目次

ジェンダーバイアスが生む「制約」を解消する ― 経済性と社会的インパクトの両立

誰もが自分の手で人生を開花させられる。


「もっと自由に、自分のストーリーを」をミッションとして掲げ、ジェンダーバイアスから生じる制約を解消し、女性の活躍を応援していくシェルパス株式会社。同社が展開する不動産仲介・相談サービス「シェルパス不動産」では、女性の長期的なライフスタイルの変化を踏まえた最適な選択に伴走、中立的な立場からファイナンシャルプランニングをサポートすることを可能にしている(「シェルパス不動産」は性別や年齢に関わらず不動産サービスを提供)。全ての女性が「キャリア」「お金」「プライベート」という3つの制約に悩まず、自ら人生をコントロールしながら生きられる社会を目指す同社は、続く関連サービスの展開も構想している。


代表取締役の新井豪一郎は、NTT入社後、戦略系コンサルティングファームのStrategy&(旧 PRTM)を経て、株式会社星野リゾートにてスキー場事業責任者およびスキー場再生ジョイントベンチャーの取締役COOとして従事。2010年に株式会社CLEARNOTE(旧 アルクテラス株式会社)を創業し、ノート共有アプリ「Clearnote」を日本、台湾、タイ、イントドネシアで展開したのち、コクヨ株式会社に売却。DNX Venturesでのスタートアップ投資を経て、2024年にシェルパス株式会社を創業した。同氏が語る「思いのままに生きる力」とは。






1章 シェルパス


1-1. もっと自由に、自分のストーリーを


創業したスタートアップをグローバル規模にまで成長させたのちEXIT。その後はVCとして、イノベーションの担い手たる起業家たちを支援した。0→1の創造と、数多くの挑戦への伴走という双方の立場を経験し、再び自ら問いを立てるべく選んだ2度目の起業テーマは、「ジェンダーバイアス」だった。


なぜ、この分野だったのか。一人の起業家として、一人の父として、挑戦のきっかけとなったのは、家族との何気ないやり取りだったと新井は語る。


「高校3年生の娘がいるのですが、彼女の大学の進路や、その先にある仕事について話していた時に、『こういう業界が働きやすいよね』とか『こういう業界はちょっと女性は長く活躍するのが大変かもしれない』といったことを考えたんです。でも、それって全部“子どもを産んだあとは働きにくくなる”ことが前提になっていますよね。息子に対しては、そんな風に考えたことは一度もないのに。そう考えた時、恥ずかしながら初めて、社会は男性よりも女性に対して逆風が吹いていると気がついたんです」


たとえば、日本では同じ仕事をしていても、女性の平均給与は男性より24.8%低く、企業の管理職に占める女性の割合もわずか12.7%にとどまっている。こうした状況の背後には、根強く残る無意識の偏見や、性別による役割分担の固定観念、さらには社会構造そのものの問題がある。


ジェンダーバイアスのような、ある種の不均衡は往々にして社会に深く根づいている。本質的であると同時に構造的な問題で、そう簡単には変えられない。人の考え方を変えるにも時間がかかり、それ自体をビジネスにするのは難しい。けれど、社会を少しでも動かしていくために、続けられる仕組みが必要だ。


シェルパスの事業は、そうした現実を見据えた上で、「ビジネスとして成立させるにはどうすればいいか」という問いから生まれたものだ。


「ビジネスとして継続的に成立させるにはどうすればいいかと考えるなかで、ジェンダーバイアスが生み出している『制約』に着目したんです。バイアスそのものを変えるには時間がかかる。でも、それによって生じる具体的な制約を解消するというアプローチなら、喜んでくれる人や企業がはっきり見えるし、ビジネスとして形にできると考えたんです」


具体的には、社会にジェンダーバイアスが存在することにより、「キャリア」「お金」「プライベート」という3つの制約が生まれていると考えた。


シェルパス公式noteより


3つの制約は互いに絡み合う問題であり、総じて社会における女性の活躍を妨げる大きな障壁となっている。


一例として、出産とトレードオフの関係になるキャリア構築、将来の不透明性からくる大きな決断の難しさ、性別間の給与格差などがある。こうした制約の解消が進むほど、女性が活躍しやすい土壌が整っていく。自由な人生を歩む女性が増えるにつれて、社会の根底にあるバイアスの解消にもつながっていくと、シェルパスでは考える。


なかでも、まずはビジネスとして立ち上げやすい領域として、「プライベート」と「お金」に影響する不動産関連サービスを2024年10月より提供開始した。


「正しく自宅を購入すれば、プライベートにおける場所と時間が豊かになりますし、賃貸でお金を払いつづけるよりも、資産を形成しやすいという意味でお金の制約も解消できます。女性は男性よりも長期で見たときに、身体的にも社会的にもライフスタイルの変化が大きいですよね。でも、そういった事情をきちんと理解し、寄り添ってコンサルティングできる不動産会社がほとんど存在しなかった。だからこそ、女性の人生目線で必要なサポートを届けるために、『シェルパス不動産』を立ち上げました」


身近に相談できる相手がいないばかりか、適切な窓口へのアクセスも分かりにくい。さらには、不動産会社に女性一人で来店した際、軽くあしらわれるケースすらあるのが現状だ。


「シェルパス不動産」は、自社で有する独立系ファイナンシャルプランナーのネットワークを活かし、中立的な立場から自宅購入にまつわる意思決定をサポートする。家を買うべきか、あるいは賃貸にするべきか。ライフスタイルが長期的に変化することを考えれば、女性と男性では選ぶべき物件も自然と異なってくる。現在だけでなく、10年、20年先の状況も見据えた意思決定のコンサルティングこそ、同サービスが提供する価値である。


「たとえば、家を買おうかどうか迷っている人がいるとします。家を買うというのは大きな住宅ローンを組む買い物です。その時に、『住宅ローンはいくらまでが適正なのか』『そもそも買うのと借り続けるのはどっちがいいのか』ということがお悩みポイントになることはよくあります。ライフプランの見通しが立てにくい時には特に難しくなりますね。弊社では、不適切に大きなローンを組んでしまったり、賃貸を続けるか買うかの判断で間違ってしまったりすることを無くしたいと考えています。大きな決断ですからね。正しい知識にもとづいて一緒に考えていくことを大切にしています」


ミッションとして掲げる「もっと自由に、自分のストーリーを」。その言葉の通り、自分らしく生きられる人を増やすため、シェルパスは経済性と社会的意義を両立しながら、社会に働きかけていく。




2章 生き方


2-1. 主体的に向き合う


もし気候が人の性格に影響を与えるとしたら、幼少期から異なる土地で過ごした経験は、いくつもの内面的な感覚を育んでくれたのかもしれない。2歳から6歳までを過ごしたロンドンは曇り空が多く、人々はどこか繊細で物静かだった。小学校5年生から中学卒業までを過ごした陽気なシドニーは、誰とでもすぐに打ち解けるおおらかさがあった。


父の転勤に合わせ国内外を移り住んだ幼少期、どんな環境でも時間とともに馴染んでいけたのは、とにかく明るく前向きだった両親のおかげでもあると新井は振り返る。


「常に物事の良い面を見ることを大事にしなさいと、父は言ってくれていましたね。簡単にあきらめず、自分にはできるという風に考えることをずっと伝えてくれていたように思います」


昔から、家は安心感のある場所だった。3人兄妹の子育てをしながら、いつも家の中を明るくしてくれた母。仕事に精力的に励みつつ、家族との時間も大切にしていた父。何かあれば相談に乗ってもらえたし、特に父は手紙を通して大事なことを伝えようとしてくれていた。


「人生の考え方とか家族や友だちへの接し方、そういうことを語る手紙を書いてくれていて、今でも全部取ってあるんですよ。おそらく『よく肝に銘じておけよ』ということだったんだと思います。大事なことって、口で言っても10のうち1くらいしか伝わらなかったりするじゃないですか。でも、手紙なら自分のペースで何度でも読み返せる。父は、そう考えていたのかもしれません」


なぜ手紙だったのか、聞いてみたことはない。ただ、もしかしたら父なりに、自分の特性を察してくれていたのかもしれない。学校でも、授業を耳で聞くより、目で見て自分のペースで勉強する方が合っていると気づいていくことになる。


3歳頃


「小学校6年生ぐらいまでは、授業を聞いてもいまいち内容が入ってこなくて、じっと座っていられず歩き回ったりしていたんです。勉強はずっと『よく分からないな』という感覚で。ただ、あんまりできないのも悔しくて、当時オーストラリアに住んでいたのですが、父にお願いして日本の参考書を買ってもらったんですね。それが届いて読んでみたら、びっくりするぐらい分かりやすいと感じたんです」


授業に頼らず、あとから家で教科書を読めばいい。偶然にも自分なりの勉強法を見つけてからは、あれだけ頭に入らなかった内容も、一転して楽しく学べるようになっていった。


勉強に関するそんな原体験があったからこそ、「自由に学ぶ方が、人は本来の力を開花させられる」という感覚が、ずっと心のどこかに残っていたのかもしれない。その思いは、のちに1度目の起業で教育系のスタートアップを立ち上げるきっかけにもなった。


「中学1年生の頃、自分から親に『今後一切、勉強しろとは言わないでほしい』と伝えたんです。言われなくてもやるし、どれだけの勉強が必要かも分かっているつもり、むしろ勉強しろと言われたらやる気をなくすからやめてほしいと。それ以降、親からは勉強について何も言われず、自分の意思で勉強してきました」


勉強に限らず、当時はサッカーチームでそこそこ活躍できていたこともあり、一定の成功体験があった。あとから振り返れば、いわゆる自己肯定感は高い方だったのだろう。もちろん両親がポジティブな言葉を投げかけ続けてくれた影響もあるはずだ。


シドニーで暮らした中学時代は、とにかくのびのびと羽を伸ばすように過ごした記憶が残っている。


「やはり人にコントロールされるよりは、何でも自分の意思に基づいて主体的に取り組みたいという思いが当時からあったんじゃないかと思います。今でもビジネスをつくっていますが、自分の考えを形にしていくのは、まさに主体的に物事に向き合うことじゃないですか。ルールや制約条件を読み解きながら、最適な方法を追求していける。そこが気に入っているんだと思います」


既存の枠組みややり方を認識しながらも、挑戦する。その方が自分も楽しく、本来の力を発揮しやすくなる。主体的に生きること。その価値を、当時は少しずつ感じはじめていた。


シドニーの日本人学校にて、卒業式の日



2-2. 坂本龍馬に学んだ大局的な生き方


中学卒業後は日本に帰国することになり、自分なりに進路を決める機会が訪れた。受験といえば詰め込み型の教育だが、自分はできるだけ関わりたくない――。(今ではそうは思わないが)当時はどこかで仕入れた受験勉強を非難する情報を鵜呑みにし、大学受験が不要になる附属校を志望した。


慶應義塾志木高校に合格したのもつかの間、入学後は想定外のカルチャーギャップに戸惑うことになる。


「オーストラリアと日本では、ユーモアやコミュニケーションの感覚が違っていて。そのままのノリで日本の学校でも話していたら、友だちに心を閉ざされてしまったんです。たとえば、オーストラリア人は親近感を表す手段として相手に対してちょっとバカにしたようなことを言ったり、日本人のように本音と建前を使い分けなかったりする。そういったギャップが、日本に帰ってから人間関係を築く上でのボトルネックになっていた時期がありました」


もともとは自他ともに認める明るく活発なタイプだったが、当時は気分も沈みがちで、体調も崩しやすくなっていた。


「そのなかでも仲良くしてくれた友人はいて、今でもすごく感謝しています。ただ、なかなか学校で居場所がないなという感覚はあって。重ねて高校1年生の時に腰を怪我したことで、ずっと続けていたサッカーができなくなってしまいました。そういった要因が重なって、不登校だった時期もありました」


幸い、理解を示してくれる先生の支えもあり、しばらくは進級できるギリギリだけ授業に出ていた。心に暗い影が落ちたような毎日が5年は続いた気がしていたが、実際は1年ほどで終わりを迎えることになる。きっかけは、見かねた父が渡してくれた数冊の本だった。なかでも、司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』に心を強く揺さぶられた。


「当時の日本社会を変革するために、坂本龍馬が自分のことを顧みず獅子奮迅の活躍をしたという、乱暴にまとめればそんな物語ですが、それを読んだことで自分のためではなく、社会のために生きる生き方もあるんだと気づかされました。そうやって大きな視点を持てば、目の前の小さな問題を乗り越えて、社会の中で自分がどのような役割を担えるかを考えられるようになるんだと。それで気持ちが吹っ切れて、徐々に自分らしさを取り戻し、一度しかない人生をいかに有意義に、いかに社会のために活かすことができるかを考える癖を身につけることができました」


中学3年生、父と


学校に馴染めず、好きだったサッカーもできなくなって、うじうじしていた自分。対して、坂本龍馬の生き方はシンプルだった。「世に生を得るは事を成すにあり」。自分も何かしなければと、前を向くエネルギーが湧いてきた。


「高校3年になる頃に、また学校に行ってみる気になりました。当時は音楽好きだった家族の影響で自分も音楽が好きだったので、音楽の先生と仲が良くて。学校で先生と話しているうちに『じゃあ、スポーツができないならコーラス部を作ろう』と提案いただきました。僕はものすごく音痴なのですが、その時は自分の歌がどれだけ人を不快にしているか気づいていませんでした(笑)」


当時仲が良かった友人たちに声をかけると、それぞれ兼部という形で集まってくれた。歌を歌うことはもちろん、何より協力してくれる仲間と一緒に練習できることが楽しい。休み時間や部活のない日でも、わざわざ時間を作ってくれたありがたさは今でも忘れていない。


仲間と楽しく過ごした高校3年も終わりに近づくと、予定通り内部進学の準備をしていく時期に差し掛かった。将来は父のようなビジネスパーソンになるだろうからと、経済学部を選ぶ。けれど、当時は学部以上に「どこの部活に入るか」の方が自分の中で重要だった。


「結局高校生の時に自分を見失って、半引きこもりのようになったきっかけもそうなのですが、『自分の中に確たる軸がない』と自己分析していました。だから、弓道や柔道、剣道とか、あとは茶道や華道もそうですが『道』がつくもの、『道』として何か極められるものをやれば、自分の中にほかの人と比較しなくてもいい自信を持てるんじゃないかと思ったんです」


選択肢はいろいろあったが、最終的には空手部を選ぶことにした。体が小さくても、技をもって自分より大きな相手を倒すことができる。そこに興味を引かれたし、ロマンがあると思ったからだ。


練習は週6日。入学早々、一心に空手に打ち込む生活が始まった。


「自分の中に強い軸を作りたかったので、とにかく厳しい環境に身を置こうと思っていました。同期も空手が大好きな仲間ばかりだったので、一緒にいることもすごく楽しくて。くたくたになるまで練習をして、家に帰るととにかくお腹が空いているので死ぬほど食べて、あとは寝るという生活をしていること自体が満足でした。身体的にももちろんそうですが、当時は自分は精神が弱いと思い込んでいたので、『こうやって今日も少し強くなった』と思って(笑)」


困難にぶつかるたび、また一つ強くなれたと実感する。実際、当時は心身ともに自信がついた。一歩、また一歩と過去の自分を乗り越えていく実感を噛みしめていた。


大学の空手部時代



2-3. リーダーたちの背中


大学生活は空手のことばかり考えていたので、将来やりたいことは全く分かっていなかった。就職活動ではひとまず各業界の人気企業を上から順に受けながら、入社後の選択肢ができるだけ広がりそうな企業がいいのではないかと考えていた。


調べるなかで目に留まったのはNTTだった。IT通信だけでなく、商社や不動産、HRなどさまざまな事業領域を持つコングロマリットであると知る。まさに自分が求めていた環境だと当時は思い、第一志望として内定をもらい入社を決めた。


「仕事はもちろん楽しい面もあったのですが、入って早々周りの同期と比べて自分のサラリーマン偏差値が圧倒的に低いと気づかされましたね。たとえば、上司の要求に応じて自分の行動を変える能力ですね。もとは父と同じように大きな会社の中でキャリアを積んでいくものだと思っていたのですが、主体性を重視している自分としては『とてもじゃないけど(同期の)この人たちには勝てない』と当時は感じて。かといって、じゃあ自分の生きる道は何なのかということも分からず、随分と悩みました」


自分を客観的に分析し、ほかに生きる道は何があるかと考える。士業の資格を取って独立したり、自分の店を持つといった選択肢をイメージしてみたが、どれもしっくりこなかった。


そんな折、独立して起業していた先輩と話す機会があった。会社にいた頃からエネルギッシュな人だったが、久しぶりに会ったその姿はさらに生き生きとして、自分のビジネスについて楽しそうに語る表情も印象的だった。


「当時NTTの先輩に何人かベンチャーを起業した人たちがいて、仲のいい人もいたんです。それまでベンチャーといえば自分には分からない、すごく遠い世界の話だと思っていて。でも、その先輩たちは自分と同じようにNTTにいた身近な存在だった。そういう生き方があるんだと知って、そこから起業という選択肢を現実的に意識するようになりました」


起業という道が見えてからは、自ずと仕事への取り組み方が変わっていった。今ここにいるあいだに経験できることは全て吸収しようと、ベンチャー企業の顧客を新規で開拓したり、営業先の社長と関係を深めて経営の話を聞いたりした。


その後は、より本格的に経営を学ぶべく慶應義塾大学ビジネススクールに通い、戦略系コンサルティングファームであるStrategy&(旧 PRTM)へ。あらかじめ計画していた通り、3年で退職したあとは、未就学児向けの知育サービスを提供すべく起業しようと考えていた。



「当時はちょうど上の子どもが幼稚園に通いはじめた頃で、それぞれの子どもの個性をもっと引き出すような教育サービスがあってもいいんじゃないかと思っていたんです。幼稚園の外で、習い事のような形でできないかと」


事業をつくるにあたっては、ビジネスとして成立することも重要ながら、同時にどれほど社会的インパクトを生めるかを判断軸として持っていた。


「やはり高校生の時に読んで、その後何度も読み返した『竜馬がゆく』という本の影響は大きいと思います。ああいう生き方がかっこいいと思ったし、自分をドライブする原動力にもなっている。坂本龍馬のように後世に名を残せるかどうかは別ですし、それを目指すものではないと思いますけれども、ただ将来自分の子どもが『父親はこういうことをしてきたのか』と知って、思いを馳せたときにちょっと嬉しくなるようなことができたら、自分も死ぬ時に嬉しいし、子どもにとってもいいだろうなと思っています」


当時は具体的なサービス展開まで構想していたが、のちに損益分岐点の高さがハードルとなると分かり、一旦そのビジネスプランはあきらめることにした。ちょうどその頃、運良く星野リゾートの星野佳路社長から、あるポジションを提案された。そこで経営者としてのトレーニングを積んだらいいのではないかというありがたいオファーだったので、感謝とともに引き受けることにする。


同社ではスキーリゾート事業の責任者と、星野リゾートとPEファンドがつくった合弁会社の取締役COOとして働いた。スキー場を買収して再生する事業に携わりつつ、星野氏が経営する姿を間近に見ることで、経営者として持つべきリーダーシップや価値観について学ぶことができた。


「まず、社員のみんながワクワクするような未来像を描くことと、それを分かりやすく伝えること。ただ、そういうビジョナリーなことを語ると、たいてい茶々が入るんですよ。もちろん本人は茶々のつもりではなく良かれと思って反対意見を言うのですが、『これで行くべきだ』と星野さん自身が判断した場合は全くブレないですね。やはりトップがブレているとみんな不安になりますし、そういう不安を全く感じさせない。聞くべきことは聞くというバランスももちろんお持ちだと思うのですが、それが素晴らしいなと思うんですね」


ほかにも社員間の公平性を大切にすることや、経営者個人のお金の使い方は社員に見られているという考え方、リーダーとしてブレないものを作るための胆力や右脳と左脳のバランスなど、得るものばかりの日々だった。目指す生きる道の先には、素晴らしい経営者たちの姿が見えていた。




2-4. 起業のテーマ


あるとき、スキー場再生事業で北海道を訪れた。買収した施設の魅力を高めるべく、新設のコース開発を進めていく。その一環で、未整備の斜面を仕事仲間たちと滑っていると、ふとした拍子に判断を誤り、木に激突。運悪くグループの最後尾にいたため、そのまま誰にも気づかれず、一団は滑り去っていってしまった。


「動けなくて声も出なかったんです。あとから病院で検査して分かったことですが、肋骨が折れて肺に刺さっていたんですね。動けないし、声も出ない。みんなはそのまま滑って行って、視界から消えてしまって。極寒のスキー場でどんどん体が冷えていくんですよ。これはもう少し時間が経ったら普通に死ぬなと、生まれて初めて『死』というものを鮮明に意識しました」


もう家族に会えないのかという思いとともに、後悔の念が浮かんできた。今の仕事は楽しく充実しているけれど、あくまで「教育サービスを作る」という志に向かうために引き受けた仕事だったはず。それなのに、こんなところで死んでしまっていいのかと、強い後悔と寂しさに襲われた。


幸いにも、異常に気づいた仲間がパトロール隊を連れ、戻ってきてくれた。無事に救助され、命拾いできたことに安堵する。同時に、悔いが残らないよう生きなければと痛感した。


改めて目の前の仕事に真摯に向き合いながら、並行して起業の準備を進めていくことにする。ビジネススクール時代に出会った白石由己とともにアルクテラス株式会社(現 株式会社CLEARNOTE)を共同創業したのは、2010年のことだった。


「世の中に教育サービスはたくさんある。でも、既存の教育サービスでは本来の力を開花させられていない人たちが、まだまだ多くいるんじゃないかと思っていました。それは、僕自身の小学校時代の原体験も影響しています。テクノロジーの力を使い、既存のサービスでは力を発揮できなかった人たちの可能性を引き出すようなサービスを作りたい。その思いが、当時の起業の基本テーマでした」


かつての自分がそうであったように、学び方は人それぞれに合うものがある。学習塾向け指導支援ツール「カイズ」は、生徒一人ひとり異なる学習スタイルに対応し、多様な教え方を実現していくために作ったサービスだった。


しかし、生徒たちは塾で学んでも、家に持ち帰った宿題の進め方が分からず、結局問題が解けるようにならないまま塾に行っては先生に怒られる。そんなサイクルが発生し、だんだんと勉強が嫌いになっていくことを知る。


そのため、家での学習を楽しくするto C向け教育サービスとして、2013年に学習ノート共有アプリ「Clearnote」をリリース。多国籍かつダイバーシティある組織づくりを実践しながら、日本のみならずグローバルに展開していく。やがて学習アプリとして最大級のアクティブユーザー数を獲得したのち、2021年にコクヨグループへと売却した。


2017年、Global EdTech Startup Awards(GESA)世界大会で優勝した
写真は日本予選での優勝時、ほか日本eLearning大賞 2014年 経済産業大臣賞、
Tech in Asia Jakarta 2014準優勝など受賞多数


「自分たちなりにすごく良いサービスを作ったと思いましたし、海外でも認められるサービスを作るという目標も達成しつつあるという時に、人生の次の挑戦をしたいと思い始めました。ちょうど会社を作って10年が経つタイミングで、勇気を出して共同創業者と話し合って。もし彼がまだ続けたいと思っているのであれば、2人で始めたことだし付き合おうと思っていました。でも、彼も自分と同じように考えていて、やるべきことはやったから、しっかりプロダクトを引き継いでくれる会社に売却しようという結論になりました」


人生にまたとない素晴らしい経験をさせてもらえた一方で、「創業者」や「社長」という肩書きから解放され、改めて本当に大変な仕事だったと振り返る。


会社を売却した直後はもう一度起業するか、あるいはこの経営経験を活かし、スタートアップを支援する立場の仕事をするか考えていた。最終的には、ご縁をいただいたDNX Venturesで働くことにした。


2年ほど支援側としてスタートアップ投資に向き合ううちに、徐々にもう一度自身でリスクを取って、起業したいという思いが芽生えていった。


「投資先の素晴らしい社長たちと一緒に仕事をするなかで、自分が以前スタートアップを経営していた時の『答え合わせ』のような経験をすることが重なり、改めて社会にインパクトのある事業を作りたいという気持ちが生まれてきました。結局2年後にもう一度起業するに至るのですが、また起業するということを投資先の経営者たちに伝えたら、『新井さんは完全に起業家仲間として接してきていて、いい意味でVCらしくなかったですよ』と言われました(笑)」


創業メンバーとともにディスカッションするなかで、「ジェンダーバイアス」についての話題になった。お互い、家族と向き合うなかで見つけた課題感を持っていて、調べれば調べるほど構造的な問題が見えてくる。その過程では、幼少期に海外で実感した社会の不均衡を思い出すことにもなった。


「イギリスに住んでいた頃は、アジア人に対する偏見の強さを子どもながらに感じていました。そんな経験もあったので、偏見に基づく不平等に対しては、比較的強い抵抗感を持っていたんです。その大きなものを、日本でも見つけてしまった。これを解決すれば多くの人たちに喜ばれる。そう思って、ジェンダーバイアスによって生まれている制約をなくすことを次の起業のテーマにしようと決めました」


2024年7月、シェルパス株式会社を創業。ここから新たに挑戦すべく、ゼロからの道を歩んでいくことにした。




3章 働く楽しさをつくるもの


3-1. 意義とリターンを両方あきらめない


社会課題を自分事として捉えても、事業を通じて解決するとなると難しいことがある。社会のためにはなるが、ビジネスとしては形にしづらい。そう気づいた瞬間、多くの人は立ち止まり、別のアイデアを探しに行く。しかし、決して簡単ではなくても「社会にインパクトを生み出し、なおかつビジネスとして成立させる方法」を考えつづけることが自身のスタイルだと新井は振り返る。


「そんな面倒なことはしたくないという人もいると思います。たとえば、『それならビジネスとは別にして、休みの日にやればいい』と考える人もいる。でも、僕は2つを一緒にやりたいタイプなんだと思います。シェルパスも、経済性と社会的インパクトの両方を追求している会社です」


ビジネスとしての成功と同時に、社会に対するインパクトも大切にする。1度目の起業でもそうだった。教育分野にまだない変化を生み出しながら、スタートアップとしての成長を目指し、日々挑戦を続けていた。


「当時の仲間とは今でも連絡を取っています。入ってくれたメンバーは、すごくモチベーション高く働いてくれていて。社長である僕に対して不満もあったと思うのですが、それでもモチベーション高く、パワフルに働く姿が印象に残っているんです。それは僕の手腕というより、会社のポジションが社会の中で『良い価値』を提供できていたからだと思っています」


2度目の起業でも思いは変わらない。一緒に働く仲間には、経済的に得るものは当然として、なぜ自分がこの仕事をやるのかという意義が明確に見える喜びを提供したいと新井は考える。


「自分が日々携わる仕事が、社会のどこかをより良い形に変えている。そう思いながら働けることはすごく大切だと思います。しかも、それが清貧ではなくて、きちんとリターンを生む形で実現できている。そういった環境で働くことは、すごく魅力的な選択だと思っています」


目の前の仕事、事業、社会がつながっていて、その意義が明確に見えること。それが自ずと働く楽しさを生み、人を惹きつける。シェルパスが信じる未来には、社会を動かす意志が息づいているのだろう。




2025.5.20

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


誰かに決められた道ではなく、自分で選び取った道を歩むこと。それだけで、人生の手触り感は全く違ったものになる。意志や責任の感覚が伴うようになり、驚くほど自然に力を発揮できるようになることがある。


とはいえ、選択肢が増えた現代では、かえって迷ってしまったり、無意識のうちに「無難なレール」に乗ってしまうことも少なくない。自由とは、ときに不安も伴う。だからこそ、主体的に生きるには、勇気や自分なりの軸が求められている。


シェルパスはそんな「自分で選び取る感覚」を社会に少しずつ広げている。選択肢を増やし、誰かの人生に「選んでいいんだ」と思える瞬間を届ける。それは派手ではないけれど、確かな変化のきっかけになる。


一人ひとりが自分の人生を選び、自分の言葉で語れるようになる。自らの意志で踏み出したその先に生まれるエネルギーこそ、きっと人生を豊かで、自分らしいものにしてくれる。


文・Focus On編集部



▼コラム

私のきっかけ ― 『指導者の条件』著:松下幸之助




シェルパス株式会社 新井豪一郎

代表取締役

イギリス、オーストラリア、日本育ち。1997年NTT入社後、戦略系コンサルティングファームのStrategy&(旧PRTM)を経て、株式会社星野リゾートにてスキー場事業責任者およびスキー場再生ジョイントベンチャーの取締役COO。2010年に株式会社CLEARNOTE(旧アルクテラス)を創業し、ノート共有アプリ「Clearnote」を日本、台湾、タイ、イントドネシアで展開。各国で最もアクティブユーザー数の多い学習アプリに。CLEARNOTE社をコクヨ株式会社に売却後、DNX Venturesでのスタートアップ投資を経て、娘がより活躍できる社会を築くためにシェルパスを創業。1997年慶應義塾大学 経済学部卒業。2003年慶應義塾大学大学院 経営管理研究課修了。情報経営イノベーション専門職大学 客員教授。

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