目次

社会を支える自動車整備士の地位向上へ ― 内なる情熱は行動の先にこそ見つかる

始まりは小さな好奇心でもいい。小さな一歩が知らない世界へ繋がっていく。


「全ての整備士が、誇りを持てる未来」を創るべく、自動車整備業界を取り巻く課題解決に向き合いつづける株式会社Fixx。ユーザーが自宅やオフィスにいながら手軽に整備を受けられる同社の出張整備・修理サービス「Fixx」は、自動車整備士に新たな働き方の選択肢を提供するほか、整備工場や必要部品手配を中心とした整備領域のDXを推進し、より良い業界の在り方を描いている。


代表取締役の大塚裕斗は、大学卒業後、スタンレー電気株式会社にて欧州車向けリアランプの設計などに従事。のち不動産営業職、Web3企業の事業開発などを経て、連続起業家・投資家である柴田泰成とタッグを組んで、2022年9月に株式会社Fixxを創業した。同氏が語る「知らない世界で見つかる面白さ」とは。





1章 Fixx


1-1. 全ての整備士が、誇りを持てる未来を。


「CASE」をはじめとする新たな潮流が生まれ、近年めまぐるしい変化の中にいる自動車業界。「100年に一度の大変革期」とも言われる時代のなかで、アフターマーケットである自動車整備業界もまた、かつてない変革を迫られている。


自動車の安全な稼働や人の移動を裏から支える必要不可欠な業界でありながら、自動車の製造・販売そのものなどに比べれば、光が当てられる機会は少ない。だからこそ、未解決の課題が散見される現状があり、時代に即した形へと進化させていく必要があると大塚は語る。


「自動車整備業界に目を向けると、整備士不足に高齢化、整備工場の後継者不足、あとは成り手がすごく減少していることが顕著な課題としてありますし、低賃金など待遇面の改善も必要です。そのために、今まで正社員雇用しか選択肢がなかった整備士さんの働き方に、副業やフリーランスのような新しい選択肢を提供していきたいと考えています」


従来自動車整備といえば、対象の自動車をディーラーや整備工場へと持ち込むものだった。ユーザーは往復の移動時間に加え、受付や整備中の待ち時間もかかるうえ、整備士にとっても恵まれた労働条件や労働環境があるとは言えなかった。


自宅やオフィスにいながら自動車の整備を受けることができる出張整備・修理サービス「Fixx」を展開する同社では、整備士がより働きやすく、収入を増加させやすい環境の構築を目指している。それにより、ユーザーは経験豊富な整備士によるサービスを短時間かつ低コストで受けられ、整備士は自身のライフスタイルに合わせた柔軟な働き方が可能となる。


アナログな文化が根強い業界だが、同社の思いに賛同する声は多く、創業1年で350名以上の自動車整備士が集まったという。


「整備業界を変えたいという意志を持っている方や、整備士として働いていたけれどお金など現実的な問題で続けられなかった方などが登録してくださり、精力的に活動していただいています」


同社では自動車整備以外にも点検や洗車、ドラレコやETCの取付など多様なサービスを提供している。今後はさらに整備周辺のリソースを持つ企業と連携し、サービスを拡充していく方針だ。


「整備工場だけでなくディーラーさんなど、整備士の人材不足は業界共通の問題なので、出張先を増やして整備士のリソースを最大化させるような動きが1つ。あとは、カーシェアのような新しいモビリティやMaaSの部分にも自動車整備の観点から取り組んでいきたいですし、現場のデータ活用、ファーストキャリア開発など伸ばせる分野は非常に多いと考えています」


業界のためにより良くしていけることはまだまだ多い。未開拓だからこそ、変革の余地が大きいと大塚は考える。


「今後は整備士さんの地位を向上させ、もっとスポットライトを当てていきたいですね。先ほど挙げた人材不足などの課題も、業界の構造が変わらなければ根本的な解決に繋がらないと思っているので、さまざまな立場の人にとってより良い業界の在り方を実現していきたいと考えています」


どんな業界も時代の変化に取り残されたままでは、衰退を余儀なくされてしまう。持続可能な自動車整備業界の未来を見据えるFixxは、思いに賛同する整備士や企業と手を取り合い、より広範な課題解決へと挑戦していく。




2章 生き方


2-1. 外へと向かう好奇心


田舎という言葉がふさわしく、最寄りの駅まで歩けば約2時間弱かかる。住んでいた団地の周りには山や公園が広がるばかりで、子どもの目を引く娯楽もない。生まれてすぐ父の仕事の関係で引っ越してきた栃木では、自然に囲まれながら育ったと大塚は振り返る。


「小さい頃は、やんちゃ坊主じゃないですかね(笑)。みんなで秘密基地を作ったり、川で魚を捕ったり。記憶に残っているエピソードとしては、紅葉のシーズンに友だちと自転車のかごいっぱいに詰めた落ち葉を団地中にばらまいて、管理人のおじさんに掃除しろと怒られたりしていましたね」


団地は山を切り拓いたような場所にあり、すぐ隣が山だったため遊び場には困らなかった。落ち葉を集めてジャンプしてみたり、友だちと焼き芋を作ってみたり。しかし、物心ついてしばらく経てば、目で見て触れている世界の外への興味が湧いてくる。


「おそらく小学校くらいまで、ほとんど団地の中でしか遊んでこなかったんですよね。隣町の主要な遊び場まで、自転車で1時間以上かかるんですよ。内内で遊ぶしかコンテンツがなくて、当時から外の世界を知りたいみたいな思いがあった気がしますね」


変わり映えしない風景のなか、子どもなりに少しでも気になるものがあれば「やってみたい」という衝動が湧いてくる。昔から体を動かすことが好きだったため、特にスポーツが多かった。


「自分はどちらかと言うと『あれやりたい、これやりたい』という好奇心がすごく旺盛なタイプで。幼稚園はサッカーと体操をやって、小学校ではそのまま体操をやったあと水泳とエレクトーンを習って、最後は野球をやりました。小学校を卒業するまではなんでもやってみたいと言って、手を出してはやめての繰り返しでしたね」


興味を持つきっかけは、どれも些細なものだった。仲の良い友だちがやっていたから、誘われて面白そうだったから。やりたいことは尽きないもので、次々新しい対象へと興味は移っていく。両親からは「最低2年は続けなさい」と言われていたため、2年スパンで熱中するものが切り替わる。


はじめは当然できないことばかりだが、次第にできることが増えていく。その過程では、自分がまだ知らない世界を目の当たりにするような、たまらない面白さがあった。


「あとは自分よりできる相手と闘うことが結構好きなんですよね。野球も水泳も体操も、自分よりも上手い友だちが絶対にいて。2年ごとに違うことをやっているので勝てないのは当たり前なんですが、『こいつを越えたいな』とものすごく思って、それがモチベーションになっていたと思います」


上を行く友だちを見て、その差を思い知らされると居ても立っても居られなくなってくる。当時はあまり興味がなかった勉強も、6歳上の兄が受験勉強をしていた小学3年生の1年だけは負けじと机に向かうほど、追いかけたい背中は自分の中で大きなものだった。


簡単に勝てても手応えがないし、勝てない悔しさを味わうからこそ、もっと頑張ろうと思える。追いかけ、追い越したい。その先にある世界を見てみたい。そんな情熱に、何度も駆り立てられてきた。


小学校時代、野球をやっていた頃



2-2. 打ち込むほどに、知らない世界へ


中学校では新たなスポーツと出会うことになる。母からユニフォームを洗うのが大変と言われた野球をやめて、室内スポーツであるバレーボールを始めることにした。


「バレーボールは結構楽しかったですね。やっぱり自分がやったことのないジャンルのスポーツなので、全くできない状態から少しずつできるようになっていくフェーズがすごく楽しかったです」


最初は難しく感じたが、コツを掴んでからは比較的スムーズに上達できた。周りより習得が早く、さらに身長が高かったこともあり、次第にチームでも頼られる存在になってくる。活躍できる幅が大きくなるにつれ、今まで経験した以上のやりがいを感じるようになった。


「田舎なので弱小校だったのですが、良いメンツが揃っていた代で、歴代最高である県ベスト4に入ることができました。引退後には栃木選抜のようなものがあって、行くつもりはなかったのですが、監督が誘ってくれたのでやってみるかと思って」


選抜では県内から有望な選手が集められ、ドリームチームを結成する。4か月ほどの集中練習を経て、各都道府県の代表チームと闘うジュニアオリンピックカップに臨むというものだった。


「宇都宮の都会の方の学校から来た選手なんかはすごく上手だし、幼少期からバレーをやっていたりする。やっぱりそういう人たちに憧れてはいたので、ものすごく楽しかったんですよね。選抜では高校生や大学生とも試合をしたりして、当然圧倒的に負けるんです。もうたまらなくて。その時すごくきつかったのですがやっぱり楽しかったので、高校でもバレーをやりたいと思うようになったんです」



ちょうど特待生スカウトをもらえたため、栃木県にある作新学院高校へと進学することにする。


スポーツ特待生として集まった同級生たちは、それぞれ何かしら運動面で秀でたものがある。体育の授業ともなれば、それがぶつかり合い、サッカーをしていたはずがいつの間にかラグビーになっていたりする。気の合う仲間と一緒にバカなことをして、笑い合う日々だった。


「やっぱりスポーツは応援されていましたね。特に学校から応援される『指定部活』のようなものがあって、当時はバレーと野球と水泳だったんです。2つ上には、のちにオリンピックで金メダルを獲った水泳選手の萩野公介さんがいたりとか、同じクラスにも水泳で東京・パリオリンピックへの出場が決まった子がいたりとか、結構すごい人たちが周りにいて、もうそれまでからすると考えられないような環境でした」


バレーを頑張ったことで世界が広がり、ますますバレーが面白くなる。結果が出ることで自分に自信もついた。その先に目指す世界といえば、やはり全国だった。


「高校2年の時は絶対優勝すると言われた代で、順調に勝っていて。冬にある『春高バレー』という1番大きくて注目される全国大会にも出場したんです。先に3セットを取った方が勝ちなのですが、2セット取って『もうこれ行けるな』とみんなで油断していたら、そこから3セット取られて逆転負けしたんですよ。それがもう悔しくて悔しくてたまらなくて」


勝てるはずの試合だったにもかかわらず、まさかの敗北という結果を突きつけられる。悔しさを胸に、次の年は絶対に優勝しようと全員で誓う。しかしその矢先、春の関東大会前日に、練習試合中の事故でスパイクが目に当たってしまう。


「お医者さんに診てもらったら、目の奥から血が出ていると。その血が引かないとなんとも言えない、網膜剥離だったら手術しないといけないしと言われて、しばらくバレーができなくなったんです。結局目はなんともなかったのですが、そこで挫折というか、体はすごく元気なのに動けないもどかしさや苦しさがすごくありましたね」


春からドクターストップになり、結局秋頃まで安静にしていなければならなかった。希望を捨てず、仲間のためにできることはしてきたが、インターハイ予選にも出られなかったあたりから、今後のバレーボール人生について考えざるを得なかった。


「もうこれはいつまで経ってもできないかもしれないと思って、1~2週間はすごく悩んだのですが引退することにしました。平凡な団地で育って、ここまで来られただけでもすごく恵まれていたし、幸せだったなと思って。じゃあ、もうこうなったら東京の大学に出て、いろいろなことを知りたいと思って、そこからの決断は早かったですね」


大学からの誘いもあり、プロになる道を真剣に進みたいと思ってきた。けれど、その夢は叶わない可能性が高そうだった。それならいっそ、もっと広くて知らない世界を見てみたい。どうせなら東京に出て、新たな道を探したいと心を決めた。


高校時代、バレーボール部の仲間と



2-3. 熱中する人


幸い部活の実績と評定平均が十分にあったため、指定校推薦を使うことができた。専攻は父が自動車関連の仕事をしていたことから、なんとなく同じ道に惹かれ、都内で通えそうな大学の機械工学部を選ぶことにする。


大学生活で印象的だったのは、何より人との出会いだった。


「居酒屋やステーキ屋でアルバイトをしていて、当時一緒に働いていた人がとあるバンドのメンバーで。今も有名になってきているのですが当時からすごく頑張っていて、少しずつ有名になっていく姿を間近で見たり。『フランス料理の修行をします』と言ってフランスに行った人が、こっちに戻ってきた時には有名ホテルのシェフをやっていたり。身近にいた人の姿にすごく刺激を受けたんです」


何かに一心に情熱を注ぐ人を間近で見ていると、打ち込めるものがあることの素晴らしさを再認識させられるようだった。


自分も中高時代はバレーボールにずっと打ち込んできたように、何かに打ち込みたい。大学では新しく何かが見つかるかとも思ったが、「これだ」と思えるものとは出会えていなかった。


「当時自分が興味を持っていたものといえば旅行ぐらいしかなくて、おそらくどんなものがあるのか何も知らなかったんだと思いますね」


少なくとも世界を旅すると、自分がもといた世界の小ささや日本の良さを再発見できる。ちょうど安く航空券を探せるアプリがあったので、格安の航空券を乗り継いで世界一周のようなことをするのにハマり、気づけば4年間で20か国以上を訪れていた。


「旅行の時は、楽しみ方を探すような楽しみ方をしていますね。何もしなかったり、逆にあれこれ行ってみたり。現地の人に普通の観光をしていたら知ることができないような施設や穴場スポットを教えてもらったり、自分の知らない世界を知ることが楽しかったんです」


知らない世界を教えてくれるのは、異国の土地や文化だけじゃない。人との出会いもそうだ。南米ボリビアのウユニ塩湖へと1人旅をした際は、道すがら出会ったイギリス人旅行客と話が弾んだりもした。


「その旅人いわく、appleと言えば日本だと赤いイメージじゃないですか。でも、地域によっては青っぽかったり、黄緑っぽいイメージがあったりする。appleという単語一つで解釈って違うよねと。当時あまり英語が分からなかったので、完全に合っているかは分からないんですけども、そういったことを話していて。要は同じ単語でも人が違えばニュアンスや解釈が変わってくる、それってすごく面白いなと感じたことを覚えています」


大学時代、ボリビア・ウユニ塩湖にて


就職活動では当初からイメージしていた通り、自動車業界を中心に受けることにした。ご縁があり就職を決めたのは、国内外の自動車用照明機器を製造するスタンレー電気だった。開発職としての仕事もさることながら、そこではまたも働く人から刺激を受ける。


「1年目の秋ぐらいでしたかね。父の知り合いであり、スタンレー電気の役員の方がいて、対面でお話する機会をもらったんです」


父とその方は、かつてとある挑戦的なプロジェクトに一緒に取り組んだ仲だということだった。なんでも当時自動車に搭載されるエアコンなどの操作パネルは、現在のように一つにまとまっていなかった。ばらばらだった各機能を統一できないか。当時誰もが無理だと考えたプロジェクトを日本で初めて立ち上げて、ヒットさせたという。


その過程にどんな苦労があり、どんな成果に繋がったのか。歴史の当事者が熱弁する言葉には、不思議な力が込められているようだった。


「いろいろお話したりエピソードを聞くうちに、やっぱり熱中している人、何か熱を持っている人の魅力だったり、人間的に尊敬できる部分だったりを改めて知って、ものすごく刺激を受けたんですよ」


自分はバレーボールをやめて以来、熱中できるものがない。設計の仕事も楽しかったが、あの時ほど打ち込める感覚は得られていなかった。


「自分にとって熱中できるものってなんだろうと思ったりして、もう自分のできるところから挑戦してみようかなと。若いうちしかリスクも取れないじゃないですか。だから、思い切って会社を辞めようと、1年目の冬ぐらいから考えていました」


尊敬する人のように、自分も仕事を通じて何かに打ち込んでいたい。しかし今はまだ、社会を知らない自覚があった。どんなビジネスがあり、どんな人がどんなことを思うのか。好奇心と湧き上がる衝動に背中を押される思いがした。


できることから挑戦を始める。自分なりの道をつくるには、それしかないだろうと思えた。


新卒時代、スタンレー電気の同期と



2-4. 起業


始めるなら早い方がいいだろうと、早速お世話になった人に報告することにした。


「1年目の冬に気持ちが固まって、そのあと1月2月ぐらいに『4月に辞めます』ということを役員さんだったり父の関係者の方、そして父にも伝えたんです。ただ、ちょうど新型コロナウイルスが流行りはじめたタイミングだったので、『さすがに今は違うでしょう』という話になって」


たしかに今後の社会情勢がどうなるか、あまりに読めない時期だった。そのため周囲の薦めの通り、少なくとももう1年は会社に残ることにする。


ちょうど研修が終わり、2年目からは本格的な配属が決まる頃だった。海外系の部署に行きたいという希望が通り、欧州車向けリアランプの設計を担当することになる。時期的に海外出張こそ行けなかったものの、そこでは新しい発見が多かった。


「欧州車の構造って日本車と結構違っていて、ものすごく面白かったです。やっぱりヨーロッパの方が技術が進んでいるので、どういう構造になっているんだろうと分解したりして。製造過程でも部品の上側と下側を溶接してくっ付けたりするのですが、それが日本とは上下逆だったりするんですよ。日本で常識とされていることが本当に常識じゃないんだと衝撃でした」


知らない世界を知ることはやはり面白い。しかし、1年ほど経っても根底にある気持ちは変わっていなかった。周囲からは反対もされたが、最終的には思いを貫き一歩踏み出すことにした。


「自分にとってはスタンレー電気から出ていくことは結構ハードルだったんです。友だちや家族など身近な人を結構大事にしていますし、父やその仲間の方や一緒にやってきた人の期待を裏切ることはきついなと思って。ただ、最後は自分の素直な気持ちが設計に対して向いていなかったということは、しっかりお伝えしました」



自動車業界を離れるとはいえ、ゆくゆくはお世話になった業界に貢献できるような事業ができればと考えていた。それには自動車のことだけ知っていればいいわけではないだろうと、まずは異業種に飛び込んでみるつもりだった。


「その時は神奈川県のすごく田舎の方に住んでいたので、とりあえず東京に出ようと思って。いろいろ仕事を探していたのですが、やっぱり未経験でも就職できそうな仕事というと主に営業関連で、不動産会社の営業に転職しましたね」


業界の構造や、土地や建物にまつわる知識を学びつつ、飛び込み営業などを通じて社会にはさまざまな人がいると知る。ある程度仕事に慣れてからは、リスクも少なくできそうだったレンタルスペースの運営を片手間で始めてみることにした。


「当時はレンタルスペースの走りの時期で、そこまで店舗数も多くなかったのですが結構順調に進めることができたので、やったもん勝ちなんだなとは思いましたね」


思いのほかレンタルスペース業がうまく回り出したので、並行して水たばこのお店も開業する。黒字に転換するまで時間はかかったが、自分なりの経営のようなものを体感することができた。


一方で、自動車業界に足りないものはIT関連の変革であるように感じていたため、最先端のIT分野や仕組み化にも触れておきたかった。ちょうど起業家人材を求めるITスタートアップ企業とご縁があったので、事業開発として転職する。


「そこではスタートアップで働く優秀な人たちはこんな考え方をするんだとか、こういう流れで仕事を進めるんだということを学ぶことができて。あとは、Web3を軸として業界を問わないプロジェクトがあったので、IPコンテンツから観光、地方創生まで幅広く経験することができ、すごく良かったなと思います」


当時は最先端を行くWeb3業界のトレンドに触れるうち、情報交換のため投資家との交流機会も多くなっていた。なかでものちにFixxを共同創業する柴田泰成とは、同じスポーツ系のルーツがあると分かり、意気投合するまでに時間はかからなかった。


「『将来は自動車関連の事業をやりたいんですよね』という話をした時に、柴田からは『整備だったら分かりやすいかもね』と言われて。自動車業界全体で見ると、新車の開発などは品質面で結構シビアなので、始めるにしても資金と信頼がいる。整備はアフターマーケットの中でも一番大きいですし、デジタル化が進んでいなくて課題も根深いものがある。まだまだ競合も少ないということで、一緒に始めてみようかという話になったんです」


楽天、リクルートを経て、10社の創業・共同創業に携わるとともに、ベンチャーキャピタリストとしても活躍してきた経歴を持つ柴田とともに、2020年9月に株式会社Fixxを創業。今、そして未来の自動車整備業界に必要とされる仕組みを生み出すことで、業界全体の構造をより良い姿に変えていく。


自分なりの思いを持って挑戦できる領域だからこそ、迷わずやりたいと思えるものがそこにはあった。




3章 自分なりの道を探す人へ


3-1. 熱中の先にある、「熱」が伝播する面白さ


田舎の団地の外にある世界を知らずにいた幼少期から、まだ見ぬ世界へいつも踏み出そうとしてきたからこそ今がある。自身の体験を振り返り、挑戦することは決して限られた人の特権ではないと大塚は語る。


「スタートアップ業界を見ていると、結構キラキラした経歴の方や素晴らしいキャリアをお持ちの方が多いと思うのですが、普通の人でもこうやって挑戦すれば一定事業を作ったり、事業を通じて感謝されるようなこともできるんだよということはお伝えしたいですね」


大きな原動力になったのは、打ち込めるものを探す心だった。答えはスタートアップで働くなかで見つかり、そこではさらなる面白さの発見があったという。


「物事全てが自分事化されて熱中している感覚というか、自分の中に熱を感じますし、やっぱりそれが身近な仲間たちだけでなく、社外の関係者や自動車関連企業さんなどにも伝染していく感覚がすごく面白いんです」


まだ誰もが認知していない価値を伝えたり、社会にまだない仕組みを生み出したり。スタートアップが進むのは不確実で前例のない道だからこそ、賛同したり共鳴してくれる仲間の存在は大きな意味を持つ。


そこでは表面上話が通じるだけでなく、相手と自分自身の核となる部分が打ち解け合い、同じベクトルを向いていると分かるような瞬間がある。


その楽しさをまだ知らないならば、自分なりの挑戦から始めてみるのもいいだろう。たとえ今は見つかっていなかったとしても、もがくことにも意味があると大塚は考える。


「(打ち込めるものがなくて)もがく時期も絶対あっていいと思いますし、その過程で出会う人や見つける発見も結構楽しかったんですよね。おそらくもがいていたからこそ見つかるというか、自分自身もがいたからこそ得られたものは、今はっきりとあるように感じています」


誰かの内から生まれる「熱」は、人から人へ、人から社会へ伝わっていく。自分なりに熱中しているからこそ、その状態を越え、人や社会に影響を及ぼし変化を生み出すことができるのだろう。



2024.3.29

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


幼稚園も小学校も、生活の全てが団地周辺で完結するような田舎で育ったと大塚氏は語る。自然の遊び場は限りなく広い。しかし、目新しい何かとの出会いは少ない。今でこそインターネット環境が発達し、子どもが得られる情報も格段に増えたと言えるだろうが、それでもリアルな機会の制約はある。


行動範囲が限られているからこそ、未知への好奇心も大きく膨らむものかもしれない。どんなときも知らない世界への期待や興奮を秘めていたという大塚氏。バレーボールでスポーツ強豪校として全国に知られる高校へ進学したり、大学生という時間を使い20か国以上を旅して回ったり。自ら知らない世界を知りに行くことで、自分なりに熱中できる何かを探しつづけてきた。


自動車整備士が今よりもっと誇りをもって働けるようにする、Fixxという挑戦はその結果辿り着いた一つの答えである。


始まりは小さな好奇心でも、究めれば社会に影響を及ぼすほどの扉を開く。だからこそ、行動を止めないことには意味があるのだろう。


文・Focus On編集部





株式会社Fixx 大塚裕斗

代表取締役社長

1996年生まれ。栃木県出身。大学卒業後、スタンレー電気株式会社へと入社。開発職として欧州車向けリアランプの設計などに従事したのち、不動産営業職、Web3企業の事業開発を経て、2022年9月に株式会社Fixxを創業した。

https://fixbox.jp/

  

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