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やりたいことへの最短距離をつくる ― 熱中する人の生き方とプロダクト哲学

気になったら、すぐ動く。はじまりはいつも目の前にある。


「はじまりをもっと近くに」をミッションに掲げ、身近にある面倒な作業をシンプルにすることで人の行動を変えていくミクステンド株式会社。「日程調整」を軸とする同社では、月間800万人以上が利用する日程調整サービス「調整さん」やビジネスシーン向けの「TimeRex(タイムレックス)」など、誰もが直感的に使えるプロダクトを展開。説明不要のシンプルなUI/UXを土台に、周辺領域への機能拡張とグローバル展開を見据えている。


代表取締役の北野智大は、高校在学中からフリーランスとしてWebサイト制作やアプリ開発に従事。2014年から株式会社リクルートホールディングスの新規事業部門にエンジニアインターンとして参画し、「調整さん」の新機能開発やユーザーグロース施策を担当した。4年間で260%のユーザー増加を達成したのち、2018年にミクステンド株式会社を創業、「調整さん」など事業を譲受した。同氏が語る「一貫して作りたいもの」とは。






1章 ミクステンド


1-1. はじまりをもっと近くに


「思い立ったらすぐ」という言葉があるが、ちょっとした手間一つで気持ちが冷めてしまうことがある。小さな障壁を取り除くだけで、本当はもっと気軽に始められることが日常には多くある。そんな思いを、ミッションである「はじまりをもっと近くに」には込めていると北野は語る。


「人が何か思いついたとき、ぱっとすぐそれができる状態をつくりたいんです。日程調整であれば、誰かと久しぶりに会いたいなと思ったとき、調整がうまくいかないと面倒になって、そのまま流れてしまうことってあるじゃないですか。さくっと日程が組めて、特別な意識も準備も必要なく会える。本当にやりたいことの手前にある面倒なことは、まるっと僕たちのプロダクトが解決できる。究極はそこまで持っていきたいと思っています」


2018年、リクルートからスピンアウトする形で生まれた同社では、登録不要の日程調整・出欠管理ツール「調整さん」や、ビジネスシーン向けの日程調整自動化ツール「TimeRex(タイムレックス)」など、身近な生活を便利にするプロダクトを複数開発・提供してきた。


一貫してこだわっているのは、誰もが直感的に使えるプロダクトであることだ。たとえば、2歳児がタブレットを操作して動画を観ることができたりするように、説明書がなくても使えることを大切にしているという。


「注意書きを読まなくてもいい状態を作ろう、とチームにはよく言っています。ポチポチと触っていたら、ユーザーの意図するものができる。逆に、注意書きが必要とされるような状態では、直感的に操作していったとき悪いギャップが生まれてしまう。日程調整に限らず、身近な生活の課題を解決していく以上、使いこなせる人が一部に偏ってしまっては意味がない。誰でも直感的に使えるプロダクトであることが最重要だと考えています」


ほかにも同社では、外国籍のCTOとともに進める海外展開や、日程調整から派生する周辺領域への機能拡張に注力しつつある。


「今はプライベートの日程調整とビジネスの日程調整、両軸でプロダクトを提供していますが、その先には一人ひとりの予定管理をまるごとシームレスに担えるところまで進化させていきたいと考えています。イメージとしては、一人に一人秘書がいるような状態で、誰かとご飯に行きたいと思ったら、相手との日程調整から確認まで全てやってくれて、あとは当日会いに行くだけ。AIや音声UIの進化を総合的に見ると、これは現実的にありうる世界線だと思っているので、直近で作っていきたいと思っています」


どれだけテクノロジーが進化しても、目指す先は変わらない。思い立ったことが、すぐ始められる日常をつくること。原点にある思いを大切にしながら、ミクステンドは人を起点に社会を豊かにしていく。


日程調整自動化ツール「TimeRex」
2025年12月にはユーザー数が50万人を突破



2章 生き方


2-1. 創意工夫と、その先にあるもの


気になることを見つけると、ついつい時間を忘れて手を動かしている。まだITやプログラミングに触れる前、幼少期に好きだったのはレゴブロックだった。パッケージ通りに作るのではなく、頭で考えたものを形にする。作りたいものは自分の中にあり、自分なりの試行錯誤を楽しんでいたと北野は語る。


「いろいろなことを考え、創意工夫して作ることが好きな子どもだったかなと思います。それこそ小学生のときは、家に散らかっている部屋があって、そこを片付けるのに使われていない棚を使ってみたり。階段下の倉庫に天井が低くて頭をぶつけやすいところがあったので、勝手にホームセンターでフェルトを買ってきて、ぶつけても痛くないように貼ったりしていました」


事前に相談もせず、思い立ったらすぐ行動に移すので、家族がどう思っていたのかは分からない。ただ、両親はほとんど優しく見守ってくれていた。


そんな環境のおかげか、いつも興味関心には純粋に向かうことができていた。友だちみんなで本屋に立ち寄っても、自然と気になる本に引き寄せられて、気づけば一人で行動していたりする。何かに熱中できるのは良いことだ。ただ、それが悪い方向に向かわないようにとだけ、父は心配してくれていたようだった。


「本当に一般的な家庭でしたが、あるとき父から『自分を主観ではなく少し引いて客観的に見たときに、ドラマや映画として成り立つような生き方がかっこいいんじゃないか』という話をされたことは印象深かったですね。もしかしたら、ともすれば独りよがりになりそうだった僕の行動を見て、少し見つめ直した方がいいんじゃないかと思って、言ってくれていたのかもしれません」


幼少期、弟と


小学校時代はどこか一匹狼で、今とは違い人との関わりは少ない方だった。それをそのまま否定せず、良さとして認めつつ気にかけてくれる両親がいた。一方で、祖父からは負けん気のようなものを教えてもらっていた。


「祖父は戦争を生き抜いた時代の人だったからなのか、本当に熱くて芯の強いタイプでした。負けるときもタダでは負けるなという考え方で、比喩表現ですが、もし転んでも『俺は下に落ちていたものを拾っただけなんだ』と言って立ち上がれと、そういう強さのようなものを教えてもらっていた記憶はありますね」


どちらかと言えば穏やかな性格に見られることが多いが、のちの起業をはじめ、これまでいくつもの局面を乗り越えてこられたマインドは、祖父から引き継がれたものだったのかもしれない。


「小さい頃はおそらくあまり意味が分かっていなかった、中学高校くらいでも理解しきれていなかったと思うんです。でも、時間が経って大学以降くらいから祖父に言われたことを思い出して、『たしかにな』と噛みしめたり。祖父はもう他界しましたが、亡くなって数年越しに記憶として蘇ってくることがありましたね」


進学した中高一貫の私立中学でも、興味への向き合い方は変わらなかった。都市型の学校で部活動はあまり盛んではなく、結局どの部にも入らなかった。友だちと遊ぶ時間以外は、やはり何かを作ることにのめり込んでいた。


「ものが作れることもそうですが、おそらくもう一歩先のモチベーションがあるんですよね。最初になんとなく作りたいものの姿があって、先ほどの話だと頭をぶつけても痛くない状態を作りたいとか、散らかっている部屋がきれいになって、みんなが喜んでくれたらいいなとか、そこから逆算してやっている。ものを作れたときが嬉しいのはもちろんですが、そのあと実現できたことを誰かに喜んでもらえたとき、それが嬉しいという感情があったように思います」


創意工夫の先には、誰かの喜ぶ顔がある。その感覚は、幼い頃から変わらずあった。手段は変わっても、軸として残りつづけるものだった。




2-2. プログラミングへの道


夏休みの宿題は最終日にまとめてやるか、うまくやり過ごせるものならやり過ごす。模範的とは言えない学生時代だったが、中学2年生の読書感想文は避けて通れなかった。


どうせやるなら面白くしたいと、何か珍しいやり方を試そうと考えた。ちょうど家には新しく来たばかりのパソコンがあったので、それを使って文章を書いてみることにした。


「おそらく当時はWordという言葉もよく分かっていなかったと思うのですが、文章を入力できるソフトがあると思って使ってみたら、感動したんですよね。原稿用紙だと前から順に書いていくので、戻って何か挿入したくなったら途中から全部消して入れ直すか、面倒だからと諦めるしかない。でも、Wordならそこにカーソルを合わせるだけで挿入できるし、コピー&ペーストで移動もできる。これはものすごくいいなと思って。子どもながらにデジタルの扱いやすさ、便利さみたいなものを体感した瞬間でした」


感動しながらWordで完成させた読書感想文を、印刷して学校へ持って行く。「原稿用紙に何枚書く」というルールがあるため先生からは書き直すよう言われたが、いずれにせよ初めて触ったパソコンの可能性には心を掴まれた。


「自分が頑張ったら何かができて、それを人に使ってもらえる。その一歩手前として、まず自分が思ったものを思い通りに作れる感覚が、パソコンは大きかったのかなと思います。それこそ最初はWordで文章を作ったり、デジタルカメラで撮った画像を取り込んで修正したり。旅行に行ったら写真の端に小さく『●●旅行』と文字を入れてみたり。『自分が思ったものを作れる』という感動が、おそらくどこか自分の人生の軸としてあって、それにはまっていったんだと思います」


しばらくは目についたソフトを手当たり次第に試していたが、中学3年生の頃、プログラミングという概念を知ってからは、「使う」から「作る」へと重心が移っていった。


「Wordのような既存のソフトを使うのは、ある意味決まった制約の中で物を作る感覚でしたが、ゼロから自分の思い通りに作れるんだと知って。ラッキーなことに家の近くに図書館があったり、学校の近くに大きな本屋もあったので、そこで本を手に入れては、家に帰って見よう見まねでやってみる。最初に作ったのは、厳密にはプログラミングというよりコーディングに近いものでしたが、HTMLとCSSを使ったWebサイトでした。実際にブラウザで開けるページを作るところから始まったと思います」



当時は今のようなSNSこそなかったが、ガラケーで自分のホームページや日記ページを作っては、友だち同士で見るのが流行っていた。HTMLやCSSに詳しくなると、友だちのサイトをリッチにしてあげることもできた。自分の手でささやかな感動を生み出せること。それが楽しく、ますますITやプログラミングの世界にはのめり込んだ。


高校1年生のときに参加したサマープログラムは、さらなる転機になった。


「当時、文部科学省がITに強い学生を集めて、夏休みに数日間の合宿形式でトレーニングをするプログラムが始まっていて、担任の先生が教えてくれたんです。申し込んだ結果、選んでいただいて参加できた嬉しさもありましたし、そこで客観的に『一定通用するんだな』と自覚できたところもあって。将来はこの道で仕事をしたいと、明確に思うようになりました」


その合宿ではICTの基礎を学びつつ、二人一組でゲームを作りながら実践的なプログラミングを経験した。簡単なゲーム一つ完成させるにも、キャラクターデザインからBGM、効果音、それらを総合的に動かすプログラミングまで、考える範囲は意外と幅広い。良い経験ができたので、翌年は別のプログラムにも参加してみることにした。


情報セキュリティに強い若年層を発掘・育成するもので、日本全国から若手IT人材が集まっていた。


「今でも続いている『セキュリティ・キャンプ』という経済産業省主催のプログラムなのですが、そこではどちらかと言うと周りのレベルの高さに圧倒されました。高校生だけでなく大学生も参加していたこともあって、人間的にも能力的にも雲泥の差があって。それまで情報系の学校に通っていたわけでもなかったので、正直自分のレベルが圧倒的に高いと半分調子に乗っていたんです。ハイレベルなIT人材に囲まれて、実力を思い知らされて、自分の糧になる経験でしたね」


将来は、自分の手でWebサービスやアプリを生み出し、世の中に提供することが夢だった。そのためには会社員になるのではなく、起業する方がいいのではないだろうかと想像していた。


「当時は職業に対する解像度が低かったこともありますが、自分で作りたいものがずっとある人間だったので、自分で会社を作る方が早いのかなと思っていました。時代的にも堀江貴文さんが有名になったり、IT系のドラマが放映されはじめていた頃で、それがものすごくかっこいいなと感じていたことともリンクしたんだと思います」


プログラミングは自分の武器になる。同時に、思い描いたものを作れるという感動は、将来への輪郭になった。作ることと生きること、気づけば2つは固く結びついていた。




2-3. 理想的なプロダクト


興味がある方向性は明確だったが、一つだけ問題があった。受験に向けた勉強が全くできていなかった。そのため先生と相談し、大学受験は得意を活かせるAO入試一択だろうという話になった。


「大学選びの基準は、やりたいことができるかどうかだけでした。プログラミングやIT系が学びたいというところから調べていって。関西でAO入試を実施している学校で、良さそうなところを絞った結果、関西学院大学の理工学部に決めました」


ただ、入学後は思い描いていた環境とのギャップに直面した。安易にITや情報系と一括りにしていたが、実際はその中にもいろいろある。大学の勉強は、純粋に技術を探求するものが多かった一方で、自分の興味は「技術をビジネスに活かしていくこと」だった。


興味を持った一部の授業は進んで出席していたが、それ以外の時間はひたすら自分自身で何かを作ることに充てるようになった。


「大学には半分くらい行って、残り半分は自分でアプリを作ったり、Web制作をしたりしていましたね。お客さんを見つけて、今で言うWebデザイナーのような仕事をしたり、アフィリエイトサイトを公開してプチ収入を得たり。当時は自分が作りたいものが分かってきていたので、それを作って人に提供できることがやっぱり楽しかったです」


ほかにも当時は、祖母の誕生日に家族でiPadをプレゼントすることになった際、ただものを贈るだけではつまらないと、脳トレアプリを自作してインストールした状態で贈ったりもした。作ったものを祖母が使い、楽しんでくれる。自分にとって、それが何より嬉しかった。



独学しながら思い思いに作る日々は充実していたが、少しずつ一人の限界も見えつつあった。世の中にはさまざまなサービスがあるが、それらの多くはチームや組織で作られている。チームでの開発を知るためにも、一度どこかできちんと学びたいという思いが募り、大学4年生のときにインターンへ応募することにした。


住んでいた大阪を中心に探したがピンと来るものはなかなか見つからず、最終的に目に留まったのが、リクルートの新規事業部でのインターンだった。


「当時のリクルートは紙からWebへの移行を進め、会社全体のIT化を強化していた時期でした。そんななかで、既存メディアとは別に、新たなサービスを創出する新規事業領域でエンジニアの長期インターンを募集していたんです。しかも新規事業部なので自分の意見も言えそうだし、まさにこれからチームで作っていける環境だと思って。親に相談して、思い切って休学して東京へ行くことにしました」


所属した部署の顔ぶれは社員と学生だけでなく、フリーランスも混在するユニークなチームだった。当時はフリーランスという概念すら知らなかったが、多様なメンバーとともに働く環境は新鮮な感動があった。


「それまでは自分でデザインして、自分でコードを書いて、自分で世に出していましたが、チームでの開発となると、誰かが設計してくれて、誰かが良いデザインを作ってくれて、自分はそれを作り込んで世に送り出す。しかも、世の中に出して終わりではなく、それを改善していく人がいて、マーケティングを考えて市場に落とし込んでいく人がいる。こうやってサービスは作っていくんだと体系的に理解できた、新しい世界が見えたような感覚でした」


気づけば誰に言われるでもなく一日中オフィスにいてしまうほど熱中していたが、理由は休学して来ていたからだけでなく、担当したプロダクトそのものに惹かれたからでもあった。


インターンとして配属された新規事業部で、真っ先に担当することになったのが「調整さん」だった。2006年にリクルートが立ち上げたサービスで、既に約8年が経過していた。当時上長となった人がその可能性に目をつけ、社内で新たにチームが立ち上がったばかりのタイミングだった。


「既に一定のユーザーさんがついていて愛されているプロダクトだったので、たとえば自分が改良した部分を世に出すと、『改良してくれてありがとう』という声が、当時のTwitterやWebフォームから届いていたんです。自分がやったことが直接反映されて、ユーザーさんとの距離が近い。ユーザー数も増えていたので、自分が作ったものがユーザーさんに喜んでもらえ、結果として事業も伸びていく。そのサイクルが、のめり込んだ一番の理由だったと思います」


自分が作ったものが、顔も知らないユーザーを喜ばせ、それが事業の成長と一体になっている。そのたしかな手応えが、自分を前へと動かしていた。


大学時代、チーム開発を学んだインターンにて



2-4. 思いがあるなら自分で


休学期間は2年が上限だったが、期限が迫っても現場から離れる気には一向になれなかった。大学に戻り、自分の興味関心からは外れている講義を受け、卒業してから新卒入社して戻ってくる。不可能ではなかったが、確実性はない。何より目の前のプロダクトは伸びていた。どう考えても、「このまま続けたい」という思いが勝っていた。


なんとかする道はないかと考え、思いついたのが大学を中退してフリーランスとして雇ってもらえないかということだった。早速、当時の上長に相談してみることにした。


「最初は反対されました。『やめた方がいい、大学に戻って卒業する方が安全だと思う』と真摯に言ってくださって。でも、その方とはかなり話し合いを重ねて、自分の思いを伝えた結果、最終的にはフリーランスへの切り替えを受け入れてもらいました。面白いのは、そのときに相談した社員の方は今、ミクステンドの社外取締役として入ってくれているんです」


インターンからフリーランスという立場に変わってまで、関わりつづけることを選択した。その意思決定の根底には、「調整さん」が自分の理想と重なっているという確信があった。


「自分が作りたかったのは、身近な人が喜ぶプロダクトです。幼少期の体験とリンクするところで言うと、部屋がきれいになってみんなが喜んでくれるとか、頭をぶつけなくなって喜んでもらえるとか。プログラミングで何かを作るにしても、身近なところが分かりやすく便利になって喜んでもらえることが、自分にとっては嬉しいんですよね。今も変わらず、そうだと思います」



学生インターンとして2年間、そこからさらにフリーランスとしても約2年プロダクト開発に関わった。転機となったのは、リクルート社内の体制変更により「調整さん」を事業譲渡する方針が決まったことだった。


「当時、新規事業部でやっていることをフラットに見直す動きがあって。リクルートの強みは消費者と事業者をマッチングする『リボンモデル』と呼ばれるものなのですが、『調整さん』はユーザーに直接提供して便利に使ってもらうWebサービスなので、性質が少し異なっていた。ただ一方で、将来性はあるし事業としても成り立っていたので、リクルートとしては事業譲渡という選択をしたのかもしれません」


まず、事業譲渡が決まったという事実、それからこの先は続けるも続けないも自由だという話が伝えられた。引き続き譲渡先でプロダクトに関わるか、このタイミングで離れるか。悩んだ末に、その状況であれば自分にやらせてほしいと手を挙げることにした。


「僕自身はプロダクトが好きだったので、離れるという選択肢は個人的に一度も浮かびませんでした。最初は譲渡先で引き続き関わるんだろうなと考えていたのですが、どうしても腑に落ちなくて。やっぱり3~4年と一貫してプロダクトを見てきたなかで、この事業をリクルートの次の柱にして、当時の上長と一緒に事業を伸ばしていく。そんな野心的なイメージも描いていたので、どこかの会社に売られて、そのプロダクトに思いのない人の下で続けるというのが、全然ピンとこなかった。いろいろ考えていたときに、ふと自分が手を挙げればいいんじゃないかと思ったんです」


プロダクトへの思いが、起業という選択肢に変わった。2018年にミクステンド株式会社を創業し、審査を経て「調整さん」の事業を譲受した。


自分が思う理想的なプロダクトを、より良い姿へと進化させつづける。幼い頃から変わらない軸を、社会の中で形にしていくことにした。


ミクステンドの仲間と、2025年大阪・関西万博にて



3章 熱中という道しるべ


3-1. まず、手を伸ばすことから


幼少期から「これだ」と決めたものには全力で向き合ってきた。やりたいことへの熱中が、今の自分を形作ったと北野は振り返る。


「人生も事業もまだまだこれからですが、ここまでを振り返ると『やりたいことへの熱中』が一番大きいかなと思います。幼少期にやりたいことをどんどんやっていたこともそうですし、インターンとしてプロダクトに関わるようになってからもそうで、これだと決めたら自分の生活のほとんどをそれに傾ける。誰よりもやっていたという自負はあって、それがあったからこそ今の自分があると思っています」


ただ、熱中は個人の資質だけで生まれるものではない。見えないところで支えてくれている人によって成り立っている。起業して一人になったとき、北野はそれを初めて実感したという。


「起業して間もない頃、オフィスを借りて仕事をしていたら、ある日突然電球が切れるわけですよね。リクルートでは電球が切れたことなんてなかったですし、当然ごみも自分で出さなければいけない。会社という組織でも、バックオフィスをはじめいろいろな役割の人がいて、ものづくりに集中できるよう整えてくれている。ある意味当たり前なのですが、社会の当たり前を支えてくれている人の存在へのリスペクトが芽生えたことが記憶に残っています」


身近な環境を支えてくれる人への感謝を忘れない。そのうえで、自分が興味を持ったことには全力で向き合っていく。それが、誰にとっても始めやすい出発点になるのかもしれない。


「人それぞれ輝ける場があって、熱中できるものがあるのではないかと思っています。ピンとくるものがないなら、まずはいろいろなことに触れてみる。僕も幼少期からいろいろなことに興味があって、偶然どはまりしたものがパソコンだっただけなので。気になるものはすぐ探ってみる、どんどん熱中してやっていくのがいいのではないかと思いますね」


気になるものに、まず手を伸ばしてみる。その何気ない一歩が入り口になる。全てのはじまりは、目の前のありふれた日常の中にあるのだろう。



2026.7.27

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


自分が手を動かして何かを作り、それを目の前の誰かが喜んでくれる。単純ながら、これほど人を突き動かす原動力になる体験もそう多くない。


祖母の誕生日に、ただ物を贈るのではなく、脳トレアプリを自作してインストールした状態で贈った北野氏は、機械が動くことよりも、それで祖母が笑ってくれることの方が嬉しかったと振り返る。


プロダクトづくりでも、顔も知らないユーザーから「ありがとう」の声が届く。画面の向こうの相手でも、感謝はきちんと届く。喜ばせたい相手との距離は、思うほど重要ではないのかもしれない。


ミクステンドが手がける「調整さん」や「TimeRex」も、突き詰めれば一人の作り手が届けたかった小さな喜びの延長線上にある。その手応えの積み重ねが、人をまた次の一歩へと押し出すのだろう。



文・Focus On編集部



▼コラム|2026.7.28 公開予定

私のきっかけ ― Wordで読書感想文を書いた日




ミクステンド株式会社 北野智大

代表取締役

1990年生まれ。大阪府出身。関西学院大学理工学部中退。高校在学中からフリーランスとしてWebサイト制作やアプリ開発を始め、2014年10月、株式会社リクルートホールディングスの新規事業部門にエンジニアインターンとして参画。2018年までの4年間、『調整さん』の新機能開発やユーザーグロース施策を担当し、4年間で260%のユーザー増加を達成。その後、ミクステンド株式会社を創業し、2018年3月に調整さん等の事業を譲受。2020年1月、日程調整自動化ツール『TimeRex』をリリースし、2025年12月にTimeRexの登録者は50万人を突破。

https://mixtend.com/


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