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沖有人
スタイルアクト株式会社  
代表取締役
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or学ぶことを楽しめる人は、生涯成長できる。
自習する力を高めるための方法論や姿勢に関する授業を提供するオンライン学習塾FLAPUPスクール。「学ぶことが楽しい」というマインドセットを創る同塾では、家庭での親子の勉強との向き合い方や環境づくりまでをも提案し、生涯学習の入り口としての義務教育を誰にとっても充実したものに変えていく。
代表の松本ひろみは、大学在学中から個別指導塾のアルバイト講師として勤務。在籍した4年間、のべ4,000人の生徒の理数教科を担当し、トップ人気講師として活躍する。卒業後、大阪府庁に建築職職員として勤務したのち、2020年に出産を機に退職。独立と同時に学習塾事業を立ち上げた。同氏が語る「勉強に対する誤解」とは。
好きなことを我慢して、やらなければいけないもの。学校の成績や受験のために、つらくて苦しい思いをして耐え抜かなければならないもの。単調な丸暗記も、テスト直前の一夜漬けも、しばしば勉強にはネガティブなイメージがつきまとう。
義務感や強迫観念ではなく、自ら望んで学ぶ姿勢を身につける価値について松本は語る。
「楽しくないと勉強しないし、楽しくないことは続きません。だから、『勉強って楽しいよね』と伝えながら自学自習を支援することが、きっと子どもたちにとってベストなのだと思っています」
勉強に対する偏った認識が、子どもたちの苦手意識やストレスに繋がっている。けれど本来は誰もが前向きに楽しんで学べる可能性を秘めている。それは、松本自身の子ども時代の経験から生まれた信念でもある。
「小中学生の頃、勉強に対して強迫観念があったんです。勉強が唯一承認を得られる手段だと、ここで評価されなかったら生きている価値がないぐらいに思っていて。全てを投げ打って勉強しても、それでも頭打ちがあって苦しんだのですが、大学浪人時代になって正しい向き合い方に気づいた時、ようやく勉強することが面白くなったんです」
やり方や向き合い方が変われば、勉強に対する印象は変わる。楽しく学べるようになることに伴い、成績も上がっていき、人生で納得のいく選択肢や得られる経験の幅が広がっていく。だから、義務教育のうちから前向きな自習の姿勢を身につけることには意味があると松本は考える。
他方、子どもの可能性を阻む一因として、大人たちが語る学習観があるという。
「親世代にとっての勉強といえば努力・気合い・根性といった感じで、勉強はつらいもの面白くないものという固定観念があるように思います。それが子ども世代にダイレクトに伝わっているんですよ。ということは、大人の認識が勉強って面白いよね、楽しんでするものだよねという風に切り替わっていかない限り、次の世代は絶対に『勉強は面白くない』という価値観を引き継いでしまうということです」
予測不能な変化にさらされる現代、生涯学習という言葉が叫ばれるようになり久しい。社会人以降も進んで新たな知識、技能、教養を身につけ、自身を成長させる自主的な学びの姿勢は、今やどんな世代にとっても重要なスキルだ。
「生涯学習の最初に当たるのが義務教育。勉強のイメージを変えていくために、今の大人世代から変化させていかないといけない。そんな思いを込めて、生涯学習を楽しむ人材を育てるということをコンセプトにしています」
オンライン学習塾FLAPUPスクールでは、心理学やコーチングの知見を含む独自のメソッドにより、生徒一人ひとりの自主学習を支援。学ぶことが楽しいというマインドセットを創るための授業を提供している。勉強そのものよりも、目標達成のスキルや効率的な勉強法、学習計画立てに焦点を当てた実践的な内容だ。
講座の中では、生徒-保護者-塾の三者でチームを組んで目標達成を目指す「チームサポート制度」を取り入れ、家庭学習にプロの目線を取り入れて子どもたちの家庭学習をアップデートすることを提案している。
さらに、大人を対象とした学習会や講座も開催。思い思いの自習課題を持ち寄り、目標設定をしてから学習に取り組む。終了後は振り返りを共有し、勉強の満足感と集中力、モチベーションを向上させることがねらいだという。
ポジティブに学ぶ大人の姿を子どもが見ることで、学習に対する適切なマインドセットを養う効果も期待される。
「今後はこの学習の仕組みを、子どもへの向き合い方だったり、自習のサポートに必要なスキルとして体系化して、家で勉強を教えたいと思っている保護者さんなどに提供できるコンテンツをつくりたいと思っています。そうすれば親の愛情が上手く子どもに伝わらずにミスマッチを起こしてつらい思いをする子どもが減り、頑張れば頑張った分だけもっと成果が出るようになるのではないかと思うので」
報われない努力を続けて苦しむ必要はない。親にとっても子どもにとっても、勉強は楽しいものになり得る。ただ適切な向き合い方を知るだけで、将来の可能性が広がっていく。
FLAPUPスクールは、勉強に対する固定観念を覆し、誰もが能動的に学ぶことを楽しめる考え方を提案していく。
スクールの無料体験会で行われるセミナーの一コマ
ちょうど大阪と奈良の境目あたりに、育った町はある。四方を田んぼに囲まれた片田舎で、登下校にはあぜ道を進む。遊びといえば外で一輪車や竹馬の練習をしたり、家の中でお絵かきや折り紙をしたり。夏休みともなれば1日中妹と一緒に遊んでいたと松本は語る。
「3歳下と10歳下に妹がいます。私はすごく姉気質が強かったらしく、どんな友だちとおしゃべりしていても姉ポジションにおさまっていることが多かったですね。それが今も生徒さんとの関わりに出ているところで、近所のお姉さんに勉強を教えてもらっているぐらいの距離感で接してもらえるように、あまり先生という感じにならないように意識しています」
3姉妹を育てる両親の教育方針は、子どもから見ても厳しく感じていた。勉強や習い事はきちんと言われた通りこなすこと。それが何より大切で、幼い頃は『どんなときも両親が言うことが全て正しい』と感じていたという。
「大人になってから知ったのですが、両親は、とにかく賢い子に育てたいという思いで、色々としてくれていたようです。詳しい方に話を聞きに行ったり、教育熱心な方の意見を聞いて取り入れてみたりと、とにかく一生懸命やっていたと最近になって聞きましたね」
子どもたちがしっかりとした教育を受け、将来のためになる進路を選び、より良い人生を歩んでいく。そうして将来大きなこと成し遂げた時、たどったルーツの始まりに自分たちがいればこの上なく幸せだ。そう語る父の言葉がとても印象に残っていると、松本は振り返る。
2人の期待に応えられるよう愚直に努力していくうち、自然と周囲からは「真面目だね」と言われるようになった。当時はいわゆる大人の言うことをよく聞くいい子だった。
「すごく両親に褒めてほしかったんですよ。実際はどうかは分かりませんが、全然褒めてもらえなかったような記憶があって。頑張っても頑張っても認められない、うまくいかないという思いが子ども時代ずっとあったんです。褒めてもらえないのは自分がまだまだ頑張り足りないからで、もっと頑張れば褒めてもらえるのではないかという思いが、行動に表れていたのかなと」
小学校1年から始めたピアノは、同時に始めた妹の方が上達が早かった。勉強は得意で姉妹でも1番よくできたが、妹の方が勉強の仕方は効率的だと言われていた。要領よくなんでもできる妹と比べて、至らないところを指摘されることの方が多い。自分なりに努力を重ねていたものの、どこかいつも報われない感覚があった。
「今思えば挫折ばっかりしています(笑)。でも、幼少期に報われなかった思いがあったからこそ、今は色々とできるようになったという経緯があるので、この思いもプラスに変えられていると思っています。話だけ切り取ると少し暗いのですが(笑)」
小学4年生のとき、2人の妹と(左が松本)
努力がようやく成果に結びついたように感じられたのは、受験した私立中学校への合格が決まった瞬間だった。
「小学校6年生の時に、学校に行くのが嫌になった時期があって、それがきっかけで中学受験を決意しました。このまま公立中学には行きたくないと思って。準備期間が2か月しかなかったんですが、今まで勉強は頑張ってきたしチャレンジしてみようかと。文字通り死に物狂いでやって私立中学に受かったことは、1つ人生の転換点だったと思います」
一時は学校に行きたくなくて1か月休んだような時期もあった。しかし、結果的には受験という挑戦へと踏み出すきっかけになり、合格したことで自信がついた。さらにそこには自分にとって居心地のよい環境との出会いもあった。
「中学は楽しい思い出が結構残っています。波長が合う友だちができたんですよね。その友だちは私が今まで知らなかった世界に連れて行ってくれたんです」
面白い漫画を教えてもらったり、絵を描く楽しさを共有したり。仲良くなった友だちと、さらにその友だちへと輪は広がっていき、気づけば3年間でたくさんの友達ができた。
当時部活動は親の意向を汲んで吹奏楽部に入っていたが、心通じ合う友だちはみな美術部だった。親の言う通りの選択ばかりじゃない、自分自身の意思の存在を意識しはじめた頃だった。
「もう真面目一辺倒で、視野が狭くて、親の言うことを愚直にやる小学生だったんですが、新しい友だちと知り合って世界が広がったことによって、少しずつ工夫して楽しくするようなこともやるようになっていった時期でした」
たとえば、小学生時代はテスト前には勉強しかしてはいけないという強迫観念があったが、適度に休憩をはさんだり、ときには息抜きとして遊びの時間をもうけることで、メリハリをつけて勉強に集中できることもあると分かってきた。
もちろん最初からやるべきこととのバランスを取ることができたわけではなく、成績が下降した時期もある。しかし、いずれにせよ、ただ自分にとっての楽しみを遮断して闇雲に机にかじりつくばかりが勉強じゃない。義務として自分に課すだけのものが、努力ではないのだ。
つらくても苦しくても、決められた王道のようなものを必ず通らなければいけないという思い込みを手放して、前向きにやるべきことに取り組んでいく努力のイメージを掴みかけていた。
中学の卒業式にて、吹奏楽部の顧問の先生と
薦められた中学を受験し、部活に入り、勉強し良い成績をおさめる。振り返ってみれば、高校生になる頃まで、およそ全て両親の意思決定に従っていた自分がいた。
「高校は大阪府のトップ校に行くのがひろみにとって良いと、小学生の時からずっと両親に言われていたんです。そこに入ればバラ色の高校生活が待っていると両親は言っていましたし、私もその高校に行くんだと、ずっと信じて疑わずに勉強していました」
トップ校に入れば、友だちがたくさんできて楽しい学生生活が送れる。入学してみて、ことはそう単純な話ではないと知る。だが、吹奏楽部に入部したことで、少なくとも楽しい居場所を得ることができた。
「人数が100人規模で、夏のコンクールに向かってみんなで一丸となっていく。先輩たちのやっていることがまさに青春だったんです。高校生が寄って集まって、もっと良くしていくためにはと議論したり。そこでチームリーダーとして先輩からも頼りにされたり」
部活にのめりこみ、練習やその他の活動で忙しくも充実した毎日を送る。すると次第に勉強が疎かになり、成績は坂道を転げ落ちるように低下していった。
高校1年の終わり頃には下から数えた方が早いような順位を取って、両親からは塾に行くように言い渡される。ちょうど時を同じくして、部活では実績が評価され学生指揮という大役を任されるようになっていた。
「もともと部活は忙しいんですが、学生指揮になってしまってもっと忙しくなる。そこに塾を足したものだから完全にオーバーワークだったんです。部活の仲間ともやっぱり遊びたいから、遊ぶ時間を捻出しながら塾も通って部活もやって。そこで体力的にも精神的にもしんどくなってしまって」
自分の意思とは裏腹に、大事な部活に全力でコミットできなくなっていた。すると部内では「最近やる気ないんじゃない?」と言われることも出てくる。成績は塾に行っても上がらず、お金を出してもらっている両親にも申し訳がなかった。
愚直に向き合うほど余裕は無くなり、周囲の期待にも応えられなくなる。高校2年の夏以降、暗い場所でもがいては沈んでいくような、負のサイクルの中にいた。
***
悩みを抱えたまま解消されることはなく、そのまま大学受験の季節はやってきた。
受験先は京都大学を志望していた。当時遊んでいるように見えた先輩が現役で合格している姿を見て、自分でも合格できるのではないか、と感じたのがきっかけだった。落ちた成績も戻っていないのに、そう過信したことが仇になった。
「中学まで勉強を頑張っていた、できていた自負もあったんだと思います。現役では、受験した6大学見事に全部すべったんです。私立も滑り止めも全部落ちて。しかもその時、私は初めて両親の意見に背いて京大を受けると言っていたんですよね。今までお話してきたように、両親が敷いたレールの上を言われるままにずっと走っていたわけですが、初めて自分で意思決定をした瞬間、大失敗したわけです」
両親の反対を振り切ったにもかかわらず、マーク試験の結果が振るわずに、京都大学は受験することすら叶わなかった。言い訳もできない。
浪人生活に突入することが決まったことで、ふと立ち止まり自分自身を省みる時間が生まれた。考えてみれば、それまでいつも、うまくいかないことの原因を、両親や周囲の人間関係、環境など無意識に外に求めてきたのかもしれなかった。
「結局、私このままじゃだめだと思ったんです。いろいろな面で、親のことだったり、自分に都合のいいことしか耳に入れないことだったり、きちんと根拠も調べずに信じることだったり、全部だめだと思ったんです。そこから人としての在り方を根本的に変えていこうとしていきました」
自分の実力と現在地も把握せず志望校を決めたり、学生ながら塾講師を評価するようなスタンスで授業に臨んだり。自分のやり方や勉強に対する心構えを疑いもしなかった。
ただ躍起になって、努力したつもりになっていた。それでは効果がついてくるはずはない。心を入れ替えて自分の悪い部分と向き合い、改善していくべきだと思った。
まずは、両親の意見にただ従うのではなく、きちんと自分自身で思考すること。それを真正直に伝えるのではなく、受け入れられやすい表現や言い回しに工夫することなどに目が向いた。
それにより、地元ではなく都会である梅田の予備校に通わせてもらう許しを得たり、2度目の志望校として行きたい大学を選べたりと、自分でも納得感のある意思決定が増えてきた。
「今までお話ししてきた通り、ありのままの自分自身でいることで上手くいかなかった子ども時代だったんです。それが逆に功を奏した瞬間で。素のままだとうまくいかないという前提があるから、自分のこだわりとかは全部捨てて、なんでも変えてやろうという精神になれた。捨てると決めたら全部捨てられたんです」
ありのままの自分でうまくいかなかったから、今がある。
自分と向き合わず、見せかけの努力だけ積み上げていた過去。唯一自信のあった勉強で挫折を味わったことで、在り方を根本から考え直す機会となった。
やり方次第で、結果はいい方向に変えられる。うまくいかないことがあったとしても、自分をあきらめる必要はない。
自分自身のあり方や勉強法を一から見直し、高校3年分の範囲を1年かけてやり直す。今までずっとつらくて苦しいものだった勉強が、日を増すごとに楽しく能動的なものになっていくのを感じていた。
当時大いに助けになってくれた存在は、予備校の数学の先生だった。勉強の仕方一つとっても根拠をもって考えることであったり、知識を体系化して理解していく視点を教えてくれた。
「浪人生になって、ようやく勉強のやり方も分かってきたんですよね。こうすると自分は効率が上がるタイプなんだなとか。勉強への向き合い方についても、これまでみたいに斜に構えることがなくなったからか、成績も上がっていきました」
ようやくまともに勉強と向き合えることができた。努力した分だけ成果が出ることが嬉しい。予備校の先生と巡り合えたことに感謝した。2年目は無事第一志望だった奈良女子大学に合格することができた。
先生という存在は、人生でも大きな節目の結果を左右する。そう身をもって実感したからかもしれない。大学入学後は、自然な流れで個別指導塾でのアルバイトを始めた。
もともと妹にはよく勉強を教えてきた。実際に働きはじめると、半ば趣味でやっていたことが人に喜んでもらえて仕事になるのだと、良い意味で衝撃を受けた。
「講師として結構人気をいただきまして。社員さんに伺って今でも覚えている出来事が、中2の女の子が社員さんに『先生、私すごい好きな先生がおんねん』と言ったんですって。『えっ、どの男性講師やろ』と思って身構えたら、『ひろみ先生がほんまに好きで、どうしても教えてほしいねん』って言われたという話を聞いて(笑)。嬉しかったですね。あの時は本当に楽しかったなという記憶が残っています」
理系だった経験を活かして理数系の科目を教えはじめたが、理数系科目を教える女性講師は少なく、需要が高い。おかげでアルバイトは常にフル稼働で、気づけば小学1年生から高校3年生までを受け持っていた。
「塾講師って学生アルバイトがほとんどで、先生のスキルの差が如実に出るんですよ。どの先生にあたるかで、生徒さんの未来が変わってしまう。だからこそ、私にあたった人は『大当たりだった』と大満足して帰ってほしいなと思って。自分がかかわった生徒さんには伝えられるだけ全部伝えようというモチベーションでした」
勉強には楽しく、かつ結果の出やすいやり方があるのだということを伝えたい。自分のように苦しい道はたどってほしくない。だからこそ、伝えられることは惜しまず全て伝えたかった。
自然と授業には本気の熱がこもり、ありがたいことに大学4年間で受け持った生徒たちは皆、「絶対ひろみ先生の授業を受けたい」と言って、時間を調整してまで塾に通ってくれていた。
「中学受験も経験しているから、中受算数も対応していました。それまで勉強で苦しんできたことや経験が、全部塾講師として働いたときにようやく噛み合ってきたような感覚でした。特に、私が挫折した京大に、生徒さんが現役で受かってくれた時は本当に嬉しかったですね」
大学時代、塾講師のアルバイトの送別会にて
塾講師としてよりよい授業を考えるにあたっては、日々教えながらの試行錯誤が必要だ。どんな喋り方が生徒に受けるのか、どこまで崩すのが適切か、言いにくいことを言ってもらいやすくする雰囲気づくりとは何か……。コミュニケーションについて学びの多い4年間だった。
さらに、同時期に独学でグラフィックデザインの勉強を始める。昔から絵を描くことは好きだった。自分には才能がないと半ばあきらめていたのだが、アルバイト代を貯めパソコンを手にしたことがきっかけとなった。自然と学習欲が湧き上がる。当時大学で在籍していたギターマンドリン部の演奏会開催にあたってはパンフレット制作を依頼され、自らデザインしたもので喜んでもらうという貴重な経験もした。
「自分のやりたいことを捨てて、人に求められるものを追求して喜ばれた経験が重なって、たぶんそれまでの自分は我が強かったんだなと気づきました。生き方として、いかに人に受け入れられるかを考えず、ただ自分がやりたいことをやって評価されないと嘆いていた感じだったのかもしれないと」
自我を前面に出すよりも、人がどう感じるかを考えて自分を求められる在り方に寄せていく。それにより得られた成功体験があった一方で、別の弊害もあったという。
「何事もバランスが大事だと思うのですが、大学時代は他人軸に振りきってしまった時期でした。それが現れた意思決定が就職だったと思います。私は個別指導でお世話になった学習塾さんの系列で、集団指導の塾講師の内定をもらっていたんです。でも、両親は公務員になることを強く勧めていて。そこで我を押し通すことは、今までの挫折経験から、どうしてもできませんでした。だからその時、『一度公務員になる、ただし30歳までに独立する』という目標を立てて、コミットすると決めたんです」
人に求められることと、自分の意思を貫き通すこと。誰かの役に立つ自分であることを考えると、どちらも大切で、簡単にどちらか一方を選択すればいいという話ではないような気がしていた。
少なくとも、自分が納得できる道を選ぶこと。前向きに進みたいと思える選択と、そのための目指す未来を考えてきた。
大学では建築系の学部で学んだので、建築技術職として大阪府に入庁する。最初の配属先は、現場中心のいわゆる泥臭い部署だったという。
「大阪府営住宅の改修工事の工事監理を担当をしていました。現場に行って業者の方とお金の折衝をしたり、足場に乗って検査したり、住民さんに対して『こんなスケジュールで工事します、暗くなるのでごめんなさい』と伝えたりする仕事でした」
公共の福祉のためになる、しかし決して華やかではない仕事だ。地道なコミュニケーションによる根回しや調整が大切になる。そんな仕事を円滑に進める上では、直属の上司はまさに手本と言える人だった。チーム内での動き方など多くを教えてもらい、手厚くサポートしてくれる。仕事でつまずくことがあれば、気さくに飲みに連れ出してもらったり美味しいものを御馳走してもらった。
人生を変えてくれたと言っても過言ではないくらい、上司との出会いは感謝すべきものだった。だからこそ余計に成果を出したいと、仕事には前向きに取り組んだ。
公務員時代、お世話になった上司と
「1年目の終わりぐらいに、人事評価で最高値をいただいて。これからも、もっともっと今以上に評価されるように頑張りつづけるのか、と思った時に、ふと私が目指しているものってなんだろうと考えたんですよね。一体どうなったら人生満足なんだろうと。極端ですけど、後世まで功績が語り継がれて、あの人がいたから今の豊かな時代があると思ってもらえるようなことなのかなとイメージしてみたりもしたんですが、それだったら私、この世にいないから、その成果を得たと実感できないまま一生を終えることになるではないか、と(笑)。このままでは、満足感が得られないまま人生が終わってしまうと感じはじめて」
絶対にこのままではまずい。焦燥感に駆られてくる。改めて自分の原点を顧みると、結局目指したいと思えるゴールは一つに絞られていった。
「やっぱり30歳までに独立したいという思いがあって、何で独立するかということはずっと考えていたんです。行き着く先は、自己表現としての起業でした。やっぱり教えることが根っから好きだったんですよね。私にできることで人の役に立つことを考えたら、これしかありませんでした」
公務員志望の後輩から相談を持ち掛けられたり、民間から公務員への転職を考えていた夫を二人三脚でサポートしたり。相談してくれる人の役に立ちたいという思いは、自然と強く沸いている。
人が目標に向かい努力したり、成長していく過程を支えたい。幼少期から多くの挫折に苦しんできた経験があるからこそ、社会人以降、心理学やコーチングなど心の仕組みについて自主的に学ぶなど、教育というものに対してアンテナが立ちつづけている自分がいた。
2020年9月、第一子出産を機に退職。かねてより少しずつ進めていた学習塾事業立ち上げに向け、本格的に動き始めることにした。
「きっかけがないと、公務員という完全安定の身分を捨てることを躊躇していたかもしれません。でも、娘を妊娠した時に『この子が私を外に連れ出してくれる』と思ったんです。今でも娘には感謝しています」
松本にとって出産は、自身が本当にやりたかったことと向き合うきっかけであり、起業の背中を押してくれる出来事だった。
改めてやりたかった教育を考える。自ら進んで努力し学びを楽しむ人を世に送り出すこと。そのために、生徒一人ひとりに深くかかわり支援してあげること。さらに、学生時代に塾講師として働いていた際に感じた課題感、すなわち家庭での自主学習までもサポートしたいという思いがあった。
従来の学習塾であれば、親の認識は「塾に通わせれば安心で、塾に通ってさえいればなんとかなる」となってしまいがちだ。しかし、子どもが正しく勉強と向き合い、成果に繋がる努力を続けるためには、日々の生活を含む時間の使い方や親から子へのかかわり方が重要な要素になる。
各ご家庭を最高の教育機関にすることこそが子どもにとっての理想であると確信していたからこそ、授業は完全オンラインにすると当初から決めていた。
2021年、オンライン学習塾FLAPUPスクール(旧 松本ひろみ個別指導)を設立。なぜ通塾ではなくオンラインなのか。はじめは理解してもらうまで時間がかかったが、時を同じくして新型コロナウイルス感染拡大に伴う学校の休校が始まったことにより問い合わせが急増し、事業は軌道に乗りはじめた。
頑張る人の努力が必ず報われてほしい。そんな世界であるべきだと信じている。だから、FLAPUPスクールは学び成長することを楽しむ心を伝えていく。
積み上げた失敗が大失敗に繋がるように、挫折を重ねた人生だったと、改めて松本は振り返る。
「いろいろな挫折をしてきたんですが、振り返ってみると当時報われなかった思いが自分の根っこになっているんですよ。いろいろなことが発展して今の自分があると思うと、たとえ今つらい渦中にいたとしても、そこから目をそらさずに真摯に向き合えば、絶対に最後には自分の糧になると思っています」
現実のつらさに耐えかねても、そのつらさが永遠に続くことはない。きっと大きく落ち込めば落ち込むほど、高く跳べる。挫折は次に高く跳ぶための準備だと思うこと。そこから何を得るかは自分次第だからこそ、あきらめる必要はない。
「(あきらめないために必要な心構えは、)自分を変えることを恐れないことですかね。私自身、ベースとなる素材はありながらも、自分自身を作り変えてきた感覚があって。変化の多い時代ですが、自分をアップデートすることをためらわないことが大切なのかなと思います」
人は楽な方に流されがちであり、どちらかと言えば変わらない方が楽である。しかし、過去の延長のままでは対処できない壁に直面したとき、変化を恐れないでいられるかがその後の成長や命運を分けることがある。
逆に言えば、成長には失敗や挫折が不可欠なのだろうか?必ずしもそうではないと松本は考える。
「私の経験って、誰がみても分かりやすく”挫折”なんですよね。でも、人によっては、ほんの些細なきっかけでも、人生の転換点になることがあるのではないかと。それはおそらく受け取り手の感じ方であり、向上心とか『もっとよくしたい』という思い、現状に満足しないモチベーションなのかなと思います」
自己を客観視し、きっかけを自ら創り出す。このままの自分ではいられないと、唐突に理解する瞬間。悩みに悩み抜いたあとに、その時は訪れる。
変わることを恐れずに、学び成長することを楽しんでいく。そうすれば誰もが生涯成長できる。
2023.1.12
文・引田有佳/Focus On編集部
社会に出てからも学びつづけ、自らの手で人生をより豊かなものへと変えていく「生涯学習」や「リカレント教育」などの概念が叫ばれるようになり久しい。
経済協力開発機構(OECD)が実施した「国際成人力調査(PIAAC 2012)」によると、日本では学校で学ぶ成人が1.6%と、調査対象となった先進国18か国中最も低い割合だという。しかし、自主的に新たな学びを得ることで、社会や環境に依存せず自己実現していく道が開かれる。
「義務教育は生涯学習の始まり」と松本氏は語る。「勉強は面白くない」という固定観念により、挫折してしまう子どもたちを支える必要性があるという。勉強そのものが悪いわけではなく、問題は正しい学び方を教えてもらう機会が十分ではないということだ。
だからFLAPUPスクールでは、子どものうちから楽しく学ぶ姿勢を自然に身につけられるような機会を提供する。これからの時代を生き抜く人にとって、「人生のための教育」となるのだろう。
文・Focus On編集部
FLAPUPスクール 松本ひろみ
代表
1991年生まれ。大阪府出身。大学在学中、個別指導塾にアルバイト講師として4年間勤務。小学校1年生から高校3年生まで、のべ4,000人もの生徒様の理数教科を担当する。わかりやすく楽しい授業と勉強のやり方がわかり確実に結果が出る指導で、教室内でもトップ人気講師となった。卒業後、2016年より大阪府庁に入庁、建築職職員として勤務。2020年9月、第一子出産を機に、公務員を退職。個人で学習塾事業を立ち上げ、今までにない自主学習サポート事業を展開する。学校教育を活用して人財育成を行うべく、学ぶことを楽しむマインドを作る環境を提供している。