目次

画一的な人的投資を問い直す ― 「使われる福利厚生」が生む、人と組織の未来

不可能を可能にする。その一歩目は、自分の内側から始まる。


「働く意味で、世界を満たす。」をビジョンに掲げ、福利厚生を起点に、人と組織のあり方をアップデートしていく株式会社miive。同社が展開する福利厚生プラットフォーム「miive(ミーブ)」では、Visaカードにポイントを付与・決済し、アプリで管理する形で福利厚生制度を設計・運用できる。企業ごとの独自性を反映して設計できる高いカスタマイズ性、スマートフォンアプリと連動したカード決済だけで利用できる従業員側の手軽さなどが評価され、同サービスで運用される制度の月間利用率は90%を超えている。従来大手サービスがシェアを握ってきたマーケットにおいて、各社に合わせた柔軟でフェアな制度運用を実現する新しいソリューションとして注目されている。


代表取締役の栗田廉は、大学在学中からアプリ開発・リリースを経て、就職活動時の福利厚生への違和感から、2020年に株式会社miiveを創業した。同氏が語る「挑戦を形作ったもの」とは。






1章 miive


1-1. 働く意味で、世界を満たす。


同じ釜の飯を食い、苦労して何かを成し遂げる。いつの時代も、人はそんな環境を求めている。「働く時間」は人生の中でも大きな比率を占めるからこそ、その質は人生の豊かさを左右する。なぜ、福利厚生に焦点を当てるのか。栗田の答えは、「働くこと」の本質から始まる。


「生きている以上、働くことは避けられないじゃないですか。今はAIが代替する流れもありますが、結局行き着く先として人は社会的動物ですし、みんなで集まって何かを成すということはなくならないと思うんです。人間が生きる意味とか、何に充実感を覚えるかというと、組織やコミュニティでしかないと。その過程で集まった人たちがより滑らかにつながる取り組みが必要だと思っていて、『miive(ミーブ)』はその解決策になり得ると思っているんです」


同社が提供する福利厚生プラットフォーム「miive」は、Visaカード1枚とスマホアプリで福利厚生を運用できるサービスだ。企業は目的に応じて専用のポイントを付与することで、自社に合ったオリジナルの手当を設計し、従業員はmiiveカードで決済するだけで利用できる。


食事補助から学び補助、懇親会などコミュニケーション活性化、育児支援まで、制度の選択肢は幅広い。自社のねらいやカルチャーに沿った、「使われる」福利厚生を実現できるのが特徴だ。


「福利厚生制度は形骸化しているものが多いと思っています。誰も使っていないものに、会社がお金を払いすぎている。そうではなく、人的投資の予算が等しく従業員に行き渡る。会社からの『Give』がきちんと届けられることで、『いい会社だな』と改めて思えたり、制度を通して従業員同士がお互いを深く知り合うことができたりする。それこそ『この人のためなら頑張れる』と思えたら、毎日幸せだと思うんです」


Visa加盟店であれば、どこでも福利厚生利用の対象として登録することができる


同社がプロダクトを作るうえで掲げるコンセプトは、『エンプロイーファースト』だ。


導入企業の人事担当者が使いやすく運用しやすいことは大前提として、取捨選択を迫られた場合には、必ず「従業員のため」を優先する。それは、このマーケットはいかに従業員に支持されるかが全てだという確信があるからだ。同時に、「物事はあるべき方向に必ず流れる」と栗田は考える。


「会社と従業員の関係は、これからもっと対等になっていく。選び選ばれる関係になったとき、日常的に使うツールも従業員から支持されるプロダクトでなければ意味がないと思っています」


近しいイメージとして、音楽業界の変化がある。CDからサブスクへの移行は、アーティスト側からすれば収益減につながる変化だった。それでも、好きな音楽を聴きたいタイミングで聴けるという、多くの人が求める「あるべき形」となり、今ではそこにマーケットが成立している。


福利厚生も同様に、企業が主体となり一方的に提供するのではなく、従業員一人ひとりが必要なものを受け取れる時代へと変化を遂げていくと考える。


「僕はmiiveをプロダクトとカルチャーの会社にしたいと思っています。プロダクトについては、お客様の課題を聞いてそれを解消するというアプローチではなく、自分が従業員目線で『こんな福利厚生があったらいい』と思うものを作るというプロセスでやってきました。マイナスをゼロにするのではなく、ゼロをプラスにする。本当にいいものって、そういうアプローチでしか生まれないと思っていて。カルチャーについては、今一緒に働くメンバーの顔を見ると、みんな本当にいい顔をしているんです。心からプロダクトを誇れる人たちが集まってくれている。そのプロダクトとカルチャー、両方をこの会社の根幹にしていきたいですね」


働く一人ひとりが、心地よく幸福を感じながら働ける社会。miiveはプロダクトを介して、そんな世界観を現実へと変えていく。




2章 生き方


2-1. 優しさと反骨心


複数の仕事を掛け持ちしながら、休日もせわしなく働いている。女手一つで幼い姉弟を育てるには苦労も多かったはずなのに、母親は明るく優しさの塊のような人だったと栗田は振り返る。


そんな背中を見て育ったからかもしれない。学校では、進んで全体に気を配る真面目な役割を引き受けていた。


「思い返すと、小学校低学年ぐらいのときに将来の夢を書くことがあって、そこに『世界一優しい人になる』みたいなことを書いたんですよね。なぜそう書いたのかは覚えていないのですが、学校でも学級委員長や風紀委員をやったり、そうなろうと努めていた自分がいて。今事業として取り組んでいる福利厚生も、愛とか優しさそのものだと思っているのですが、自分の中でそういうものが昔からのテーマだったのかなと思います」


自身で選んだことであるならば、どんな選択であれ、そのまま認めて肯定してくれた。そんな母親には、昔から変わらずリスペクトがあった。


「自分の起業の原点もやはりそこにあって。母親が生活のためにすごくせかせか働いている姿を見て、幸せにしてあげたいと思っていました。今とは違って当時はお金が動機ではあったのですが、起業することが将来の夢になった背景には、やはり家庭環境が大きかったですね」


起業という選択肢を知ったのは、小学校低学年の頃、何かで長者番付というものを見たことがきっかけだった。上位に連なる人の職業を見てみると、ほとんどが会社を創業した経営者であると知り、子どもながらに「これしかない」と思った。当時はちょうど同級生にも経営者の子どもが何人かいて、いい生活をしている様子が伺えたので、身近なところからも純粋な憧れを抱いていた。


一方で、原動力は必ずしも前向きなものばかりではなかった。


「小学校のときからコンプレックスがあったんですよ。なかでも住んでいた家の見た目がボロいアパートで、それが小学校でも中学校でも通学路に面したところにあったんです。毎日朝晩、学校の行き帰りに出入りするところを誰かに見られるのが嫌で、できるだけ身を隠すようにして入ったり。ほかにも家のベランダから見える位置に大豪邸があったのですが、そこに偶然同じ名前の同級生が住んでいて、同じ場所、同じ年齢でこうも環境に差があるのかと感じたりしていたんです」


身近な比較対象があることで、家の境遇をより実感させられる。そこに母親を幸せにしたいという気持ちも重なって、いつの間にか起業への思いは確固たるものになっていた。


「おそらく自分の中の反骨心や『のし上がろう』というエネルギーは、そういったところから来ているもので。当時その同じ名前の子ともすごく仲は良かったのですが、負けたくないとか、勝手なライバル心が自分の中にあったことは覚えていますね」


優しくありたいという思いと、漠然と上を目指していく反骨心。その両方が、昔から自分を動かしてきた。




2-2. 支えてくれた出会い


地元中学に進学し、高校も特段こだわりはなく、家から通える範囲で学力的に合いそうな学校を選んだ。将来やりたいことは明確だったが、当時はそれに向けて何をすればいいのかは分かっていなかった。


「起業への意識は変わらずずっとありましたね。ただ、何かアクションを起こしていたかというとそんなことはなく、思いだけメラメラしていた感じです。そのメラメラが途絶えなかったのは、やっぱり自分の家だろうなと思いますね。毎日そこに帰っていましたし、思春期ど真ん中で自分の部屋がなかったり思うことはあって。高校からは家が通学路から外れたのですが、それまではずっとそういうコンプレックスがありました」


中学までは地元で変わらない顔ぶれと過ごしていたが、高校からは少し変化があった。当時はどこか斜に構えているところがあり、新しい友だちづくりはうまくいかなかった。周囲にあまり馴染めず、アルバイトをしたりして過ごしていたが、そんな時期に担任の先生が声をかけてくれた。


「高校2~3年のときの担任の先生が僕を気にかけてくれて、きちんと馴染ませようとしてくれる人だったんです。大人に声をかけてもらったり、自分を見てもらえることが嬉しくて。英語の先生だったのですが、その過程で英語を好きになったんですよね。当時、洋楽にハマって聴いていたことも相まって、英語の勉強にのめり込んでいきました」


英語を学ぶうちに海外への興味が湧いてきたので、大学受験ではグローバルな気風のあるところへ入りたいと考えた。家から通える範囲にある大学の中から、それに当てはまる大学を選び、受験する。周囲にロールモデルがなかったこともあるが、当時はまだ一人暮らしなど「外へ出る」ことには意識が向いていなかった。


「経営学部に入ったのですが、大学の授業は面白かったですね。あとは大学のプログラムに、親が一定年収以下かつ、きちんとGPA(成績評価)を取っていれば学費免除になる制度があったので、そのためにも勉強したり。英語も経営も、いわゆるマーケや簿記も、やっぱり自分の興味あるテーマだったので、まったく苦ではなかったですね」


それまで勉強は好きでも嫌いでもなかったが、自分が興味を持って「学びたい」と思った分野に対しては、自然と学ぶ意欲が湧いてきた。授業以外の時間も進んで机に向かううち、学部でトップ3に入るGPAを取ることもできた。


はじめは一人で勉強していたが、途中からは勉強仲間に巡り合えたことも大きかった。


「大学2年生の頃から、偶然一緒に勉強できる仲間と出会えて、そのコミュニティに属したことが良かったですね。授業が終わったらみんなで図書館で終電近くまで勉強したり、夏休みもほぼ毎日学校の図書館に行っていました。いまだに仲がいいですし、そんな存在がいたからこそ勉強を続けられたと思っています」


一人の先生に背中を押され、その先に同じ熱量を持つ仲間との出会いがあった。周囲との馴染み方が下手だった自分でも、興味の向く先に飛び込んでいけば、熱中できる世界や居場所は見つかるものだった。




2-3. 最初から「自由」だった


留学という選択肢を知ったのは、仲間と一緒に勉強を始めてからだった。今よりさらに頑張れば、学費だけでなく留学費用まで免除になるという。英語を学んで以来、海外への憧れは日に日に強くなっていた。なんとかチャレンジしたいと勉強へ打ち込み、晴れて留学することができた。


「大学3年生のとき、まるっと1年間イギリスに留学しました。リーズという北部の街にいたのですが、規模感で言うとロンドン、マンチェスターに次ぐくらいの都市ですね。当時留学に行けたことは本当に良かったです」


留学先の学校では白人や黒人が多く、アジア人はマイノリティだった。お互いフランクに接するものの、自然と集まるのは同じ肌の人同士だったりする。そうした状況に置かれることも、日本ではないだろう。現地の学生たちと接していても、見るもの聞くもの全てが新鮮だった。


「初めて家族と離れて一人で生きるということをして。やっぱり学生の本分としての勉強は生活のメインになるのですが、学び放題だし遊び放題だという『自由』を実感したんです。イギリスの学生たちって、本当に勉強するし派手に遊ぶので、ものすごく刺激をもらって。なんでもいいんだなと、当時思ったんです。そこから自分の中で『起業できるな』と明確にスイッチが切り替わったと思います」


大学時代、イギリス留学にて


留学が終わったら早速何かやろうと思い立ち、イギリスにいるうちからコーディングの勉強を始めていた。実際に日本へと帰国してからは、学内専用のマッチングアプリを作ってみることにした。


「当時憧れていたのは、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグでしたね。本を読んでものすごく刺激をもらったので、同じようなことをやってみようと思ったんです」


大学のキャンパスにいると、友だちがどこにいるのか意外と分からなかったりする。ほかにも同じ講義を受けている人がどんな人なのか、普段は接点がなければ分からないような情報も、アプリでリアルタイムに把握できるようにすれば学校生活が今より便利になるだろう。そんな構想を練りながら、なんとか形にしていった。


リリース後は、ユーザーを集めてアプリを盛り上げるべく、身近な友だちに頼んで使ってもらう。それでも足りないと分かれば、学内の部活やサークルに足を運んで地道に広めていった。もともと知らない人に話しかけたり、人前で話すのが得意なタイプではなかったが、ユーザーを集めるためにはほかに方法がなく、勇気を出してぶつかっていった。


「お粗末なアプリだったのですが、そういったアクションの甲斐あって、500人くらいユーザーが集まったんです。ただ、全然当たってもいなかったですし、利用率はほぼゼロだったので、一瞬で廃れていって。いい意味で『こんなもんか』と思いましたね。プロダクトを作ってリリースするとか、起業するとか、それがこの延長にあるということは見えたので、全然遠い存在ではないと、『やれるな』という手応えを感じたのはその頃だったかもしれません」


就職活動は留学中に現地で行われる就活イベントに参加してみたりと、少しずつ並行して進めていたものの、どうしても働きたいと思える会社には出会えていなかった。それよりむしろ、アプリのリリースで得た感触も相まって、今すぐ起業するという選択肢が自分の中では大きくなりつつあった。


何をするのもしないのも、自分次第だ。イギリスで得た自由の実感が、起業を「夢」から具体的なステップに変えていた。




2-4. あるべき福利厚生の姿


初めてリリースしたアプリは当たらなかったものの、まったく知らない人がたまにつぶやいていたりと、プロダクトが生きていることは実感できていた。次に挑戦するなら、もっとプロダクトとしての体験を研ぎ澄ませ、ビジネスとして成立させられるものをつくりたい。そんなことを考えながら、当時は飲食店向けのマーケティング支援サービスを練っていた。


「飲食店のハッピーアワーに目をつけていて。あれって主にお客さんが少ない夕方手前の時間帯に、少しディスカウントしてでも呼び込みたいというお店側のニーズから生まれたものですよね。でも別に、夕方以降も同じような状況があればやってもいいじゃないですか。そういうお店はたくさんあるはずだと思って。今すぐ入れてお得なお店がリアルタイムで分かるアプリを作ろうと考えたんです」


「ハッピー」と「アワー」をそれぞれ英語で上位の単語に置き換えた、「エピックデー」をサービス名に決め、起業の出発点とした。


アプリの想定ユーザーは学生が中心で、自分自身が学生であることが有利に働くと考えた。当時は起業の構想を練るかたわら、Twitterで東京の六大学や有名大学の「2020年入学者アカウント」のようなものを作って運営していたので、そこで告知すれば一気に数千フォロワーにリーチできるだろうという見込みもあった。


大学卒業後は地元・岐阜からすぐに上京して、起業すべく着々と準備を進めていた。


「やるなら東京だと最初から決めていましたね。実はチームも作っていて、エンジェル出資も受けられそうだったんです。当時その援助をしてくれそうだったのがベルフェイスの中島社長で、就活中に唯一心つかまれた憧れの経営者でした。最初は新卒の選考を受けていたのですが、それを辞退して『エンジェル投資してくれませんか』と相談したんです」


そんな折、ちょうど世間を騒がせはじめたのが新型コロナウイルスだった。未曽有の社会的混乱が訪れ、飲食店は真っ先に打撃を受けた。


「中島社長やお会いしたVCの方からも、『今、飲食向けの事業は渋いぞ』ということを言われ続けて。僕たちの営業先になる飲食店も、どんどん経営が厳しくなっていく状況を目の当たりにしたので、緊急でストップせざるを得ませんでした。2020年3月に卒業したあとすぐ東京に来て、緊急事態宣言が出たのが4月、ピボットを決断したのが5月か6月くらいだったと思います」



急遽事業をピボットすることになり、当時は飲食以外のさまざまなマーケットに目を向けていた。実際にユーザー集めのためにSNSアカウントを作ったりと試行錯誤もしていたが、当面の生活が苦しくなりつつあった。


「上京するときは貯金をかき集めて、祖父から借りた軍資金も持って一旗あげるぞという思いで来ていたのですが、いきなり事業の見通しが立たなくなって。日に日にお金は溶けていきました。もう食事も切り詰めて、来月の家賃も払えなくなりそうという状況になって、一旦どこかで修行するためにも就職しようと思ったんです」


一度目の就職活動を思い返しながら、改めて企業を見ていった。すると、業界や企業ごとに特徴的な福利厚生が多々存在することに気がついた。


「3万円分のコーヒー代をもらえますとか、保養所がありますとか、企業によってさまざまな福利厚生があって面白いなと思って。一方で、嬉しいけれど1回使って終わりかもしれないと思うようなものまで、方々で見ていて違和感があったんですよ。これって本当に会社の提供したいことと従業員の求めていることが一致しているのかとか、もっと踏み込むと、いわゆる画一的な福利厚生がこの国ではスタンダートになっていることにもすごく違和感があって、ビジネスとして興味を持ったんです」


ちょうどコロナ禍になり、社会ではリモートワークが浸透しつつあった。終身雇用の崩壊は定着し、転職も当たり前になった。人的資本に関する情報開示の義務化など、国が主導するムーブメントも始まりつつあり、人々が「働くこと」を見直す転機が訪れていた。


さらに、知り合った人事担当者に複数ヒアリングしてみても、誰一人今の福利厚生がベストだとは思っていなかった。自身の違和感と社会の動きが重なって、やるべきタイミングだと思えた。


あるべき福利厚生の姿をイメージしていくと、プロダクトの構想は自然と固まっていく。気づけば、1か月ほどで最初の出資に至っていた。開発の過程では、自身の原体験もよみがえり、信じて進む原動力となった。


「母親の働く姿に立ち戻ると、楽しそうに働いていたわけではなかったんです。そこは僕自身、当時すごく引っかかっていて。一生懸命働いているし、生活がかかっているから『働かないで休んでいいよ』なんて言えるわけがない。でも、せめてその環境が少しでもポジティブに働けるものであったなら、昔の僕が母親を見ていて抱いた感情も違ったはずで。福利厚生には、企業と働く人、その周囲の関係性をより良く変えるポテンシャルがあると思ったんですよね」


福利厚生は人と企業、人と人をつなげるものである。働く人が今より前向きに、楽しそうに働く姿があれば、その姿を見守る身近な家族もまた喜びや安心を感じられる。真に「働く人のため」になる福利厚生がもたらす価値は、働く人の周囲にまで波及する。働く人が企業から「大切にされている」と感じられるようになる。


「もちろん裏側にある税務的なメリットや、行動変容を促して強い組織を実現するプロダクトであることは大切だと思っています。ただ、本来的に経営者とか会社って愛とか優しさの塊だと思っているので、いわゆる『Why Now / Why Me(なぜ今なのか、なぜ私なのか)』という部分についても腹落ちして、確固たるものにできたんです」


優しさにはさまざまな形があるなかで、福利厚生は会社ごとに大切にする優しさを、働く人に届けるものになる。今やるべきだという確信のもと、「miive」として走り出すことにした。


2020年、miiveの創業期



3章 自分で作った壁の壊し方


3-1. 不可能だと決めているのは自分自身


人生を振り返り、大切にしているものは「自分の中のスイッチの入れ方」だと栗田は語る。


「僕自身、本当にスイッチの入れ方次第だと思うんです。考え方とも言えますが、『世の中まず不可能なことはない』、『全部できる』と自分の中で肝に銘じているんです。起業やビジネスにおいても、よくスタート時の資金が制約条件になると言われたりしますが、そんなことはないと思っています」


実際、世の中には使い道を探している資金があふれている。手元にお金がなくても、そこにアクセスする方法を考えればいい。本当の制約になるのは、起業家や経営者自身の思想や視座、覚悟の程度だけだ。やれると思えばやれる。その考え方は、日々の意思決定にも表れる。


「たとえば、最近社内でOKRの目標設定について話していたときに、『この体験を3分でできるようにしよう』というものがあったのですが、『いやいや、3秒でやろう』という話をしたんです。自分たちが3秒でできるものと考えなければ、その瞬間に3秒は実現不可能になるじゃないですか。できると思うことが大前提で、それを目標とした瞬間に行動が変わってくると思うんです」


思考から行動は始まっている。栗田にとっては、自身の起業がその証明だった。


「miiveの事業についても、FinTechは『2周目の人がやるゲーム』だと言われたりするんです。事業を成立させるために必要なお金が億単位になるので、学生起業家で、しかも決済領域での起業はおそらく過去に例がなかった。それがある意味スタートアップの中での壁になっていたのですが、僕は『そんなことはないはずだ』と思って、実際にできたということですね。だから、不可能なことはないと、不可能だと決めるのは自分の考え方次第だと思っています」


制約は外側にあるのではなく、しばしば自分の内側にある。できると思えばできる。だから、いつでもチャレンジしていい。そうしたシンプルな行動原理を自分の中に置いておくことが、見えない壁を壊す力になるのだろう。




2026.4.15

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


終身雇用が崩れ、キャリアの選択肢が広がるなかで、「どこで、誰と、何のために働くか」を考える人は増えた。福利厚生というテーマは、そうした時代の変化とも交差する。


働く人と企業の関係性、そして人的資本経営という経営課題。そこでは戦略的な判断だけではなく、母子家庭で育ち、働き続けた母の姿を見てきた原体験も、栗田氏がこのテーマへ向かう原動力になっている。


環境は人をつくる。しかし同時に、人は環境をつくることもできる。栗田氏の生き方が示すのは、与えられた環境に意味を見出し、それを力に変えていく姿勢だ。どんな境遇にいても、スイッチを押す選択は自分自身に委ねられている。


文・Focus On編集部





株式会社miive 栗田廉

代表取締役CEO

1997年生まれ。岐阜県出身。就職活動時の「福利厚生」への違和感から、2020年に株式会社miiveを創業。人的資本経営を支える次世代の福利厚生プラットフォーム「miive(ミーブ)」を展開。日本の閉塞感を打ち破るべく「働く」すべての人の未来を創造する事業を拡大中。2022年すごいベンチャー100、Forbes 30 Under 30 Asia 2023選出、ソフトバンクアカデミア15期生。

https://miive.jp/


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