不動産業界にテクノロジーの恩恵を―アウトサイダーの自考力

思考は深く、行動は大胆に。一人のアウトサイダーの情熱が変革を起こす。


いまだアナログな商取引が大きな割合を占める不動産業界。イタンジ株式会社は、AI(人工知能)/機械学習やビッグデータ解析など先進的なIT技術を用いてサービスを展開する、「不動産テック(reTech)」領域を牽引している。2016年、東洋経済『すごいベンチャー100』に選出されたほか、2017年3月にはKDDI株式会社、いちご株式会社との資本・事業提携を実現し、同社はさらなるステージへと飛躍した。不動産一家に生まれ、仲介業の起業・不動産投資の実業務経験などを経て、現在、テクノロジーで不動産の在り方を変えていく同社代表取締役CEO・伊藤嘉盛が語る「変革への挑戦」とは。



目次

1.変化を起こす

  変革者

  不動産×テクノロジー


2.あまのじゃくの目線

  なぜ勉強をするのか?

  人に負けたくない

  ビジネスが好き

  新しい手法を試す


3.異端児が見据えるもの

  ファイナンス理論と実態

  不動産が地域を変える


4.おわりに



変化を起こす


変革者


批判の一つもされないようでは、革命は成し得ない。誰かに与えられた答えに従うのではなく、慣習を疑い、常識をくつがえすアイディアで勝負する。父の仕事の関係で小さいころから身近にあった「不動産」という存在。自らのルーツともいえるその業界に、イノベーションをもたらすために。


情報の非対称性や不透明な取引など、業界構造上の問題を多く抱える不動産業界。いわゆる「不動産テック」ベンチャーとして事業を展開するイタンジ株式会社は、2012年に創業されて以来、急成長を遂げている。創業の翌年には約3億円の資金調達を実施。「新規事業はすべて採用する」といった主体性を重んじる社風のもと、これまで数々のサービスのリリースを続けてきた。物件を探すユーザーに回答する AIチャットを搭載した、賃貸不動産の自動追客&顧客管理システム「ノマドクラウド(nomad cloud)」をはじめ、仲介・管理会社向け24時間自動応答式の業務効率化システム「ぶっかくん」、「内見予約くん」は、そんな環境から生まれたサービスだ。


代表取締役CEOの伊藤氏は不動産業を営む家庭に生まれ、新卒で三井不動産レジデンシャルリース株式会社に入社。1年半後独立し、不動産仲介会社を立ち上げると、わずか4年で都内3店舗(日本橋、麻布、渋谷)まで事業を拡大、上場企業グループ会社へのバイアウトを実現した。その後、自らが業務に携わるなかで痛感した業界の非効率性をテクノロジーの力で変革すべく、イタンジ株式会社を共同創業した。


「私の存在意義が『変化を起こすこと』だと捉えているところがあって、世の中に変化を起こすとか、人生のなかで自分がそういう流れの中にいるのかなと思っています」


人生をかけて信じる道を行く、異端児・伊藤氏のルーツに迫る。


不動産×テクノロジー


今をときめくスタートアップも、1000万円の借金を背負った状態からはじまった。当然ながら、家族や知人からは猛反対を受ける。それでも、「知るか」と起業した。


「学生時代に起業に失敗してすでに借金があったりしたので、みんなに反対されて。『お前がもう一回会社作っても、どうせもう一回失敗するだけだ。10年くらい会社勤めをして修行してこい』みたいなのを全部無視して、はじめましたね」


資金が限られているなかでもはじめやすく、とにかく目先の自分にできること、そして何より、明日飯が食えるという観点で、不動産の仲介会社をつくった。26歳のときだった。


「『将来の夢は売上を一億つくることだ』みたいな、本当に小さな目標からスタートして。当時からすると大きいですけどね。月商80万からのスタートなので年商1億円は月商1000万かと、想像できないような世界だったんですけど、そこからだんだんと社員を増やしまして」


事業は順調に拡大し、六本木の一等地に店舗を出した伊藤氏。しかし、そこでの集客に失敗し、事業は赤字に。窮地に立たされた伊藤氏を救ったのが、ITだった。


「仲介業はとにかくSUUMOやHOME’Sに物件を入力する、広告の出稿からはじまるんですけど、右から左にという作業がひたすらあって。物件情報もFAXで来るし、やればやるほど人間がやらなくてもいいようなことがたくさんあるなと思って。Excelが得意だったので、もっと自動化できないかなって考えたんです。そこがスタートかもしれないですね」


成約を得るためには、一人でも多く集客したい。そのためには、1件でも多く最新の物件情報を掲載したい。不動産の仲介業は、やればやるほど苦しくなる構造になっている。伊藤氏は得意だったExcel のスキルを活用することで、通常一つの物件情報を作成するのに2、30分かかるところを、5秒で掲載できる仕組みをつくった。また独自にWEBマーケティングも学び、それにより当時、日本でも有数のWeb集客を誇る、物件紹介の自社サイトをつくることができた。


不動産業界は、ITでもっと効率化できる。その確信を得た伊藤氏は、「不動産×IT」領域でのサービス開発に集中するべく、既存事業を売却、並行して立ち上げていたイタンジ株式会社に集中することとした。テクノロジーで不動産の在り方を変える、そんな誰もが成し得ていない偉業に挑戦する。そのスタートラインに立った瞬間だった。


イタンジ株式会社は、経済産業省委託事業におけるIT導入補助金において「IT導入支援事業者」に認定されている。


あまのじゃくの目線


なぜ勉強をするのか?


かつて市の工場誘致により人口が増加し、発展した埼玉県にあるニュータウン。そこで、父は戸建不動産の分譲業を営んでいた。大手メーカーの工場で働く人などが多く住むその町で、自営業を営む父と、台湾人の母の間に生まれた伊藤氏。価値観が均一で保守的なエリアのなかでは、文化的に異質な家庭だった。そのためか、何かのコミュニティに属したり、友達と一緒に過ごすことは多くなかった。母は経理として会社を手伝っており、兄姉は年が離れていたこともあり、小さいころは一人で黙々と遊ぶことが多かったと、伊藤氏は語る。


「『どろんこ保育園』っていう、結構変わった保育園に通っていて。靴を履かずに、半ズボンで、基本的にものは使わず野に放たれるんですね。そこでひたすら自分の好きなことをやり続ける。一日中、電柱の下の穴を掘るっていう遊びを一人でしていたんです。虫が出てきて、時間が来ると埋めなおす。何が楽しかったんでしょうね、手段が目的化してるというか、穴を掘るのが楽しいみたいな感じでしたね」


文字や人の手でつくられた物は一切与えられず、自然のなか体ひとつで表現することを教える有名な保育園だった。トイレでは紙の代わりに葉っぱを使い、秋になったら木の実を食べる。何か与えられるのを待つのではなく、すべて自分から取りに行く環境。答えは自分で見つけなければならない。だからこそ、伊藤氏は自ら目的を見出し、自分の責任で目的に向かうようになっていく。


「文字なき世界だったんですよね。動物的というか。そんな感じで小学校に入ったら、みんな靴と靴下を履いている。すごい進化ですね」


課題が与えられて、それに対して決められた答えを出す。誰もが言われたままにはじめる勉強というものも、伊藤氏にとっては違和感の連続だった。


「そこら辺からあまのじゃくでしたね。たとえば、『自転車をこいでいて、雨が降ってきました。そのとき安全な乗り方はなんでしょう』みたいな社会の問題があって。『カッパを着る』っていうのが正しい答えなんですけど、僕は『透明な傘を自転車につける』って書いたんですよ。そしたら、それはバツだったんです。なんでこれがバツなんだよっていう。そういうことが多かったですね」


むかしから自分一人で思考してきた伊藤氏にとって、決められたものの見方を強いる学校の試験問題は理解ができなかった。算数の時間に「ミカンが5個あります。そこから2個食べました。何個になるでしょう?」と問われても、「そもそもなぜミカンがあるのだろうか」と考えを巡らせていた。


テストの問題に「ムカついていた」伊藤氏。それは、誰かが考えたアイディアであると、反骨心を育むものとなった。もっと違うアイディアを試したい、答えはきっと一つではない。物事を疑い、自分なりの新しい答えを導き出すことが価値となっていった。



人に負けたくない


テストには反感を抱き、勉強はあまりしないまま小学校高学年にあがった。心を許せる友達も多くはなく孤独を感じていた。あるとき、まともに勉強しない伊藤氏を見かねた担任の先生がかけてくれた言葉が、転機となった。


「担任の先生に、『お前何か一個でいいからがんばってみろ、数学で100点取ってみろ』と言われて。がんばって勉強したら100点だったんですよね。今思うと、もしかしたら100点じゃないけど、100点にしてくれたんじゃないかと、結構そういうことをしそうな先生で。それが一つきっかけになって、学ぶこととか点数を取ることが楽しいと、そこから勉強が好きになったんです」


学ぶことのおもしろさを知った伊藤氏。次第に、テストや成績で一番を目指すようになっていく。それは先生との勝ち負けのある闘いであったのかもしれない。


「小学校4年生くらいのとき、サッカーをみんなでしていたら、転校生とぶつかって胸ぐらつかまれて、そのときに自分が何もできなかったんですね。転校生って宇宙人っぽいじゃないですか。だから、そういう人に胸ぐらつかまれて、とにかく自分の女々しさに、弱さにイラっとしたんでしょうね。その瞬間から『俺は人に負けたくない』みたいな闘志がついたんです」


弱い自分、負けている自分に対して感じた怒り。それまでは、ひたすら自分の好きなことに目を向け、人から与えられた目的には目を背けてきた伊藤氏だったが、誰かとの勝ち負けにこだわるようになった。


「男に負けたくないとか誰にも負けたくないみたいな、勝ち負けって社会との比較になるじゃないですか。そういう社会のなかの勝ち負けと、自分のなかの直線的にがんばるところが重なって、勉強とかスポーツとか今の仕事につながったと思いますけどね」


小学校の卒業文集には、「総理大臣になる」と書いた。父からは5歳のころから会社を継ぐよう言われていたが、伊藤氏が憧れをもつことはなかった。それよりも、(当時知っているなかで)一番すごいものになりたかった。社会のなかの勝ち負けで勝つ。スポーツも勉強も、何でも一番になってやる。伊藤氏のなかで、勝つことに向かう誰よりも強い思いが原動力となり、向上心へとつながっていた。


中学生時代は陸上部に所属し、市で一位二位の成績を残した。勉強をしない不良と仲良くしながらもテストでは良い成績を取り、高校入試では地元で一番の進学校に入った。高校は男子校で、伝統として入学してすぐに、隣の女子高との合コンが開かれた。そこでも伊藤氏は、一番を目指した。


「たぶん僕がチーム制じゃなくスタンドプレーしたんでしょうね。一番かわいい子を一人で取りにいったんですね。そしたらそれ以来、伊藤呼ばないみたいな感じになって距離ができて、3年間ずっと一人でしたね」


周囲の意図を気にせず一番を手にしようとした結果、仲間から距離を置かれることとなった。学校の友達になじむことなく、3年間は校外の仲間とバンド活動に励んだ。誰よりも高い目標を達成し、満足を得る。しかし、伊藤氏の孤独が払しょくされることはなかった。


2016年に学生時代のバンドを復活。


ビジネスが好き


当時流行していたGLAYのような音楽バンドに憧れた。中学の文化祭のとき、全校生徒の前でバンド演奏をしたことをきっかけに、音楽をはじめた伊藤氏。高校生活はバンド一色で、一日中音楽に夢中だった。校外の仲間とバンドを組んで、東京ドームのような大きな舞台でライブをすることを目指していた。


「高校時代は、もうひたすらバンドだけやってましたね。考えていたのは、東京ドームでライブをする、武道館でライブをするってことだけでした。バンドのオーディション受けたり、デモテープをレコード会社に送ったりとかしていて」


当然、大学でも音楽をやろうと決めていた。早稲田大学に進学し上京すると、知人が作曲した曲での弾き語りや路上ライブに明け暮れた。しかし、音楽をやるために入った大学は、伊藤氏にとってそれ以上の意味のある場所であった。


「やっとそこから僕の第二の人生がスタートしたような感じで。ずっと孤独で友達がいなかった状態からすごくたくさん友達ができて、東京ってすごいなって感じですよね」


それまで地元では、均一的で保守的な価値観を強いられ、変化を求める伊藤氏の孤独な心が救われることはなかった。出る杭は打たれるような世界から一転、東京に来て、はじめて自分が自由でいられるように感じていた。


大学1年の夏から4年まで、ほとんど授業に出ず、音楽にのめりこんだ。バンドが音楽を続けるためには、聴いてくれる人がいなくては成立しない。ライブをするにもファンがいなければ、武道館のステージに立つことはできない。バンドのファンをつくるためにも、伊藤氏は学内唯一のサークルを立ち上げた。


「恥ずかしいんですけど、『スキップ同盟』っていって、みんなでスキップをして、そのあと飲むってだけのサークルです。すごくキャッチーなんです。勧誘にも向いてて、『スキップしませんか』って言うと、効率的に暇人を見つけられるっていう(笑)」


サークルの中心人物として仲間を集め、同時にそのメンバーを全員バンドのファンにして、ライブに来てもらう。(スキップ自体にコンテンツ力がないのが欠点だったと振り返るが、)20人程度のゆるい集まりとして続いていた。


バンドを中心にした活動を2年程つづけていくなかで、音楽の道の険しさも見えてきた。良い曲を書く仲間や、対バンで出会う才能あふれるバンドたち。自分より才能ある彼らでも、売れているわけではなかった。


「行く先を見てしまって。かつ自分がこれ以上やったところで上手くも弾けないし、書けないし。どちらかというと、自分はバンドを有名にしたいというよりはマーケティング、実は売ることの方が好きなんじゃないかということに気がついて、いったん音楽を辞めようと思ったんです」


バンドを有名にするために、いかに売り、いかに広げるか。それ自体を考えるのが好きだった。そこでは自分のアイディアを形にすることで、自由に勝負できる。次第に伊藤氏はビジネスの世界に目を向けていくこととなる。


音楽からビジネスの世界へ足を踏み出した頃


新しい手法を試す


社会での勝ち負けという尺度をもっていた伊藤氏にとって、ビッグマーケットをねらうのは当たり前だった。株の運用を始めて軌道に乗せ、半年ほどで日に数十万円の儲けを出すまでになった。


「当時タクシーで大学に通っていたんです。朝7時くらいに起きたら、サンドイッチを食べながら日経新聞読んで、株のトレードをしてから学校に遊びに行く」


しかし、そんな生活は長くは続かなかった。当時、社会人とのかかわりで株サークルに参加していた伊藤氏は、彼らの勧めでライブドア株に全財産を投資していた。2006年、ライブドアショック。伊藤氏の手元には、1000万円の借金だけが残った。一時は死ぬことも考えるほどだったが、そのまま起業する道もあきらめ、就職活動をすることになる。


エントリーシートや面接官の決まりきった質問には、小学校のころの試験問題のように、あまのじゃくだった。「いかに面接官を説き伏せるか」ということに熱中し、内定を取ることは重要ではなくなっていた。有名企業を受け立て続けに落ちるなか、内定をもらったのが三井不動産レジデンシャルリースだった。


「ほんとにすごい仕事はがんばろうと思ってたので、MBAの本とかを全部買いあさって、ファイナンス理論とかか数値分析とか、全部読んで業務に臨もうと思ったんですけど、やらされるのは飲み会の準備とかばっかりで」


飲み会の席順や店の下見など、新人に任される仕事にMBAの勉強が役に立つことはほぼなかった。借金を返すため短期間に上り詰めようとする、強い向上心で動く伊藤氏は、大企業のなかで一人異質な存在だった。


「賃料予測をするときに、みんなチラシを何枚も見てやっているんですけど、自分はめんどくさがり屋、物事を疑う気質なので、データでできないのかなと思って。Excelで賃料の多重回帰分析とか線形回帰分析とかやって、自動的に賃料査定とかできないかなと」


いつも新しい手法を試してきた伊藤氏。営業先も先輩から引き継ぐのが基本だったが、一人飛び込みで営業をしていた。今思えば、当時の足りない知識では、浅はかでしかないこともたくさんあった。それでも、周囲にそんな発想をする人もいなかったからこそ、自分のアイディアを試し、変化を起こしたかった。


自分自身で事業を起こし、世の中にその価値を問うてみたい。もっと大きな勝負をしてみたい。伊藤氏の気持ちははっきりとした輪郭を帯びていく。入社してから一年で独立を決意した。仲介会社の起業からはじまり、倒産の瀬戸際まで立たされながらも、ITを活用した集客で事業は再度急成長を遂げる。「不動産×テクノロジー」による業界の変革を自らの使命とし、2012年にイタンジ株式会社は創業された。



異端児が見据えるもの


ファイナンス理論と実態


3社異なる環境での事業を経験したのち、早稲田大学大学院ファイナンス研究科へ入学しMBAを修了した伊藤氏。事業とMBAの融合はあるのだろうか。理論の延長線上にも、「自らの発想をもつ」伊藤氏の姿勢が見て取れる。


「MBAっていうのは、正攻法と理論じゃないですか。だから、その逆を突くんです。ファイナンス理論は基本的に、『たまごは一つのバスケットに入れてはいけない』、つまりいろんな銘柄にちょっとずつ投資してリスクは分散するっていう考え方が根底にあるんですけど、僕はその逆張りだと。すべて一極集中で投資する発想です」


ファイナンス理論の世界においては、「効率的フロンティア」という概念により同一水準のリターンへの分散投資でリスク最小化を促す。しかし、必ずしもこの正攻法の理論が正しいとは限らない。


「たとえば、野球。これはウォーレン・バフェットが言っているんですけど。野球チームにイチローみたいな選手が出たときに、育ったらすぐ売ってしまうか、ほかのチームに移籍させるのがファイナンス理論。いろんな選手に賭けるのが、一番チームの成績を上げるという考え方です。でも、イチローみたいな人がいる状況も頻繁には生まれないんです。イチローみたいな人がいたら(移籍させずに)全部の資産をかければいいじゃないですか」


ファイナンスの正攻法では同一水準のリターンへの分散投資が正義とされるが故に、野球でいうイチローのような人の価値に対して機械的になってしまう。イチローを手放すことを良しとしてしまう。そうであるならば、勝つために必要なことは「逆張り」の発想である。


「イチローみたいな人は有限なので、見つけたらそこに集中する。資産を投下するのと、長期ホールドですよね。基本的に売りません」


イチローは有限である。同じような高い能力を持った人間が、何人も生まれるものではない。だからこそ、正攻法の逆張りを攻めることが、勝利へと導いてくれる。それは、世の中の在りようを自らの目で正しく捉える伊藤氏にとっては、当然持ちうる視点であった。


「『世の中が合理的である』という前提に基づいているのがファイナンス理論。私とかウォーレン・バフェットは『世の中は歪んでいる』って考えているので、そこが理論との違いだと思います」


良い投資先が無限にあるという前提のもと成り立つファイナンス理論の正攻法は、世の中を正しく捉えているとは限らない。理論の背景には真実があり、実態がある。それは、語られる理論の姿とは異なる現実をもたらす場合もあるのだ。


2017年9月、暮らしをテクノロジーで変える-Living Tech Conference2017に伊藤氏が登壇した。


不動産が地域を変える


旧来の不動産業は「最も土地を高い値段にする」競争であると、伊藤氏は語る。ホテルであれば、ビジネスホテルにするか、ドミトリー式にして坪単価を上げるか、という選択があるように、最も不動産価値を高めるビジネスモデルを構築し、土地の値段を高めていくものなのであるという。


ビジネスモデルにより価値を高め、利益を得る。伊藤氏もかつてはシェアハウスを開発し、不動産としての価値を高めることにより、不動産価格を高くし売却するビジネスを展開していたという。需要があるからこそ、作れば作るほど儲かるビジネスであったが伊藤氏は開発の手をとめた。


「一時期シェアハウスを開発していたんです。それは本当に儲かるんですよ。儲かるんですけど、社会性がないんです。その物件ができたからといって、その地域はまったく良くならないし、そもそも影響もない」


儲かるだけでは社会にとって意味がない。不動産業で儲かることの先には社会とのさまざまな接点があり、それは社会を良くする接点となりうる。


2018年から、イタンジではホテル事業がはじまる。不動産投資の在り方を変えるきっかけにしたいと、伊藤氏は語る。


「今、不動産投資の在り方を変えるということに新しくチャレンジしています。これまでは賃貸の流通にチャレンジしてきたんですが、開発や資金調達に参入して、どんどん川上に行きたいなと思っていて。今度東神田に一件目のホテルができるんですが、今回の不動産投資では個人からお金を集めて、社会性の高い建物を作っていくっていうことにチャレンジしているんです」


イタンジ初となる不動産開発案件。築50年近いビルを解体し、新築ホテルを建設する。AIを活用してホテルのオベレーションの再発明、リアルとテクノロジーの境目の融解にチャレンジする。写真はビルの社内見学会の様子。


個人から資産を集めることで、不動産の在り方を変えていく。これまでの不動産投資は、銀行が最も評価するような物件をつくるという力学が働いてきた。不動産ビジネスでは、物件にレバレッジをかけるため、銀行に借金をする必要があった。それは、儲かるだけのビジネスである。不動産の接点、地域を良くしていくことにはつながらない。


銀行にとっての重要項目は、その物件のキャッシュフロー、つまりお金がいくら生まれるのかということだ。一方、個人が資金を出す場合、「応援したい」、「地域に貢献したい」、「かっこいい物件を建てたい」など、それぞれの欲求や個人的な感情が入ってくる。


「たとえば、ガウディがつくったアパートって結構かっこいいですよね。すごくかっこいい物件をつくったら、『かっこいいから持っていたい』って気持ちが生まれるじゃないですか」


「銀行にとってではなく、地域にとって意味がある」そんな物件をつくっていきたいと語る伊藤氏。その土地の文化や、個人の出資者の思いのこもった物件が増えることで、町が特徴的になり、物件自体が観光資源になる。エリア自体に人が集まることで、地域に経済効果をもたらす。ひいては、日本全体を良くしていくことにつながる。


これまで数十年、数百年という長い間、同じ形のままだった不動産投資。そんな業界に風穴を開け、社会を変えていく。未来を見据えるその目には、確かな意志がある。



おわりに


経営学を学ぶMBAにおいて科目の一つとして設置される「クリティカルシンキング・批判的思考」。1930年代のアメリカの教育の世界で注目されはじめ、1980年代に論理を正しく導くためのひとつの学問として確立された。


日本においては1997年文部省(現文部科学省)の教育課程審議会より「多くを教え込む教育から、自ら学び自ら考える力を育てる教育」として、教育の方針転換の声とともに注目され、2012年には大学入試への導入が検討されはじめた。


元来、「在るべき姿」や「正しいとされるもの」を教え込む姿をしていた日本の教育も、自ら考える力を育てる教育の必要性の声により、変化がはじまっている。しかし、未だ旧来の教育過程から脱しきれているとはいえない。日本において、批判的思考という行為は、一種の否定的態度や物事を受け入れないような態度であると捉えてしまう教育の現場も依然として存在する。どんなに正しい回答であっても、教え込んだ回答から逸すると不正解であるとする教育も、日々目にすることは少なくはない。


それにより、現代の日本社会は「在るべき姿」が安心され、「正しいとされるもの」が愛されるようになってしまっているようにも思える。誰かが発信し、集団が正解としたものが正しいものであり続け、進化をもたらさない。自らの思考で判断していると思っているものも、気づかぬうちに誰かの思考にのっとり、無思考に選択している場合も多いのではないだろうか。


しかし、批判的思考は単に非難する行為とは異なるものである。客観的・中立的に情報を収集分析し、正しい結論への意思決定をもたらす。それが本来の意味である。そしてその思考は、自ら正しさを考え、良き未来へと導く礎となる。


適切な結論の導出に重要となる情報の評価段階に影響する要因を検討したところ,「探究 心」という批判的思考態度が正の影響を及ぼしていた。これは,さまざまな情報や幅広い知 識を希求するという態度を持って情報に接することで,信念と矛盾した情報をも受け入れ ることが可能になると考えられる。―大阪音楽大学短期大学部教職部会准教授 平山 るみ・京都大学大学院教育学研究科教授 楠見 孝


自らの思考を正しい意思決定へと導くための批判的思考も、より正しい結論を出すためには「探求心」が必要であるという。「探求心」が正しさのための情報収集を促し、自らの意見の方向と異なるものであっても受け入れる姿勢をつくり、正しさのステージを一つ上げてくれる。


伊藤氏は、探求しながら生きてきた。電柱の近くを掘ることに熱中していた幼少期にはじまり、現在、不動産業界の在るべき姿の正しさを探求しつづけている。


伊藤氏の「もっとよく」したいという探求の姿勢が社会の不便を解消し、もっとよい未来へと私たちを導いてくれるのであろう。伊藤氏のような探求心をもち、「批判的思考」をもつ人が増えれば、それは日本社会の未来の姿を大きく変え得る力となるかもしれない。



※参考

平山るみ・楠見孝(2004)「批判的思考態度が結論導出プロセスに及ぼす影響―証拠評価と結論生成課題を用いての検討―」,『教育心理学研究』52(2),日本教育心理学会,<https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/52/2/52_186/_pdf>(参照2017-11-12).


道田泰司(2003)「批判的思考概念の多様性と根底イメージ」,『心理学評論 = Japanese psychological review』46(4),心理学評論刊行会,<
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/24554/1/michita_y17.pdf>(参照2017-11-12).




イタンジ株式会社 伊藤嘉盛

代表取締役CEO

1984年生まれ。早稲田大学大学院ファイナンスMBA修了。三井不動産レジデンシャルリース株式会社を経て、2008年に不動産仲介会社を起業。業務を自ら行う中で業界の非効率性を痛感し、不動産取引のデジタル革命への志を立てる。2012年6月14日 チェ・ゲバラの誕生日にイタンジ株式会社を創業。

https://www.itandi.co.jp/