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仮説と検証は冒険といえる ― クリエイターのための新たな「3種の神器」

仮説検証は、ちょっとした冒険に似ている。まだ見ぬ世界へと一歩踏み出し、行動してみる。そこから世界は広がっていく。


あたかも魔法のように作品を生み出すクリエイターたちの左手に、最適なデバイスを。株式会社BRAIN MAGICが開発する「Orbital 2」(通称、O2)は、これまでキーボードのショートカットキーやUIで行われていた煩雑な動作を、手のひらに収まるたった一つのデバイスに集約する。デジタルハリウッド大学大学院からの学発ベンチャーであり、アキバ発ベンチャーである同社。2018年には、任天堂の「ファミリーコンピュータ」やMicrosoftの「Xbox」もそこで産声を上げてきた、ラスベガス開催の世界最大級Techイベント「CES」へ異例のスピードで出展を果たした。国内販売のみならず世界展開を見据える、同社代表取締役の神成大樹が語る「ものづくりに生きる人生」とは。




1章 クリエイティブシーンの変革


1-1.  脳が創り出す世界


夢のような想像をしてみよう。たとえば、未来のクリエイターはどんなものづくりをしているか。体はVR世界とつながれるポッドの中へ、脳を直接ハックされ人工知能と対話する。脳が自由に生み出すクリエイティブの世界。100%創造に集中できる環境で、クリエイターはすべての感覚を手に入れる。もっと先の未来か、あるいはそれは意外と近い未来となるか。夢で描いた世界を現実にする、そのための技術を追い求めてきた人がいる。


クリエイター用の左手デバイス「O2(オーツー)」を開発する株式会社BRAIN MAGIC。テクノロジーの力で世界のクリエイティブを加速させる同社は、日常や仕事のさまざまなシーンに潜むストレスや非効率性を排除し、最適化するソリューションを提供していく。2017年9月には、ウィルグループ、デジタルハリウッド、ABBALabを引受先とする、数千万円規模の第三者割当増資を実施。さらに2018年1月、米国ラスベガスにて開催されたコンシューマー向け家電見本市「CES(Consumer Electronics Show)*」に初出展を果たし、海外のクリエイターをはじめホテル・自転車などクリエイティブの外の業界関係者からも、そのインターフェースとしてのポテンシャルの高さに注目が集まった。(*毎年1月、全米民生技術協会 (CTA) が主催し、ネバダ州ラスベガスで開催される世界最大級の見本市。「ファミリーコンピュータ」や「Xbox」をはじめ多くの新製品が発表され、プロトタイプが展示されてきた。https://ja.wikipedia.org/?curid=1481875より)


同社代表取締役の神成氏は、高校生のときからフリーランスのイラストレーター、デザイナーとして活躍してきた。大学卒業後、ソーシャルゲームのイラスト、UI等周辺デザインを担う株式会社B.C.Membersを友人とともに創業し、取締役として参画。イラストレーターやアートディレクターとして、自身も腱鞘炎に悩まされながら仕事を行ってきた。のちに、社会人大学院生としてデジタルハリウッド大学大学院に入学し、学内での研究開発から生まれた「O2」をもとに3年後スピンアウト、2016年、株式会社BRAIN MAGICを設立した。


「テクノロジーが進化していくなかで、その時代のものづくりとか、その時代のクリエイティブというものを、きちんと作っていきたいなと思っています」


作り手として自身の描く世界を形にしつづけてきた、神成氏の人生に迫る。


1-2.  人間の感覚


ときに人の心を動かし、まだ見ぬ価値を創造していくクリエイティブ。多くの人の目に留まる作品そのものとは対照的に、それが生み出される現場についてはあまり知られていない。


どんな仕事においても、長時間に及ぶ作業は健康上の負担が大きい。にもかかわらず、これまでクリエイターの作業環境における肉体的運動はあまり科学されてこなかった。


クリエイターの作業には連続性のある入力が多い。たとえば、絵を描く際の「拡大・縮小」や「戻る」を操作するショートカットキーの入力は、作業によっては1時間に1000回以上の連打になることもある。液晶タブレットを使う場合、画面に貼り付けたキーボードを操作するため長時間手を上げた状態は、医学的にも肩や肘、手にとって非常にリスクがあるという。


そんな問題に苦しむクリエイターのための最新型入力デバイス「O2」は、自身もクリエイターとして腱鞘炎などに悩まされてきた神成氏の「ものづくりへの好奇心」から生まれた。


「当時デジタルハリウッド内でもIoTが流行っていて、素人でもちょっとした電子工作を使ってインターネットから情報を取って、LEDを光らせたりモーターを動かしたりできる授業があったんです。そのとき初めて、コンピューター上ではなく物理的に動くものをつくる体験をして。私自身クリエイターとして活動していたころから、けっこう腱鞘炎になっていたので、こういう技術があるのなら、それを解決できるかもしれないと思ったんです」


https://www.youtube.com/watch?v=XESPCjtFlrIより。


知識や技術はなかった。けれど、解決したい問題だけははっきりしていたと語る神成氏。


最初のアプローチは、視点計測だった。イメージしたのは、「見る(視点)」だけで入力ができるデバイスである。しかし、実際に作ってみると、人は意外ときちんと対象を見ていないことや、絵を描くときは操作のUIを見るよりも、絵を描く画面に集中したいのだということが分かった。脳波によってコントロールできるデバイスの構想を練り、他社製品を用いて試作したプログラムを動かしてみたこともあるが、繊細な操作の入力には適していなかった。


「自分たちが欲しいものってこれじゃない。じゃあ何だろう。もっと上位概念を抽出しないといけない。なんでキーボードじゃダメなんだろう、なんでUIじゃダメなんだろうと突き詰めていったら、人の感覚ってボリュームなんですよね。キーボードって1か0じゃないですか。音を大きくするとか、拡大・縮小したり回転したり、90度手で回すのは簡単なんですけど、キーボードだといろいろ面倒くさい手順を踏まないと操作できないようになってしまっているんです」


人間工学に基づき設計開発された「O2(オーツー)」は、従来のインターフェースの足枷(手枷)からクリエイターを解放し、作業を加速させてくれる画期的な入力デバイスである。シンプルなジョイスティックとダイヤルの組み合わせにより、複数のパラメータ調整を左手で行いながら、右手は描くことに集中できる。さまざまなクリエイティブソフトにも対応し、「作業時間の短縮」と「疲労の緩和」を実現する。神成氏自身、お金になると思っていなかったプロダクトは、大きなニーズとともに世の中に迎え入れられることとなった。


「学内で研究発表をしようとしたときに、『特許が取れるかもしれないからまだ完全に発表しない方がいい』と言われて、確認しはじめたら特許を取れそうだということになって。そのあとすぐに欲しいという人も出てきて、『ぜひ使いたい』という声を多くいただいたんです」


イラストレーターや動画クリエイターをはじめ、世界を変えうるすべてのクリエイターたちへ。数多くの機能を最小限の動作でコントロールし、クリエイティブシーンに革新をもたらす未来のデバイスを送る。


パソコン、マウス(または液晶タブレット)そして「O2」。クリエイターの環境は変革を迎える。株式会社BRAIN MAGICは、「Creating Re-Creation」(創造性の再構築)をミッションに掲げ、人類の未来を描くクリエイティブを支えていく。


2018年1月、米国ラスベガスにて開催された世界最大級のコンシューマー向け家電見本市「CES(Consumer Electronics Show)」に出展した際の様子(https://www.facebook.com/brainmagi/videos/924991641012577/より)。


2章 生き方


2-1.  勤勉な家族


東京都心からしばらく電車にゆられていった場所にある郊外。発展途中の小さな駅前都市と、豊かな自然の残る街で生まれ育った。両親と自分、6歳離れた妹。幼いころを思い返すと、まるで見習うべき手本のように完璧な家族だったと、神成氏は語る。


「本当に絵に描いたような完璧な親なんです。よくテレビドラマとかで、夫が仕事に出かけたら家事をサボっている妻みたいな描写があるじゃないですか。そういうことはなくて、ただひたすら掃除したり、あるいは音楽の趣味に精を出したりとか」


勤勉な両親は、仕事や家事に手を抜くようなことはしなかった。学業においても優秀で、勉強しなくても勉強ができるような人たちだったという。


「勉強する意味が分からないんですよ、勉強嫌いからすると。だから、勉強で戦いに行っちゃいけないなって強く思いました」


神成氏にとって、嫌いな勉強をつづけていくことは耐えられるものではなかった。「やりなさい」と言われ仕方なく机に向かうものの、両親と同じような道を歩むのは自分には無理だろうと思っていた。


「『あの人たちはサボらないんだなぁ、見ていてすごいな』と思いつつも、ただ自分は同じ方向には行けなさそうだなと思っていました」


地元の幼稚園に入ると、漢字教育や英会話、音楽会ではベートーヴェンの交響曲第9番を歌う、教育熱心な環境だった。同時に、たくさんの習い事も経験させてもらってきた。ピアノにはじまり、国語、算数、水泳まで。はじめる前は「かっこいいかな」と思うものの、どれも長くはつづかなかったという。


優秀な家族と、そうはなれない自分。幼いころから、自分が「やりたい」と思うことをやりたかった。ただ無条件に「やるべき」とされることをつづけることは、どうしてもできなかった。



2-2.  目的が分からない勉強は嫌い


勉強を好きになれなかったのは、そこに目的を見いだせなかったからだった。


「たぶん目的が分からないものに対して時間を使うことが、黙ってそこに座っていろと言われるのと同じくらい耐えられなくて。目的があって、その目的が自分のやりたいことと合致していればいいんですけど」


単に勉強しろと言われてもつづかない。母親に褒められたいから勉強するというのもどうも違う。自分がやりたいことではない勉強には、それをやる理由が欠如していた。


幼いころを思い返すと、勉強になるものはすぐに買ってもらえる家だった。誕生日プレゼントの包みを開けて国語辞典が出てきたときには、子どもながらにショックを受けたと振り返る。


けれど、クラスの誰もが持っているような流行のおもちゃなど、欲しいものはなかなか買ってもらえなかった。代わりに両親が選んだのは、レゴや粘土や紙など、工作に使えるものや、ものを作るのに必要なものだった。


「おもちゃを買ってもらえなかったっていう記憶がすごくあって。だから、当時流行っていてみんなが持っていたジュウレンジャーとかカクレンジャーとか、戦隊モノの変身グッズのおもちゃとか、しょうがないから自分で紙とかレゴで作っていました」


友達と一緒に遊ぶには、同じおもちゃを持って混ざるしかない。欲しくてたまらなくなり、仕方なく自分で作りはじめていた神成氏。


ものづくりであれば、自分のやりたいことと一致する。勉強も習い事も、すべてつづかなかった神成氏が、唯一つづけたいと心から思えていたのは工作だった。


自分が頭に描いたものを作り上げることができたとき。どの材料をどのように使えば、どんなものが作れるのか理解したとき。自分だけの世界のなかで、大きな満足感を得ることができた。作ったものが人に認められることも、やりたいことの延長線であれば、なお嬉しい。


作りたいものは無限に浮かぶ。与えられたレゴブロックや粘土で、つくっては壊しを夢中で繰り返す毎日。限られた素材を活かし、欲しいおもちゃを形にする。少しでもイメージに近づけるため、ベストな作り方を求めて探求する。そんな試行錯誤に、クリエイターとしての神成氏の原点がある。



2-3.  祖父のDNA


ものづくりは、自分の欲しいものを手に入れることができる。欲しい世界を自ら作り出すことができる。そんな生き方は、もしかすると母方の祖父に似たのかもしれない。


奈良県で百姓の家に生まれ、大家族の長男として家を継ぐことが決まっていた祖父もまた、家業を継ぐ人生から逃げだし、自ら生きる道をつくっていった人だった。


「もともと『絶対に百姓はやらん』って言って、10代でいろんなビジネスを始めて、20代前半では小さなビルを建てていたり、聞けばいくらでもそのような話の出てくる面白い人なんですね。私が物心ついたときには貴金属店と眼鏡店と時計店をやっていたのは覚えているんですけど、それ以外にも寿司屋とか喫茶店とかアイスクリーム屋に不動産屋に、いろいろ手を出していて」


祖父は百姓として生きるよりも、学問や商売の方に関心があったようだった。子どものころには、人を巻き込むガキ大将だったらしい。朝学校に登校する前にお総菜を買っていき、それを学校で売り利益を上げるなど、当時から事業家としての才覚を見せていたという。


祖父のお店は最終的に、地方のローカルテレビでCMを流したり、有名人をイベントに呼ぶなど、それなりの成功を収めていたようだった。そんな祖父のお店に遊びに行くと、さまざまなものが溢れていて面白かったと、神成氏は振り返る。


「祖父はもう90近いですけど、ものすごいバイタリティですね。朝4時とかから活動しはじめて、ずっと仕事して、夜10時くらいにパタッと倒れて寝たら、また朝4時に起きて。今も仕事をやっているし、いまだに現役です。まぁけっこう体はきついみたいですけど、まだまだ真似できないですね」


活動的で、新しいものに目がなかった祖父は、時代の最先端を行く人でもあった。家族で最初にパソコンを触ったのも、最初にスマートフォンを使い出したのも祖父だった。昔から趣味はラジコン飛行機ヘリで、ドローンは話題になる前から持っていたという。興味がそそられたものは、何でもとりあえず手にしたくなる人だった。


そんな祖父の遺伝子か、幼いころの神成氏もまた好奇心旺盛で、じっとしていられない子どもだったという。気になったものがあればそこへ行きたくなり、「ここにいなさい」と言われるだけではそこにいたくなかった。幼稚園の塀を乗り越えて家に帰ろうとしては、よく先生に追いかけられた。


「一旦嫌だってなると徹底的に逃げるので、相当困らせたと思います。目を離すとすぐに逃げてくので、先生の膝の上に置かれていたくらいです」


幼稚園の英才教育。たくさんの習い事。目的の分からないものに向き合いつづけるのは面白くなく、逃げ出したくなった。目に付いたもの、興味を引かれるもの、ワクワクするものに熱中する。今ここではないどこか、心躍る世界を探していたのかもしれない。



2-4.  自分の考えは言ってはいけないもの


ゲームを買ってもらえなかった小学校時代は、家で工作をするか公園で走り回って遊んでいた。当時スポーツとはあまり縁が無かったが、一時期体操クラブに所属していたこともあり、身体能力は高い方だった。忍者ごっこと称して友達と塀の上などに登っては、やんちゃに遊び回るのを楽しんでいた。


一方、嫌いだった勉強からは次第に離れていくようになる。毎日毎日決まった時間に学校へ行き、好きではない勉強をして過ごす時間がどんどん耐えがたいものになっていたのだ。


「小学校3年生くらいで、あるとき本当に嫌になって、学校にも通わなくなったんですね。もう嫌だと駄々をこねて学校に行かなくなって。そうしたら親が分かったと。『学校に通わなくてもいいから家の中にいるのはダメだ、どこか外に行って世の中を見て来なさい』と言って、山村留学*という自然学校みたいなところに、駄々をこねる私を送り出したんです(*自然豊かな農山漁村に、小中学生が一年間単位で移り住み、地元小中学校に通いながら、様々な体験を積む活動のこと。http://www.sanryukyo.net/blognplus/index.php?c=1-より)


豊かな自然のなか学び、集団生活を送る山村留学。そこには、さまざまな理由で通う子どもたちがいた。地元だから通っている子、神成氏と同じような理由で通常の学校に通わなくなっていた子。いじめられていた子も、いじめをしてしまった子もいた。いろいろな理由があり、いろいろな人がいる。徐々に仲良くなって話を聞いていくと、「世の中いろいろな立場があり、そういった事情を抜きにすれば誰とでもコミュニケーションを取れるのだ」と学んだ。


あるとき面倒見の良い小学校の先生に声をかけられ、久しぶりの学校に行ってみると、そこでは思いのほか、同級生たちが気兼ねなく接してくれたので驚いた。


「それを経て、怖いものが減った気がします。小さいときって、自分以外の存在ってすべて未知なので、自分に向けられる視線を勝手に想像して怖くなるというのがあると思います。宿題忘れてきたら先生に怒られる、どうしようとか。でも、『なんか意外と大丈夫そうだぞ、これは自分勝手で生きていくのもいいな』と、完全に開きなおったというか、確信したきっかけになりましたね」


山村留学では、さまざまな境遇にいる子の話を聞いた。久しぶりに戻った学校では、周りの子たちが暖かく迎え入れてくれた。世の中にはいろいろな考えを持った人がいるし、それを受け入れる社会もある。そのころから、だんだんと自分のやりたいことに素直になっていく神成氏がいた。


基本的に勉強嫌いなところは相変わらずだが、抜けていた勉強範囲のなかでも、公式さえ覚えれば問題を解くことができる算数だけは唯一好きになることができた。すぐに遅れを取り戻すことができ、自信もついた。「公式」と「数字」という材料を集め、理想の結果がでてくるまで追い求める。その過程は、熱中していたものづくりにも似ていたのかもしれない。


進学した中学校でも、好きだったのは物理や数学だ。特に、図形や立体の問題はパズルのようで、暇さえあれば解いていられるほど熱中できた。


答えにたどり着くという目的のために、どの公式を当てはめれば良いか考える。正解へと導いてくれる解き方やロジックを見つけていく。その繰り返しに、夢中になった。



2-5.  すごくきれいな夢をみた


もともと読書が好きで、中学のときは一日一冊本を買って帰り、読むのが楽しみだったという。自分でも小説を書いてみたいと、筆を執ってみた。どうせならそこに添える絵も描こう。ものづくりが好きだったからこそ、自然とそう思えていた。


ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』のようなファンタジーで、自分だけの空想の世界を表現する。あるとき見た夢をきっかけに、気づけば、絵を描くという行為自体にのめり込んでいた神成氏がいた。


「すごくきれいな夢を見たんですよね。それを今でもずっと覚えているんですけど、巨大な温室なんです。ガラス張りのドーム状で、その向こうは海なのか水が広がっていて、あまり明るくない、暗い光が微妙にキラキラしていて。そんな光景を夢で見て、妙に綺麗だったことを覚えていて。そこから、それをアウトプットしたいと思って絵を描くようになったんです」


今ここではないどこか、誰も知らない場所。自分だけの空想の世界。頭の中にあるとてもきれいな風景を人に伝えたい。そのための手段として絵を描くようになった。


自分の絵の技術が足りなければ、パソコンの3DCG技術で表現できないかと考えるようになった神成氏。小学校から授業で触れていたパソコンがどうしても欲しくなり、中学のときに自分のパソコンを買ってもらった。初めてリアルなテクスチャーや質感でものをつくることができ、中学から高校にかけては3DCGの絵を描くことにひたすら熱中していた。


「歌う人も、絵を描く人も。たぶん人って、自分の心に一番強く影響として残っているものを同じようにトレースしたい、自分が人生で一番影響を受けたものだから自分もそれをやるみたいなことってあるじゃないですか。人に影響を与えるっていうところに、人って価値を認めたり、やろうと思う傾向があると思うんです」


自分の頭の中に広がる世界を、3DCGで現実に形にする。初めは簡単に作れる地球儀や砂時計などから、徐々に複雑なものへ。作業に没頭していると、時間も忘れていた。当時のパソコンのスペックでは、作業してからパソコンに計算させ、レンダリングするのに時間がかかる。レンダリング中に睡眠を取り、終わるころに起きては、また作業する。そんな生活を高校まで繰り返し、一時は自律神経失調症になりかけたこともあるという。


つくった作品は親しい友達に見せることもある。しかし、何より自分が満足いくものをつくれたかどうかが、神成氏にとっては重要だった。心に残る原風景を描きたいという目的から、いつしか「描く」という手段自体に夢中になっていたのだ。



2-6.  人生初の仮説と検証


中学生のときのお小遣いは、まわりと比べて少ない方だった。学校帰りのコンビニで、友達と何気ない買い食いを楽しむほどの余裕はない。どうにかしてお金を増やす方法はないかと考えていると、帰り道、金券ショップに貼られている1枚のビラが目に留まった。百貨店で使える全国共通の1万円商品券が、皺を理由に9100円ほどで売られていたのだ。


「『これを買って小田急で使うとお釣りが来るのかな?来たら増えるのかな?まさか増えるわけないよな』と思って。最悪1万円分小田急で買い物すればいいからやってみるかと。人生初の仮説と検証ですよね。そしたら実際にお金を増やすことができて、毎日学校の帰りにそれをやるようになって(笑)」


金券ショップで売られている10000円分の商品券を9100円ほどで買い、小田急の文房具店で50円の消しゴムを買うときに使う。すると差額で、850円ほどの現金が手に入るのだ。


探してみれば、世の中にはそんな「価値の非対称」がたくさん存在していた。ブックオフでは100円で売られていた何気ない古本が、神保町の古本屋で3万円に化けたこともある。それぞれの商品はいくらで売られるものなのか、手元にある情報をベースに仮説を立て調査を行い検証するという行為の繰り返しによって、お金を増やすことができるのが面白かった。


お金に対する価値観が変わったのは、高校生2年生のときである。熱中していたイラスト作成で、突然仕事の依頼が舞い込んできたのだ。趣味で制作していた複数のホームページを見た人から、とある商品の宣伝用に、瓶に入った化粧品の姿を3DCGできれいに作れないかという依頼だった。今考えれば破格の値段で引き受けた。けれどそれは、初めて手にした仕事の対価だった。


「7000円とか8000円とか、めっちゃ安い金額で。でも、嬉しかったですよね。今までお金がつかなかったものに対して、人からお金がもらえるんだと思いました」


それまでお金は、市場における価格の差で増やすことができると思っていた神成氏。まさか自分の技術にお金がつくとは思っていなかった。趣味が仕事になるんだ。自分の技術次第で稼いでいくことができる。


最初の仕事を引き受けてから高校を卒業するまで、ホームページ制作やイラスト着色など、いくつか小さな仕事を受けた。食べていけるほどではない。しかし、将来は絵で食べていけるのではと真剣に考え始めるには十分なほど、その世界は目の前に広がりつつあった。



2-7.  絵はロジックで語れる


大学は私大の芸術学部に進んだ。ブランド力のある東京藝術大学の先端芸術表現科とも悩んだが、3Dモデリングソフト「Maya」を学べることや、藝大の先端芸術表現科の卒業制作展にある前衛的なオブジェなどが理解できなかったこともありやめた。当時の神成氏は、作品の芸術性よりも技術を重視していたのだ。


「今見に行ったらすごく楽しめたと思うんです。藝大の卒展とか行くと、けっこう先端は面白いし技術力があるので、『こういう発想なんだ、それは新しいね』ってその新鮮さに面白さを覚えるんです。でも、当時はどっちかっていうと技術が大事だと思っていた人間で、技術ってやっぱり比較して高いものか低いものかって判断するので。あんまり自分自身は芸術っぽくはなかったですね」


大学時代は授業に出ず、ほとんどの時間を依頼されるクリエイティブの仕事をこなすことに費やしていた。当時、家族3人は妹の進学した学校近くに移り住んでおり、神成氏には生活費としていくらかのお金が渡されていた。家族の干渉もなく自由な生活を謳歌していることができたが、絵の仕事については、親に反対されると分かっていたので秘密にしていたという。


気ままな大学生活のなかでは、鮮烈な出会いもあった。当時同じ漫画研究会に所属していた工学部の先輩で、サークル内の誰よりも、そして芸術学部の誰よりも絵が上手いのではないかと思える人がいた。


先輩(いわゆる「ゲーム廃人」であり、のちに彗星のごとく学校を辞めてしまうことになる)が語る絵に対する考え方は、神成氏にとってまさに衝撃だった。「絵はロジックだ」と語るその人は、たしかに圧倒的に上手かった。


「上手い人たちの絵を徹底的に分析して、この人はどういうものの見方で影をつけているのかとか、完全にロジックで模倣すると、その人の作風とかを完全に取り入れられるんです。さらに、いわゆるパース(遠近法)とかって、画家はみんな中央から線を引いて描いていくものなんですけど、要は遠くのものは小さく手前のものは大きくなるので、減衰比を使って数学的にこれくらいの比率になるとか補助線を引かなくても描けたりするんですね。そこで初めて、絵って自分の好きな数学や物理の世界と近いぞと気がついて」


それまで学校の美術の先生は、「りんごを上手く描くためには、りんごだと念じながら描くことだ」と教えていた。直接目に見えている部分だけでなく、その重さやつぶつぶの質感を想像しながら描くことが、デッサンにおいては重要とされている。考え方は理解できたとしても、教え方としては腑に落ちていなかった。


「そのとき、自分は絵の方程式が欲しかったんだと思ったんです」


既存の作家の描いたりんごの絵。その背景にある考え方を読み解いていき、徹底的に分解し、再構築する。そこにある方程式を自分のものとして使えるようになれば、次はその作家風にぶどうを描くことすら可能になる。数学や物理の世界と同じく、絵はロジックで語ることができるものだった。



2-8.  お金稼ぎじゃない


いわゆるソーシャルゲームバブルといわれた時代に、学生イラストレーターとして活躍した神成氏。ソーシャルゲームの街の背景からはじまり、キャラクターを描いてほしいという依頼まで、大学在学中であった神成氏のもとにも、高単価の仕事が舞い込み始めていた。


当時受けた仕事のなかで最も良かった案件は、30時間ほどで仕上がる作品に対し30万円近くと、今では考えられないよう値段がついていたという。親からはきちんとした仕事につくように言われていたが、一般的な会社に就職する気はほとんどなかったと、神成氏は語る。


「偶然なんですけど、大学のタイミングですごい奴らが周りに揃っていて、3年後みんなで会社を立ち上げようという話をしていたんです。自分で商売やっている人、転売で稼いでいる人、Web制作会社でインターンをしていてそれなりに給与もらっている人もいたりとか、たぶんそうやって稼いでしまうと就職しようという気がなかなか起きなくなってくるんですね」


当初の予定は卒業してから3年後の起業だったが、偶然にもWeb制作会社に就職していた友人の会社で社長が失踪し、今なら取引先もすべて引き継いで新しく立ち上げることができるという話になった。2012年、それが株式会社B.C.Membersという会社のはじまりだった。


しかし、いざ会社を立ち上げてみると問題もあった。もともとフリーランスでも食べていけるようなメンバーが集まっていたため売上を上げることはできたが、会社の経営については全員が素人だったのだ。それぞれクリエイティブには強かったが、財務諸表すら読めず、「売掛金倒産」という言葉が脳裏をよぎる瞬間もあった。


そこで神成氏は、仕事の傍らデジタルハリウッド大学大学院に入学し、会社の経営を学ぶことにした。そこでは初めて最先端のテクノロジーに触れ、それによって世界がどんな方向に動こうとしているのかを目の当たりにすることになった。


「コンピューターのクラウド化だったりとか、IntelやNVIDIA、ソフトバンクやドコモとかが描いている20年後の未来のビジョンの映像とかがあるんですけど、そのような圧倒的な未来の世界がデジハリに入ったら見えてしまって。それは起業仲間に対し、申し訳なく頭が上がらないところなんですけど、もとの事業と異なるところで色々とやりたくなってしまったんです」


なぜそんな未来が成立しうるのか勉強していくと、新しい技術と次々に出会う。そんな技術が存在するのであれば、もっとこんな未来も描けるのではないかというビジョンが次々と広がっていった。


「『今』をベースにした事業ではなく、今後技術が進化していく先の『未来』をベースにした事業ができるなっていうのが徐々に見え始めてきて。あとは、純粋に財務諸表をある程度見られるようになって、どうやったら数字も上がるか予想できるようになるとやってみたくなりました」


描きたい世界が広がると、仮説を検証したくなってくる。目的のために学習した「手段」そのものが楽しくなってくる。新たな仮説検証をしてみたくなった神成氏は、BRAIN MAGIC起業前にも、自分なりのサービスを考えていたという。


それは、ソーシャルゲームバブルによって急増したクリエイターへの仕事の受発注を、交通整理する目的のサービスだった。当時、クリエイターへの仕事の発注に不慣れな依頼主のためにディレクションをする会社はあったが、そういったディレクション会社を使いたがらない企業向けに、受発注マニュアルの提供やコミュニティを作ることはできないかと考えていた。


調べていくと、たしかなニーズがあった。しかし、いざ始めようとすると、意外にも自分の熱量が大きくならないことに気がついた。やはり絵を描いていたい、自分の手でものづくりがしたいという気持ちが大きくなりはじめていた。


「そこで初めて分かりました。お客さんもいて、お金稼ぎが目的のすべてだったらできると思うんですけど、自分の目的の一番はお金稼ぎじゃなかったんだってことに。とりあえず自分は創造的な行いをしたい生き物で、それ以外無理だと。自分はそういうロジックなんだと理解しました」


お金稼ぎではなく、純粋にものづくりがしたい。描きたい世界を技術によって現実にしていきたい。そのための仮説と検証を繰り返していたい。原点に立ち返り、「ものづくり」へと事業を転換した。


真に自分がつくりたいものは何なのか。そこにある目的は何なのか。「O2」の構想は、そんな自問自答のなかから生まれてきた。2016年、デジタルハリウッド内のプロジェクトからスピンアウトする形で、株式会社BRAINMAGIC.は設立された。そこには、クリエイターとして神成氏がものづくりにかける思い、その純粋な結実があったのだ。



3章 人間とクリエイティブと技術


3-1.  人が見ている世界は本質か


描きたい世界があるからこそ絵を描き、それを表現するための技術を学んできた。頭の中にあるものを現実の形にするものづくり。


そこでは、人の目線の先にあるものと描かれるものが、必ずしも一致するとは限らない。


「たとえばデッサンって、ものを正しく描くことじゃないんですね。受験で合格するためのデッサンというのは、ありのままのものは描かないんですよ。よく描かれるリンゴとワイングラスでいうと、頭の中にあるよりきれいな形の、よりかっこいいリンゴを思い出して描くんです。ワイングラスも実際の光の反射を描かずに、もっときれいな反射を描くんですね」


現実のリンゴは歪んでいることもある。記憶の中にあるきれいな理想の形のリンゴを描き出し、それを表現する。実際にそこにあるものを、いかに精度高く描くかを競っているわけではない。現実とクリエイティブは異なるものなのだ。


「大学時代にもっとロジックで絵を理解したくなったときに、脳科学の教授の授業を受けたんです。なかでも衝撃を受けた授業があって、描き慣れている石膏像を先生が逆さまに置くと描けなくなったんです。『なんとなく人の顔としてこういうものだ。目と口があって大体こういうバランスだ』と捉えていたものを逆さまにすると、今まで描いたことのない謎の立体になって、描くのがめちゃくちゃ難しいんですよ」


石膏像を描き慣れている人であれば、実物をほとんど見なくても描くことができる。それは、右脳と左脳の記憶の中にそのものの姿の認識があるからだという。ひっくり返した石膏像を前にすると、頭の中にある記憶からのアウトプットができなくなる。実際にものをもう一度よく観察し、現像しなおすような作業が必要になるため、描くのが難しくなるのだ。


「世の中における現象って、たいていの場合本質のもつイメージからは乖離していて、「シミュレーション仮説」が有名ですが、実際この世界がデジタルではないとは言い切れない。割と証明できないみたいなところってあるじゃないですか。その事象や現象そのものではなく、本質に何があるか。そこの乖離はたぶん、将来もっと大きくなっていくんだろうなと思っています」


技術はクリエイティブを進化させ、人間が見ている世界とそのものの本質の間にある距離を広げていく力をもつ。現象と本質の境目があいまいになっていく先に、人間の本質はあるのだろうか。あるのであれば、どこにあるのだろうか。ものづくりが進化していく奔流のなかで、人間の本質はもっと遠いところへと向かいつつあるのかもしれない。



3-2.  我儘こそクリエイティブ


デジタルハリウッドのDNAとして掲げられる「Entertainment. It's Everything!」という言葉がある。日本語で「すべてをエンターテイメントにせよ!」を意味するそのモットーは、「人工知能の父」として知られる米マサチューセッツ工科大学(MIT)名誉教授マービン・ミンスキー氏と、デジタルハリウッド学長である杉山知之氏の研究室での会話に由来するのだという。


いわく、人工知能が高度に進化していくなかで人のやることが無くなったとき、人は一体何をするのだろうという問いかけに対し、それはエンターテイメントにほかならないという対話であったらしい。技術が人に代わってクリエイティブを担う未来がやってきたとき、私たちは何を成すべきなのかが、今問われている。


「今は人がクリエイティブをやっているんですけど、そのうち人工知能が『あなたのために今見たいと思っているソリューションを作りましたよ』と提供しはじめるかもしれない。そうなったときに、人はその作られたクリエイティブをただ受け取るだけなのかというと、それは悲しいと思うんです」


NetflixやU-NEXT、HuluやAmazonなどの動画配信サービスが普及した現在、何もしなくても好みの映画がおすすめされ、私たちはそれを好きなだけ観ることができる。黙っていても満たされる時代は近づきつつある。


神成氏は、そんな変わりゆく時代のなかでも、その時代ごとのクリエイティブをきちんと作っていきたいと語る。そして、そこに人間の本質がなくては悲しいとも考える。


時代によって変わるクリエイティブ。そこでは、クリエイティブという言葉の定義すら変わっていくのだろう。今では一般的なYouTuberが、新しいクリエイターの形として認知を得たのも、たかだかここ数年の話である。


たとえば、人工知能に指示を出すだけで、新しいものが生み出されるような未来。今の常識に当てはめて考えると、人が実際に手を動かしていないものはクリエイティブとは呼ばれにくい。しかし、未来はそれをクリエイティブと呼ぶようになっているかもしれないのだ。


「要は何がクリエイティブかというと、今ある現状に対して満足せずに何度も何度もトライアンドエラーでより良いものを、より良いものをと作っていく。たぶんそこが残っていく、よりわがままになるということですよね。ただ受け取るだけじゃなくて、自分ならもっとこれをこうしたいと。それは一人称かもしれないし、あるいは二人称かもしれないですけど」


自分の我儘を形にする、より良いものを生み出そうとする試行錯誤のなかにこそ、クリエイティブの本質はある。それを生み出す技術や手段が時代によって変化していったとしても、ときに人間は、そんな時代の変化すら忘れていくものだとしても。ものづくりのための技術を学んできた神成氏だからこそ、身をもって体感してきた思いがある。


「自分がクリエイティブやっていると、本当にわがままかなって思う瞬間があって。徹底的に考えて描くんですよ。もうちょっとこうしたら上手くなるかなとか思っても、今回はここでやめておこうとか、そこって行ききれてないんですよね。でも、もしかしたら人工知能が入ることによって、クリエイティブがもっと楽になるかもしれないし、もっと一歩踏み込めるかもしれない。そして磨かれていった先どうなるんだろうとか考えるんです」


ものづくりの可能性は、技術の進歩によって広がっていく。同時にそれは、クリエイティブや、それを担う人々の在り方にも変化を迫るものである。時代に合わせたものづくりの形を見通し、その時代を生きるクリエイターのためのものをつくる。それによって人は、クリエイティブに対しもっとわがままになり、ものづくりも磨かれていく。それが、BRAIN MAGICの目指す姿であり、神成氏の願いである。


2018年2月、神成氏の母校であるデジタルハリウッド大学大学院にて開催されたデジコレ8(修了生発表会)にて。


4章 冒険のはじまり


4-1.  早く行きたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行け


解決したい問題があり、どうしても作りたいものがあった。2015年、デジタルハリウッド大学院とMakuakeによる「アイデア実現支援プロジェクト」に「O2」の企画が採用されてから、2年間試行錯誤を重ね、7世代20種以上のプロトタイプの制作を行ってきた。2017年10月には、クラウドファンディングサービス「Makuake」上で、目標を大きく上回る750%もの出資を集め、「O2」は無事製品化が決まった。


しかし、そこまでの道のりは苦難の連続だった。神成氏自身、ハードウェア開発に必要なCADや基盤設計、回路設計に関する知識はゼロ。よくよく調べてみると、金型を一回作るだけで1000万円かかるということが判明していた。到底越えられないような高い壁にぶつかるたび、神成氏はとにかく周囲の人々を頼ってきた。


「正直無理かと思う瞬間は何度もありました。ただ、人に聞くと『こうしたらなんとかなるじゃん』と言われて、なんとかなるかもしれないなら、じゃあとりあえずやってみようと。それを何度も経験していくと、また壁にぶつかって。それも慣れていって、また人を頼る。ひたすら人に頼りまくるっていう状況で、何がすごいって周りがすごいんですね(笑)」


教授や、友人、そしてその家族。自分の力ではどうにも前に進めないとき、高い壁に行く手を阻まれたとき、周囲を見渡し助けを乞えば、力を貸してくれる人たちがいた。「O2」のコアとなる部分の開発においても、最終的には、学内外でも著名な教授が徹夜で尽力してくれたおかげで、ついに動作したのだという。


なぜ、そんなにも多くの人が神成氏を支援してくれたのか。


「クリエイティブって一人でやっていくことが多いんですけど、私は一人でやりつつ、細かいところは助けてもらいます。ただ、一人である程度のところまではちゃんとやっているからこそ(助けてもらえた)、というのはあるかなと思います」


神成氏の本気が伝わったのだろう。むしろそれは、「俺ならもっと上手くできる」と、周囲の技術者魂を刺激する結果につながったのかもしれないと、神成氏は振り返る。



昔は一人きりで絵を描いていた。しかし、心から成し遂げたい目標に向かって歩みはじめたときから、周囲にわがままを言っても通るのだということを学んできた。


「仮説と検証だと思っていて、行けるかもしれないなと思ったらとりあえず試してみる。たぶん冒険なんですよね。自分のちょっと外に一歩出て、行ってみるだけ行ってみようと。あと、案外人って、自分が思っているほど厳しくなかったりします」


初めて金券ショップに足を踏み入れ、勇気を出して商品券を買ったこと。山村留学で、さまざまな立場の子どもたちと友人になれたこと。さらに、そこから戻った小学校で周囲が暖かく迎え入れてくれたこと。それほど人は厳しくない。仮説は立てたら検証してみたい。思いに共感してくれる人は、広い世界のどこかにきっといる。


「やっぱり同じ夢を見られる仲間が、だいたいどこにでも数人はいるじゃないですか。徐々に徐々に自分に合う世界に入っていくと、その仲間が増えていって。最初は一枚の絵を描いてがんばって仕上げてっていう距離だったんですけど、仲間が増えていってできることも大きくなっていく。もっと遠くの未来に行けるんですよ」


いつからか神成氏が大切にしている、アフリカのことわざがあるという。If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together. 日本語に訳すと、「早く行きたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行け」という意味である。


「それを聞いたときは、なんとなく『自分は一人でもいいや』って思っていた側の人間でした、引きこもって絵を描いていればその世界が完璧だと思って生きてきたんです。でも、ちょっとしたチャレンジというか、冒険ですよね。一緒にまだ見ぬ未来を目指す船旅に、積み荷を載せてくれるVCさんがいたり、一緒に船に乗ってくれる仲間がいたりする。その船がどんな未来に着地するかはまだ分からないですけど、まぁ行った先にはきっとそこでしか見られない何かがあるんです」


会社経営は、仮説と検証の繰り返しである。会社として利益を上げることはもちろん大切であるが、神成氏にとってそれは、仮説を検証するための装置としても機能する。


「Creating Re-Creation」。創造性を再構築すること。果たしてその思いは、現実のものとすることができるのか。同じ思いを描く仲間との冒険は、誰も見たことのない、どこか遠くの未来へと向かう。中学生のころ夢に見たあの場所のように、そこには、まぶたの裏に焼き付くほど美しく澄み切った景色が広がっているのかもしれない。



2018.09.14

文・引田有佳/Focus On編集部


https://www.youtube.com/watch?v=XESPCjtFlrIより。


編集後記


人の「学ぶ」という行為は、本来、自らの未来を築くことや、周囲の人を守ることのためにあったのではないだろうか。自らに意味のあると思える、そのような事柄への欲求からくるものではなかったのか。


1973年、米国イエール大学のポール・マクリーン博士が提唱した「三位一体脳」という概念がある。同氏によると、人間の脳の構造は3層に分かれているのだという。危機を回避しようとする生物の本能的反応をもたらす「爬虫類的脳」と、感情を生み仲間をつくる「哺乳類的脳」、論理的な思考を生み未来を見据える「人間的脳」。この3層が同居していることが、人間の特徴であると述べている。


動物的な脳と人間の脳の違いを見てみると、哺乳類は近くの仲間のために学習するのに対し、人間は近くにいない仲間のためにも、時代を超えて学習していくことのできる脳を備えている。


そして、その機能を備えていたからこそ、人は未来のための学習をつづけ、文明は進化を遂げてきた。


しかし、現代の日本教育は、そんな人間特有の脳の構造に沿って形作られてはいないように思える。知識偏重主義と揶揄される状況から生まれる、ただ「記憶する」作業。それは、本来の人類の進歩から遠ざかる学習過程となっているのではないだろうか。


あるいはそれは、自らの未来に意味があると思えるからこそ学ぶという、人間本来の機能に即していない可能性もある。


誰かが一方的に教える「正解」が学習の目的にすり替わり、本来、学習の先にあるはずの「未来」という目的が失われているのだ。その意味では、学習意欲の低下は本能的な反応であり、必然的な結果なのかもしれない。


このような学習過程においては、人間の脳が未来のために考える機能が失われていく。それは、人類の文明の進歩に歯止めがかかってしまう可能性すら孕んでいるように思える。


教員が一方向から教える形式の授業と、グループディスカッション(以下GD)により他人と意見を交流させる形式の授業、それぞれにおける学習意欲と効果の違いについて、下記のような研究がある。


(従来授業においては)学生の中には教員の言うことは常に正しいとの思いがあるため,伝達された知識に対する検証能力の低下も考えられる。(中略)GD授業においては,グループ内の学生同士での交流を促すことができる。また,自分と異なる知識や視点を有する他者との相互作用の中で試行錯誤しながら答えを導く過程が,学習意欲の向上に繋がると考える。(吉澤・松永 2009:373)


人の学習とは、一方的に教えられる過程での解の追求ではなく、他人との意見の交流のなかでこそ意欲が上がり、学びも深まっていくのだという。そこでは、誰かの思考を体得するのみならず、自身の思考を他人にぶつけることが求められる。共通の解に向かうなかで、自分なりの意見をもち、それを異なる意見と対比しながら着地点を探る過程から、人間は学習意欲と検証能力が養われるのである。


この「未来創出される解のために、自分の意見を持ち他人とぶつけあう」という学習の過程こそが、人間を人間たらしめ、私たちの文明をさらに進化させていくために必要な道のりなのではないだろうか。


何のためにするのかわからなければ取り組むことができない。幼少期の神成氏が感じた勉強への嫌悪感は、「未来」がなければ学習に向かえないという「人間的脳」からの拒絶反応であったのだろう。


同時に、目的があり、それが自身の志向と重なっていれば向かうことのできた勉強は、神成氏の検証能力を高め、学習を深めていた。


神成氏のような「人間的脳」の姿勢こそ、時代を超え、人のためになる事業の創出へと向かわせるものなのかもしれない。人類の進化をも叶える神成氏の脳は、短期的な目的に盲従しつつある現代の私たちに、遠い未来を願うことを忘れさせない。



文・石川翔太/Focus On編集部



※参考

吉澤隆志・松永秀俊・藤沢しげ子(2009)「授業形式の違いが学習意欲に及ぼす効果について─グループディスカッション授業の効果─」,『理学療法科学』24(3),pp.369-374,理学療法科学学会,< https://www.jstage.jst.go.jp/article/rika/24/3/24_3_369/_pdf >(参照2018-8-24).




株式会社BRAIN MAGIC 神成大樹

代表取締役CEO

1989年生まれ。奈良県出身。デジタルハリウッド大学院卒、デジタルコンテンツマネジメント修士。中学生のとき3DCGによるイラストを描きはじめ、高校時代よりフリーランスのイラストレーター、デザイナーとして仕事をはじめる。2012年、友人とともに立ち上げた株式会社B.C.Membersの取締役に就任。2016年、株式会社BRAIN MAGICを設立。現在、特別講師として小学校や大学にてキャリア教育の公演も行う。クリエイティブ、テクノロジー、エデュケーションの三つをミッションに掲げ日々邁進中。

http://brainmagic.tokyo/


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