目次

すべてのAI開発に高品質なデータを ― 好奇心と情熱は、少年時代の図書館から始まった

量に触れ、体験し、自分自身の言葉で語れる価値を届けよう。


「技術革新をリードする高品質なAIデータを生み出し続ける」をミッションに掲げ、AI開発のボトルネックとなりがちな「データ」にフォーカスし、あらゆる業界の開発を支えていく株式会社APTO。同社では、クラウドワーカーを活用したデータ収集・アノテーションプラットフォーム「harBest(ハーベスト)」に始まり、より専門的かつ複雑なデータに特化した「harBest Expert」、オーダーメイドのデータ収集・作成まで幅広くソリューションを提供。2026年には、最先端のフィジカルAI・ロボティクス領域でのR&Dと支援を加速すべく、豊洲ラボを立ち上げている。


取締役COOの狩野洋一は、新卒で株式会社集英社に入社した。漫画雑誌の編集業に従事したのち、29歳で独立。通信キャリアやサイバーセキュリティSaaS、大手税理士法人を経て、2022年に株式会社APTOへジョイン。ビジネスサイド全般を統括し、2024年より現職に就任した。同氏が語る「思考の土台となった出会い」とは。






1章 APTO


1-1. 技術革新をリードする高品質なAIデータを生み出し続ける


AIの精度を決めるのは、モデルの巧拙以上に「データの量と質」だという。


便利で賢いAIは、高品質な学習によって作られる。そのため事前に画像やテキスト、音声などに意味や情報を付与し、学習データとして整える。いわゆるアノテーションと言われる、データの前処理工程の重要性は年々高まっている。その象徴として、2025年、この領域の世界最大手であるScale AI社はMetaに143億ドルで買収されたと報道されている。


思い描いた何かを形にしようとするとき、手軽にAIという手段を活用できる時代になった。だからこそAPTOは、その開発を支える高品質なデータを用意する。それにより、誰もが挑戦しやすい世界をつくりたいと狩野は語る。


「どの会社も、データ不足によって、思うように出力精度を満たせない。ビジネスで使えるレベルに届かず、開発自体が頓挫してしまうというケースがほとんどなんです。それをなくすには、とにかく十分な量と質のデータが必要です。だからAPTOは、『データを生み出し続ける』ことをミッションにしています。必要なときに必要なデータにアクセスし、開発できる状態をつくりたい。通信環境とデバイスさえあれば誰でも挑戦できる世界を目指しています」


2020年の創業当初、同社はAI開発向けのデータ収集・アノテーションプラットフォーム「harBest(ハーベスト)」をリリースした。2万人のクラウドワーカーや社内外のリソースを活用し、画像・動画・音声・自然言語など必要なデータを効率的に収集。同時に品質を担保する仕組みだった。しかし今、需要が高まっているのは、より高度なデータだという。


「昔は汎用的な誰でも作れるデータでも価値が高かったんですよね。だから、一般ユーザーの皆様に身の回りのものを撮影していただいて、それをアノテーションして学習させれば一定精度は上がったんです。しかし、今ではネット上の情報はほぼほぼ全て学習されていますし、図書館のテキストだってほぼ学習されているといっていい。必要とされているのは、レントゲンやCT画像を見て骨髄腫のカゲを見つけたりするような、複雑で専門性の高いデータになってきています」


扱われるデータ形式のメインストリームも、変化を遂げている。画像の異常検知から自然言語、マルチモーダル、そして近年ニーズが高まりつつあるのがロボットだ。AIが頭脳となり、現実の物理空間での作業を制御する「フィジカルAI」と呼ばれる分野は、人口減少が著しい先進国において、競争力を維持するための手段として注目されている。


同社はここ数年、そのような高度化していくニーズに応えるべく、柔軟にソリューションを提供できる体制を整えてきた。



「今はもう『harBest』は内部ツールとして事業とは切り分けていて、他社が作れないような難易度が高く、高品質なデータ、本当に事業に活かすために必要なデータをオーダーメイドで作って提供しています」


たとえば、ある場所から逃げ出そうとしている不審者のデータを作るために、スタジオを借りてセットを作り、その中で100人単位の人の動きを撮影する。ほかにも、補修・交換が必要な古い電柱を見分けるAIソリューションを作るため、大分県の離島に足を運び、島中の電柱を1本1本撮影したこともある。


こうした高度なデータへの需要が高まる一方で、AIをめぐっては悪意ある使われ方によって人が傷つく事件も起きている。技術が高度化するほど、悪用の手口もまた巧妙になっていく。それを防ぐ安全性データもまた、APTOにしか作れない高度なデータの一つだ。


「AIセーフティと呼ばれる領域なのですが、AIが社会に対して害を為さないようにするためのデータセット開発にも、今は力を入れています。悪用しようとする側もバレないように考えを尽くしてきますし、合法か否かの判断基準は各国で異なるので、その国の文化的背景やカルチャーを理解していないと作れない。だからこそ、日本ではAPTOが責任感・使命感を持ってやっていきたいと考えています」


高品質なAIデータが広く行き渡り、社会がより良い姿に近づいていく。そんな可能性を現実のものとすべく、APTOはデータを届けることと、それが正しく使われるようにすることの両方に向き合いつづけている。


APTO豊洲ラボには、フィジカルAI・ロボティクス開発向けのデータ収集設備が並ぶ



2章 生き方


2-1. 自分の言葉で語る


物心つく前の記憶は、あいまいだと狩野は振り返る。生まれてからしばらくは、両親の仕事にともない北海道内を転々とし、ようやく落ち着いたのは小学校の半ば頃。函館市内の学校に通い出してからも、子どもの頃は日々習い事に通っていたという。


「親の方針で習い事に10種類近く入っていて、必ず放課後は何かの習い事に行っているような状態だったかなと思います。学校が終わったら英会話スクールにバスで行って、そのあと水泳に行ったり。結構忙しかったので、その辺もあまり記憶がなく、毎日が風のように過ぎていった感じでした(笑)。ただ、いろいろなことをやるのは、嫌いではなかったんですよね」


野球に書道、水泳、テニス、ピアノ、学習塾など、一つひとつに特別な思い出があるわけではない。ただ、あれこれ目新しい世界に触れるのは、自分にとって自然なことになっていた。


ほかにも当時は夏休みや冬休みに入るたび、親戚が住む千葉の家に滞在させてもらった。飛行機に乗る体験も、見知らぬ東京の街を歩く感覚も、新鮮な驚きがあり好きだった。


思えば当時、自分で選んだ体験はそう多くない。用意してくれたのは、いつも両親だった。中学受験もその一つ。進学した函館ラ・サールでは、初めて「自分は何も知らない」という感覚に出会うことになる。


「函館ラ・サールは、一学年のうち20~30人が北海道出身で、残りの半数以上が首都圏や関西出身の生徒なんです。そういう都会の中学受験に揉まれて生きてきた子たちと比べると、僕は田舎出身だったと言いますか、共通言語をほとんど持っておらず。東京の子たちが当然知っているようなことを何も知らなくて、『そうなんだ』と思うことが多かったですね」


小学校時代、少年野球の仲間と


受験のための勉強はそれなりに頑張ったが、中学入学後はすっかりやる気がなくなってしまった。周囲が本当に優秀で歯が立たないと思ったからかもしれないし、所詮やらされてやっていたからかもしれない。授業も上の空で、成績は学年最下位に近かった。部活でサッカーをしたり、小学校時代に思い立ってお年玉で買った中古のパソコンをいじったりして過ごすうち、ある日ふらりと地域の図書館に立ち寄った。


「中学3年生のとき、初めて図書館に行ったんです。小学校の頃はずっと習い事ばかりで、本もほぼ読んでいなかったし、図書館に行ったこともなかったんです。でも、いざ本だらけの空間に入ってみるとすごく面白くて、置いてある最新の雑誌を何でも読み漁っていくのが楽しくて、気づいたら朝から夜までずっと図書館に入り浸るようになっていたんです」


雑誌を手に取ったのは初めてだった。週刊誌からファッション誌、音楽やスポーツなどの専門誌、現代思想などを扱う文芸誌まで、どれを開いても知らないことばかりで好奇心があふれる。それぞれの発売日をチェックして、最新号を読んでいくのが当たり前になった。


「たとえば『読売ウイークリー』を読むと、茂木健一郎さんや当時ローソンの社長だった新浪剛史さんがコラムを書いていて、『この人誰だろう?』と思って調べると、もともと三菱商事で働いていたと出てくる。じゃあ、『三菱商事ってなんだ?』という風に深堀りしていくのも楽しかったですし、雑誌から社会を知っていったような気がします」


社会を知らずに育ち、ほとんど主体性もなく過ごしてきた。ある意味、自分が空っぽだったからこそ、全てが面白く入ってきたのかもしれなかった。


「ほかにも当時、初めて山崎豊子さんの小説を読んだんです。最初に読んだのは『白い巨塔』で、小学校のときに観たドラマの原作だと気がついて。著者を調べてみると、もともと毎日新聞の記者で、『自分は社会に届けたい物語があって、それを書く。書かなきゃいけないことを書いてきた』とインタビューで語っている。中国の残留孤児、JALの日航機墜落といろいろなテーマがあるわけですが、どれも徹底的に取材をして、自分の言葉で伝えるというスタンスがすごいなと。量に触れて、自分の言葉で語るのは大事だなと思ったんです」


自分自身で体験し、その実感を受け止める。そうして語られる言葉には、借り物にはない強さがある。量に触れれば触れるだけ、言葉は誰にも否定されないものになっていく。当時はそんな風に、自信を持ちたかったのかもしれない。自分の言葉で語れることへの憧れは、のちの生き方を支えるものになっていった。


中学の研修旅行、カナダにて



2-2. 広がる好奇心


図書館に通うようになり、自然と変化したこともある。中学に入ってから勉強とは縁のない生活を送っていたが、気づけば定期テストの成績が学年で10番以内になっていた。


「不思議なのですが、初めて自分の意思で机に座ったんでしょうね。机で本を読んでいて、そこにおそらく教材もあったのか、勉強するようになって。きっかけは振り返っても覚えていないのですが、とにかく当時は雑誌と本を読むのが楽しくて図書館に通い詰めていました」


テストの結果で自信がついて以来、ますます放課後は迷わず図書館に直行し、机に向かうようになった。その頃には自ら進んで勉強し、それを楽しむようにもなっていた。高校では1、2番を目指すことが当たり前になり、勉強も読書も加速していった。


雑誌を読み漁るなかでは、あるとき「ライター」という職業の存在を知り、自分もそれを仕事にしてみたいと思った時期がある。ちょうど転職系のWebメディアが読者からの記事投稿を募っていたので、見よう見まねで文章を書いては編集部に送ってみた。採用されればいくらかの謝礼金をもらえるもので、一度だけ掲載されたことがあった。


「ただ、テーマが『不倫』とか『ウイスキー』とか高校生には全然分からないようなものばかりで、ほとんど書けなかったんですよ。それも悔しかったですね。やっぱり山崎豊子さんは自分で体験して、自分の言葉で伝えているから、熱量があって心に響くんですよね。一方で、自分はネットで知りもしない不倫について調べて記事に書いている。こういうことはやりたくないなぁと思っていました」



将来どうなりたいかについて漠然と考えていた当時、ヒントになったのはやはり本だった。雑誌『ユリイカ』や『現代思想』を発行していた青土社の三浦雅士氏が作っていたという「XX歳までの人生設計」を、自分も作ってみることにした。


「4媒体でアルバイトをしてみたいという思いがあったので、大学ではテレビとラジオ、新聞社、出版社でアルバイトをすること。あとは、1年間ぐらい海外に行ってみたいとか、当時読んでいた本の影響で、夜の仕事や年金事務所でのアルバイトを経験したいと考えていました。当時は修士か博士に進んで、社会学者か山崎豊子さんのような小説家になると書いたはずです。その頃から、かなり社会に興味がありましたね」


実際、大学に入ってからは計画通り、アルバイトに明け暮れた。テレビ局の報道センターやラジオ局、出版社、新聞社の経済部など、1日に複数シフトを詰め込んで、掛け持ちしながら働くのを楽しんでいた。


仕事そのものは学生ができる簡単なものだったが、何より充実していたのは、そこで働く大人たちと話せたことだった。


「共通して良かったのは、バイトのあとにディレクターさんや記者さん、出版社なら社長さんがご飯に連れて行ってくれたことですね。新聞社だと地下に中華屋があって、みんなそこでわちゃわちゃ食べたりしていて。社員さんの会話の中で『ゆきゆきて、神軍』がどうとか言っていて、何のことか全然分からないので悔しくて調べたら、ドキュメンタリー映画なんだと知ったり。『小沢健二』『フランソワ・トリュフォー』とか、知らない単語が出てくるたびに全部調べて、翌日には分かるようにしていたのが楽しかったですね」


知らない世界に触れる入り口は、図書館だけではなかった。人と話すこともまた、知ることの窓になる。知的好奇心の対象は、本から社会へと広がっていった。




2-3. データという勝ち筋


もともと興味があったマスコミ業界で働きたいと思いつつ、就職活動も量に触れた方がいいだろうと、エントリーシートは250社近く提出した。そのうち10社ほどから内定をもらい、最終的にはご縁があった集英社へと入社することにした。


配属先は、漫画やグラビア、メディアミックスなどを扱う週刊誌の編集部だった。偶然だが当時の編集長は、同じ函館ラ・サール高校出身の先輩だったこともあり、聞きたいことを聞いてみた。


「編集長に『この編集部でできることを全部教えてください、全部やりたいです』と伝えたんです。そしたら編集長は、ゼロから100万部売る新人作家をつくることと、ゼロから地方のタレントの卵をスカウトしてきて写真集にして、テレビや映画の世界に行ってもらうこと。ベテラン作家さんの次回作を手掛けること、ベテラン作家さんのマネジメントをすること。そして既存作品を映画やアニメにするメディアミックス、という4つを挙げて、『これが全部できれば、編集部で一通りやったと言っていいんじゃない?(笑)』と。『分かりました、やってみます』と答えたのが、初日の記憶です。今思えば、よく真に受けたな……と思いますが(恥)」


実際、有望な新人作家を見つけて育て、単行本が売れるところまで導くのは、簡単な仕事ではなかった。全国の専門学校を回り、生徒たちの原稿を読ませてもらっては、自分自身の審美眼で才能を見極めていく。ときには専属契約を結び、引っ越し代や住居費を会社が負担する形で東京に来てもらいつつ、継続的にコミュニケーションを取ることもあった。


「非常に素敵なお仕事で、楽しく働いていたのですが、周囲の編集者の情熱と比べると、劣るところは少なくなかったと思っています」



その後は、漫画に加えてグラビアも担当した。誰を起用したいか企画して、ページ構成、衣装やポージング、表情に至るまで考え抜き、被写体の女性が最も美しく見える瞬間を作り上げていく。週刊誌なので、その結果は毎週の売上数字にすぐ跳ね返ってくる。それが面白く、突き詰めていくうちに漫画では得られなかった手応えを感じるようになった。


しかし、日本中の誰もが知るような有名タレントを何人も発掘してきた上司に比べれば、まだまだ足元にも及ばないことは分かっていた。


「当時の直属の上司の感性には全く歯が立たなくて。仕方なく、印刷会社さんが持っている表紙とグラビアのデータを10年分送ってもらい、売上データと相関させてみたんです。女性がどういう表情や笑顔で、どういうポージングをしている表紙が1番売上が高かったのか、統計として出た結果を信じて、その通りにやってみることにしたんです」


データを頼りに撮影した紙面構成は、実際に好調な結果を記録した。


「ほかの人たちは、各々で磨いた感性で勝ってきたんだと思うんです。僕は空っぽだったので詰め込むだけ詰め込んで、それでも勝負できなければ外からデータを持ってきて勝ち筋にする。振り返ってみると、いつもそうしていた気がします」


自分が空っぽだと分かっていたからこそ、外にあるものを取り入れるしかなかった。今ある感性で敵わない分は、データで埋め合わせればいい。少しずつ、確信に近いものが芽生えはじめていた。




2-4. AIは、かつての図書館に


社会に出たときから、漠然と20代は大手企業で学び、30手前で独立したいと思っていた。おそらく学生時代に読んだ『金持ち父さん貧乏父さん』などの本の影響も受けつつ、アルバイト先の大人たちの「やるなら若いうちがいい」という言葉にも背中を押されていたのだろう。


当時はまだ事業を通じて解決したい社会課題があったわけではなく、ただ「会社を経営する」という生き方を経験してみたかった。だから、集英社で6年ほど働いたのち、フリーランスになった。


「30歳が近づいてきたことも大きかったのですが、今辞めないと辞められなくなるな、とふと思ったんです。それから当時、『サラリーマン金太郎』などの作者である本宮ひろ志先生を担当していて。先生は漫画家としてだけでなくビジネスにも精通されていて、会社経営や不動産など幅広く手掛けている方なのですが、打ち合わせ中によく友人の著名な企業家の方から電話がかかってきていたんです。電話が終わると、『狩野さん分かる?人生ってすぐ終わるんだよ』という話をされたりしていて、自分の中でも掻き立てられたものがあったのかもしれません」


独立したあとは一人の会社を立ち上げ、業務委託として次々仕事を請けるようになった。展示会の出展支援、クリエイティブ制作、撮影、営業支援、YouTube動画の書き起こしまで、できることはなんでもやった。


大手企業からの依頼もあり、仕事は軌道に乗りつつあった。しかし、次第に思い描いていた理想と現実の差を実感しはじめた。


「始める前は、事業を思いつくと思っていたんですよね。こんなに世の中に課題があるんだから、自分がやりたい事業もそのうち見つかるだろうと。でも、実際は日々の生活費を稼ぐための仕事に忙殺されて、結局人を採用することもなく、とにかく業務委託を大量に抱える状態になっていって。発注してくれる方は徐々に増えていてキャッシュは稼げていたのですが、『これって何のためにやっているんだろう』と思うようになったんです。その頃、業務委託をしていた会社の一つが、APTOでした」



APTOとの出会いは、知人の紹介だった。展示会出展の手伝いをしてほしいと依頼され、ブースの施工やデザイン、パンフレット制作などを支援した。当日の展示会場に赴くと、代表の高品からオフィスに誘われ、そこからビジネスサイドを担ってもらえないかという話をされた。


AIには可能性を感じていたこともあり、当時引き受けていた仕事を整理したのち、2022年6月にジョインすることにした。


「いざトライしてみたけれど、エクイティで資金調達するほどの事業は正直思いつかなくて、それでも会社経営をしたい気持ちはある。こういう人ってほかにもいると思うんですよね。AIは膨大なデータから推論して解を出す。自分の場合も、量に触れて何かを抽出するという作業は子どもの頃からやってきたものだったので、『何か近いかも……』と感じて、それがすっと腑に落ちたんです。こじつけかもしれませんが……」


仕事に向き合うなかでは、ほかにも原点に立ち返るような思いが生まれてきた。


「大学時代から海外旅行が趣味で、人生で全ての国や地域に行くと決めていて、いろいろな地域に行ってきました。いくつかの国では機会の不平等というものを目の当たりにしたんですよね。生まれた環境のせいで勉強さえできないような人でも、一発逆転できるような環境やソリューションがあればいいなと思うようになっていて。僕の場合はそれが図書館だったのですが、これからの時代はAIになるかもしれないと思ったんです」


AIが一部の富裕層だけのものになり、特権階級を生み出す入り口になる。そんな悲観的な見方をする人もいる。しかし、そうではないAIの未来を信じてみたいと考えた。


「AIのすごいところは、ベースラインが同じになることだと思うんです。計算が苦手な人でも、AIを使えば一気に速い計算ができるようになりますし、膨大な知識を外部から引き出すこともできる。個々の苦手なところを補えるので、本来は格差を是正する方向にも使えるはずなんです。困っている人の役に立つために、ラストワンマイルとなるのが高品質なデータなので、そこを担える組織でありたいと思っています」


APTOがデータを届けることで、AIを誰でも挑戦できる機会に変えていく。社会に対する課題感と、自身の生き方が重なる領域で歩みを進めることにした。


APTOのメンバーと



3章 後悔しない時間の使い方


3-1. 夢は情熱に呼応する


自身の哲学の原点として、テレビ番組「カンブリア宮殿」の中で孫正義氏が高校生に向けたメッセージが記憶に残っていると狩野は振り返る。


「自分の持った夢に、人生はおおむね比例する結果を生む。小さな夢なら、その範囲でしか叶わない。夢はできるだけ大きく持った方がいい。そして、夢を達成できる人とできない人のただ一つの違いは、その夢をどれだけ心の底から達成したいと強く決意し、恐ろしいほどの情熱で努力をしたかだと語られていたんです」


どんな夢であれ夢を描けば、それが自分の人生に対するビジョンになる。夢を持たずに生きていると、人生はあっという間に終わってしまう。そんな言葉が、自身の中で一つの基準として残ったという。


「人はいつか絶対に死んでしまうので、自分の人生の時間の使い方に納得感を持つことが大切だと思っています。会社のアウトプットに対してもそうですし、一緒に働いてくれているメンバーに対しても、自分自身の人生に対しても、強くそう思っていますね」


これから35歳、40歳、60歳と仕事を続けていくなかで、これだけはやりきらないと絶対に後悔すると思っていることはあるか。採用面接の場でも、必ずそんな問いを投げかけると狩野は語る。


「AI開発の業界には、実際は開発もできないのに何でもできるかのように言う、詐欺師のような会社も少なくないんです。本当のAI開発は大変で、お金もかかる。使われなければ、数千万円ほどを溶かして終わってしまうということもある。だからこそ、お客様が実現したいことをきちんとヒアリングして、かかわるエンジニアにも限られた人生で後悔がないように取り組んでほしい。そうして、一緒により多くの人に使われるソリューションを作りたいと考えています」


AI開発は大変で、お金もかかる。だからこそ、情熱がなければ成功しない。


なんとなくデータを作りたいと、ビジョンが不明確な状態で始めるのではなく、たとえば「日本の水をきれいにしたい」「教育の不平等をなくしたい」、そのためにこのデータが必要なんだと語れる状態の方がいい。それは顧客に求める姿勢であり、狩野自身の仕事への向き合い方でもある。そうした情熱を伴う仕事こそ、社会に行き届く価値となるのだろう。



2026.10.6

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


「自分は空っぽだった」と、狩野氏は語る。けれど空っぽであることは、欠けているというより、まだ何でも受け入れられる余白なのかもしれない。


知っていることが少ないために、目にするもの、耳にする言葉のほとんどが新鮮に映ることがある。知らない分だけ、人は多くを吸収できる。足りなさは、外の世界へ手を伸ばすきっかけにもなるようだ。


気になったものに触れ、知らなかったことを一つずつ知っていく。空白を急いで埋めようとするのではなく、その過程で出会った物事を反芻しながら、自分なりの言葉を見つけていく。狩野氏にとって、その入口が地域の図書館だった。


今、APTOがデータを通じて支えるAIも、誰かにとっての新しい入口になりうる。生まれた場所や環境に左右されにくい、ひとりで問いを重ねられるもう一つの図書館。同社は、そこに置かれるデータの質や安全性に真摯に向き合っている。


文・Focus On編集部



▼コラム|2026.10.7 公開予定

私のきっかけ ― 「文化系トークラジオ Life」




株式会社APTO 狩野洋一

取締役COO

北海道出身。新卒で株式会社集英社に入社し、漫画雑誌の編集業に従事。29歳で独立した後、通信キャリアやサイバーセキュリティSaaS、大手税理士法人などにジョイン。2022年6月に株式会社APTO入社。2024年より現職。

https://apto.co.jp/


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