目次

世を変える事業の確率論 ― ベンチャー投資を経て38歳で起業した人生

起業という意思決定の背景には、情熱がある。年齢を重ねていくなかで、人生をかけるほどのその情熱を抱きつづけることは誰にでもできることではない。


「住宅×IT」でリフォーム・リノベーション業界に変革を起こすべく、30代後半でSUVACO株式会社を起業し、現在は、いま最も勢いがある不動産ベンチャー 株式会社和久環組 (ワクワク)で経営に携わる中田寿の人生の姿を追う。




1章 「起業」とともに生きる


1-1. 「0→1」が世界を変える


日本でまだメールもパソコンも使われていなかった時代、アメリカではインターネットの可能性に魅了された、いくつものベンチャー企業が産声を上げていた。1995年、ビル・ゲイツが「インターネットという大津波」と形容した、その熱気・期待・高揚を肌で感じながら、多くの若者が起業を志した。


株式会社和久環組のCOO兼CFOを務める中田氏は、そんな「0→1」の魅力に取り憑かれた若者のうちの一人だった。アメリカへの大学留学から帰国した後、外資系コンサルティングファームや証券会社、ITメガベンチャーで、IPO支援や海外投資など、一貫して「起業」「ベンチャービジネス」というものに向き合う人生を歩んできた。


“日本からもう一度メガベンチャーを”その思いから、38歳でソーシャルホームデザイン「SUVACO」を創業。国内12兆円市場を狙う「住」のソーシャルサイトとして、国内で唯一ネット企業にdisruptされていない巨大市場を切り拓く存在として注目を集めた。


「自分の頭の中で構想したものを、何もないところから形にして実現していくのを味わうこと、世の中に対して自分の考えを問うていくということは、ものすごくおもしろいです」


現在、株式会社和久環組に取締役として経営参画している中田氏の、ベンチャービジネスへの思いに迫る。


1-2.  変革の手段


リフォーム・リノベーション業界で起業したのち、一貫してこの業界変革への情熱を抱きつづける中田氏。建築家やリフォーム業者と、消費者をマッチングするソーシャルプラットフォーム「SUVACO」を創業した当時の思いは、次のようなものだった。


「世の中のリフォーム・リノベーションの業者って、ものすごく裾野が広いんですよね。それは小さな工務店であったり、建築家であったり、建設会社であったり、大手が寡占していない業界で、ものすごくプレーヤーが多いところなんです。逆に言うと、すごくいい建築家を見つけられない、もしくはいいリフォーム会社が世の中に知られていない。そのなかで自分の好みのデザインを分かって、マッチングできる世の中をつくりたかった」


しかし、マッチングビジネスをするにあたって、より深く深く、真に提供すべき価値にフォーカスしていったとき、そこには限界があるように中田氏には感じられた。


「僕らがやっていたのはWebと電話でのヒアリングによるマッチングでした。ただ、それではまだ不十分だと思っていて。本当に消費者ニーズに応えるには、実店舗でやる必要がある。来店してもらってニーズを聞いて、どういうお住まいで、どういう暮らしをしたいかを聞いた上で、こういう人たちいますよとか、こういう物件がありますよと話していく」


ビジネスとしても、消費者にとっても、マッチングを深く突き詰めていくことが理想であり、よりFace to Faceのリアルな引き合わせに近づけていかないと、なかなかバリュー提供ができない。それが中田氏の結論だったという。


和久環組では、暮らしで「ワクワク」を日本全国へ届けるため、リアルな引き合わせをベースにITをうまく掛け合わせている。具体的には、「中古不動産購入+リノベーション」というサービスをワンストップで手がけるノウハウをパッケージ化したのだ。それをボランタリーチェーン化した全国の不動産会社や建設会社の加盟店に提供する。中田氏が志向しているものに重なっていた。


1-3.  38歳での起業

38歳で起業を経験した中田氏は、次のように語る。


「僕の考える起業のベストタイミングは、30代後半です」


実際には、起業したいという意欲はあっても踏みとどまってしまう人が多いのが現実だろう。家族の存在や会社での地位など、年齢的にどうしても捨てられないものは多くなっていく。日本において、起業というもののハードルはまだまだ高い。


「20代での起業や成功例は増えてきましたが、30代後半くらいの起業家が出てこないと、なかなか起業大国にはなりきれないなと思います。なぜかというと、いわゆる大企業でも、どこでも、現場を取り仕切ってるのは大体30代後半なんですよ。人脈とかも含めて、ビジネス動かしているのがそのくらいの年齢なので。そういった層がでてくれば、しっかりいろんな企業とアライアンス組んで、仕組みを伴ったビジネスができる」


アメリカでは起業家の平均年齢は40歳程度で、その成功確率も高いといわれている。例えば、ゴードン・ムーアがインテルを創業したのは39歳、サム・ウォルトンがウォールマートを創業したのは44歳だ。一方の日本では、井深大がソニーを創業したのが38歳、本田宗一郎が本田技研工業を創業したのが42歳のときだった。だが失敗に非寛容な日本では、まだ数は少なく成功例も少ない。


「結局0から1をつくるのはとても大変なこと。何にもないところから仲間や資金を集めていくのは、年齢が上になればなるほど、自分と同じくらいの経験やスキルのレベルで求めるので、ハードルは高いですよね」


家族など背負う責任も大きい分、会社の土台をしっかり固めることは重要だ。しかし、そもそも事業を興すことを志す人の母数が増えなければ、仲間を探すことも難しいだろう。



2章 起業の決意


2-1.  ドットコム・バブル


95年当時のアメリカといえばインターネットの原点といわれるほど、歴史的な年だった。Amazon.comが94年、Yahoo!が95年、Windows95が世に出たのもこの年だ。ビル・ゲイツの大学講演に刺激を受け留学したアメリカでは、起業家クラブに所属してビジネスを興した。


帰国後はアンダーセン・コンサルティング(現:アクセンチュア)に就職する。


「選択肢としては起業もあったけど、当時インターネットビジネスは日本では早すぎたし、何より技術力が必要だった。いまのようにそろってないから、何をやるにしてもエンジニアじゃないといけなくて。なので自分の役割として、ベンチャービジネスを育てていきたいと思ったんです」


3年後、1999年末になると、マザーズ、ナスダックジャパンができたことにより、上場するかしないかのベンチャーが多数現れはじめた。それは当時、大企業の案件に携わることが多くなっていた中田氏のベンチャー支援への思いに、再度火をつける契機となった。


以来日興シティグループ証券やメリルリンチ証券では、IPO支援や株式引受の仕事に携わることになる。



2-2.  自分の存在意義と起業すること


はじまりは小さな会社だったものが、上場し、成長しつづけ、社会を変えていく姿は、中田氏の心に響いた。


「ベンチャー経営者と一緒に戦略を立てて、これくらいの金額調達してとか、買収して、こういう風に事業やっていきましょうよとか。それがすごくおもしろくて、世の中を変えていくことに貢献できてるなというのを強く実感しましたね」


ベンチャー支援と並行して、マーケットを大きく動かすような金額の大きな案件も担当していた。いろいろなことを味わった結果、さらに感じ方は変わっていったという。


「民営化のような大きな案件は、金額でいうと1兆円規模で大事業です。それこそ為替市場を動かすくらいのディールもやる。でも、そんなものは僕じゃなくても、僕が世の中に存在しなくても動いていくものであって、より自分の存在意義を感じたくなったんです。」


起業をリアルに意識した一つのきっかけは、リーマンショックだった。景気の冷え込みによりIPOの数は減り、本来やりたかったベンチャーを育てる仕事がなかなかできなくなっていた。原点に立ち返って考えたとき、強く思ったのは、自分でビジネスをやりたいということだった。


思えば、高校時代を過ごした静岡県浜松市は、河合楽器製作所を創業した河合小市や本田技研工業を創業した本田宗一郎など、起業家を多く輩出していることで有名な土地だった。起業という選択肢は、自然と導かれたものだったのかもしれない。


2-3.  起業


その後は、ITビジネスや「0→1」の世界とはこういうものかと、肌で感じる環境に入った。グリー時代、海外のベンチャー・スタートアップへの投資を担い、世界中の起業家に会ったという。


「国内外ですね。起業を意識しながらも、経験としては起業家とタッグになってビジネスをやっていったり、投資先を選定したりでめちゃめちゃ勉強になった。グリーを挟まないで、金融からいきなり起業は難しかったと思います」


IT企業のカルチャーはどんな風に形成していくのか学ぶとともに、自らの手で事業立ち上げに携わり、どういう枠組みでやるべきか思考する経験を積んだ。


「金融マンからITの要素を短期間で入れることができました。金融マンからいきなり起業というのは、大事業しかやっていないから、そういう意味ではきついなと」


そんな風に厚みのある経験を積んでいることが、年を重ねる起業の意味になるだろう。


「若い人はどちらかというと自分の体験からくるニーズが大きいかなと思います。30代後半でやるビジネスなら、もう少し業界を変えていくとか、そもそも枠組みとして業界disrupt系のビジネスをやるべきかな」


なかでも自身がリフォーム・リノベーション領域での起業を選択したのは、兄が建築家だった影響もある。現場の声として聞いた業界の不遇を、ITの力で変えていきたかった。



3章 起業と「とはいえ論」の存在


3-1. 「失敗確率」計算の有用性



競合が少ない領域は、どのようなビジネスモデルであっても機会がある。「住宅×IT」というドメインは、スペシャリストが少なく、IT化も進んでいない。とはいえ、未成熟な領域に入る不安はないのだろうか。


「最初やるときは、確信はないです。最初は勢いです。あとから考えてみると、とんでもない過ちを犯してたとかはありますけど(笑)。選んでいるドメインさえ間違ってなければなんとかなる、やってみることが大事です。年齢重ねると、賢くなって『失敗確率』が分かっちゃうから、自分なんかは違う業界で『失敗確率』も分からないから、良かったのかもしれない」


思い描いていたことと違うこともある。それでも、選んだドメインが間違っていないことは、過ちによって見えてくると、中田氏は語る。そしてそれは、「失敗確率」の計算外にあるところで得られる確信なのだろう。


「最初の入り口はきっかけであって、2年3年やってあらゆる間違いを犯し、あらゆる人脈を築き、まぁ成功体験もあれば失敗体験もあり、あらゆる仲間を得て、そういうものからくる確信もありますね」


ビジネスの世界では、もちろん肌感覚もロジックも両方ある。しかし、ビジネスの本質的な意思決定というのは「いろんな失敗をして、あらゆる人に話を聞くこと」「24時間事業のことを考え続けること」結果として、そういったものの積み上げからくるものだ。そういう感覚を得るまでには時間がかかるし、失敗しないとわからないこともある。だからこそ、飛び込んでみることに意味があるのだろう。



2017.07.10

文・引田有佳/Focus On編集部




編集後記

 

スティーブ・ジョブス、稲盛和夫、エリック・シュミット・・・


彼らは共通して「言葉や論理」で表現できないものの存在を認識し、それを自らの経営、事業、組織に反映させ、世の中を変えてきた。


「一切の観念的表現に頼らず、自分自身の努力によって、われわれが一度それを身をもって体験しないかぎり、けっして本当にはわからない」鈴木大拙著『禅』(ちくま文庫)


昨今、科学的根拠があると注目を集め、Google、Facebook、インテルなどで導入される「マインドフルネス」の原点といわれる「禅」の考えだ。


スティーブ・ジョブスはマーケティングを一切せず、自らと対話し「マーケティング・製品」としての方向性を見出したという。稲盛和夫も、すべての機能を生き生きと現すという意味の禅の言葉「全機現」を自ら提唱する「アメーバ」経営と呼応させた。


―「知得するだけでなく、体得がなくてはならぬもの」

と、言葉や論理ではなく、自らが体験することで得られることの存在と大切さを説いている。それをかの偉人といわれる人たちは世の中へ影響させ、反映させてきた。


中田氏の起業への思いにはその息吹を感じる。


ベンチャーに対する志を持たれ、ベンチャー支援を行い、より現場に近い場所でベンチャーの成り立ちを見てきた。そこで得られた体験が体得知へ変わり、「失敗確率」を計算してきたその外にある「リノベーション業界」へ飛び込んだ。


飛び込んだからこそ、失敗し、計算外のことを重ねて経験し、だからこそ得られる体得があった。それが自らの「リノベーション業界」への確固たる未来への思い・信念に変わった。


中田氏が経験してきた数々の“やったからわかること”、“やらなければわからなかったこと”が日本の「リノベーション業界」を変革していく礎となることは信じて疑わない。



文・石川翔太/Focus On編集部




株式会社和久環組 中田寿

取締役COO/CFO

1974年、北海道生まれ。大手コンサルティング、外資系証券などを経てリフォーム・リノベーションのマッチングサイト「SUVACO」を創業。日本の住環境にリアルイノベーションをもたらすため株式会社和久環組にジョイン。

http://wakuwaku0909.co.jp/

https://beat0909.com/


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