Focus On
小暮学
株式会社アクセルラボ  
代表取締役/CEO & Founder
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or周囲を巻き込むために、まずは自分自身を説得できるかどうかを考える。
家族間のコミュニケーションを豊かにすることを阻む課題を、テクノロジーの力で解決していくユニファ株式会社。「スマート保育園構想」を提唱する同社では、カメラやセンサー、コミュニケーションロボットなどにより、離れた場所にいる親が保育園に預けた子どもの様子を見守ることができるIoTのサービス開発を進めている。2016年、経済産業省主催の第2回先進的IoTプロジェクト選考会議「IoT Lab Selection」にてグランプリを受賞したほか、2017年、米国で開催された第1回スタートアップワールドカップ・グランドフィナーレでは優勝を果たし、世界一の称号を獲得した同社。家族の笑顔を守るべく自身のキャリアを切り拓いてきた、代表取締役の土岐泰之が大切にしてきた「人生のテーマ」とは。
目次
子どもにとっての1日は、どれだけ新鮮な発見にあふれているだろう。その目にどんな世界を映し、その心で何を感じてきたのか。一日の終わり、夕食を彩る何気ない家族のコミュニケーションが子どもの成長を促していく。あたたかく見守られて育った子どもたちは、自分を信じ、強く生きていくことができるようになる。
家族間のコミュニケーションを豊かにするプラットフォームを構築していくユニファ株式会社。業界初の保育園専用ヘルスケアIoTサービス「るくみー午睡チェック」や、インターネット写真・動画サービス「るくみーフォト」など、保育や子育ての課題をテクノロジーの力で解決していく。2017年3月には、米国サンフランシスコで開催された世界最大級のスタートアップピッチコンテスト「第1回スタートアップワールドカップ(主催:フェノックスベンチャーキャピタル)」にて優勝を果たし、賞金100万ドルを獲得。さらに同年10月には、複数のベンチャーキャピタルを引受先とした第三者割当増資により、総額10.2億円を資金調達した。
同社代表取締役社長の土岐氏は、大学時代から経営者を志し、新卒で入社した住友商事にてベンチャー投資事業に従事した。のちに外資系コンサルティングファームへと転職した際、夫婦共働き家庭での育児という問題に直面し、人生において最も大切にすべき家族を守るため自身のキャリアを手放すことを決意。妻と子どもの暮らす愛知県へと移り住み、働きながら起業のテーマを模索するなかで、自身の人生と深く関わってきた「家族」という人生のテーマと出会った。ユニファ株式会社が創業されたのは、2013年のことである。
「誰かにやれって言われたんじゃなくて、完全な自由を手にしたときに人間がどう動いたかっていうところに、その人間の本質みたいなものが出てくると思うんです」
直感を信じ、自分にとって大切なものを見出してきた土岐氏の人生に迫る。
目に浮かぶ記憶や、心に残る言葉よりも大切なもの。幼い日々あたたかく見守られていた感覚は、大人になっても人の心に残りつづけ、いつの日か自分を信じる力に変わる。誰にとっても大切にされるべき家族のコミュニケーション。そこには生きることの根源があり、子どもが育っていく本質がある。
しかし、現代の家庭教育の環境はさまざまな問題を抱えている。夫婦共働きにより生じる、親と子が家でともにできる時間の短さ。デジタルデバイスによる育児の賛否。教育という観点から何が正解か、一概に答えを出すことはできない。
家庭での教育を「質」と「量」で考えてみると、「どんなコミュニケーションが必要か」という「質」の問題は、さまざまな家庭環境により家庭ごとに決められる教育であるべきだろう。それぞれの家庭が、それぞれに合った家庭教育を考えたほうが良い。一方で、「量」の問題、親が自分の子どもを気にかけたり、子どもと直接話しコミュニケーションを取る時間については、あればあるだけ良いのではないかと土岐氏は考える。
「子どもの人間性の根っこができる部分に、どれだけ親とコミュニケーションできたか(家庭教育の量)は、とても大きな影響があると思っていて。意図的な努力をしていかないと、その時間はどんどん他のものに取られてしまうと思っているんです。家族コミュニケーションの時間をしっかり維持し、拡大させていくきっかけを提供していくことが、まずは大事なことだと思っています」
「家族×テクノロジー」で家族コミュニケーションを豊かにしていくユニファ株式会社。保育園で過ごすわが子の様子を専用のアプリで撮影すると、自動で管理から発送までできる、インターネット写真・動画サービス「るくみーフォト」。乳幼児突然死症候群対策として保育園児のうつ伏せ寝や体動停止を検知する「るくみー午睡チェック」、園児見守りロボット「MEEBO(ミーボ)」など、同社は保育の現場に新しい価値を提供してきた。健やかな子どもの成長を願い、何より家族の幸せを願う同社は、現在IoTやICT支援によって保育業務の負担軽減および保育の品質を向上させる未来の保育園「スマート保育園構想」の実現に向けて事業を展開している。
「誰がどう考えても大事なことが児童期にはあると思うんです。最終的には子供の成長を支援していきながら、それを通じて家族が一つになっていく。ユニファという社名の由来は『Unify(一つにする)+Family(家族)』ですから、家族を一つにしていくことにつながっていけばいいなと思っています」
まずは、保育園に通う0歳児から就学前の子どもを育てる各家庭を一つにしていくべく、日本にとどまらず世界に向けサービスを展開。そこから、子どもの自我が発露する以前、特に保護者の精神的な支援が必要とされる10歳ほどまでに支援を広げていく。今後ますます顕在化していくことが予想される介護問題など、家族が一つになることを阻む要因は数多くある。それらを一つ一つ解決していくことこそが、ユニファのミッションである。
北九州の田舎に生まれた土岐氏。家の周りには祖母や従兄弟たちが住んでいて、何かあればすぐに親戚みんなで集まるような、結びつきの強い家庭だった。祖母は学校の先生だった人で、平日の夕方には近所の子どもたちが集まり、寺子屋のように勉強を教えてもらっていたという。たまたま女の子ばかり生まれたなかで10年来の男の子であった土岐氏は、両親だけでなく親戚中であたたかく見守られながら育った。
「僕は泰之(やすゆき)なので『やっちゃん、やっちゃん』と呼ばれながら、自分の親だけじゃなくてみんなに見守ってもらいながら、期待してもらっていた、愛情注いでもらったっていうことは原体験としてあるんですね。そういった部分はやっぱり自分の幼少期のころの見守られている感覚というか、自分自身を信じていく力になっているということは感じています」
人間性の根が育まれていく幼少期、とてもあたたかいもので見守られている感覚、支えられているという感覚があった。土岐氏自身、当時から明確に意識していたわけではなかったが、それは自然と自分を信じる力となっていった。
「11歳くらいのとき、僕が中学受験をして受験勉強をけっこうがんばって、自分のなかで小さな成功体験があったんです。そのときに家族が支えてくれて。夜中の11時くらいまで塾の送り迎えしてくれたり。そのときソフトボールをやっていたので、ソフトボールの練習が終わったら親が車で待ち構えていてくれて、おにぎり頬張りながら塾に行って勉強したりとかですね」
見守られている安心感が自信を生み、自分を信じられるからこそ、受験勉強にも力を注ぐことができた。そんな小さな成功体験が、目の前に広がる未来の可能性に気づかせてくれていた。10歳前後ともなれば、自我が発露してくる年齢である。いわゆる「少年の夢」のようなところから、おぼろげながら、人生について考えはじめた土岐氏がいた。
「10歳の誕生日のときに、『自分の人生って何のためにあるのかな』とかを考えはじめていて。よくある少年のころの夢みたいなものってあると思うんですけどね。でも、それをずっと探してきて、10歳くらいからその思いがあったけども、結局見つかったのは34歳。それをずっと悩みつづけてきたということですね」
10歳のころから悩み、探しつづけた人生のテーマ。しかし、そうそう簡単に見つけられるものでもなかった。中学高校大学社会人と時を重ねながら、それぞれ目の前のことには一生懸命取り組んできた人生だった。家族に見守られている感覚が、自分を信じる力となり、土岐氏の行動を支えてくれた。そこで積み重ねた小さな成功体験が、新たな自信となる。そうして子どもは大きく育っていく。土岐氏という人の根源には、あたたかい家族の存在があった。
自分を信じる力は、徐々に大きく育まれていくものである。小中学生のころはリーダーポジションではなく、どちらかといえば、「のほほん」としているタイプだったと語る土岐氏。中学でサッカー部にいたときは、チームに対して思ったことがあっても、自分から意見を発信していくことはなかった。
「みんなでサッカーで強くなりたいと思っていたんだけど、ずっとPKの練習ばっかりやってる部活であんまり強くなかったんですね。集団スポーツをやりながら、なんとなくモヤモヤした思いを自分のなかで抱えていたんです」
当時はまだ、集団のなかで自己主張していく自信はなかった。もっとこうすればという思いはあっても、自分でチームを動かし、現状を変えていくことは難しいと考えていた。
集団を変えることが難しいのであれば、もっと個が立ったスポーツの方がいいかもしれない。そう考えた土岐氏は、高校入学時には空手部を選んだ。まだ部としてできたばかりであり、新入部員でも意見がしやすいように思えたのかもしれない。直感の意思決定だったが、それは思いもよらない良い結果につながっていく。
「なぜかわからないんですけど、空手がけっこう強かったんですね。得意だったんです。その部分も影響しているかなと思うんですが、空手のスキルそのもののところでみんなをリードできるという思いと、みんなを引っ張っていきたいという自分の中にあった自我がつながって、良いタイミングで自分の軸みたいなものが出てきたという思いはありますね」
空手と出会った高校一年、未経験ながら主将を任せられ、リーダーシップをもってチームを強くしていく立場というものを初めて経験した。練習時間以外でも、こんな練習がいいのではないかとメンバーに提案していた土岐氏の姿を見て、監督が任せてくれた役割だった。次の大会では優勝を目指そう。そうと決めたら、周りを巻き込まざるを得ない土岐氏がいた。
「たぶん自分の心の底から信じたこと、『こうやったらいいじゃない』とか『これをみんなで目指したらいいじゃない』とか、明確なゴールが自分の中で腹落ちできたときに、普通の人よりもエネルギーを発することができるんだろうなって気づいたんですね。ゴールが明確に見えたときに、『みんな行くぞ』という感じで引っ張っていくことが好きかもしれない、と思ったんです」
みんなでやったら楽しいこと、みんなで喜べると信じられることを見つけたとき、気づけば誰よりも大きな熱量で周りを巻き込んでいる土岐氏がそこにはいた。信じる心の根には、それまで家族に見守られてきたことが、一つの支えになってきたのではないかと語る。
そのエネルギーは部活以外でも発揮されていた。学校に許可なくサークルのようなものを立ちあげたことがあると振り返る。
「中高男子校だったんですけど、高校1年から初めて女子が入ってくるというタイミングで、みんな色めき立って。男性陣もみんな関わりたいと思ってるなかで、みんなで週末どっか遊びにいこうと、男女を教室に集めて黒板に何をしたいかみたいなことを書きはじめたり。みんながそれをやりたいと思っていたし、絶対に楽しいと思ったので、みんなでやろうよと言って」
みんなにとって、とても大事なことを見つけたら、ほかではない自分からその熱気をつくりだす。その価値を、少しでもみんなの心に届くよう伝えたい。自分が心の底から信じられること、自分で自分を説得できることであれば、いろいろな人を巻き込んでいけると思えた。リーダーシップを取り、信じるものを共有し、みんなで向かっていく。それが土岐氏の軸となっていった。
地元九州大学に進学した土岐氏。高校時代は空手に打ち込みスポーツ一色だったため、大学では文化系サークルに入ろうと考えた。英会話サークルを選ぶと、そこでも不思議な縁があった。空手との出会いと同様、自分の直観を信じ出会ったものだった。大学では英会話とディベートという新たな得意分野を手にすることができた。
「僕は苦手なことたくさんあるんですよ。球技が苦手だし、受験勉強もたいしたことなかったんですけど、英会話だけはなぜか得意だったんです。だから、自分が得意そうなものって、たぶん自分でなんとなくわかっているんだろうなと思ったんです」
英会話サークルでは、毎年ディベートの協会団体が決めるテーマについて、さまざまな角度から議論を重ねていた。日本国憲法を改正するべきか、死刑制度はどうするべきか、原子力発電所はどうあるべきなのか。社会問題に目を向け、ディベートに勝つためのロジックを組み立てていく。英語でのディベートは得意であり楽しかったが、次第に土岐氏は、もどかしさを感じるようにもなっていった。
「そういうテクニック論でディベートで勝った負けたすることのむなしさみたいなことを考えはじめていて、もっと言うと『テーマ自体を人に決められること』のやるせなさとか、自分が思っている社会問題をもうちょっと深掘りたいという思いもあったんです」
議論されるべき社会問題は、誰かが決めたテーマだけにとどまらないはずだ。議論したものを議論だけで終わらせてしまうのもどうも虚しい。机上の空論ではなく、実際に社会を変えていきたい。もっと手触り感のある形で社会に関わりたい。そう考えた土岐氏は、友人と「経営政策勉強会」という新しいサークルを作ることにした。ビジネス上のテーマや日本の政策について学生なりに社会人や官僚を巻き込み提言していく、少しおませなサークルだったと語る。
ユニクロの中国戦略や日本の農業戦略の在り方など、社会や事業の在り方を議論した。より現実に即した議論を重ねはしたが、それでも結局世の中を変えていく感覚は得られなかった。
社会と関わりたいという思いは一層強くなり、まずは小さな企業で働いてみようと考えた。ベンチャー企業でインターンをすれば、社会と関わるリアルな感覚が得られるだろう。2000年代前半の当時、福岡ではITベンチャー企業は多くなく、先輩のつてでオールドエコノミー系の会社で働かせてもらうことになった。
「たとえば、不動産の売買をやっていて、不動産売るときって契約が決まるだけで数百万のお金が動くんですよね。けっこう頑張ったのは、買いそうな顧客を見つけてくる方法を考えることでした。不動産のハウジングフェアに来てるお客さんの車の番号を控えておいて、それを陸運局に持って行くと住所を教えてくれて。『人生における大きな買い物』とか大学生の研究で論文を書いてるって形で、その住所にピンポンしに行って家のこととかヒアリングして聞いちゃって、それをハウスメーカーの方に持っていくとだいたい成約するっていうやり方を編み出して。若干グレーな感じはあったんですけど(笑)」
目の前にいるお客さんを相手に商売をする感覚。数千万円ものお金が動き、世の中のリアルに触れている感覚があった。いろいろな人に話を聞きながら自分なりの方法を編み出し、人を巻き込みながらリアルな社会で試すことは面白い。自分で事業をつくっていくことが面白く、土岐氏は経営者になりたいと考えるようになっていた。
就職活動では経営者に近いところで働きたいと、商社やコンサル業界を受けていた。新卒で住友商事に入社し、ベンチャー企業の投資部隊に配属されたことでスタートアップに興味をもった土岐氏。将来の起業を視野に入れ、経営知識をつけるべくコンサルティングファームへ転職したり、私生活では結婚や妻の出産といった出来事があった。
家族との時間を大切にするため、東京での仕事を辞め、妻と子どもが暮らす愛知県に引っ越した。真剣に起業に向けて動き出したのは、このときであった。人生のテーマとすべきものは、まだ見つかっていなかった。
引っ越しは、家族会議を経ての大きな意思決定だったが、土岐氏に気づきを与えてくれるきっかけとなった。愛知で総合職として働く妻のキャリアを応援することで、自分にとって、キャリアよりも家族の存在こそが何より大切であると気がつくことができたという。
引っ越し後、土岐氏は日系のコンサルティングファームで働きながら、いまだ見つけられていなかった「人生のテーマ」、そして起業について考えていた。
「具体的に起業のテーマを探したりしたとき、事業家として何かやりたいと思ったときに、まずはやっぱり事業になるかどうかっていうことが一つ大事だなと、一番初めにそう思っていたんですね。ちょうどそのころ東北で地震起きた直後で、これから太陽光発電かなと思ったりして」
太陽光発電で事業をはじめるべく調査をすると、初期投資で1000万円ほどかかることが分かった。本当に自分が身銭を切って1000万円の投資をしようとしたとき、なぜ自分が太陽光パネルの事業をするのかというところに立ち戻らされた。
「そう考えると、あんまり太陽光パネルに僕が人生をかけるってことの必然性が見つからなかったんです」
儲かるという軸だけでは、人生をかけて事業を進めることはできない。それは人生のテーマともいえない。それならば人生をかけられることは「世のため人のため」だろうと、政治家になる道を真剣に考えたこともある。しかしその選択肢は、起業すること以上にリスクリターンのバランスが悪いようにも思われた。大切なことは、自分なりの使命感を感じられるかどうかである。
「そうすると自分は何だろうと考えると、たぶん自分がよっぽど何か突出した能力があれば自分しかできないでいいんだと思うんですけど、30歳を過ぎてそれがなかったってことはそんな能力もないので、自分が他の人と違うところを軸に考えようと思ったんです」
人と違うものを軸に組み立てていけば、自分なりのテーマが見つかるかもしれない。自分にしかないものを求め、自分の過去を振り返ってみると、土岐氏は家族のために転職し、引っ越しをし、さまざまな形で家族のために犠牲にしてきたものがあったと思い返した。家族のためにかけてきた過去が自分にはある。出会えたテーマは「家族」だった。これであれば自分の人生をかけることができる、使命といえる。
「誰かにやれって言われたんじゃなくて、完全な自由を手にしたときに人間がどう動いたかっていうところに、その人間の本質みたいなものが出てくると思うんですよ。そのときに大事にしたところに、自分の望んでいるものがあるんだろうなって思いがあって、今でも大事にしていて。だから、自分の人生のテーマが見つかるのであれば、自分の過去にだいたい答えがあるというか、『完全に自由なときに、あなたは何したの?』みたいな話だと思うんですよね」
自分が心から信じられる人生のテーマを見つけることは、誰にとっても大切なことである。一方で、それが見つからないまま死んでいく人があまりにも多いと、土岐氏は考える。だからこそ、完全な自由を手にしたときに自分がどう動くかを人は真剣に考えなくてはならない。それは自分が本当に望んでいるものであり、きっと人生のテーマとなり得る。
土岐氏が10歳のころから悩み続けた人生のテーマは、34歳にして出会うことができた。「家族」というテーマでアイディアを出し、技術の流れやビジネストレンドのなかで筋が良さそうな事業戦略を練っていった結果、たどり着いたのが「スマート保育園構想」だった。自分自身が使命感を感じられる事業、社会にとって存在の必然性のある事業として、2013年、土岐氏はユニファ株式会社を創業した。探しつづけた人生のテーマ、答えは自分自身の過去にあった。
10歳から悩み続け、34歳で辿り着いた「家族」というテーマ。幼いころから、本当の意味で自分が腹落ちできたとき、自分で自分を説得できたときには、周囲の人を巻き込んでいける自信があった。だからこそ土岐氏は、「家族」というテーマで社会を巻き込むことができる。
幼いころから自分自身が何に納得し、何に価値を感じるのかを考えてきた。だからこそ、自分の人生の価値、そしてその価値をカタチづくるための「起業」という手段にも同じように問いかけを続けてきた。何のための起業であるか、と。
「たぶん僕が大学卒業したばかりで起業するのであれば、お金儲けだとか『IPOってかっこいい』って思ったんだと思うんですけど、僕自身が(愛知県)豊田市に家も仕事も変わっていったときに、人生お金だけじゃない。成功というか社会的ステータスだけじゃないって思ったんですよね。やっぱりもっと本音ベースで自分が信じられる、良いと思えるもののために生きた方がいいんだろうなって価値観の変質が起きたんです」
成功や名声。男のプライドとしてのキャリアは一旦手放した。本当に人生で大切にしたいものは何か考えたとき、残ったものはお金ではなかった。金儲けのためではなく、社会問題を解決するための起業をしたいと思った。
「これだけ成熟した社会なので、日本で今から新しいことやることの価値って、どちらかというとお金儲けだけで成り立たないようなことにあるんじゃないかと思ったんです。お金儲けだけなら海外でやった方が当然いいわけなので、逆に日本でやることの必然性は、社会問題を解決する文脈の中での方が、いろんな意味で自分の納得感や周囲の共感を呼びやすいように思うんですね」
成熟した日本におけるスタートアップ。新しいものを生み出すのであれば、もはや金儲けだけを考えていては成り立つものでない。社会変革の文脈の中で語られるスタートアップであるべきだ。そして何よりも、日本の社会自体を変えていくことには大きなチャンスがあるし、求められているのではないかと、土岐氏は考える。
いまの時代、本当の意味で金儲けがしたいのであれば、海外で起業した方が稼げるのかもしれない。そうではなく、自分が心から解決したいと思えるような事業を選ぶからこそ、周囲の賛同を得られたり、支援してもらうことができる。みんなが、社会にとって良いものであると納得できるものを見つけ、周囲を巻き込んでいく。それは、土岐氏が幼いころから経験してきたことでもある。
起業してから現在に至るまで、学生時代の友人たち20名ほどから、総額2000万円ほどの支援があった。彼らが応援してくれたのも、何より事業に共感してくれたことが大きいと土岐氏は語る。毎日をともに過ごした大切な友人たち。それぞれが社会人になり数年が経ったとき、心から確信できる人生のテーマが見つかっていた人はあまりいなかった。だからこそ、一層土岐氏が見つけた人生のテーマの大切さをよく分かってくれた。
「単なる金儲けだったらお金出さないけど、確かにいろいろな家族の問題と向き合って、豊田に行って、『家族』を事業のテーマとするって、お前の人生のストーリーとして、そのテーマを描くってことに対して確かに必然はあるね、と応援してもらえた部分はあると思います」
自分の人生のテーマとは何か。点と点が結びつき、ストーリーになればなるほど説得力は増し、共感を得ることができる。そして何より、自分自身を裏切ることがなくなる。このテーマしかないと心から信じているからこそ、最後までやりきる力を得ることさえできるのだ。
人生のテーマが人にもたらすものは何であろう。『意思決定の科学(ハーバート・A・サイモン著)』のなかで語られる野生の象と動物園の象のエピソードを、土岐氏は例に挙げる。
「基本的に飼いならされちゃうと、いろんな意味で本能とかエネルギーってどんどん落ちていってしまう世界ってあると思っていて。やっぱり常に自分で意思決定をしていくこと、できればリスクと隣り合わせの中で生きていくことが、本来的に人間も必要なんじゃないか。その方がいろんな意味で生きがいとか充実があるんじゃないかなと思うんです。そういった意味で自分の人生のテーマが必要だと思うので、それをどう掴み取れるかが本当に大事だと思いますね」
自分ではない誰かに意思決定を委ね生きるのではなく、自ら生きる道を決めていく。確かに、自らを信じ選んだ道の方がリスクとの距離は近いのかもしれない。しかし、自分で選んだ道では人は「生きがい」を得ることができる。自分の人生のテーマとは、そんな効果を人にもたらすのだ。
土岐氏自身、人生のテーマを探しつづけ「生きがい」を掴み取るため試行錯誤を重ねてきた。家族のために仕事を変え、東京を離れるという大きな決断をしたからには、このまま人生のテーマを見つけられなければ一生後悔するだろうと考えた過去もある。誰かが決めた人生ではなく、自分で決めた人生を歩まなくてはならないという、危機感が強くあった。
毎週事業のアイディアをひねり出しては東京の友人たちとスカイプをつなぎ、事業プランを壁打ちしてもらう。本を読むだけでなく足を動かし、さまざまな勉強会や異業種交流会に顔を出す。自分の「生きがい」に出会うための環境は自らの手でつくっていた。
「おそらく多くの方はそういった人生のテーマは必要なんだろうなとは思いつつも、目先の仕事に忙殺されてしまうというか、むりくりでもその機会や時間、期限を区切るってことが普通はしづらいと思うんですね」
過去には土岐氏自身もそうだった。強制的に環境をつくり自分を追い込んだからこそできた意思決定だったと振り返る。東京で大企業や良い会社に勤めていれば、当然リスクも取りづらくなる。
「能動的に自分の人生に区切りをつけるって簡単なことじゃないと思っているので、僕はある意味ではラッキーだったなと思いますし、なぜそういうことができたかというと、自分が一番に信じるものがあった。つまり、妻をはじめとして家族との時間というものを、とにかく大事にしたかったんです」
土岐氏は自らの意志で区切りをつけることができたからこそ、すぐ傍にあった答えに気づくことができた。一番信じるものは「家族」ではないかと。
人生において一つの決断を固めると、コンパスの針のようにそれ以外の選択が決まっていく。さまざまな歯車はそこから回りはじめる。土岐氏はいま、自らの人生のテーマに向かい歩みを進めている。
自らが信じるものは何か、大切にしたいものは何なのかを考えることは誰しも大切なことである。自問自答しつづけることで、道は自ずと切り拓かれていく。土岐氏の向かう先には、地球上すべての家族が「ひとつ」になっていく姿が描かれている。
2018.05.21
文・引田有佳/Focus On編集部
家族という存在は、私たちにとってどのようなものなのだろうか。生まれてはじめて所属する家族というコミュニティは、人ひとりの人生にどのような影響を及ぼしているのだろうか。
乳幼児は,愛着場面(distressful な状況で愛着行動が起こる場面)に遭遇したときに,安全感を確保したり distress を軽減したりするために,主要な養育者に対して愛着行動を行う。それが繰り返される中で,愛着行動とそれに対応する愛着対象の行動のパターンが形成されるようになる。(中略)子どもはそれを記憶し知識として保持するようになる.その結果,類似した場面では,自分はどういう行動をとり,母親はどのように反応するかを予想するようになる.このように一連の出来事ややり取り(認知的・情動的側面を含む)が,メンタルモデルとして機能するようになる.(中略)Bowlbyは,愛着行動のパターン(IWM)が,時間や状況の変化に伴い徐々に変化することはあるが,基本的には半永続的に持続し,その後の対人関係に大きく影響すると仮定した。
―九州大学大学院 人間環境学研究院 人間科学部門 心理学教授 加藤和生
幼少期の子どもと親でとられるコミュニケーションが、その子どもの将来、人との付き合い方に影響するという。親との間で育まれたコミュニケーションのパターンが、人が成人となったときの他人とのコミュニケーションのベースとなるのである。
私たち日本人の家族のあり方は現代までに大きく変化をとげている。戦前の日本人は3世代の同居が一般的であり、子どもたちは大家族の中で育っていた。当時の子どもたちは、あらゆる大人のいるコミュニティの中で生まれ、多様なコミュニケーションのパターンを経験し、大人になるまでに自らのメンタルモデルを生成していたのだろう。多様な対人関係の中に生きる力を手にし、大人になっていく過程があった。
戦後、高度経済成長にともない、世代間の同居の数は減り、「核家族」という言葉が誕生する。生まれて初めて所属する家族というコミュニティには、自分の親と自分のみという環境である。当然ながら、物理的にも家族内でのコミュニケーションの量は減り、子どもが大人になるまでのメンタルモデルに少なからず影響しているように思える。
幼少期の家族とのコミュニケーションが量的に減っている今。多様な人間関係の中に生きる力をもって生きる日本人も、社会から姿を消しはじめているのかもしれない。現代日本社会において、他人との接点の中での人の心のありようや他人へ接する力は、家族の形の変化とともに「不器用化」が進んでいるのかもしれない。
社会における対人関係にうまくいかない場合などに現れる、現代病といわれるうつ病。その病は、家族間のコミュニケーションが希薄になりがちな都市部に多い病気であるという。それもまた、対人コミュニケーション「不器用化」の発露の一つであろう。
自分が何をしたら他人がどう思うのか。他人の言動に対し自分はどう受け止めるのか。幼少期のコミュニケーションにより対人関係の多様性を学び、大人になる過程で身に着けるべきであった「人への力」が失われている。結果、対人関係の中で「他人」を想像せずに言動してしまったり、対人関係に苦しみ個人の中で対処しきれなくなる問題が現代の社会問題として表れている。
人間形成の原点である家族のありようは、社会にまで影響しているのである。
家族の形が変わってきた今だからこそ、「家族コミュニケーション」はより重要なものであり、子どものために、そしてこれからの日本社会のために次なる姿に変わっていかなくてはならない。
「家族を一つにする」というユニファの挑戦は、家族のコミュニケーション量を増やし、活き活きと大人になっていく過程を支えるものである。新時代の家族のありようを示し、そのための道筋を示してくれている。土岐氏の進む先に、日本の発展の土台が創られていくのだ。
文・石川翔太/Focus On編集部
※参考
加藤和生(1999)「Bartholomewらの4分類成人愛着尺度(RQ)の日本語版の作成」,『認知体験過程研究』7,認知・体験過程研究会,< http://www.hes.kyushu-u.ac.jp/~kaz/pdf_papers/99_JCPE7_kato.pdf >(参照2018-5-20).
ユニファ株式会社 土岐泰之
代表取締役CEO
1980年生まれ。福岡県出身。九州大学を卒業し、住友商事、ローランド・ベルガー、デロイトトーマツコンサルティングを経て現職。「『家族×テクノロジー』で世界中の家族コミュニケーションを豊かにする」というビジョンを実現するため、『Unify(一つにする)+Family(家族)』という思いを込めて、2013年にユニファ株式会社を創業。2017年、フェノックスベンチャーキャピタル主催第1回スタートアップワールドカップ優勝。2児の父。