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「何もできない」起業家 ― 起業のエコシステムをつくる

挑戦することには価値がある。世の中を変え、未来をつくってきた歴史上の偉大な経営者たちも、数々の失敗を乗り越え、偉業を成し遂げてきた。


16歳で単身渡米して以来、国内外で4社の起業経験をもつシリアルアントレプレナーである伊地知天(いじち・そらと)氏は、2015年に新経済連盟の最年少幹事に就任するなど、まさに未来をつくる存在だ。


現在はCreww株式会社の代表を務め、「スタートアップ企業のエコシステム」創成という使命感に燃える伊地知天の生き方とは。




1章 4回目の起業で志すもの


1-1.  同じ船に乗る仲間


航海をともにしてくれる仲間を集めるために、その人は目的地を語る。

「こういう社会であるべきだから、こういうことを試すべきだ。その思いだけです」

語ったのはそれだけ。その思いに共感さえしてくれればいい。

自分一人で何でもこなせる人間はいない。まずは、気の合う仲間が必要だ。

その一人が二人に、二人が三人に。気づいたら、両手で数え切れないくらいの仲間が集まっていた。

ほら、これで楽しい船旅になりそうじゃないか。


東日本大震災で被災地の惨状を目の当たりにしたとき、何かしなければという思いに駆られた人は少なくないはず。そのうちの一人、伊地知天氏はCrewwという会社を立ち上げた。日本の未来を良い方向へ導いていくことができるとすれば、それはイノベーションを起こす起業家に違いない。そんな思いから、起業に挑戦する人を支援する仕組みづくりに奔走してきた。


伊地知氏は16歳で単身渡米して以来、13年近くを海外で過ごした。その間3回の起業・2回の事業売却を経験している、まさに自身がシリアルアントレプレナー(連続起業家)だ。彼にとって4回目の挑戦となるCrewwは、これまでに2800社以上のスタートアップ企業と90社以上の大企業をつないできた事業創出プラットフォームそのもの。そこで生まれた事業提携・資本提携・買収などのプロジェクト数は既に国内No.1だという。


「結局大切なものは、人。『同じ船に乗ってくれ』と言える仲間なんです」


伊地知氏の描く未来と、その思いに迫る。


1-2.  挑戦する人のためのエコシステム


挑戦したい人なら誰でも挑戦できる環境をつくりたい。Crewwという会社は、そんな思いからはじまった。自身、アメリカ、フィリピン、日本と3ヵ国での起業を経験した伊地知氏だからこそ、世界と比較した日本の現状が見えている。


「使命感に駆られるんです。日米で貴重な経験をした自分だからこそ、何かができそうだと」


日本と海外それぞれに優れているものがあることを知った。だから、海外の良い部分をもっと吸収するべきだ、と。現代の日本の経済成長に足りないもの、それはアメリカでは当たり前だった「起業」という文化・生態系だと強く思った。


「起業のエコシステム(生態系)と言ってもその意味は広いです。まずはそこに挑戦したいと思う人の絶対数を増やしたいんです。では、彼らがどうすれば増えるかを考えると、まずは、うまくいっているところを更にテコ入れして量産するケース。もう一つは、仮にダメになりかけても救済されるというセーフティネットの確立。この両方が必要だというところにたどり着きます。その両方をCrewwでつくることが、いま手掛けている僕たちの挑戦です」


アメリカではスタートアップのイグジット*の9割以上がM&Aであるといわれており、IPOが主流となる日本とはまさに対照的だ。M&Aなどの売却により資金を得た創業者は、その事業を離れて次なる事業を立ち上げたり、有望な他のスタートアップ企業に新たに投資したりする。そんな起業の好循環が、GoogleやFacebookといった世界的ITベンチャーの育つ土壌となってきた。(* スタートアップの創業者やベンチャーキャピタルが投資した資金を回収する方法、つまり出口 (EXIT) のこと。http://cybertimes.info/words/i/words-exit/より)


一つのスタートアップ企業の成功事例を生むだけでなく、それが持続的に「生まれつづける」仕組みこそがまさに社会を変える。


スタートアップ企業の成長に必要な人・モノ・金・情報・顧客・チャンス。それら必要なものすべてを仲介するプラットフォームとなることで、日本に新しいエコシステムを生み出し、挑戦する人を増やす。それがCrewwのミッションだ。



2章 日本と海外


2-1.  高1で渡米


33歳で4度もの起業歴をもつ伊地知氏は、どんな生き方をしてきたのだろうか。


「中学校のときに、『社長になりそうな人ランキング』1位に選ばれ、卒業アルバムに載せてもらいました。そのころから自分で将来起業することを、そこそこ、は意識していました。とはいえ、さすがに、まずはどこかに就職するだろうとも思っていました。でも、最初から(起業してしまった)という次第です(笑)」


『社長になりそうな人ランキング』で選ばれたのは、単なる目立ちたがり屋だったからかもしれない、とも語る伊地知氏。高校1年時にアメリカ留学プログラムに応募したことをきっかけに、結局10年以上も日本を離れることになる。


「中学3年で生徒会長をやりました。それから高校1年のときにも生徒会長をやりました。1年生でというのは、学校の創設以来初めてでした。なのに、高校1年で留学。『おい、生徒会長どこ行ったんだよ』という話ですね(笑)」


アメリカという異国の地に興味をもった。そのきっかけは、当時自宅の隣に、国連で働くオーストラリア人が引っ越してきたことだったという。


「お隣だったので、自然とご飯を食べに行ったり、色々な話を聞いたりするなかで、日本以外の世界があるということがとても新鮮でした。とにかく興味が湧いて。『どうしても1年だけ海外に行かせてくれ』と、父に頼みました。父は『わかった。英語はどうでもいいから、とにかく多様な価値観を学んでこい』と応援してくれて。それが転機でしたね」


英語は苦手だったが、国の交換留学プログラムには奇跡的に合格したという。まさに0からのスタート。隣人や父親、留学制度や学校、周囲の環境という支えのおかげで、「世界に出て挑戦したい」という伊地知氏の思いが、最初に実現した瞬間だった。


2-2.  日本で働くのはたぶん無理


留学中の18歳のとき、夏休みに日本へ一時帰国して、学費の足しにと、コンビニのバイトをした伊地知氏は、なんと3日目でクビになった。


「いま振り返ると、恥ずかしい失敗はたくさんあります。でも当時の僕は知らなかった。日本の常識を知っていたらやらないようなこと。当然コンビニの店長はそれが当たり前だと思っているから、バイトに教えることのリストやマニュアルに入っていないんです」


たとえば、いきなりガムを噛みながら接客をしてみたり。アメリカでは銀行員だってガムを食べている。しかし、その自分の常識が通用しない。


「その事件を経て、こっぴどく怒られました。そして、もう日本社会には適応できないと思った。もうほぼ、就職の道をあきらめたというか、日本の会社で働くのはたぶん無理だと」


はじめて伊地知氏が起業したのは21歳のとき。一時帰国していた長期休暇を利用してハウツー本を読み、1円で日本に会社をつくった。数多くの音楽レーベルや映画スタジオがあるアメリカ西海岸での留学経験を夢見る日本の若者向けに、短期の留学商品を企画し、現地と日本にそれぞれある留学斡旋企業をつないだのだ。


「音楽を学ぶために留学する。それがもっと手軽にできたらいいな、と。1年単位の長期留学ではなくとも、たとえば3週間とか!その期間中に一回でも、本場ハリウッドのオープンマイクでライブができたら、それは楽しいじゃないですか。僕の周りの友人たちの間でそうした需要はとても多かったんです。(いきなり起業という選択肢を取ったのは)とてもいいアイデアだと思ったのに、なぜか大人たちはやらなかった。それなら、僕がやる!といった反骨心もあったかもしれない」


ニッチな領域に大人たちは手をつけようともしなかった。だが、いざ始めてみると、その反響は予想以上だった。夢見る人を応援したい。そんな思いから、まずは、自分にできることを形にしてみた。その結果、多くの人のかけがえのない夢を叶えていけることを知った瞬間だった。



2-3.  連続起業家へ


日本での長期休暇と記念すべき初めての起業経験がおわり、アメリカの大学に戻った伊地知氏は、なんとその半年後には、アメリカでもIT系のスタートアップ企業を立ち上げていた。実はITに関する知見があったわけではない、あったのは一つの思いだけだ。


インターネットは地理的な制約の排除が可能なのに、残念ながら、言語という壁によって結局まだ分断されていた時代。だからこそ、その壁を超えるサービスを生み出したかった。


「もちろん、経験を積んでから始めるというのは素晴らしいことです。でも、本当にそれがないと始められない、スキルやお金がないと始められないかというと、それはもう全否定です。いや、絶対始められる!」


それから大学卒業までの2年間、昼は学校、夜は会社と、仲間とともに2、3足のわらじを履きながらのタフな生活を送ることになる。国籍も多様な8人程のチームにとってはあっという間の期間だった。そして、いよいよ卒業というタイミングで彼らは一つの選択を迫られた。


「大学を卒業するときに、卒業しても、そのままつづけるのか、一旦ここで終わりにして就職するか、その議論には必ずなりますよね。卒業するときが一つの節目となって、決断を迫られるみたいな」


実現したいことがあって始めた会社だったが、その時点でまだ何も実現できていないと、結局、彼らは迷わずつづける道を選んだ。その後、いくつものプロジェクトを試し、いくつもの失敗も重ねたが、最終的には事業売却を果たし、非常に良い経験をすることができたと、伊地知氏は当時を振り返る。


「0から1をつくることは、非常に大変ですし、不確実性が高いことだと思います。でも僕はその過程が最高に楽しいと思える。そこは相性だと思います(笑)。それが僕にとって、その過程こそが、非常に居心地がいいんです。だから僕は、『0→1』をつづけることを生涯やっていきたいんです」


一つの「0→1」を達成したあと、その次にまた新たなテーマを一つ選び、それを解決するような方法を考える。その上で、更に、次の5年10年をかけてそれを実行していく。これの繰り返しで、未来をつくりつづけていきたいという。



3章 未来のつくりかた


3-1.  何もできないことが武器


未来を描きつづける伊地知氏が、いまたどり着いた一つの結論があるという。


「自分にはスペシャリティというものがなかったということです。たとえばエンジニアリングとか、デザインとか、これといって何かができたわけでもなく、どれも完全に平均的な人だった。でも、実は何もできないということが、非常に強い武器になるんだということです」


Crewwを創業したときもそうだった。もし、自分であれもこれもできてしまっていたら、すべて自分でやっていただろう。しかし、それでは何もかもを自分の物差しで考えてしまいう。結果として自分の手の届く範囲から出られない。


「自分にできないことをわかっているからこそ、思考を大きく広げることが可能。何かをやりたいと思ったとき、すぐに、あれが必要だ、これが必要だと出てくるんです。自分だけで全てできるとは1ミリも想定していません。だから、できる人たちを連れてこなくちゃ、と。そういう発想になると、レストランをやろうと思っても、病院をやろうと思っても、大概なんでもできるものですよ」


自分の「できない」を認めるからこそ、人とのつながりができ、大きなことを描き、実現に向けて行動できる。「自分には何もできないから」と、そうやってあきらめてしまう人は多い。しかし実は「何もできない」からこそ、実現できる未来があるのだ。


3-2.  仲間の集め方


何もないところから、自分に足りないスペシャリティをもつ仲間を集めるには、どうすれば良いのか。その方法論と同時に、伊地知氏は未来を語る。


「やっぱり共感してくれること、それに尽きると思います。こういう社会であるべきだから、こういうプロジェクトを是非ともやりたい、そういうビジョンだけを色んな人に話してまわった。それに色んな人が共感して集まってくれて生まれたのがCrewwという会社です。もちろん、いままでの会社も全部そうでした」


たとえば、「言語の壁を越えるようなインターネットサービスをやりたい」と語ってみる。ふわっとしていて、ほとんどの人は、さっぱりなんのことだかわからない。それでも「それはいいね、おもしろそうだ」と集まってくれる人たちがいた。それが仲間だ。


「まずは、成し遂げたいということだけを伝えていって、そこに共感した人たちがいてくれればいい。結局誰も共感してくれなかったら成し遂げられないかもしれないけど、きっとそれは、僕に発信力が足りていないだけだと信じています。絶対いるじゃないですか、世の中に一人くらいは、同じような考え方をしてくれる人」


もちろん一緒にやってきた仲間でも、全員がすべてのプロジェクトに共感してくれるとは限らない。だから、常に共感してくれる人を探す旅は終わらないという。少しでも共感してくれて、自分にできないことをできる人たちがいれば、いつでも、どこでも、積極的にお願いしに行く。


できないことを認めるからこそ、無限に未来が広がる。未来を語り共感を集めるからこそ、一つ一つの未来が現実になる。きっと、そうやって社会が変わっていくのだろう。



2017.07.10

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

私には夢がある。私の四人の子供たちが皮膚の色ではなく、人として評価される国に住むことが出来ることを・・・(Martin Luther King, Jr.1963)*


1963年8月28日マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは公民権運動のなかの演説で、歴史に残る一節を残し、差別撤廃への大きな一歩を踏み出した。


ワシントン大行進と呼ばれるこのデモでは、25万人が参加し、そこには黒人のみならず白人をも賛同し行進に参加していたという。まさに、人種・民族・性を超えた「自由」を生む礎を築いたのである。


「人は、他者の行動の背景には、願望・意図・信念・知識といった目に見えない心的状態があることを理解し、また、他者の行動に基づいてそれらの心的状態を推論する能力を持つ。(Byrne&Whiten,1988)」

「社会的感受性(共感)によって、他者の情動を知覚すると、知覚者の情動に関わる神経回路が自動的に活動し、「向社会的衝動」が芽生える。(Singer&Fehr,2005)」*


人間には生来「社会のため」「人のため」を思い、行動に駆り立てる本能的機能があるという。そしてその源泉となるのが、「共感」であるようだ。


Crewwは日本社会の「イノベーション誕生」の社会的構造に立ち向かう。日本にある社会構造のために生まれてこなかった「挑戦者」に、声をあげるための土台を提供する。それは土台というよりも、一つの構造を根付かせ、「当たり前」にするのである。


これまで日本に積み上げられてきたその構造は、容易には変えがたい。なにか一つのきっかけでブレイクスルーをむかえるものでなく、社会がそれを願うムーヴメントとなり、それに反旗を掲げるものでさえ巻き込む状態になってようやく達成されるのであろう。そして日本が次のステージへと上がっていく。かつてマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが米国を導いたように。


伊地知氏にはその力がある。ひとりまたひとりと日本人が伊地知氏の願いに共感し「向社会行動」へ向かわせている。確実に。


日本人が当たり前に世に「イノベーションへの挑戦」を口にする日はそう遠くないだろう。



文・石川翔太/Focus On編集部



※参考

村田藍子(2016)「‘共感’の心的デザインの再構築 : 自他間の情動共有システムを出発点としたボトムアップアプローチ」,北海道大学,博士論文,< http://hdl.handle.net/2115/61830 >(参照2017-7-9).




Creww株式会社 伊地知天

Founder & CEO

1983年生まれ。16歳で単身渡米。これまでに、日本2社、アメリカ1社、フィリピン1社4つの会社を創業。2005年カリフォルニア大学在学時にアメリカでウェブマーケティング会社を創業し、米Fox社をはじめとする600社以上の企業のウェブ戦略をサポート。2009年に開始したオンラインショッピングモール事業は、翌年に米大手動画配信会社に売却。

2012年にフィリピンでオフショア制作の会社設立。同年、4個目の会社となるcrewwをプロジェクトとして開始し2012年8月に法人化。3社のCEOを退任し現在はcrewwに100%専念中。

https://creww.me/ja

https://company.creww.me/


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