Focus On
松本ひろみ
FLAPUPスクール  
代表
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or全てを尽くして大きな目標へ挑む。それ自体が未来をつくる。
「Bring Medical Products to People」をテーマとして掲げ、「人」を軸に医療産業の研究開発を促進していく株式会社xCARE。同社がグローバルに展開する医療産業特化型専門家プラットフォームでは、医薬品や医療機器の研究開発に欠かせない専門人材を、必要な時に必要なだけアサインすることを可能にしている。国内外のVCやアクセラレーターとも業務提携する同社では、創業3期目で約300名のエキスパート会員、60社以上の企業やアカデミアの支援実績を有し、業界に眠るシーズをより多くのイノベーションへと昇華させ、医療現場や患者へと価値を届ける基盤として注目されている。
代表取締役の福永将は、大学卒業後、大日本住友製薬株式会社(現 住友ファーマ株式会社)にてMRとして従事。のち医療業界に特化したヘッドハンティング企業にてコンサルタント業務、ディビジョンマネージャーとして医療機器事業の推進業務を経て、2022年に株式会社xCAREを設立した。同氏が語る「目標との付き合い方」とは。
世の中には、画期的な新薬や医療機器の卵となる研究シーズが何万、何十万とある。けれど、そのうち実用化に至るものはごくわずかだ。万全の体制による研究開発を経て結論づけられたならいいが、研究とは全く別のリソース不足により埋もれていくシーズがあまりにも多い。そんな社会課題を解決すべく、xCAREを創業したと福永は語る。
問題は技術力ではなく、人の配置やその仕組みにあるという。
「専門性の高いエキスパート人材をただ紹介するだけなどではなくて、きちんとどのタイミングでどういう人が必要で、その人はフルタイムなのか、それとも流動性をもって一時的に入る人がいいのかなどを整理したうえで、必要な時に必要なエキスパートが必要な形でプロジェクトに入っていく仕組みができると、もっとスムーズに開発が進むと思ったんです」
医薬品・医療機器業界における研究の主体は、大企業からベンチャー企業やアカデミアに移って久しい。背景には開発難易度の低い薬が市場に出尽くし、新薬にはより革新性が求められるようになったこと、医療費や原材料費の高騰による利益率の問題などさまざまな要因がある。
全てではないものの、いずれにせよ大企業にとっては自社の研究所に年間何百、何千億円と投資するよりも、新興の有望なアイデアを買う方が費用対効果に合うという状況が生まれている。そこで問題となるのは、資金力に限りのあるバイオベンチャーや医療機器スタートアップがいかに必要な専門人材を確保し、シーズ段階の研究開発を軌道に乗せられるかということだ。
「固定費もかかるし、全てを自前の人材で抱えていくことはすごく難しい。しかも、ベンチャーってプロダクトが1~2個しかないので、一過性のニーズであることが多いんです。専門性の高い人を採用して、そのプロジェクトが終了したらどうするのか。実際、数千万の年収をもらっているけれど週に2日しか仕事がなくなったという人もいましたし、逆に専門外のタスク処理を求められるケースもある。これはものすごく非効率だなと」
一方で、優秀な人材は業界内に数多くいる。貴重な知見を有しながら定年退職した人や、国の後押しで徐々に副業が解禁される流れもある。終身雇用が崩壊した現代では、副業やフリーランスとして働くことで、自分自身でキャリアをデザインしていく気運も高まっている。
xCAREが提供するのは、人の力で研究開発を加速させる医療業界特化型のエキスパートプラットフォームサービスだ。
「企業に対しては、医薬品・医療機器の研究開発を促進し、成功確率を高めていく。エキスパートのみなさんには、キャリアの選択肢を増やして、活き活きと働いていただける環境を作りたいという2つの思いで運営しています」
他業界では一般的な「人と企業をマッチングする」仕組みだが、医療業界においては今までなかったものだった。しかも、同社が行うのは単なるマッチングではなく、最適な人と雇用形態を提案し、プロジェクトの進展をサポートすることだ。
「あくまでメディカルプロダクトが人々の手に届くようにすることが我々のゴールなので、きちんと研究開発が促進されることにコミットしています。そこから実際に世に出るかどうかはシーズのポテンシャル次第ですが、少なくとも人を当てて終わりなどではないですし、プロジェクト全体とディテール、双方を支援していきます」
必要な人材の要件定義と選出を同社のプロジェクトマネージャーが担い、プロジェクトのフェーズが変わっても伴走支援する。さらに同社のプラットフォーム上には、人材とプロジェクトの成功確率に関するデータが蓄積されていく。将来的には、最適な人のアサインを自動化していく構想であるという。
「今後は医薬品・医療機器の研究開発における社会のインフラになりたいですね。この業界のエキスパートは誰もが登録しているし、企業も当たり前にxCAREを使っていて、この仕組みの中でプロジェクトを進めているという状態にしていきたいと思っています。さらに、この人材プラットフォームはグローバルにも展開しつつあるので、国をまたいだ研究開発も加速させていきたいと思います」
シーズを事業化するために、必要なエキスパートが国という枠組みを超えてアサインされる。そんな未来では、今よりもっと日本発のバイオベンチャーが世界で競争力を持てるようになっているかもしれない。「人」を軸として業界の未来を見据えるxCAREは、医療業界を支える人々が有機的に繋がるエコシステムを構築していく。
父は医療機器メーカーのサラリーマンとして働き、母は小中学校で教員を務める、ごく普通の家庭で育ったと福永は振り返る。いわゆる安定志向な価値観を持つ両親だが、子どもにはいろいろな経験をさせてくれていたという。
「なんでも興味を持ちなさい、経験しなさいということは言われていて。旅行や遊びもよく連れて行ってもらいましたし、いろいろな経験をさせてもらったと思います。僕も割と素直なタイプだったので、じゃあちょっとトライしてみようと『まずはやってみる』という感じで始めたり、自分からやりたいと言ったものもあったかなと思います」
行動的な性格で、やると決めたらすぐに必要なことを逆算し、実行に移す母の背中を見ていたからかもしれない。気になるものがあり、できると分かれば迷わず「やりたい」と思う。
父の会社に少年団があったので始めたサッカー、従兄弟から道着をもらって始めた空手、ほかにはピアノを習っていたこともある。とにかく後回しにするということが大嫌いで、夏休みの宿題なども早いうちに終わらせていた。
一方で、多趣味だった父の影響も大いに受けている。理系にもかかわらず歴史や政治を好んだかと思えば、レコードを買い集めてクラシックやジャズ音楽を聴いている。そのうち宇宙好きが高じて天体観測を始めたり、気づけばカメラにこだわっていた時期もあったりと幅広い人だった。
「父から受けた影響はかなり大きくて。僕が今医薬品とか医療機器関係の仕事をしているのはやっぱり父の影響ですし、サッカーが好きになったのも、音楽や歴史が好きになったのもそうですね。いろいろなものに興味を持たせてくれたと思います」
父と過ごしていると、自然と自分もやってみたいと思うようになり、一緒に楽しむようになったものは多い。もちろんなかにはやってみてハマらないこともあるものの、それでも子どもの世界を広げるには十分だった。いつしか興味の対象は広がって、社会や世界というものにも目が向いていた。
「父が見ていた政治番組とか、あとは『ナショナル ジオグラフィック』という雑誌が家にあって、世界のいろいろな状況をリアルな写真とともに伝えているのですが、そういうものを見て、自分も社会に何かしたい、世の中をより良く変えたいとその時に思っていましたね。だから、小学校高学年から中学生ぐらいの頃は、政治家になりたいと思っていたんです」
どうやら世界には、解決されるべき課題があふれている。貧困や環境汚染、気候変動――ほかには国内に目を向けてもさまざまな問題が指摘されていた。
それらは何もしなくても、いつかは誰かが解決に向け動いてくれるのかもしれない。しかし、いつになるのかは分からないし、そもそもそんな人が確実に現れる保証はどこにもない。それならいっそ、自分がアクションを起こして何かを変えられないかと考えた。
当時幼いながらにイメージしたのは、広く社会に貢献できそうな政治家という職業だった。今思えば、政治家になったところで解決できる課題やその範囲には限りがあるのだが、当時はとにかく何か自分でやってみたいという思いに駆られていた。
「政治番組やメディアを見ていても、何か言う人は多い、でも実際に行動を起こしている人は少ないなと思って。たとえば、政治家のことをだいたいの人は悪く言うと思うんですけれども、きっと政治をやっている人たちにはその人たちなりの正義があって、白黒はっきりつかないことも多い世の中で苦しみながらやっている。だったら、自分はやっぱりやる側に行きたいなと思ったんですよね。何か言うだけってかっこよくないというか、何も変わらないじゃないですか」
往々にして何かを指摘することは簡単だが、実際にやるとなると難しい。その苦しみは当事者からすれば当たり前でも、周りからは驚くほど見えていないということもありうる。
けれど同時に、自分の頭の中で思い描いた理想を具現化していく面白さは、行動を起こした当の本人にしか味わえないものである。両親の影響を受け、さまざまな経験に触れてきたからこそ、きっとそうだろうと自然に思えた。
なんでも興味を持って、やりたいと思えば行動に移す。ただ待つのではなく、自分でやってみる。そうすることで得られる新鮮な面白さを追い求めていた。
2-2. 戦略的に目標達成する
中学校では新たに剣道部に興味を持った。少なからず背景には歴史が好きで、当時宮本武蔵や新撰組に憧れていたことも影響している。もともと経験していた空手とも同じ武道として通じるものがありそうだと思えたので、入部することにした。
周りは小学校からの経験者が多かったが、思いのほか競技として自分に合っていたのか、遅れて始めた割にはほどなくして追いつくことができた。
「割と向いていたんだと思います。スピードとかバネとかフィジカルの強さはもちろんですが、精神的なところで言うと、相手ときちんと向き合って戦えるかどうかとか、負けず嫌いかどうか。マンツーマンで戦うことってなかなかないじゃないですか。目の前の人に絶対負けたくないと集中して、その一瞬にかける、勝ち切るみたいな精神性の部分は向いていたと思います」
とはいえ、日々の練習は一筋縄にはいかない。大声を出しつづけて体力を消耗するうえに、気力や集中力を維持する忍耐も要求される。しかし、そのしんどさを乗り越えて、試合で勝利できたときの達成感は大きい。
試合では相手との読み合いも発生するため、頭を使って戦略的に攻める楽しさというものも知ることができた。
「どっちが先に手を出すかという駆け引きがあって、出された方が結構負けるんです。ボクシングとかも一緒だと思うのですが、タイミングや間の取り方もすごく重要で、あとはフェイントですね。あえてこの技を見せて最後にこの技で仕留めるとか、そういうことを考えるのも楽しくて好きでしたね」
まさに心技体が揃わなくては勝てない領域だ。しかも、相手によって戦い方はさまざまで、当然ながら戦略も一つでは足りない。
サッカーや野球のようなチーム競技なら、監督やチームメイトと一緒に試合をつくりあげていく側面があるが、剣道で問われるのは究極的には個の力だ。団体戦などチームで勝利を目指していたとしても、試合で対戦相手と向き合うその瞬間、いかに勝つかを一緒に考えてくれる仲間はいない。ただ相手の心を読み、自分で戦略を考える。それもまた、剣道の面白さの一つだと感じていた。
「自分の実力が白黒分かりやすいという部分も向いていたのかもしれないですね。のちに営業の仕事をしていたときも、チームで目標達成しようと盛り上げてやるみたいなことは好きだったのですが、実際に営業をする瞬間は個人じゃないですか。一人で商談に臨んでいたら誰も助けてくれないし、そういう風に自分で何かやっている実感がほしいタイプですね」
3年間部活に打ち込んだ一方で、中学の雰囲気自体は荒れていた。日常的に物が壊れたり、その辺でタバコを吸っている人がいたりして、よく警察もやってくる。当然勉強を頑張ろうとする人は限られていて、卒業後は大学を目指さず早くに就職していく人も多かったが、ひとまず自分なりに最低限やるべきことはやろうと決めていた。
「まず大学には行きたいなと思っていたんですよね。そこそこ良い大学に行きたいなと、だけど同時に安牌に行きたかったんです。そうなった時に、指定校推薦というものがあると知って。指定校推薦なら選ばれさえすれば余程のことをしない限りほぼ確実に行けるので、この方法で行くのが一番効率がいいなと思ったんです」
学校生活でやるべきことをやり、良い成績を収める。高校でもこれまでと変わらず毎日を過ごせば、指定校推薦はもらうことができそうだ。対して受験は、最後まで何があるか分からないし、試験当日にお腹を壊す可能性だってある。リスクを負わずに安定的に志望校の合格を手にできるなら、これ以上の選択肢はないと思った。
「田舎の方の学校なので、ものすごくレベルが高いわけではないんですよね。この中だったら普通に定期テストを毎回頑張っていれば良い成績が取れるだろうと思って。しかも僕の場合、勉強だけではなく剣道を頑張ったり、ピアノもできたので音楽で伴奏をやったりもしていて、おそらく選ばれるだろうなと思ったんですよ。あとは塾にも行かなくていいので余計なお金をかける必要もなく、家族にとってもだいぶ負担は少ないだろうなと思って」
ちょうど家から通える高校に、法政大学の法学部国際政治学科に行くことができる指定校推薦を見つけた。もともと政治に関心があったこともあり、国際政治の勉強ができるなら魅力的だと思える。調べていくと、その高校は剣道にもかなり力を入れているという情報が決め手となり、迷いなく入学を決めていた。
「高校から大学までは、全部プラン通りでしたね。思った通りに行って、そのまま法政大学法学部の国際政治学科に入りました。だから、当時の僕ってすごく安定志向ですよね。もし何かものすごくトライしていたら、もっと上まで行くことができたのかもしれないですね」
ますます厳しい剣道部の練習と、定期テストで着実に点を取るための勉強。毎日遊ぶ暇はあまりなかったが、指定校推薦をもらうという目標に近づいている実感がたしかにあった。
目標を明確にして、そこから逆算し戦略的に行動するとうまくいく。経験を通じて、そう信じるようになっていた。
プラン通りに進学した大学では、上京の感動とともに今までにない生活が待っていた。
「すごく良かったです。やっぱり千葉の田舎から出てきているので、いろいろな魅力があるじゃないですか。都会だし遊ぶところも多いし、大学もみんなきちんと勉強してきた人たちが集まっていて優秀な人も多いなと思いました。家庭環境も今まで会っていた人とはまた少し違うような人がいたりして、一気に世の中が広がった感じでしたね」
なんにでも興味を持つ方だったため、授業は一般教養科目も楽しめた。同時にサークル活動やアルバイトにも勤しんで、いわゆる典型的な大学生としてバランス良く過ごしていた。
「結構大学ってすごく意識が高い人だと起業サークルに入ったりとか、何かインターンシップをやったりする人もいるじゃないですか。全然そんなことはせず、飲食店でアルバイトをしたり満遍なくやって、その時を楽しんでいましたね」
もともと国際政治学科を志望する以前から、政治や国際協力に携わる仕事への漠然とした憧れや興味があった。それ自体は変わらなかったが、いざなんでも選択できる環境に身を置いてみると、自分には無理なのではないかという思いも芽生えはじめていた。
根幹にある安定志向がそうさせたのか、それほど毎日が楽しく満ち足りていたからか、今以上に未知の世界へ踏み込みたいという欲求は湧いていなかった。
「国際政治にはすごく興味があったし、海外も行きたいなと思っていたのですが、じゃあ本格的に何年か留学しようとまではやっぱり思えなかったんですよね。今の生活もなんか楽しいし、当時はそんなに大それたことをするようなタイプでもなかったので、会社に入って何かそういう機会があればいいかなという感じになっていました」
なんだかんだ普通に就職することを考えつつ、就職活動ではどうすれば興味のある方向性の仕事ができるだろうかとイメージする。
「ものすごくトップみたいなところへ行くと自分は埋もれる気もしたので、準大手くらいの会社で、守られる環境はありつつ自分が輝けそうなところに入れたらいいなと考えて。かつ、その中でももともとやりたかった社会に影響を与えるような社会貢献性の高いビジネスをやっていて、しかも海外に行くチャンスもありそうな会社に行こうという軸で考えていました」
若くして海外に行けるようなチャンスが巡ってくるとしたら、入社早々から期待をかけてもらえるだけの働きぶりを見せていく必要があるだろう。最大手と呼ばれるような人気企業には優秀な人材が集まってくるはずで、おそらく競争も激しい。それなら自分でも目立てる可能性が高そうな準大手クラスの企業が良いだろうと考えていた。
さまざまな業界を調べてみたが、最終的には社会貢献性の高い医薬品、医療機器業界に惹かれ、なかでもちょうど海外展開に力を入れようとしていた大日本住友製薬株式会社(現 住友ファーマ株式会社)への入社を決めた。
「安定志向な両親の姿を見ていたので、普通に同じような生き方を求めていましたよね。だから、今のような姿は全く想像もしていなかったです。でも、自分にしかできないことをやりたいみたいなことは、どこかでずっと思い描いていたんだと思うんですよね。当時はまだその殻を破れていませんでした」
社会に貢献していくような仕事への憧れと、着実に自分が叶えられそうな方法を考えた。本当はもっとチャレンジングな道もあったのだろうが、当時は最善だと思える選択だった。
少なくとも自分で定めた目標があったからこそ、それを追いかけることが前へと進むことに繋がっていた。
新卒でMRとして入社し、最初は三重県へと配属された。目標のため、結果にこだわって頑張りたいと思っていた。
「やると言ったら絶対に達成したくて、『一番になりたい』と周りに言っていたし、まず言って自分にプレッシャーをかけるわけですよね(笑)。それでできないとかっこ悪いので、やらざるを得ないじゃないですか。そうなるとすごくコミットするし、やり方をものすごく考えることに繋がって」
薬のポテンシャルを考慮すると、どうターゲティングして、どの順番で攻めるべきか。一人の先生に対しても、一つのアプローチで終わるのではなく複数方面から攻めてみたりする。ただやみくもに営業先を回っても結果はついてこないので、やり方は戦略的に考えた。
たとえば、1週間に1回投与するタイプの注射剤を売りたいとするならば、口から服用する経口剤に比べて飲み忘れが起きにくいというメリットがあるため、そのメリットを介護施設の看護師をターゲットに訴求する。そうすることで経口剤から切り替えてもらえる可能性が高くなるなど、きちんとロジカルに売れる方法を模索していった。
「自分の営業力やキャラクターで売れても再現性がないので、提案の仕方を自分で考えて地域で広めていく。そうすれば僕がいなくなっても、おそらく売上として残るじゃないですか。そういう再現性のあるプランがなかったので、自分で作って周りの人に紹介したりすることで、『あいつは頑張っているな』『数字を上げるだけじゃなく、きちんと考えている』と思ってもらえるのかなと考えていました」
就職にあたって当初思い描いていた通り、ハングリーに頑張れば結果はついてきて、営業でトップを取ることもできた。2年半ほどで東京へ異動になり、大学病院を担当するようになる。MRにおいて大学病院を担当することは、一つのゴールでもある。社内でも最年少でのステップアップを果たし、このまま順調に行けば海外事業部かと思われた。
しかし、当時はちょうど市場環境の変化が押し寄せていた。
「MRって薬の営業なのであまり下手なことを言ってはいけなかったり過剰なプロモーションが禁止されているのですが、当時同業他社の臨床データを改ざんした誇大広告事件が問題になっていて。業界のルールがすごく厳しくなってきていたんです」
それまでのように自由に提案手法を考えることはできなくなりつつあった。決められたスライド資料に沿って決められた内容を話すことがルール化されていき、接待という文化もなくなった。
さらに、かつては扱う品目としても高血圧や糖尿病などに有効なプライマリーの薬が主流だったところから、抗がん剤などより難易度の高い薬が主流になっていく。類似の商品が多くあり、営業マンの質が問われた時代から、純粋に良い薬や国のガイドラインに載っている薬が買われる時代となり、それに合わせてMRに求められる役割も一つの転換点を迎えていたのだ。
「既にリストラは始まっていましたし、この流れはどんどん加速するなと思って。安定なんてものはないんだなと、そこで気づいたんです。しかも、それはおそらくどの業界に行っても同じなんだろうなと。それならやっぱり自分にしかできないことをやりたいと思って、そこで起業しようと思ったんですよね」
安定という理想が崩れ去ったことにより、本来心の奥底で求めていた願望が前に出てくるようになった。自分にしかできないことをやり、社会に貢献したかった。
「社会貢献性の高さという意味では、医薬品・医療機器業界がすごく好きだったんですよね。じゃあ、この業界で自分にしかできないことをやろうと思った時に、MRしか経験していないので分からなくて。そこからも結構戦略的に考えて、この業界をより広く構造的に知りたいと思って、業界に特化したヘッドハンティング会社に転職することにしたんです」
人材業であれば、研究者から開発、マーケティングなどさまざまな立場の人と話ができる。業界を網羅的に知り、まずは課題やニーズを把握するところから始めることにした。
「1社目は医薬品・医療機器業界に特化した日系の会社で、広く浅めにジュニアからミドルクラスの転職を支援していました。2社目の会社はエグゼクティブサーチに近い感じで、海外の会社が日本でブランチを立ち上げる時の社長の採用とか、バイオベンチャーのCXO採用などの支援を行っていて、今度は横だけじゃなく縦を知りたいと思ったんですよね」
それぞれ1年半ずつ働き、業界を広く俯瞰したことで、実際にいくつかのニーズを洗い出すことができた。なかでも自分が価値を発揮できそうであり、最も大きな課題であるとも思えたものが「人」だった。
2022年1月、株式会社xCAREを設立。まだ見ぬメディカルプロダクトが一つでも多く日の目を浴び、社会に貢献していくように、xCAREはプラットフォームを拡張していく。
安定志向で殻を破れずにいた学生時代の自分から、安定などないと知る社会人以降、そして現在に至るまで、少しずつ本来の自分がやりたかったことへと近づくことができたのは、そこに目標が存在していた影響が大きいと福永は振り返る。
「やっぱり目標を明確にすることと、それを発信していくことですね。そうすると自然と自分のマインドがそっちに向いて常に高く保たれると思うし、周りにそういう人が集まってくる。だから、もし何か本当に成し遂げたいという思いがあるのであれば、なんでもいいから目標を明確にして、それをどんどん発信していくと、実現しやすい環境になっていくと思うんです」
目標を明確にすることと、それを自ら周囲に発信すること。その意義は、何より自身の体験があったからこそ実感できたものだったという。
「新卒内定者だった時、入社までにコミットする目標を一人ずつ同期みんなの前で発表するという機会があって。僕はそれまで将来海外事業に携わりたいとか言っていた割に、(受験をせず推薦で進学したこともあり)英語を勉強していなかったんですよね。大学の英語のクラスも一番下でしたし、TOEICも300点台くらいだったので『TOEICで800点取ります』という目標を言ったんです」
「英語を勉強する」など、漠然とした目標を立てることもできた。しかし、明確な方があとで検証しやすいというメリットがある。具体的に言い切るには少しの怖さもあるが、結局コミットできなければ目標を立てる意味がない。目標を立てたからには達成すること、あるいはそこに向けて本気で努力するプロセスが価値となる。
「最初は『うわ、言っちゃった』とも思ったんですよ。でも、みんなの前で言ったからにはやらないと恥ずかしいじゃないですか。それでちょうど1年後にTOEICの試験を受けたら、ちょうどぴったり800点だったんです。やっぱり目標を明確にすると叶うんだと思って、そこが気づきになりましたね」
以降、MRとして働きながらも1番になることや、売上目標を進んで周囲に宣言し、自分自身を鼓舞するということを繰り返してきた。プレッシャーをかけたことにより達成に繋がったうえ、その歩みが積み重なっていき、起業というアクションを起こすことにも繋がった。
「目標って別に変わっていいと思うんですよ。当然生きていると考え方も変わるし、やりたいことも変わるので。だから、とりあえず今考えられる目標でいいと思うので、なんでもいいから具体的に立てて、まずはそこに一生懸命コミットすることが大事だと思うんですよね」
漠然とした状況にあっても、なんでもいいと思えば目標は立てられる。小さくても、大きくてもいいだろう。それがたとえ叶わなくても、最終的には自分に合っていなかったと思えたとしても、ひとたび目標として掲げ、全力でコミットした時間や思考したプロセスには代えがたい価値がある。自分の心に従い定めた目標である限り、そうして紡いだ足跡は生涯無駄になることはない。
2024.10.31
文・引田有佳/Focus On編集部
心の中で秘められたまま終わってしまう目標がどれだけあるだろう。せっかくそこに意思が芽生えたのなら、どんな事情があるにせよ、それを現実にすべく十分に努力できた方が人生は豊かだろう。
目標は明確にして周囲に発信するようにしているという福永氏。それは、目標との上手な付き合い方であり、自分の心と誠実に向き合うということでもあるのかもしれない。
心を尊重することで、自分の深い部分から湧き上がる思いから目を背けずにきちんと向き合える。そうしてこそ、人は自分自身を信じられるようになっていくのではないだろうか。
xCAREが世に眠る医療シーズを一つでも多く芽吹かせようとするように、それらを尊重しようとする小さなアクションが積み重なれば、可能性を信じる土壌が養われ、自ずと実現確率は高まっていくだろう。何も社会を変えるのは劇的な革新だけでなく、そうした漸進的な変化によっても社会はきっと姿を変えていく。
文・Focus On編集部
▼コラム
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目標を明確にし、発信することの価値とは|起業家 福永将の人生に迫る
株式会社xCARE 福永将
代表取締役CEO
愛媛県出身。法政大学法学部卒業後、大日本住友製薬(現 住友ファーマ)にてMRを経験後、2社医療業界に特化した人材紹介会社での業務を経て2022年に株式会社xCAREを設立。
https://www.xcare-medical.com/