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未来のビル・ゲイツを増やしたい ― 夢追うITエンジニア人材が変える社会

次元が違うと感じる世界でも、伸びしろだと思えば意外と遠くない。


「カッコイイオトナを増やす」というビジョンを掲げ、ますます不足するIT人材を増やし、育て、キャリアを支援していく株式会社サポーターズ。国内最大級のエンジニア学生データベースを保有する同社では、日系メガベンチャーや国内外トップ企業の新卒エンジニア採用を支援。学生にとって壁となる就職活動費用の支援サービスや、未来の技術者を育成するキャリア育成プログラムなど、社会課題解決に向けた多彩な取り組みを生み出しつづけている。


代表取締役の楓博光は、慶應義塾大学在学中に新卒採用領域を支援する会社の創業に参画。卒業後は大手広告代理店を経て、VOYAGE GROUP(現・CARTA HOLDINGS)の採用人事として無人島インターンなど話題性の高い採用活動を多数企画・運営したのち、2012年4月に株式会社サポーターズを設立した。同氏が語る「夢のきっかけ」とは。





1章 サポーターズ


1-1. カッコイイオトナを増やす


人生には、道を踏み外しそうなとき声をかけてくれる人がいる。大切な夢や目標を忘れそうになったとき、そのたび何度も引き戻してもらってきたからこそ今があると楓は振り返る。だからこそ得られたものを、事業を通じて社会に還元しているようなものだという。


「夢とか目標を持っている人って、カッコイイじゃないですか。頑張っているオトナってカッコイイと思っていて。ただ、目の前の仕事を一生懸命やっていたりすると、相当意識したり良い環境に身を置かない限り、人って忘れてしまうと思うんですよね。だから、(夢を追う)きっかけを作りつづけないといけないと思っているんです」


新卒で就職する環境は、その人の人生を大きく左右する。サポーターズは2012年の設立以来、新卒・学生エンジニアのキャリア支援、就活支援を中心に事業を展開し、同時に多くの眠れる才能を開花させてきた。同社のサービスを利用した就職活動生は累計7万人、協賛企業は1,000社を越える。


現在は国内最大級のエンジニア学生データベースをもとに、イベント、スカウト、人材紹介など、各企業のニーズに合わせた幅広いマッチングを実現する。特に、当初から注力してきた地方の優秀層エンジニアと東京のベンチャー・スタートアップ企業との出会いの創出は、年数を重ねるほどにインパクトが生まれつつあるという。


「サービスを始めて今年で12年目なんですが、やはり10年も続けていると元ユーザーたちが今や各社のCTOやキーマンに育っていたり、何かのサービスを作っていたりして。彼らが社会のいろいろなものを変えはじめてくれていると実感しています」


サポーターズと出会っていなければ、なんとなく大学の先輩が薦める大企業や、地元の中小企業に就職していたかもしれない。「人生が変わりました」と言ってもらえることも多くある。


従来は就職の選択肢を増やす支援の形を模索してきたが、一定の実績と基盤を築くことができた今、さらなるフェーズも見据えていると楓は語る。



「次のフェーズとしては、学生のスキルやキャリアを大学1、2年から、なんなら高校生の時から磨いていくことを支援したいと思っていて。そのために数年前から『技育(ぎいく)プロジェクト』というものを立ち上げて、未来の『技』術者を『育』てることで、そもそも根本的にエンジニアを目指す人材を増やすような取り組みを始めています」


年2回開催される学生向けテックカンファレンス「技育祭」、エンジニア学生のためのピッチコンテスト「技育展」、ほかにもハッカソンや勉強会など年間通してさまざまな機会が用意されている。


「たとえば、デジタル大臣や2chのひろゆきさんに来てもらったり、AKB48の総監督に対してプログラミングを教えてもらったり。ハッカソンや勉強会、ピッチコンテストでも実際に手を動かしてもらいながら、とにかく楽しさやワクワク感から始まる体験というものを大切にしています」


プログラミングには学校の授業で触れたけれど、正直つまらない。そんな風に感じている学生たちにも、技育プロジェクトは「もの創り」の楽しさと、そこから生まれる価値を実感してもらえるよう工夫されているという。


常に学びつづけ、自分をアップデートしつづけなければならない職種だからこそ、もの創りの楽しさや価値を知ってもらうことで、エンジニアに魅力を感じ、志す人を増やしていく。


「現時点でエンジニアの求人倍率は10倍を超えていると言われていて、日本で1番求人倍率の高い職種になっています。しかもこれが恐ろしいことに2030年に向けて、現状の倍足りなくなるという話もあるなかで、日本のGDPも下がっていく。それをどうにかする1つの大きな要因がDX化であり、それを進めるIT人材だと思うんですよね。弊社はそういった大きな社会問題を解決する礎になることができると思っています」


不足するIT人材を増やすだけでなく、きちんと羽ばたける場所へ行けるよう導く。サポーターズは、来たる少子化とIT人材不足の時代に向けて、社会課題を解決する企業として歩みを進めている。


2023年秋に開催された学生ハッカソン「技育CAMPキャラバン」の様子



2章 生き方


2-1. 世界を変える側の人


田んぼばかりが広がる一帯に、広大な敷地を占める工場群。岐阜県南東の東濃地方といえば、「美濃焼」の生産地として古くから知られる土地だ。地元の人は、ほとんど何かしら陶器の仕事にかかわっている。なかでも祖父が始めた陶器の製造業は、物心つく頃にはそこそこ大きな規模まで成長を遂げていた。


家庭環境には大いに影響を受けたと楓は振り返る。


「小学校の時に遠足があって、ある年の目的地が実家の工場だったんですよ。同学年の子たちがみんなうちに来て、父が陶器の作り方の説明とかやっていて。その時みんなは1回学校に帰ってから解散だったのですが、僕だけ家だからこの場でいいよということでみんなを見送ったんです。その時の光景は不思議とすごく印象に残っていますね」


父への誇らしさと、改めて実感する家業の存在感。人々が使う製品を生み出す側にいる父と、その様子を見学する側にいる同級生。どちらかを選ぶとするならば、自分もやはり家族のように生み出したり動かす側にいなければと強く思う出来事だった。


「仕事とか人生は、自分で決めて自分で動かすものだと、何か教えられたりしたわけではないですが、それが当たり前のように感じていて。普通にサラリーマンをやる選択肢はないだろうなと昔からずっと思っていました」


両親ともに代々経営に携わる家系だったから、受け継いだ性格があるのかもしれない。幼稚園の時は小学生がうらやましく、小学生の時は中学生や高校生がうらやましかった。自分で鞄を持って、自分の足で通学している。そんな様子が、子ども心に自分で意思決定できているように見えたのだろう。


自分で決めていきたい、そのために早く大人になりたいという思いが強くなったのは、環境ゆえの反動もあったのかもしれない。


「ずっと抑圧されているというか、家では自分で決められない感覚があって。たとえば、夕飯一つとっても『何食べたい?』と聞かれたりすることが一切なかったんですよ。おそらく今思うと、父が仕事でほとんど家にいないなか、母は義理の父母と同居しながら3姉弟を育てる必要があって。どうにか暮らしを回していくために、子どもの意見を聞く余裕がそんなになかったんだと思うんです」


幼少期


思いばかり膨らみ、まだ具体的な将来像も何もなかった小学生時代、今にも続く1つの原体験があった。


「小学校3年生ぐらいの時に、親にナゴヤ球場に連れて行ってもらったんですよ。中日が好きで、初めてのプロ野球観戦だったのでシンプルに楽しみで。内野席でそこそこ良い席だしすごいなと思って行ったんです」


球場には歓声が満ちていた。その真ん中で、真剣な表情でプレーする選手たち。三振を取る、ヒットを打つ、盗塁する。彼らの一挙手一投足が注目され、観客を沸かせ、明日の新聞記事を彩るのだと肌で感じながら、同時に自分が大衆の1人として埋もれていくような感覚がした。


「自分って世の中の主役じゃないんだとすごく感じてしまって。このフェンスを隔てて向こうは歴史を作る側なのに、こちら側はいてもいなくても同じ存在というか。今僕がここで席を立とうが帰ろうが、何も歴史は変わらないということが結構ショックだったんですよね。何のために生きているんだろうと思ってしまって。それ以降、歴史を作る側に行く、フェンスの向こう側に行くことが人生の大テーマのようになった記憶があります」


地元ではそこそこ名の知れた家系の生まれで、待望の末っ子長男。将来を期待され、学校でも進んで前に立ってきた。


しかし、フェンスの向こう側にいる選手たちこそ、明らかに主役と呼ばれるに値する存在だった。歴史に残る偉業を成し遂げようと、その土俵に立っている。それに比べれば自分は主役でもなんでもないし、それどころか脇役でもないのだという事実を突きつけられたようだった。


自分もいつか歴史を動かし、世界を塗り替えるようなことを成したい。いや、成さなければと思いを新たにしていた折、理想を体現するかのような存在と出会う。


「当時小学校の仲間と遊びでドラマを作るみたいなことをやっていて。ワープロで台本を書いたりしていた頃に、マイクロソフトのサービスが登場したのかな。パソコンの環境がすごく変わっていくのを感じて、それはどうやらビル・ゲイツという人が作った会社がやっているらしいと知ったんです。そこから僕の中でビル・ゲイツを目指すという目標ができて」


一家に一台はパソコンがあり、誰もがインターネットを身近なツールとして扱う。そんな当たり前の日常を創り出し、ITで世界を変えた起業家として、ビル・ゲイツの名は世界に知れ渡りつつあった。まるで、世界が変わるとはこういうことだと教えられたようだった。


憧れの存在に少しでも近づくには何が必要なのか。1つはビル・ゲイツのような人が多く集まるであろう場所に行くことではないかと考えた。つまり日本の中心地、東京だ。


東京に行って、ベンチャー企業の社長をやりたい。ビル・ゲイツのように世界を変えたい。それが小中学生の頃からの明確な夢であり、目標だった。




2-2. 上には上がいないとつまらない


早く都会に出たいという思いが募っていたのは、社長になることを夢見ていたからだけじゃない。小学校から中学校にかけ地元のヤンキーに目をつけられて、理不尽に当たられることがあったからでもある。


「それこそ漫画みたいに体育館裏に呼び出されて、ボコボコにされたり。家は大きい会社をやっているし、生徒会長をやったり、そこそこ運動ができたり、今思うと嫌味なやつだったんですよね(笑)。ただ、一生懸命頑張っていることを否定されるのはすごく嫌だなと、ずっと地元の閉そく感のようなものは感じていました」


何かを頑張って、目立っているから腹が立つ。そんな風に思われるのも、田舎だからかもしれない。きっと都会には頑張っている人がもっと多くいるはずだから、そもそも目立つこともないのだろう。


いずれにせよこの環境から早く抜け出したい。高校は地元で1番の進学校に入ろうと考えて、中学1年から塾に通いはじめた。


「市内のいろいろなところから人が集まってくる塾だったのですが、今まではずっとトップだったのに、僕より頭がいい人がゴロゴロいることに衝撃を受けて、でもものすごく嬉しくて。自分なんて別にすごいとも言われないし、普通だと分かったことが悔しいと同時にすごく嬉しかったんです。もっとやっていいんだと、そこからものすごく勉強を頑張るようになって」


努力すればするほど褒められ、テストの点数や順位という結果が返ってくる。しかも成績順で席位置が決まるシステムになっていたので、誰もが順位を明確に意識する。毎月のテストで競い合ううちに、まさに楽しみながら切磋琢磨する仲間ができていた。


「そこはあくまで市の塾だったので、今度は高校に行けば近隣の市からもトップが集まってくると聞いて、そんなところがあるなら行ってみたいと思って受験しました。実際入ってみたら、さらに頭もいいし、かつ運動もできるような人がたくさんいて。やったらやっただけ褒められるし、誰もそれを馬鹿にしないし、なんて最高の環境なんだと楽しくなった記憶がありますね」


高校では「自主・自律・自学」という校訓が掲げられ、生徒一人ひとりの意思決定が尊重されていた。勉強するのもよし、部活に力を入れるもよし。型のように決められた学校生活がないからこそ、好きなものには好きなだけ熱量を注ぐことができた。


「ソフトテニス部に入って、2年ぐらいはひたすら部活ばかりやっていて。中学時代は市のチャンピオンだったんですが、高校の部活ではもっとその上の地区大会でも上位にいるような人が平気で集まっていたんですよ。そこでは僕はレギュラーにすらなれなくて、でも逆にそんな環境がすごく楽しくて」


自分がトップにいるよりも、もっと上に行きたいと燃える環境にこそ楽しさを見出している。考えてみれば、以降の人生もずっとその連続だったかもしれない。


「『まだ全然伸びしろあるじゃん、自分』と思える。しかも、いざやってみると全然次元が違うと思った相手でも、意外と近づけるということは感覚としてありますね」


部活の引退試合でも、全国大会常連の相手にまさかの勝利を収め、大泣きした記憶は忘れられない。


最初は格の違いを痛感しても、愚直に頑張りつづければ一歩ずつ成長し、それなりに闘えるようになる。経験からそう信じてきた。


中学時代



2-3. 夢を思い出させてくれた1通のDM


自分よりとんでもなく上の存在に刺激を受けて、本気で頑張ってみる。できることは全てやり尽くし、その結果として限界を感じたなら次の選択肢を試せばいい。


「部活はものすごく頑張っていたのですが、同時に自分より強い人が無限にいることも感じていて。これから先勝負するなら、もう少し勉強やビジネスで勝負できるようにならないと勝てないなと。2年間で部活には見切りをつけてばっさり引退しました」


高校生活最後は部活に見切りをつけて、受験勉強に集中する。慶應義塾大学経済学部へと進学し、大学ではビジネスをやりたいと思っていた。


念願の東京、初めての1人暮らしではかつてないほどの自由を噛みしめた。


「解放という感じですね。自分が何でもできるというか、何にでも自分の時間を使えるし、体を使えるこの感覚ってすごいなと、いまだに思いますね。ものすごい自由を手に入れたと思いました」


朝何時に起きるか、夕飯には何を食べるか、部屋の掃除はいつするか。ありとあらゆることを自分1人で好きに決めていい。間もなく授業もそこそこに、ソフトテニスサークルの仲間と気ままに過ごすようになる。ビジネスをやるという話もどこへやら、普通の毎日があまりに楽しくて、ひたすら遊ぶうちに2年半ほどが過ぎていた。


「大学3年の後半くらいに、mixiが流行っていたんですよね。例に漏れず登録してみたら、すごく世界が広がって。それまで本当にサークルというすごく狭いコミュニティで、仲の良い10人ぐらいとずっと過ごしてきたので、せっかく東京に来たのに何も見ていなかったし、こんなに東京って広かったんだと気がついて」


mixiにはコミュニティ機能があり、誰もが自由にコミュニティを作り、繋がることができた。それらを面白く眺めていると、偶然自分と同じ「1984年12月19日生まれの人」だけのコミュニティがあり、しかも100人200人規模になっていると知る。


「そこで僕はふと思い立って、オフ会を提案したんですよ。今まで狭いコミュニティで生きてきたんですが、mixiを通じてみんなで会ってみたんです。そしたら本当に同い年だけど全く違うバックグラウンドの人が集まって、もちろん大学に行っていないとか、結婚しているとか、いろいろな人たち2、30人で仲良くなって」


ふとした思いつきから、まさかこんなに面白い体験ができるとは思ってもみなかった。それまで慶應の大学生とばかり接してきたが、当たり前ながらもっといろいろな人生がある。しかも自分が少し動いただけで、こんなにも世界が広がるということが衝撃だった。



mixiにのめり込み、夢中で友だちづくりをしていたある日のことだ。知らない人から1通のDMが舞い込んだ。


「突然DMが来て、『今度みんなで会社を作ろうと思っているのですが、関西のメンバーが多いので東京で一緒に活動してくれる人を探しています。もしよかったら一回話しませんか』というような内容で、面白そうだなと思って。今思うとすごく怪しいですが(笑)、会いに行ったんですよ」


DMの相手に会ってみる。すると、どうやらその人は広告代理店で働きながら、自分で会社を始めるべく準備を進めているようだった。一緒にやらないかと改めて誘ってもらう。それをきっかけに、今の今まで忘れていたが、自分が何のために東京に来たのかを思い出した。


「恥ずかしながら東京で一旗揚げてやるとか、それでフェンスの向こう側に行くんだみたいに思っていたことを、本当に久しぶりに思い出した感覚があって。mixiですごく友だちができたように、こうやって少し動くだけで出会いがあるもんなんだなと思いながら、これはやらない手はないと、『(とりあえずよく分からないけど)やります』と言って(笑)」


事業としては、新卒採用向けに企業人事ブログのポータルサイトを運営していくことになる。Web2.0が叫ばれる時代、就職活動にも学生と企業双方向のコミュニケーションを取り入れようというコンセプトだった。


とはいえ当初は構想段階だったので、まずは話し合いながらアイデアをブラッシュアップしていった。深夜のファミレスに集合し、ああでもないこうでもないと夜通し意見を出し合う。朝になれば、その足で各々営業へと向かったりと青春ドラマさながらの生活だ。


意見を出せば歓迎され、反映されていく。そんな過程も楽しいもので、ビジネスは未経験だったが意外とやれるかもしれないという手応えがあった。


「ある時、代表の意見に僕が猛反発して、『それは学生のためになってないから絶対こっちの方がいいですよ』と結構ケンカしたことがあるんです。結果的には僕の案が採用してもらえて、あとになってあそこで主張しなかったらおそらくこのサービスは終わっていたし、主張したからこそこういう価値をユーザーに提供できるようになったという実感が得られたように思います」


こうして誰かの一言がきっかけで、人や会社の歴史は変わっていくのだろう。ビジネスはまだまだ想像もつかないような世界が広がっている。歴史を動かし、世界を変えていく起業家になるために、自分から動いていこうと決めていた。


大学時代



2-4. 起業


サービスはそれなりに成長し、人が食べていける程度にはなりつつあった。しかし、一度は大企業で働いた方がいいようにも思えたので、就職することにする。


選んだのは業界大手の広告代理店だ。確固たる志望動機があったわけではない。当時は自分の手でどうやって歴史を変え、世界を変えるのか、具体的なイメージは湧いていなかった。


「しばらくは自分が歴史を変えるんだ、その会社で社長になるんだと思って、学生時代の経験もあったのですごく自信過剰にやっていたんですよ。結構働いていたし、当時採用サイトがイケてなかったので『自分たちに作り直させてくれ』とか言って、サイトもグッズも全部作り直したりして」


新入社員にしては気合いを入れて、いろいろと主体的に動いていた方だろう。けれど、結局新人1人が起こす変化よりも、上に立つ人が取ってくる案件の方がはるかに金額も影響力も大きい。下の人間はそれを効率よく回すことで、大企業というものは成り立っているのだと学んでいった。


「1番ショックだったことは『楓は何?どうしたいの?』と聞かれた時に、当時まだ僕は意気揚々としていたので、『世界変えたいです』みたいなことを言ったんですよ。そしたら上司からは『いや、そうじゃなくて』と『今期の目標の話』と言われて、結構ショックで」


大企業とは、社会人とはそういうものなのかもしれない。ここでは「世界を変える」なんて言ってはいけないし、自分はそんな立場にもない。目標を聞かれれば、迷わず今期の数字を答える。与えられた仕事をきちんとこなす。次第にそれがあるべき姿なのだと思うようになり、3年ほどが経った。


ある日、久しぶりに学生起業時代に繋がりのあった人から食事に誘われた。行けば役員だという人物が同席していて、「楓君はどういう仕事してるの?」とあれこれ質問される。


「一応やっていること自体は大手クライアント相手にCM流したり、大規模なイベントをやったり、僕はその中でも『その他大勢』でしかないですが、華々しく見えることをやっていたし、それにかこつけて合コンとかもやっていたので、普段合コンしてますみたいな。ザ・代理店の若手というような話をしていて」


しばらくなごやかに話していたかと思えば、突然「楓君の夢って何なの?」と質問が飛んできた。もちろん世界を変え、歴史に名を残したい。嘘偽りない思いを伝えると、相手も「いいねいいね」と聞いてくれる。


しかし、「じゃあそれ今の会社でどうやるの?」「そのために今どういうことをしているの?」と聞かれ、思わず返答につまった。


「やっぱり言えないんですよ、何も実践していないので。ごにょごにょしていたら、突然その人が怒りだして。その日会ったばかりなのに、『楓君ってさ、つまらない人だね』と。『偉そうに世界変えるとか歴史変えるとか言いながら、何もせずにただ実績っぽいことばかり並べて、もう君と話してもつまらないから帰っていいよ』と言われて」


いきなり初対面で面食らうが、言われたことはその通りだと思えることだった。認めれば自分を否定することになってしまうから、必死に見て見ぬふりをしていたのだと改めて自覚する。


「ものすごくへこんで、でも帰れって言われて帰るわけにもいかないしと思っていたら、『これなら世界変えられる、歴史変えられると思えるもの何かないのか』と聞かれて」


その瞬間頭に浮かんだのは、大学時代に携わったHR系サービスのことだった。人のキャリアや人生を良い方向に変えていく。もしかしたら、唯一自分が知っている世界を変える方法かもしれない。


ありのままの思いを吐き出すと、「それならうちの人事としてやってみろ、そこでもう1度やり直せ」と言葉をかけられた。成功するか否かは自分次第。ただし、本当にこれなら世界が変わると思える方法が見つかれば、それを応援してやるとも。


「分からないけど、この人が言っていることはものすごく正しいし、ここまで自分に言ってくれる人って今までいなかったし、1回くらいここで勝負してもいいかなと思って。『行きます』と答えて。それで転職することになったのが、今の親会社のVOYAGE GROUP(現・CARTA HOLDINGS)ですね。今思うとすごく荒っぽいやり方だなとは思うんですが(笑)」


新入社員だった頃


転職後は人事としての仕事を全うし、同時に自分にしかできないことをやろうと考えて、常識をがらりと変えるような採用活動を企画した。


「当時はフラッシュマーケティングが話題になっている時代で、何人集まったらこれをやりますというサービスが流行っていたので、じゃあ何人集まったら社長がご飯ごちそうしてくれますという採用イベントをやったり。歴史に残るインターンをしようと企画して、おそらく世界初の無人島インターンを作ってサバイバルっぽいことをしてみたり。結構ニュースにも取り上げてもらいました」


自分の手で変えられる。まだまだ小さな世界ではあるものの、一定の自信はついてきた。しかし、あくまで一企業の採用の話でしかない。世界を変える方法は、自分なりに模索しつづけていた。


ちょうど世の中では、エンジニア人材の需要が高まりはじめた時期だった。人事としても優秀な若手エンジニアを探すなか、ときおり地方出身の逸材と出会うことがある。詳しく聞けば、会津大学や奈良先端大、長岡技大や豊橋技大など、技術特化の隠れた地方有力大学が存在すると知る。


興味を持って現地に赴いてみると、さらに驚いた。


「みんなすごく専門的にやっているけれど、彼らには情報がなかったんです。先輩の知識や学校の推薦だけで人生を決めてしまう人が、ものすごく多いというギャップに驚いて。これだけ社会でエンジニアが求められているのに、その卵たちが適切な就職の選択肢を得られていない。これってすごい社会課題だし、もったいないことだと思ったんです」


地方の就活生の目線に立つと、明確な1つの課題があった。東京にある魅力的な就職先を知ろうにも、そこまで足を運ぶ交通費が負担になっていた。それなら優秀な人材を求める企業が少額ずつお金を出して、クラウドファンディングのように支援する仕組みがあれば、学生ももっと気軽に東京の採用イベントにも足を運べるようになるのではないかと考えた。


ニーズは確実にある。才ある若者の人生が変わり、エンジニア不足という社会課題の解決にも繋がるだろう。間違いなく世界が変わると確信できたので、社内で新規事業として提案。2012年に株式会社サポーターズを設立するに至った。


「転職した頃、Facebookが世界的にすごくシェアを広げていて、CEOのマーク・ザッカーバーグは僕と同い年だったんです。25歳の若者がFacebookで世界を変えているらしいと知って、僕からしたらもう一人ビル・ゲイツが生まれたように感じて、自分もこうなりたかったんだよなと思うことがあって」


同い年のザッカーバーグに触発されて、プログラミングを始めてみたこともある。しかし、全く理解できないし楽しくもない。一方で、人事として出会うインターンの学生たちは、すさまじい知識量のもと優れた事業案を考えてきたりする。


あとから思えば、のちに彼らが有名起業家になっていたりするので、とんでもない逸材だったと分かる。だが、当時は相当ショックを受けた。ビル・ゲイツのようになりたい、プロ野球のフェンスの向こう側に行きたいという思いは変わらずあるが、自分にとっては身に余る目標だと突きつけられたようだった。


サポーターズの事業は、そんななか自分なりにできることを探した結果でもあった。


「じゃあビル・ゲイツにはなれなくても、フェンスの向こう側に行く方法って何だろうと考えた時に、ビル・ゲイツを増やすことなんじゃないかと思ったんです。僕経由で10人100人のビル・ゲイツが生まれていけば、僕1人がなるより価値があるなと思って。その方が歴史を変えているし、世界も変わるなと思って、ビル・ゲイツを増やす側に回ることにしたんです」


人生における一つの衝撃であり、諦めだった。人のキャリアを支援する領域に軸足を置いたのもそのためだ。


才能ある若い人材が十分な広い選択肢を持ち、人生を花開かせていく。夢を追い、走りつづける人を増やす。10年、20年と続けるほどに、やがてそこから巣立った人材が世界を変え、歴史を変えていく。




3章 壁にぶつかっている人へ


3-1. あえてコンフォートゾーンから抜け出そう


振り返れば、いつも自分の殻を破るような体験の先には、もっとはるかに高い山が必ず現れてきたと楓は語る。


「そのたび心折れずに自分だからやれることや、自分にしかできないことを見つけて頑張って。でも、いつかまたコンフォートゾーンが来てしまうので、ときにはあえて一歩出て、また壁にぶつかってみるということの繰り返しでしか前に進まないんだなと分かった気がします。人生を楽しむうえでも、キャリアを作るうえでも、全ての秘訣はそこにしかないなと」


コンフォートゾーンの居心地がよく立ち止まってしまったり、あるいは壁にぶつかり自信を失ってしまう人も多い。しかし、そんなとき一歩ずつでもコンフォートゾーンの外に出て、険しい道を登ってみる、その繰り返しを経ることでしか、成長はないと楓は考える。


「おそらくいきなり転職するとか、そういうイメージを持つ人も多いと思うんですよね。大きな意思決定をしなければいけないと。でも、おそらくそういうことではなくて、今少し面倒くさいと思っていることを一個やってみる。そこからでいいと思うんです」


コンフォートゾーンから抜け出すには、小さな一歩からで構わない。


楓自身、社会人3年目の飲み会で人に会うという行動が、起業へと繋がる分岐点だった。知らない人に会う、知らない本を読む。面倒くさいという気持ちを抑え、一度でいいからやってみる。「たったそれだけ」と思えるようなことが、何かに繋がっていくかもしれない。


「今思うと恐ろしいのですが、僕の人生が変わった飲み会も、行く直前まで面倒くさいなと思っていたんですよね。それがいざ行くと人生が変わって。1時間でいいからコンフォートゾーンから出ることをやってみる。そんな話でいいんじゃないですかね」


人生だけでなく、企業経営についても同様だ。事業が軌道に乗れば、やがてコンフォートゾーンへと入る。しかし、現状を維持しているだけではやがて衰退へと向かってしまう。


「弊社でも業績が厳しい時期があって、新型コロナウイルスの感染拡大もあり、数年前に一気にコンフォートゾーンから放り出されるようなことがあったんです。でも、放り出されたらやっぱり頑張るし、もう1回やり直そうと思うんですよ。もう無理じゃないかとしんどくなることもあったのですが、乗り越えれば何か見えてくるということの連続で。やはり結局こういうものなんだなと思いました」


いくつになっても、コンフォートゾーンからは自分で意識的に抜け出せるほうがいい。そこから広がる可能性を思えば、信じて一歩踏み出すべきだろう。



2023.10.31

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


上には上がいると知る瞬間に、悔しさと嬉しさを感じてきたという楓氏。努力しがいのある環境に身を置くことで、人はより大きく成長できる。そうとは分かっていても、自分の無力さや甘さを痛感させられる機会にあえて飛び込んでいくことは難しい。


しかし、それを自分の「伸びしろ」だととらえれば180度見方は変わってくる。目指す目標が高ければ高いほど、必要な努力の道筋や理想像が見えてくることの意義は大きい。とらえ方一つで、全く違う未来が待っている。そう思えばこそ、より広い世界を知りながら、愚直に一歩ずつ前進することの意義を見出せるかもしれない。


夢や目標に向かって努力する人を応援するサポーターズ。その根底には、やがて世界を変え得る努力へのリスペクトが感じられる。だからこそ、同社の描く未来では人から見れば馬鹿げた夢も、どんな意味があるのか分からない挑戦も、追い風を受けられるような社会が創られていくのだろう。


文・Focus On編集部





株式会社サポーターズ 楓博光

代表取締役

1984年生まれ。岐阜県出身。慶應義塾大学在学中に就活支援会社を創設し、日本初の人事ブログポータルサイトや就活イベントを運営。大学卒業後は大手広告代理店を経て、ベンチャー企業の採用担当として無人島インターンシップなどを生み出す。2012年4月にITエンジニアのキャリアを支援する株式会社サポーターズを創業。これまでに約1000社の新卒エンジニア採用支援、約7万人の学生エンジニアのキャリア支援を行う。著書『ゼロからわかる新卒エンジニア採用マニュアル』。

https://corp.supporterz.jp/

  

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