Focus On
西岡恵子
株式会社cotree  
代表取締役
メールアドレスで登録
or直感も感覚も、言葉にして積み重ねれば哲学になる。
「ふつうのお家を、美しく。」をビジョンに掲げ、インテリアとともにある暮らしの楽しさや豊かさを伝えていく株式会社Flavor。家具・インテリアブランド「Re:CENO(リセノ)」を運営する同社では、現在オリジナルブランド「Re:CENO product」の企画・開発のほか、法人向け空間デザイン・コーディネートやスクールなどインテリア関連事業を幅広く展開。ECサイト、店舗、オウンドメディア、書籍などを通じて、暮らしに寄り添う製品の世界観とストーリーを発信しつづけている。
代表取締役の山本哲也は、大学卒業後、上場アパレル企業に入社し、雑貨店の販売員・店長として従事。のちWeb制作会社にてコンテンツ制作・SEOを学び、その傍ら現在の「Re:CENO」の前身となる個人サイトを立ち上げ、2008年5月に株式会社Flavorを創業した。同氏が語る「夢中の源泉」とは。
目次
ファッションの楽しさを知る人は多いが、インテリアは少ない。憧れのブランドから手の届きやすいファストファッションまで、服は多かれ少なかれ、誰もが自分なりの好みやこだわりを持っている。それが、ことインテリアとなると同じ「おしゃれ」や「心地よさ」を求めるものにもかかわらず、「部屋が狭いから」「賃貸だから」「センスがないから」と一歩踏み出せないことがある。
しかし、本来インテリアとは、もっと多くの人が気軽に楽しめるものだと山本は考える。
「インテリア業界の専門誌を見ていると、『誰がこんな家に住めるんだろう』というお金持ちの家の特集も多いですよね。これはなぜかというと、雑誌を買ってもらうためには豪邸の方が目を引くからなんです。でも、一般生活においてそんな家に住んでいる人はいない。だから、僕たちは普通の家でも素敵にできるという価値観を出していきたい。お金が余るほどあるわけではないとしても、家具や雑貨といったインテリアエレメントでお部屋と暮らしを素敵にする文化をつくっていきたいと考えています」
京都発のインテリアブランド「Re:CENO(リセノ)」は、国内外からセレクトされた家具やインテリア雑貨などを取り揃えるオンラインストアとして、2008年に誕生した。
同社が提唱する「ナチュラルヴィンテージ」のスタイリングでは、シンプルで落ち着いた印象をベースに、ヴィンテージ感のあるアクセントアイテムをミックスする。一人暮らしの賃貸マンションから家族が住む一軒家まで、間取りを問わない普遍性、初心者にも再現しやすい分かりやすさが魅力だ。
現在は京都・東京・福岡に6店舗を展開するほか、オリジナルデザインの「Re:CENO product」の企画・開発も手掛ける。デザインの良さのみならず、「製品にまつわるストーリー」とともに愛されるブランドとなっている。特に自社メディア「Re:CENO Mag」では、作り手・売り手・使い手それぞれの視点から、製品について語られている点が特徴的だ。
「製品単体ではなく、スタイリングとして暮らしをどう変えるかを伝えています。たとえば、ふかふかのソファがいいのではなくて、ふかふかのソファで子どもと一緒にテレビを観るのが楽しいんだと、そんな価値観をお客様に伝えていきたい。お客様と店は『お金を払う・もらう』の関係ですが、大きく言えばインテリアを楽しもうとする仲間、コミュニティだと思っているので、そういった面でも共感いただけていれば嬉しいですね」

植栽越しの光がやわらかく差し込む、「Re:CENO」京都店(四条烏丸)
2026年秋には、6・7店舗目となる自由が丘店(東京)、梅田店(大阪)が新たに誕生する
たとえば、家族が増えても使いつづけられる伸長式のベッド、子育て世帯にも優しく洗える生地で作られたソファなど、暮らしにフィットする同社の製品には、ブランドとしての設計思想や作り手のこだわりが込められている。現場で焦点が当てられるのは、美しさのその先だ。
「IT用語では、HTMLの記述で『h1』が大見出し、『h2』が中見出しとされるのですが、よく社内の製作会議では『この製品のh2は何なの?』という会話が出てくるんです。要するに、ただ形が美しいだけの製品は他社に模倣されますし、どちらが安いかという世界で勝負しても意味がない。h2として細やかにこだわって設計した部分は、根本的にほかにはない良さがあるから模倣されづらい。だから、うちのデザイナーには『どんな思いを持って設計したのか』を必ずオウンドメディアに書いてもらっているんです」
誰もが上手にお部屋づくりができるようになる未来をつくる。そのために今、同社が次なるテーマとして注力しているのは「スタイリング」であり、それを「教えられる人を増やすこと」だという。
「これまで強みとしてやってきたことは一定以上の反響をいただいてきたのですが、その中で思ったのは、お客様のメンターとなりインテリアの良さを教えられる人が、まったく足りていないということなんです。よく世界的なスポーツ選手や音楽家が育つために一番大事なことは、それを楽しいと思わせてくれる人が近くにいたかどうかだと言われるように、やっぱり『努力』は『夢中』に勝てない。きっかけになる人がいれば、好きになって努力と思わず勝手に始めるというのは非常に大きいと思うんです」
しかし現状、日本ではそれを専門とする職業が、まだ十分に確立・認知されていない。インテリアコーディネーターは近しいように思えるが、住宅の内装や設備などの仕様決めを主な業務とするケースが多い。一方、店頭に立つ販売員はその能力や知見を高めることができるが、女性が多く、ライフイベントによって専門的なキャリアを確立しづらいという構造があった。
その問題を解決すべく、同社は2026年6月、民間資格である「インテリアスタイリスト資格」を新設した。
「僕たちが培ってきたインテリアスタイリングの知識を体系化して、センスに頼らず再現可能なセオリーとして学べる機会をつくること。そして、その領域のプロフェッショナルとして仕事にできるようにする。小売の店頭に立たなくても、内勤でお客様のお部屋づくりをサポートし、そこにフィーが発生する。そうなれば企業も、その人を高い給与で雇用しつづけられる。働く人にも業界にもいい、三方よしの未来を、自分たちのストーリーやコンテキストの中で実現したいと考えています」
インテリアは、特別な誰かだけのものではない。感覚に頼らず、誰もが学び、誰もが続けられる仕組みをつくること。Flavorが見据えるのは、作り手も、伝え手も、暮らす人も報われる未来だ。

真面目でしっかりしていて面倒見がいい。2つ上の兄は、いわゆるイメージ通りの長男だった。そんな性格の兄とは対照的に、自身は典型的な次男坊だったと山本は振り返る。
小さい頃は、どこへ行くにも兄の後ろをついて回っては、一緒に遊んでいたという。
「当時は基本的にはわがままで甘えたで、中学校・高校とスポーツはずっとやっていましたが、一度もキャプテンのようなポジションには就かなかったですね。人の後ろについてワイワイやっていたい。少年野球もお兄ちゃんがいるから行くぐらいで、まったく熱中していなかった(笑)。今思い返しても、身が入っていないので全然うまくならなかったんですよね」
特別なことはない毎日だったが、心配事もなくはつらつと遊んでいた。昔から、そばにはいつも母がいた。
「とにかく自由奔放だったんですよ。でも、母は昔ながらのお母さんではないですが、子どもへの愛が強いタイプで。何があっても味方でいてくれましたし、心配はしつつも自由でいさせてくれたことはおそらく大きいと思います。小さい頃からその愛情を僕も理解していましたし、母も常にそばで見守ってくれていました」
自分が何か始める上で、誰かの存在が支えやきっかけになることは多かった。たとえば小学校時代には、国語の授業の予習を褒められたことが嬉しくなり、毎回欠かさずはりきって予習をするようになっていた。
「おそらく学校の先生や友だちに褒められたんだと思うのですが、次男坊で調子に乗りやすかったので、言われてもいないのに国語の授業の予習を頑張っていたんですよね。次の授業でこのページの漢字を習うと分かっていれば、その授業中にやるはずのドリルを先にやっていって、先生に『この時間何したらいいですか?』と聞く厄介な生徒だったんです(笑)。でも、その頃から文字を書く国語というものが、好きで得意だった認識があります」
のちには仕事でブログやメルマガを書いたり、言語化しようとするとき、自分の強みとしてそれに向き合えた。その感覚の原点は、小学校時代の国語の授業かもしれない。文字にして書くという作業には、昔から親しみを感じていた。
「中学生のときには、すごく本を読んでいた記憶があります。当時流行っていた子ども向けのファンタジー小説が面白くて、シリーズを読み尽くしたり。一度自分でも小説を書こうと思って原稿用紙を買いに行って、先生が月に1回発行するクラス新聞のようなものに載せてもいいですかと聞いたこともありました。結局書ききることはできなかったのですが、そんなことをやっていましたね」
はじめは褒められたくて頑張っていただけだったものが、それを繰り返すうち、いつしか得意なことになった。文字と向き合い、本を読み、自分の言葉にする。自然とその楽しさを知る感覚は、自分の中に根づいていった。

小学校時代、野球チームの練習にて
2-2. 夢中は小さく始まる
地元の公立高校に入ってからは、練習が過酷な野球部から離れ、みんなで楽しめるテニス部に入った。授業は適当にサボりつつ、ひたすら部活の時間を楽しんでいた。進学コースだったが勉強にあまり興味はなく、それどころか当時は自分が何を好きなのか、将来やりたいこともよく分かっていなかった。
「今の若い人と違って当時はインターネットもなかったですから、大学は何系に進もうとか、高校から海外に行こうとか、そんな情報なんてないし、そんなことをやっている人も周りに誰もいなかった。本当に学校に行って、みんなで部活をやって、帰りに駄菓子を食べて帰る。アルバイトも禁止だったし、免許は誰も取っていなくて、ただ自転車で走り回っていましたね」
偏差値を頼りに大学を選び、進学する。なんとなく経営学部を選んでいたが、授業はほとんど真面目に受けず、相変わらず自由奔放に過ごしていた。唯一学びになったのは、ゼミでホームページを作ったり、当時にしては早くからインターネットに触れられたことだった。
就職活動でもなんとなくネクタイを締める仕事はしたくないという思いから、アパレル業界を中心に回った。最終的に、全国に数百店舗を展開する女性服ブランドで知られる上場アパレル企業に入社を決める。大学4年生のときには、内定者アルバイトとして実際に店舗での販売業務を経験することになった。
「あるあるなのですが、何も考えられない若造だったので社員のお姉さん方にしごかれて、もう3日ぐらいで嫌になってしまって、『内定を取り消してください』と人事に電話したんです。そしたら人事の方が、『新規事業でアジアン雑貨の事業部ができて東京に店舗があるから、アパレルがどうしても嫌だったら雑貨はどうですか?』と提案してくださったんですよ」

22歳、新卒で就職した頃
店舗の様子を一度見に行ってみることを勧められ、雑貨店に足を運んでみる。アジアンテイストの家具や雑貨が並ぶ店内の雰囲気を見て回ったあと、一応声もかけておこうと、その場にいた社員らしき男性に話しかけた。事情を聞いたその人は、親切にもご飯に連れ出してくれた。
「その方には『チーズはどこへ消えた?』という本を薦められたんです。そのあと人事に会うために本社に行く予定だったのですが、『すぐ読めるから、ぜひ読んでから行きなさい』なんて言ってもらって。結局、本を読んでから人事と会って、『もう一度頑張ってみようと思います』と話をしたんです。そこから25年、今はもう当時の事業部メンバーは誰も業界に残っていませんが、転がり込んだ僕がまだ残っていて、人生って面白いなと思います」
流れ着くようにして働きはじめた雑貨店での仕事は、思いのほか楽しかった。1年後には、副店長として熊本へ異動になる。同じく東京から来ていた店長とは、互いに独り身という共通点もあり、よく食事に連れて行ってもらう仲になっていった。
「その方には、今にも通じる雑貨やインテリアの楽しさを教えてもらったんです。一人暮らしで暇だし、熊本に友だちもいないんだから、家づくりや部屋づくりをいろいろやってみたらと言われて。少しずつホームセンターに行って木材を買ってきて、色を塗って棚を作ったり、冷蔵庫に木を貼ったり、トイレに砂利を敷いてみたり自由奔放にいろいろなことをやっていったら、それがものすごく楽しかったんですよ」
インテリアの楽しさが分かれば、売り場づくりにも活かすことができる。そう言われ、仕事に活かすためにもと思っていたが、気づけば純粋に心地よい部屋をつくること自体に夢中になっていた。
とはいえ、当時はろくにインテリアの勉強もしていなかった。とりあえず目についたものを置いたり再現してみたり、初期衝動を頼りに手探りで部屋をつくっていた。今思えば、おかしな組み合わせや、おしゃれと言えるかは怪しいところもあった。ただ、店の廃棄物を持ち帰っていいことになっていたおかげで、お金をかけずにあれこれ試すことができたのは幸いだった。それに何より大きかったのは、褒めつづけてくれた店長の存在だった。
「『ものすごくいい部屋だから、もう絶対雑誌に応募した方がいい』とか言ってくれて。でも、当時の僕の同期は、みんな元からインテリアや雑貨が大好きだし、本の表紙を飾るようなおしゃれな部屋づくりをしている人が多くて。たまたま流れ着いただけの自分は、すごく劣等感があったんですよね。そんななかで店長が褒めつづけてくれたのは、やっぱり僕のことをよく分かった上でやる気にさせようとしてくれたんだと思うんです。兄のような存在であり、師匠ですね。その人がいたからこそ、自分はいまだにここにいるとずっと思っています」
素人なりの完成度でもいい。なんとなく好きなものや、気になったものを集めて、身近に置いてみる。心の向くままに形作る空間は、拙くても満ち足りたものだった。

1社目の同僚たちと
雑貨屋では総じて人に恵まれていた。閉店後、夜に集まり、店をより良くするためにはどうすればいいかと話し合ったこともある。ブランドや店のことが心から大好きな、いい人たちが多かった。それが突然、ブランドが閉鎖されることになり、仲間とは散り散りになっていくことになった。
同業種の企業へ転職した人もいれば、社内のアパレルブランドの方へ異動していった人もいた。そんななか自分は、当時興味を持って勉強しはじめていたIT企業へ転職することを選んだ。
「その雑貨屋は全国に店舗があって、新宿伊勢丹前とか自由が丘の駅前とか、どこも一等地に店を出していたんです。それがブランド閉鎖となるとどんどん縮小してお店が荒れていって、スタッフの子たちが泣きながら解雇されていったりと、本当につらい時代でした。かなり大きな上場企業で、手広くやっていたブランドがこうなってしまうということは、今後おそらく実店舗はしんどいんだろうなと。これからはITの時代になっていくのではないかという肌感覚がありました」
新しいオフィスは、大阪のビジネス街・堂島にある超高層ビルの中にあった。未経験かつIT知識もまだ浅い状態でWebディレクターとして入ったが、町工場や中小企業の社長を相手にホームページ制作の提案をしていく上では、接客業で培ったコミュニケーション能力が役立った。
「すごく楽しかったですね。やりがいもありましたし、社長さんとかいろいろな人から感謝していただけたりもして。当時はまだIT知識のある人が少ない時代だったので、少し勉強するだけで、いろいろなことができるレアな人材になれたんですよね。自分としてもすごく成長できて、一気にブレイクスルーした1年でした。それもラッキーだったと思います」

一通りの業務に慣れて回るようになると、仕事の前提とされるものにも目が向いてきた。会社はサイトの検索順位を上げるSEO対策を強みとしていたが、どこまで効果があるのだろうという純粋な興味から、自分でも試してみようと思い立った。
とはいえ、Webサイトを自分で形にするためには勉強しなければいけないことが多かった。当時は朝早くから0時近くまで働いていたため、業務時間外に進めようとすると必然的に深夜しか時間はない。幸い、実家に戻っていたので生活面は母にも支えてもらいつつ、趣味だった雑貨やインテリアを扱うECサイトを立ち上げた。
「たとえば、京都のお土産屋さんのサイトであれば『京都 お土産』で検索したときの順位が上がりますよと、若造が社長に言うわけです。『本当に上がるのかな?』と思って、自分の持っていた雑貨の知見と、勉強したIT知識で作ったホームページが、今の『Re:CENO』の原型なんです。結果としてきちんと順位は上がって、売上も少しずつ上がるようになって。それをお客さんにも見せると信憑性が上がるので、仕事にも活きてくる。最初は本当にそのために始めたサイトでした」
はじめはあくまで趣味の域を出なかったが、思いがけない偶然から独立に踏み出すきっかけが生まれた。
あるとき担当していた顧客先へ、初めて組む営業担当と2人で訪問することになった。約束の時間に着いたが、1時間ほど時間をつぶしてきてほしいと多忙な社長に言われ、近くの喫茶店に入った。話していると気が合い、そのまま夜には飲みに行って意気投合していた。
「楽しく飲みながら、僕はこういうサイトも作っていてと話しているうちに、『じゃあ一緒にやりませんか』という話になったんです。ちょうどその頃、ライブドア・ショックの影響から会社の経営が傾きはじめていて。酒の勢いもあったのですが、次の日くらいには『本当にやりませんか』と連絡をもらって、2人代表という形で会社をつくることになり、そこから10年ぐらい一緒にやっていました」
2008年5月、株式会社Flavorを設立。理屈も大事だが、目の前にある縁や巡り合わせも同じくらい大切だ。その先に、自分なりの仕事や事業が形作られていくことになった。

家具・インテリアのオンラインストア「Re:CENO」としてスタートして以来、事業はちょうどEC化の波に乗ることができ、順調に成長していった。業界内でも一定の注目を集める存在になり、ますます事業を拡大していた。しかし2016年、不正アクセスによるクレジットカード情報の漏洩事故が起き、大きな岐路に立つことになった。
「保険に入っていたので、なんとか賠償金を払うことはできたんです。ただ、それまで10年ぐらいかけて積み上げてきた貯金はほぼなくなり、その後2年ぐらい何をやってもうまくいかなくなって。とりあえず売らないといけないので、いろいろな販促キャンペーンをやる。でも、売れないし利益がほとんど出ないという状態がしばらく続きました」
安売りのアイテムが売れず、やがて価格競争でも他社に勝てなくなった。負のループから抜け出せずにいた当時、活路を開くきっかけになったのは、セキュリティ事故が起きる以前から準備していたオリジナル家具だった。
当時、店舗に並ぶアイテムの大半は1~2万円程度だったなか、初のオリジナル家具であるソファは15~16万円で販売を開始していた。
「2006年からブログを書き続けていたのですが、そこでオリジナルのソファを作った経緯を販売前から書いていたんです。中国出張をして作ったけど初回はひどいものができてしまったことや、2回目はリベンジで出張に行って良くなってきたことをストーリー調で公開して。そのソファを二子玉川のお店に出したら、オープンから1時間ぐらいのあいだに2台売れたんですよ。接客をしてくれたメンバーに聞いたら、『ブログを見て、熱心に作られていてすごく良さそうだったから買いに来ました』ということだった。それが一つ成功体験になりました」
創業以来、国内を中心に仕入れた家具を安く売るという、インターネットらしい薄利多売の商売を続けてきた。しかし、安定的な成長ペースが崩れた現状を打破するため、オリジナル家具を中心に据え、ブランドとして方向性を大きく転換することにした。
「アイテム数を絞って、なるべく自分たちで作った商品を扱うように、ガラッとお店やブランドを変えたんです。ここが圧倒的に今につながるターニングポイントでした。あの事故がなかったら、もしかしたら今は安売り王になっていたかもしれませんね。実際、創業時期はほぼ同じで、安売りで大きくシェアを伸ばしている会社さんもあります。僕たちもそこに向かって邁進していたわけですが、今になって思うと、あの道を行っていたら大手のパワーゲームに負けていたと思うんです。偶然の成り行きも多い人生ですね」

オリジナル製品の製作現場にて、「心地いい家具」へのこだわりが細部に宿る
通常、売り場面積に制約のある実店舗と違い、EC企業にとって過去の商品データは資産になる。いわゆる「ロングテール」と言われるもので、掲載しておくだけで誰かが買う可能性はあるからだ。しかし、本格的なブランド転換にあたっては、全アイテムの7割を段階的に廃盤にすることにした。実際、マイナスな影響はほとんどなく、経営は再び成長軌道に乗った。
自分たちが心からいいと思える家具だけを取り揃える体制にシフトして以降は、さらに多くの人にインテリアの楽しさを伝えていくためには何が必要かと考えていた。
「いまだに日本のインテリア業界では、センスや感覚の優れた人が目立つんですよ。もちろんいろいろな人がいますが、一見して分かりやすい方がメインストリームになりやすいですし、『自分の好きな部屋を教科書的につくってどうするの』という意見の人も多い。だったら僕は、逆のアプローチで行こうと思ったんです」
インテリアは、限られた「センスの優れた人」だけのものではないはずだ。感覚を言葉に、センスをセオリーにする。そうすれば、敷居の高いイメージも払拭し、より多くの人がインテリアを楽しんでいけるようになるはずだと考えた。
「うちにいるメンバーはセンスが豊かな人が多いのですが、僕はいまだに自分がすごくセンスがいいとは思わないし、同じインテリア好きとしても感覚が少し違っていて。たとえば、『北欧のあのデザイナーの椅子がいいよね』という話より、僕なら『なんとなく夜にしっぽりと間接照明でウイスキーを飲む時間がいいよね』と、昔からそういうことを研究したいタイプなんです。センスのある人を非常に尊敬していますが、逆に僕は国語的な文脈づくり、ストーリーづくりを得意としているから、得手不得手を活かしてインテリアの魅力を伝えていきたいと思っています」
インテリア初心者がつくりがちな部屋と、センスのいい部屋は何が違うのか。なんとなく目についた派手なラグを買ってみる。それも楽しいが、センスのある人は一つの目的やゴールに向かい、調和していくことを考える。そんな風に一つひとつを比較し、紐解きながら、セオリーとしてまとめ、2023年と2025年に本として出版した。
見えないハードルを取り払い、インテリアをより開かれたものにする。Flavorは、その未来を信じて描き出していく。

思い入れのある事業部の閉鎖や、勤めている企業の経営難など、人生に「思い通りにいかない出来事」はつきものだ。テレビドラマのような、分かりやすい善悪は世の中にない。良くないことが起きたとき、それをどう捉えるかが人生において重要になると山本は語る。
「こんなことが起きてしまったと悔やむのではなく、それをもとに次は自分がどう行動するかが、人生においてものすごく大事だと思っています。僕も昔は、こんなことがあってどうしたもんだと思っていましたが、あとから振り返ると、あの出来事があったからこそ結果的に良かったなと思うことの方が多いんですよ。よく『タフタイム大学』という話をするのですが、何年かタフな時間を過ごす学校に通ったと思えば、その後の成長につながる。『タフタイム大学』という言葉は、すごく好きなんです」

その考え方は、仕事の局面に限らず、日常のふとした出来事にも表れる。
「先日も、お盆休みに妻と子どもと一緒にグランピングに行こうとしたんです。その日は1時間半ぐらいかけて山を登って、湖のほとりのものすごく素敵な宿に着いたと思ったら、『予約は明日に入っていますね』と言われて(笑)。そこで家族を責めたりといった感情は一切なく、じゃあ今日はどうしようかという発想にすぐ切り替わって」
電話であちこち探した結果、車で1時間ほどの距離にある温泉宿が空いていた。行ってみると、とても良い宿だっただけでなく、駅前で見つけた魚屋の居酒屋で美味しい料理に出会った。家族と1泊存分に楽しんだあと、翌日改めてグランピングに行った。前日は動き回った分、その日は湖のほとりで昼からビールを飲みながら過ごすことができ、総じてみると良い旅になっていた。
「結局、物事をどう捉えるかで、人生の印象なんてまったく逆になるんですよね。若いときにはそれが実感として分かりづらいこともありますが、それは成功と失敗をひっくり返した経験が少ないからで。僕は今思い返しても、あのまま順調に進んでいたら、逆に今良くない結果につながっていたなと思うことが多いんです。だから、常にポジティブに物事を捉えることが、すごく大事だと思っています」
何を悪いことと捉え、何を良いことと捉えるか。解釈一つで、人生の見え方はまったく違うものになる。数々の挫折を次への糧に変えていく。視点の転換そのものが、力になる。

2026.9.29
文・引田有佳/Focus On編集部
センス豊かな同期に気後れしていた自分を、店長は褒めつづけてくれた。そのおかげで今があると、山本氏は振り返る。
特別なセンスに恵まれていないという理由は、人が何かを諦めようとするときにしばしば顔を出す。けれど、その手前で誰かがそっと光を当ててくれるだけで、人は思っている以上に遠くまで進んでいけるのかもしれない。
突出した才能の有無よりも、自分の得手不得手を正しく見極め、得意なことで足りない部分を補っていくことはできる。夢中の種が芽吹くかどうかを、偶然の出会いだけに委ねる必要もない。
Flavorは属人的だったインテリアのセンスを、誰もが学べる形に開き、伝えられる人を育てる。人にも、事業にも、業界にも実りをもたらす三方よしを、同社はこれからも体現していくのだろう。
文・Focus On編集部
▼コラム|2026.9.30 公開予定
私のきっかけ ― 『レバレッジ・リーディング』著:本田直之
株式会社Flavor 山本哲也
代表取締役
1979年生まれ。京都府出身。大学卒業後、上場アパレル企業に入社し、雑貨店の販売員・店長として従事。のちWeb制作会社にてコンテンツ制作・SEOを学び、その傍ら立ち上げた個人サイトが現在の「Re:CENO」の前身となり、2008年5月に株式会社Flavorを創業した。