Focus On
佐藤太一
プレイライフ株式会社
代表取締役CEO
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or深く思考し、自分を知ることが勝負を決める。
「誰もが活躍できる仕組みをつくる。」をミッションに掲げ、データの力で働き方を変革していく株式会社SalesNow。同社が提供する全国540万社・80億レコードの企業データベース「SalesNow」は、独自のデータ技術により構築された高品質なデータベース(日次230万件以上のデータ更新)と、導入企業内のSFA/MAとの連携により、企業の生産性と競争力を高めるデータ基盤として機能する。さらに、生成AIがデータからのインサイト発見をサポートしてくれるほか、的を射た営業活動を可能にする細やかな機能を多数搭載し、前身となるプロダクトを含めると上場企業からスタートアップまで700社以上に導入されている*(*2025年3月時点)。
代表取締役の村岡功規は、学生時代にデータ分析の研究員の傍ら、Webサービスを起業。大学卒業後、大手IT人材企業レバレジーズにて新規事業立ち上げと営業マネージャーに従事したのち、2019年に株式会社SalesNow(旧 株式会社QuickWork)を共同創業した。同氏が語る「エネルギーの源泉」とは。
目次
個人の力量ではなく、“仕組み”によって再現性ある成果を出すこと。それこそが、事業をスケーラブルに伸ばすための根幹だと考えています。
日本の生産年齢人口は2050年までに3分の2に減少する。その中で営業職は、日本経済にとって「売上を生み出す最前線」だ。しかし、現状の営業業務の72%は情報収集や雑務に費やされ、営業活動そのものに使える時間はわずか28%。SalesNowは、この営業課題を根本から変革する。
たとえば、膨大なリストを作り、毎日100件テレアポをしてようやく1~2件の商談にたどり着く。かたやデータベースを扱うリテラシーがあるだけで、1日1,000件のメール配信で5件のアポを獲得するまでを丸ごと自動化できたりする。
属人性が高い営業も、標準化して誰もが売上を上げられるようにする。SalesNowの事業は、実体験を発想の起点として生まれたものである村岡は語る。
「営業一人当たりの売上を1.5倍にできれば、組織全体の収益構造が一気に変わります。同じ人数でも1.5倍の成果が出るなら、その分を新たな事業投資や人材採用に回せる。事業における“正の循環”が回り始める設計をつくれるかどうかが、経営者に求められる視点だと感じています」
鍵を握るのは「データ」にほかならない。同社が提供する全国540万社・80億レコ―ドもの企業データベース「SalesNow」は、日次230万件以上のデータ更新・有効性98%以上(メール・電話番号・企業HP)という業界最高品質のデータを強みとする。
ターゲット分析からリスト作成、アプローチ、商談、契約、あるいは掘り起こしやアップセル・クロスセルなど、あらゆる営業シーンの課題を解決し、それにより効率的な営業活動と機会の最大化を実現していくサービスだ。
「営業担当者が本来のコア業務に十分時間が使えるようになれば、営業個人としても強みが活きる領域にフォーカスできますし、組織としても一人当たりの売上や生産性が上がっていくので、事業としてすごく健全な形に持っていけると思います」
アナログな作業ゆえに時間がかかる情報収集や優先順位付けといった雑務は、大規模かつ高品質なデータベースの力で工数を削減できる。同時に「SalesNow」では、生成AIによる示唆出しも行ってくれるという。
「たとえば、膨大な一覧情報があってもそこから何か情報を読み解ける方は少なかったりしますよね。対象企業がどの事業に注力しているか、どの職種の採用を増やしているか、調達した資金をどこに投資しているかなど、そこから得られるインサイトこそ営業の標準化において重要な情報だと思っていて。『SalesNow』では、AI技術を活用しながら営業そのものの品質を上げていくことをメインの価値として生み出しています」
AIによる示唆出しのおかげで、相手が検討を始めた直後にアプローチできたり、インターネット検索だけではキャッチアップできない情報を元にした仮説を立てられたりする。同社では、そうしてトップセールスが自然に行っている動きを、より多くの人がトレースすることや、それ以上の動きができるようになることで成果に繋がる世界観を描いている。
営業一人当たりの生産性を上げることにより、日本全体の生産性も上がっていく。武器となるデータベースを現場にインストールすることで、SalesNowは日本経済の新たな勝ち筋を見出していく。
学校の休み時間はもちろん放課後もひたすら外を駆け回っていた小学校時代、スポーツ好きだった両親の影響もあり、夢中になったのはサッカーだったと村岡は振り返る。
「競技そのものが楽しかったというよりは、友だちなど同年代のみんなでワイワイ遊ぶことが楽しかったのではないかと思いますね。あと、母親が音大卒で家でずっとピアノの先生として教えているような家庭だったので、小さい頃はピアノを練習させられたりすることが多かったので、そういう反動で外遊びがものすごく好きになったことはなんとなく覚えています」
もともと硬式テニスに本気で取り組んでいた父親の勧めで、幼少期はフットサルと並行してテニススクールにも通っていた。父なりに「子どもにはスポーツを通じて成長してほしい」という思いがあったようだった。両親は子どもの可能性を信じ、さまざまな期待を込めて温かく見守ってくれる存在だったので、幼少期は自然と多くのことに取り組んでいた。
「言われた直後は反発するスタンスが強かったかなと思うのですが、従わざるを得ないところはあって。大学生ぐらいになると論理的に反発するようになるのですが、当時は漠然と期待を越えたいという気持ちがあっただけでした」
自分の意思に由来するわけではないので、いまいち身も入らない。当時はまだ漠然とした感覚でしかなかったが、学校で言えば勉強もそうだった。
「集団授業がまず嫌いで、自分のペースでできた方が効率がいいなと思っていたんですよね。だから、宿題も授業中に全部終わらせたりして。おそらく小学生の時って勉強に対する目的意識がなかったので、より前向きにはなれなくて。目的なくやらされることと、自分のペースでできないことがそんなに好きではなかったのではないかと考えています」
地元の中学に進学してからは、ますます勉強には興味がなくなっていき、朝から晩までサッカーに明け暮れていた。所属していた地域のクラブチームはユースほどのレベルではないものの、県3位ほどの実力があり、スパルタに近い指導方針だった。
「本当に週7で早起きしてサッカーをして、昼休みも放課後もサッカーをしてという感じでしたね。試合内容が悪かったら全員2ミリの坊主に何回かさせられたこともあるくらい、もう逃げる選択肢などもなくただ必死にやっていて。モチベーションはおそらく競争意識しかなかったと考えています」
毎週土日には練習試合が組まれるので、チームメイトとのレギュラー争いは日常になっている。ほかにもチーム内での試験など四六時中競争にさらされる環境は、少なからず自分の中の競争心に火をつけたようだった。
「僕たちのチームは格上とばかり練習試合が組まれていたので、毎回悔しい気持ちを植え付けられることの繰り返しでした。負けず嫌いであるとか、負けることに対して事前にできるかぎりの努力をして回避しようとする部分は自分の性質としてあると捉えていて、やはり当時のクラブチームの影響は大きいと思いますね。当時はただ必死にやっていましたが、今振り返ると根底にあったのは“勝負勘”と“競争感覚”だったと思います。この感覚は、今でも事業の打ち手を考える際に自然と働いています」
対戦するクラブチームには、たいてい中学生ながら頭角を現すようなメンバーが揃っていた一方で、自分たちは個々のスキルも、体格などフィジカルも負けている。そんな状況からいかに努力して試合を覆すのか。なんなら努力ではどうにもならないような実力差を感じることも多々あるなかで、毎週勝敗を競い合った。
そのうち気づけば自分を含む多くのチームメイトが、「どうしても勝ちたい」という思いを募らせている。ひとたび内から芽生えた競争意識は、サッカー以外でも自然と湧いてくるようになっていた。
「中学校2年の終わりぐらいから親に塾に入れられて。もともと中学の成績はものすごく悪かったのですが、そこから塾では順位が出たり、実績に応じてクラス移動が行われていたりしていたので、その競争が楽しくて。塾にいる時間は結構きちんと授業を聞いたり、自分なりに勉強するようになりましたね。順位が明確に出る環境は、自分が成果に直結する行動は何かを見極める練習にもなっていたと考えていて。限られた時間の中で、どう動けば勝てるかという“勝ち筋”を探す感覚は、今のビジネスにも通ずると思っています」
当初は一番下のクラスからスタートしたが、競争を楽しむうちに最後は一番上のクラスにまで上り詰めていた。やらされる感覚だったときとは、まるで違う力に突き動かされている。内から湧いてくる競争意識は努力する動機となり、思いもよらなかった力を発揮する原動力になると、徐々に経験から学んでいった。
2-2. 読書は武器になる
本気でサッカーをやりきった3年間を経て、塾のおかげで伸びた学力に合う私立高校へと進学する。サッカーが強い学校ではなかったことと、中学ではそれ以外ろくに活動できなかったという感覚があったこともあり、高校では部活はゆるくやっていこうと考えていた。
「最初は熱中するものがなかったのですが、この学校のいいところは私学なので一桁単位で全部順位が出ることと、全てのテストで偏差値が出るようになって上下が明確に分かるようになっていて、それも競争として面白かったんですよ。だから、クラス1位をキープできるように勉強したり、自分でゴールを設定していた記憶があります」
順位を競いはじめると、途端に面白くなってくる。ただし、何かやらされている感覚は嫌いだったので、自分主体で取り組めるよう明確に授業中と通学時間しか勉強しないことにした。1日の授業が6限×1時間15分でおよそ7時間だとすると、その中で効率よく勉強を終えることを目指そうと考えたのだ。
授業やカリキュラムで扱うものしか勉強できないという制約も、明らかに効率を悪化させている。だから、何をどんな参考書で勉強するかなどやり方も自分で考えた。学校の意図通りに進めるのではなく、あくまで自分なりに最小時間で最大の成果を残すことをシンプルに楽しんでいた。
あとになって振り返れば、熱中していたのは「勉強」ではなく「競争」だったのだと分かる。しかし、当時はただ純粋に目の前の物事に熱中しているだけで、迫りくる大学受験のこともあまり意識していなかった。高校3年の後半になると授業も任意参加でよくなり、大半の生徒は予備校など学校外で勉強するようになっていた。
「僕は塾に行っていなかったので、普通に家で勉強すればいいかと思っていたのですが、全く手につかなくて。その時、この環境は自分に合っていないんだと気づいたんです。自分は競争心だけで勉強していたのに対し、ほかの人は『第一志望の大学に入るために』と、それが結構順当なモチベーションだったんだということは、あとから振り返って気づいたことでした」
当時は行きたい大学も特になかったので、ひとまず理系科目が得意だからと工学部を選択することにした。しかし、化学の実験が将来に結びつくイメージもない。授業はそこそこに時間を持て余していた頃、偶然立ち寄った本屋でビジネス書を手に取ったことがきっかけで、読書にのめりこんでいくことになる。
「熱中していることもないし、きちんと目の前の学業をこなしているわけでもないので、そこに対しては何か後ろめたい気持ちがあったと考えていて。何か注力したいと探していたんじゃないですかね。本は自学で将来役立つものが身につけられる手段の一つだったし、筆者が経験したことを自分が経験したようにトレースできる。そのなかで気づきが得られたり、考えるきっかけになるというところが良くて、モチベーションになりました」
もともと本には苦手意識がある方だった。自分は本が読めない人間なのだとすら思っていたくらいだ。
しかし、読んでみたビジネス書はシンプルに内容から再現性を感じた。1冊読むごとに自分なりの考えが深まっていくようでもあり、気づけばページをめくる手が止まらなくなっていた。
「経営者の伝記は一通り読みましたね。ただ、そんなに数はないのでビジネス書関連は本当に広く読んでいました。当時は実務寄りの話を読んでも経験したことがないので分からないという感じだったので、『自助論』のようなマインド寄りの話や、柳井正さんや藤田晋さんの自叙伝のように物語調のものをよく読んでいたと思います。あとは、筆者の思考に触れながら『どういう考え方が、どんな局面で活きるのか』を読み取ることを意識していました。ただ感化されるだけではなく、思考と行動に落とす練習のようなものだったと思います」
振り返ってみれば、もどかしくも漠然とした思いを伝えられなかった機会は多かった。自分なりの思いや主張はあっても、それを説明できなければ相手を説得したり、意見を通しきることは難しい。本を読むことで思考や言語化が深まっていくほどに、新しい武器を手に入れたような感覚があった。
無心でビジネス書を読みあさるうち、自分も何かビジネスを立ち上げてみたいという欲求が高まってきた。
すぐに始められ、小さくても集客からお金に変えるところまでを一通り経験できるものがいい。探してみると、どうやらアフィリエイトで収益を出すビジネスモデルが流行っていると知る。どうせならその過程で本からの学びも最大化したいと思い、自分がインプットした本の内容をテキストに整理した要約サイトを作ってみることにした。
「やってみた感想としては、今まで自分が人生で取り組んだものの中で一番楽しかったという感覚があって。それまで目的がないものをやることがすごくもどかしかったんですが、ビジネスが成立するとお金として目に見えるリターンが返ってくる。きちんと結果に繋がって、かつ得られる知識が事業をやる上でのアセットになっていくなと感じていました」
自分が読んだ本をコンテンツとして投稿していく。ただそれだけのことではあるけれど、ゼロから思い通りにビジネスを作り上げ、試行錯誤しながら結果にたどり着くまでの過程は何より充実感を感じるものだった。
特に、理系で周りにビジネスに関心のある人がいなかったこともあり、当時はアウトプットの機会がないことへの課題意識を持っていた。その点、本の要約サイトの運営は一石二鳥で得るものが多かった。
「自分で立てた仮説が、ユーザーの反応や数字で返ってくる。そして、それが収益という明確なリターンとして表れる。再現性のある勝ち方が分かる感覚が面白くて仕方なかったですね。かつ、扱えるキャッシュが増えるということはもっと大きなゲームというか、ビジネスにチャレンジできる。難易度が際限なく上がっていくので、一生夢中になれるなとその時感じたんですよね」
人生をかけて夢中になれそうなものと出会い、もっとビジネスの世界に足を踏み入れたいと思うようになる。同級生はほぼ99%が大学院へ進学し、その先は日系大手などへと就職していく人がほとんどだったが、自分は学部で卒業しようと決めたのもその頃だった。
「在籍していた研究室が強烈に厳しくて、9時18時のコアタイムの間は絶対に研究室にいないといけなかったので、就活に割ける時間がものすごく短かったんですよね。僕たちの頃はたしか3月に情報解禁で4月から面接解禁だったので、4月から6月までの2~3か月くらいだけ選考を入れて。理系で周りは誰も就活なんてしていないような状況だったので、情報もそんなにないなか自分で調べていろいろ話を聞いたりということをやっていました」
いろいろな業界を調べていくなかで、選択肢としては総合商社か外資系コンサルティングファーム、あるいは急成長中のベンチャー企業へと絞られていった。加えて、BtoBビジネスに興味があったので、大企業の数が圧倒的に多い東京で働けることも軸として持っていた。
「論理で意思決定する領域の方が興味があって。BtoBの意思決定者の方が型が多いのに対して、一般消費者向けの商材となると、自分の感性や感覚で戦うというイメージが強くて、再現性が作りにくいんじゃないかと当時考えていたんです。今となっては広くいろいろなビジネスモデルに興味があるのですが、やはりBtoBの方が僕の強みは活きやすいと考えています」
いくつかの内定をもらったが、最終的には急拡大していたIT人材ベンチャーのレバレジーズ株式会社を選ぶことにした。会社が伸びる過程で自分も成長できそうであり、社員数に対して1/3ほどの新卒社員を採用していたため、新設のマネジメントポストなどが回ってきやすそうだと思えたことも決め手になった。
「当時は経済活動自体が探求しがいのあるものだと思っていたので、自分が自由度高く意思決定できるからそんなにもエネルギーが湧くんだということが、あまり分かっていなかったんですよね。だから、大きな成果を上げたい、ビジネスマンとしてフルコミットしたいという野心はあったのですが、起業という形がいいとはまだ考えていませんでした」
ビジネスは、自分の熱量を全て注ぐに値する。本気で勝負しようという野心を胸に、東京へ向かうことにした。
ついに社会に出て本格的なビジネスに触れられる。期待とともに、新卒ながら仕事には365日のめり込むつもりで入社した。
「最初は研修期間が2か月くらいあって、テレアポで中途の求人開拓をしなさいというミッションを与えられていたんです。その間、偶然新規事業チームがすぐ横にいて、新卒の人材紹介サービスのCA(キャリアアドバイザー)チームだったのですが、『求人がないから候補者をカウンセリングしてもリリースするしかない』とずっと嘆いていたので、勝手に新卒の求人掘り起しを手伝いはじめたんです。組織の“未充足領域”を見つけて、自分で勝手に埋めていくのは得意でした。これは今でも変わっておらず、市場や社内の余白を見つけては仕組みに落とし込むことを習慣のように繰り返しています」
ちょうど新規事業(就活支援サービス)立ち上げのタイミングで、チームにはCAが3人だけ配属されている状況だった。求人を開拓する法人セールス側がまだ一人もいなかったので、誰に言われるでもなくその役割を進んで担うようになる。すると、正式なチームの一員にならないかと声がかかり、そのまま新規事業立ち上げに携わるチャンスが巡ってきた。
「そこからは毎日働いていました。CAは計画上倍々で増員していて、単純に受け皿を用意すれば億単位のお金がすぐ生まれるという状況だったので全力でコミットしない理由はなかったですね。法人セールスが面白いというよりは、そのビジネスモデルの鍵になる要素が何かということを特定して、そこをシャープに尖らせてやりきる。それが結果になって返ってきて、かつ売上が立つという部分にものすごく再現性を感じたんです」
たとえば、見えてきたのはターゲット選定の重要性だった。人材紹介事業では一般的に上位10~20社ほどのクライアントが売上全体の約8割を占める。そのため、上位10社になり得る市場のなかで、最も人材紹介経由の採用枠が大きい会社はどこかを特定することが効果的だった。
あとは、その会社への応募意思を候補者から獲得し、クロージングまでのストーリーを作ったり、採用基準を言語化してどうすれば内定が取れるかをクリアにする。それら特定のポイントに注力することが、後発企業が伸びるための道筋だと分かってくる。
チームマネジメントや仕組み化においても、もともと研究室時代にPythonを活用したデータ分析の研究を行い、Rubyのプログラマー資格も取得していた経験を活かし、TreasureDataやGoogle Apps Script(GAS)を駆使して、企業情報を統合管理できるデータ基盤をゼロから自作した。このデータ基盤は、企業の採用戦略を変える意思決定の土台になると同時に、新規事業の営業戦略を最適化する支柱にもなった。
「企業に対して『最も採用効率の良い経路』として実績をデータで可視化することにより、企業の選考枠・採用予算の確保を主導したり、推薦実績をダッシュボード化して翌年の採用予算交渉を有利に進めたり。社内では事業部全員がリアルタイムでデータを活用できるモニタリングシート・ダッシュボードを構築し、データ活用による営業の勝ち筋を作った。この経験が、SalesNow創業の原点になっています」
立ち上げ段階から関わった事業は、無事成長を遂げていた。1年目に基盤を作り、2年目の売上目標はハイ達成。3年目には自分の中で当時業界No.1だったリクルートを超え、トップシェアを取ることを想定していたが、上から降りてきた目標は想定したものよりはるかに低いものだった。
それなら当初のように全力を捧げるまでもない。もっと仕事に熱中したい。将来的なスキルアップにも繋がるような、熱中できる何かを探したいという思いが強くなり、データベースを活かした営業効率改善をさらに時間をかけて模索していくようになる。
「その頃からプログラミングを手段として使えることを重点的にやるようになっていました。当時はまだ開発知見が浅く、全部が新しい領域だったので学習コストがかかり、短期的に見ると効率が悪かったんです。たとえば、Webのスクレイピングや、CAであるAさんの成績はどうなのかとデータ分析から仕組みを改善したり。ただ、データベースを使うとこんなに営業効率って上がるんだという成功事例が得られるほどに、他部署やほかの人材会社で働く友人、それから億単位で調達しているスタートアップ企業の代表からも依頼が入ってくるようになったんですよね」
一定の需要があることは明らかだったので、これ自体をビジネスとしていくこともできるのではないかと徐々に考えるようになった。
「社会全体で見てもものすごく価値を生めるし、喜んでくれる人もいる。何より自分で全部決められるということが、こんなにも自分のエネルギーになるんだと、その頃初めて明確に自覚して。限られた時間を費やすのであれば、今すぐにでも始めた方がいいなと。1秒でも時間を無駄にしたくないと思い、(上長の理解を得た上で、なおかつ仕組みベースで売上が上がるよう部下に権限委譲して)起業を決めてから10営業日くらいで会社を退職しました」
創業にあたっては、当時同じ事業部でマーケティング統括を担っていた現 COO粂耀介に声をかけた。もともと週4ほどの頻度で飲みに行き、永遠に仕事の話をしているような間柄だったので、個人で販売を始めていた営業リスト作成サービスの話をしてみると、すぐに興味を持ってくれた。
2019年8月、株式会社SalesNow(旧 株式会社QuickWork)を共同創業する。「データ」に軸足を置く会社として、世の中に大きなインパクトを与えていく。そのための一歩を踏み出すことにした。
SalesNow「Company Deck(会社説明資料)」より
Will(やりたいこと)とCan(できること)の間に乖離があると、どうしても努力が成果に結びつきにくくなる。自分がどの領域で成果を出しやすいかを理解することで、リソースの投下効率が圧倒的に上がる。ビジネスの世界では「どこで戦うか」の選定こそが勝負の8割を決めると村岡は考える。
ときには本人が自覚していないまま、好きではあるが得意ではないことなど相対的に成果が出づらい領域へと向かいつづけてしまう場合もある。村岡の場合、本を読む過程こそが自身のアセットを把握するために役立ったという。
「本を読んでいく過程で、筆者の考えに触れる。あれって自動的にその物事について考える時間を確保している状態だと思うんですよね。“考える時間の総量”が増えれば、自分の判断軸や価値基準の解像度が高まる。それが意思決定の質を上げ、成果に繋がる選択ができるようになる。僕にとっては、読書がその入口になりましたが、人によっては他者との対話などほかの手段でも良いと思っています」
重要なのは「考えている時間の総量が長いこと」であり、必ずしもその手段は読書に限らない。自分にとって取り入れやすい方法で自身の強みを言語化したり、解像度を上げるきっかけは作り出すことができる。
「僕の場合は、自己決定したことに対してパフォーマンスがものすごく上がるタイプなので、人に言われる状況を作らないこととかは結構重要で。自分で決めて動くことはすごく意識しています。会社の代表という立場だと自分で決めて動く部分は結構多くなってくるので、そこは自分のエネルギーになっているかなと思っています」
ある人は旗を立て目的地を指し示し、ある人は細かい実務を取り仕切って着実に遂行していく。対人折衝が得意な人もいれば、ビジネスモデルや市場を俯瞰して勝ち筋を考えることが得意な人もいる。
各々の強みを活かしながらも、手段に固執せず事業を伸ばすためなら何でもできる気概ある人にとって、SalesNowは抜群にチャレンジングな環境となるという。
「MAU300万人、ナショナルクライアントも続々導入されるSaaSを、ゼロイチフェーズで一緒につくっていける環境は、国内にほとんど存在しないと考えています。自分の強みを活かし、戦略性を持って“勝てる事業”をつくりたい方にとって、SalesNowは圧倒的にフィットするはずです」
同社には今、Salesforce元役員やSansan・Bill Oneの元トップセールス、ナイル元CTO(上場過程を経験)を筆頭に、各業界トップクラスの人材が集結しつつある。
彼らがSalesNowに惹かれる理由は、何より「データを活用して営業の未来を変える」というビジョンへの共感だ。従来の属人的な営業手法に限界を感じ、「仕組みで成果を最大化する営業」を実現したいと考える人には、最適な環境であると村岡は語る。
データの力には、まだまだ開拓の余地がある。非効率な仕事が健全に淘汰され、結果として個々が強みを発揮しながら働ける社会は実現できる。SalesNowが取り組む課題解決は、社会の生産性を塗り替え、次なる時代へと進める可能性を秘めている。
2025.3.27
文・引田有佳/Focus On編集部
本を読み、思考を重ね、自分にとって武器となるものを得る。ある事象について自分なりの言葉で語れることや、深い洞察をもって世の中を俯瞰できること、あるいは新たな行動習慣を身につけること。それらはより多く、より良質であればあるほど単なる知識にとどまらず、仕事をする上でも生きる上でも揺るがない土台となる。
大学時代、偶然手に取った一冊のビジネス書が、のちにビジネスの世界へのめり込んでいくきっかけとなったと語る村岡氏。人によっては退屈にも感じられる内容が、何かを心の底から希求する人にとっては、人生の転換点となるような思考や行動の起点になることがある。
情報とはそれ自体に意味があるのではなく、そこからどんな意味を読み取るかにより価値や姿を変えていく。SalesNowが提供するサービスも、膨大かつ純粋なデータの羅列を企業の競争力や生産性を向上させる基盤へと昇華させている。不透明な時代で戦い抜く企業にとっての武器となり、進むべき方角を指し示すコンパスのような存在にもなるのだろう。
文・Focus On編集部
株式会社SalesNow 村岡功規
代表取締役
1994年生まれ。奈良県出身。学生時代にデータ分析の研究員の傍ら、Webサービスを起業。大手IT人材企業レバレジーズで新規事業立ち上げと営業マネージャーに従事し、SalesNowを共同創業。