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民間版JETRO世界から日本を変える ― 100人100通りの「幸せ」の定義

信じるものの存在が、その人を形作る。冒険好きな少年は日本的な価値観、成功とされる人生のレールを疑い、10代から世界に飛び出した。本やテレビやインターネットは、決して教えてくれない世界。20代の頃各国を巡るヒッピー生活を経て、たどり着いたのは「日本のために何かしたい」という思いだった。


海外進出支援を軸に事業を展開する株式会社Resorzは、民間企業や国、金融機関までサポートする、いわば「民間版JETRO」のような立ち位置だ。現在、同社含め3社の代表取締役を務める兒嶋裕貴の経験欲と、そこから生まれた思いに迫る。




1章 世界のなかの日本


1-1.  はじまり


ガンジス川のほとりで焼かれる死体、本能に従い生きる人々。“Memento Mori(メメント・モリ)”―ラテン語で「死を思え」というその言葉のように、死を身近に感じる国、インド。どんな人生を歩む人にも平等に死は訪れ、やがて灰となりガンジス川に流される。その場所・その時間を思い浮かべれば、いつも変わらず立ち返ることのできる原点がそこにある。


「グローバル市場で成功する日本企業を10000社作る」というミッションを掲げ、日本と海外をつなぐ株式会社Resorz。海外ビジネス支援プラットフォーム「Digima~出島~」など複数サービスを運営し、全世界130ヵ国700社の海外ビジネスサポート企業と連携、マッチング実績は10000件を超える。現在、支援対象は民間企業のみならず、経済産業省中小企業庁など公的機関から金融機関まで多岐に渡る。


いわゆる日本的な価値観に違和感を覚え、10代の頃の海外放浪から、これまで約50ヵ国を巡ってきた代表の兒嶋氏。20代半ばでテレビ制作会社に就職したのち、ネットベンチャー企業にて自身が手がけたWebサービスの上場企業への売却を経験、ベトナムでのオフショア開発企業立ち上げにも参画した。現在はResorz社含め、3社の代表取締役を務める。


「『思い』っていうのはすごく大事にしています。ビジネスはお金儲けの手段だけじゃないと思っていますし、仕事もそうではないと思っているので」


誰よりも「経験」に貪欲に、「世界」をその目に映してきた兒嶋氏の生きる道とは。


1-2.  日本人として


日本的な価値観、概念、信じられている常識といったものが窮屈でしかなかったという兒嶋氏。10代の頃から、半ば逃げ出すように海外へ足を向けてきた。しかし、そこで見つかったのは日本人としてのアイデンティティだった。


「海外に出るってことは日本を知ることだと思っているので、出れば出るほど日本のことを知り、日本と海外それぞれの良い部分、悪い部分を比較検討できるんですよ」


アジアから北米、中東の紛争地域まで、世界数十ヵ国を旅して回った。本には載っていないような、そこでしか経験できないこと。実際に自分の目で見て、感じた世界と比べてみると、日本はとてもすばらしい文化をもった国だった。



同時に、日本の悪い部分も一層浮き彫りになる。誰か一人を集中的に批判するメディアの風潮や、そういった情報を信じ、踊らされる人々。貧しくても幸せに生きる国の人々と比べると、日本人はみな鬱々として、自己の幸せではなく社会でいわれる「幸せ」を求め、ヒステリックになっているように見えた。


「日本のパスポートは世界で5番目にいろんな国に行けるんですよ」


世界には、どれだけ働いても一生を国内で終える人がいる。一方、自分は世界中を好きなように旅して、かけがえのない経験をさせてもらえている。そこには、「日本円」の力を強くし、ODAで他国に貢献し、海外から見た日本の印象を良いものにしてきた「日本」の存在があった。それは自分が否定してきた「日本」、その日本を創ってきた先人たちの努力の賜物にほかならなかった。


日本のために何かしたい。25歳のとき、海外を放浪するヒッピーを辞めて日本の社会に戻る決意をした。金儲けがゴールではなく、自分にしかできない方法で日本を変えたい。


「日本がどうしようもねえとか言ってる自分が間違っていると。やはり自分にしかできない形で、日本に貢献するべきだと思って」


自分のこと、家族のこと、会社のこと、もちろんそれらも大事だが、幕末や戦時中は、いまよりも多くの人が国家のことを考えていて、それが当たり前だったはずだった。世界の中でも日本は特にそういった心が失われてしまった。


「日本人である以上、全員がどっかで日本を良くするっていう気持ちを持っていないと、日本は良い方向に行かないと思っています。自分自身、常にそういう意識をもつように、海外や地方には定期的に行っていて。国家観とか、日本はどうあるべきかということは結構考えていますし、それが原動力になっていますね」


海外で見て聞いて感じたものがいまの兒嶋氏を形作っているように、一人でも多くの日本人・日本企業が海外へ向かい触れる場をつくり、世界の視点をもった日本人「ハイブリッドな日本人」を生み出しつづける。それが日本のカタチをよくするきっかけとなる。


「日本のために」そう願う兒嶋氏の思いが、Resorzという会社になり、海外で日本のプレゼンスをもっと高めていくには、まずは日本企業が海外展開することが必要だという想いで、Resorzで「Digima~出島~」(https://www.digima-japan.com/)というサービスを立ち上げるに至った。



2章 価値観の形成


2-1. 「幸せ」の決め方


心躍るような冒険が好きだった。昨日と同じ道は通りたくなくて、家から学校までの道順は100通り。学校に決められた通学路よりも、興味の赴くままに。東京の下町に生まれ育った兒嶋氏は、かなりやんちゃな子どもだったという。


「良い中学に入り、良い高校に入り、良い大学に入る、そうして商社とか銀行に勤める。これが成功みたいな。本当にそういうレールが漠然と信じられていた時代でした」


日本経済がバブルで沸き立ち、いわゆるお受験戦争ブームの時代。母親の教育は厳しく、兒嶋氏は100点以外のテストはすべて燃やし、隠していた。90点や95点のテストでは、家の前に正座させられ、中に入れてもらえなかったからだ。親の言うレールに乗る人生を、正しく歩むようにしていた。


高校2年生のとき転機が訪れる。父がガンを患い、モルヒネを打たれ、兒嶋氏に手を握られながらこの世を去っていった。それは、兒嶋氏を大きく変えうる「経験」だった。


「さっきまで話していた人が、最後に息を引き取るっていう感覚がわかってしまって。それが本でわかるのではなく、『経験』としてわかってしまったんです」


いまこの瞬間にも、誰もが「死」というゴールに向かっている。そして、それを本やテレビで知るのではなく、実感し強く意識するからこそ人は「生き方」について本気で考える。


「いま思うと『自分の納得のいく人生を歩む』って、そこで決めたんですよね。親の目とか周りの目とか、一般的に信じられている成功観、幸せとされる価値観とか、全部ぶっ壊そうと」


49歳という若さで亡くなった父が、最期に残してくれたメッセージ。それは「経験」として兒嶋氏の人生の舵を大きく切るものとなった。自らの人生に責任をもち、納得いく人生を歩んでいく。本来の幸せのカタチには、世間体もレールも関係ない。自分で決めていくものなのだ。



2-2.  ルール「何事もやってみてから判断する」


むかしからある意味オタク気質で、様々なことに興味を持ち、やや深く物事を知るのが好きだった。現在も年間100冊もの本を読み、100本もの映画を見る。幅広い音楽を聴き、10代から70代の友達がいるという兒嶋氏。


本で読んだり、人から聞いたりするのではなく、「経験」として感じることの大切さに気づき、大学生からは自分に対してとあるルールを課していた。


「『何事もやってみてから判断する』っていうルールです。人が駄目とか、これはやんない方が良いよとか、あいつとつきあわない方がいいよとか。やっぱりそれはその人の意見であって、自分はそういうものにとらわれないというか、むしろそっちの方がチャンスがあると思っていました」


机上の勉強などで得られるものではなく、本物の社会勉強をするために、とにかく固定概念に縛られず、ありとあらゆる経験を重ねた。クラブを貸し切り300人規模のイベントを開催したこともあれば、数十人で富士登山やキャンプをしたこともある。


「22歳くらいまではずっととんがっていて、やりたいことは全部やってました。だから、犯罪となること以外はだいたいやったと思います(笑)」


自分にしかできない経験、いましかできない経験をする。選択軸は、自分の心が動くもの、ただそれだけだ。


2-3.  ビフォアインド⇔アフターインド



スティーブ・ジョブズや三島由紀夫など、歴史上、実に多くの偉人がインドを訪れ、そこは「呼ばれて行く国」だと語り継いできた。兒嶋氏も同様に語る。大学生のとき、たくさんの経験をしていくなか訪れたインドでは、いままでの自分の経験や価値観がすべてひっくり返されるほど、特に強い衝撃を受けた。


「日本人からすると、とにかく不条理なんですよ。カースト制度があって、一生トイレ掃除が仕事っていう人がいて。『それは……どうなの?』みたいなこと言うと、『いまはこういう人生だけど、でも生まれ変わったらさ』みたいな。経済的には全然豊かではないですけど、彼らには彼らの世界があって幸せに生きているっていうのが、すごい衝撃でしたね」


高度経済成長期の日本では、猛烈に仕事をすれば幸せになれた。良い企業に勤め、マイホームを買い、終身雇用で働く。しかし、それだけで幸せになれる魔法は解けてしまった。


「みんなが思っているような、将来はかっこいい人と結婚して……みたいなものって、100人中100人そうなれるわけないですよね。だから、(どちらの方がかっこいいとか)比較検討に幸せを置く時点で、答えはたぶん間違っているんですよ。幸せの定義づけは自分が決めるものだと思っています」


同級生が就職活動に奔走するなか、兒嶋氏はインドで修行に励む日々。親や周囲から白い目で見られたとしても、自分の幸せはそこにはないと信じていた。


世の中が決めた幸せとは違う、100人には100通りの幸せのカタチがある。インドで見た光景は、いまにつながる兒嶋氏の思いの核となった。自分という人間の上に、会社が来ることはない。幸せの定義は自分で決めるものだから、自分の生き方があって会社がある。


「だって、仕事してるだけで幸せになれるわけないじゃないですか」


誰もが自分なりの幸せを見つけ、共生していける未来を創っていく。



3章 社会を創る


3-1.  会社観を変える会社


世界のありとあらゆる土地を放浪するなかで得たものがある。カースト制度が存在するように人間世界は不条理であるからこそなのか、どの土地においても存在する「普遍の真理」があった。兒嶋氏はそれを、いまでも非常に大事にしているという。


「人間ってやっぱり弱いので、絶対に何かを信じているんです。それはどこの国に行ってもそうで、パキスタンに行ったらイスラム教、つまり宗教ですね。ほかには、部族や民族、家族、国王という感じで、みんなそれによって救われているんです」


人が信じているものがその人を創り、社会を創る。だからこそ、人々が信じているものを変えない限り、固定化された価値観は変わらない。日本をよくするためには、日本人が絶対的に信じているものを変える必要がある。その信じられているものの一つが、会社だと考えた。


ルールで決められているから、会社という仕組みへの「信じる心」があるから、働くなかで不条理だと思われることも諦めてしまう。日本的な会社観のもとでルールに苦しむ人々を、兒嶋氏はたくさん見てきた。「納得感をもって仕事をし、それぞれが定義する幸せを実現できる」そんな新しい会社のあり方が成り立つことを体現し、少しでも日本を変えていきたい。


「みんなの会社観を変えるような会社をつくることが大事だと思っているし、ベンチャーであればそれができると思っています。だから、こういった変わった雰囲気のオフィスで、自転車で出社してくる社員もいれば、短パン着て出社してくる社長もいる。結果を残さないと、ただのお馬鹿な会社ですけど、結果を残せばそこで変えられる」


結果と真理はセットである必要があると考える兒嶋氏。日本を変えるために、新しい会社のカタチを描く。絵空事ではなく、実をともなって。


オフィスで毎月開催される「まかないランチ」など、ユニークな制度・福利厚生が多数存在する。


3-2. 「経験」がつくりだす世界


兒嶋氏が描く日本の未来は、彼自身を突き動かす「経験」への思いと重畳する。


「これからの時代って、『ニュースで見た』、『ネットで見た』というのは何の価値もなくなっていくと思っています。だって誰でもアクセスできるので。価値があるのは、実際に『行く』、『体験する』ことだと思っているんですよ」


ロンドンは雨が多いという事実は、モバイル通信手段をもつ世界50億人全員が知ることができる。検索すれば分かることと、実際にそこへ赴き自ら体感すること。両者の間には大きな隔たりがある。


だからこそ、もっと日本人は海外に出て行くべきだと、兒嶋氏は語る。Resorzとは別会社として運営する英会話スクール「ワンコイングリッシュ」は、ワンレッスン500円(ワンコイン)という破格の価格設定でサービスを提供している。


「水道哲学*ですね。私は語学ってインフラだと思っているので、圧倒的に安くしちゃおうと。それで学んで、英語をしゃべれる人が1人でも増えたら、私はそれは国益だと思っているんですよね」


(*松下幸之助の語録に基づく経営哲学。幼少期に赤貧にあえいだ幸之助が、水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低廉にし消費者の手に容易に行き渡るようにしようした思想(経営哲学)。 Wikipediaより)


5万円で100人に教えるよりも、500円にして1万人に教えたい。売上は同じでも、英語を話せる日本人が増える方を選ぶ。Resorzの理念として掲げる「ハイブリッドな日本人を量産する」兒嶋氏が身をもって「経験」することの価値を経験してきたからこそ描ける未来なのである。


アウトプットはインプットからしか生まれない。ある人が生み出すクリエイティブは、その一瞬で生まれたものではなく、その人の人生のインプットがあってそれが凝縮され生まれるものだ。そう兒嶋氏は考える。


だから何事も経験する。そこでは、当然痛い思いをしたり、失敗したりすることもある。それでも、誰よりも広い世界を自らの目で見てきたからこそ磨かれている「思い」や「信念」があり、それが兒嶋氏を導いていく。



2017.08.03

文・引田有佳/Focus On編集部




編集後記


指揮者に勧められて、客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。そのとき彼は、初めて音楽を聴いたという。その後彼は、上手に吹くことを越えて音楽を創造するようになった。
これが成長である。仕事のやり方を変えたのではない。意味を加えたのだった。
自らの成長につながる最も効果的な方法は、自らの予期せぬ成功を見つけ、その予期せぬ成功を追求することである。
―ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(1909 - 2005)


ピーター・ドラッガーは人が成長するための原理として、「自らの予期せぬ成功」の存在を見て取った。自分が予想していなかった成功により、人は成長していく過程を歩みはじめるという。


そして、それはただ演奏しているだけで得られるものではなく、客席で聴いてみることを経験することで、はじめて「上手に吹くこと」を超え、受け手にとっての「音楽」というものを創造できるようになるのだという。机上の空論を並べるだけでなく、経験することにより「予期せぬ成功」を手にすることができるのだ。


インターネットの登場により、私たちは遠く離れた世界すらも「机上」で想像することが容易くなっている。便利になっているからこそ、地球にある世界のなかの日本であるのにも関わらず、どこかそれを切り離し、バーチャルにとらえてしまっている傾向はあるのかもしれない。


自らが演奏する「日本」という舞台から世界をとらえ、聴き手の「世界」という客席においてその音を聴くことはしない。それでは、どんなに世界を語っていたとしても「予期せぬ成功」を手にすることは難しくなってくる。


人が生きている以上、世界との関わりは避けられない。世界があって日本があり、日本があって自分がある。そう考えると「ハイブリッドな日本人」は机上の空論では成立せず、経験があってこそ成立するものであるといえる。


2017年、世界の幸福度ランキングで日本は51位だった。GDPは世界3位であるにも関わらず幸福度が低い。それは、日本人の国民性が「幸福を他人と比較する」ことにあるともいわれている。一方で、世界2位とランキングが高いデンマークでは、「自らが考え・行動するところの自立自尊の精神」があることが幸福度を高くする一因となっているともいわれる。


自ら経験し、行動し、考えることは人に本来の幸せを与えてくれる。それぞれの経験から生まれる行動と成長は、「比較」ではなくそれぞれの幸せのカタチをもたらす。


兒嶋氏が求めてきた「経験」により創り出される社会は、私たちを本質的に成長させ、それぞれの幸せが実現するインフラとなっていくのだろう。



文・石川翔太/Focus On編集部



※参考
P.F.ドラッカー(2007)『ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営』ダイヤモンド社




株式会社Resorz 兒嶋裕貴

代表取締役

1980年生まれ。早稲田大学商学部卒業。大学時代から世界約50カ国へ渡航。テレビ制作会社経験後、ネットベンチャー企業にて勤務し、サイト売買サービス「サイトストック」を事業化し、上場企業へ売却したのち、同社にてベトナムホーチミンでのオフショア開発企業立ち上げに参画。2009年に株式会社Resorzを設立。自身の経験を活かし、海外進出支援を軸に事業を展開する。具体的には、日本企業の海外進出支援プラットフォーム「Digima~出島~」や「BPO紹介センター」、オフショア開発企業の紹介マッチングポータルサイト「オフショア開発 .com 」などを運営。

http://www.resorz.co.jp


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