Focus On
下川穣
株式会社KINS  
代表取締役
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or心湧き立つ純粋な野心を忘れていないか、それ自体が道になる。
「人と機械が自然に共創する社会へ」というビジョンを掲げ、言語モデルと音声AI技術を用いた業務の自動化や品質向上を支援する株式会社IZAI。コールセンター向け文字起こし&要約AI「IZAI assist」をはじめ会話解析AI、ボイスボットなどを提供する同社では、次世代のインターフェースとなる対話型AIの研究開発を進めている。人間と区別がつかない自然なAI音声による業務支援を実現するだけでなく、その先にはロボティクス領域への展開を見据えている。
代表取締役の泉恭太は、東京大学工学部在学中からアプリ開発会社でのインターンを経て、個人開発・フリーランスエンジニアとして活動。ハードウェアからソフトウェアまで幅広い開発経験を積んだのち、2024年5月に株式会社IZAIを創業した。同氏が語る「ビジョンありきの起業」とは。
目次
AI技術の実用化を目指した人類の長い挑戦は、近年ようやく実を結びつつある。日常の中に、あるいは見えないところでAIが存在していることが当たり前になり、個人がビジネスシーンで活用可能な汎用型のAIサービスや生成AIも浸透しつつある。
この先の技術発展における一つの焦点は、人間とAIの区別がつかないほど「自然なAI」の登場にあると泉は語る。
「人間がAIをAIだと気づかなくなるという地点が、一つの分岐点だと思っていて。気づかなくなった瞬間にあらゆるものが変わると思っているんです。現在のAIが人間に及ばないところって、まだそもそもの頭が悪いという部分もあるのですが、『AIであること』なんですよ」
相手が人間だと自然に思うからこそ、人間の部下に指示を出すのと全く同じ感覚で指示を出せる。特に、電話のような音声インターフェースは、AIかどうかを判別する情報が限られるため、違和感なく日常に溶け込む日がやってくるのも早いと考えられるという。
「相手がAIだと思うと、それこそ大きな声ではっきり話そうとしたり、AIであることを見抜こうと不自然な質問をしたり、それって不自然じゃないですか。映画『アイアンマン』に登場するサポートAIのジャービスのように、本当の友だちのように話しかけ動いてくれる。それが目指すべき姿というか、逆に20年後はそうなるだろうという自然な終着点があるのなら、それを日本のビジネス界向けに特化してやっていこうと思ったことが創業のきっかけです」
現在同社では、コールセンターの電話応対業務を音声認識・自動要約・回答生成により効率化するオペレータ支援AI「IZAI assist」をはじめ、音声生成AI関連のいくつかのプロダクトを提供しているほか、企業のニーズに合わせた生成AIのコンサルティング・受託開発も行っている。
特に、人手不足に悩む大手企業からのニーズは大きく、インバウンド・アウトバウンドを問わず電話をかける業界や、営業マン教育用の研修・ロープレAIを作成できないかといった問い合わせが多くあるという。
「弊社は電話応対やコールセンター業務の生成AIに詳しい会社としては、日本でトップレベルに位置すると思っています。実際に導入いただいている企業さんからは、音声の自然さや回答文の精度に関して大手よりも優れているというお声もいただいていて一定自信がありますし、あとはエンジニアを最初からグローバルに集めています。今だと国内7割、海外3割ぐらいで、名立たる大学出身者や大手企業から独立した人などにジョインいただいています」
AIや音声合成技術など、同社で扱う技術はどれもここ2~3年で生まれてきたものである。まさに進化発展の真っ只中にある技術だからこそ、若さという特徴はデメリットにならないと泉は考える。
「この領域は10年選手が存在しないので、よーいドンの技術競争の中で最初はいかに優秀な学生と、社会人の方でも新しい技術に高いアンテナを持つ人を採用するかが重要で。まだ僕自身、そして会社も若いのですが、ビジョンドリブンであることを結構売りにしていて、そこに興味がある方、興味を持ってくださる方が集まっていますね」
「人と機械が自然に共創する社会へ」というビジョンには、まさに自然なAIが人間と協働し、可能性を拡張していく未来への思いが込められている。技術を使い、真正面から新しい音声インターフェースを作ろうとする。そんな挑戦に共感する人を中心に、採用活動を始めて3か月ほどで50名以上の応募があった。
「音声だけで解決できる課題を解決したあとは、将来的にハードウェアは切っても切れない関係にあると思っています。これはやっぱりロボット事業ですね。人がやっていた作業をロボットで代替するということにはすごく興味がありますし、もともとハードウェア好きな人間でもあるので、今から弾を仕込むではないですがリサーチ含め準備を進めているところです」
日本の産業に特化した自然なAIやロボティクスが、社会を次のステージへと導いていく。ほぼ間違いなくやってくる未来に向けて、IZAIはその中核を担う存在となるべく道なき道を進んでいる。
小学生のとき東京に来て、初めてはっきりとスカイツリーを見た。その圧倒的なスケールの大きさは、まさに「経済」というものがそこにあるようで、幼いながらに感動したことを覚えていると泉は語る。日頃目にしていた風景は千葉の田舎であり、畑ばかりに囲まれた実家で営まれる農業だった。
「親族に経営者はいないのですが、自営業者がすごく多くて。大工だったり農家だったり、自営業の営業マンやトラック運転手など、両親だけでなく叔父や叔母も自営業は多かったですね。だから、会社で働くというイメージがあまり自分の中に染みついていなくて、昔からサラリーマンというものは逆に少し遠い存在でした」
夜中に起きて畑に行ったり、できあがった農作物を自ら売りに行ったり。身近な家族がそうして働く姿は、幼少期から見慣れたものだった。誰かに言われて動いたり、会社に通勤するでもなく、自分一人で何かを成している。それが当たり前の感覚として根付いたのかもしれない。
いつしか自分でも、一人で手を動かしては何かを生み出すことを楽しんでいた。
「工作がすごく好きで、自由研究でもいろいろなものを作ったり。小中学生時代は家の外で木を切って、椅子や本棚を作ったりするような子どもでしたね。母から聞いた話では、小学校に入る前ぐらいから折り紙が与えられていて、興味を持って。毎週のように図書館で折り紙の本を借りつづけていたことが、おそらく最初のものづくりのルーツだったと思います」
折り紙に感じた魅力は、シンプルだった。何の変哲もない1枚の紙きれから動物やドラゴンができあがる。その感動が心に残り、何度も味わいたくなった。加えて、祖父母をはじめ大人たちが作ったものを褒めてくれた嬉しさもあったのだろう。
ある時は、バドミントンのラケットのストリングを張り替えたいと思い立ち、何十万円とする機械の代わりに木材を使って1,500円で自作してみたこともある。農家である家には手ごろな道具が揃っていたことも幸いし、なんとか機械は形になった。結局張る力が足りず使い物にはならなかったが、思いつけばまず自分で作ってみるということは自然になっていた。
幼少期
「基本的に両親はやりたいことがあったら自分から言いなさいというスタンスだったので、中学で塾に通うとか、部活をどうするかとかも基本的にはこちらから何かしたいですと言わないとやってくれることはなくて。自分の意思を持って何かしなさいと直接言われたわけではないのですが、そんな育て方をされた覚えはありますね」
何かを強制されることもなく、自発的に生まれる意思や興味に従っている。すると、日常の中でふと素朴な疑問が湧いてくることがある。
なぜ落ち葉は赤いのか、愛想とは何なのか、みんなが利己的に行動したらどうなるのか。自分なりに調べてみても、一人で考えつづけても一向に答えは出ない。答えがないような問いでもあるからか、友だちに話してもあいまいな反応が返ってくることがほとんどだった。
しかし、小学校高学年の時の親友は違っていた。自分と同じことに関心を持ち、同じ熱量で食いついてくれる人がいる。それが驚きであり、同時に嬉しくもあった。以来、学校の帰り道に何気なく話したことで盛り上がり、気づけば夕暮れの空の下、何時間も議論していたりした。
「人と話すことが好きで、特にその友だちとディベートするのがすごく好きでしたね。17時に学校が終わってから3時間くらいずっと話していたり。あとから思えば、当時の経験があったからこそ、理論立てて考えるとか思考力みたいなものに役立っているのかなとも思います」
話していたのは子どもらしからぬ抽象的な問いだったが、子どもだからこそ抱く純粋な疑問でもあった。たとえば、学校ではおなじみの「多数決」という物事の決め方も、果たして正しいのかと議論したことがある。
多数派の意見が常に正しいとは限らないし、少数派の意見は消されてしまう。そもそも目的が違う人同士で多数決を取っても意味がない。だから、必ずしも適切な結果に至るとは言えないと結論づけた。そんな風にある種の思考実験のようなやり取りを、来る日も来る日も続けていた。
「やっぱりそんなことをしているわけなので、行動するときに『誰かがやっているから』とか『みんながやっているから』みたいな理由は持たないようになったのかなと思いますね。本当に今、全ての行動に結びついていると感じています」
当たり前とされる選択でも、それが本当に正しいのかと考える。たとえ社会の大多数が「右」だと言っても、「左」を選ばない理由になることはない。自分なりに考え、答えは自分で作る。そんな精神性が、今でも自分を支えてくれている。
2-2. ポケットの中のインターネット
中学時代はクラスの委員長や生徒会長など、先頭に立つ役割を進んで担うことが多かった。周りもやりたいだろうと考えつつ手を挙げたのだが、立候補する人は思いのほか少ないものだった。
「おそらく小学1年生ぐらいの頃って、みんな前に出たいじゃないですか。それが段々後ろに下がっていく人が多いなかで、自分だけが残ったんじゃないかという感覚は今でも少し思っていて。大学に入ってからもそうですが、みんな段々もう普通でいいやとなっていくなかで、自分だけ野心みたいなものが残っていたのかなと思います」
リーダーやまとめ役などを引き受ける機会が多かったのは、勉強の成績が良かったことも少なからず関係はしているかもしれない。昔から難しい問題を解けたときの達成感などが好きで、比較的学校の勉強を楽しんできた方だった。
「特に、理系の科目でものの仕組みが分かることがすごく嬉しかったんですよね。摩擦ってこうなっているんだとか、振り子って重さと関係ないんだなとか、そういう世界の原理や理論を学ぶことが好きでした。今思えば、それも折り紙が影響しているのかもしれないですよね。完成品を見た時に、これが元は1枚の紙だったことはなんとなく分かるけれど、どういう過程で作られたのかは実際に分解してみないと分からない。だから、気になるし知りたくなる」
ものの仕組みや構造を知りたいとき、たいていは手を動かして調べたり、学んでいけば概ね理解できる。たとえば、なぜ眼鏡をかけると視力が弱くてもよく見えるようになるのか。その仕組みは、中学で学ぶレンズや光の屈折の原理で説明されている。
しかし、そんな常識を初めて覆された存在がiPhoneだった。
「小学校高学年ぐらいから親のお下がりのiPhoneを使わせてもらって。モバイル回線はなかったのですが、近くのお菓子屋さんのWi-Fiを繋いでゲームをしたり、画面を直接タップできたりと、全てが新しすぎるじゃないですか。この中に詰まっているものはなんなんだろうと中学3年間ぐらいずっと思っていて。高校の3年間でも解決されず、ずっと仕組みが知りたいと思っていたんです」
iPhoneは眼鏡のように、シンプルな仕組みで動いているわけじゃない。いくつもの技術が組み合わさって、一つのハードウェアとして形になっている。のちにはもっと詳しく理解できるようになるのだが、当時はまだその革新性に驚かされるばかりだった。
「しかも、小学校の友だちと議論していた時はちょうどまだスマホがなくて、ディベートして答えを探していたのに、その答えがポケットの中にあるということ自体が感動で。あとはいろいろな記録も残せるし、写真も撮れる。当たり前のようにそれを使えるという感動があったので、やっぱりそういうものを作りたいなと思うようになったんです。それが起業という選択肢になったのは、ついここ最近ですけどね」
ポケットの中にインターネットがあって、知りたいことはなんでもすぐに調べられる。その可能性には間違いなく心揺さぶられる何かがある。まだ将来は漠然としていた学生時代、好きだった勉強はとりあえず頑張っていたものの、その先のイメージはほとんどなかった。ただ、何かしらiPhoneのような面白いものを作り、世の中を驚かせたいという思いだけは、たしかに心の中にあるものだった。
世界が広がりはじめたのは、高校時代だった。千葉県の中でも、より都会に近い地域から通学する同級生と話していると、千葉県と言えど広いのだと実感する。さらに、それよりはるかに大きな世界が存在することも体感していった。
「入学した高校がたまたま文部科学省のSGH(スーパーグローバルハイスクール)というプロジェクトに採択されたばかりだったので、グローバルラーニング特別クラスみたいなものが作られていて。入学試験は同じなのですが、希望者の中で成績の高い順か何かで入ることができたので、そういうオプションがあるならと希望して入ったんです」
授業は普通科と全く同じだが、プラスアルファで異文化交流や国内外での研修プログラムが豊富に用意されている。そこでは初めての海外であるイギリスへと語学研修で渡ったり、「世界高校生水会議」という世界中から集まる高校生と水について英語で議論を交わすイベントに参加したり、世界というものの一部をさまざまな側面から知る機会に恵まれた。
「イギリスは結構記憶に残っていて。オックスフォードとケンブリッジの大学都市を見て、その学生と拙い英語で会話した時に、世界1位とかの大学の学生ってこんなにスラスラと自信を持って話すんだということは思いましたね。今思えばただの大学生なんですよね。年だって3~4個しか違わないはずなのに、プレゼンもまるでAppleのティム・クックのスピーチを聞いているような感覚で、これが世界かと感じたことは覚えています」
広い世界に触れながら目の前のことに奮闘する。ほかにも趣味で始めたカメラから写真部に入ったり、さらにバドミントン部を兼部したり。興味の赴くまま多忙な日々を送りながらも、やはりものの仕組みを知りたい、スマートフォンの中身について知りたいという思いは変わらずあった。
「写真にせよプレゼンにせよ何かものを作ったり、研究したものを発表することで人に喜ばれたり驚かれることが好きだったんですよね。あとは、映像コンテンツや漫画などもそうですが、多くの人が熱中するものがどう作られているのかにすごく興味があったんです」
もともと受験は深く考えず千葉大学医学部を目指していたが、直前になって人の命を預かる覚悟があるだろうかと考え直し、志望校を変えることにした。どうせなら日本一である東京大学を受験してみようと、高校3年の12月から切り替え、なんとか合格することができた。
しかし、入学して早々、社会では新型コロナウイルス感染拡大の影響が広がっていた。対面での授業が実施されなくなり、入学後2年間は家から積極的に出られない期間が続いた。
「家でできる何かをしなければいけなくて、パソコンはある。となると家の中でできるものづくりや工作って、3Dプリンターくらいしか残っていないなと思って、大学で初めて稼いだバイト代で3Dプリンターを買ったんです。それこそバドミントンのラケットのストリングを張り替える機械を作った感覚の延長ですね」
ちょうど当時は、3Dプリント技術に関するいくつかの特許が切れてから数年が経ち、廉価な家庭用機が続々と登場していた。Amazonでも数万円の3Dプリンターが変える時代になり、個人の自由なものづくりに革新が起きつつあった。
いわゆるTHE大学生と言われるような過ごし方はできなかったが、その分画面越しにできることや家の中でできるものづくりに集中でき、それはそれで有意義だった。
「3Dプリンターを使って何か作るには、パソコンである程度コードを書かなければいけなくて、それが開発の入り口になりました。エンジニアの勉強をしたいなと思うようになって、いろいろ調べて応募して、アプリ開発会社でインターンをさせてもらえることになったんです」
何の実績もない状態なので、大手企業のインターンには拾ってもらえない。そう思い、応募したのは小さな開発会社だったが、偶然にも業界では一定のシェアを持つ知る人ぞ知る企業だった。
「小さな会社なので社長さんと一緒にご飯に行ったりすることもできて、そこで経営者ってこういう人なんだと知れたことは一つのきっかけになりました。しかも、学生起業ではないですが学生時代から近いことをやられていた方で、学生起業のような選択肢もあるんだなと。東京は情報量が全然違うなと思ったことは、結構覚えていますね」
学生のうちから技術を身につけ仕事をしたり、起業するという選択肢がある。そんな選択肢があるなんて、思いもしなかった。世界はいつも自分が思うより広く、そしてまだ見ぬものやコトを教えてくれていた。
起業についてもっと調べたいと考えていると、ちょうど大学には講義が用意されていると知る。「アントレプレナー」という言葉に初めて触れたのも、その頃だった。
「東大に『アントレプレナーシップI』という講義があって、『解像度を上げる』という有名な本を書かれた馬田隆明先生が主催していたんです。毎回起業家が東大に来てくださるのですが、その時はDeNAの南場さんやラクスルの松本さんとか、本当に偉大な経営者の方々も来てくださって、大学時代から今までどうだったかなどいろいろ話を聞いて。そこで起業という選択肢の解像度は上がりましたね」
最初はVCも資金調達も分からない言葉だらけだった。しかし、当の本人たちから生の経験談を聞くからこそ、臨場感のある情報として理解できていく。
「印象に残っていることは、それこそDeNAの南場さんとかってすごく楽しそうに自分の事業の話をするんですよね。ほかにもいろいろな先輩起業家の方と直接話をする機会があったのですが、みんな本当に楽しそうに話していたし、やっぱりこの人たちの生き様ってかっこいいなと会うたびに思って。東大に入って良かったことはそこですね」
目を向けてみれば、周囲には既に起業している学生もそこそこいるようだった。それこそ学生用のコミュニティのような小規模なものから、休学して100名規模の組織を率いている人までさまざまだったが、機会を見つけては話を聞きに行ってみる。そのなかで自分がやりたいことはなんだろうかと考えつつ、議論を重ねていった。
エンジニアだったので実際に受託開発会社をやってみようと1年ほど仕事を請けながら、世の中で開発がどのように行われているのかも学んだ。スタートアップ企業という存在を知り、その経営者と出会ったのはその頃だ。社会に在るべき仕組みや価値をゼロから思い描き、事業として広めていこうとする姿は、何より輝いて見えた。
「会社というものは手段だと思うのですが、話を聞いていくなかで、やっぱりビジョンを持って会社を興している人がかっこいい、こうなりたいと思ったんです。自分も興味ある領域でこんなことをしたいなと思うようになり、新しく自分でゼロから会社を作ることにしました」
もともと人の言うことを聞いて何かするタイプではなかったからかもしれないし、「日系大手に行くのが当たり前」という価値観のもと育っていなかったからかもしれない。同級生の話を聞いていると、同じように起業に興味はあるけれど親の反対でできないと話す人が何人もいた。幸運にもしがらみがなかったからこそ、やると決めたら迷いなく挑戦することができた。
「やっぱり根底には、皆さんそうだと思うのですが承認欲求みたいなものはあると思っていて。そのなかで僕は自分が作ったものが世界中の人に使われることがすごく羨ましいと思う。世界を変えたと死ぬ瞬間に実感したい。それがなぜかと聞かれると、自分が十分に幸せであると感じているということはあるのかもしれません」
着目したのは、音声インターフェースという領域だった。タッチタイピングのように、人が手を使って入力するインターフェースも、人類100万年の歴史の中ではたかだか数十年から数百年前に生まれたものに過ぎない。それに代わるもっと自然なインターフェースこそ、音声であると考えた。
2024年5月、株式会社IZAIを設立。まずは、コールセンターや営業など電話応対が発生する業界の業務を自動化するところから、その先にはiPhoneのように広く世の中で使われるハードウェア開発を目指して、IZAIは技術の新たな地平を拓いていく。
学生にとって起業という選択肢は年々一般化しつつある。もちろん全てがうまくいくわけではないだろうが、その母数が増えるということは先輩たちの貴重な経験談も厚みを増していくことを意味する。大きな意思決定を伴うが、環境は整いつつある。興味があるなら今すぐ動き出した方がいいと泉は語る。
「まだそんなに語れる身分ではないのですが、これから起業を考えている学生や若者に言うとしたら、やっぱり『周りに流されずやりたいことをやれ』ということですね。人生って結構短いということに大人になってから気づくじゃないですか。大学1~3年生とかでは気づかない方が多いと思うんです」
起業にあたっては、さまざまな壁が立ちふさがるように感じられることもあるだろう。場合によっては周囲から反対されたり、あるいは起業したいがどんな領域に軸足を置くべきか分からないという場合もあるかもしれない。
泉の場合、「こうなりたい」と思う先人に直接話を聞いたり質問したりすることで、思いやビジョンをより明確にすることができたという。
「それって難しいようで実は簡単で。大学生なら大学にアントレプレナーシップ関連の講義が用意されていたり、渋谷に行けば起業関連のイベントを毎日のようにやっている。少しでも興味があったら、直接会いに行って話を聞く。それって若いうちしかできないことでもあるので、その特典はがんがん使っていくのがいいかなと思いますね」
なかでも泉は単なる起業ではなく、ビジョンを持った起業を勧める。
「起業を目指す学生は、数字として年々増えていると聞いています。ただ、それがビジョンを持った起業なのかというと、実はおそらくそうではないんじゃないかという肌感はあって。サラリーマンにはなりたくないよねとか、お金を稼ぎたいよねといった消極的な理由が多いのかなと思っているので、個人的にはそこは残念でもあり、もう少し野心を持ってほしいなと思っています」
創業者が何をしたいのかが違えば、たとえ同じ事業でも企業の姿は大きく変わってくる。起業に絶対的な正解はなく、一人ひとりの人生もそうだ。ただ、一度きりの人生である。どうせ起業するのなら、世の中の多くの人に価値を届けたいと泉は考える。
「それがビジネスに結びつくのかどうかより、自分が人生を捧げてでもやりたいことは、必然的にビジョンになるのかなと思います」
ビジョンとは、他人が語る分にはただの不確実な未来に過ぎない。しかし、それを自分の心が発するならば、自分次第で実現可能な理想となる。人生をかけて叶えたいと願う純粋な野心こそ、社会を変える力になるのだろう。
2025.1.16
文・引田有佳/Focus On編集部
野心とは、世界の広さに対する純粋な期待と興奮から生まれるものなのかもしれない。いまだかつてないアイデアが常識を塗り替えたり、たった一人の情熱が人類を未踏の領域へと踏み込ませたり、そんな瞬間を目撃した人の心には少なからず灯がともる。
初めてiPhoneを手にした時の感動を鮮明に覚えていると、泉氏は振り返る。数時間かけて考えなければ導き出せなかった疑問の答えも、インターネットに繋がれば即座に見つかる。技術もさることながら、当時まだ当たり前ではなかった時代にそんな行動様式を構想し、商品として形にして世に広めたスティーブ・ジョブズという存在が、たまらなくワクワクする世界を教えてくれた。
原初の衝動は、往々にしてその後の人生を形作るものである。反対に、もう十分だと思っていれば、限界もそこに決まってしまう。現状ではまだまだ足りないと渇望するからこそ、人はより大きなことを成し遂げる。自分もそうなりたい、同じようにそんなものを生み出したいという憧れに比例して、人が抱く理想も大きくなる。飽くなき追求の先にこそ、起業の醍醐味はあるのだろう。
文・Focus On編集部
▼コラム
株式会社IZAI 泉恭太
代表取締役CEO
2002年生まれ。千葉県出身。東京大学工学部在籍。学業の傍らアプリ開発会社でのインターンを経て、個人開発・フリーランスエンジニアとして活動。ハードウェアからソフトウェアまで幅広い開発経験を積んだのち、2023年に受託開発会社を共同創業。2024年5月、ビジョンドリブンな事業・組織運営を実践すべく、株式会社IZAIを創業。