目次

世界基準の「働きがい」をすべての職場へ ― 組織も生き方も、個のオーナーシップが軸になる

たとえ先が描けなくても、道は開ける。


「いかなる会社も、働きがいのある職場を創ることができる」という信念のもと、日本中の職場を「働きがい」にあふれたものにしていくことを目指す、株式会社働きがいのある会社研究所(Great Place To Work® Institute Japan、以下GPTW Japan)。世界約170か国で展開し、30年以上の調査・分析を重ねてきた専門機関GPTWのライセンスを受けて日本で運営する同社は、世界共通の手法で従業員エンゲージメントを評価し、「働きがいのある会社」として認定・ランキングを発表している。


代表取締役の荒川陽子は、大学卒業後、HRR株式会社(現 株式会社リクルートマネジメントソリューションズ)に入社し、営業職として従事。中小から大手企業までを幅広く担当し、顧客企業が抱える人・組織課題に対するソリューション提案を担った。2012年からは管理職として営業組織をマネジメントしつつ、2015年には同社の組織行動研究所を兼務。女性活躍推進テーマの研究を行ったのち、2020年より現職に就任した。同氏が語る「働くことの原点」とは。






1章 働きがいのある会社研究所


1-1. すべての人に「働きがいのある職場」を


日本の従業員エンゲージメントは世界最低水準にある。国際的な世論調査・コンサルティングを手がける米国ギャラップ社の調査によると、日本では「仕事に熱意を持って取り組む従業員」の割合が、長年5~8%で推移しつづけている。この数字は世界平均の20%を大きく下回り、主要先進国のなかでも最低水準にある。


日本の「失われた30年」や低い生産性についても論じられて久しいが、突き詰めればその原因は「面白くない仕事をしている」ことにあると荒川は語る。


「自分のやりたい仕事ができる、自分の仕事に誇りを持てる、自分の会社が世の中に提供している価値に対して心から素晴らしいと思える。そういう状態をつくることができれば、もっと多くの人がご機嫌に働ける。我々の仕事は、まさにそうした『働きがい』を扱っています。自分たちの会社をGreatだと思える人や、そう思える会社を増やす、非常に価値ある仕事だと考えています」


仕事が面白くない。そうは言いつつ、生活のためにと不満を抱えながら仕事を続け、パフォーマンスが上がらない。評価や理解が得づらくなり、ますます働きがいがなくなっていく。そんな悪循環を断ち切り、生き生きと働ける人や会社を増やすことがGPTW Japanのミッションだ。


まず、世界共通の手法で企業の働きがいを「評価・可視化」し、第三者の立場から「認定」し、「ランキング」として発表する。その結果をもとに各社の働きがいを向上させるべく、研修・ワークショップなどを通じて企業変革を支援する。


あくまで認定の取得やランクインはきっかけであり、それ自体が目的ではない。


「『自社のエンゲージメント評価が68点だったので、3年後までに75点にします』と言われても、従業員も投資家もおそらくあまりピンと来ない。それがグローバルスタンダードの認定が取れるレベルであるとか、ランキングに社名が載るということなら、その国の上澄みと言えますし、何より分かりやすいんですよね。目指す旗として分かりやすく、そこに至るストーリーまで共有できる。そういった価値を提供できる点に、弊社のユニークネスがあります」


荒川が代表に就任してから約6年、コロナ禍での働き方の見直しや、人的資本経営の機運の高まりなど、人と企業の関係性は大きく変化しつつある。


「2000年代前半には『従業員満足度調査』が流行っていて、満足度が低ければ会社が手当てをする、マイナスをゼロに戻すイメージが主流でした。そこからエンゲージメントが注目されるようになり、もちろん会社も努力するけれど、結局は働く一人ひとりが自分でモチベーションを持たなければ働きがいは高まらないという、従業員にも主体性を求める世界観になってきました。日本企業のエンゲージメントに対するスタンダードも、ずいぶん引き上がってきたと感じています」


同社の調査に参加する企業は、毎年着実に増えている。5年後、10年後には、日本のエンゲージメントを先進国の中位まで引き上げたいと荒川は語る。


「働く一人ひとりが自分の仕事に価値を感じられ、つまらないのに会社に行く人も、いわゆる『静かな退職*』を選ぶ人もいない社会にしたいと考えています。現在は約680社が我々の認定やランキングに挑戦してくださっていますが、働きがいの大切さを実感できる人を増やすには、1,000社、2,000社と一刻も早くインパクトを広げていく必要があります。日本企業の間で『GPTWの認定を取るのは当たり前』という状況をつくりたいですね(*仕事への熱意を失い、会社は辞めずに必要最低限の業務だけをこなす状態のこと)」


1社の変化が積み重なれば、やがてスタンダードを塗り替える。GPTW Japanは「働きがい」を軸として、より良い社会へ近づくよう働きかけていく。




2章 生き方


2-1. 「働く」は生き生きと


両親にまつわる記憶といえば、2人で切り盛りしていた小さな飲食店で働く姿がある。もともと父は、劇団青年座に在籍し、役者をやっていた。しかし、役者だけでは食べていけないため、 20代は六本木のイタリア料理屋でアルバイトをしていた。芽が出ることのないまま30歳を過ぎてから、家族を養うためにと開いた店だった。


小さい頃はよく、店で雇うスタッフも引き連れた家族旅行に行っていたと荒川は振り返る。


「当時にしてはめずらしく、というより今でもそうだと思うのですが、父はアルバイトのスタッフにボーナスを出したり、夏はバーベキューや海に、冬はスキーにみんなを連れて行って、もちろんそのお金も全部出していて。仕事には厳しくて、しょっちゅうスタッフに怒鳴っていたけれど、すごく慕われているように感じていましたね。一人っ子でしたけど、常に周りに人がいたので、寂しいと思うことはなかったです」


仕事のクオリティは厳しく守りつつ、遊ぶときはみんなで思いっきり遊ぶ。本人が生き生きと働き、人がそこに集う。あとから思えば、それが父の人徳だったのかもしれない。


「なぜそうしていたのか聞いたことはないですが、一緒に商売をやる仲間として、すごく自然な形でやっていたんだと思いますね。とにかく30代前半に店を始めて本人も若かったですし、アルバイトのスタッフも10代後半から20代前半ぐらいの学生が多かったので、雇用主と従業員というより、一緒に遊んでいる感覚でもあったのかもしれないですね」


幼少期、両親と


父やスタッフだけでなく、店は母の存在にも支えられていた。ホールに立ち、にこやかに接客し、経理などの裏方仕事もこなす。忙しい日々の合間には、子どもを保育園まで送り迎えしてくれていた。


「0歳から保育園に通っていて、母と一緒に頑張ってそこまで歩いていたことが物心ついた頃の最初の記憶です。保育園の近くには大きな公園があって帰りに遊んだり、敷地内には図書館もあったので、帰り道に母が紙芝居を借りてくれて。そこから毎日たくさん本を読んでいたことが思い出ですね」


0歳から子どもを保育園に預けて働く母親は、当時まだ多くはなかったかもしれない。しかし、それは母が自ら選んだ生き方であり、子どもから見ても頼もしい背中だった。


そうした自由な空気は、習い事にも表れていた。水泳に習字、モダンバレエ、エレクトーン、学習塾など、当時は多くの習い事に通わせてもらった。母からの提案で何気なく始めたものがほとんどだったが、何かを無理に強制されたことはなく、どれも自分の意思でのびのび楽しんでいた。


「父からも『お前の人生なんだから好きにしろ』ということを、よく言われていました。いくつか習い事をしていたなかでも、当時はスイミングスクールがあまり好きではなくて、しょっちゅう仮病を使ってゴホゴホやっていたんです。それに対しても無理に行けと言われたことはなくて。ある意味2人とも店が忙しかったから、好きにやりなさいという感じだったのかもしれませんが、のびのび自由に育ててもらったと思います」


働く厳しさも、自由も、当たり前のように身近にあった。生き生きと働く大人たちに囲まれ、そんな背中を追いかけるようになったのは、ごく自然なことだった。




2-2. 目の前のことを全力で丁寧に


ただ毎日を自由に楽しんでいた小学校時代から、中学では少しずつ、何かに打ち込む面白さに目覚めていった。


「あるとき学年末のテストか何かで、学年トップ3くらいになったんです。思っていたより自分の成績がいいことに気がついて、そこからすごく勉強を頑張るようになったんですよ。勉強を頑張ると祖母が服を買ってくれるとか、母がステーキを出してくれるとか、そういうご褒美もあったのですが(笑)。とにかく授業をきちんと聞くようになって、予習復習をして、テスト勉強もすごく頑張るようになりましたね」


それまで大した勉強はしてこなかったが、やってみれば面白く、自信もついた。ほかにも当時はブラスバンド部に所属していたので、並行してトロンボーンの練習にも明け暮れていた。それだけでなく体育の先生に声をかけられ、区の水泳大会にも出場することになる。


「水泳部がない学校だったのですが、連合大会に出るからと水泳がそこそこできる人が集められて、夏のあいだは毎日ひたすら泳いでました。部活も頑張って塾にも行っていたから、夏休みはすごく忙しかった記憶がありますね」


真っ黒に日焼けしながら泳いだ夏、先輩とともにリレー種目に出場し、結果は上位入賞だった。とにかく目標を見つければ、特に疑問を抱くこともなく力を注いできた。


「目の前にあることに全力投球するということだと思うんですよね。その連合水泳大会も自分から手を挙げたというより、先生に『お前泳げるんだから出ろ』と言われて『はい』と出ただけだったので。なんでも主体的に取りに行くというよりは、目の前の一個一個をすごく丁寧に全力でやる。それは今にも通じている気がします。シンプルに誘ってもらえたら粋に感じるというか、嬉しいですし、ほかの人がやるより私の方がいいよねと思えればやりたくなる。基本的に素直な人間なので、『やってみたら?』と言われたらやってみることが多かったです」


テストでは安定して好成績を収められるようになり、部活に水泳大会にと課外活動も頑張ったおかげで、高校は推薦で第一志望に合格できた。


高校でも楽しかった音楽を続けるべく、オーケストラ部に入り、大所帯の中でチェロを弾いていた。朝練から始まり、昼休みも放課後も部活に熱中し、帰りはみんなでファミリーレストランに寄ってポテトを食べる。たわいもない時間だが、青春のひとときだ。


全力で何かに向かうと、その先にはいつだって充実した何かが待っていた。


「頑張ったら頑張った分だけ結果が返ってくると知ったのは、中学生のときだったと思います。しかも、そのやり方を自分なりに工夫してみるとか、テスト勉強でも自分で試行錯誤してみて結果が出ると面白くて。そういう感覚を掴むことができた時期だった気がしますね」


目の前の目標を大切に、全力を注いで努力する。それは結果につながるだけでなく、大切な思い出や自信となって返ってくる。一つひとつが自分の糧として積み重なっていくものだった。


高校時代、オーケストラ部の演奏会にて



2-3. 外側に目を向ける


両親が商売をやっているということもあり、大学は経済学部を選んだ。印象的だったのは、開発経済学のゼミに入り、研修旅行として夏の数週間、インドやカンボジア、ラオスで過ごしたことだった。そこでは、当たり前だと思っていた自身を取り巻く環境が、当たり前ではないということを知った。


「ずっと東京生まれ東京育ちで、海外にはハワイのような観光地しか行ったことがなかったので、結構衝撃だったんですよね。本当に日々生活していくだけでも大変な人たちがいて、その人たちの経済的自立や識字率の向上がどれくらい大事なのかと勉強したことは、すごく印象に残っていますね」


自分以外の他者へと視点が広がっていった大学時代は、学園祭実行委員としての活動にも熱中していた。自分が好きなものを、誰かと分かち合いたい。そうした思いが起点となって、形を成していくさまを経験した。


「当時Dragon Ashが好きで、学園祭に呼びたいなと思ったんです。アーティストを呼んでライブをするのは、まだあまり前例がなかったので、学校との調整も大変だったのですが、絶対にやりたいと。私が責任者として企画を立ち上げて、みんなで頑張っていましたね。最終的にDragon Ashは出演料が高すぎて呼べなかったのですが、その兄弟分だったスケボーキングというバンドを呼ぶことができました」


自分たちでプロダクションに電話し、学園祭に出てもらえないかと打診したり、ステージを作って、チケットを販売したり。そうして実現した一夜限りのライブは、チケットも完売になるほどの盛況となり、仲間や来場者と楽しさを分かち合えるものとなった。


「前例がないことだったとしても、自分一人ではできなくても、仲間の力を借りて、みんなで考えて試行錯誤していくと実現できるのであるみたいなことは、すごく手応えとして残った気がします。おそらく昔から1人でやるよりは、チームみんなで成し遂げる方が好きだったように思います」


大学時代、ゼミで旅したインドにて


大学3年になり、就職活動を始めるにあたっては、何より母親のことが思い浮かんだ。きっと自分も同じように、結婚しても子どもが生まれても働きつづけるだろう。そう自然に思えていたが、2000年代初頭の当時、多くの日本企業において女性が長く働きつづける選択は決して当たり前ではなかった。


改めて、女性の働き方という切り口から企業や業界を見ていくうちに、関心は自分一人から社会全体へと向いていった。


「自分が長く働くとか活躍できるということも大事なのですが、もう少し広げてみたときに、女性がもっと生き生き活躍できる企業や社会をつくっていくのも素敵なんじゃない?と思うようになったんです。そういうことができる会社がいいよねと考えて、人材業界を中心に見るようになり、最終的には今の株式会社リクルートマネジメントソリューションズ(旧 HRR株式会社)に入社を決めました」


当時、人事と対話していくなかでは、女性のみならず男女問わず誰もが活躍できる社会や企業を増やしたいと、思いはさらに広がっていった。働く理想像のベースには、やはり身近な家族の記憶があった。


「やはり両親とそこで働くスタッフの人たちを見ていて、仕事ではあるけれどすごく楽しそうだったんです。もちろん飲食業として大変なこともたくさんあったと思うのですが、先ほどお話したような旅行に行ったり、みんなでワイワイやっている様子を見ていたことは大きくて。それって仕事が好きだったり、仲間が好きでなければそうはならないと思ったので、自分の仕事を通じて、そういう環境やカルチャーをつくれたらと思っていました」


自分一人だけが生き生きと働いている。そうではなく、世の中全体としても意思ある人にはきちんとチャンスが巡り、それに対して正当な評価がなされる社会の方がいいはずだ。信じる価値を、より広く届けたい。そんな思いを手がかりに社会へ出ることにした。




2-4. 自ら選んだ子会社出向、そして経営へ


入社後は、営業としてSPI(適性検査)や多面観察(360度評価)、人事制度のコンサルティングや研修などのサービスを扱っていった。


2年目には、ある百貨店を担当し、マネジメントや働き方の改革に取り組んだ。大ベテランのコンサルタントや、研修トレーナーとチームを組み、顧客からの厳しいオーダーにも、知恵を絞りながら応えていく日々だった。


「すごくやりがいがありましたね。研修はある意味パッケージで売っているので、すごく中身がしっかりしていて、それを型通りにやりたいと言ってくださるお客様もいるんです。でも、そうではなくお客様のニーズに合わせて自分たちの持っているサービスをアジャストしてご提供していくこと。お客様の課題を解決するために、我々のサービスがどう資するのかを徹底的に考えたことが、今も自分のベースになっています。仕事に対する姿勢や向き合い方を学んだ経験でした」


トレーナーとは、ときにひざ詰めで話し込むこともあった。


「私は結局売るところまでで、最後の納品工程はトレーナーが担当するんです。その人もプロとして仕事をしてくれますが、プラスアルファで一歩踏み込んでくれるかどうかは、我々営業の事前のセットアップやコミュニケーションによると思っていたので、そこはすごく頑張っていましたね。そうすると相手も粋に感じて動いてくれて、本当に人に恵まれました。しょっちゅう飲みに行っていましたし、一緒に旅行に行ったりもして、仲良くみんなでワイワイ働いていました」



目の前の仕事に奔走した20代を経て、37歳で出産。半年間の育休期間中には、自身のキャリアについてじっくり考えることができた。


「改めて自分の強みって何だろうとか、これから先まだまだ20年、25年働くとすると、私はどういう仕事をやっていくのがいいだろうということを考えて。結論として、リクルートマネジメントソリューションズの仕事は大好きだし、その中で営業職としてキャリアを積んできたことにはそれなりの自負もあったのですが、営業というバリューチェーンの中の一つの機能だけでなく、もう少しバリューチェーン全体を見る仕事にまで幅を広げてみたいと思ったんです」


復帰後は自ら手を挙げ、子会社であるGPTW Japanへと出向した。


「1年間、前社長のもとで社長補佐のような形でマネジメントをやらせていただきました。そのときに必要だと感じたことや、サービスの価値を世の中に届けるためにもっとできると感じたことを、社長に就任してから変えていきました」


目の前の仕事に全力で向き合い、仲間とともに成果を生み出していく。何より自ら「働きがい」を実感してきたからこそ、その意義を強く信じている。自身の原体験とも重なり、心から共感できる理念とともに、人と企業のより良い在り方に向き合っていくことにした。


米国GPTWのメンバーと



3章 120%で取り組む仕事の哲学


3-1. キャリアにオーナーシップを持つことが大事


どの立場でも一貫している仕事の哲学があると荒川は語る。


「まずは目の前のことに120%の力で取り組めば、道は開けるということ。それから120%やろうと思ったときに、自分一人では何もできないので、いかに周りの人やプロフェッショナルの力を借りられるかが大事で。その人たちが粋に感じて、力を貸したいと思ってもらえるように、自分自身もプロフェッショナルとして仕事をしていくこと。この2つは、私の仕事の哲学としてすごく大事にしていることですね」


荒川自身、先輩や上司、同僚の力を借りながら、「いい仕事ができた」と思えた瞬間を重ねてきたという。目の前のことに全力で向き合う姿勢は、キャリアの選び方にも表れる。


「一般的なキャリア理論として、まず先々まで考えてバックキャストしていくか、目の前のことに取り組むなかで道を開いていくか、私は後者を取っているだけなのですが、必ずしも5年後、10年後になりたい自分のイメージがないからといって、思い悩む必要はないと思っています。いつか目の前のことが天職だと思える日は来ると思うので。もちろん2~3年やってみて違うと思えば変えてみたらいいですし、それでも一定やりきるまではきちんと全力で向き合ってみるのがいいと思います」


では、120%で取り組めているかどうかは、何を基準に測ればいいのだろうか。


「フィードバックは積極的に求めた方がいいと思います。日常的には上司がそれを伝える役割を担っているはずなので、目の前の仕事や半期のパフォーマンスはどうだったのか、自分では頑張っているつもりでも足りないとしたら何が足りないのか聞いてみる。第三者に意見を聞くと、自己満足や独りよがりではない、きちんと客観的なアドバイスをもらえるはずなので。それが直接的には会社の上司ですし、なかには社外のクライアントのところに行って、自分の強みと弱みをヒアリングしに行くという人もいます。そういうことができると、より客観的な自分の現在地が分かってくると思います」


目の前のことに全力で取り組み、人の力も借りながら、客観的な目で自分を見つめる。そんな働き方の根底にあるものこそ、自身のキャリアに対して受け身にならない姿勢、オーナーシップだ。


一人ひとりがオーナーシップを持ち、会社はそれを支える環境を整える。GPTW Japanが描く社会では、そうした働き方や生き方が今よりもっと当たり前になっているのだろう。



2026.10.23

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


本気で生き生きと働く人の周りには、自然と人が集まってくる。力を貸したいと思う理由はさまざまでも、その姿に心を動かされる人は少なくないはずだ。

「粋に感じる」という言葉を、荒川氏は取材のなかで何度も口にした。誘われたとき、仲間が一歩踏み込んでくれたとき。そこには、誰かの本気に本気で応え、また応えてもらってきた経験が表れている。

本気は、思っている以上にまっすぐ周りに伝わる。そして力を貸す側にとっても、その思いに応えることは、それ自体が働く喜びになる。一人の働きがいは一人のものにとどまらず、周りの人の働きがいを引き出していくものではないだろうか。

Great Place To Work® Institute Japanが取り組むのは、日本の職場に働きがいを広げていく挑戦だ。それは制度や仕組みを整えることであると同時に、一人ひとりの本気が周囲に伝わり、応え合える関係を増やしていくことでもあるのだろう。


文・Focus On編集部



▼コラム|2026.10.23 公開

私のきっかけ ―『大地の子エイラ』著:ジーン・M. アウル




Great Place To Work® Institute Japan 荒川陽子

代表(株式会社働きがいのある会社研究所 代表取締役社長)

東京都出身。2003年HRR(現リクルートマネジメントソリューションズ)入社。営業職として中小から大手企業までを幅広く担当。顧客企業が抱える人・組織課題に対するソリューション提案を担う。2012年から管理職として営業組織をマネジメントしつつ、2015年には同社の組織行動研究所を兼務し、女性活躍推進テーマの研究を行う。2020年より現職。コロナ禍をきっかけに働き方と生活のあり方を見直し、小田原に移住。自然豊かな環境での子育てを楽しみつつ、日本社会に働きがいのある会社を一社でも増やすための活動をしている。

https://hatarakigai.info/


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