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エンベデッド・ファイナンスで信用をビジネス化する ― 憧れがビジョンに変わるとき

憧れの数だけ、世界は広がっていく。


「エンベデッド・ファイナンスで"新たな信用のカタチ"をデザインする」をミッションに掲げるGeNiE株式会社。レンディング(貸付)領域におけるエンベデッド・ファイナンスを推進する同社の金融プラットフォーム「マネーのランプ」では、業種を問わず既存サービスに金融機能を組み込み、エンドユーザーにシームレスな金融体験を届ける。貸金業ライセンスの取得・運営は投資コストやリスク面でハードルが高いが、同社はアコム発のスタートアップ企業として、与信・審査に関する豊富なノウハウとスピード感のあるサービス提供を両立している。


代表取締役社長の齊藤雄一郎は、大学卒業後、アコム株式会社に入社した。支店勤務を経て経営企画部へ異動したのち、企画部門を中心に全社戦略の立案やマーケティング業務に従事。2016年からはイノベーション企画室を立ち上げ、デジタル領域におけるサービス企画・立案、新規事業開発などに取り組んだのち、マーケティング部門責任者を経て、2022年4月、アコムの社内起業家としてGeNiE株式会社を設立した。同氏が語る「革新の可能性」とは。






1章 GeNiE


1-1. エンベデッド・ファイナンスで"新たな信用のカタチ"をデザインする


駅前にアコムの赤い看板があり、必要なときはすぐ店舗に立ち寄れる。それが金融サービスの1.0だった。インターネットが普及してからの2.0時代では、わざわざ店舗に出向かなくても、バーチャル上で取引を始められるようになった。そして今、さらなるテクノロジーの発達により、次の時代が到来しつつあると齊藤は語る。


「金融機能が人々のリアルな場所やWeb上の導線に組み込まれた世界が2.0までだとすると、次は日常で使うあらゆるサービスそのものに組み込まれていく形が3.0になる。それにより、エンドユーザーのことを深く理解した企業や人が増えていき、業界とエンドユーザーの体験が変革されていく。そんな世界観を目指して、願いを叶えたい時にキュッとこすれば出てくる『ランプの精』のように、弊社がランプとなり事業者さんに行き渡り、さまざまなサービスに組み込まれていく未来を描いています」


同社が提供する金融プラットフォーム「マネーのランプ」は、いわゆる「エンベデッド・ファイナンス(組み込み型金融)」と呼ばれる仕組みを提供するサービスだ。これにより非金融企業は、ライセンス取得やシステム開発・管理運用などのコストをかけることなく、既存サービスの中に金融機能を組み込める。自社ブランドの世界観を壊すことなく、一貫したユーザー体験としてレンディング(貸付)サービスを提供できるようになることが特徴だ。


誰もが予期せぬ出費や資金不足に直面しうる時代に、手段として金融を前向きに、そして身近に活用できることは大きな意味を持つ。


「『お金を借りる行為自体は悪くないけれど、その先に怖い何かが待っているんじゃないか』という負のイメージを作り出してしまったのは過去の消費者金融業界だと思っています。あくまでお金を借りることは手段に過ぎないので、その先にある目的を支援できるようにしたい。自分の信用を使ってお金を手に入れられる。それが叶うと、やりたいことを我慢せずにできたり、苦しいときに乗り越えられる人が増えていくと考えています」


ギグワークサービス・クラウドソーシングプラットフォームでの
「マネーのランプ」活用例


「マネーのランプ」によるレンディング(貸付)サービスの導入は、事業者にとって大きく3つのメリットがある。売上の増加、データ連携による顧客理解の深化、そして新たな収益源の獲得だ。


「欲しいけれど買えない・与信審査が通らない」と諦めていた顧客が、従来に比べて柔軟な信用力評価モデルにより購買・契約へと動けるようになる。事業者にとっては、これまで逃していた売上を獲得できることを意味する。


加えて、金融サービスを通じて得られる給料日や年収などの顧客データはマーケティングへの活用幅が広く、継続的な利息分配により顧客一人あたりのLTVも上がっていく。


「直近1年半で約30社と提携させていただいていますが、この事業自体がまだ草創期にあると考えているので、今はあまり業種などを絞らずに、エンドユーザーさんを多く抱えている事業者さんであれば、『まずは一緒に共創してみませんか』とお伝えしています。弊社は金融のプロとして、事業者さんは提供しているサービスのプロとして、5対5の関係で一緒に金融サービスをつくることができると考えています」


今後はより多くの業界と商品を生み出し、「作り・育て・収益化する」というサイクルを回していく。また、後払いやウォレットをはじめ、レンディング(貸付)以外の機能への横展開も次のフェーズとして見据えているという。


「『エンベデッド・ファイナンス』という言葉の認知が今より進んだ暁には、一番にGeNiEが想起される位置づけを確実に勝ち取っていきたいと思っています。もしその言葉が流行らなかったとしても、『金融事業を始めたい』と思った際には、代表的な企業として知られるポジショニングを狙っています。さらに、アジア市場で見ても、日本ほど個人向け融資を行う貸金業が進んでいる国はほかになく、国内でこの組み込み型の仕組みを確立したあとは、海外への輸出も見据えています」


日常のあらゆるサービスに金融を組み込み、信用を必要な人へ届ける。それが叶うとき、人は次の一歩を踏み出せる。GeNiEは業種や国境を越え、その連鎖を広げていく。


2025年3月、GeNiEは東京都が主催する
「東京金融賞2024 金融イノベーション部門」にて第3位を受賞



2章 生き方


2-1. 何に向かい情熱を燃やすか


両親はともに銀行員で、母方の祖父も証券マン、いわゆる金融一家で育ったと齊藤は振り返る。父は毎晩遅くまで仕事の付き合いの飲みがあり、朝は早くから職場へ向かう。「酒は注いでも注がれるな」が口癖で、平日はほとんど顔を合わせる暇がない。忙しく、楽しいことばかりでもないようだったが、仕事にはひたむきに向き合っているように子どもの目には映っていたという。


「父は毎朝、日経新聞を読んでいたのですが、僕が起きてきて『おはよう』と言うのも少し怖いぐらい、鬼気迫った様子だったんですよね。あとから思えば、当時日本の銀行は、今のGoogleやAppleぐらい世界の時価総額ランキング上位に名を連ねていて、特別な職業だったと思うんです。そんな厳格な父を見て育ったからこそ、大人は日経新聞を読むものだし、経済を語れた方がかっこいいみたいなことを自然と思うようになったんでしょうね」


もともと父は秋田の小さな町から単身上京し、高卒で銀行に就職した。苦労した分、厳格になったのかもしれない。


子どもの頃、父から仕事について深く聞いたことはなかったが、代わりに年に一度ほど会いに行く祖父からは、その独特な仕事について話を聞いたことが何度かあった。


「祖父は秋田の阿仁町(あにまち)という、500人ぐらいしか住んでいない村のような地域に住んでいて、マタギという熊を捕る仕事をしていたんです。昔、『マタギで大切なことって何?』と聞いたことがあるのですが、『死なないことだ』と。なぜかと言うと、寝食をともにしている仲間の誰か一人が亡くなったら、別の誰かが逆上して多くの熊を殺してしまうかもしれない。マタギは生態系を保つための職業だから、その根底が崩れてしまう、職業の本質を壊すことになるんだという話を聞いたことが記憶に残っています」


祖父の語りは訛りが強く、かなり聞き取りづらかった。それでもチームで命を預け合い、生態系を守る。誇りを持って、代々継承してきた大切な仕事なのだということは伝わってきた。



父や祖父が働く姿は身近にあったが、当時はまだ自分の将来についてイメージはなく、目の前の野球に夢中になっていた。


「家族が巨人ファンだったので小学1年生からずっと野球をやっていて、1番ショートの盗塁王でした。シンプルに野球が好きだったこともありますが、ある意味チームプレーが好きだったのかもしれないですね。みんなで喜びあったり、セカンドの人と遅くまで残って守備練習をしたり、個人と個人の連携プレーみたいなものが好きでした」


プレー自体も楽しかったが、プロ野球を観ながら自分なりに研究することにも没頭していた。毎朝新聞のスポーツ欄を見て、各選手の打順や打率などに目を通す。シーズンが終わる頃には、各球団の成績を空で言えるくらいデータをインプットして、勝手に監督目線で最強のチーム作りを妄想したりした。


「おそらく小学生の頃はプロ野球選手になりたくて、憧れが強かったんじゃないですかね。選手それぞれの得意技を可視化したり、ホームランバッターばかり並べても強いチームにはならないなとか、そういうことを一人で考えているのも好きだったんですよね」


しかし、成長するにつれ、自分の実力は客観的に見えてくる。次第に、プロ野球選手の夢は諦めるようになり、中学3年の夏に野球は引退することにした。


「当時は中高一貫の私立に通っていたのですが、シンプルに高校は遊びたいという思いがあって。あとは、肘が痛くなって治療しないと投げられなくなったので、そろそろいいかなと思ってしまったんです。ただ、今でも続ければ良かったなと後悔していますね。テレビで甲子園を観たりすると、ああいう若い力を一つにして情熱を燃やすような時間って、ある意味すごく美しいし、おそらく大人になってからでは取り戻せないものがあるよなと思うんです」


憧れや情熱を抱き、一心に専念してやり遂げる。その対象は大きければ大きいほど、かけがえのない時間が待っている。自分が何に向かうかはまだ見えていなかったが、漠然とそんな生き方への憧れだけは心にあった。


小学校時代



2-2. 憧れと現実


高校に入ると、小遣い稼ぎも兼ねて美容院でアルバイトを始めた。ちょうど当時は木村拓哉主演のドラマ『ビューティフルライフ』の影響もあり、日本中がカリスマ美容師ブームに沸いた時代だった。


「当時、夜の23時くらいから『シザーズリーグ』というテレビ番組をやっていて、カリスマ美容師がテーマに合わせて髪形をカットして、投票で1対1の勝敗を決めるという人気番組があったんです。それを観て、美容師は日本一かっこいい職業だと憧れて。いつも通っていた美容院に『アルバイトできますか?』と聞いて、そこで2年間ぐらい働いていました」


美容師免許は持っていないのでカットやヘアカラーはできないが、先輩美容師の指示を受けながらパーマに使うロッドを取りに行ったり、床を清掃したりする。高校生ながらリアルな仕事の現場に触れることができ、アルバイトは楽しかった。


改めて美容師という仕事を間近で見ると、技術力やスタイル提案力もさることながら、お客様とのコミュニケーションも大切な仕事の一部なのだと実感した。


「施術中は皆さん雑誌を読んだりしていますが、基本的には暇を持て余しているので、アルバイトとはいえお客様と喋らないといけない。初対面のお客様とのコミュニケーションを、先輩の接客を見ながら学んだり。当時は何本もクレームを受けたりして、『こういう言い方をしたらダメなんだ』とか、そういった部分はとても勉強になったと思います」


当時は20代前半の先輩たちにも可愛がられ、よく遊びに連れて行ってもらったり、家にもお邪魔させてもらった。すると、厳しい現実の一面も見えてきた。


「それまで将来は美容師になりたいと思っていたのですが、皆さん19時20時まで営業して、そのあと毎日2~3時間技術を磨くために練習されている。いまや美容院の数はコンビニよりも多いと言われるなかで、いつかオーナーになり、激しい店舗間の競争にも勝ち抜いていかなければいけないということをイメージしたときに、憧れだけでやっていけるほど甘い世界ではないなと実感したんです」


「美容師がかっこいい職業だ」という思いは変わらなかったが、同時に、どこか軽く考えていた自分の浅はかさも思い知った。結局、美容師の道には進まないことにしたものの、大学でも美容院との縁は続いていた。


「大学1年生のときには、高校時代アルバイトをした美容院で一番良くしてくれた先輩が独立することになって、『手伝ってほしい』と言われて、またそこでアルバイトしていました。僕とその人と奥さんの3人しかいなかったので、ビラ配りやどんなチラシにするかの相談、売上がいくらで、このシャンプーがいくらするだとか、2人の話に混ざって、ちょっとした経営の話を聞かせてもらっていたことは非常に面白かったですね」


自分の店を経営するにも、夢だけでは済まない厳しい現実がいろいろある。しかし同時に、誰かと新しいものを試行錯誤しながら形にしていく面白さもある。小さくても自分たちで事業を動かしていく。行動の先には、新たな世界が見えつつあった。



2-3. 金融という選択、そして冬の時代へ


就職活動を始めた当初はひとまず広く業界を見ていたが、最終的には金融機関を中心に受けていくことになる。きっかけは、父との二人旅だった。1泊2日の旅行のあいだ、父は過去を取り戻すかのように話してくれた。


「就活中に、父と伊豆大島あたりに旅行に行ったんです。当時はまだ現役で、相変わらず平日はほとんど家にいないような父だったのですが、急に『旅行行くぞ』と連れ出されて。そこで父が何を考えて銀行にいるかとか、どんな思いで働いてきたか、金融機関の面白さを聞くことができたのは、僕にとって大事な時間だったと思っています」


支店では、大企業から中小企業まで多くの経営者を相手にしてきたこと。資金繰りに苦しんだ末、倒産してしまったお客様のこと。いずれにせよ金融は、社会で重要な機能を担っているのだと実感した。


「父は銀行の現場にいて支店長を務めていたのですが、『金融は経済の血液』という言葉の通り、いろいろな業界を見られるし、いろいろな人生に携われる面白さがあるぞと教えてくれて。『こんなにすごいことをしてたんだ』と初めて知って、かっこよく見えたんでしょうね。たしかに金融は、長く携わる価値のある魅力的なビジネスだと思えたので、金融機関の選考を受けはじめたんです」


銀行や保険、ほかにも不動産など、いくつかの業界の大手企業から内定をもらった。各社のデータも比較していると、なかでもアコムという企業は収益性が高く、当時国内の経常利益ランキングでは14位だということを知る。一方で、業界特性もあり、世間的な認知はまだ十分ではないとも感じた。


せっかく金融業界で長く働くなら、自分が年齢を重ねたとき、「何か変えられた」と思える方がいい。アコムは消費者金融業界では老舗だが、金融業界全体では銀行や信用金庫と比べて後発の業態であり、だからこそ革新を重ねてきた歴史がある。チャレンジングな環境の方が、自分自身の志を見つけられるのではないか。そんな思いもあり、入社を決めた。


「もともとアコムは金融業界初の24時間稼動ATMを作ったり、1990年代には『むじんくん』という自動契約機を作って業界に革命を起こしたり、事業を多角化して果敢に挑戦してきた歴史があって。その俊敏性や革新的な発想の精神に惹かれて、何かできそうだと思い、2005年に入社しました」


誰かが作った枠組みの中だけで働くよりも、自分自身が大きな野望やビジョンを持って枠組みを作るような仕事がしたい。気づけばそんな自分が形成されていて、憧れる生き方になっていた。


しかし、折しも入社2年目の2006年以降、法改正などの動きに伴い、いわゆる「グレーゾーン金利問題」が叫ばれはじめた。


業界は冬の時代へと突入し、「利息返還請求」という言葉が急速に浸透していった。アコムも引当金を積み、希望退職を募ることとなる。業界全体が問題と真摯に向き合うことが求められ、新しいことにチャレンジするどころではない状況が10年以上続いた。


それでも、3年目から配属された経営企画部では、役員陣が議論するテーブルにつき議事録を取るという仕事などを任され、視野を広げることができた。


「冬の時代だったので、目の前の事業にとって本当に必要なものは何なのか、どこがコアで、どこがオプションなのかといった議論が活発にされていて、それを間近で見ることができたんです。事業運営の構造を実例を通して学ぶことができたので、おそらく20代の自分がいきなり新規事業や新サービスにトライするよりも、勉強の期間としてはすごく良い時間だったんじゃないかと思っています」


チャレンジできない環境でも、事業の本質を見る眼を養い、経営陣の思考を垣間見た。その経験は、のちに活きる糧として積み上がっていく。憧れは個人の生き方を超え、社会のための革新やビジョンへとつながりつつあった。




2-4. 信用をビジネス化する


経営企画部での経験を経て、現場の統括部門やマーケティング部門へと移るなかで、いつしか社会では「フィンテック」という言葉が急速に広まりはじめていた。


「2014年に『Paidy』というサービスが登場して、衝撃を受けたんです。ほかにも米国では高学歴学生向けローンのSoFi(ソーファイ)や、CtoCレンディングのLending Club(レンディングクラブ)など、新しいフィンテック企業が生まれていて、金融の形がさまざまに変わってきているなと感じていました」


フィンテックは金融業界だけでなく、社会全体を変えつつある。金融の在り方が根本から見直される時代が来ているようだった。


いずれは自ら新しいことに挑戦したいと思っていたからこそ、情報へのアンテナが立っていたのかもしれない。最新のフィンテックスタートアップの動きなどを見聞きすればするほど、今後どんな挑戦へと踏み出すべきなのかと考えていた。革新を生み出しつづけてきたアコムだからこそ、先駆者になるべきだという思いもあった。


「集中的に調査・研究・実験を行うために、2016年からイノベーション企画室という部署を作らせてもらいました。そこでは新しい金融サービスや、社内のDXをどう進めていくべきかといった上流の戦略策定などに携わりました」


調査を重ねるなかで、頭に浮かんだのは以前マーケティング部門にいた際の顧客調査だった。


「顧客調査では、95%の人が『お金に困っても消費者金融には行きたくない』と回答していたんです。『ローン』というもの自体にはそこまでネガティブな認識はないのに、消費者金融だけは心理的ハードルがものすごく高い。僕が入社時から思っていたことでもありますが、健全な資金循環を支えるサービスとして社会的認知を上げるため、違う見せ方をするビジネスが必要だということは一つのポイントだと考えていました」



加えて、どんなサービスを提供するにせよ、与信・審査には信用力を評価するための顧客データの厚みが不可欠だ。ちょうどフィンテックがトレンド化する流れの中で、異業種の身近なToCブランドがレンディング(貸付)サービスを立ち上げる事例も生まれはじめていた。


「幼馴染のように身近なブランドがお金を貸すとしたら、初対面の人間がお金を貸す場合と違い、顧客に関していろいろなデータを持っている。深い顧客理解の延長線上に金融サービスがあるという世界観を他社が生み出しつつあったので、これは将来的な脅威になるだろうと思っていました。心理的障壁と与信における機会損失、これら二つを一気に解決できるものがないかと考えた結果、たどりついたのが『エンベデッド・ファイナンス』だったんです」


戦略が固まってからは、それを実行するためのプロダクト責任者として、実際にアプリ開発や既存サービスのデジタル化などを主導した。DXの成果も出はじめた頃、世の中では「冬の時代」が終わり、投資体力が戻りつつあったため、正式に事業化に向けて動くことにした。


2022年4月、アコムグループの100%子会社として、GeNiE株式会社を設立。近年の海外進出を除けば、国内では約四半世紀ぶりの新規事業だった。新しい金融の在り方をつくる事業だが、創業から続く精神性は変わらずそこに流れている。


「今の社長は4代目なのですが、1代目の創業者はもともと着物の反物を売る呉服店を営んでいたんです。ある日若い娘さんがお店に来て、『高価なものなので一人では決められない』と言うので、その娘さんに反物を預けて『お母さんと相談してきなさい』と持ち帰ってもらったら、翌日慌てたお母さんと現れて、『こんなに高価なものを託していただいて、ぜひ買わせてほしい』という話になったと。つまり、お客様を信用してお渡ししたから、その信用が伝わり、長い取引を始めることができたという、信用・信頼の精神がアコムのルーツにあるんです」


その精神はやがて質屋業、レンタルビデオ事業、現在の金融事業など、形を変えながら受け継がれてきた。


「これらの事業の共通点は、『信用をビジネス化する』というドメインです。それから既存の金融機関ができない・やらないことに積極的に取り組んで、新しい価値を生み出していくということ。この2つは、いつの時代もアコムグループの根っこにありつづけたものだと僕は思っていますし、今後も大切にすべき精神性だと考えています」


信用がまだ行き届いていない場所があるとすれば、そこには新たなサービスが生まれる余地がある。GeNiEは既存の枠組みを超え、新たな可能性を切り拓いていく。


GeNiE創業メンバーと



3章 憧れの先へ


3-1. 「ビジョンに雇われろ」


プロ野球選手から美容師、金融、そしてフィンテックへ。人生の変遷を経て、起業という選択をした今、大切にしている言葉があると齊藤は語る。


「『ビジョンに雇われろ』という言葉が好きなのですが、ビジネスマンだった僕が起業を決断できたのは、誰かに雇われているというより、自分なりのビジョンを信じ、そこに対して人生をかけていきたいと思えたからなので、ビジョナリーでいることをとても大切にしています」


その感覚が育まれたのは、起業前に通ったビジネススクールでの2年間だった。さまざまなバックグラウンドを持つ仲間と出会い、「何をしたいのか」「どうありたいのか」とバックキャスト*(*未来から逆算して現在を問い直す思考法・計画手法)しながら繰り返し問う訓練を積むことができた。


「当時の仲間たちと会うと、今でもそういう論法でお互いの近況を聞き合うんです。深く突き詰めていくので疲れますが、『お前って将来こうなりたいって言ってたよな』とか『それって何のゴールに向かってやってるの?』とか、そういう会話をしているうちに自然と自分の中に染み込んでいくものがある。ビジョナリーである大切さや、ビジョナリーであるからこそ今を大切に生きられるという感覚を持つようになりました」


比較的大きな組織で働くなかでは、部署やチーム、目の前のタスクにとっての最適解にこだわり、部分最適に陥りやすい。15年以上サラリーマンとして働くなかで、自身も気づけばそうなっていたと齊藤は振り返る。「結局、何を目的にしていたのか」と問い直す機会が、長く失われていた時期もあった。


だからこそ、今はビジョナリーであることをリーダーシップの核に置いている。厳格さで人を動かすのではなく、「ここまで行こう」と遠くを指し示す。


「結局仕事で目標を達成しても、従業員目線では『達成したから良かったね』という感覚にとどまりがちだと思っていて。目標はあくまで手段であって、目的ではないじゃないですか。大人が大勢集まって一生懸命事業をつくるのは、目標を達成するためではなく、その先にあるビジョンや目的のためですよね。遠くにある何かをみんなで目指し、マイルストーンとしての目標を達成できたと思えるからこそ、達成の喜びは大きくなるのだと思っています」


有名なアフリカのことわざに、「早く行きたいなら一人で行け、遠くに行きたいならみんなで行け」というものがある。GeNiEが目指すのは「遠くへ行ける」事業。真に社会的価値の高い事業だ。


ビジョンに向かって、みんなで行く。そこから革新の土壌は育まれていくのだろう。




2026.6.4

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


憧れとは、まだ手が届かない何かに近づこうとする原動力になる。齊藤氏の憧れは何度も対象を変えながら、そのたびに現実と折り合いをつけ、更新されてきた。


一方ビジョンは、社会に存在しない何かを作り出そうとする衝動につながっている。憧れが特定の誰かや何かを向いているのに対し、ビジョンはまだ見ぬ社会全体を向いている。


それは憧れが何度も壁にぶつかり、それでも向かいたいという根っこだけが残ったときに宿るものではないだろうか。憧れを何度も更新しながら、人はやがてビジョンにたどり着き、それが事業として社会への問いかけになる。


GeNiEは金融の価値が届いていない領域へと、サービスを広げていく道のりにいる。同社の挑戦は、まだ存在しない信用の届け方を、これからも形にしつづけるのだろう。



文・Focus On編集部



▼コラム

私のきっかけ ― 『ストーリーとしての競争戦略』著:楠木建




GeNiE株式会社 齊藤雄一郎

代表取締役社長

大学卒業後、アコム株式会社に新卒入社。支店勤務を経て経営企画部へ。以降、企画部門を中心に全社戦略の立案やマーケティング業務に従事。2016年、フィンテックが日本で注目され始めた頃、テクノロジー活用を推進すべく、イノベーション企画室を立ち上げ。デジタル領域におけるサービス企画・立案、新規事業開発などに取り組む。マーケティング部門の責任者を経て、2022年4月、アコムの社内起業家としてGeNiE株式会社を設立。

https://genie-ml.com/


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