目次

物流を支えるのは「人と人」 ― 目まぐるしい変化の中で、成長を楽しむ

環境の変化に身を委ね、成長を楽しもう。


「人と人とのつながりで“未来のあたりまえ”を創造します」というミッションを掲げ、世界的EC企業の物流パートナーとして、物流業務を包括的に受託する3PL事業を中心に展開するファイズグループ。設立からわずか5年で東証一部(現 スタンダード)上場を果たした同社において、その中核企業として売上高の6割以上を占めるファイズオペレーションズ株式会社は、物流センターを機能させるオペレーション業務の代行・効率化及びスタッフ派遣を担っている。


代表取締役の松谷和則は、ファイズグループの前身となる人材派遣企業に入社し、キャリアをスタート。新規物流拠点立ち上げに従事したのち、同社事業の成長とともに、全国各地で10か所以上の拠点・事業所立ち上げの現場を牽引。2025年6月にファイズオペレーションズ株式会社の代表取締役社長に就任した。同氏が語る「人の縁」とは。






1章 ファイズオペレーションズ


1-1. 人と現場で支える物流


EC市場の拡大や生活様式の変化を背景に、人々の暮らしを支えるインフラである物流の重要性は、年々高まっている。一方で、人口減少の流れは避けて通れない。かつては求人を出すだけで一定数の採用が見込めたが、今ではそう簡単に人は集まらない。働き方や労働時間の工夫だけでなく、働く一人ひとりとどう向き合うかが、これまで以上に問われていると松谷は語る。


「どこまでいっても、我々の事業は『人』が軸だと思っています。いくら素晴らしい設備やシステムが導入されたとしても、一定数、作業する人は必要になってくる。だからこそ、我々の強みでもある人材を集める力は、これからも伸ばしていきたいと考えています」


同社が提供するサービスは、物流のなかでも主に3PL、請負、スタッフ派遣といわれる領域にある。このうち3PLサービスでは、物流センターにおける入荷から出荷に至るまでの作業プロセス全体を包括的に管理する実務機能のほか、拠点配置プランの提案、庫内オペレーションの設計、マテハン機器*の選定といった業務をサポートするコンサルティング機能も有している(*マテリアルハンドリングの略。倉庫や物流センターで荷物の搬送・保管・仕分けなどを自動化・効率化するための設備のこと)


こうした仕組みづくりや効率化と同時に、松谷が何より重視しているのは、実際に現場を動かす「人」の存在だ。物流の現場を動かすのは人であり、その関係性が仕事の質を左右する。だからこそ、現場での会話やコミュニケーションを大切にしているという。


「僕自身、まず意識しているのは挨拶ですね。基本的な挨拶もできないのに、お客様と商談できるのか、ワーカーさんに指示を出せるのかと考えると、やはり厳しいと思うんです。挨拶や明るい声が飛び交う現場こそ、『いい現場』なんじゃないかと考えています」


物流と人材、そして現場。それぞれを切り離さずに磨きつづけることで、ファイズオペレーションズはこれからの成長を描いていく。2025年6月に代表取締役の任を引き継いだ松谷自身、キャリアの始まりは現場からだった。


「代表に就任したからといって、何かを大きく変えようという感覚はあまりありません。ただ、会社が成長していくためには、社員一人ひとりの成長が欠かせない。そこはこれからも変わらず大切にしていきたいと思っています。今では当たり前になっていることも、昔は当たり前ではなかったように、これまで続いてきた会社の流れを受け継ぎながら、未来をつくっていく。そのために、責任をもって事業を運営していきたいですね」


変わりつづける物流業界においても、変わらないものがある。人と現場に向き合いつづける成長の礎を守りながら、ファイズオペレーションズは歩みを進めていく。




2章 生き方


2-1. 何をやるかより、どうやるか


生まれつき線が細い方だったので、幼い頃はよく女の子に間違えられていたと松谷は振り返る。元気に外で遊んでいたが、怪我も多かった。当時、少しでも丈夫に育つようにと親に勧められて始めたのが、水泳だった。


「もともと関節が弱い子どもだったので、遊び回るとすぐ捻挫したりしてしまっていて。体を強くするのにいいらしいということで、幼稚園ぐらいから水泳を習いはじめたんです。そこから水泳を頑張りはじめて、高校まで続けていましたね」


はじめは単なる習い事として何の気なしに通いはじめたが、思いのほか水泳にはのめり込んだ。小学生の大会では、エントリーするために突破すべきタイムが年齢ごとに細かく定められていて、毎年記録を更新しつづける必要がある。目標は常に目の前にあり、次々と追いかけていくものだった。


練習に打ち込み、そうした目標を一つ一つクリアしていくのは達成感があるし、何よりタイムが伸びれば成長を実感できる。気づけば自主的に大会を目指すほど、水泳が楽しくなっていた。


「練習をしたり、試合に出たりするたびにタイムが伸びていく。ベストタイムを更新しようという、明確な目標があることが良かったですね。しかも、練習や努力がきちんと成果に結びつく感覚があって。当時は1日練習を休むと、取り戻すのに3日かかると言われていて、あの指導が正しかったのかは分からないですが、週7日休まず練習したりしていました。結果的に健康な体づくりもしっかりできたと思います」


幼少期、スイミングスクールにて


放課後は友だちと遊んでから、一人プールに行って1~2時間ほど泳いで帰る。いつしかそれが日課になっていて、水泳の練習は生活の一部になっていた。一方、勉強にはあまり触れていなかった。


「昔から学校の授業が苦手だったんです。授業ってみんな一斉にやるから、平均のペースに合わせるじゃないですか。そうではなく、自分のペースでやりたいという思いがあって。友だちと遊ぶことは別として、みんなで同じ空間で同じことを同じ時間にするということが、あまり好きになれなかったんですよね」


個人競技の水泳と違い、学校の授業は集団のペースに従う必要がある。もっと早く先へ進みたいと思ったり、興味のある部分に寄り道したいと思っても、授業中は先生の指導に従うしかない。気持ちが乗らないまま授業を受けるうち、次第に学校の勉強にはついていけなくなっていた。


ずっと勉強からは距離を置いたまま過ごしていたが、小学校の高学年になると、親から促され塾に通いはじめる。


「家の前に個人指導の塾があったので、そこに通って初めて勉強に真面目に取り組んだんです。そしたら『あ、算数ってこういうことなんだ』とようやく理解できたし、解き方が分かれば面白くなってきて。小学1年生からやり直す必要があったのですが、分かるようになってからは早かったですね。学校の授業は嫌いだから全部塾の先生に教えてもらうことにして、1時間で1学期分をやるんです。どちらかというと飽き性だったので、週1~2日しか塾には行きたくないからと、密度を濃くしてもらっていました」


塾の先生は細かく見てくれないが、代わりに一人で短時間集中して勉強できる環境だったので自分に合っていたのかもしれない。


思えば、水泳や塾で感じていた手応えは、どれも自分のペースで取り組めていたときのものだった。集団に合わせるよりも、自分なりに取り組める場面の方が力を発揮できる。何をやるかよりも、どこでどんな形でやるかが重要そうだという感覚は、自然と芽生えていったものだった。




2-2. 思い通りにならない現実もある


塾のおかげでテストで100点を取れるようにもなり、勉強には自信がついた。しかし、授業は相変わらず苦手だったので、中学ではほとんど水泳と塾が生活の中心のようなものだった。


「中学くらいになると、水泳も上には上がいるという現実は見えてきて、そこそこ頑張っていたぐらいですかね。ただ、体を動かすのは好きだったので、一定数パワーを発散するではないですが、そういう場はあった方がいいと思って続けていました。水泳って常に自分を追い込む練習をするので、怪我をして練習できなかったりすると締まらないなという感じでした」


学校で友だちと会うのは好きだったが、どうしても授業は窮屈なままだった。次第に昼頃から行くような日も増えていき、高校1年生の夏にはこのままでは出席日数が足りなくなるという話になった。


それならいっそ家族のために働くのもいいかもしれないと考えていたが、先生が定時制高校を勧めてくれたので転入試験を受けてみることにした。


「転入なので試験はなくて、作文と面接があったんですよ。きちんと受けたのですが、なぜか不合格になってしまって。内申点が悪かったのか、いまだに落ちた理由が分からない(笑)。びっくりしましたね。初めての挫折経験でした。世の中思い通りにいかないんだなと初めて気づいたタイミングでした」


母親に高校は卒業してほしいと言われていたので、心は転入するつもりでいたが、結果的に学校に通いつづける選択はできなくなった。どこかそれまで「なんとかなるだろう」と思ってきたが、全てがそう簡単に思うようにいくわけではない。思いがけず、世の中を知る経験になった。


高校時代



2-3. 退屈の対極にある「変化」


あまり深く考えても仕方ないからと、ひとまずお金を稼ぐことにする。なかでも当時は一つの仕事を長く続けるよりも、全く違う仕事をより多く経験してみたかった。


「それからはザ・フリーターのような感じで、数多くのアルバイトをしていましたね。建築系から造園屋、飲食、派遣会社のアルバイトもやりました。特に一つこれという出来事があるわけではないのですが、いろいろな現場を経験させてもらって今があると思うので、世の中にいろいろな仕事や働き方があり、いろいろな人がいると知れたことは良かったですね」


いくつかの仕事を楽しみながら働きつつ、22~3歳まではそんな生活を続けていた。転機となったのは、今の会社の前身となる企業との出会いだった。


「当時ファイズの前身となる京都の派遣会社に登録していて、そこで上の方に顔を覚えられて、『大阪で仕事があるから、ちょっと手伝ってほしい』と物流倉庫拠点の立ち上げに指名で呼ばれたんです。最初は2~3か月のスポット的なお手伝いかなと思っていたのですが、お客さんへの紹介で『社員の松谷です』と(笑)。そこから気づけば社員になっていましたね」


もともと物流拠点でのアルバイトは経験したことがあり、仕事自体には馴染みがあるものだった。現場にいると、もっとこうした方がいいのではないかと自然と考えて、社員でもない立場ながら現場をまとめるような動きをすることが多かった。もしかしたら、そんな姿が目に留まったのかもしれない。


当時声をかけてくれたのは、前身の会社の常務だった。数いるアルバイトの一人だった頃から、食事をおごってもらったりとよくお世話になっていた。


「その方はすごく人を発掘するのがうまいんですよね。能力を見抜くというか、いろいろな人を一本釣りで引き上げていくことが得意で、そのお眼鏡にかなったのかなと。今思うと、末端まできちんと目を光らせて見られているんだなと思います」


無事に拠点立ち上げが終わり、任された仕事もこれで終わりだと思っていた。だが結果的には、そこから社員として今に至るまで長く働くことになった。


「当時取引していた企業さんがすごく成長されて、仕事内容や状況がすぐに変わっていくようになったので、飽きなかったことが一番大きいかもしれません。おそらくいろいろなアルバイトをしていたのも、自分はそういう変化がないと退屈してしまうからという部分は大きくて。社員になってからは、数か月から半年に1回のペースで新規の立ち上げをしていく目まぐるしい環境で、それを楽しんでいたところはあったと思います」


ただ同じことを繰り返すよりも、目まぐるしく変わりつづける環境の方が楽しめる。水泳での目標更新や数あるアルバイトで感じていた手応えの感覚は、仕事の中でもつながっていった。変化が次々と起きる環境は、結果的に長く身を置ける居場所になっていた。


課長時代



2-4. 現場に導かれて


所長として新規拠点を立ち上げ、一定の仕組みができたら後任に譲る。そうして次の現場へと赴くことを繰り返す。日本全国の拠点立ち上げを任され、10か所以上の「現場」を経験していく日々は、一つ一つが印象的だった。


「立ち上げというのは、もう全部がしんどくて楽しくて、あらゆるものが凝縮されている仕事だと思います。だから、成長の機会かなと思っていました。非常にためになる経験が多かったので、僕もうまく成長させてもらえたのかなと思います」


まだ小さな会社だったので、拠点立ち上げのノウハウは整っていなかった。今でこそ一定パッケージ化が進んでいるものの、当時は手探りの状態で現場に委ねられ、ゼロから作り上げていくしかなかった。しかし、その分ゼロから考えたものがうまくはまった瞬間は、何より嬉しいものだった。


「アルバイト時代なら、正直嫌なことがあったらすぐ辞めたらいいかという感覚もあったのですが、社員になったり職位が上がれば、そんな風に嫌だからと言って簡単に仕事を投げ出すわけにもいかないですよね。責任がありますし、しっかりどうやり遂げるかという思考が生まれていった時期だと思います」


やりがいのある仕事ではあったが、自分一人の力ではどうにもできない課題に直面し、心が折れそうになる場面も何度もあった。当時は経験も知識も不足していたので、今なら難なくクリアできる問題にも答えが出せないことがよくあった。


「一番しんどかったのは、東海地方のとある拠点の立ち上げだったかもしれません。人が集まらなくて、現場がすごく疲弊していくのが申し訳なくて。当時は本当に会社が小さかったので、派遣会社さんに依頼したくてもどこも相手にしてくれなかった。今なら1,000人集めろと言われてもできる自信がありますが、当時はたった10人すら集められずに苦しんでいました」


数多くの拠点や事業所立ち上げに携わったのち、2025年からはファイズオペレーションズ株式会社の代表取締役を引き受けた。ちょうど前任の代表である田中勝也がグループ全体の執行責任者になったため、代表を引き継ぐ形になった。


これまで現場で積み重ねてきた経験を、今度は会社全体へと活かしていく。肩書きは変わったが、向き合いつづけるのはこれまでと同じく、現場と人だった。


前社長の田中勝也(写真左)と



3章 組織はまず「人」から


3-1. 人が人を前に進ませる


行き詰まることがあったとしても、なんとか立て直すことができた背景には、いつも人の存在があったと松谷は語る。


目の前の仕事に悩みを抱えていた頃、前身の会社の常務から声をかけられ、何気なく食事に行ったことがある。具体的にどんな言葉をかけてもらったのかは、正直あまり覚えていない。ただ、溜まっていた悩みや感情を吐き出して、それを受け止めてもらえたことで、もう一度前に進もうと思えた。その感覚だけは、はっきりと残っているという。


「当たり前のことですが、悩みがあってもそれで人生が終わってしまうわけではないんだと、そう思えるかどうかは大きいのかなと思っています。もちろん、本人にとってはすごく重たい悩みの場合もあると思います。でも、どこかのタイミングで『なんとかなるさ』と少し肩の力を抜けるようになると、だいたいのことは大丈夫なんじゃないかなと思うんです」


そうした経験の積み重ねは、「人との縁やつながり」を何より大切にする感覚につながっていった。


「利他の心という言い方もできるかもしれませんが、自分本位ではなくて、相手の立場や気持ちを考えることが、縁やつながりを大切にすることなんじゃないかなと思っています。自分自身も常にそうあろうとしていますし、自分が誰かを助けられたり、アドバイスできる立場なら、できるかぎり利他的でいることで、その人もいつか誰かに同じことをしようと思えるようになる。そうやって利他の心を回していく感覚を大事にしています」


松谷が大切にしている価値観は、個人のスタンスにとどまらず、組織の在り方ともつながっている。人と人との関係性をどう築くかは、日々の仕事の進め方だけでなく、どんな人と一緒に働くかという点にも直結するからだ。


「『もっと学びたい』『できなかったことをできるようになりたい』と思える方は、弊社にすごく向いていると思います。あとは、変化の多さに対応できることですね。たとえば、産休から戻ってきた方に話を聞くと、『こんな会社だったっけ?』と感じることもあるらしくて、それくらい成長による変化が多い環境だと思います」


人が人を前に進ませ、成長がまた次の縁を生む。その循環を作りつづけるファイズオペレーションズの組織としての在り方は、これまで松谷自身が人に支えられ、歩んできた経験と重なり、これからも続いていく。




2026.1.27

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


変化の激しい環境に身を置きながら成長していくために、必ずしも特別な才能や戦略が必要なわけではない。松谷氏の歩みが示しているのは、現場に立ち、人と向き合い続けるなかで、結果として少しずつ道が見えてくるという事実だ。


その背景には、自分本位にならず、相手の立場や気持ちを想像しながら関係性を築いていく姿勢がある。誰かを助けられる立場にあるなら、できる範囲で手を差し伸べる。その積み重ねが、人と人との間に信頼を残し、次の行動へとつながっていく。


成長とは、前に出ることだけを指すものではない。誰かの背中をそっと押すような関わり方も、その一つだろう。環境や立場が変わっても、現場に立ち、対話を重ね、責任を引き受ける。その繰り返しが、結果として個人や組織を少しずつ強くしていく。


変化を過度に恐れず、状況に身を置きながら向き合っていく。その姿勢は、これからの働き方を考えるうえで、一つのヒントになるはずだ。


文・Focus On編集部



▼YouTube動画(本取材の様子をダイジェストでご覧いただけます)

人の繋がりが、物流の未来を創る | 経営者 松谷和則の人生



ファイズオペレーションズ株式会社 松谷和則

代表取締役社長

京都府出身、ファイズグループの前身となる人材派遣企業に入社し、キャリアをスタート。新規物流拠点立ち上げに従事したのち、同社事業の成長とともに、全国各地で10か所以上の拠点・事業所立ち上げの現場を牽引。2025年6月にファイズオペレーションズ株式会社の代表取締役社長に就任した。

https://op.phyz.co.jp/


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