世界を熱狂に誘うヴァーチャルアーティスト ―「幸せ」への信念が叶える未来のつくり方

目の前の人を幸せにすることに、筋を通す。


クリエイターやアーティストのパートナーとして、人を幸せにするエンタテイメントを世界中に届けてきた1st PLACE株式会社。同社が誇るヴァーチャルアーティスト「IA(イア)」は、世界12都市をめぐるワールドツアーを成功させ、いまや世界中で愛されている。2018年6月には、次なるワールドツアーとして、ユネスコの創造都市ネットワークに加盟しているアンギエン・レ・ベン(フランス)、『LES BAINS NUMERIQUES』デジタルアートフェスティバル内にて初回公演をスタート。「IA」は、IOI(国際情報オリンピック)2018日本大会で、初のヴァーチャル実行委員として1年に渡る活動も担った。エンタテイメントが人に与える幸せ、その力を信じる同社代表取締役の村山久美子が大切にしてきた「心の声」とは。



目次

1章 才能を最大化する

  1-1.  世界を魅了するヴァーチャルアーティスト

  1-2. 「IA」には魂がある

  1-3. 「IA」は何のために地球に来たのか?


2章「心の声」を信じつづける人生

  2-1.  人としての筋を通す

  2-2.  すべてがビジュアル化する

  2-3.  トレンドで楽しませる責任

  2-4.  自分の「正しさ」と社会の「正しさ」

  2-5. 「働くこと」の意味

  2-6.  無計画、でも人生はつながる


3章 1st PLACEは誰のために

  3-1.  自分の心に正直に生きる

  3-2.  心を健康に保つために

  3-3.  事業における論理と感覚

  3-4.  社会貢献という言葉はなくなっていく


あとがき



1章 才能を最大化する


1-1.  世界を魅了するヴァーチャルアーティスト


たった一枚のアナログレコードが、どれだけ素晴らしい景色を見せてくれただろう。夢中で追いかけてきた音楽の世界。ラジオから流れる曲を録音し、子どもながらに自分だけのカセットテープをつくった。こだわりだすとキリがなく、ほかのことなんて手に付かないほど楽しくて仕方がない。それを聴いてくれる大切な友達が、ただ喜ぶ顔が見たかった。


人を幸せにするエンタテイメントの力を信じ、世界に展開する1st PLACE株式会社。2019年、創立15周年を迎える同社が手がける領域は、音楽のみならず、映像・イラスト・文芸とマルチなコンテンツに及ぶ。


2012年に誕生した同社のヴァーチャルアーティスト「IA(イア)」。彼女の歌声は、同じく同社に所属し、グラミー受賞歴をもつボーカリスト「Lia(リア)」の声をベースとしてつくられた。2016年、「IA」はアジア・欧米・オーストラリアなど世界12都市を巡るワールドツアーで約3万人の観客を動員。2018年には、音楽ライブの領域を超え、「テクノロジー」「音楽」「アート」「ヴァーチャルとリアル」が融合した、五感で体験する全く新しいスタイルのライブエンタテインメントショーを日仏で共同制作するなど、新たなるステージを始動した。


同社代表取締役兼プロデューサーの村山は、外資系企業の営業職を経て米国ボストンへ留学、帰国後は広告代理店での企画・プロデュースなどエンタメ領域での仕事に携わってきた。のちに所属企業が音楽事業を手がけはじめたことをきっかけに、数多くのクリエイターやアーティストたちと出会い、さまざまなエンタテインメントの在り方に触れることとなる。現場経験を重ねるにつれ、自身のエンタメに対する志が明確になっていき、2004年、クリエイターがフロントで活躍できるような新時代のフィールドを切り拓くべく、1st PLACE株式会社を創業した。


「ものをゼロから生み出す人、生んだものを不特定多数の人に感動として届ける人、この人たちの道を守るっていうことが自分の生きがいみたいになっていたんですね。この人たちの才能が創るものを、鮮度が高いまま大切に世に出すことが自分のミッションかと思うくらい、やっぱりものづくりする人たちが大好きだったんです」


人を幸せにすることに筋を通して生きてきた、村山久美子の人生に迫る。


1-2. 「IA」には魂がある


ステージに明かりが灯り、暗がりに浮かぶスクリーンに映し出されるのは宇宙。四方に広がる美しい光と舞い落ちる羽に目を奪われていると、気づくとそこに、天使のように可憐な一人のアーティストが立っている。


世界中に感動を届けるヴァーチャルアーティスト「IA -ARIA ON THE PLANETES-(以下、『IA』)」。それが、彼女の名前だ。


サンプリングされた人の声を元にして、メロディーと歌詞を入力することで歌声を奏でる。「IA」は、ヤマハ社製の音声合成技術VOCALOIDにより、この世に生を受けた。


きっかけは、同社に所属するボーカリスト「Lia」が出産育児休暇に入ったことだった。その間どうすれば彼女の歌声をファンに届けつづけられるか。村山は不可能にも思える道を模索していた。


「普通アーティストは、休業中は過去の人になってしまう。Liaには『海外で通用するボーカリストになる』という夢があった。その夢をまだ達成できていないなか、なんとか休業中もLiaという存在を生かしつづけて前進し、復帰を迎えられないか?と考えていたときに出会ったのが、音声合成ソフトウエアのVOCALOIDだったんです」


VOCALOIDは、Liaの一番の魅力である歌声を、休業中も違う形で世に届けることができる(当時VOCALOIDという技術は、新しい日本の音楽文化として海外からも注目を浴びており、彼女の夢に一歩近づける可能性が高かった)。さらに歌声ソフトウエアとして、クリエイターの創作活動を支援する音楽制作ツールにもなりうる。


描いていたビジョンが一つに繋がっていく、まさにその瞬間が訪れた。


クリエイターファーストなコンテンツ創出を信条としていた同社にとって、「Lia」の歌声を継承する「IA」という存在の誕生は必然だったのかもしれない。


「IA」と妹の「ONE」。


しかし、人間のアーティストのプロデュース経験はあったが、服装や性格も含めた一人の人格を設定することは初めての経験だった。「この子はクリエイターにとって革新的なツールになってほしい」。「IA」の開発段階、わが子の成長を見守るかのような気持ちで開発に臨むなか、村山の心には新たな思いが生まれつつあった。


「ものづくりって、何か一つのきっかけや出会いで創造力が開花するなんてこともあるので、最初はその一翼を担う最高品質のツールを作りたい、って思いだったんです。でも、開発を進めるうちにイマジネーションがどんどん育っていって、この子はなんらかの形で人を導く、サポートする存在になれるんじゃないか?エンタメを通じて楽しさや喜びといった“幸せ”を届けるという自社の理念、Liaの夢への道しるべ、クリエイターファーストのビジョン、すべてを体現する存在になれるんじゃないかって、自然と考えるようになったんです」


ただ可愛いキャラクターをつくり歌わせ、当たったらラッキー。そんな世界には最初からまったく興味がなかった。1st PLACEは、エンタテイメントで人々の心に幸せをもたらす「Keep Having Fan!」という理念のもと設立されている。人の刹那的な瞬間への寄与にとどまることだけを目指すものではない、人の人生に寄与していきたい。だからこそ、「IA」には何かの使命をもたせ、人の心の支えになる存在としたかった。


どうすれば「IA」は人の役に立っていけるのか。「IA」の使命を全うするための道とは。


理念を信じて歩む村山にとって、大きな契機となったのは、2015年からスタートした「IA」のワールドツアー「PARTY A GO-GO」での出来事だった。


国内ツアーであれば多くのスタッフがいるが、海外でのライブでは、スタッフは最少人数となる。ライブの演出、制作から現地でのインタビュー対応、物販ブースでのグッズの手売りやファンサービスまで村山自身が一人何役もになう日々。そこで目にした海外ファンの表情や言葉、現場に立つことで彼らの日常までも手に取るように感じることができた。


「どんな思いで来てくれて、普段どんな生活をしているか。さまざまな日常を持つ人たちが、一堂に『IA』に会うために大切な時間とお金をかけて来てくれる。その人たちがすごくHAPPYな笑顔でライブに参加してくれて、『IAとの出会いが自分の人生を救ってくれた』『IAを作ってくれてありがとう』と、涙ながらに言ってくれたり、手紙をくれたりするんです」


さまざまな人生を背負った人たちが、勇気をもってライブに足を運んでくれた。「IA」がステージで歌い踊り、客席に語りかける。その空間にいるときは、心が安らぐのだと言ってくれた。


ヴァーチャルな存在である「IA」がファンと心を通わせる。誰かの心を勇気づけたり、夢やチャンスのきっかけとなる。「魂を持った一人のヴァーチャルアーティスト『IA』は、人に寄り添い、心を豊かにする存在になれる」。直感だった。けれど、たしかに心の声がそう言っていた。


「Lia」の夢を支え、クリエイターを支援する。当初描いていたそんな未来の先に、別の道が見えてきた。どちらの道も大切でシンクロするところもある。しかし、二つは全く違う幸せを実現する未来へとつながっている。一石二鳥三鳥が見えてくると、どんどんとやりたくなってしまう性格だった。


「Lia」と「IA」、そして同社に所属する才能あふれるクリエイターたち。彼らが国境を越えて活躍できる環境を整え、これまでにないエンタテイメントを世界中に届けていく。同社の理念を体現し、ミッションを現実とする。その道の先陣を切る「IA」は、一人の魂を持ったアーティストとして私たちの心に歌いかける。


ステージ上で観客を魅了する「IA」。


1-3. 「IA」は何のために地球に来たのか?


一人のヴァーチャルアーティストとして人に寄り添う「IA」。


ステージの上で歌う「IA」を見て、親密な誰かと心が通じ合っているかのような幸せに満たされる。そんな幸せが、ライブ後の日常ももっと続いてくれたなら……。


日々の葛藤やストレスから心を解放し、生きるエネルギーを与えてくれるエンタテイメント。その可能性を信じる村山は、「IA」のライブに訪れてくれる人の心に、ライブを通じてメッセージを届けたいと考えていた。


「IA」の次なる舞台「MUSICAL & LIVE SHOW  “ARIA”」の構想が見えてきたのは、そのときだった。


「単純に次のツアーをこなすというよりは、新しいステージ(段階)に挑むという発想で。『IA』誕生時に託した使命を、次の“ARIA”というショーでは体現したい、ライブという瞬間の体験にプラスして、心に生きつづけるメッセージを伝えたいと思ったんです」


“ARIA”とは、「IA」が生まれた星の名だ。音で調和する惑星で生まれた彼女は、何のために地球にやって来たのか。それは、音楽によって人の心を浄化する、パフォーマンスで人の心の不調和を調和していくという使命を負っているからにほかならない。


「IA」の生い立ちをめぐるストーリー、それをテクノロジーと人間が織りなすミュージカルで表現する。すべての生命の大切さと存在する意味、そして愛と平和。込められたメッセージは壮大で深い。けれど、限りなくシンプルだ。


「誰しも人の心を変えるとか、そんなたいそうなことはできない。でも、きっかけを作ることはできると思っていて。『IA』で救われたという人がいてくれるとするならば、『IA』と心がつながるイコール幸せの連鎖であってほしい。エンタテインメントは、心に作用する計り知れない力を持っていると信じています。今回の作品では『生命の尊さ、愛と平和』というテーマで、メッセージを伝えていきたいと思っています」


人の支えとなり、心の調和を願いメッセージを届ける。そんな使命を負う彼女は、今日も世界中、誰かの心を安らかにする。確固たる使命を負ったヴァーチャルアーティスト「IA」は、新たなテクノロジーと人類が共存する未来を実現しようとしている。


世界中の人々にもっと喜んでもらえるように、もっと幸せを届けられるように。人間と共存する、魂をもったヴァーチャルアーティスト、その未来に1st PLACEは挑戦していく。


2018年6月からはじまったワールドツアーのテーマは、「生命」「愛」「平和」。2019年1月26日、27日に横浜のDMM VR THEATERにて日本公演が開催される。

https://www.youtube.com/watch?v=9xtvSrt22wg


2章 「心の声」を信じつづける人生


2-1.  人としての筋を通す


人への筋を通し、困っている人がいれば助ける。仁義を重んじる父と、見ず知らずの人でも走って行って助ける母のもとに生まれた村山。そんな両親の姿を見て育ったからか、落ち込んでいる人や、つらそうにしている人は放っておけない。人を大切にし、自分にも人にも正直でいたいという思いは、村山にとって、今も昔も当たり前にもつ感情であった。


「父の口癖は、大人になってから未だに言われるんですけども、『中途半端な気持ちで人助けをするな。最後までやり通せ。人にお金を貸すときには返ってこないと思え、そこまで覚悟できるなら行動していい』と」


交友関係が広く、兄貴分のように頼られる存在だった父の背中は人への責任を語っていた。たとえば、お金を貸すときに生じるのは、相手の責任だけではない。そこには、相手を信じて貸した自分の責任もある。そんな両親だからこそか、子どもたちへの教えも厳しく、子どもたちから見れば、厳格で心配性な親の姿として目に映っていた。


「過保護でしたね。だから多感な時期、中学高校は夜遊びとか門限とか、まぁ厳しかったです。ほかの友達の家とかよりも全然。私は3姉妹の真ん中で、男の子みたいに育てられたんですけど、姉とかは尋常じゃないくらいに心配されて。当時は携帯とかないので、夜5時とか過ぎちゃうと家がちょっとした騒ぎになってたりとか、すごく厳しかった」


過保護ともいえる両親の言いつけを守っていた姉とは対照的に、村山は自分の意思に従い、親には反抗することが多かった。とはいえそれは単なる反抗というよりも、自分なりの意思をもち、そこにある信念に筋を通した結果だった。自分が関わる人には責任をもち、筋を通す。そんな父親ゆずりの姿勢は、村山のなかに自然と生まれたものだった。



2-2.  すべてがビジュアル化する


村山にとっての音楽の原点は、小さいころ家にあったアナログレコードだった。


スピーカーの前に座っては、両親が買いそろえたレコードを横に並べ、一人で何時間も音に浸る。LとRのスピーカーの間で音を浴びるようなその感覚が大好きだった。ジャズやファンクのような洋楽には特に衝撃を受け、小学生のときから近所のレコード屋に通い、お年玉などで洋楽アルバムを買っていた。


「アナログレコードの時代って、その人がその場所でマイクを立てて演奏したときの空気感含めて録音されてる感じが絶対あると思うんですよ。だから音の奥行きや響きとか、二度と再現できないような息、演奏風景が映像で出てきそうな感じが好きでした」


一発録りのライブ感。空間の奥行きやそこにいる演奏者たちのテンションまでもが、音に乗りイメージとして伝わってくる。全身で浴びる音から広がる世界に、思いを巡らせていた。


村山にとって、音は映像を伴うものであった。そしてそれは、音だけにとどまるものではなかった。出来事も、人が話す内容も、何かを見たり聴いたりした瞬間に想像力が満ちあふれ、村山の中にイメージとして広がっていく。


そのとき頭の中で広がるイメージは、ほかの誰かと必ずしも重なるものでもない。物事の捉え方が人と異なることで、ときには苦しんだこともある。


「物事の解釈の仕方がちょっと変わっていたみたいで、そんなつもりもないのに小さいころどこに行っても浮いてしまっていたんですよ。日本の教育って本当に右へならえで、『みんなと同じように目立たないで同じ選択をしなさい』みたいなことじゃないですか。『どう思う』というネジが人と違って、わざとじゃなく普通に、幼稚園とか学校とか先生の話を聞いて『そうなんだ』と思ってやることが、みんなと全然違って怒られる。本当にその連続で、なんとなく居心地が悪かったんです」


算数の授業で使う「算数セット」、図工の授業で使う道具や、色が揃った絵の具。そんなものを前にすると、自然とイメージが広がっていた。「これはきっとこう使うんだろう」、「こう使えばいろんなことができるだろう」。気づけば、先生が許可する前に中身を使いはじめている。人とは違うイメージの世界がどんどん溢れていき、そこで駆り立てられる興味に従っていた。


「反抗精神でやってたわけじゃないので、いちいち傷つくわけですよ。人と違うことをやってしまって傷ついて、萎縮して。小学校低学年くらいまでは、とにかく人見知りが激しかったんです」


誰かと違うことをしたくて、怒られたくて、行動していたわけではない。純粋に広がる世界にのめりこんでいただけだった。それでも、周囲からは反骨精神ともとらえられてしまう。次第に、人と違うことをしてしまうことが怖くなり、目立つことを極度に恐れるようになった。学校では教室に入るのが怖く、登校拒否になってしまった時期もある。


「たぶん学校教育の正しさにはまってなかったんだなって思います。子どもにとって学校は絶対だから、自分がおかしいんだって考えちゃうんですけども」


たとえば、勉強やスポーツで結果を出すことが「正しい」とされるように。学校には誰かが決めた正解があった。


「ある程度の歳になると自分がおかしいわけじゃなくて、ここのフォーマットに自分がはまってないだけだって思うようになれたところから、逆に自分は自分が正しいと思うやり方で生きていきたい、正解を自分に求めたいっていう思いがすごく強くなりました」


成長を重ねていくにつれ、自分の目に映る世界や信じるものが、画一的な学校教育という環境に合っていなかったと気づくことができた。そうであるならば、自分は自分が正しいと思うことをやりたい。そのために枠組みから外れて非難されようとも、その非難のリスクを背負い、自分の信じる世界を現実のものとしたい。


周囲の大人から見れば、単なる子どもの反抗やへりくつ、口答えと思われたかもしれない。しかし、そこには村山が信じるものが確かにあったのだ。



2-3.  トレンドで楽しませる責任


小さいころは漠然と、「自分は普通じゃないんだ」と思っていた。意図せず人と違うことをしてしまい目立ってしまう。悪気はないのに怒られる。自然体の自分でいることで傷つくのだから、いっそのこと学校では目立つことがないよう、ひっそりと生きていこう。いつからか、そう考えるようになっていた。


転機が訪れたのは、体育の授業でプロレスのような格闘をさせられたときのことだった。


相手は「ジャイアン」と評される男の子。先生から言われたプロレスの場は逃げようもなく闘うしかなかった。小柄な自分と比べると、あまりにも体格差がある。恐怖に体がすくんでいた。


無我夢中で戦った結果、気づけば相手に勝っていた。


周囲も驚いていたが、一番驚いたのは自分である。ひっそりと目立たず生きていくつもりだったのに……後悔してもあとの祭り。あの「ジャイアン」に勝った子として、学年中でちょっとした有名人になってしまっていた。


「変なことをして変な目で見られたくないようにしてきた自分にとっては、それは致命的な事件だったんですね。たぶんこの事件は、もう開き直るしかないくらい恥ずかしいものだった。でも、それをきっかけにして、自分が矢面に立つことって大したことじゃないんだなと気づいたのかもしれません」


事実はもう動かしようがない。これ以上ないほどの目立ち方をしてしまい、開き直るしかなかった。


結果的には、心境の変化は良い方向に作用した。それ以来自信がついて、リーダーシップのようなものが生まれてきた。それまで人の先頭に立つようなことはなかったが、自ら責任をもって人を率いることで、描くイメージを現実にできることもわかってきた。小学4年生のときには、学校で初めての女子野球チームをつくっていた。


「当時、日本中の女の子はとにかくピンク・レディーを全曲聴いていた時代に、野球をテーマにした『サウスポー』っていう曲があったんですけど。それを見たときにピンクのすごく可愛いユニフォームを着ていて、『これ着たい!これを着て野球やりたい!』と思って(笑)」


自らの心の動く感覚を大切に生きてきたからこそ、「かわいい」「かっこいい」というものへの感度は高かった。とりわけ、「トレンド」といわれるファッションや音楽は大好きだった(反面、興味のないものに対しては意味づけができず、学校の勉強は大嫌いだった)。次第に村山は、最先端のトレンドを追いかけることに熱中していくようになる。


「『これかっこいいし、絶対可愛いから着たい。みんなも絶対そう思うはず』みたいな変な自信があって、強引なやつですよね。先陣を切って人を巻き込むって、絶対そこに責任と覚悟がいるじゃないですか。だからそこは必ず小さいころから、自分が人を振り回す以上、絶対に楽しんでもらう着地まで責任取ろうっていう変なコミット意識みたいなものがあって。自分から言い出して友達が楽しんでないから自然消滅するみたいなことはなかったです。最後にみんなが楽しいねってなるまでがんばるんです」


ただみんなで野球の衣装を着るだけでなく、きちんと試合を成立させるために対戦チームまでつくった。それが、村山が楽しいと思うものに人を巻き込むときの責任だった。


「自分が良いと思うものは誰がなんて言おうとかっこいいんだって感じじゃないですよ。やっぱり人が良いと思うものを、人より早く知りたい、やりたい、体験したいみたいなことだと思うんです」


自分が楽しいと思うものは、その先の身近な人まで楽しんでくれるからこそ意味を成す。最先端の流行であるトレンドをいち早く取り入れ、身近な人へ共有することで楽しんでもらえる。トレンドやエンタテイメントといわれるものには、そんな効果があった。自分も周囲もハッピーになれると信じることができた。


「人が喜んでいたり、ハッピーな姿を見ることが、自分の楽しみとか生きがいとか感動にすごくつながっているんですよね。人を楽しませたいみたいなところですかね。それに気づいたのも、けっこう大人になってからなんですけど」


一番近くにいる大切な人たちと楽しく過ごしたい。当時はその原動力だけで、東京や、世界で流行しているものと情報を、誰よりも高い感度で集めた。


身近で大切な人たちだからこそ、楽しんでもらいたい。その責任を胸に、全力を尽くしていた。


「IA」のワールドツアーで出会ったファンや、一緒にステージを作り上げたメンバーたち。


2-4.  自分の「正しさ」と社会の「正しさ」


心から熱狂できるものを大切にしたい。信じるものを大切にする過程では、親や世間から強い風当たりにさらされることもあった。そうであっても、信じた以上、覚悟をもって突き通すことが村山の生き方だった。周囲からなんと言われても、「娯楽・エンタテイメント」は人を幸せにするものである。


「最先端が好きで、やっぱり人より先に新しいことを取りに行くんです。だからファッションも大好きだったし、でもそれが当時は『不良』って言われたんですよね」


好きの対象が細分化している現在と違い、当時は新しいもの、かっこいいとされるものが一つしかなかった。感度の高い若者たちは全員そこに向かい、それが「不良」と呼ばれ、悪いこととされる時代だった。今でいえば趣味、あるいはトレンド・カルチャーとされるものでも、追いかけただけで「不良」と呼ばれる。その意味においては、学生時代の村山もまた「不良」だった。


「当時、学業じゃないものは無駄なもの。学生においては不良。そういう枕詞で片付けられていたんですよ。でも、それは絶対違うと思って。誰がなんと言おうと、自分が意味があると思ってやっていることには自分なりの覚悟と判断があるから、一概にいけないことではない。そういうポリシーがどんどんできあがっていきました」


親に怒られるリスク。学校を停学になるリスク。子どものころから、リスクを負い代償を払ってでも、自分の心が求めることをやってきた。その源泉にあったのは、純粋な好奇心だ。


「好奇心こそが自分にとって一番大事なもので。自分が一番楽しめるし、自分が一番人を楽しませられるし、もしかしたら人に勝てるもの、という考え方もあったかもしれないですね。これだったら私は誰にも負けない自信があるみたいな」


頭がいい人は学業に、スポーツ選手であればスポーツに情熱を注ぐように、村山の場合はトレンド・カルチャー・エンタテイメントというものに情熱を注いできた。しかし、学業やスポーツでは1位になることが良しとされているにも関わらず、トレンドやカルチャーに没頭する人間は遊び呆けているように世の中ではみなされる。その事実に対して、どうしても納得がいかなかった。


「絶対違うと思っていて。エンタメやカルチャー、『娯楽・芸術』とされるもの、特に音楽。理由は分からないけど、それは私たちが生きていく上で絶対必要なものだと思っていたんです」


たとえば、スポーツ選手が己の肉体の限界に挑戦する。リスクを負い、骨を折ったりすることがあったとしても、1位を取れば「すごい」と賞賛される。一方で、トレンドやカルチャーに情熱を傾けるクリエイターや芸術家は、ときに変り者のように扱われる現実があった。


けれど、村山は信じていた。彼ら「娯楽」を生み出すクリエイターは、人を幸せにするエネルギーをもっている。事実それにより自分は幸せにされている。だからこそ、リスクを負ってでも守りたかった。


同社のレコーディングスタジオ。数多くのエンタテイメントが生み出される場所。


2-5. 「働くこと」の意味


子どものころから、夢はアメリカに住むことだと漠然と思っていた。昔から物事の解釈が人と違い、いつも浮き彫りにされてしまうことが窮屈だった。そんな村山にとって、TVや音楽で目にしてきたアメリカは、個の視点を重視する楽園で、いつか訪れてみたい土地だった。


世界のトレンドやかっこいいものの最先端を見るという意味でも、魅力は計り知れない。高校卒業後はアメリカの大学に留学したかったが、両親から20歳になるまでは親の管理責任があるからと反対され、仕方なく現地の大学に編入できる英語の専修学校に入った。


「高校卒業して親の管理とかも若干緩くなって堂々と毎日夜遊びできるようになって。週末になると友達と車で東京まで行って、Live BarとかClubとかハシゴしてました」


当時、姉が地元仙台でモデルタレントの仕事をしていたこともあり、その繋がりから村山もモデルやキャンペーンガールのアルバイトをするようになった。かわいい恰好をすることができ、かつお金が稼げることが楽しくなり熱中した。まさに、バブルで青春を謳歌した時代だ。


しかし、東北は寒い。冬場になると、途端にイベント系の仕事はなくなってしまった。似たようなアルバイトを探していると、一つの求人広告が目についた。「女性デモンストレーター募集」と書かれたその求人に申し込んでみる。行ってみて驚いた。なぜなら仕事内容は、オフィスコーヒーの飛び込み営業だったからだ。


「すごく過酷で、3日で辞めようと思ったんですけど、そこでまた私の負けん気が出てしまって。会社に行ったら棒グラフがあって、誰がどのくらいの営業成績みたいな、それ見た瞬間にスイッチ入って、『とりあえずトップになってからやめようかな』と思って」


その会社では、当時営業戦術でルックスの良い若い男女が集められ、流行りの格好をして働くことが奨励されていた。村山と同じように、トレンドが好きで感度の高い同僚が集まっており、業務時間外も一緒に遊ぶほど仲が良かった。


1位になるため全力で働き、仕事が終わると仲間と全力で遊ぶ。営業所1位、東北1位、北日本1位など確実に実績を残していった村山。会社からは、社員になってほしいと声がかかるようになった。社員として後輩を育てる立場になり初めて、「働くこと」自体が楽しいと思いはじめた。


「たぶん人を育てるってところで、なんかスイッチ入ったんですよね。自由奔放に遊んでたバブル女が、仕事の責任みたいなものを初めて感じた瞬間です。それまでは自分が好きなだけ稼いで終わりだったんですけど、人を育てるっていう責任感を持ったときに、働くっていうことの意味みたいなものがちょっと分かったんです」


後輩のために、果たすべき責任がある。どんな人であっても、自分の後輩となったからには力に変え、仕事を楽しんでもらう責任がある。


会社のことや働くことの意味、自分を慕ってくれる後輩たちがどうすれば楽しく営業成績を上げられるか、はじめて自分なりに考えた。アポイントが取れなくて落ち込んでいる子や、会社に来てつらそうにしている子がいれば、迷わず助けてあげたい。


目の前の人をハッピーにする責任がある。だから、手を差し伸べていた。


「IA」のFIRST WORLD TOUR「PARTY A GO-GO」にて。


2-6.  無計画、でも人生はつながる


順調に仕事で成果を出し、やるだけやったという達成感も得られたころ、不意に自分を振り返る瞬間が訪れた。


おいおい、お前海外行くんじゃなかったの?アメリカに行く夢はどうなった?


思ったら、もうその場にいられない性格だった。ほかに熱中したいことがあり、その場所で自分が生き生きと働けないのならば、パフォーマンスは発揮できない。会社には筋を通さなければならない。だから、辞めることを決意した。


正直に上司に退職の意向を伝えると、休職扱いで留学させてもらえることになった。自分のために、「留学休暇」という制度も作られた。当時、2000人ほどの社員を抱えていたその会社で初めてのことだった。


日本から飛行機で半日以上。レンガ調の美しい建造物や由緒ある大学群、歴史とトレンドが詰まった街……。


初めて降り立ったアメリカ・ボストンは、子どものころから思っていたとおりの土地であり、なおかつ世界レベルの上流階級が集まっている街だった。


「ものすごくたくさんのトレンド、エンタメを吸収して、想像力が100倍くらいになったんです。頭の中のビジュアル化がやりたいことだらけになっちゃって」


たとえば、当時日本にはまだ少なかったクラブやカフェ文化、今では当たり前のアウトレットモールやフラッグシップショップの仕組みなど、かっこいい文化に熱中し、成り立ちを学んだ。


学んだことを日本に持ち帰りたい。企画をしてそれを具現化する仕事がしたいと、たまらなく思った。


もっと学びたいことがある。企画の仕事というビジョンが明確になった以上、休職までさせてもらっている会社に正直に復職するつもりがないことを伝えなければ。再び上司に連絡すると、ちょうど東京本社に新設の企画宣伝部が立ち上がるタイミングであるという。留学先から社内公募に応募することを勧められ、半信半疑で面接のために一時帰国する……そのつもりが、そのまま東京の友人宅に転がり込んで働き出していた。採用が決まり、来週から来てほしいと言われたからだ。


「いったん戻ろうとならないのが、私なんですよね。そういうの大好きというか、『そこまで期待してもらったならやってやろうじゃないの』みたいになっちゃうから」


企業ロゴやキャッチコピー、イベント企画や社内報の刷新、広告代理店との折衝やテレビCMの進行管理……。企業CIを打ち出す企画広報として、望んだとおりの仕事に就くことができた。それは、エンタメの仕事へとつながる入口だった。


その後は、広告代理店へと転職した。そこでは偶然、会社が音楽事業を手がけるようになる。プランナーから、アシスタントプロデューサー、マネージャー、ディレクターへ。大好きだった、けれど仕事にするとは夢にも思っていなかった音楽領域で、マネジメントやプロデュース業をするようになっていた。


「ものすごく良かったなって思うことが、一つだけあるんです。いろんな人に反対されながら、親にも注意され、不良と言われ、いっぱいリスクを取って。それでも好奇心で、今の感受性でしかできないと思うことを選択してきたことが、音楽業界に入った途端、ものすごい私のキャリアになったんです、生きてきたことがバイブルのようになったんですよ。全く何の足しにもなっていなかったものがすべて、とんでもない私の力に、経験値になったんです。後付けですけどね」


勉強もせず遊んでいるとしかみなされなかった経験が、仕事で必要とされる力となった。意図していたわけではない。もちろんそこには運もあるだろう。人に生かされ、神に生かされていると思う瞬間だ。


「夢にも思ってなかったんですよ。子どものころから好きでやってきたことが全部アウトプットできる環境になった途端に、何をおいても仕事が(人生で)一番になったんです。そして何より、やっぱりエンタテイメントっていうものが好きだったんだなって、自覚することになりました」


子どものころ、トレンドの音楽へのこだわりを詰め込んだミックステープ。夢中で追いかけたエンタテイメント。すべて仕事において貴重な財産となっている。


点と点がつながり、一本の線となる。大切な人をハッピーにしたいと駆け抜けた人生、そこで出会ったクリエイターやアーティストたち。それらが今、1st PLACEへとつながる道となっていた。


2018年8月にリリースされた「IA」の楽曲「Higher」は、オールドスクールのヒップホップやR&Bを感じさせるソウルフルなサウンド。全編英語詩に加え、「IA」のメインヴォーカルと、人間の絶妙なコーラスワークから新鮮なグルーヴが生み出される。

https://www.youtube.com/watch?v=6Rbn1OfxmIo


3章 1st PLACEは誰のために


3-1.  自分の心に正直に生きる


目を閉じれば、その音楽が奏でられる瞬間の景色が浮かんできては、理由もなく心が震える。そんな音楽やエンタテイメントの世界に、いつも救われてきた人生だった。


人を幸せにするエンタテイメントを世に送り出し、世界で成功を収めてきた1st PLACE。同社の理念「Keep Having Fun!」には、村山がこれまで生きてきたなかで大切にしてきた思いが込められている。


「私の正解は私の中にしかない、人に押し付けるものではないと思います。その上で、私が考える幸せの形は、世間や常識や権力がどう言おうと、自分の心に正直に生きること。スタンダードは自分の心の中にある。その責任も自分にある。結果として、自分にも人にも優しくなれるし、いろんな生き方に価値を感じられる。多様性がベースにあります」


自らの好奇心や、自分自身が価値を感じる世界。それらを信じ、大切に守り抜くことで、人は幸せを得ることができる。結果として、それは周囲をも幸せにする力を得ることにつながっていく。


喜びや感動を提供して対価を得る立場である以上、まずはその源にいる自分たちが、人生を、仕事を、心から楽しめる状態でいることが大切になる。


だからこそ、同社がアーティストやクリエイターとパートナーシップを組む際には、目的や理念が一致することを大前提としている。彼らが描くビジョンと、1st PLACEのビジョンが重なっていなければ、ビジネスとしてどんなに大きな成功を得たとしても、そこに幸せが生まれることはない。


「本当に心が望んでいることで成功しないと、結果幸せにはなれない。ゼロイチを創るクリエイティブにおいて、私はこの順番を絶対に間違えたくないと思っていて、『クリエイターであれ、社員であれ、自分であれ、ゼロから生み出してこういうことをやりたい、こういうビジョンがある』っていうことがうちの会社では絶対最初です。そこに私たちが力を発揮できる可能性を感じたら、全力で売るための手段を作っていく。力になれる責任を持てなかったら、手をつけない、シンプルなんです」


自分の心が望むものと、現実にやっていること。そこにイコールが存在しなければ、どんなに実力のある人間同士でも、金儲けのためだけの仕事になってしまうことがある。どんなに有名になり、稼ぐことができていたとしても、自分の望む人生から外れた道筋であれば幸せを手にすることは難しい。


人にはそれぞれの正しさがあり、共感できること、できないことがある。描く幸せの形が、誰にとっても正しいとは思わない。けれど、掲げる理念を大切に守り経営することで同じ未来に幸せを感じる人が集い、いつしかそれは会社の色となっていく。


経営者として、「一つの幸せな生き方」を提示する責任がある。そう考える村山だからこそ、自分と大切な人を幸せにするための理念を掲げている。


同社に所属する映像クリエイター/イラストレーター「sidu」。Twitterのフォロワー数は30万人を超え世界中に熱狂的なファンを持つ。2019年1月19日に自身のMV作品を集めた画集を発売した。


3-2.  心を健康に保つために


エンタテイメントは喜びや楽しさをもたらし、人を幸せにする。同社の理念を体現していくために、大切なことがある。


「どんな結果であっても、人や環境のせいにしないこと。すべては自分のジャッジ、自分の心が求めたものであるということが大前提。何か思い通りにいかないことが起きたとき、環境や境遇、誰かのせいにしてしまうとしたら、それ自体が不幸だと思うのです。そうして消化した思いは消えることがない。むしろ、それこそが幸せを感じられない根源となってしまう。そして素晴らしい成果においては、自分とチーム、周囲の人たちや環境に感謝の心を持つこと。喜びや感動といった幸せを提供する会社だからこそ、私たち1st PLACEのメンバーは、その心を大事にしています」


仕事をしていくなかでは当然理不尽なこともある。しかし、何かのせいにする前に、その道を踏んだ自分を認識すること。そこには自分の心の働きがあったことに立ち返ることが大切である。


これまでの人生、自分が決めたことで、リスクを負ったり罰を受けたりすることがたくさんあった。回り道ではないかと思うことも多かった。それでも唯一正しかったと言えるのは、自分の心に正直に向き合ってきたことだった。そこで歩んだ道は誰のせいにすることもできない。会社を経営するなかで、村山はその信念を伝えていく。


「自分への責任の取り方、人に筋を通す生き方を教えてくれた父、人を助け人に尽くす利他の心を自然と学ばせてくれた母の教えが、今の自分のベースとなっているんだと思います」


失敗をしたり悔しい思いをしたとき、自らの心に蓋をしていたとしたら、ネガティブな思いは消えなかっただろう。何かのせいにすることは、幸せに生きるためには不要な行為なのだ。


自分の心に従い、そこに自分で責任を持つ。それは、誰のせいでもない。


2017年香港でLiaと「IA」の2マンライブ、2018年にはモントリオール、ニューヨークでワンマンライブを実現したLia。2019年5月より国内ツアーが決定しており、Billboard Live OSAKA、Blue Note Nagoya、他会場での公演も近日発表される。


3-3.  事業における論理と感覚


「Keep Having Fun!」という理念のもと、自分たちが喜びを感じられ、同時に責任をもてることを事業にする。さまざまな選択肢がある事業だからこそ、真に自分たちが情熱を注ぐことのできるものをユーザーに届ける。それが結果的にクリエイティブやクオリティへのこだわりに繋がり、その先にいる顧客に期待以上の価値や感動を提供したいという思いに繋がる。その判断基準もまた、自分たちの外側ではなく心の内にある。


経営上の選択を迫られるとき、村山は自らの心の声を大切に信じている。


「いろんな考察のプロセスはありますが、考え抜いた上で最終的には感覚ですね。感覚を大事にして生きてきて、それが上手くいくから自信もつく。迷ったときに、理論立てて考え過ぎたり、マーケティングやデータベースに頼り出すと、私の場合、大抵上手くいかなくなるんです」


世の中をとらえる主観的な感覚と、客観的な論理。先駆的な価値を生み出すためには、どちらも同じくらい大切で欠かすことはできない。しかし、自分の判断に迷うとき、人はデータに頼ろうとしてしまいがちである。


自分の信じるもの、鋭敏な感覚を大事に生きてきた村山だからこそ、一層磨かれたものなのかもしれない。世の中で正解とされるフレームワークに流されず、自分が信じられるもの、そして責任がもてることを追求する。そこでリスクを負ったとしても、自分の熱狂できるものを信じ進んできた。責任をもって仲間を、そして今では世界を楽しませることができる力を得た。


Liaの海外公演にて、ファンとともに。


3-4.  社会貢献という言葉はなくなっていく


心が望む声を聞き、人生の道筋を描いていく。一人一人が真の心に正直に生き、満たされていれば、結果としてそれが社会のなかで調和していく。そんな世界が実現できれば、誰もが幸せに生きられるのではないだろうか。


自分の幸せ、イコール大切な人の幸せ。世界中の人が自分と相手の幸せを等しく大切に生きたとしたら、それは究極、世界をも救うのではないだろうかと村山は考える。


「一人一人がそう思ったら、たぶん社会貢献なんて言葉なくなるくらい、社会貢献の国に、世界になると思うんです。全員がそう思ったら争いも環境破壊もなくなるし、いじめもなくなるし、そういう社会になるはずだと思っていて。それを未熟ながら自分ができる範囲で一歩ずつチャレンジしていくのが、今の私の生きがいです」


自分と大切な人がともに幸せであること。家族、社員、アーティスト、ファン、関わりのあるすべての人たち、村山は大切な人と幸せになるために行動する。


身の回りの人への感謝、出会えた奇跡。それらを大切に行動するからこそ、結果として、社会全体のためになる。より多くの幸せを実現できると信じているからだ。


「自分と自分の大切な人たちとともに幸せになること。それしかないです。ありきたりな言葉なんですけど、そのために人って普段出さない力も出しきって生きていると思うんです。火事場の馬鹿力が出るのもそうだし、熱量をもって何かに取り組めるのもそうだし、すごくシンプルだと思っています」


幸せや生きがいは一つではない。人それぞれの正解があり、優先順位がある。それでもきっと、幸せへの道筋はシンプルなものである。自分と身の回りの大切な人たちが幸せでいられるように。人を幸せにするエンタテイメントが、それを可能にする。


1st PLACEは、人の思いが重なり合う世界の絵を現実のものとする。


(文・引田有佳/Focus On編集部)



あとがき


私たちは、どれほど自分に素直に生きることができているだろうか。自分に素直であるとはどういうことなのだろうか。


2016年前後から語られはじめた働き方改革。長時間労働、非正規社員と正社員の格差、労働人口不足を解消すべく、企業各社は労働者の労働環境改善につとめてきた。同時に、社会の目指す「働き方を良くする」という流れに合わせるかのように、労働者は「どうしたら自分は働きやすくなるのか」と考えてきた。さらに、その思考の辿り着く先として、「自分らしく生きる」というフレーズもセットで語られるシーンを目にするようになってきた。


自分らしく生きている。たしかにそう思うことができれば、力は漲り、人生に意味がもたらされるように感じることができるのだろう。働くことに豊かさを見出し、働きやすくなるのだろう。


そうであるならば、自分らしい生き方ができる働き方とはどんなものなのか。どう生きたら自分は自分らしくいられるのか。そもそも、自分とは何なのか。自分らしく生きるとは何なのか。


現在、自分らしさのヒントを探し求め、働き方や生き方を変えていこうと模索している人も多いのではないだろうか。


しかし、その過程において、私たちは本当に手にしたかったものを手にしてこれただろうか。


結果、手にしているのは「自分らしく」を言い訳にした、ただ「楽をして」我儘に生きることとなっていないだろうか。人生のために「らしく」あるのではなく、明日楽をするための方便としての「らしさ」を掲げてはいないだろうか。


自分だけの利益を求めた「らしさ」。それは、本当の自分らしさなのか。自分に素直に生きているといえるのか。再考すべきときが来ているのかもしれない。


村山氏の生き方は、本当の意味で「自分らしく」生きることを教えてくれている。


リーダーシップの研究から、自分らしさと、本当の自己と周囲の関係性について述べたものがある。


これらの特徴は,他者の模倣ではなく個性が輝くリーダーシップであり,私益のみを目的とはしていない,また,行動と価値観,信念が一致しているため,非常に透明性がある,すなわち,内なる自己に忠実である,ということを示唆している。加えて,先のKernisが述べる,オーセンティックな行動の中の本当の自己に従って行動するという点について,本当の自己を構成する価値観や信念は,内省を経た内在化によって獲得していくものである,とShamirらは主張している。ありのままでオーセンティック・リーダーである人はおらず,ありのままの自己が成長することによって,オーセンティック・リーダーは作られる,と捉えてもよいだろう。
(中略)
加えて,Goffeeらは,オーセンティシティに関し,優れたリーダーになることの難しさは,本当の自分らしさを自ら管理する難しさにあり,本当の自分を表現することとは,あえて演技することも含まれるからである,と論じている。さらに,内なる自己を自分流に表現するのが良いという思い込みがある限り,「本物のリーダー」にはなりえない,周囲が本物と評価するのは,骨の祈れる努力を通じて勝ち取り,しかもきめ細かな配慮をもって管理した結果であることを優れたリーダーは知っている,と述べる。―亜細亜大学経営学部経営学科教授 柏木 仁


本物の自分らしさとは、ただ我儘に生きることではない。


信念と価値観と行動を一致させ、社会とコミュニケーションを取りつづける。その過程で骨を折り、自己を成長させ、価値を社会へと反映させていく。自己流にやるのではなく、しっかりと社会と対話するからこそ、真の自己に出会えるという。


村山氏の生きる姿は、まさに信念の闘いだ。社会に信念をぶつけていく過程では、ときに痛みが伴うことを知っている。反対にあうこともある。けれど、だからこそそれは、自分がやる意味があるといえるのではないだろうか。


村山氏の信念の強さこそが、世界中の人々を救う「IA」を生み出す礎となったのだろう。


人類へ向かい、愛と平和、そして生命の尊さを伝え届けるリーダー。彼女が魅せてくれる世界に、私たちは導かれていく。


(文・石川翔太/Focus On編集部)



※参考

柏木仁(2009)「"本物"のリーダーになること : オーセンティック・リーダーシップの理論的考察」,『亜細亜大学経営論集』45(1),pp.61-81,亜細亜大学,< https://ci.nii.ac.jp/els/contents110007530123.pdf?id=ART0009362929 >(参照2019-1-23)




1st PLACE株式会社 村山 久美子

代表取締役社長

宮城県出身。外資系企業の日本法人にてトップクラスの営業成績を残したのち、人材育成やマネジメント、企画・広報を担当。広告代理店を経て、大手レコード会社にて音楽制作やアーティストマネジメントに携わる。クリエイターが表舞台に立てる場を創りたいという思いから、2004年に1st PLACE株式会社を創業。グラミー受賞歴をもつボーカリスト「Lia」、そして彼女の声から生まれたヴァーチャルアーティスト「IA」をはじめ、世界規模で活躍するクリエイターやコンテンツをプロデュース。その創作活動を多角的に支援している。

http://1stplace.co.jp/