Focus On
LEE KUNWOO(イ・ゴヌ)
LITEVIEW株式会社  
CEO
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or自己表現やリスペクトの精神、大切なことはヒップホップが教えてくれた。
EC・小売事業者と買い物客双方に向け、より良い購入後体験を創出していくRecustomer株式会社。同社が提供する購入後体験プラットフォーム「Recustomer(リカスタマー)」では、購入後の返品・交換・キャンセル業務の自動化や配送追跡のみならず、自宅で実際の商品を試してから購入ができるお試し購入まで、横断的にサービスを展開。オペレーションから決済や実店舗との連携など領域を広げつつ、事業者の売上向上や業務効率化、そして顧客満足度の向上を支援している。
代表取締役の柴田康弘は、早稲田大学在学中から音楽制作のかたわら、UIUXデザイン・グラフィックデザイン・Pythonを中心としたエンジニアリングに取り組み、モバイルアプリやWebシステム開発・実装を手がけてきた。2017年、Recustomer株式会社(旧 ANVIE株式会社)を創業した同氏が語る「自身のルーツ」とは。
目次
企業経営の指針として、あるいは組織や人を束ねる柱として、ミッションやビジョンには価値がある。しかし、キャッチーな言い回しであるほど狭義になり、逆に意図を正確に反映しようとするほど曖昧な表現になっていくという難しさもある。むしろ、その存在自体が企業の成長を妨げるボトルネックになることもあるのではないかと柴田は語る。
「社内でも定期的に議論になるのですが、ミッションを定めることで自分たちの可能性にフタをしている感覚になるんですよね。たとえば、『返品によって社会を変える』と掲げたら、すごくキレが良いし、みんなの心を動かすけれど、実態とは合わなくなってしまう。自分たちはスピード感を持ってプロダクトを拡張し、可能性を広げつづけているので、この文化には合わないのかもしれないと考えているんです」
同社が提供する購入体験プラットフォーム「Recustomer」は、購入前だけでなく購入後の体験までを設計し、ユーザー体験を向上させるとともに、事業者の売上向上や業務効率化を支援するサービスだ。
リリース当初は返品・返金領域に特化していたが、同社はそれを基盤に、新たな領域へとサービス対象範囲を拡張しつづけてきた。0円で注文し、実物を試着してから購入するか否かを決められるようにする「Recustomer お試し購入」もその一つだ。
「ECサイト上で『お試し購入』を可能にするサービスも、そもそもしっかりとした返品の仕組みがないと作れない。返品・返金のプロダクトを極めたからこそ、その土台を活かしたシステムやビジネスモデルを構築できている。それが他社にはないユニークな強みになっています」
返品業務は、カスタマーサポートから倉庫、物流業者まで関係者が多く、フローも複雑だ。加えて、EC事業者ごとに返品ポリシーが異なるため、汎用的に対応できる設計には多くのハードルがあった。だが、だからこそ培われた知見や技術的な資産が、現在同社の強みになっている。
購入後体験向上を軸に、プロダクトの市場と対象顧客を広げつづける。これまで、「購入された瞬間」をゴールの1つと捉え、購入する前の顧客体験向上に重きを置くことが一般的だったが、Recustomerは「購入後」までを視野に入れた体験設計に着目し、プロダクトを展開している点がユニークだ。現在はECだけでなく実店舗向けのプロダクトも準備しているほか、海外展開も見据えているという。
真に豊かな購入体験とは何か。顧客の成長に貢献し、なおかつビジネスとしても戦略的に拡張しつづける、自分たちらしい事業の在り方とは何なのか。Recustomerは、唯一無二の答えを追求しつづけている。
年の離れた兄の背中を追いかけるように、自然と始めたサッカーは、幼い頃の生活の中心だった。今日は自分のゴールが決め手となって、チームが試合に勝った。そう自慢げに両親に報告すれば、「仲間のおかげでもある」とたしなめられる。両親は人としての正しさや善悪のようなものについて、よく話してくれていた。
小学校時代を振り返っても、一番の思い出はサッカーだと柴田は語る。
「チームで1つの勝利を目指して頑張るということがすごく好きでしたし、自分が上手くなっていくのも好きでしたね。当時所属していたチームが地域の中では割と強豪で、選抜に行く人も多かったりとタレントが揃っていたので、結構試合で勝てたんですよ。やっぱり勝利したときは嬉しいですし、優勝となれば尚のこと嬉しかったですよね」
中学では近隣の小学校から選手が集まり、部員数も一気に増えた。練習はさらに本格的になり、地域では比較的レベルの高い環境にいる自負もあった。偶然一つ上の代の人数が少なかったこともあり、1年生から試合に出場しはじめ、忙しい日々を送るようになる。
誰かの素行不良が問題になれば、連帯責任で全員が坊主にされることもあるが、それでも仲間と同じ目標に向かって全力で打ち込む日々は、たしかに充実していた。
「チームスポーツというのはいいですよね。リスペクトの文化もあって、試合中はみんなものすごく厳しく言うけど、コートの外では仲がいいとか、そういうオンオフの切り替えはサッカー特有のカルチャーだなと思います。あとは、細部にこだわる精神ですかね。スポーツって日々の練習の積み重ねじゃないですか。日常の中でちょっとしたことの質や強度にこだわる大切さは、今振り返るとサッカーから学んだのかもしれないですね」
小学校時代、サッカーの試合にて
直感的に選んだ進学先の高校は、それまでとは打って変わって多様性のある雰囲気だった。
一学年は8クラスあり、国際文化科やグローバルビジネス科、理数工学科などの学科に分けられている。札幌国際情報高校、生徒たちは英語の学校名を略して「SIT」と呼ぶ。きれいな校舎に、先進的なコンセプト、何より名前がかっこいい。もしかしたら、そんなところにも惹かれたのかもしれない。
「もちろんサッカー部には入るのですが、部員も少なく活発とは言えない環境だったので物足りなく感じて、すぐ辞めてしまって。ただ、サッカーはやりたかったので社会人フットサルチームに入ったり、徐々に違う高校の友だちとか、学校の外でよく遊ぶようになっていきましたね。その頃くらいから始めたのが、ブレイクダンスやヒップホップでした」
昔から兄の影響で洋楽を聞いていて、なかでも当時メジャーだったのがヒップホップミュージックだった。
興味を持って調べると、どうやらヒップホップには四大要素と呼ばれるものがあると知る。ラップ(MC)にDJ、ブレイクダンス、グラフィティと、ただ音楽として聴くだけでは終わらない。「リアル」と「フェイク」の概念など独特の精神性やカルチャーがそこには内包されていて、気づけば深く深くのめり込んでいた。
「最初は、ブレイクダンスのスクールに1回体験レッスンに行ってみたんです。そうすると、なんか違うなと。ストリートじゃないと気づくんですよ(笑)。やっぱりストリートに出たくなって。札幌には大通公園という場所があって、昼は都会の観光スポットなのですが、夜になるとみんなそこで練習しているので、自分もそこに行って友だちを作って一緒に練習するようになったんです」
中学までの日常は、8~9割をサッカーが占めていた。そこから一転、サッカー部を辞めたことでぽっかり空いた心の穴を埋めてくれたのが、ヒップホップやブレイクダンスといったカルチャーであり、コミュニティだった。
「本当に居心地がいいと思いました。カルチャーとしても、すごく相手をリスペクトしたり、挨拶をしっかりしたり、それから仲間を大切にする雰囲気なんですよね。みんな本当に熱中しているし、それまでの自分の価値観とも重なるところがあって共感できた。すごく世界が広がって、感動しましたね。自分にとっては本当にパラダイムシフトでした」
もともとヒップホップは、大都会ニューヨークの片隅のストリートから生まれたカルチャーだ。社会的にも経済的にも苦しい立場にあった若者たちが、自分たちの声を上げる手段として始めたものが、音楽やダンスなどジャンルを超えて、やがて世界へと広がっていった。それは、抑圧された者たちの自己表現であり、一つの生き方でもある。だからこそ、自然と継承されてきた独自の美学や哲学がある。
人は、生きていれば弱さを抱えるし、後悔する瞬間もある。けれど、最後に立ち返れる場所があるかどうかは、きっと大きい。ヒップホップの根底に流れるさまざまな精神性に触れ、同じカルチャーに共鳴する仲間と過ごすほど、いつしかそれらは自分にとって「なくてはならないもの」に変わっていった。
2-2. 感動というエネルギー
高校時代、何より情熱を注いだものといえば、高校生限定のイベントを運営するサークルを立ち上げたことだった。
「何かのきっかけで兄の友人と話していた時に、東京には昔大きなギャルサークルがあって、数百人規模のクラブイベントをやっていたという話を聞いて、それはすごいなと感動して。自分たちで札幌版を作ろうと思い立って、イベントを企画していったんです」
はじめは大通公園に集まる仲間たち――ラッパーやダンサー、BMXやスケートボードを愛する若者たちをコアメンバーにした。そこから各々が友人に声をかけ、少しずつ輪を広げていく。人づてでイベント会社や広告代理店の大人たちも巻き込んでいきながら、札幌中の高校生が集まるイベントへと育てていった。
来場者からの評判は上々だった。初回は小さな箱からスタートしたが、徐々に規模を拡大。雑誌のモデルをゲストに呼んだり、誰もが知る飲料メーカーに協賛してもらったり、集客面も戦略的に考えながらコンテンツを企画していった。回を重ねるごとに、「自分たちにできること」がどんどん大きくなっていく実感があった。
「完全にPMFしていましたね。高校の文化祭って、年に1回しかないじゃないですか。あれだと全然物足りないんですよね。楽しいイベントだけど、それが年に何回もほしいと思っている高校生がたくさんいて、本当にすごいエネルギーが集まって。仲間と一緒に目標を持ってやるというプロセスも楽しかったですし、世の中に新しいことを生み出している、自分たちが札幌で1番勢いがあるコミュニティだと思いながらやっていましたね」
多くの人を巻き込み、濃密な時間を駆け抜けた約2年。気づけば、差し迫った問題として大学受験が近づいていた。久しく勉強からは距離を置いていたこともあり、右も左も分からない。仕方なく周囲の大人たちにどうするべきかと相談していると、ある人の助言が心に突き刺さった。
「当時の知り合いに『小僧、学歴はアクセサリーだから持っておけ』ということを言われたんです。それで『分かりました、受験します』と。影響を受けやすいんですよ(笑)」
学歴はアクセサリー、シンプルだが強烈なパンチラインだと思った。つまり、ある種のブランドのようなものなのだろうと、当時は理解した。持っていれば外からの見られ方が変わるから、持てるのであれば持っておいて損はない。
ただ、今から勉強を始めても国公立の科目数を網羅する時間はなさそうだったので、ひとまず私立の早稲田と慶應を目指すことにした。
「『感動した!これはすごい!』とテンションが上がると、居ても立ってもいられなくなる性格ですね。イベントも大学受験も、今までの人生を振り返ってみると、起点には全て感動があって、衝動的に行動した結果、うまくいったことが多い。最近でもAIを触り出したら感動してしまって、夜中までずっと触っていたり、そこは一貫している部分かもしれません」
一瞬の感動を見逃さず、衝動を信じて動き出す。その積み重ねが、いつしか人生を少しずつ動かしてきた。
高校3年の夏から受験モードに切り替えたが、現役合格は難しいだろうと、最初から浪人を覚悟して勉強しはじめた。受験では模試を受けるたび、現状と合格ラインのギャップを定点観測できてしまう。最初の1年ほどはE判定が続いていたこともあり、何度も心折れそうになる瞬間があった。
「浪人時代はメンタルを保つために自己啓発をしないといけなかったんですよね。YouTubeで『自己啓発』で検索すると、当時出てくるのは基本的にスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグなんですよ。それを見てやっぱり感動して。浪人含め僕は受験勉強の期間が長かったので、メンタルがきつくなるたびに、そういうテック系の億万長者のスピーチとかいろいろなものを調べては見て、モチベーションを保っていました」
浪人1年目は、自分なりに勉強して臨んだものの、結果は不合格。さすがに落ち込んでいたところを家族や仲間に励まされ、もう1年挑戦してみることにする。2年目は、浪人にかかる費用も自分で稼ぐことにしてアルバイトを始めつつ、引き続きジョブズなどの言葉に支えられ、なんとか早稲田大学商学部への合格を掴んだ。
苦労した分、何にも代えがたい気持ちで入学や入寮の手続きを済ませ、あわただしく大学生活は始まった。
「大学生活は楽しかったですね。商学部って国際教養学部という留学生が多い学部と同じ建物なんですよ。そこでまた感動があって。本場のヒップホップカルチャーで育った米国のティーンエイジャーはやっぱり違うなと、圧倒されました。何回か一緒に遊ぶなかで、彼らに比べたら日本人は自己表現が控えめだと思いましたね」
大学時代、DJとして活動していた頃
夜はDJとして音楽に明け暮れ、自身での楽曲制作にも挑戦する。かたや、浪人時代に影響を受けたスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグへの憧れも根強くあり、ビジネスの世界にも少しずつ視野を広げていった。
「当時はキュレーションメディアやシェアリングエコノミーが全盛の時代だったので、仲間とそれに関連したビジネスモデルを考えて、ビジネスコンテストに出場したり。メディアは自分でも作れるので、実際に自作して練習したり、いろいろやっていた時期でした」
あれこれ試してみて分かったのは、思い描いたサービスを作っていくうえでは、エンジニアとして自分でコードを書けた方が有利であるということだった。それならいっそ本格的にプログラミングを勉強しようと思い立ち、昼のあいだはひたすらパソコンの画面と向き合い、コードを書きつづける生活を送りはじめた。
「自分が書いたコードで画面やシステムが動くのは楽しくて。音楽づくりと同じように、プログラミングも創作活動の一環という感覚でしたね。続けていると小銭を稼ぎたくなって、札幌の友だちや先輩の紹介で広告代理店から案件をもらったり。最初はホームページやLPを作りつつ、少しずつスキルが上がってくるとシステム開発の案件をもらえるようにもなって、まとまった金額になったりする。それがまた楽しくて、当時はあまり中長期的なことは考えてはいませんでしたね」
プログラミングに没頭するほどに、稼げる金額も大きくなっていく。札幌だけでなく東京でも案件をもらうようになり、自分の手で仕事の価値を生みだす感覚にも慣れてきた頃、急に現実的な問題が目の前に立ちはだかった。
気づけばほとんど授業に出ていなかったことが原因で、奨学金の停止を知らせる連絡が届いたのだ。
「大学3年生の時に奨学金が止まったんですよね。当時は渋谷のワンルームを自分で借りていて、奨学金がないと家賃が払えなくて困るという状況で。受託で月に30~40万円くらいは稼いでいたのですが、やっぱり波があるし、生活のためには仕事の量を増やすしかない。本気で仕事をしたいという思いもあったので、退路を断つために大学を辞めて起業することにしたんです」
中途半端な思いで通いつづけるのは、両親にも申し訳ない。それに、今まさに目の前にある自分だけの勝負に、本気で打ち込んでみたかった。大学というルールの上で型にはまって生きるのではなく、自分と仲間で「リアル」な世の中にぶつかっていく。選択と向き合うためには、思い切って退路を断つ必要がある。そう覚悟を決めて、社会へ足を踏み入れた。
2017年、受託開発を軸とするANVIE株式会社(現 Recustomer株式会社)を創業した。とはいえ、当初は生きるために仕事する、いわゆる「ライスワーク」の期間が長かった。毎日を必死に生き抜いてはいるが、華やかな実績があるわけでもない。なかなか現状の延長線上を抜け出せない感覚に、数年間苦しんでいた。
「やっぱりザッカーバーグやジョブズに憧れていたので、もっと社会にインパクトを残すような仕事がしたいと思っている。でも、足元では自分のプロダクトを持つのではなく、会社のホームページ制作を受託する仕事をしていました。当時はそれが精一杯で、どう事業を伸ばすか、本来自分のやりたい事業をするにはどうしたらいいのかなど、事業の悩みも多いし、右も左もわからない『経営』のなか従業員に関する課題も感じていて、自分たちの理想と現実のギャップに対するもどかしさは、かなりありました」
隙間時間を使って自社プロダクトの開発を進めるものの、そう簡単にうまくもいかない。何度も試行錯誤を重ねた結果、ようやく2019年にHR系のプロダクトをリリースするにまで漕ぎつけた。はじめて資金も調達し、満を持して臨んだ事業だったが、ちょうど間もなくコロナ禍となり、採用市場が冷え込んだことで計画は頓挫した。
「そこからまた受託事業に戻ったのですが、その頃に出会ったのが日本に入ってきて間もないShopifyというツールでした。初めて触った時は、本当に衝撃的で感動して」
アカウントを作成し、デモサイトを触ってみる。最初にテーマエディターで好みのデザインを選択していくと、あっという間に洗練されたECサイトが作れてしまう。もちろん裏側のコードをカスタマイズすることもでき、API連携や細かな調整も自由自在だ。
プログラミング知識のない人でも低コストかつ自前でECサイトを構築できる一方で、エンジニア目線でも不足を感じない機能の豊富さには目を見張る。簡便さと拡張性の高さが見事な形で両立している、可能性しか感じないサービスだった。
「これはもうShopifyのECサイト構築を中心にやっていこうと決めて、Shopifyだけに全リソースを投下したんですよね。そしたら、ものすごく事業が成長して。月10~15件くらい案件を受注することができて、短期的に数億円くらい売り上げたので、ゆっくり自社プロダクトを開発できる余裕ができたんです」
数か月間で一気にキャッシュを確保できたので、本来やりたかった自社プロダクトに再び挑戦する余裕ができた。新しい事業ドメインは、やはりECを軸に考えていった。
「Shopifyというツールそのものに一目惚れしてしまって、このツールは絶対に将来伸びると思っていたんですよ。イメージとしては、スティーブ・ジョブズが作ったiPhoneがあって、その周辺にアプリストアが立ち上がったのと同じ構図に見えたんですよね。だから、Shopifyが世界中で使われるようになる、その周辺のツールを作ろうというところが最初のステップでした」
Shopifyに連携する周辺ツールは、既に海外では続々と誕生していた。マーケティングオートメーション機能を提供する「Klaviyo」をはじめ、配送やレビューに関するものまで幅広くあるなかで、最も勝ち筋がありそうな領域を選んでいった。
「今までの事業立ち上げの経験から、攻め方は大きく2パターンあるだろうなと考えていました。つまり、すごくエッジが効いた観点で新しい価値を作り出し、エンタープライズを刺しに行くパターンと、レッドオーシャンでも既存ツールより安くて良いものを作るパターンがあるなと思って、自分たちらしい選択は『新しい価値を作り出す』前者だろうと。『返品』はエッジが効いていて、競合が存在しない状況だったので、競争の波に飲まれにくいところも良かったんですよね」
競合が多いマーケットを切り拓き、価格破壊で稼ぐやり方が自分たちらしいとは思わない。
さらに、日本におけるEC化率の低さにも注目した。当時のデータを見ると、欧米のEC化率が20~25%であるのに対し、日本だけが6%と圧倒的に低かった。一般的にECの普及を阻む要因は、治安の悪さなど不安定な物流環境や、国民のクレジットカード所持率の低さなどがあるものの、日本はこれらの事情に当てはまらない。
小さな島国で、一流の物流会社もある。にもかかわらず、日本人はECサイトで買い物をしない。そこには、日本だけが、通信販売に「クーリング・オフ」が適用されないという法律上の特性が影響していると考えた。
「ここに逆張りするポテンシャルがあると思ったんです。もし将来的に、通信販売にもクーリング・オフが適用されるような法改正があれば、大きな追い風になる。さらに、外資系ブランドが続々と日本に進出するなか、彼らの『30日返品無料』といったグローバル基準の返品ポリシーが、日本でも価値を持ちはじめる時が来るはずだと考えました。そうなれば自然とプロダクトのニーズが大きくなり、独占できるのではないか。これを我々は『セクシー』と表現していて、そうした仮説のもとで『Recustomer』を作っていきました」
2021年、「Recustomer」をリリース。社名もサービス名と同じものに変更し、スタートアップとして舵を切る。しかし、よくあるホリゾンタルSaaSの鉄板のようなものに、ただ倣うつもりはなかった。時代が変わるにつれて最適解は変わるもの。どこかの真似をしたり、追随したりするのではなく、あくまで自分たち独自のスタイルを確立する。そのためにRecustomerは、目の前の顧客に向き合っていくことにした。
改めて人生を辿ってみると、客観的に見た自分はいつもあきらめていなかったと柴田は振り返る。
「僕の一連の人生を振り返ると、結構粘るというか、あきらめなかった人生を送ってきたなと思いました。特に『Recustomer』が生まれるまでは受託を続けた期間が5年くらいあって、浪人も2年くらいあって。あきらめない中で最後に上がってきたという印象なので、そこは過去の自分を褒めたいですね」
自分ならどんな局面も突破できる。いわゆる「ウルトラC」を見つけられる。そんな根拠のない自信で心を支え、あきらめずに続けることには、それ自体に価値がある。
「結果的にウルトラCなんてないのですが、それを探索する行為にすごく意味があって。煮詰まって煮詰まって、ひねり出したときに何かに出会い、感動する。何かの違和感を日々抱えながら生きてきて、粘って探しつづけるからこそ、出会ったときの行動が早くなるんだと思います」
過去の体験も感覚も、どこかで自分に言い聞かせた言葉も無駄にはならない。積み重ね、歩みつづけたこと自体が自信になる。だから、一歩ずつ焦らず踏みしめていく。
そうした姿勢は、Recustomerという組織のカルチャーにも表れている。たとえば、予期せぬ事態やハプニングに直面したときでも、感情に流されず冷静に受け止め、まずは問題解決に集中するカルチャーがあるという。
「何かつらい局面があったとき、たとえば深刻なバグを出てしまったとき、多くの人は深刻ぶってエンジニアの人を詰めたりすると思うんです。でも、深刻ぶったところでエンジニアの生産性は上がらないじゃないですか。だから、うちでは本当に深刻なときも、あえてジョークを言っています。一旦冷静になるために一服したりして、問題解決に集中する。ディスカッションでも、相手が感情的にならないように言葉を選びながら、論理的に意思決定していく。そのうえで遊ぶときはみんなで遊ぼうというカルチャーがあって気に入っています」
人生は、新たな壁の連続だ。一つずつ向き合いながら、問題を紐解いていく。自分たちの道を信じて今日を歩めば、その連続にひるむ必要はない。
2025.8.21
文・引田有佳/Focus On編集部
「多くのスタートアップがそうしているから」は、理由にならない。最適解は時代や状況によって変わるものだし、セオリーを自分たちで打ち立てることにこそ、スタートアップの醍醐味があるとも言える。Recustomerのアプローチには、そんな熱がある。
根底には、音楽やプログラミング、ヒップホップカルチャーに没頭した日々の感覚があるのかもしれない。作ることそのものへの純粋な喜び、思いついたらまず手を動かす衝動。単なるお金稼ぎではなく、ユーザーが本当に必要としている仕組みやプロダクトを自分たちで形にしていく行為は、まさに自己表現の延長線上にある。
常に「自分たちらしさ」を問いながら、仲間とともに道を切り拓く。静かだが、芯のあるカルチャーが組織に息づいている。そんなスタートアップが生み出す波紋こそ、人の心を動かし、やがて社会の常識を塗り替えていくのだろう。
文・Focus On編集部
▼コラム
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Recustomer株式会社 柴田康弘
代表取締役CEO
北海道出身。早稲田大学在学中から、UIUXデザイン・グラフィックデザイン・Pythonを中心としたエンジニアリングに取り組み、モバイルアプリやWebシステム開発・実装を手がける。2017年、ANVIE株式会社(現 Recustomer株式会社)を創業。日本のEC化率の低さに課題を感じ、返品文化の違いがボトルネックになっていると気づいたことをきっかけに、2021年に購入後体験プラットフォーム「Recustomer」をリリース。2023年、Forbes 30 Under 30 Asia(Retail & Ecommerce部門)に選出。