  サッカーが教えてくれたこと

  プロからアマへ

  ないならつくる


3.世界の仕組みを変える

  働いても働かなくても生きていける世界

  生み出す工程は変化させられる


4.おわりに



誰も解決できないこと


問題解決


誰も発明していない勝利の法則が分かれば、サッカーの試合で100%確実に勝つことができるのではないか。誰も考えもせぬその法則を、多くの人は鼻で笑うかもしれない。でも、立ち止まって考えてみるとどうだろう。社会を進歩させていくうねりの中心には、いつの世も、常識とされるものを疑った誰かの存在があった。


6歳からサッカーを始めた留田氏は、中学からガンバ大阪のジュニアユースチームに所属、15歳のときにはサッカーの世界大会に出場するなど、10代で世界の舞台に立っていた。サッカー選手になる夢を諦めたのち、大学在学中からはビジネスに興味をもち、通信機器の営業から広告代理店でのコンテンツ制作、AIによるデータ解析・マーケティング支援を行う会社でのメディア責任者や、不動産ディベロッパーにて外国人向け賃貸集客事業の責任者などを経て、独立。22歳のとき株式会社VSbias(ブイエスバイアス)を起業すると、創業7ヶ月で株式会社メタップスに事業を売却し、同社で最年少の子会社社長となった。


「テクノロジーによる空間価値の最大化」をミッションとする株式会社VSbias。宿泊施設の支援事業を展開する同社では、ビッグデータを活用した宿泊施設の投資収益シミュレーションやリノベーション・運営に至るまでのトータルサポートなどによって、より付加価値の高い空間コンサルティングを実現している。2017年11月には、スマートロックやタブレット、AIを活用した次世代の無人型宿泊施設「Commune」を大阪市にオープンしたばかりだ。


「誰もが解決できないだろうと思う、やり方を分かっていないものに対して、答えを導き出すことがすごく好きなんです」


いまだ世にない問題解決を原動力に生きてきた留田氏の人生に迫る。


何を解決する事業か


世の中には、なぜかは分からないが「それが正しい」と信じられている価値観や思想がある。幸せに繋がるものであればいいが、そうではないものもある。果たしてそれらは本当に変えられないものなのか。私たちは思考を止め、不変の日常としてそれらを受け入れてはいないだろうか。その会社は、偏見と闘っている。


株式会社VSbiasは、テクノロジーの力で空間資産を解明・最大化させる。宿泊施設のサイト掲載から収益化までを一元化するツール「Baberu」や、ビッグデータを活用したホテル投資サポートサービス「エアリノべ」など、同社のサービスは空間資産を提供するオーナーと利用するユーザーに革新的な体験を提供する。



創業のきっかけは、留田氏がフリーランスとして不動産ディベロッパーが保有する賃貸物件の集客を手伝っていたときのことだった。日本人向けの賃貸情報サイトはあふれるほどあるが、外国人向けのものは全くない。当時関西学院大学の国際学部に在学し、周囲に外国人の友人が多かった留田氏は、彼らが家探しにとても困っている現実を知った。住居を借りるときに必要となる保証会社が外国人を敬遠することや、年配の方が多い不動産オーナーから見た外国人への悪印象が大きな問題だった。東京だけでも50万人を超える外国人が住んでいて、家探しに困っている(出典:東京都総務局統計部)。しかし、誰もその問題を解決しようとしていない。


「家探しに困っている外国人に対して、手軽に借りられる物件を紹介するサービスがあれば、物件オーナーにとっても、外国人にとっても良いんじゃないかと思って、それで外国人向けの賃貸サイトとかを作ったのが最初なんですよね。3カ国語とかで見られて、ちょっと部屋も見やすいUI(ユーザーインターフェイス)もきれいなやつ作ったりして。そこから外国人からの問い合わせが一気に増えて、やっぱりニーズがあるなと思ったときに、もっと色々できないかなと考えたんです」


当時、賃貸集客の一環としてAirbnbにも物件情報を載せていた留田氏。Airbnbからの流入は多かったが、相場観がおかしいことに気がついた。普通の日本人の感覚では、恵比寿のワンルームで月10万円から14万円程度。しかし、Airbnbを通して初めて海外から訪れる外国人は20万円でも泊まるという現実があった。これほどの相場観の相違があるのであれば、日本人には不人気な物件であっても、外国人の好みにリフォームしたり、少し手を加えるだけで、かなりの付加価値をつけられるのではないかと考えた。


「民泊事業というよりは、空間コンサルティングでしたね。日本人向けには上手くいってない賃貸物件をアレンジして、外国人向けに変えて付加価値を生み出す。過去にやっていた仲介となると、人を流すだけなんですよね。もちろんそうでない会社もありますが、悪く言ってしまうと、不人気な物件でも、営業力や情報格差を用いて無理やり成約させるような仲介会社もあります。やっていることとしては正義感もないんですよ。これはどの業界もそうかもしれないんですけど、不人気なものは広告料が高いことが多いので、そこに対して人を流すことはある程度、ビジネスとしては上手くいったんですけど、自分の会社として本当に何年もやっていくことを考えたときに、この事業を伸ばしていいのかなっていう思いがあって」


顧客に選ばれない物件の理由は立地などさまざまだが、空間を変えることで一定の付加価値がつくことは確かだ。何もない部屋に、おしゃれな家具を配置するだけでイメージは変わり、ユニークなコンセプトを具現化した部屋であれば、海外の観光客から喜ばれる。


不人気な物件にそのまま頑張って集客しても正義感も大義も感じられない。一方、空間自体の価値を上げていくことで、さらに高い値段でも喜んで利用する人が生まれる。顧客に求められている価値をもう一度見直し、構造を変えて新たにサービスを生み出すことで、社会問題さえ解決するような事業を成すことができると感じた。


すでに世にある仕組みの追随ではなく、いまだかつて世にない仕組みを創出するからこそ社会の問題を解決できる。VSbiasは物事の本質を見極め、長い年月を経て当たり前となり、そして古くなってしまい時代に合わなくなった仕組みを塗り替えていく。



何者であるかの証明


教科書の先を求める


父親の育て方は特殊だったと、留田氏は振り返る。3兄弟の三男として生まれた留田氏は、小さいころから、社会構造やお金にまつわる知識、習慣の大切さなどを教えられたという。


「『金持ち父さん貧乏父さん(ロバート・キヨサキ著)』や『道は開ける(デール・カーネギー著)』、『7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)』といった名著は、僕が中学生のときに無理やり読まされて、本に書かれていることの実践までさせられました。資産と負債の違いや、資産家と労働者の違い、良い習慣を持つことの大切さなどは、いまになって考えると、すごく良い教育だったなと思いますけど、当時はずっと嫌でしたよ。そんなこと一切思ってなくて、すべて反発してました」


いまとなれば分かる、生きる上で大切な考え方。当時は父の教えに反発していたが、考え方によって確かに人生は変わっていく。


「あとは、結構兄弟って比べるじゃないですか。兄二人は年が離れていたので、僕は常に負けている状態からのスタートだったんです。そういうところもあって、昔から向上心は醸成されてきたのかなと思います」


二人の兄への対抗心、個として勝てる自分になりたいという思い。父親のプロフェッショナル教育も相まって、それは人並み外れた「個」を証明する向上意欲へとつながった。勉強にスポーツ、幼少期から何事も突き詰めるようになっていた留田氏。学校の勉強もそうだった。


「学校の勉強は好きだったんですよ、普通に苦じゃなかった。だから結構うざい感じで、クラスに一人いるような、教科書に載ってないところまで何でも先生に質問するやつでした(笑)。教科書に載っていることって、表面上のフレームワークみたいなところばっかりじゃないですか。実際それが何でそうなってるとか、その前後の背景がどうなったとか、これとこれを組み合わせるとどうなのかとか、教科書のその先に興味があったんです」


自らを向上させる学びを追求した結果、表面的なフレームワークではなく、それが生まれた背景や、より広い活用方法にまで興味が向いていた。留田氏が学校教育に求めたのは、フレームワークを越えた本質を理解し、生きていく上で使える糧とすることだった。


物事の本質を知ることは楽しい。すでに読破済みの教科書をなぞるだけの授業はつまらなかった。考え方が人生を変える。そのためには物事の表層ではなく、本質や構造を理解し、人生に活かしていく必要がある。父の教えは、幼い留田氏の貪欲な学びの姿勢を形作っていた。



いつ死ぬんやろ


塾に通わずとも、中学のときから勉強はできる方だった。当時の留田氏の生活といえば、学校が終われば片道1時間半もかかるサッカーの練習へ向かい、帰宅するのは夜の11時くらい。バスに乗っている間の1時間が唯一、学校外で勉強する時間だった。ほかの学生と違って、毎日1時間ずつこつこつ勉強することを習慣としていたので、わざわざテスト勉強する必要もないほどだった。


「勉強しなさい」と両親から言われたことはない。なぜなら、大切なことはもっと生きることの本質に迫るものであるということを両親も理解していたからだ。誰かに教えられるわけでもなく自主的に勉強していたのは、単純な学問への興味と、「せざるを得ない」という感覚があったからだという留田氏。並外れた向上心とともに、そこにはある種の強迫観念のようなものがあった。


「いつからか覚えてないんですけど、小学校のときから、死ぬことが怖いと思っていたんですよ。夜寝る前に『いつ死ぬんやろ』とかずっと考えていたんですけど、そのときに自分が何者でもないことが怖いなと思って。何者であるかの証明をしたいと思っていたんです、ずっと」


死を意識しだしたのはいつからなのか、またそれはなぜなのか、はっきりとは覚えてはいない。おそらく自分のなかに、いま生きていることの存在価値を見つけられなかったのだろうと、留田氏は振り返る。当時は強い向上心から負けず嫌いで、勝利への異常な執着があった。二人の兄や周囲と自分を比較し、その差異にばかり目が向いていた。ほかの誰かよりも自分の存在を、勝つことで証明しなくてはならない。そのせいで、友達がほとんどできなかった。


「闘志むき出しの小学生みたいな、ほんとに異常でしたね。ずっとキレてるみたいなイメージです。いまでこそ心の中では悔しいと思っても表へは出ないようにする力があると思うんですけど、当時はそれがなかったので表へ筒抜けで、誰も絡みたがらない(笑)」


サッカーの練習中、1対1でドリブルの抜き合いをする。そんな小さな遊びですら負けたくはなかった。あまりにも闘志がむき出しで社交性がゼロ、誰の声にも耳を貸すことはなかった。友達と仲良くなる能力が全くなかったと語る留田氏。とにかく自分が生きる価値を見出すことに必死だった。本当に親友と呼べる友達ができたのも、ずいぶん大きくなり高校生になってからのことだという。生き急ぐように、そして異常なほどに、自分が何者であるか、存在価値を証明することに情熱を傾けてきた。だからこそ、それを証明する手段として誰よりも勝ちにこだわる留田氏がいた。



サッカーが教えてくれたこと


Jリーグが開幕した1993年。留田氏が生まれたのは、その翌年だ。日本においてサッカーがとびきり熱を帯びていた時代。それは、サッカー経験のなかった父親すら熱狂させ、3人の息子はもれなくサッカー少年に育て上げられた。


勝ちにこだわる性格だった留田氏。サッカーでの勝利とは、すなわちチームの勝利を意味する。どうすればチームが勝つことができるか、考えはじめれば楽しくて止まらない。特に面白かったのは、勝利の法則を見つけることだった。


「サッカーは野球と違って、試合中一つとして同じプレーが存在しないんですね。ただ、似ているパターンはめちゃくちゃあるんです。そのパターンがどういう風に動いてるかとか、要は局面の連続性なのでパターン分析はできるんです。だから、勝つってところに対してひもづいているパターンや法則を見つけていくところが面白かったですね」


どういったパターンが勝利に近づいているか、劣勢と優勢それぞれの局面の戦い方は何か、チームの相性はどうか。分岐する選択肢のなかで、それぞれどんな戦略が正しいのか考える。本質や構造を理解して、再現性をもたせる。フレームワークを越え本質を求めた勉強と同様に、小中学生のころから無意識にそんな楽しみを見出していたようだ。


「いわゆるクラッシャーと呼ばれるような相手のエース潰しとか、よくやってました。いかに相手チームの雰囲気を悪くするかとか考えて、結構徹底してやっていたので嫌われてましたね」


小学校のときは、そこまで目立った選手でもなく、市で選抜される程度だったが、中学からはガンバ大阪のジュニアユースに入団した。ポテンシャル採用のような枠だったと語る留田氏。周囲のメンバーは県や全国で活躍してきたような、小学生ながら名の知れた選手ばかり。留田氏はなかなかついていけず、レギュラーにもなれなかった。中学1、2年のころはずっと腐っていたという。


転機が訪れたのは、チームの全国優勝だった。チームは世界大会への出場権を獲得し、8ヶ月後の大会に向けて、もう一度出場選手を選抜し直すということになっていた。中学3年の留田氏のなかで、一つの大きな目標が見つかった。


「危機感がすごくて、『ここで負けたら、このまま俺の人生は負け戦や』みたいなことを、15歳のときに思ったんです。そこから自分のなかで色々なことがガラッと変わっていったんです」


ここで頑張れなければ、自分はいつ頑張るのか。このまま何者にもなれず、人生を終えるのか。それまでの留田氏は、誰に何を言われても半ば諦めた状態で聞き流していた。目標ができたことで、振る舞いやモチベーションが変わっていった。「上手くなってレギュラーになりたい」という一心で、指摘されたことをすべて受け止め、自分のなかで整理し、修正したことをプレーで表現する。さらに、それがうまくいったかどうかまで分析したという。


「そこから毎日ノートに、その日監督に言われたこととか、ほかのメンバーに対して言っていたこととか、自分が気づいたこととか全部書いて。最終的に思ったのは、試合に出るためには結果がもちろん大事で、結果を出すためには人の意見を聞くことも大事だ、ということでした」


ノートに書いたことを毎日意識して練習に取り組んだ結果、BチームからAチームへ。Aチームでも試合に出られるようになり、ついに最後の世界大会のメンバーに選抜された。その成功体験は、強く留田氏の中に残った。


「とにかくまずは監督が求めているプレーをやるっていうことに集中したんです。そうすれば結果もついてくるようになって、試合にも出やすくなりました」


それまで誰の言うことにも耳を傾けてこなかったが、人生で初めて、人の言うことを聞くのも大事なのだと気づくことができたと語る。サッカーを通じて、そんな当たり前のことに気づくことができた。



プロからアマへ


留田氏にとってサッカーは、自らの存在価値を証明する手段の一つだった。サッカーで結果を出すことで人に影響を与え、存在を証明できる。世界大会に出場し、プロの世界を目指すことも考えていたが、結局その道は諦めることとなる。


プロのサッカー選手として、真に自分の存在価値を証明できるほどの存在を志すからには、グローバルに活躍し、どの国に行っても名の知られているような存在になりたかった。それまでの日本人の常識を越えるような選手となり何か世の中に影響を与えていく。無意識に妄想していたのは、そんな姿だった。


世界大会に出場し、その道がある意味で現実味を帯びようとしたとき、自分が思い描いていた理想と現実の自分のレベルでは、距離があまりにも遠いことに気がついた。本田圭佑選手や香川真司選手など、自分より遥かに世界で活躍している日本人選手ですら到達していない理想が留田氏にはあった。しかし、そこへ向けて登っていくこと、自分がサッカーを通じて人に与えることができる影響、どれも思い描いていた理想にはほど遠いように感じられ、プロの道は諦めた。ほかの道を模索しはじめた留田氏は、ガンバ大阪のユースには上がらず、高校のサッカー部に入ることにした。


「(サッカー以外でも)たぶんどこかで自分が解決できる問題があるだろうし、それによって何か影響を与えたりできるんじゃないかなって思ったんです」


プロチームの環境から一転、アマチュアといえる環境へと移った留田氏。「全国大会が当たり前のチーム」から「全国大会に行きたいチーム」へ。そこには、大きな隔たりがあった。結果がすべてという実力主義の環境から一変し、高校では先輩後輩の関係も大切だった。先輩にストレートにものを言えば、わだかまりが残ってしまうこともあると学んだ。


「当たり前の環境がガラッと変わって一年くらい苦しみました。そこからだんだんその環境に慣れていって。それまではとにかく勝つためにサッカーをやっていたんですが、高校ではそれは二の次で、もちろん勝つことも大事なんですけど、チームで楽しいプレーをするとか、やっていて楽しいサッカーをするっていうことが割と上位に来ていましたね」


それまでの当たり前が当たり前でなくなり、留田氏の目は、人とのコミュニケーションに向きはじめた。勝利に自分が向かうだけでは勝つことができない。いままでは監督の言われたことに従うだけだったが、自分たちで戦略を提案したり、チームビルディングの視点をもつようになった。


「あくまでもストレートに言わずに褒めてから伝えるとか、コミュニケーションとか心理学的なことも勉強して実践してました。そのときに心理学とか経営学の本を読んでいたんですよ。藤田晋さんや稲盛和夫さんの本とか、高校時代、部活帰りに途中の本屋で2時間立ち読みして、『これ試してみよう』みたいな」


本から組織論を学び、チームビルディングに活かす。純粋にプレイヤーとして最高峰を目指していたころとは、目線が変わっていた。サッカーをプレーすること自体を楽しむチームをつくる。それによって、証明できる存在価値もある。そこでは人とのコミュニケーションを大切にした方が、チームを引っ張りやすく、価値も生み出しやすい。自分だけでなくチームに価値をもたらすために、留田氏の戦い方、あり方が変化していった。



ないならつくる


サッカーのためにと自然に手に取った経営・組織にまつわる本。堀江貴文氏など経営者の本に触れるうち、高校3年生のころからビジネスに興味をもつようになったという留田氏。大学1年生のころには、自作のiPhoneケースを知り合いに売る商売をはじめていた。ビジネスを明確に意識していたわけではなかったが、人に価値を提供し、その対価としてお金を得るということに興味をもち、さまざまな領域に挑戦していった。


「当時iPhoneのケースは黒か赤の単色くらいしかなかった時代で、もっとデザインとかブランドとか出せばいいのにって思って。出るまで待てなかったので自分で作ったのが始まりでしたね。いまでも、自分が関わっている範囲内で『もっとこうしたらいいのに』と思うけど、現状解決されていない問題が、一番自分のビジネスの発想になっていると思います」


欲しいものがまだ世に存在しないのであれば、自分で作ってしまえばいい。できないのであれば、できる方法を考える。幼いころから存在価値を証明しようとしてきた留田氏にとって、誰もが成し得ていない道こそ、挑戦しがいのあるものだった。


3、4ヶ月はケース販売のビジネスを続けたが、安価での大量生産では面白みもなくなってくる。当時は堀江氏の影響でITに興味をもっていたこともあり、デザインからプログラミングへ、今度は開発を学んで動くものを作ろうと考えた。


「周りにエンジニアが一切いなかったので、とりあえずネットで調べてRubyを勉強しようと思ったんです。本を買ったんですけど結構難しくて。どうしようかと考えていたときに、いったんどこかで学ぶのも大事かなって思ったんですよ。それまでずっと一人でやっていたので。そのときインターンって表現はなかったんですけど、ちょうど一個上の先輩に企業で働いている人がいたので、話を聞きに行ったんです」


先輩にプログラミングをやりたいことを話すと、快く「うちに来い」と歓迎し、その企業の人事を呼んでくれた。当時の留田氏には話の内容は難しくよく分からなかったが、その姿は輝いて見えた。インターンのような立場で入社してみると、iPhoneなど携帯を商材として扱う販売代理店だった。


「プログラミングの事業部もあるみたいなそういうことを言われたんですけど、入ってみたら無い。プログラミングとか関係なく、営業会社だった(笑)。でも、それはそれで結局良かったんですね。18歳のとき、ほんとに働くっていう経験が初めてだったので、それはそれで楽しかったんです」


夢中で仕事に打ち込むうち、営業リーダーとなった留田氏。社員やインターンという概念を越え、チームのメンバー、会社をどれだけ良くできるかを考えていた。たとえば、会社全体の商談の成約率を上げるために、トップレベルの営業マン一人ひとりのアポイントのパターンを分析し、自主的に売れる仕組みを作っていく。事象の背景を探り、うまくいく法則を見つけ出し、現場で機能する形でアウトプットする。問題解決こそが、留田氏の原動力だった。


「何かやるとき、ロジカルに否定するのって簡単だと思うんですよ。僕は逆で、解決できるかどうか分からない問題とか、正解があるかどうかわからないような1%の成功とか、そこに対して上手くいく道筋を見つける方が楽しいなって思うんです」


「できない」と言うことは、誰にでもできる。だからこそ、誰もが解決できないと考える問題に対して、解を導き出すことが面白い。一つのパズルを解くことができれば、次はより難しい問題へ。成功体験を積むことで楽しさを知り、より難しい問題へと挑戦していく。留田氏の歩む道は、そんな挑戦の連続のなかにある。



世界の仕組みを変える


働いても働かなくても生きていける世界


サッカーはゴールが明確で、登る道筋もある程度決まっていたのに対し、ビジネスは目的もさまざまであり、それによって解決方法のパターンが無数にある。マネジメントと一口に言っても業界や会社のフェーズによってその手法は異なってくる。戦い方が無限にあり、問題解決の究極の形ともいえるビジネスに魅了された留田氏。2015年、大学在学中にVSbiasを起業。それは、まだ誰も発明していない解決方法を追い求め、自身の存在価値を証明する道の始まりだった。


「自分の本当のモチベーションの源泉っていうのは、『自分の存在価値ってなんだろうか』っていう、そこだと思うんです。それを証明しようと考えると、サッカーで勝つ方法を考えていたときと同じように、『まだ誰も発明していない解決方法って、もしかしたら発明できるかもしれない』と考えるんです」


いまだ社会で解決されていない、誰も解決方法を見つけられていない問題の解決方法を見出し、自分の存在価値を証明していく。現在、留田氏が挑戦しているのは、「人が労働をしなくてもいい仕組み」をつくることだという。


「働いても働かなくてもどちらでも生きていける世界をつくりたいなと思っているんです。そうなれば人の時間の使い方がまるっきり変わるので、それによって新たに生まれる産業があったり。いまって仕事は『せざるを得ない』ことがほとんどだと思うんですけど、本当に仕事が生きがいだと思っている人は、仕事しなくて生きていけるとしても働くと思っているんです」


資本主義や、生産者と経営者の関係性など、現代社会の仕組みにおいて、仕事とは多くの人にとって「せざるを得ない」ものであろう。しかし、その状態を脱却することで初めて見えてくるものがあるのではないかと、留田氏は考える。


「いまこういう世界に生きているからこそ、仕事は『労働』というお金を稼ぐ意味の概念と同義だと思うんですけど、僕が実現したい未来の世界では、仕事ってただ単に『自分のやりたいことをやっている』という概念になっているはずだと思うんですよね。せざるを得ないからやっているんじゃなくて、自分の生きがいとしてこういうことをやっているんだっていう。むしろそっちのほうが人類的にハッピーなんじゃないかと思っていて」


誰もが自分のやりたいことをやっている世界。せざるを得ない労働ではなく、自分の生きがいとしての活動が、人々の人生を豊かにする。


「『やらないといけない』っていう感覚があんまり好きじゃないんです。それって幸せなのかなって思ってるんですよ。本人がやりがいを持っているならいいんですけど」


仕事をしなくても最低限生きていくことができる世界を実現するために、VSbiasでは、現在労働者が担っている仕事を、できるだけAIや機械に代替していく仕組みをつくろうと試みている。2017年11月にスタートした同社のホテル事業、無人型宿泊施設「Commune(コミューン)」がそうだ。同サービスは従来の宿泊施設と異なり、スマートロックやタブレットを活用したスマートチェックインシステム、AIを活用した業務自動化などにより、現地スタッフが常駐していない場合でも運営可能なホテルを目指している。


「生きていくための労働」をなくすため、AIや機械による仕事の代替はポジティブに捉えていると語る留田氏。一部では、AIが仕事を奪うといった悲観論が叫ばれている。しかし、産業革命の時代にも機械は一定の人たちの仕事を奪い、それによって新しい産業や仕事が生まれていった。世界が崩壊したわけではない。歴史は繰り返す。VSbiasは、テクノロジーの力で世界を一歩先の未来へと進めていく。



生み出す工程は変化させられる


AIや機械といったテクノロジーによる仕事の代替は、仕事の生産効率にも変化をもたらす。人が1日8時間働いて生み出していた価値を、もしかしたら機械は1分もかけずに生産するようになるかもしれない。それもほとんどコストをかけず。日本よりも短い労働時間で高い生産性があるとされるヨーロッパのように、人の労働時間自体が短縮されていくかもしれない。


「ヨーロッパの人が実際に働いている姿を見ていないので、あくまでも想像の範囲なんですが、(日本で労働生産性が低いと言われるのは)結局、顧客のリクエストを勘違いして頑張っているからだと思います。たとえば、ホテル業界では『おもてなし』が最重要視されていたりしますが、いまの僕の世代では別にそうでない人も多いと思うんです。ロボットがフロントにいたとしても、そこまで不快に思わないというか」


朝から晩まで一生懸命働くことで、生産活動の総量は上がるかもしれない。しかし、それは「労働時間=生産活動=生産量」という概念があるからに過ぎず、本当はそれが人間ではなくても実際はいいのかもしれない。そうすると、労働時間を増やせば生産が向上するという図式も本質ではない。総量ではなく、生産の効率をあげる。機械が仕事の一部を自動化することによって、人の働く時間を少なく、生み出せる生産は等しくすることができる。



明治時代、外国人をもてなすために日本にホテルが登場してから、社会に求められてきた価値は「おもてなし」だった。24時間365日お客の要望に応えつづける。顧客からの声がそうなのであれば、人の労働は減らせない。しかし現代では、常に最高級の「おもてなし」をホテルに求める人は少ないのではないだろうか。それよりはもっと便利に、安く快適に過ごしたいというニーズがあるのではないか。そうであれば、裏側にある人の労働は変えられる。必要なのは、いまの時代の顧客との対話である。


時代ごとに顧客に求められる価値は変化するはずで、それを捉えることで問題を解決できることがある。いまの時代であれば、必ずしも「おもてなし」が必要であるという価値観とも相違が生まれてくる。


人と機械の労働割合を変え、一人あたりの生産効率を上げていく。機械が世に出た時点ではまだ変わらないかもしれない。けれど、機械を使いこなせる人が増えれば変わっていくだろう。簡単ではないが、できる方法はきっとあると留田氏は信じている。せざるを得ない労働ではなく、誰もが自分のやりたいことをやっている世界のために。より本質的な問題と向き合い、解消していかなければならない。


それは、組織づくりにおいても同様である。


「自分のなかの自己暗示として、仕事が多くて大変だから人を雇うみたいなことは愚行だなと思うようにしているんです」


業務量が増えてくると、人を増やしてほしいという声が社員から上がることもある。しかし、それをわざとしないという決断をして、代わりにどう仕組み化できるかを考える。どう単純化させ、どう外注させるか。見落としている解決策はないかを分析した上で、経営判断する。


業務量が増えることの本質は何なのか。その構造・裏側は何であるか。向き合うことで誰も解決ができていない問題を解決できる。その思考こそが、ほかにない組織の力へと導いていく。


できる方法を考えずに、諦めてしまうことを自分に禁止する。誰もが解決できないと思うような問題でも、できる方法を考え出すことにこそ本当の価値がある。VSbiasはテクノロジーの力とともに、世界を変え、人々の新たな生き方を創造していく。



おわりに


生きるために知恵と技術を磨いてきた人類の進化の歴史。狩猟採集から農耕牧畜へと進化を遂げ、人が安定的に食べ物を手にするようになってから長い年月が経った。縄文時代、15歳ほどであったといわれる日本人の平均寿命は、江戸時代には30歳程度、現代においては80歳を超える。当時と比べると、食べ物や、病気、戦争によって「生」を脅かされる機会は劇的に減り、私たちはいままでになく長い「生」を手にすることが可能になっている。


食べ物がなく明日飢える心配は少ない。戦時中のように、明日どこかの国に攻め入られる恐怖を日々感じながら生きることも少ない。私たちは、生命機能の終わりを考えずとも今日を生きられるようになった。


現代を生きる私たちにとって、「生」と「死」のイメージといえば、ドラマやゲームなど架空世界での「死」が先だってしまうのではないだろうか。そして、それは日常生活からはどうも遠く、縁のないものであるように思えてしまうのではないだろうか。


しかし、「死」を考え生きることは、人の「生」を強くするようだ。19世紀の哲学者マルティン・ハイデッガーはその著作『存在と時間』において、私たち人間の「存在」と「死」を語っている。


世界=内=存在の終末は、死である。この終末は、存在可能に――すなわち実存に――そなわっている終末であって、現存在にとってありうるなんらかの全体性は、この終末によって限定され、規定されることになる。現存在は死において終末に達し、このことによって全体として存在すると考えられる。―Martin Heidegger


「生」から「死」までという存在の全体像があり、「死」によって規定される全体をとらえることで、人は人の存在の本質により近づくことができると語られている。


「いつ死ぬんやろ」という幼いころの留田氏の問いかけは、「自分の存在が何であるか」に出会える手がかりだったのであろう。自己の存在に迫る悩みが、強く生きる留田氏をつくり、生きがいをもって生きる姿を生み出している。


何のために生きるか、自分という存在は何者であるのか。答えのないように見える問いだからこそ、考えつづけることで道は見出されていく。それこそが、生きなければならない「生」ではなく、生きたい「生」を手にする方法なのではないだろうか。留田氏の生み出す「人が労働をしなくてもいい仕組み」は、私たち自らの「生きがい」に、私たち誰もが真剣に目を向ける社会を創造していくのであろう。



※参考

Martin Heidegger(1927).Sein und Zeit.MAX NIEMEYER.(マルティン・ハイデッガー 細谷 貞雄(訳)(1994).存在と時間 ちくま学芸文庫)




株式会社VSbias 留田紫雲

代表取締役社長

1994年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学国際学部卒業。6歳からサッカーを始め、12歳で全米大会出場、15歳で世界大会に出場。学生時代から不動産ディベロッパーにて、外国人向け賃貸事業、簡易宿所事業の立ち上げ責任者を経験。2015年に株式会社VSbiasを設立し代表取締役に就任。2016年7月、株式会社メタップスに事業売却し、最年少で子会社社長に就任。

http://vsbias.com/