目次

前編 | 最短上場からのリーマンショックによる会社清算で得た気づきと信念



予測もつかない社会的危機が訪れたとしても、盤石といえる経営の在り方がある。

営業活動をしながら、既存顧客への価値提供にも全力で取り組む。投資用不動産という業界内において、革新的ともいえるサービスを生み出しつづけている株式会社VISION。

代表取締役の石坂浩之は、20代の頃、創業メンバーとして参画したベンチャー企業にて、投資不動産会社として当時最短の上場を果たす。しかし、そのわずか約3年後、会社はリーマンショックのあおりを受け清算。時代の寵児とも呼ばれた企業の興亡を、その肌で経験してきた。

本連載では、常にお客様にとっての一番を選択するという強い信念を持つ石坂浩之の「信念が生まれた背景(前編)」、「信念を反映する経営(後編)」について伺った。



 シリーズ「プロソーシャルな距離」について 
世界が今、こういった状況だからこそ、「知恵」を繋げたい。
私たちFocus Onは、社会のために生きる方々の人生を辿って物語と変え、世の中に発信して参りました。そんな私たちだからこそ、今届けられるものを届けたいと考えております。社会に向けて生きる方の知恵の発信により、不透明さを乗り越えるための「知」の繋がりをつくりたい。それがどこかの、どなたかにとっての次へのヒントになれば。そう考え、本シリーズを企画し、取材のご協力をいただいております。











石坂浩之に学ぶ 最短上場からのリーマン清算で得た気づきと信念


01【創業】最短上場に必要なマインドセット

02【リーマンショックから清算まで】気づいたことと得られた信念

03【苦しい時の乗り越え方】成長するためのストレスとの付き合い方




01【創業】最短上場に必要なマインドセット


24歳の時、10名の仲間とともに起業した不動産会社がわずか4年後には上場。比類なき急成長を遂げたベンチャー企業に身を置いていた石坂が、当時会得したマインドセットとはどんなものだったのだろうか。



■起業~7か月目:何をやってもうまくいかない


「(当時の社長から本も出版されていますが、)創業当時は何度も経営の危機がありました。ベンチャーとして立ち上げたので、業界や金融機関からの協力もなかなか得られないなかで、自分の売り上げも出せず、その日を生きるのに精いっぱいでした」


実績も何もない。とにかく会社の為に自分の為に無我夢中で働くうちに、気づけば7か月も連続出勤していたと、石坂は当時を振り返る。


「皆のそういった努力もあって業績も上がっていったけど、今になって振り返ると、普通ではない毎日を送っていて。一般社会とはかけ離れた環境で、引くに引けなくなっていたというか。7か月も連続で出勤していると、8か月目で絶対状況逆転してやろうと、ある種のゾーンに入っていたのかもしれません(笑)」



■起業8か月目~:前向きな人だけが残る

極限まで追い込まれる環境では、当然離脱する社員も出ていた。しかし石坂は動じなかった。


「思い返せば、常に前向きではありました。ネガティブには考えない性格です。常に共通している僕のマインドかもしれません」


今、苦しい状況だとしても、いずれはひっくり返せるのではないか。今、ギリギリの生活状況ではあるけれど、半年後には大きなインセンティブが入るのではないか。そのように前向きに考えていることが、極限状態での石坂を奮い立たせ続けたのかもしれない。


それは共に闘う仲間も同じだったという。


「(ネガティブなことは)思っても負け、口に出しても負けみたいな雰囲気ではありました。いつも早朝出社で深夜に仕事が終わってから飲み会や反省会をしたりと、毎日1~2時間睡眠。今思えばそのときは普通じゃなかったというか、若かったですね。働くってこういうことなのかなと自分に言い聞かせていました。今ではその時の経験が財産になっていて、ちょっとやそっとじゃ辛く感じなくなりました」


石坂は苛烈な日々をあくまで穏やかに、そしてフラットに振り返る。



■最短上場:前向きがもたらす効果


ネガティブなことは言わない。言ったら負けだという風土さえあったという同社。2005年12月、不動産会社としての最短上場を果たす。「常に前向きである」ということは、その言葉以上の意味を持つようだ。


「前向きだと目標が定まるんですよね。ほかに目がいかない、自分のやるべきことが分かって、逆にすごいシンプルに考えられるんです」


何があっても常に前向きでいると、見据える目標が定まってくる。雑念が払われ、思考がクリアになっていく。


「とにかく色々考えても始まらないので、目標決めてまっしぐらに進むしかない。結果だめでも1からまたやればいい。すごくシンプルだけど、その繰り返しだと思うんですよね。仮にうまくいかなくても、悔いなくもう一回1からやり直せれば、今までのことが全て繋がってくる。そう思えば“終わり”って概念はないですよね」


極限状態であれば生体反応もでてくるだろう、人は余計に複雑に考えてしまいそうだ。しかし、雑念とは、後ろを向くことであり前進を止めてしまう。前を向いていればやるべきことはシンプルに見えてくる。極限状態を経験したからこそ、石坂の言葉はより強く感じられる。


極限の環境を経験した創業期から、やがて会社は、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していった。前向きな組織。それが投資不動産会社として最短記録での上場という未来へと導いた一翼といえよう。



 POINT 
・ 前向きな未来だけを考える
・ シンプルに考えられる
・ 悔いなくやればやり直せる




02【リーマンショックから清算まで】気づいたことと得られた信念



しかし、栄光は長くは続かなかった。2008年9月、米国リーマンブラザーズの破綻に端を発する経済危機により、会社は一気に窮地に立たされた。清算という結末を迎え、石坂は大切なことに気づかされたと語る。


「とにかくがむしゃらに働いて、会社は成功して上場したけど、所詮は自分がこうしたいとか、これだけ稼ぎたいというマインドでした。恥ずかしい話ですが、その時を迎えて初めてお客様のありがたみが分かったんです」


2009年に民事再生手続きを経たのち、営業部は分社化し、社名を変えて残る形となった。


会社としての業務が今までのように遂行できない以上、これまでお付き合いいただいていた顧客様には迷惑をかけている人もいた。会社離れをする方もいたが、石坂の顧客との関係性は特に変わることがなかったという。


「それまでお付き合いのあった顧客様達に大変な影響を及ぼしたわけですから、当然、普通に考えたら離れるお客様もいると思っていたんですが、僕が担当していた顧客様は、文句もなくお付き合いを続けていただいて。今思えば、僕のお客様とのかかわり方が、性格上、人として仲良く接するようなキャラクターだったので、腹を割って話せる間柄は作れていたのかなと思います。だから、清算した時もすぐに電話して、一人ひとりの顧客様に状況を伝えてコミュニケーションを取りました」


お客様に不利な状況もごまかさず、ありのまま正直に伝えられる関係性。当時は意識していたわけではなかったが、結果的にそれが営業としての自分を救ってくれた。関係性を維持してもらったばかりか、その後も別のお客様を紹介してくれた人までいた。


だからこそ感じるお客様に支えられているということ。過去、自分目線でしか仕事をしていなかった。しかし、この仕事は何よりお客様に支えられている。お客様あっての商売であると気づけたのはこの時だった。それは人生で大きな学びとなり、今に続く信念となっている。


お客様を第一に大切にする。


経験に基づいた強い信念が、のちに石坂が立ち上げたVISION社の経営哲学の根幹になっている。



 POINT 
・ 仕事はお客様で成り立っている
・ その信念は揺るがされてはならないもの




03【苦しい時の乗り越え方】成長するためのストレスとの付き合い方



幾多の苦難を乗り越え、急激な成功と失敗をくぐり抜けてきた石坂。その後の人生には、どのような影響があったのだろうか。


「若いときに結構大変な思いをしたことで、そのあとどんなことがあっても特につらいなとかは思わないようになりました(笑)」


耐え忍ぶ期間のあとには、それが報われる未来がきっとやってくる。前向きでいつづけることで、見えてくるものがある。


「今コロナで何かと不便になっていることの反動も、僕は来ると思っています。ここで我慢しているものが、きっといい形で跳ね返ってくると」


石坂は未来を疑わない。



■苦しい経験の意味


「今は本当にストレス回避社会というか、効率が求められる社会ではありますけど、自己成長したいのであれば、いずれにせよどこかで自分にとって辛い経験をあえてしておいた方がいいと思うんですよね。自分自身にストレスや負荷をかけるのは、自分の中の秘められた能力を引き出すきっかけになるかもしれないし、気力・体力ある若いうちに経験できれば越したことはないと思います」


苦難を経験することには意味がある。未来を信じていれば苦難は力に変わる。石坂は身をもって経験した。


今後も社会は不安定な状態が続くかもしれない。未来は予測できないが、いずれにせよ日本経済自体がストレスに弱くなりつつあるのではないかと石坂は語る。


追い込まれた状況でも努力を重ね、執念深く前に進む力。それがあれば、淘汰されずに生き抜いていけるかもしれない(そこまでやれたのであれば、ダメだとしてもまたゼロから始めればいい。と石坂は考える)。意識的に自らに負荷をかけていくことは、一人一人が力を磨くためのカンフル剤となりうるのだ。



■これからの社会—自分で選択する


「全部自分で決められる環境であればと思うんですね。『こういうこと言われたら私は嫌です』っていう基準は、人によって違うじゃないですか。それを今、社会全体として一つのルールや文化として作ろうとしてるけど、人それぞれ、自分は全然休めなくていいとか、定期的に休みたいとか、いろんな考え方、個性があるのだから、みんな自由に考え発言すればいいと思うんです」


社会全体としてのルールや価値観に従うのではなく、幅広い選択肢の中から自分で道を選ぶ。自分で選ぶから、その状況に責任を持つようになる。そして、目標やステップをシンプルに見据えることができる。逆に、自分の意志なく選んだ道では、その状況に責任を持たない自分が生まれ、ステップや目標はぼやけてしまうのかもしれない。


ストレスや苦難についても「自分で選んだ道」であるかどうかは影響しそうである。苦難、それをただ苦しむのではなく、自らの選択としての苦難の道であると考えてみる。そうすれば、苦難がストレスに転換する前に、前に進む力へと変えてくれるのかもしれない。と石坂は考える。


石坂は未来を疑わない。自分にも、誰にとってもどんな可能性だって開けると信じている。だから、「前向き」や「自分で選ぶ」のように、自分がどう考えるかが未来を左右するといえるのだろう。考え方ひとつで、未来のシナリオは誰にでも無限にある。そう思わせてくれる話ぶりであった。



 POINT 
・ 苦難とはうまく付き合う
・ 自らの意志による選択をする





2020.08.25

文・Focus On編集部




石坂 浩之

株式会社VISION 代表取締役

1977年生まれ。東京都出身。東洋大学経済学部卒業後、大手不動産会社を経て創業メンバーとして起業に参画。2006年当時、投資不動産会社では最短となる設立4年目での上場を果たす。営業担当役員就任後、株式会社ヴェリタス・インベストメントに入社。2014年、100%子会社として株式会社VISIONを設立、代表取締役に就任。

https://vision.tokyo/




>>次回予告(2020年8月31日公開)

後編 | 最短上場と会社清算後の選択 — 信念を事業に変えるために必要なこと

清算という苦難を乗り越えて得た「お客様第一」という信念。新天地へと移ったのち、経営者となった時、石坂はその信念をどのように事業に反映していったのか。






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