建設の歴史400年への挑戦―人生に勝ち負けはいらない

分かち合える。助け合える。たったそれだけで、ものづくりはかけがえのない体験になる。


2020年東京オリンピックを間近に控え、過去に例を見ないほどの特需と人手不足に直面する建設業界。その問題への解決の糸口となるのが、ITによる効率化だ。CONCORE’S株式会社は、国内70兆円という巨大な建設産業にITを融合させるスタートアップとして注目されている。同社が提供する建築・土木生産者のための写真共有プラットフォーム「Photoruction(フォトラクション)」は、2017年7月の正式リリース以来、大手建設業者から町の工務店・ハウスメーカーまで、既に幅広く支持を集めている。竹中工務店を経て、創業と同時にVCから資金を調達し同社を創業した、代表取締役の中島貴春が大切にしてきた「面白さ」の源泉にあるものとは。



目次

1.建設産業の変革

  建設×IT

  建設をスマートに


2.誰かがいることの価値

  オタク気質の母

  インターネットの面白さ

  自分の記録を超えることは面白くない

  麻雀の面白さ

  時代で変わらぬ価値のあるもの


3.事業のつくり方

  ものづくりは勝ち負けじゃない

  組織づくりに変わったことはいらない


4.おわりに



建設産業の変革


建設×IT


ダイヤルアップ接続でインターネットに繋がると、アンダーグラウンドな雰囲気のホームページが無数に存在していたインターネットの黎明期。掲示板やチャット部屋に行けば、顔も名前も知らない、互いをハンドルネームで呼び合う仲間との繋がりがあった。彼らと共同で作り上げたホームページ。そこには、みんなで何かを作り上げる、とびきりの面白さが詰まっていた。


伝統と歴史をもつ建設業界にITを掛け合わせ、新たな潮流を生み出しているCONCORE'S株式会社。「建設の世界を限りなくスマートに」と願う同社が開発するのは、建築・土木生産者向けの業務改善プラットフォーム「Photoruction(フォトラクション)」だ。建設現場で日々撮影される膨大な工事写真の管理を手助けし、現場の仕事を効率的に変える。2017年7月までに、総額約1億円の資金を調達した同社。2017年11月には、東京都が主催する事業成長支援プログラム「ASACスタートアップアクセラレーションプログラム」にも採択された。


代表取締役の中島氏は幼少期からITに親しみ、大学院では最先端の建築情報モデリング手法BIM(Building Information Modeling)を研究してきた。新卒で竹中工務店に入社し、大規模建築の現場監督と、建設現場で使うシステム開発やBIM 推進などに従事。その後、2016年にCONCORE’Sを創業した。現在、同社技術顧問にはTwitter関連サービス「モバツイ」の生みの親であり、BASE株式会社CTOを務める「えふしん」こと藤川真一氏が名を連ねている。


「人生勝ち負けを求めたら何事もあるじゃないですか。あんまり求めないようにしてますね、勝ち負けって」


競い合うよりも、ともに創り上げること。その価値を誰よりも大切にしてきた、中島氏の人生に迫る。


建設をスマートに


一般的なビルの建築で数千枚、渋谷ヒカリエのような大型建築の場合、15万枚にも上るといわれる工事写真。建設が適切であったことを説明する記録資料として、必要不可欠な存在だ。いまだアナログな仕事を多く残す建設の現場で、その膨大な記録管理の煩雑さは言うまでもない。


同社の建築・土木生産者向けプラットフォーム「Photoruction(フォトラクション)」は、その煩雑な作業を簡素化してくれる。工事写真をスマートフォンカメラで撮影し、誰でもクラウド上で手軽に管理・共有することを可能にしている。それにより、建設現場の技術者が本来あるべき仕事へ取り組むことが可能になり、生産性を飛躍的に上げるのだ。


「本来建築の技術者って、施工計画、いわゆるどうやって建てるかとか、次の日にどこにものを置くとか、今後の予算をどうするかとか、工程管理がちゃんと進んでるかとかを考える仕事なんですけど。日々のデータの整理とか資料の作成に追われて、そういうことに割いている時間がすごく少ないんですね」



2020年の東京オリンピックに向けた需要の高まりにより、未曾有の人手不足に直面する建設業界。「Construction-Tech*」なる言葉も叫ばれ、ITを活用した建設現場の生産性向上はひときわ注目を集めている。(* Construction(建設)×Technology(テクノロジー)を意味する造語。クラウドやビッグデータ、人工知能などのIT関連技術を用いて、建物の設計、生産、維持管理およびその関連業務を行う手法のこと(https://www.value-press.com/pressrelease/185721より))


CONCORE’Sは、そんな建設の世界を限りなくスマートにすることを理念として掲げ、業界全体の未来の向上を見据えている。


「いわゆる建設業って聞くとどんなことをイメージするかっていうと、だいたい3K*とか、『働いてる人が怖い』とか、『泥臭い』とか、そういう風にイメージされると思うんです。それはしょうがないですよね。僕もそういう風に思っているし、みんなそうだと思うんです(*『きつい』『汚い』『危険』である労働環境のこと)


一方で、GoogleやAppleのようなIT企業といえば、『かっこいい』『スマートに働いてる』といったものが一般的にイメージされているだろう。


「そういうイメージって産業の未来にすごく関わってくると思うので、僕自身は『建設業ってスマートに働いてるね』という風にできたらいいなと思っているんです」


産業のイメージが良くなることでより優秀な人が集まり、効率化が進むことで働く人にとって良い場所となっていく。それにより、より良い建築物を生むことができる。産業が良い場所となっていくことで、さらに優秀な人が集まり、産業が良くなっていく正の連鎖がはじまる。


図面、工程、機械学習など、今後は写真以外の機能も拡充しながら、建設のための総合的なプラットフォームを構築したいと語る中島氏。いわば建設業界におけるAWS(Amazon Web Services)*を作るのだ。それにより、業界のあらゆる作業が進化していく。建設作業を担う人、現場を管理監督する人、完成した建物を利用する人など、建築物に関わる数え切れないほど多くの人々の働き方が変わっていく。伝統的な建設業界が「スマート」といわれるように。それを実現するために、CONCORE’Sは「建設×IT」により未来を加速させていく。(*Amazonが提供するWebサービスの総称)


2016年12月、IVS(Infinity Ventures Summit)ローンチパッドにて。「Photoruction」は、サービスリリース前にも関わらず入賞と高い評価を受けた。(https://www.youtube.com/watch?v=a1GCp5LgcQ8より)


誰かがいることの価値


オタク気質の母


勉強をしなくてもとやかく言われないような、放任主義の家庭で育った中島氏。技術者の父と、いわゆるオタク気質で、いろいろなものにのめりこんでいくタイプの母のもとに生まれた。幼少期から誰かと自分を比較したりするよりも、母の影響からか、自分が面白いと思うものを見つけ、それに心を熱くし生きてきた。


中島氏が小学生だったころ、1990年代の後半から、日本ではインターネットが花開いた。ADSLや光回線が登場し、一般家庭にもインターネットが爆発的に普及していた。


「母はパソコンを買ってきたりとか、今でいうコミケみたいなところに同人誌を出版したりとか、そんなことをしていましたね。自分でもホームページを作っていて、かっこよく言うと今のSNSみたいな感じで、そこで集まった人とコミュニケーションを取れるようなクローズドな、会員制のSNSみたいな形でやっていたんです」


そんな母を見て育った中島氏も、いつしかパソコンに興味をもち、ホームページをつくって楽しむようになった。作り方は母親や、家にあった本から学んだ。まだインターネットというものがビジネスのツールではなく、ただ個人が思い思いにホームページをつくって発信していた時代のことだ。


「当時僕も、名前が『たかはる』というので『タカの部屋』みたいな感じで自分のホームページをつくって、今でいうとプロフィールページみたいな感じですね。マジカルバナナみたいなミニゲームもつけて。個人ホームページを公開するのが流行っていた時代なので、そういうもので発信してくと、一日100PVとか取れてですね。今でいうと全然大したことないんですけど、知らない人とつながることが面白いなと思ってやっていました」


誰かに何かを強制されるわけでない環境で育った中島氏は、自分が「面白い」と感じたことに、思い切りのめり込んでいった。誰かと競争をしたから面白いわけではない。自らの世界が深まっていくことが面白く、熱中していった。



インターネットの面白さ


のめり込んだインターネットの世界では、趣味の合う仲間も見つかった。


「当時はFacebookメッセンジャーもなかったので、ホームページにいわゆるチャットみたいなものを埋め込んでいました。それで結構いろんなホームページにチャット部屋があって、そこに入っていくと大学生や社会人の人がいて、(小学生はあまりいなかったですけど、)見たことも喋ったこともない人と喋れるのは面白いと感じて、結構はまってやっていました」


何かに強制されることなく、自由に好きなことに熱中することで、顔も知らない人と繋がりが生まれていた。それは、誰かと何かを生み出すことに大きな価値があることを、中島氏に感じさせるきっかけとなっていた。


大好きだったゲーム『ファイナルファンタジー(販売元:スクウェア・エニックス)』の攻略サイトでの出会いから、いつしか10人ほどで一つのサイトを運営するようになった。お互いのことをハンドルネームで呼び合う彼らとは、一度も顔を合わせたことがない。


「誰かと一緒にやったほうが面白いですよね。やっぱり複数人のほうが一人じゃできないこともできるし、うまくいったときも共有できるから」


一人で作るのも面白いが、誰かと一緒の方が圧倒的に面白い。手作りのサイトには、いつしか、日に400人もの人が遊びに来て、自分たちが設置したゲームで遊んでくれるようになった。ゲーム内では遊びに来てくれた人がチームを作るなどして、自発的なコミュニケーションが生まれてさえいた。


いろいろな人が集まり生み出されるものが面白い。インターネットの世界に熱中した中島氏は、小学校の卒業文集に「将来はWebエンジニアになりたい」と書いたという。


誰かとの勝負ではなく、共同で作り上げること。作り上げる苦労も喜びも、分かち合うことができる。そこには一人で得られること以上の価値があった。それは、中島氏にとっての価値の原点にもなっている。



自分の記録を超えることは面白くない


中学高校に上がると、当時は「オタク」が嫌がられる文化があった。そもそも周囲に、ホームページの意味を理解している人すらいなかった。「普通」でありたいと考えた中島氏はインターネットから距離を置くようになり、運動系の部活動に入ることとなる。中学校に入学すると、バスケットボール部に入部した。


「特に理由ないですね。小学校のときにやってバスケが一番できそうかなって理由ですね。剣道とかがほんとは興味あったんですけど、防具とか高いじゃないですか。親に『すぐやめるんだったら絶対買わない』と言われた記憶があって、すぐやめるかもしれないなと思って」


運動部に入ることを決めていたが、運動は嫌いで続ける自信もなかった。


もともと体を動かすのは好きではなかった中島氏。とりわけ、理由もなく強制され、ただ走る、という練習が苦手だった。バスケットボールもただ走らされるような練習が好きになれず、結局辞めてしまった。(バスケットボールの試合自体は相手が存在しているし、ゲーム性があるので面白かったという)


「(走ったりして)自分の記録超えるみたいなところって、あんまり面白味ないじゃないですか。単純にただ記録高めてくのはつらいなって感じですね」


バスケットボール部は1年目で辞め、バレー部に入った。バレー部の練習はサーブを打つなど、相手がある練習だったので面白くできた。


ただ体を動かすだけでは面白くない。走り込みのように、自分との闘いをしたところで中島氏にとって何か価値を生み出すものではなかった。相手が存在する練習でなければ面白くない。だからこそ、バスケットボール部の試合や、バレー部のサーブ練習などは面白かった。


相手がいるからこそ面白い。それは、インターネットの世界で「誰かと」の価値を見出していた中島氏だからこそ、一層強く感じられたことなのかもしれない。


工事写真撮影に使う黒板を書いている様子


麻雀の面白さ


高校時代、何よりのめり込んだのは麻雀だった。友人に教えてもらったことをきっかけに、毎日麻雀牌を掴みつづけた。


「麻雀は、単純に運で決まらない要素もありつつ、運で決まる要素もありつつ、そういうのが結構中毒性があるんじゃないかと思います。相手の捨て牌から相手の手を読んだりするんですけど、それがカチッと決まって自分が勝った瞬間とか、読み切ったときが楽しいんです」


自分の考えていたことが、きれいにうまくその通りにいくよう流れを読む。ゲームに勝つことはもちろん、たとえ負けたとしてもゲーム自体は面白いと思えた。勝ち負けという結果以上に、その面白さに熱中した中島氏。それは、機械が相手になるゲームでは得られない感覚だった。


「麻雀のゲームは、あんまり好きじゃないんです。ギャンブルとかスロットとかも、あんまり面白さを感じなくて。競馬とかは逆に面白いんですけどね。競馬は人が関わるので、運とか確率だけで決まらないんです」


休み時間から授業中まで、時間を問わず自作の麻雀牌カードで友人と遊ぶほど夢中になった。四六時中遊びすぎて、学校に取り上げられ禁止されるほどだったという。


人間を相手に手の内を読み、予測を現実のものにすること。生身の人間を相手にすると、機械に決められた確率や運だけのゲームにはない面白さがあった。誰かがそこにいるゲームであるから得られる魅力がそこにあった。



時代で変わらぬ価値のあるもの


建設の世界との出会いは、大学だった。麻雀やビリヤードなど、高校3年の夏まで好きなことに思い切りのめり込んでいた中島氏にとって、大学進学に希望の学部があったわけではなかった。建築学科を選択したのは、何となく建築がカッコイイと思ったからだという。


大学に入学してからも、はじめは建設に対して特別強い思いがあったわけではなく、むしろその逆だった。


「最初は図面トレースしたりとか、建築の模型作ったりするんですけど、あんまりデザイン・設計っていうところに興味を持てませんでした。デザインって、主観の部分がありまして。これが絵画とかと同じなんです。芸術と一緒で、評価する人は評価するし、評価しない人は評価しないし、しかも時代によっていろいろ変わってくるんです」


いまや何十億という値がつくゴッホの絵も、生前はまったく評価されなかった。無名の作家が手がけた作品が、晩年、当人が有名になった途端価値が上がるなど、評価の軸が主観的で時代によって変わりうる。デザインには価値判定に一定のルールや基準があるわけではないのだ。


限定的な誰かの主観で価値が左右されるものは面白くない。多くの人が集い、一定のルールのもと創り上げるものがあるから面白い。麻雀やインターネット、バスケットボールのゲームもそうだった。中島氏は、一定のルールのもと誰かと創り上げる面白さを経験してきた。だからこそ、主観によって評価が移ろう世界よりも、普遍的な判断基準のある世界で誰かと何かを作り上げる方が好きだった。


大学3年になると、研究室に配属される。主観的に価値が決まる設計ではなく、一定のルールのもと建築を生み出す過程を研究する、いわゆる建築物を「いかに作るか」という生産系の研究室を選んだ。そこで中島氏は、BIM(Building Information Modeling)という考え方と出会う。設計、施工から維持管理まで、建設にまつわるあらゆる工程をコンピュータ上で再現するというものであった。


「当時とある大学の先生が、こう言われていたんです。『建築は作り方も作ってるものも数百年変わってない。コンクリートみたいな新素材が出てきたり、クレーンとか進歩はあるけどね。いまだに人が紙に書いたものに骨組み作って仕上げして屋根作って、とずっと同じことをしている。BIMの出現でそれが大きく変わるかもしれない』と。これって、すごく夢があることだと思いました」


変わろうとしている建設の現場


建築物が生み出される過程は、数百年ものあいだ変わらない。確立された伝統と、客観的な過程と評価基準が存在している。その歴史に新たな未来を刻みうるBIMという技術に、中島氏は魅了された。


建設とIT。正反対のように思える二つの領域にまたがるBIMは、幼少期からパソコンやITへの興味をもちつづけていた中島氏の興味をより一層駆り立てた。それは中島氏にとって、建設の世界ではじめて真剣になれるフィールドであり、仕事にしたいと思えるものだった。研究をつづけ大学院に進学したのち、竹中工務店に就職する。入社後1年目に現場監督として配属される建設現場での経験が、現在のCONCORE’Sの事業へとつながった。


「(起業しようと思えたのは、)学生時代からBIMっていうITの技術をやってきたことが大きいかなと思います。そこには結構、僕自身ロマンもって勉強してきたところがあって、面白いなと思ってやってきたので。さらに現場に入って、『もっとできる、こうなったら面白い』っていうのが、結構湧いてくるんですよ」


仕事に活かせればという思いから、週末になると自主的にプログラミングスクールに通っていた中島氏。スクール卒業前、最後に自作のプロダクトを発表するデモの場で、VCの目に留まったのが、現在の「Photoruction」の原型となるプロダクトだった。


建設は、中島氏に誰かとものを創り上げる面白さを思い起こさせてくれた。


「建設も結構ものづくりとして面白くてですね。(入社1年目は)いわゆる現場に行ったんですけど、ITより全然ダイナミックなんですよね。できてくるものもドーンって大きいじゃないですか。ホテルの建設現場を経験したんですけど、開業してから一回だけ行ったことがあって、そこで普通にスタッフも働いてるし、観光客もいっぱいいたりとかして、やっぱりそういうのが面白いなって思って。建設現場でものづくりの大切さを学びましたね」


大規模な現場では、ときに1000人規模の作業員が働くこともある。誰かとともに創り上げるものづくりの楽しさや大切さを、中島氏は改めて認識することとなる。そして、ITはその夢をさらに広げてくれるものだった。


あらゆる人の汗と願いでつくりだされる建設の過程の400年を、ITの力によって変えていく。アナログに誰かと創り上げていくものを、ITはもっとスマートに変えることができる。それは、中島氏にとってロマンのあることであった。夢を形にするべく、2016年、CONCORE’Sは創業された。



事業のつくり方


ものづくりは勝ち負けじゃない


スタートアップという組織で、仲間とともにプロダクトを創り上げる。それ自体が、中島氏の喜びである。


「僕自身、昔からITが好きで、単純にものづくりするとかが好きなので、結構単純に『作ることが面白い』っていうのがありますね。いまは運用フェーズではなくて、がんがん機能つけていくフェーズですし、がんがんその内容も変わっていてブラッシュアップしていくので、その過程を見るだけでも普通に面白いですね」


自分たちのプロダクトが導入されたとき、使ってもらえて「便利ですね」と言われたとき、もちろん嬉しいし、モチベーションも上がる。しかし、それ以上に「作ること自体が好き」だと、中島氏は語る。


「逆にいま、もし誰も使っていなかったとしても作ることは面白いですね」


事業の結果としての勝ち負けは当然ながら存在する。だからこそ、競合他社との闘いにもこだわる必要がある。しかし、ものづくりをしていく上では、ものをつくる過程自体が面白味を与えてくれるものであるし、他社の動向よりも自分たちが何をつくるかということが重要である。


「勝つ負けるとかあるじゃないですか。正直あんまり勝った負けたにこだわりはないですね。ものづくりで勝つ負けるとかはないと思います。人生においても、勝った負けたはないですね」


「他社がこういう機能をつけたから、それをやる」とか、「こういう事業をはじめたからそれをする」とか、ものづくりは他社を意識して進めるものではない。ものづくりとは、何かと比較して勝ち負けを決めるものではない。「自分たちが」何を大事にして「自分たちが」何を創るのかが重要なのである。(もっと言えば、人の人生だって誰かと比較して勝ち負けを決めるものではないのだ。)


学生時代好きだった麻雀やビリヤードでも、面白かったのは勝ち負けそれ自体ではなく、いかに自分がうまくなり、思った通りの結果を出せるかだった。自らが理想として描くものづくりをし、かつそれを一人ではなく仲間とともにつくる。そこに競争はない。それが、中島氏にとって事業としてものをつくる醍醐味であり、意味である。


東京都渋谷区にあるオフィス


組織づくりに変わったことはいらない


何かものをつくるとき、世の中にはたいていフレームワークが存在しているものだ。


「プロダクトの開発の仕方とかもそうだし、言ってみればサービスのデザインの仕方も全部一緒じゃないですか。それってある程度一個フレームワークがあって、それに当てはめれば一番良いっていうのはベストなものが決まってきていると思っていて、それって組織でも一緒なんじゃないかと思っています」


スタートアップだからといって、組織づくりに特別な施策は必要ない。世の中には、先人たちが築いた道、すなわち目的を達するため歴史的に蓄積された最適解やフレームワークが存在しているのだ。


「あんまり変わったことはやりたくないなっていうのは一個あってですね。たとえば、休みの日を一週間の中で、好きな日を2日選んで休めるとか、よくあるじゃないですか。基本的に今の大企業しかり、先人たちが色々築いてきた、たぶん一番良い流れで社会が動いていると思っているので、あんまり変わったことはする予定はないかなと思います」


先人たちが築いてきた最適解がある。だからこそ、組織に合わせて合うものを取り入れ続けていく。


「本当はやったことないことに挑戦するのがイノベーションとかだと思うんですけど、個人的に組織づくりとか、開発とかってところにはイノベーションはいいかなって思っています。それよりも、使えるフレームワークを取り入れるっていうのがいいかなと」


中島氏のものづくりの原点、インターネットでもそうだった。ホームページをつくろうとするとき、まず本を読み調べてみる。どこかのフレームワークを見つけてきて取り入れた方が、自分一人の力でやるよりもいいものができた。応用は自由にできるが、まずはフレームワークに則った方が効率はいいと、中島氏はこれまので人生で実感してきた。


歴史的に良いものとされる「型」がベースとなり、ものづくりは輝く。特別なイノベーションは必ずしも必要ではない。先人の知恵や、ともにつくる仲間の存在が支えてくれる。いずれにせよ、自分一人の力では限りがあることは明白だ。CONCORE’Sは、先人たちが築いてきた建設の歴史にITを融合させることで、必要とされつづける建設の未来を拓いてゆく。




おわりに


人類は数十万年のその歴史のなかで言語をもち、文化を生んできた。あらゆる地域に広がった言語は、世界中にさまざまな固有の文化を生み、人類が異なる文化との接点を持ちながら生きることを可能にしている。それこそが人類の進化をより加速させている。


人類全体が同一地域に住み、同一の言葉を話している場合に比べて、多地域・多言語の現実の世界では、地域間における知識創造のための協同作業はより多くのコストがかかり、また、地域間における知識の伝播はより困難になる。(中略)しかし、単一文化のエフォートレス・コミュニケーションの楽園から追放されることによって、多様な文化を背景とした人類全体の知識創造性は、却って増大したのではないか。―Washington University Marcus BERLIANT・独立行政法人経済産業研究所所長 藤田 昌久


人類は、世界全体において単一言語、単一文化のなかに存在しなかったからこそ、異文化間でのコミュニケーションにエフォート(努力)が必要となった。一方でそれは、知識の創造性を増加させてくれたのだという。


現在、日本は停滞期を迎えている。90年代以降の生産性の推移を見ても、55年以降のそれと比較しても、世界の生産性推移と比較しても、その成長率は陰りを帯びている。


その背景の一つと語られる「ガラパゴス」という言葉も懐かしい言葉ではない。工業・制度・文化など、あらゆる分野において世界から孤立したものとして確立され、世界から取り残される日本の危機を謳った言葉である。日本国として固有の価値創出・進化に成功し、同時に世界という単位で見れば、世界の進化を加速させる多様性の一つとなったことは確かである。


しかし、国内という枠組みでみると国内に画一的な価値をつくりあげてしまったのではないだろうか。日本においては、誰もが共通化された価値観のもと生きる社会を創り上げてしまったのではないだろうか。


人々の頭脳はソフトウェアと同じで、同じものが複数集まっても相乗効果は出ない。多様な頭脳、つまり、互いに差異化された知識を持った人材が集まることで相乗効果が生まれる。昔から「3人寄れば文殊の智慧」といわれているが、これは2人の場合でも同様である。もちろん、ある程度の「共通知識」がなければコミュニケーションが円滑に行われず、協力も効率的にできない。しかし、それぞれがある程度の「固有知識」を持っていないと、協力する意味がない。従って、知の協同作業から大きな相乗効果が生まれるには、それぞれの固有知識と共通知識の適度なバランスが不可欠である。―同上


様々な文化的背景をもって多様な価値観を固有にもちうるからこそ、総和としての知識が増加し、イノベーションや進化に貢献する。3人集まれば文殊の知恵も、自分ではない他の誰かがいて、その他の誰かが固有の価値観を持ち寄るからこそ生まれる知恵なのである。


中島氏は「誰かがいる」「誰かと創り出す」ことに価値を置いている。中島氏が経験してきたインターネットの世界も、生身の人間と対峙する麻雀も、そこにいる人たちが中島氏と同じような価値観をもち、思考をもっていたとしたら、楽しむことはできなかったことだろう。建設も、様々な人が知恵を持ち寄り、ひとつのものを生み出し、歴史として積み上げるからこその、魅力なのである。そしてその建設という知恵の集積を「スマート」になるよう進化させることに挑戦する中島氏。それは、その挑戦の過程にすら楽しみを与えている。


誰かとともに創り出すものづくり。誰かがいるからこそ生み出すもの。これは、私たちが進化を遂げるための鍵であるようだ。



※参考

Marcus BERLIANT・藤田昌久(2011)「知識創造社会における文化と多様性」,『RIETI Discussion Paper Series』11-E-046,独立行政法人経済産業研究所,< https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/11e046.html >(参照2017-12-20).




CONCORE'S株式会社 中島貴春

代表取締役CEO

1988年生まれ。2013年に芝浦工業大学大学院建設工学修士課程を修了し、株式会社竹中工務店に入社。大規模建築の現場監督に従事した後、建設現場で使うシステムの企画・開発およびBIM推進を行う。2016年3月にCONCORE'S株式会社を設立。

http://concores.co.jp/